>>>>  カゼノウタ                       Going My Way ...     >>>>  変わらない日々。  それで、構わなかった。  けれども、それは私がそう思いこんでいただけだった。  自分の気持ちに、色々言葉を塗り重ねて。  それで、ヨシにしてしまっていただけだった。  変わらぬ道。  続きつづける道。  そこを走り続ける私。  …私はどうして、その道の先にあるものを、見に行こうとしなかったのだろうか。   ブォォ・・・・。  一台のバスが、砂だらけの大地を走って行く。  砂煙を巻き上げ、青い空を燻らせ、  バスは、荒野のバス停を目指して走って行く。  何時もと同じ、カラッポなバス。  私はハンドルを片手で握りながら、ぬるくなったブラックの缶コーヒーに口をつけた。  先に見えたバス停には、何時も通り誰もいなかった。  けれども私はバスを止め、そこに立つバスの時刻表とベンチまで降りていった。  そんな私の手にあるのは、一枚の雑巾。  この、辺鄙な場所に立ち続けている時刻表とベンチを、毎日雑巾で磨く事。  絶えず砂埃の舞うこの場所では、無意味な事かもしれないが、  これもまた、何時もと変わらぬ私の日常なのだった。  一通り拭き終わり、ふぅと息をつく。  綺麗になったバス停を見て、私は一つ頷き、  そうしてバスへと戻り、エンジンをかけた。  高いような低いような音を出して、バスが呻き声を上げる。  さてさて、一人ドライブを今日も楽しむ事にしましょうか。  そう思いながら、ドアを閉めるボタンを押した。 「うわっ、ちょっ、待ってください! 乗ります乗ります!!」  ドアの閉まる直前、外と繋がる隙間から、誰かの声が聞こえてきた。  思わぬ呼び声。  私は座席を立ちあがってドアの方を見た。  そこに人の姿を見つけて、慌てて押したばかりのボタンに再び指を乗せる。 「はぁ、はぁ……。よかった…間に合った………」  息を切らせた一人の青年が、ドアに手をかけて笑っていた。  そうして、思いも寄らぬ客の存在に半ば呆然としていた私に向かって、バスの行く先を問いかけた。 「このバス……ハクス湖へ、行きますよね?」 「・・・・・・・・・・・・・・いいえ」   ……ゴンッ  よろめいた青年は、バスのドアに頭をぶつけた。 「本当すみません。わざわざハクス湖へ向かっていただいちゃって…」 「いえいえ。どうせお客もいなくてヒマですから」  ハクス湖へ向かうという青年を乗せ、私はバスを出発させていた。  本来ならば、許される事ではない。  けれども、客はいない。  この先も、やはりいないだろう。いつも通り。  ならば、構わないのではなかろうか。  それにハクス湖は、終点のたった二つ先の場所。  このくらいの寄り道、差し支えは無い。 「あー…口の中が砂っぽいや。…水残ってたかなぁ」  運転席の真後ろに座った彼のぼやき声が聞こえた。  バックミラー越しに見てみれば、眉を潜めて、背負ったリュックの中を漁っている。 「あ。…そうだ、さっき・・・・・にあげちゃったんだ…」  どうも水は残ってないらしい。  セシナの実を食べたような微妙な顔をした彼は、ううーーーと呻き声を上げた。  私は苦笑する。  左手で飲みかけの缶コーヒーを掴み、後ろの方へ差し出した。 「ブラックが飲めるのなら、どうぞ。飲みかけでもよろしければですが」  しかもぬるいです。  そう言う私を、キョトンと鏡越しに見返した彼は、にっこり笑って 「ありがとうございます」  と、私から缶を受け取った。  躊躇うことなく、口をつけて一口呷る。  ブラックもイケる口であるようだ。  まあ、もう二十くらいには見えるから、おかしいことは無いのだけれど。 「…ちょっと薄くないですか?」  まじまじと缶を見つめていた彼が、私に尋ねた。 「そうですね、でもこの辺はそれが普通なんですよ」  私は答える。 「この辺では……ってことは、運転手さんはここの出身ではなかったり?」  彼の問い掛けに、私はちょっと目を見開いた。  驚いた、微妙なニュアンスに気付いたのか。  正面を見据えたまま、私は頷く。 「ええ。こちらに来て、五年くらいになりますね」  と言っても、故郷を離れて五年なのではなく、他にも様々なところを放浪していたのだが。 「慣れると美味しいですよ」  薄味も。と言ったら、彼が微笑んだ。 「そうですね。結構美味しかったです」 「旅をしてるんですか?」 「ええ、まあ」 「一人で?」  私の問いに彼は首を振り、腰を指差した。  バックミラー越しに見えたそこには、 「…トレーナーだったんですか」 「そんな大層なものでもありませんけどね」  苦笑する彼。  けれども、赤と白のボールは彼をトレーナーと称するのに十分のものであった。  私は黙り込む。  ポケモン。  それは、私にとって…… 「あ、そだ。ちょっと聞いていいですか?」 「はい?」  彼が、ふと思いついたように口を開いた。  鏡の中の私と目を会わせ、言葉を吐き出す。 「運転手さんは、どこの出身なんですか?」  私は一瞬迷って、それから笑顔で答えた。 「ホウエンの、ミナモシティですね」  近くにサファリがある…、そう言うと、彼は少し目を丸くした。 「サファリ、ですか」 「? ええ。…何か?」  いえ、と彼は首を振った。  カントーのセキチクシティにあるサファリなら、行ったことがあります。  そう返して、微笑んだ。 「じゃあ、運転手さんのパートナーは、サファリのポケモンなんですか?」  さりげない言葉に、私は返事に詰まった。  パートナー。ポケモン。  ……それは… 「いえ」  笑顔を崩さずに、私は頭を振った。 「私、ポケモンは持っていないんです」 「……え?」  青年の、唖然とした顔が鏡に映し出された。  ハンドルを切りながら、私は何故このようなことを、見知らぬ青年に話しているのかと、ふと疑問に思った。 「私は、ポケモンが嫌いなんです」  静まり返る車内。  私は笑って付け足した。 「今はわからないですけどね。旅立つ当時は、本当に嫌いでしょうがなかったんですよ」 「あ…そう、なんですか」  戸惑ったような青年の声。  私は、前を見つめて、バスを走らせていく。 「……聞いていいですか?」  彼が問うた。  …どうして、ポケモンが嫌いなのか。  私はその声を聞きながら、ゆっくりと記憶の泉に体を沈めた。 「…私は……」  十八年前の私が、脳裏に浮かび上がる。  悲しそうな目をした、一人の子供の姿が。 「………父が、嫌いだったんです」  十八年前の私が、泣きそうな顔をした。  その後ろに、父の姿が浮かぶ。  大きな父。  忙しい父。  私より、ポケモンといることの方が多かった父。 「仕事の関係で、私の父は私よりもポケモンと過ごす時の方が多かったんですよ」  様々な事が、脳裏を過る。 「休日も、いつもいつも仕事で。最初は寂しいだけだったんですが、いつからか憎らしく思うようになってましたね」  父を奪うポケモンを。  そして、…父も。  十歳のあの日の事が浮かび上がってきた。  嬉しそうに、父が幼い私へ何かを差し出している。  それは、赤と白のボール。  楽しそうに、父は笑っている。  私がそれを受け取る事しか、予想していない、バカな父。  私のこの気持ちを、少しも知らずに。  知ろうともせずに。  微笑む父に、私は、ただ首を振った。  傷ついた、裏切られたようなあの父の顔は、  未だに、脳裏に焼き付いて離れない。  この顔が、私の見た父の最後の表情。  それ以来、私は一度たりとも父に会っていない。 「…さっきも言ったように、今は、よくわからないんですよ。この仕事では、ポケモンと触れ合う事はほとんど無いですし」  バックミラーに映る青年は、その顔を下に伏せていた。  ・・・・・・やはり、こんなことを見知らぬ彼に話すべきではなかったのだ。  私は息を吐き、少し目を泳がせた。  …私は、どうしてしまったのだろう。  なぜ誰にも言った事の無いこの話を……彼に、話してしまったのだろうか。  言って、どうなるわけでもないのに。  こんな、昔の話……  彼は、顔を上げない。  それをチラと見、私は口を開いた。 「旅は、楽しいですか?」  彼はふいっと顔を上げた。  バックミラーを見つめ、その中で微笑む私と視線を交えた。 「そう…ですね…。……楽しいですよ」  言葉を返してきた。 「辛い事もあるでしょう?」 「ええ。…でも僕は」  彼が、そっと腰に手をやった。  モンスターボールにそっと触れ、 「…彼らと、一緒なので」  彼にとって、ポケモンはただのペットでは無いのだろう。  ただの生き物でもない。  恐らくは、彼の忠実な友であり、心許せる家族であり、そして  ……己と同じくらい、大切な、大切な存在。  彼の慈しむような表情から、そう読み取った私は。  小さく笑った。  自分と同じくらい大切な存在。  私に、そんなものはあったろうか。  …あの日、私は一人で家を出た。  様々な街で、働きながら、学びながら、私は世界の事を知っていった。  その私の隣を、幾人ものトレーナーの子供達が通りすぎて行った。  仲良くなった同年代の子供も少しいたが、すぐにまた、一人になった。  彼らもまた、旅立って行ったのだ。  ポケモンと共に。  私は……一人だった………。  と、前方に、このバスの終点が見えた。  普段ならば、ここでブレーキをかける。Uターンする。  けれども、今日はそうしない。  一人の客を乗せて、私は、バスを、・・・・  ・・・・・バス停を、通りすぎた。  初めて、このバスで走る場所。  終点より先。  行けない場所でもなかったのに、一度も来ようとはしなかった場所。  そこを走る、私のバス。  走る私。  ――なんだ、私は。  ふいに、胸にある気持ちの正体に気が付いた。  ずっとずっと前からあったこの気持ち。  何かわからず、ずっとずっと無視し続けていたこの気持ち。  そうか。  私は。 「……うらやましかったんだ…」 「え?」  青年が私の呟きに疑問符を返した。  それを気に留めること無く、  私は知らない場所を走りながら、知らなかった気持ちを確認するように、言葉にし始めた。 「確かに、父もポケモンも、あの頃は嫌いだったんです。でも、それは一時の感情に過ぎなかったんです」 「………」 「本当は、もう、嫌いじゃなかったんですよ。それを、認めようとしていなかっただけで……」  意地になっていたのかも、しれない。  そうやって、自分を守っていたのかもしれない。  父も、ポケモンも好きだった。  でも、認めたくなかった。  だってそうしたら、あの時の自分が、間違っていたことになってしまう気がして。  あの時の泣きそうな自分を……否定してしまう気がして。  十歳の私が、泣いている。  ううん、否定はしない。  私があの時とった行動は、決して間違いではない。  あれは、間違いではない。  …その後、間違えてしまったんだ。  ずっとずっと、………一人で来てしまった。  これが、私の間違い。  すぐに、戻れば良かったんだ。  こうして、十八年も、何も学ばずに来てしまった。  やっと今日、気付いた…… 「今更、気付いたって……」  私は、自嘲気味に笑った。 「遅くないと思いますよ」  一筋の風が、雲を切り裂いて抜けて行った。  顔を上げると、彼の笑顔が私を見ていた。  私がこちらを見たのを確認すると、小さく首を傾げて口を開く。 「時間なんて、まだまだありますよ。だから、遅いことは無いです」 「………」 「だってほら、人間の寿命はおよそ八十年だから……ほら、あと五十年以上も」  ね? と笑いかけられて、私は戸惑った。  彼は構わず微笑み、私を見ている。 「…遅くないんです。始めようとする意志があるなら、遅いことは何一つ無いんです。 運転手さんは、ちゃんと気付いた。そうして、後悔した。だから、もう大丈夫なんです」  呆けた顔で鏡を見つめる私に、青年はにこやかに語り掛ける。  私はただ、初めて太陽を見た子供のように、その笑顔を見返していた。  ・・・遅くない?  ・・・・大丈夫?  ・・・・・私が? 「あ、あそこですか、ハクス湖って」 「え?」  私はハッと、意識を眼前の風景へと戻す。  見れば、彼の言う通り、大きな森に囲まれた青く輝く湖がそこに見られた。 「大きな湖ですねえ。…何が釣れるかなぁ」  いやいや、それよりもまずは水の確保だな。あと、寝る場所も・・・・  などと呟きながら、青年は美しいハクス湖の容貌に見入っていた。  バス停についた。  開いたドアを見、青年が立ちあがる。 「よっと。…運転手さん、どうもありがとうどざいました」  笑顔で一礼し、彼は私に手を差し出した。  その手を握り返して、私は少し躊躇いつつ、口を開いた。 「はい? なんですか?」  息を吸って、 「まだ、遅くないと思いますか?」  それほど私は、真剣な顔をしていたのだろう。  青年の顔は一瞬真面目なものになり、 「ええ、もちろん」  すぐ、破顔した。 「じゃ、ありがとうございました」 「いえ、こちらこそ」   ブォォォ・・・・・。  バスがUターンする。  初めてやって来た場所に、ここまでつれてきた青年に別れを告げ、  私は、もとの場所へと戻って行く。  けれども、その道は昨日へと続いているわけではない。  変わらない、明日へでもない。  この道は。  この道は。   ブォォ・・・・・・・。  荒野の真ん中、少し寂れたバス停。  そこへ、一台のバスがやって来る。  バス停の前で止まると、そのドアが少し軋みながら開いた。  空いたドアへと、一人の人間が足を乗せる。 「あの」 「はい?」  呼びかけられた運転手は顔を向けた。 「このバス、ハクス湖へ行きますよね」 「ええ、行きますよ」  バスは、一人の客を乗せて出発した。  真ん中辺りの、右側の席を陣取った私は、流れていく風景を窓越しに眺めていた。  ひたすらに続いている、青空と土ぼこり。  …ついこの間まで、毎日毎日飽きることなく眺めていた景色。  それが、今はどうだろう。  何もかもが新鮮に感じられる。  輝いているようにすら見える。 「……にしても」  ふと、誰に言うでもなく口に出して呟いた。 「まさか、あの時のポケモンを、そのまま渡されるとは思ってなかった……」  そうして、腰についた赤と白のボールを、そっとその手で撫でた。  あの時の彼のような仕草。  今ならば、その気持ちがわかる気がする。  私はブラックの缶コーヒーを取り出すと、プシュッと音を立ててその蓋を開けた。  一口呷る。  ・・・・・・変わる事の無い、薄い味。  それが、やけにおいしく感じた。  ふと目を閉じると、数週間前の父の顔が浮かんだ。  何も言わずに突然帰ってきた自分の子供に、彼は何も言わなかった。  何も言わず、ただ、抱き締めた。  ・・・その胸は、自分の記憶にあるものより随分薄く感じられて。  ああ、それだけの間、私は外にいつづけていたんだな、と。  妙に、切なくなった。  バスは、でこぼこの道を走って行く。  ひたすらひたすら、走りつづける。  私も今、走り始めた。  十八年待たせてしまった相棒と共に、この十八年を取り戻しに行く。  遅くなんか無い。  私には、まだ五十年も残されている。  運転席の側にあるバックミラーを見、あの彼のことを思い出した。  彼は、今はどこにいるのだろうか。  名前も聞いていなかったから、今度あったら、ぜひ聞かせてもらいたいものだ。 「あのー、つきましたよ、お客さーん。ハクス湖前、降りないんですかァ」  バスから下りた私は、目の前に広がる森を見て、感嘆の溜め息をついた。  賑やかな草木の笑い声が、もう、私の耳をくすぐっている。  爽やかな木々の香り。  バスの運転席では、決して感じる事が出来なかったもの。  森へ一歩踏み出した私の後ろで、バスが音を立てて走り去っていった。  それを見送り、私は小さく笑った。 「…ここから、だ」  もう、後戻りは出来ない。  いや、後戻りはしない。  未来は誰にもわからない。  だから、私の未来も、まだ未確定。  気楽に行こう。  転んでも、また立ちあがれば良いのだから。  時間は、まだ十分にある。 「よし。じゃあ、ポワルン…いや、ポワポワ、・・・行こうか」  風に後押しされるように、  私は、ポワポワと共に、  自分の道への、一歩を踏み出した。  *** 20031203  *** 20031205  一部修正。  「カゼノウタ」 song by : IMAI TSUBASA