初め初めの物語。壱 パターン・ルビィ



「アチャモ…アチャモ…。うーん。なんて名前がいいのかなァ」

 涼しげな風が吹く、今は朝。
 そんなに強くない日差しが、私全体を包み込んでいた。
「うーん…うーん…」
「チ?」
 はぁっ。
 しばらく唸ってから、私は大きく息をついた。
 歩くのを止めて、走り出す。
「っ、だめっ。ちょっとタイム!!」
 街の外にある、ゆるやかな丘。
 そのてっぺんの木の根元に、私はトンと腰を下ろした。
 ふう、ともう一度息をついて、腕の中にいる小さな子に言う。
 アチャモ。
 私のパートナーである、茜色のポケモン。
「…もうちょっと待ってね。アチャモ。なかなかいい名前がないの」
「チィッ」
 謝る私に、気にしないでとでも言うかのように、アチャモが可愛く鳴いた。
 その黄色いくちばしで、顔を寄せていた私の鼻に、軽くタッチする。

 私はルビィ。
 今日ポケモントレーナーになったばかり。
 いわゆる、超新人なトレーナー。
 ほんのついさっき、ほら、あそこに見える街から、このアチャモと一緒に旅立ったんだ。
 あの、…見えるかな。
 緑色の屋根の家。あれが私の家。
 …私は、赤い屋根が良かったんだけどね。
 結局、塗り替えないまま旅立ちの日を迎えちゃった。
 って、そんなことは、もうどうでもいいよね。
 だって、今日から私は、このホウエン地方を回る旅に出るんだから。
 この、アチャモと一緒に。
 アチャモ、知ってる?
 炎タイプの、…えーと、何ポケモンだったかなァ。
 ・・・・・・・。
 …ま、まあ、いいよね、そんなことはッ。
 うん。皆知ってるよね、きっと。
 でね。
 この小鳥のように愛らしいアチャモが、私のパートナーになったんだけど。
 そう、今私が悩んでいるのは。
 この子に、どんな名前をつけてあげるか、ってこと。
「…悩むよね」
 だって、私のはじめてのポケモンだよ? パートナーだよ?
 私の一番最初の、たった一人の、掛け替えの無いパートナー。
 そんな特別なこの子には、世界中で一番素敵な名前をつけてあげたいじゃんッ。
 キレイで、カワイくて、カッコよくて、凛々しくて、優雅で。
 そんな素敵な名前っ。
「…う、うーん…」
 でも、そんな名前がそう簡単に見つかるわけないんだよね。
 で、
 まだ私は出発も出来ずに、悩みつづけているというわけ。
 …どうしよう。
 本気で、出発できないかもしれない。
「チィ」
「ん? どしたの、アチャモ」
 アチャモが、私の膝の上から空を見上げていた。
 ちょっと黄色がかった、朝の空。
 そこを、私達の真上を、
 大きな影が通りすぎる。
「…ピジョット、かな」
 私の膝の上で、アチャモがチイチイ鳴いてジャンプする。
 スゴイはしゃぎよう。
 アチャモが膝から落ちないように気にかけながら、私はまた空を見上げた。
 …この広い空を悠々と渡る、大きな鳥ポケモン。
 野生、それとも誰かの手持ち?
 私は黙って、そのポケモンが去っていくのを見送った。

「……はうぅ」
 姿が点よりも小さくなり、空の彼方に消えてしまった頃、私はようやく顔を戻し、たまっていた息を吐いた。
 うーん。すっかり、魅入ってしまってたみたい。
 だってさ、すごくない?
 あんな大きなポケモンが、空飛んでるんだよ?
 あんな大きなポケモンが、この世界にはいっぱいいるんだよ?
 なんか、すごいよ、それって。
 ああ、もう。
「ドッキドキだぁー」
 いつも普通に見てたポケモンが、なんだか今日は違って見えた。
 …それってさ、ポケモントレーナーのとしての自覚が、もう出てきちゃったってことかな?
 なんか変な感じ。
 だって、ついさっきなんだよ、私がトレーナーになったのって。
 昨日までは女の子してたのに、ね。
 でも、もう私はトレーナー。
 まだなり立ての新米だけど、トレーナーであることに違いは無くて。
「…うん。ドキドキ、ワクワクしてる」
 広い空。
 もう一度見上げると、そこはやっぱり広くて。
 どこまでも、何処までも続いてて。
 その下に、私の行った事も見た事も無い場所があるかと思うと、すっごくドキドキで。
 会った事も考えた事も無い、人やポケモンがいるかと思うと、それはとってもわくわくで。
 こうやって考えるだけで、胸がいっぱいになって。
 どこまでも、どこまでも行ってみたくなる。
 怖くないって言ったら、勿論嘘なんだけど。
「私にはアチャモがいるんだしネ」
「チィ!」

 一体どんな人が待っているんだろう、どんなポケモンが待っているんだろう。
 そして、どんなライバルが…

「…そういえば」
 ふと、思い出した。
 思わず顔をしかめる。
「サフィの奴。今何処に居るんだろう…」
 サフィ。
 それは、私の双子の兄・サファイアのこと。
 ルビィと対を成す、青い宝石の名前。
 兄というよりは友達で、でも、やっぱり自分の大事な片割れ。兄。
 それなりに心配で。
 むかついていた。
「ったく、も〜」
 だってだって。
 本当なら、サフィもここにいるはずだったんだよ?
 なのに!
 相変わらず勝手なあのバカは、夜も明けないうちに家を抜け出して、研究所に忍び込んで、ポケモンを一匹選んで、そして、街を一人で旅立っていったんだ。
 誰にも言わずに。
 この私にも内緒でッ!!
「サフィの、ばかっ」
 …まあ、なんとなく予想してなかったわけじゃないけどね。
 もしかしたら、するかもなあ。とは思ってた。
 だって。
 私のアニキだからなァ。
「…先は越されたけど。絶対追いついてやるんだからっ! ううん、絶対追い越してやる!!」
 私はアチャモを抱いて、すくっと立ちあがった。
 右手の平を、ぐいっと空に突き出す。
「…絶対、やってやる」
 そして、ぎゅっと、強く、硬く握り締めた。
 私の決意。
 あの空への、誓い。
 …手の向こうにあるのは、遥かなる空。
 そして、そのさらに向こうにある、輝く太陽。
 出遅れたのは認めるけど。
 あの太陽を掴むのは、絶対私なんだから。

「チッ」
 と、唐突にアチャモが鳴いた。
「あ、そだ。名前!」
 さっきまで考えていた、大事な事を思い出す。
 えーっと…そう、だなぁ。
「!」
 不意に、一つの名前が浮かんだ。
 まじまじとアチャモを見て。
 うん、これだ。
「決めたッ。あなたはレイ。レ・イ。レイってね、何処かの国の言葉で、光の事を指すの。いい名前でしょ?」
「チィ?」
 アチャモは首をかしげた。
 うーん、わからないかなぁ。
「レイ。あなたは今からレイなの。わかる?」
 私はもう一度言う。
 すると、アチャモはパッと目を輝かせて、チィ!と鳴いた。
「そう! わかってくれた? それじゃ、これからヨロシクねっ、レイ!」
「チィー!」

 まだ始まったばかりの旅だけど。
 まだ見たことも無い世界だけど。
 でも、二人一緒なら平気だよね。
 そっ、大丈夫、きっと。
 どんなことがあったって、一人じゃないもんね。
 絶対乗り越えていけるよね。

「じゃ、行こっか、レイ!」

 さ。歩き出そう。
 じゃないと、何にも始まらないから。
 始まらないと、終われもしないんだから、ね?
 ほら、前を見て、最初の一歩。





 さあ、出掛けよっか。