時を超えた遭遇外伝 幾重の時を重ねて 「…戻って…来たんだ」  目を開けると、そこは森の祠の前。  ぼく、ユキナリが、セレビィと一緒に時わたりした場所だった。 「…セレビィ?」  自分をここに連れてきたものの名を呼ぶ。  しかし、  返事はなかった。  森は沈黙を返すのみ。木々のざわめく音だけが、僕の耳をくすぐる。 「…ありがとう」  この声を聞いているかは分からない。  けれどぼくは、心からの感謝を込めて、そっと呟いた。  感謝を込めて。  未来へつれて行ってくれた事に。  過去へ返してくれた事に。  ビィィ……  ハッとして、顔を上げた。  今確かに、セレビィの声が聞こえたような。  けれど、耳を澄ませても、聞こえるのは草木のざわめく音だけで。  …でも、ぼくは信じた。  もう一度、森の中を見回して言った。 「ありがとう。セレビィ」  それからぼくは、ぼくを心配して追ってきたトワさんに会い。  彼女の家に招かれた。  四十年後の世界にあったのと同じ、ツリーハウス。  迎え入れられたその中も、ほぼ変わらなかった。  …四十年前より新しくは見えたけど。 「何事もなくてホント良かったわ。ちゃんと言った通りにしたのね」  そんな事を言うトワさんに、ぼくはすまないと思いながらも、本当の事は言わなかった。  だって、アレは今じゃもう無かった話。  自分が帰ってきた時点で、あの未来は存在しなかった事になる。  だったら、自分の胸の中にしまっておければ。  それでいい。  そう思ったから。  ………。 「あの」  ぼくが口を開くと、トワさんは微笑み首を傾げた。 「娘さんか息子さんはいますか?」 「えっ?」  本当はいけない事かもしれない。  でもぼくは、自分が本当に未来に行ったという証が欲しかった。  だから、ぼくはトワさんに言った。 「お孫さん、きっと女の子ですから、…ミクっていう名前はどうでしょうか?」  キョトンと、不思議な顔をしたトワさんに、ぼくはニッコリ笑いかけた。  もしかしたら、ぼくが名付け親だったのかもしれないね。 「…冗談です」  そう言ったら、トワさんは目を丸くして、プッと吹き出した。 「変な子ね」  ぼくも笑った。  トワさんのところに一晩泊めてもらい、それから、ぼくはすぐに家に帰った。  お母さんやお父さんは、夜中、何の前触れも無しに帰ってきたこのバカ息子を、  驚きながらも、優しく温かく迎えてくれた。  二人の兄も、かわらずそこにいて。 「なんだ、もう帰ってきたのか」と言いながらも、笑って迎えてくれた。  変わらずあった、自分の部屋。  久しぶりの母さんの手料理に、久しぶりの父さんとの会話。  兄さんたちのからかいの言葉でさえ、なんだか懐かしく思えて。  涙が出そうだった。  その事を言ったら、笑われた。  何も十年以上離れていたわけじゃないのだから、と。  ぼくは、そうだね、と笑った。  笑った。  自分の部屋で、一人になると。  あのスケッチブックを取り出した。  一枚一枚、めくっていって。  一番新しいページで、手を止めた。  セレビィとピカチュウが、寄り添って眠る姿。  この目で見て、描いた風景。  つい昨日の事であり、四十年後のことでもあるその絵を。  ぼくは、ただじっと見つめた。  今の世界は、少しも変わっていなかった。  当然だ、ただ帰ってきただけなのだから。  でも。  もう、あの未来は無い。  ぼくが帰ってきた事により、未来は変わったのだ。  ぼくのいる、四十年を。  世界は新たに刻もうとしている。  四十年後、あのサトシという少年は、ユキナリには会わない。  いや、もしかしたら、ぼくの知っている彼は生まれないのかもしれない。  ダッテ。  モウゆきなりハココニイル。  未来は、もう、書きかえられ始めているのだから。  悲しくなった。  このことは、もう、自分とセレビィの心にしか残っていないのだと思うと。  ぼくは、スケッチブックを本棚にしまった。  …明日、お父さんに新しいスケッチブックを買ってもらおう。  そう思いながら、ぼくは机に突っ伏した。  目を閉じる。  そして、じっと、そのままで。  何時の間にか、眠ってしまっていた。  次の日から、ぼくはポケモンの勉強を始めた。  一体どう言う事だ、と、いぶかしむ家族に向かって、ぼくは宣言した。 「ぼく、学者になるよ」  それから、ポケモンのことを勉強しつづけた。  数少ない研究書をなんとか手に入れて読んだり、実際に確認・観察したり。   生態の研究のために、遠方へ出かけたり。  …家族は、何も言わずに見守ってくれた。  だからぼくは、ひたすら、研究を続けた。  歳月は、あっという間に過ぎ去った。  二十歳のとき、『ポケモンはこの星のどんな生物ともちがう生き物である』という説を発表したら、学会の注目をあびた。  二十五歳になると、タマムシ大学携帯獣学部名誉教授なんてものになった。  父さん、母さん、兄さんたち。  皆喜んだ。  ぼくは。  何時の間にか、あの時の事を忘れていた。  出来事は、しっかり覚えていた。  一緒に時わたりした、セレビィのことも。  けれど、向こうの様子、出会った少年、少女、ポケモン。  思い出せなかった。  顔も、名前も。  おぼろげで、霞がかっていて。  ピカチュウと、少年二人と少女一人。  あとは、何もわからなかった。  皆に、その事を話したら。  仕方が無いと言われた。  生きていくために。  必要のなくなった事を忘れてしまうのは、仕方が無い。  仕方が無かったのだろうか、本当に。  必要が無かったのだろうか、本当に。  それから私は、マサラタウンに研究所を立て、そこに引きこもった。  その移り住んだ当時は三十歳代だった私だが、それから時を重ね。  今では、すでに四十歳になってしまっていた。  妻、子供。加えて孫まで出来てしまった。  シゲル。  孫の名前に、全く聞き覚えは無かった。  あの時の彼らが、自分の子孫かもしれないと言う予想は、消えた。  時が流れるのは早く、あっという間だった。  しかし。  やはり、長かった。  いろいろあった。  モンスターボールの改良が重ねられ、赤と白の2色のボールが一般的になった。  ぼんぐりのボールより高性能なそのボール。  見て、懐かしいと思った。  ポケモン図鑑なんてモノも出来た。  まだモノクロだが、今にフルカラーになるだろう。  私の見た覚えのある、あの少年に見せてもらった図鑑になるのも。  ここまで来れば、もう時間の問題だ。  …あの、彼らに遭った時まで、既に残り十年を切った。  もう、彼らは生まれているのだろうか。  もう、生きているのか。  この世界の何処かで。  …私はまだ、研究を続けている。  その合間に。  明日への希望を抱えた、幼きポケモントレーナーたちを送り出しながら。  それから、また月日は流れ。  孫のシゲルは十歳になり、ポケモントレーナーとして旅立ちの日を迎えた。  私は、朝からポケモンのチェックに力を入れていた。  フシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメ。  そして。  雷マークのついたモンスターボールを、私は見やった。  今日旅立つのは、四人。  果たして、誰があの気難しいピカチュウを貰う事になるのか。  苦笑した。  考えても仕方が無い。  こればかりはどう仕様もないのだ。  けれど。  もう一度、私は、ピカチュウ入りのボールを見た。  …懐かしく感じていたのだ、このピカチュウを。 「…まさかなぁ」  首を振る。  そんなはずはない。初対面だ。  ただの勘違いだろう。  と。  ピンポーーーン。 「おじいさまっ」  玄関のチャイムが鳴り、シゲルの声がした。  ああ、もうそんな時間だったか。  私は四つのボールと四つの図鑑をそこに置き、歓迎すべき訪問者を迎えに行った。  ポケモンを公平に選ばせて、図鑑をそれぞれ手渡して。  大役を終えた私は、肩を叩いて、ほっと息をついた。  がやがや。  外はまだ賑やかだった。  きっと兄さんが、シゲルの見送りを盛大に行っているのだろう。 「…わしも見送るか」  一応は孫。  重い腰をあげて、私は玄関まで歩いて行った。 「…ありがとう。みなさま、応援ごくろうさまです」  シゲルを乗せた車は、そうして去って行った。  長年トレーナーを送り出してきたが。  自動車に乗って旅立つというのは、シゲルが最初で最後だろう。 「はあ…まあ、シゲルは期待される人間像というやつだ。だが、えてしてああいうのっが大人になると悪いことをする…気をつけねばなぁ…」  シゲルにはそんな風になってもらいたくなかった。  ポケモンとのこの旅が、あの性格を良い方向に変えてくれる事を、私は願った。  と、そこに、ある声がかかった。 「オーキド博士、ぼ、ぼくのポケモンは…」 「あん?」  声のした方を見ると、そこには一人の少年。  不安げな顔でこちらを見ている。  ふと思う。  さっき来たのは三人。 「…そういえば、今日の予定は四人と聞いていたが…」  てっきり手違いと思ったが、あっていたらしい。  そう思いながら、私はふと彼の服に目をやった。  …あれあれ。 「…ぼうや。タキシードで旅に出るシゲルもそうとうなもんじゃが、ぼうやはパジャマで修行に行くのかな」  彼は顔を赤くした。  かわいいものだ。 「ともかく、ぼくにもポケモンを…」 「そじゃったな・・・こちゃこい」  私は彼を研究所の中へ招き入れた。  四人目の彼。  残っているポケモンは…。  私ははたと足を止めた。  振り返って、彼を見る。 「? どうしたんですか、オーキド博士」 「あ、いや…なんでもない」  なんでもないんじゃ、と口の中でもごもご呟く私を、彼が訝しげに見た。  …何かが、頭に引っ掛かった。  そうして私は彼、サトシという名のその少年に、ピカチュウを渡した。  彼とピカチュウが仲良くしびれているとき。  その様子を見ながら、また何か、私は頭に引っ掛かりを感じていた。  なんだろう。  なんだというのだ。  その引っ掛かりは、彼らの旅立つ後姿を見て、またさらに大きくなった。  少年に引きずられて行く、気難しいピカチュウ。  それだけを見れば、幸先は期待できないように思えるだろう。  けれど、私は、何故かそうは思えなかった。  そうは… 『おれも、一緒に行くぜ!』 『ピカチュウ!』 「…!」  一瞬見えた。  聞こえた。 「…デジャヴ…か?」  その何かのひとコマは、酷く鮮明で、何処か懐かしさを感じた。  仲が良く、互いに信頼し合っている、そんな彼ら。 「ピーカーチューウ! 動いてくれよォ!」 「ビーガーッ!」  それとも、ただの幻だったのか。白昼夢か。  今この目は、目の前の現実を写していた。  彼らのその姿は、段々、遠ざかっていった。  遠くなる声、幻。  私はただ、その姿を黙って見送った。  サトシ。  ピカチュウ。  あの時の彼の名も…そんなだったろうか。  がんばって、記憶の泉に潜りこんでみる。 「…わからんな」  しかし、水深およそ五十メートル。  既に消え去ってしまった記憶が戻るはずが無く。  事実はわからぬまま、思い出せぬままなのだった。  私は微笑んだ。  まあ、構わないさ。  今、私はここにいるんだ。  未来へ行ったこと、戻ってきたこと。  私は、どちらも後悔などしていない。  彼らがあの時の少年であろうと、なかろうと。  もう、今の私には関係無い。  ふと、あのスケッチブックのことを思い出した。  あの日以来、手を付けずにしまい込んであるもの。  思い出の一つ。  …気が向いたら、探してみようか。  昔の自分が描いた、手製のポケモン図鑑。  最後のページには、一体何を描いたんだったか。 「…まだ、捨ててないはずじゃからな。どこかにあることは確か…」  私は、研究所の中へと足の向きを変えた。  また、研究の日々。  ポケモンの事を学ぶ日々。  そういえば。  あの日の私は、何故学者になろうと思ったのだろうか。  オーキド・ユキナリは、あの頃の、まだまだ未熟だった自分を思い出していた。  自分の道を探して、旅をしていて。  辿り着いた、森。  そして、運命の遭遇。  詳しくは覚えていない。  所々、誰かと何をしたということしか、覚えていない。  そう、今でもしっかり、はっきり覚えているのは、セレビィという名前だけ。  これはもう、思い出と言えるものじゃないかもしれない。  けれど、それでもいい。 「…たまには、思い出に耽るのもいいかもしれんの」  そう、たまには思い出に耽るのもいいだろう。  紅茶でも入れてみようか。  それと、木の実をたくさん入れたパンでも…買ってこようか。  ああ、そういえば。  セレビィと向こうであった彼らと、一緒に赤い木の実を食べたっけなぁ。  どんな味だったか思い出せないけれど、凄く美味しかった。  そういえば、パンをくれた女性がいた。  あれ以来訪ねていないけれど、どうしているだろうか。  名前は…………駄目だな。やはり細かい事は覚えていない。  けれど。  …いいぞ、多少思い出せてきた。  いい気分だ。鼻歌が出てくる。  記憶は、全て素晴らしい宝石のようなものだ。  すっかり、土に埋もれて汚れてしまったけれども、磨けばまた輝くもので。  ああ、まだ失くしていないモノも、もっとあるはずだ。  輝くものは、まだあるはずなのだ。  …今日は、思い出に耽る事にしようか。  埋まってしまった宝石を掘り出してみようか。  そう。  たまには、思い出に耽るのも…いいかもしれないから。 参考文献:「ポケットモンスター The Animation VOL.1」首藤剛志      「ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇」園田英樹