Memories  ―要らないもの― ――要らないなんてことがあるもんかい。        ほらね、必要がないなんてことは…――               [1]  茜が翻る、空の彼方。  始まり夕焼けを見上げて、あたしは「よっこいせっ」と宙に浮かび上がる。  まだまだ活動するには時間は早い。  けれど、…アンタは知らないのかい?  老人の夕暮れっていうのは、早いものなのさ。 「さーてと。それじゃあ、眠気覚ましにニンゲンの子供らの帰り姿でも見に行こうかねえ」  子供らの声は賑やかで、目覚まし代わりには丁度良いのさ。  ささっ、とっとと公園にでも向かってみようかねえ。  まだシャキッとしない体にムチを打って、あたしはユーラユーラと飛んで行った。  しかし。 「あれま。…少し遅かったようだねえ」  辿り着いた公園に、既に子供らの姿はなかった。  ったく、なんだいなんだい。  折角ここまで来たって言うのにねえ。  ふぅと一つ溜め息をついて、あたしは指定席でもある、今はまだオレンジ色に染まったままの白いベンチへと向かう。  ………む?  おやおや、あたしの目も耄碌してたもんだ。  まだいたじゃないか、ニンゲンの子。  一人っきりで、あんなところで。  …………あんなところで、何をしてるんだろうねぇ。  あたしはゆっくり、その子の方へと飛んで行った。               [2]  スイ〜っと近付いて行ったあたしの気配を、その子は敏感に感じ取ったようだった。  肩を僅かに揺らすと、俯いていた小さな頭をもたげた。 「……ヨマワル?」  目の前のあたしを捉えた黒い瞳が、真ん丸くなる。  ベンチに座っていた小さなニンゲンの女の子は、あたしのことを、ちょっとビックリしたように呼んだ。  それには、逆にこのヨマワル婆さんの方が驚かされたよ。  まさか、こんなおチビさんが、あたしのことを知ってるとはね。  普通に“おばけ”と言われるんじゃないかと思ってたわさ。  けれども、あたしが驚くのはまだ早かった。  女の子はひょいとベンチから降りると、あたしの側に近付いてきた。  そして、しれっと言い放ったのだ。 「…遅かったのね。チエ、待ちくたびれちゃったよ」  ………は? 「ね、早く行こ?」  …って、なんだいなんだい???;  実体化してる手の部分を引っ張られるあたしは、数瞬放心状態でいたが、すぐさま我に返った。  ちょ、ちょっとお待ちよ!  なんだい、あたしはこのこと知り合いだったって言うのかい?!  そんな馬鹿なっ、記憶にないねっ;;  ………いや、ボケてはないよ失礼だねっっ。 「ヨーマーワールー。早くチエを連れてってよーっ」  女の子はあたしをぐいぐい引っ張る。  つ、つれてく……って。  …………どこへだい????;;               [3] 「ねえ、なんでヨワマルはチエを連れてってくれないの?」  ……だから、なんであたしがお前さんを連れて行かなくちゃいけないんだい。  事情が飲み込めずに動けないでいるあたしに、チエは痺れを切らしてベンチに座り込んだ。  早くしてよね、とでも言いたげな瞳で、こちらをじじーっと見上げてくる。  あたしも負けじと、その顔をぐぐーっと覗き込む様にして、チエの方へと身を乗り出す。  しばらくの睨み合い。  根負けしたのは、あたしの方だった。  チエの強い視線から顔を背け、はあと溜め息をつく。  まったく、一体なんだって言うんだろうね。  このあたしに、何をさせたいんだい。  さっきから連れてけ連れてけって、一体何処に行きたいというんだね。  そんなに行きたいところがあるのなら、  見ず知らずのあたしじゃなくて、親に連れて行ってもらえばいいじゃないか。だろ? 「……ねえ、なんでチエを連れて行かないの?」  ふいに、チエが口を開いた。  …だから、なんであたしがアンタを連れて行くんだい!  相変わらず意味がわからないチエの言葉に、あたしは頭を抱えながら向き直った。 「……ママ…チエをいらないって言ったの」  ……………なんだって?  またしても関連が分からない言葉が飛び出す。  あたしはギョッとしてチエを見つめたけれども、その顔を見てさらにギョギョッとした。  チエは泣いていたんだよ。大粒の涙を浮かべて。  ああ、もう! まったく、今日は一体どういう日なんだい。               [4]  目をゴシゴシとこすり、チエは目に浮かんだ雫を袖で拭った。  そして、あたしを真剣な瞳で見つめた。 「チエはね、いらない子なの」  さっきも聞いた内容だね。  ちょっとアレンジされいているけれど、言ってることは同じさ。  でも、それと、あたしに連れてってと頼むことに、一体どんな関係があるんだろうね。  うんうーん、と唸って考えるあたしに、チエがその答えをようやく言った。 「ヨマワルは、悪い子を連れてっちゃうんでしょ?  だったら、チエも悪い子なんだから、だからっヨマワルと一緒に連れてって!!」  ………あーーーー、そういうことかい。  なんとも阿呆らしい回答に、あたしは苦笑するしかない。  つまりこの子は、あの常套文句を聞かされて育ってきた子供だってことだね。  「ママに叱られるような悪い子は、ヨマワルにさらわれてしまうよ」っていう。  この子は母親に叱られたんだ。だもんだから、あたしに……………………………って、あれま。  普通母親に叱られたら、すぐに謝るか、あたしらヨマワルにさらわれないように隠れたりするもんじゃないのかい?  それが……自分から、「さらってくれ」だって?  一体、この子は何を考えて………。 「ママ…チエをいらないって言ったの」  チエの声に、あたしは顔を上げる。 「………チエ、いらないの。ママにチエはいらないの。だから、チエ…」  チエは涙を零しながら、こう言った。 「だからチエは、いなくなっちゃった方がいいの」               [5] 『……なんで? なんで毎日こんなことをしなくちゃいけないのよ…』  ママ? どうしたの、ママ?  怖い顔してる。怖くて、青い顔。大丈夫? 『…あたしだって、まだ遊びたいのに……なのになんで、なんで毎日毎日家事ばっかり?』  ねえねえ、ママ。チエ、お腹すいたよ。  ママのご飯食べたいよ。 『…っ、うるさい!!!』  ひゃっ……! 『人の気も知らないで…。…欲しくなかった。別に子供なんて、いらなかったんだからっ!』  ………ま、ま? 『あんたなんか……あんたなんか、いらなかったんだから!!』  ママは、チエがいらないの?  チエのこと、欲しくなかったの?  チエのこと、嫌いなの?  ねえ、ママ。なんで泣いてるの?  チエのせい? チエが悪い子だから?  チエなんか、いらないから?  ママは………チエがいらないの。  ママには、チエは必要ないから。  だからチエは………いない方がいいの。               [6]  ベンチに座り込んで、しくしく泣き続けるチエを、あたしは呆然と見下ろしていた。  ……この子は、なんて子なんだろうか。  ママがいらないと言った、だから自分はいない方がいい?  …謝って許してもらおうとはしないのかい? いや、それ以前に。  親の言うことを、どうしてそのまま鵜呑みにしてしまうんだい。  それとも、子供っていうのは、そういうものなのかい?  親の言うことを信じて、自分を持たないとでも?  まさかっ。  ……じゃあこの子が単に、純粋すぎて、素直すぎて、頑固すぎるってだけなのかい? 「ママはっ、チエがいらない、の…チエがっ、わる、い子だ、からッ……」  泣きじゃくるチエ。  あたしは見ていられなくなって、そこから離れた。  辺りはもう暗い。  太陽はとっくに顔を隠してしまっていた。  あたしは猛スピードで飛んでったさ。  どこへ? 決まってるさね、チエの母親のところさ!  子供をあんなに不安にさせて……母親失格だよ、まったく。  だからこのあたしが直々に説教をだねえ。  ………って、よく考えれば、あの子の母親のことを、あたしが知ってるわけ無いじゃないか!!  ああっ、もうっっ。  飛び出したのはいいけど、これじゃあどうしようも…………………ん?  空から町を見下ろしたあたしの目が、ある一点に引き付けられる。  それは、薄暗い町の中で、妙に異質な……  ふむ、もしかしてあれは………  よし。それなら、このヨマワル婆さんも、一先ず戻るとしますかね、んん?  大丈夫、彼女はちゃーんと、チエのいる場所を見つけるさ。  なんたって……………               [7] 「ヨマワル? チエを連れてってくれるの?」  目の前をユラユラ飛ぶあたしに、チエは誘われるがままについてくる。  そうそう、こっちだよコッチ。  ほら、しっかり前を見て! 電柱にぶつかっても、あたしは知らないからね? 「ねえ、ヨマワル。どこに行くの?」  とことこ歩くチエに、あたしはヒェッヒェッヒェッと笑った。 「……へんな声ーっ」  チエが初めて、あたしに笑顔を見せた。  丁度その時、あたしの視界の隅に、待ちわびた影が映る。  おーおー、ようやっと御到着かね? 「? どうしたのヨマワ…」 「千恵!!」  チエの声に、見知らぬ声が重なった。  ホーラやっぱりね、という、したり顔で笑うあたしと、驚き顔のチエ。  振り返り、その姿を捕えたチエの目が、丸く丸く見開かれる。  そうして、口が薄く言葉を紡いだ。 「…ママ……?」  険しい顔をした二十歳程度のニンゲンの女、つまるところチエの母親が、こちらへと駆けて来る。  そうして、あたしとチエの間に割り入ると、あたしに向かって両手をぶんぶん振り回してきた。 「こんのオバケ!! あたしの千恵をっ、どこに連れてこうとしてたんだ!!!」  腕は空しくあたしの体を突きぬける。  でもお構いなしで、若すぎるとはいえ立派に子を守る母親の顔をした彼女は、あたしを攻撃し続ける。  はいはい、わかってるよ。  早くどっかへ行っちまえってんだろ? せっかちだねえ。  あたしはヒェヒェッと笑って、その場から飛び去った。  …いいさいいさ、憎まれ役くらい、かってあげようじゃないかね。  もとより、そのつもりだったわけだしね。  ビックリしてこの様子を呆然と見ているチエを眼下に見下ろして、あたしは再度笑った。  ………いいかい、チエ。  自分が本当に要らない子なのか、ちゃんとママに確かめることだね。               [8] 「ママッ、ママッッ!! なんでヨマワルをいじめるの?!」  あたしが消えた宙を殴り続ける彼女の腕を、チエは必死で抑えようとする。  そりゃそうだろうねえ。  今の彼女の気持ちが、チエにわかるはずがないからね。  ……ん? ああ、ちなみにあたしは、今はそんな二人の真後ろにいるんだよ。  ヒェッヒェッヒェ、これでも幽霊ポケモンの端くれだからね。  姿を暗ますくらい、お手のもんさ。  そうさ、まだ、帰りはしないよ。  …この二人を、しっかり見届けないといけないからね。 「ママッ!!」 「だってアイツッ、千恵を連れてこうとしたのよ?! あたしのっ、あたしの千恵を!!」  母親の叫びに、チエが息をのんだ。  鬼のような形相をした彼女をまじまじと見て、ハッとして再び腕にしがみつく。 「ちがうのママ! チエが頼んだのっ、ヨマワルは悪くないの!!」  チエの言葉に、彼女の動きが止まった。  呆然と、目に涙を浮かべて自分を見つめるチエを振り返る。 「チエ、ヨマワルにお願いしたのっ。チエは悪い子だから、いらない子だから、一緒に連れてってって。 ヨマワルは悪くないの、悪い子はチエなの!」  だからママ、ヨマワルをいじめないで…。  泣きじゃくるチエを、彼女は慌てて抱きしめた。  その胸にすがりついて、チエは一層激しく泣きじゃくる。 「……千恵、どうして、ヨマワルと一緒に行こうとしたの」  チエを胸に抱いてあやしながら、彼女がそっと訊ねた。 「どうして、そんなことお願いしたの?」 「……ママが、チエ、いらないって…」 「…………え?」  しゃくりあげながら、チエは言う。 「ママ、チエのこと、いらないって言った………だっ、だかっ…チエ、いなっ…ちゃった方がい、って、おも…ったの」  チエを見る彼女の顔が、一気に青ざめた。 「チエ、悪い子だかっ……だからっ、ヨマワル、に…」 「千恵!!」  全てを遮って、母親がチエを抱きしめた。 「………ごめんね…ごめんね、千恵…」 「まま?」 「…………いらないなんて、ウソよ」  母親の言葉に、チエはキョトンとする。  それから言葉の意味を理解して、驚き顔で自分の肩に顔を押し付けている母親を見下ろした。 「ごめんね、千恵。…ママ、酷いこと言ったよね。ごめんね。…千恵がいらないなんて、ウソだから…。 ママ、千恵がいなくなっちゃったら、生きていけないもの。……本当にゴメンねっ、千恵のこといらないなんて 言っちゃって、本当にゴメンねっ………」  泣きじゃくる、まだ若い母親。  困ったようにその姿を見下ろしながら、チエはポツリと口を開いた。 「……チエ、いらなくないの?」 「いらなくなんかないわよ」 「……チエ、悪い子じゃないの?」 「千恵はとっても優しい、いい子よ」  最後に、チエは涙を零しながら母親に尋ねた。 「………チエ、ママと一緒でいいの?」  息を呑む少女。  一瞬の後、そこには泣きながら娘を抱きしめる一人の母親の姿があった。 「…っ、当然じゃないっ」  親子の泣き声が暗闇に響き渡り、全てを見終わったあたしは、小さく微笑みながらその場を後にした。  …まったく、人騒がせな親子だったねえ。  腰を叩きながら、あたしはふぅっと溜め息を吐いた。  ……まあ、けれども。  大団円ていうのは、…悪い気はしないもんだね。ヒェッヒェッヒェッ。 ――要らないなんてことがあるもんかい。  子供が要らない母親なんて、この世にいるわけないさね。 ――ほらね、必要がないなんてことは…  大丈夫、心配することないんだよ。  子供が母親を必要とするのと同じくらい、母親も子供を必要としているのさ。  そう、この世に必要ないものなんてないさ。  生まれてきたものはすべて、この世界に、必要とされているに違いないんだよ。 ***20040529 ***20040614 一部改正。