Memories  ―braver― ――臆病で、弱虫で、意気地なしで      ずっと踏み出せなかったのは……              [1]  飛べない鳥ポケモンって、見たことある?  …見たことあるわけないか。  そうだよね、飛べない鳥ポケモンなんて、鳥ポケモンじゃないもんね。  ・・・・・・ならさ。  ぼくって、どうなんだろう?  ぼくは鳥ポケモンだ。  生まれてから今まで、ずーっと鳥ポケモンとして生きてきた。  でも。  だけど。  ぼくは、飛べない。  飛ぶことが出来ない。  あの高い空を翔けるなんて、出来ない。  ポッポの時から…ピジョンの時も…  そして。  この、ピジョットになった今でさえも。  ぼくは、鳥ポケモンなんだろうか。  ぼくは、本当に鳥ポケモンといえるのだろうか。  でも、鳥ポケモンでないのなら。  ぼくは。  ・・・・・・・・ナニ?              [2]  いつからだろうか。  飛べないピジョットの噂話が、この辺りに住むニンゲンの間に広まったのは。  ぼくは、幾人ものニンゲンのオヤを経験してきた。  みんな、飛べないぼくを面白がり、どうにかして飛ばせようとして、  そうして、最後には諦めて、ぼくをもとの場所へ捨てて行った。  ぼくはグリフだった。  ショウヤの時もあった。  ジェットの時も、トビオの時も。  でも、どの名前も長続きした事は無い。  一番最初の名前、そんなの、もう忘れてしまった。  “飛べないピジョット”  ぼくの敬称は、それで十分だった。  ぼくは飛べない。  羽根が無いわけではない。  羽根が動かないわけでもない。  怪我をしているわけでもないし、飛ぶのを遮る物があるわけでもないし、  …飛び方を知らないわけでもなかった。  ぼくを、大地に縛り付けるもの。  それは、たった一つの感情。  恐怖。  ぼくは、飛ぶことが怖い。              [3]  空を自由に飛べたら。  そう思う前に、ぼくは怖いと思う。  飛べなかったら?  落ちてしまったら?  もしかして、緊張して羽根が動けなくなっちゃうかも。  もしかしてもしかして、突風が吹いて地面に叩き落されるかも。  毎日毎日、空を見上げてはその問答の繰り返し。  踏み出せないのは、些細な一歩。  足りないのは、勇気というもの。  でも、やっぱり怖いものは怖い。  誰がなんと言おうと、怖いんだ、ぼくは。  空を飛ぶことが。あの、遥かな高みが。  たくさんのオヤたち。そのうちの一人が、こんなことを言っていた。 「こいつ、高所恐怖症なんだ」  鳥ポケモンのくせにな。  彼はそう言って苦笑し、次の日にはこの場所へとぼくを返した。  初めて言われた言葉を、ぼくはそれからずっと考えてみた。  コウショキョウフショウ。  高い所が、とても怖いと感じること。  どうしようもない、そのものの性質。  けれども、それは違う。  何故って、そんなの、ぼくたちには有り得ないから。              [4]  鳥ポケモンが高所恐怖症なんて……嘘っぱちの戯言だ。  だって、そんな鳥ポケモンだったら、生きていけないじゃないか。  そんな性質を持って生まれてきてしまったら、この自然の中では、死ぬしかない。  そんな性質、鳥ポケモンにあってはならない。  生まれてきてはならない。  だから、いるはずないんだ。  高所恐怖症の、鳥ポケモンなんてものは。  じゃあ、ぼくは何なんだろう。  考える事じゃない。  ぼくの怖さの根源、原因。そんなの、とっくにわかっているから。  純粋な、恐怖。  同じ過ちの、繰り返し。  ぼくの心は、単純にそれを恐れているんだ。  あの時、ぼくは失敗したから。  巣立ちの時。  ぼくは、  ぼくだけが、  飛べなかった。              [5]  重い重い枷。  痛い痛い鎖。  全てのはじまりは、失敗したあの日。  でも、全ての元凶は、  すぐにやり直せなかった、自分の臆病さ。  飛べないポッポは、いつしか飛べないピジョンになった。  たくさんの幸運に囲まれ、飛べないピジョンは、飛べないピジョットへと進化した。  でも、何が変わった?  ぼくは、何も変わっていない。  あの、飛べないポッポの時から、何一つ変わっちゃいない。  自分を変えたいと言う思いが、  この恐怖を乗り越える事は無かった。  恐怖は何時までもそこに存在し、  ぼくはいつしか、全てを諦めつつあった。  飛べないピジョット。  それの、何がいけない?  ぼくはそのままで、これまで生きてきた。生きてこれた。  だったらこれからも、  ぼくは、そのままで生きていけるんじゃないだろうか。  ぼくは、どんどん。  ラクな生き方を、求めるようになった。              [6] 「お前が“飛べないピジョット”?」  太陽が顔を出し始めた頃。  また、一人のニンゲンが、ぼくの所へやって来た。  白い服を来たニンゲン。  光を束ねたような金色の髪を、後ろから吹いてくる風に靡かせていた。  ぼくは、ぼくを見つめるそのニンゲンを、黙って見返していた。 「なあ、ほんとに飛べないわけ?」  ぼくは答えない。  でもニンゲンは、ぼくの答えを求めていたわけじゃなかった。  黙っているぼくに、うっすらと笑みを浮かべると、 「弱虫」  そう、言い放った。  でもぼくは、何も言わない。 「……お前、もう死んでるんだな」  金色の目を細めて、ニンゲンはつまらなそうに言った。 「目が死んでらぁ。…何もかも、諦めた目だ」  ……昔の、オレの目だな。  続けて言われたニンゲンの言葉に、ぼくは少し興味を惹かれた。              [7] 「オレも死んでた。お前みたいに弱虫で臆病だった。何も変えられないと思いこんで、踏み出せなくて。  ……でも、オレはもう違う。一線を越えた。オレはもうお前じゃないんだ。なぁ、昔のオレ」  ニンゲンはぼくのことを、昔のオレと呼んだ。  何を思ってかは知らない。でも、  なんだか、悔しさが込み上げてきた。 「誰だって怖いんだ。失敗が怖い。でもな、オレは変わらないことの方がずっと怖かった。  このまま死んじまう事の方が、よっぽど怖かった。自分の無意味さを感じながら死ぬことの方がな」  ニンゲンは、嘲るように笑った。 「だから、オレは飛んだ」 「飛び降りたさ、死ぬ覚悟でな。いやむしろ、それで死んでもいいと思った。一瞬でも、空を飛べるのだったら、な」 「そしてオレは変わった。歌を忘れたカナリヤは、喉が裂けるまで泣き続けて、それで自力で歌を取り戻したのさ」 「さあ、ここで問いだ」  小さなニンゲンは、その金色の瞳で、ぼくの目を射抜いた。 「お前はどうするんだ?」  ぼくは・・・・・・・・ぼくは・・?              [8]  ぼくは、ずっと変わりたかった。  でも、ずっと怖かった。  同じ事を繰り返す事、そうしてまた絶望する事。  それが、ずっとずっと怖かった。  何もしなければ、ラクだった。  自分はどうやっても変わらないと思いこんでいれば、  何をしようとも思わないで、生きて来れた。  ただ、生きて来れた。  でもその生に、  一体、どれだけの価値があったんだろう。  ぼくはピジョット。  飛べないピジョット。  飛ぼうとしないピジョット。  ピジョットとは、鳥ポケモン。  誇り高き、空の王者。  空を翔け抜け、大地に束縛されず。  高みを目指しつづけるもの。  ぼくは既に、ピジョットでないのかもしれない。  飛べない、飛ぼうともしないピジョットなんて。  ピジョットと言える筈が無い。  ぼくは、変わりたい。  ピジョットでいたい。  弱虫じゃない。強くなりたい。  臆病じゃない。負けたくない。  ぼくは・・・・・・・・変わりたい!              [9] 「………なんだ、飛べんじゃねえか」  空から舞い降りたぼくに、金の瞳のニンゲンは温かい笑みを見せた。  ぼくはさっきまでいた空を見上げて、  今までの自分に、別れを告げた。    ぎこちなく羽ばたかせた翼は、  呆気なく、ぼくをどこまでも高い空へと連れて行った。  始めて見下ろした世界は、とてもキレイで。  風はぼくを、どんどん高いところまで押し上げて行って、  真っ白い朝の日差しの中、  草原や小道や、そこを歩いてたニンゲンやポケモン、  そして小さな町を飛び越えて、ぼくは飛び続けた。  広くて、優しい世界は、  ずっとずっと、ぼくのことを待っていてくれてたみたいだった。 「“飛べないピジョット”の噂も、これで終わりだな」  何が面白いのか、ニンゲンはさっきからクスクス笑い続けていた。  ぼくはその笑顔を見下ろして、少し考え、  その金糸の髪を、そっと嘴で咥えて引っ張った。 「あ? なんだよ」  ぼくはその目をじっと見つめる。 「・・・・・やめとけやめとけ。オレと来たって、ツライだけだぞ」  オレはお前を捕まえに来たんじゃなくて、  ただ“飛べないピジョット”がどんな目をしてんのか、見てみたかっただけなんだよ。  そう言って、白服のニンゲンはただ笑った。  でもぼくは、このニンゲンに親しみを感じていた。  “昔のオレ”  このニンゲンはそう言った。  じゃあ、今のぼくは、このニンゲンと同じなんだよね? 「お前は、オレとは違うよ」  ぼくの思考を読んだかのように、ニンゲンは小さく笑った。 「お前は、明るい空が似合ってる。でもオレが今行こうとしてんのは、真っ暗な夜の世界だ。だから、お前はこっちにいろ」  ぼくは、首を振った。  なんでだろう。  このニンゲンが、やけに気に入ってしまったから?  それとも、このニンゲンの、  ちょっとだけ悲しそうな笑顔が、……気にかかったから? 「・・・・みっちり扱き使うぞ? それでもいーのか?」  ニンゲンの言葉に、ぼくは頷いた。  …変わったヤツだな、さすが元“飛べないピジョット”か? と笑って、ニンゲンはぼくに手を差し伸べた。  その手にぼくが顔を摺り寄せると、ニンゲンは一層苦笑した。 「わかったよ、一緒に来い。でも、後戻りはできねえんだからな」  その言葉は、ぼくにというよりは、ニンゲンが自分自身に言い聞かせている言葉のようであった。  でもぼくは黙って、その言葉に頷いていた。 「・・・・・・変なヤツ」  ニンゲンは笑って、ぼくのことを“イーグル”と呼んだ。  ぼくの、最後の名前。  今までの名前のどれよりも、それは素晴らしく感じられた。 ――臆病で、弱虫で、意気地なしで  ずっとずっと怖かった。  自分は、何も出来ないって信じてて。  …だって、その方がラクだったんだよ。 ――ずっと踏み出せなかったのは……  ぼくの弱さと、臆病さのせい。  でも、もうぼくは変わった。  今までのぼくは、どこにも存在しない。  大丈夫、ぼくはもう、“飛べないピジョット”じゃないんだから…ね? *** 20040308 *** 20040309