『うわぁーーーーーーーーー!!!!?』  君は、信じるだろうか。 『たぁーーすけてぇぇーーーーー!!!!!』  ……叫びながら落ちてくる、  流れ星の存在を。             <  流 れ 星 に お 願 い っ っ ☆ AGAIN!! >   ズドギャドグワァッグシャーーーーーン!!! 『ふにぃー、また落ちたよォ〜……しかも、まぁたチキュウだしぃ〜』  チョベリバ〜、ちょーエムエム〜、むしろMK5〜?  などという声が俺の耳に響いてくる。(死語だろソレ)  …いや正確には、頭の中に、だ。  酷く頼りない音量だが、確かに頭の中へ直に響いているようだ。  頼りないのは、きっとこの言葉が独り言だからだろう。  誰かに向けた言葉ではなく、誰かに聞いてもらおうとしている言葉でもなく、  単なるあのモノの、戯言であるから。  もくもくと砂煙が巻き起こるその中、黄色っぽい影がフラフラと宙を滑った。  そのシルエットは、まるっきりクッキーとかの星型だ。  ・・・なんだあれは。  そう言いたいところだが、一部始終見ていた俺は、アレがなんなのか大体わかっていた。  あれは、星だ。  しかも、流れ星。  間違い無い。  俺はずっと夜空を見ていたのだから。(UFOじゃないかって?ソレ何?知らない)  あの流れ星が現れて、随分長く空の彼方を滑空して、そうして、  ・・・・・突然ぐにゃぐにゃと(まるで飲酒運転みたいに)メチャクチャに走行しだし、  こちらに向かって落下してくるところまで、ずっと。  見てたんだ、俺は。 『えーっと。ソウルサーチャー、スイッチオーン! ・・・・・ふむふむ、犠牲者はゼロだねっ。良かったー、減俸されずにすむよぉ』  ・・・・・・・減俸?  頭に響く声に、俺は口をあんぐりあけた。  マテマテマテ。  なんで流れ星(らしきもの)の口から、そんなどこぞのサラリーマンの専門用語を聞かなきゃいけないんだ。 『なんでって、ぼく、こう見えても宇宙公務員だもの。宇宙管理組合に属する、れっきとした会社マンなんだから』  そうか。  それなら減俸もあるだろう。  うちの修平さんも、大分会社で苦労してるみたいだからな。 『そーーなんだよねっ。会社マンって辛いんだよー。いっくら公務員とはいえ、死ぬ気で働かないと全然生活できないんだもーん』  あー、わかるわかる。  修平さんよくボヤいてるから。  俺ら子供と違って、大人って大変だよな。 『うんうんっ、全くその通りなのだっ』  ・・・・・・・・。 「ちょ、ちょっと待てーー!! 俺は誰と話してるんだ!!!?」  ハッと俺は我に帰った。  そーだよ! なんだよ、なんで何時の間にか会話してんだよ俺!  声もハッキリ聞こえてるしっ、あまりに自然過ぎてわかんなかったし!!  俺はばっと、大分晴れた砂煙の向こうを見やった。  地表には、丸い大きな(というか巨大な)クレーター。  何かに抉られたような、痛々しい岩壁の有様。  ・・・背筋がぞっとした。  なんだ、コレ・・・・・・コレをやったのが、あの流れ星・・声の主なのか・・・?  一体、どんな恐ろしいヤツが・・・・・・!!!  さっきまでの“のほほん”とした会話のギャップと相俟って、俺は未知への恐怖に体を震わせた。 「だっ、だれなんだよっ、お前は!!」  砂煙が晴れた。  兆度その時、真っ暗闇だった辺りが、雲から顔を覗かせた月によって明るく照らし出された。  そうして、俺は見た。  そこにいたのは・・・  クレーターの中心にいたのは・・・・・ 『ぼく? ぼくは、ジラーチだよ?』  呆然とする俺の目に映ったのは、  ちょこんと地面に座り込んで、体に不釣合いな少し大きな機械を抱え、  黄色くて、小さくて、星型の頭を「うにゅ?」と少し傾げた、  ・・・・・・・・・・・変な生き物だった。 「・・・・・なにもん?」 『だからぁ、ジラーチだってば。識別コード<ER12−78・notice>の、ただのジラーチ』  耳遠いの?君。若いうちから大変だねえ。  そう、「やれやれ」と肩を竦めて首を振って掌を上に向けるという、人間お決まりのポーズを見事に決めたその生き物は。  ・・・・・どう見ても、変だった。  変以外の何者でもないぞ、コイツ。  なんだ? ジラーチ? 識別コード? つか頭の青いヒラヒラはなんだよ。短冊?  いや、わけわかんねえって。 『べっつに、君に分かってもらわなくたってぼくは構わないんだけどね、ア・キ・ホ・たん?』 「!!!?」  にまぁーーっと人の悪い笑みを浮かべてこちらを見たその生き物から、俺はずざざざざっと2メートルほど離れた。  安全圏を確保したところで、わななく口を開く。 「なっ、なんで俺の名前知ってるんだよ!!」 『ぼくにわかんないことは、ありまっせーーん! アキホたんの生年月日とか性別とか家族構成とかその他諸々、ぜーんぶ分かるよ』  だってぼくはスゴイから☆  そうあっけらかんと言うジラーチとやらに、俺は戦慄った。  ・・・なんだそれ、相手の事が全部わかるってのか? 『ま・あ・ね・♪』  ちなみに、アキホたんの好きな人はねー…  と、メチャクチャとんでもない事を言い出そうとしたヤツに、俺は反射的に傍らにあった石を投げ付けた。  ひょいっと、ジラーチは首を右に傾けて、猛スピードで飛んできた石を見事に避けた。  そうして、なんの怪我もなかったのに(俺の奇襲を軽々避けておきながら)、ジラーチは大袈裟に俺を非難してきた。 『あっぶなーー、ひっどぉーーー! もーぅ、なにすんのさーっ!!』 「それはこっちのセリフだっ!!!!」  何、人の好きな人のことを、公式に出そうとしてるんだよテメエは(怒  俺がそう思考で答えてやると、俺の怒りのオーラをよーーっく感じたのか、  「てへっ☆」とジラーチは笑顔を浮かべた。 『やっだなぁ、アキホたん。ほんのギャラクシアン・ジョークだよぉ。ブレイクブレイク♪』  ・・・生まれて初めて「本気で殺してやりたい」というくらいの殺意が生まれたのは、…俺のせいじゃないと思う。  『そんな怒った顔してると、美人さんが台無しだヨォ?』と言うジラーチを「うるさいッ」と一喝し、俺は肩を落とした。  ・・・・・だめだ。  俺、かんっぺきに、こいつのペースに飲まれてる・・・・・。 『まぁまぁ。そう悲観せずに☆』  ここで会えたのも何かの縁だし、この墜落事故の報告手続き諸々にも、色々と面倒があってねー。  そう言うと、ジラーチはふわふわーっと宙を滑り、俺の藍色の長髪の上にへたっとへばり付いた。 『待ってる間暇だから、質問になんでも答えてあげゆvv』  ニッコリ笑顔を、ジラーチは振りまく。・・・・・頭の上だから、俺には見えないのだけれど。  それよりも、まあ、この得体の知れない生き物に俺は意見する間もなく頭を触れられてしまったわけだが。  …俺は何故かそんなに、こいつに触られることに抵抗を感じていなかった。  こいつは俺に害を為さない、っていう妙な確信があったし。あと・・・・・  ・・・・・・やけに、心の隙間に入り込んでくるんだよ、コイツ。 『さびしーんだ? アキホたん』 「うるさい。そんなことない」  フフフー、と無邪気に笑うジラーチに、俺は眉根を寄せて答えた。  何が寂しいだ。寂しいんだったら、わざわざ夜中に、こんな岩山に来て、一人で星なんか見てたりしない。  でも、ジラーチはしたり顔で、俺の顔を覗き込んできた。 『さびしーんでしょ? だから、星を見に来てるの』 「っ!!」  反射的に湧き上がってきた嫌悪感から、俺は思わず、頭の上のジラーチを振り落としそうになった。  でも、寸前で思いとどまる。  反発する感情を押さえて、ゆっくりと首を振った。 「…違う。そんなこと、思ってない」 『良く見えるよねー、星。きっれぇーだなぁー』  アホジラーチは、人の言葉をまったく聞いてなかった。  ・・・でも、俺は何も言えなかった。  ただ、黙って、顔を上げて、  燦然と輝く星の光に、目を細めた。 『・・・宇宙を知ってるぼくとしては、・・・・すごいフクザツなんだよねえ』 「・・・・・・・・・」  ジラーチの言いたい事は、よくわかった。  でも俺は、星に思いを寄せる。  いつまでもいつまでも、ずっとずっと信じてる。  あの星のどれかが、母さんと…兄さんなんだ、って……。 「・・・・なあ、ジラーチ。質問しても良いんだよな?」 『ん? うん、全然おっけー。ばっちこーい!だよっ』  コレ以上自分の話に触れたくないという思いもあって、俺は色々ジラーチに尋ねてみた。  お前は何者なのか。宇宙公務員の仕事とは何なのか。オスなのかメスなのか。なんでそんなに軽い性格なのか。  そんな俺の質問に、ジラーチは一つ一つ、かるーく答えてくれた。  ジラーチとは人間でない生き物であり、  人間である俺たちから見れば、この星の“ポケモン”と呼称される生物の中に属するモノである事。  宇宙公務員としての仕事は、願いを叶える事。それも、星の。  千年に一度やって来る千年彗星便からエネルギー補給をしながら、割り振られた星のために働かなくてはいけないらしい。  性別はなく、繁殖(いや、実際はもっとストレートな単語表現だったけど…////)はしないし、できないそうだ。  そうやって増えるのではなく、違う方法で増えているらしい。でもそれは企業秘密らしい。  で、性格は・・・。 『えーっ、ぼくって軽いのぉ? そうかなぁー、「あなたってセイジツねvv」ってよく言われるんだけど〜』  少なくともジラーチの標準誠実レベルは、人間の標準誠実レベルを遥かに下回っているらしいことが判明した。 「給料とかは貰ってるのか?」 『・・・・ううん。そういうもんじゃないんだよねぇ』  ジラーチが口を開くまでに少し間があった。でもすぐに、  『もっとね、イイモノをもらうのさ☆』とジラーチは言った。  頭の上に乗っかられてるから表情はわからないのだけれど、ジラーチは、ほんの少しだけ笑ったみたいだった。……哀しそうに。  なんか、触れちゃいけないみたいな感じがして、俺はそれ以上の追及を止めた。 『・・・・・ね、アキホたん』  ジラーチが、ひょいっと身を乗り出した。  俺の目の上に、ぬぅっと星型の頭が覗く。 『・・・・・・・・余計なこと、かもしれないけどさぁ』 「じゃあ言うな」  一蹴しなくてもいいじゃーんっ! と喚くジラーチを無視して、俺は何もない空間を見つめ続ける。  何を言い出すのか知らないけれど、絶対このアホジラーチのことだ。良いことのはずがない。  俺は何も聞かないように、音の意識回路を遮断した。  ゴォォ…とも、ザァァ…ともつかない大気の音。極力、意識しないようにする。  空っぽにする。何も考えないように・・・・・・ 『・・・・自分を責めるのは、やめよーよ』  ピクッ。  冷静を勤めていたはずの自分の体が、わずかに反応したのが分かった。  ジラーチの声は、すんなり意識の中へ進入してきた。  ・・・・・忘れてた。こいつの声、テレパシーなんだっけ?  頭に直接響いてんの。  ・・・・・・・防げるわけないじゃんか。(しかも、わざわざ自分から頭の中空っぽにして…入れやすくしたみたいな?)  認めたくもなく、話を続けたくもなかったので、俺はふんっと顔を背けた。 「・・・・なんのことだよ」 『プライバシー侵害を承知で言わせて貰うよ。アキホたんの、お母さんとお義兄さんのこと』  ・・・・・確かにプライバシー侵害だぞ、てめえ。  よりによって、一番言われたくないことをジラーチにサラリと言われてしまい、俺は怒るより先に脱力した。  あのさぁ、心読めるからってさぁ、なんでそういうことをわざわざ口に出すんだよ、お前は。  読めるなら分かるだろ? この件に、俺が触れたくないことぐらい。 『分かるよ。んでもって、アキホたんが、このことをすっごく気にしていることも』  すっごく自分に責任を感じていることもね。と、ジラーチが淡々と続ける。  ・・・・・だからさぁ。 「お前に関係ないだろ、それ」  嫌悪感。反発感。諸々の感情が溢れ出てくる。  感情が流れるままに、俺は頭の中で言葉を繋げた。  …大体、それは俺の問題だろ。  どうして見ず知らずのお前に、根掘り葉掘り聞かれたり、色々言われたりしなきゃならないんだよ。  ただ偶然会っただけだろ?  落ちてきたお前に、俺は出会って、それで話を聞いて。  でも、お前はなんでもない。俺と関係ない。  そんなお前に、なんで、俺は話をしなきゃなんないんだよ。  みの○んたの回し者か?お前は。 『だって、面白いから』  ・・・・・・・ピキッ。  額に青筋が立ったのは、絶対俺のせいじゃないと思う。 『にゃーーっ、ジョークだよジョーク!!; ちょっと場を和ませようとしただけだよぉー!!』  むんずっと掴んで目の前に下ろし、その首(…無いけど)を圧し折ろうとした俺に、ジラーチは慌てて言い募った。  引きつり笑顔を浮かべて、無言で命乞いをしてくる。  俺は考えた。  そして、結論。  ・・・・・・・・・・殺した方が、この世のためだ。 『うっそぉー!! 許してくんないのーーっっ?!』  ガーーンっ、とムンクの叫び状態になっているジラーチに、俺は嘆息した。  そうして「やれやれ」と手を放して、頭の中で念を押した。  いいか、仏の顔も三度までだからな? ちゃんとマジメに答えろ。  解放されたジラーチはやけに神妙な顔をすると、ついっと宙を滑って、俺から二メートルほど離れた空中でホバリングしはじめた。 『ぼくは……』 と小さく口を開く。  けれどもジラーチはすぐに首を振ると、すっと顔を上げた。  その顔に満面の笑顔を浮かべ、まっすぐ俺を見る。  でも二つの黒真珠の瞳にはかすかに影が差していて、無邪気な笑顔なのに俺には何故か、・・・・悲しそうに見えた。  ジラーチは、あっけらかんと言った。 『だってぇー、人が苦しんでるのを、黙って見捨ててはおけないじゃん? ぼくらジラーチはね、結構薄情じゃないんだよぉ?』 「・・・・・・・余計なお世話だっての」  それに、苦しんでなんかいない。  やけに胸の奥がムカムカして、俺は唇をかみ締めた。  風に吹かれて前に垂れてくる、ウザったい暗い青色の髪を、乱暴にかきあげる。  背中まで届くそれは、本当に鬱陶しい。  切ってしまいたいくらいだ。  ・・・・・・・・・でも、それはできない。  やりたくない。  だって、そうしたら・・・・・・・・。 『思い出すから?』  ジラーチがさっきまでの笑顔を消して、無表情に言った。  俺はハッと顔を上げる。  別人のように冷たい顔をしたジラーチを、呆然と見つめた。  そんな俺の心を知ってか知らずか、ジラーチは俺の気持ちを逆撫でする言葉を、無感情に吐き出した。 『あの頃のことを、思い出しちゃうから?』 「っ、黙れッッ!!!!!」  反射的に俺は叫んだ。  確認したくない事実、それを、ジラーチが掘り出そうとしているのを直感的に感じたから。  俺は命令した。  でも、ジラーチは黙らなかった。 『切ればいいじゃん』 「うっ、うるさいうるさいっ、うるさいっっ!!!」  駄々っ子のように俺は首を振る。  聞きたくない、なにも聞きたくなんかない。 『ウザイんでしょ? じゃあ切れば?』 「黙れよ! おい、てめえ・・・」  もう、言うな。言わないでくれ。  俺の心を・・・・・・・ 『あの頃・・・・・お母さんとお義兄さんのいた、あの頃みたいに』 「黙れってんだろッッッ!!!!!」  暴くな!!!!  足元の石を拾い上げて、俺は感情が暴れるがままにジラーチに投げつけた。  どうせ避けるさ、さっきみたいに。そう思った。でも。   ズドッ。 「なっ・・・・・?!」 『っにゅ・・・・!』  ジラーチが後ろに傾いだ  その小さな体に、石の直撃を受け止めて。  な、なんで・・・・・  どーして避けなかったんだよっ、おい、ジラーチ!!!! 『・・・・・・ったぁーーー。なんだよぉ、時速200キロくらいあったんじゃないのぉ、コレぇ!』  直立不動で、ただ立ち尽くしていた俺の目の前で、地面に落ちたジラーチがむくっと起き上がった。  大きな頭をブンブンとふり、ヨロヨロと立ち上がる。  そうして、何もできずに見下ろしていた俺に気付くと、・・・・・にへらぁっと笑った。  …かぁっと、頭に血が上ったのを感じた。  気がつけば俺は、まだフラフラしているジラーチを掴みあげて、怒鳴り散らしていた。 「なんで避けなかったんだよ! さっきみたいに、どうして避けなかった!!」  自分でも無茶苦茶言ってるのはわかってる。  当てるつもりで投げたのに、どうして当たったからって怒っているんだ。  違うだろ? 当たったんだから、俺は喜ぶべきなんだろ?  ザマアミロ、って言うべきなんだろ?  なのに、なんで・・・・・ 『・・・・・アキホたんのせいじゃないよ』  ジラーチが、言った。 『お母さんとお義兄さんが死んじゃったのは、アキホたんのせいじゃない』  澄んだ黒い瞳で俺を見上げ、ジラーチは言った。 『自分を、責めることなんかないんだよ』  俺は、黙る。  それから、静かに首を振った。  こちらを見つめるジラーチに無理矢理苦笑し、  自分への嫌悪感を隠すことなく、呟いた。 「俺のせいだよ。俺が、家族をぶっ壊した。・・・修平さんの・・俺の、大切な人たちを・・・・・・・俺が、殺したんだ」  俺は今、二人暮しをしている。  俺と修平さん。二人だ。  半年前までは、四人暮らしだった。  俺と母さん、修平義父さん、そして兄さん。  半年前までが、俺の人生の中で一番幸せな時だった。  満たされていた、四年と半年という月日。  母さんがいて、義父さんがいて、義兄さんがいて。  楽しかった。  この家族が、俺は大好きだった。  でもそれは、  あっという間に崩れ去った。  俺が生まれて初めて抱いた、  恋心という感情と共に。 「・・・わかるもんか・・・・・・」  ずっと、一人だった。  母さんは優しかったけれど、昼間は仕事に出ていて。  俺はいつも一人。そんな時に出来た、新しい家族。 「俺の気持ちが・・・・・お前なんかに・・・・」  あの人は、優しかった。いつも、そばにいてくれた。  こんな性格と口調のせいで、なかなか友達の出来なかった俺に、  初めて出来た、母さん以外の理解者。  優しかった人。  とてもとても、…優しかった人。  俺のことを、可愛い妹だって言って、笑ってくれた人。  上辺だけの言葉だったかもしれない。  本当は俺のことなんて、嫌いだったのかもしれない。  でも俺は、あの人に救われた。  あの人と一緒にいるのが、とてもとても好きだった。  そうだよ。俺は、兄さんの事が・・・・・ 『・・・・・・・キョウヘイ君が、好きだったんだね』  ジラーチが、少し苦しげに言葉を吐き出した。  俺が懸命に忘れようとしていたことが、呆気なく明るみに引きずり出される。  あの時の思いが沸沸と甦って、  …目じりに、熱が宿った。  俺は慌てて首を振る。  ……泣きたくなんかない。  泣いたってどうしようもないことは、もう十分にわかってる。  俺が泣いてどうなる。  どうもならない。何も起きない。なんのためにもならない。  だから、惨めに泣きたくなんかない。 『・・・泣くことは、惨めなんかじゃないよ』  ジラーチの、無責任な言葉が頭に響く。  俺は、いやいやと首を振った。 「・・んだよ・・・・人の気も知らないで・・・・・」  ポンッと、小さな掌が頭に触れた。  小さい子にするように、その手は優しく俺の頭を撫でる。  …湧き上がってくる感情は、すでに、溢れそうになっていた。 『・・・・・泣きたい時はね、いっぱい泣いちゃった方が良いんだよ、アキホたん』 「っだよ・・・・・うっ、っ、・・・う、わぁあぁぁああぁーーーー!!!!」  俺は心の中で、  無責任に言い放ち、堤防を簡単に外してくれやがったジラーチに向かって、  たくさんの悪言を投げ付けながら、  泣いた。  修平さんの前で泣けなかった分、  事実を認めたくなくて泣けなかった分、  俺は、今泣き続けた。  それは、淡い恋心だった。  一人っ子だった自分に新しくできた、兄という存在。  とても優しい、五つ年上の、一番身近な男の人。  …気がついたら、好きだった。  お母さんより、お父さんより、新しいお父さんより。誰よりも。  ・・・・・兄さんのことが、好きだった。  伝えられるはずも無い、消えるべくして生まれた小さな砂の城。  でも、それは。  自分が消えるはずだった、脆いお城は。 「・・・・・・俺だけ・・残ったんだ・・・」  潮が満ちて、城が無くなるより先に。  海が、波が……姿を消した。  消え去る運命だった城だけが、惨めにその場に残された。 「・・・・・母さんと兄さんは、俺の誕生日のプレゼントを買いに行ったんだ」  翌日の俺の誕生日。  ご馳走を作るために、プレゼントを買うために、  二人は街へと出かけていった。  そしてそこで、不運に見舞われ、  ・・・・命を落とした。  残されたのは、義父と自分。  そして、自責の念。 「・・・・・・・俺は・・・許せないんだ・・・自分が・・自分の、ことが・・・・」 『でも、そんなのアキホたんのせいじゃないじゃんか。それは誰だって…』 「でも俺は! …っ、修平さんに顔向けできないんだよ!!!」  あの日から。  二人が死んだ、あの日から。  俺は、一度も修平さんの顔を直視していない。  だって、無理だ。  修平さんにあわせる顔なんて・・・・・・あるわけない。  俺が奪ってしまったんだ。  修平さんの愛する人を。大切な息子を。  そして、何の関係もない、俺だけが残った。  全てを壊した原因。修平さんとはなんの繋がりもない、俺だけが。  あの日から、俺はもう、修平さんのことを父さんと呼べないでいる。  まともな会話すらできない。  あの家は・・・・・もう、俺の家じゃない。  俺なんかがいていい、場所じゃないんだ・・・・・。  ああ、もうくっそぉ・・・  なんでこんな話をするはめになってんだよ!  関係ない、このアホジラーチなんかに!! 『・・・・・そんなだから、夕子さんと響平くんが、心配そうにしているんだね』  唐突のジラーチの言葉に、俺はばっと顔を上げた。  自分自身の耳を、真っ先に疑った。  それから、ジラーチを見つめる。  ・・・・なん、だって・・・?  いま、なんて・・・・・? 『だから、夕子さんと響平くんが、アキホたんのこと心配そうに見て・・・・』 「いるのかっ、母さんと兄さんが!? お前には見えるのかっっ!!?」  俺はジラーチに詰め寄った。  その体を掴み、ガクガクと揺する。  『い、いるしぃ、見えるよ〜っ』というジラーチの応えに、俺は呆然とした。  荒くと息をしながら、ジラーチから手を離し、真っ暗な空中に視線を這わせる。  何回も何回もその場を回り、目を凝らし続けた。  けど、当然のことながら、俺には何も見えなかった。 「・・・母さん・・? ・・・・・キョウヘイ兄さん?」  縋るように、呼びかける。  でも返ってくるのは風の音だけ。大気のうごめく、不気味な音。 「・・・・・・・母さん!! 兄さん!!!」  大声で叫んだ。  やり場のない思いを、ぶつけるように。  そうして、すぐに耳を凝らす。  何か少しでも、反応があればと思って。  それを、絶対に聞き取りたくって・・・・・。 『無理だよ。死者の声は、生者には届かない。そうすると、何時までたっても、未練が消えないからね』  コミュニケーションの手段を完全に断ち切る事で、死者は全てを諦めることができるんだよ。  そう告げるジラーチに掴みかかり、俺は怒鳴った。 「教えろよ!! お前にはわかるんだろっ?!! 母さん達は、俺に何を言いたいんだよ!!!!」 『・・・・・・・』  ジラーチは無言だった。  何かを後悔するような顔で、俺のことを見上げていた。 「・・・・・・?」  なんだよ、 そう問いかけようとした瞬間、 『アフターケアサービスって言うのがあるんだよね』  なんの前触れも無く、ジラーチが横文字を口に出した。  アフターケアサービス。  ジラーチたちの間だけで使われる言葉ではないようだ、どこかで聞いた事ある気がする。  確か…保障みたいなもんだ。(・・・たぶん)  ・・・・・でも、 「…それが?」  そう俺が尋ね返すと、ジラーチは真っ暗な空を見上げる。  思いつめたような表情で、宙を見上げたまま、まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ始めた。 『ボクは事故って、チキュウに落ちちゃったんだ。クレーターを開けちゃうほどの大事故で、アキホたんはそれに巻き込まれてしまった』  事実だ。  でも、大事故ではあるが、…俺は巻き込まれたのだろうか。  だって、外傷は何一つ無い。  かすり傷すらないし、つい偶然居合わせたって言う方が正しい気がする。 『いーーんだよっ!!』  ジラーチが怒ったように叫んだ。  何かを決意した目で、俺を見る。  ・・・・なんだよ、別に、俺は正しいことを言っただけだろ。 『…なら訂正するよ。ボクの好奇心のせいで、アキホたんの悲しい過去を暴いてしまい、アキホたんの心に多大なショックを与えてしまった』  ・・・・・・・それは正しい。  非常に正しい。  でも、こうやって言葉にされると、なんか悲しいものが・・・・ 『……ん、じゃあコレで言い訳は出来たね』 「は?」  言い訳?  俺の疑問詞に、ジラーチは頷いた。 『大義名分ができたってこと。いい?アキホたん。ボクらジラーチにはね、アフターケアサービスっていう制度が設けられているんだ』 「・・・さっきから聞いてるけど、それ、なんなんだ?」 『だから、その制度に則って』  聞いてない。  ・・・・・こんの、アホジラーチはぁぁああぁああぁ!!!!!!!  でも、責める言葉を吐こうとした俺の口は、その次のジラーチの言葉によって氷結した。 『ボクは、アキホたんの願いを一つだけ叶えてあげなくっちゃいけない』 「・・・・・・・え?」  思いもかけない言葉に、俺は絶句した。  アフターケアサービスで、俺の願いが一つだけ?  ……ってことは………ってことは、もしかして……?  瞬時に脳がフル回転し、与えられた単語のもと、一つの答えを導き出した。  いきせきこんで、俺はジラーチに尋ねる。 「じゃっ、じゃあ母さんと兄さんを生き返ら」 『それは無理』  ズバッ。  ………即答だった。 『だーって、命のやり取りは法律で禁止されてるんだもんっ』  っていうか、このボクにそんなムズカシイことが出来ると思ったのぉ?うっわー、なに人を頼りにしてるのー、バッカじゃなーい?  …そうぬけぬけと言いやがったジラーチに、再度殺意が芽生えたが、  俺は一気に脱力し、ガクッと膝を地に付けた。  ・・・・・・一瞬でも、こいつに縋ろうとした俺がバカだった。 『・・・・でも、だからって、ボクが何にも出来ないって勘違いするのは止めてよねー』 「・・・・・え?」  ジラーチの呟きに、俺は顔を上げた。  見上げると、超至近距離にアホジラーチの顔が迫っていた。  反射的に、ずざざざっと1メートルほど後ろに退く。 『あーっっ、なんで逃げるのさー!』 「だっ、誰だってお前の顔が1センチ前にあったら逃げるわっっっ!!!!」 『そーかなぁ、こんなにかっくいいボク様ちゃんの顔があったら、みんなキスしちゃうと思うんだけどー?』  あー、はいはいはい。と受け流し、俺は言葉の先を促した。 「それで? …結局何が言いたいんだよ」  ・・・・アキホたんたら、せっかちさん☆ と再度ぬけぬけと言い放とうとしたジラーチを、俺は視線で切り裂いた。  『むぅー。冗談が通じないなぁ。まあ、いいや。・・・・・・だからね』  ジラーチは言った。 『夕子さんと響平くんと、話が出来るようにはしてあげられるよ?』 「・・・・・・・・ほんとう、か?」  掠れた、自分の声じゃないみたいな声が、喉から出た。  瞬きする事も忘れて、俺はジラーチの小さな姿を見続けていた。 「・・・・母さんと・・・兄さんと、話せる?」 『当然、無制限にというわけにはいかないけどねー』  ジラーチが小首を傾げる。  えーっとねぇ、と指を折りつつルールを述べていった。 『今夜だけだよ、期限は日が昇るまで。あと、それ以降は成仏しちゃうからどうやっても話は無理ね、霊媒師も無駄』  っていうか、そもそも霊媒師なんて嘘っぱちだし?  人間ごときに、このボクでさえ難しいかなーってことがそう簡単に出来るわけ無いっての。 と膨れっ面をして言うジラーチの声は、  ぶっちゃけてしまうと、俺の耳にはあんまり入っていなかった。  むしろ完璧にスルーしていた。  だって。  ・・・・・話せる。母さんと、兄さんと。  謝れるんだ。あの時の事を。俺のせいで、事故に遭ってしまったことを。  そう考えると、もう、胸も頭もいっぱいで・・・・・ 『・・・・・・聞いてるぅ? アキホたーん』 「聞いてる」 『・・・ホントに?』 「聞いてる」 『・・・・・ぼくは誰でしょうー?』 「聞いてる」  聞いてなーいじゃーーんっっ!! とジラーチが拳でポカポカ殴りつけてきたところで、俺はハッと我に帰った。 『もーーお!! これ、大事な事なんだよー? 大事なルールなんだからぁ』 「あーあー、わかった、わかったってば! だから、ジラーチッ」  俺はガシィッとジラーチの体を両手で掴んだ。  もう、この話が嘘だったりしたら、このまま握りつぶすからなって勢いで。  すーっと深く息を吸って、心臓を落ち着かせた。  まだドキドキしてる。でも、大丈夫、平気だ。  俺はゆっくりと、口を開いた。 「頼む。二人に・・・・・・・母さんと兄さんに会わせてくれ」 『・・・・・わかった、了解だよ』  妙な間を空けてから、ジラーチは頷いた。  それを少しだけ妙に思いながらも、俺は二人との再会を思い、  胸を躍らせ、ジラーチに言われるがまま目を閉じて、その時を静かに待った。  * * * 「アキホ・・・・」  ……誰?  誰かの呼び声に誘われるようにして、俺は目を開けた。  気付けば、奇妙な場所に俺は立っていた。  ・・・・・ここは、どこだ?  周りは白い霧がいっぱい立ち込めていて、何があるのかサッパリわからない。  夜のはずなのに、その白い霧のせいか周りはやけに明るいし。さっきまで吹いてた風も止まってるし。  何気なく俺は上を見上げ、ゲッと舌を出した。  なんと、空も真っ白だった。四方八方、真っ白しろすけ。  ・・・・何、俺、霧の中に閉じ込められ状態?  なんで? どうして?  ・・・・・・・・・。  あ、そっか。  唐突に、ふっとんでいた記憶が戻ってきた。  俺、アホジラーチに願い事をしたんだ。  母さんと兄さん、二人と話が出来るようにしてくれって。  それをジラーチは了解して、俺に目を閉じるように言って……  ・・・・・・・・・。  ……それで?  改めて俺は周りを見やった。  ・・・・・・・白。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・白い。  ・・・・母さんと兄さんは・・・・・・・・・・・何処? 「……あンのアホジラーチッ、騙しやがったなぁあぁぁ!!!」  なぁぁぁー・・・・・・・。  俺の声が霧の中を、わんわんわんわん・・・と響き行った。  そして消える。なんの反応も返さず、虚しい静寂だけが返ってくる。  ・・・・・・・俺がバカだった。 ガクッと(本日何回目かの)気を落とし、俺はそう何度も脳内で反復した。  ・・あんなアホジラーチを信用した俺が・・・・・・ 「こーらっ、アキホ! 何度女の子らしい口調にしなさいって言ったらわかってくれるの?」  ふいに、ミルク色の霧の向こうから、女の人の声が聞こえた。  俺は、何処か聞いた事のあるその声に、ハッとして顔を上げる。  聞き覚えのある声、その声の正体を探って、探り当てた俺は限界まで目を見開いた。  何も見えない乳白色の向こうに、目を凝らした。 「・・・・・・・母さん?」  知らずに漏れた言葉。  それが白い霧に吸いこまれると同時に、鈴が転がるような笑い声が帰ってきた。  そして、楽しそうな声が。 「なぁに、そのすっとぼけた声は。母さんの声、もう忘れちゃったの?」  ・・・・・母さんだ。  間違うはずが無い、俺の、母さんの声だった。 「母さん!!!」  声のする方に俺は駆け出した。  走りにくい岩肌は、何時の間にかスベスベの大理石のような白色の床になっていて、俺は思いっきり走る事が出来た。  母さんの姿を探して、俺は走る。  無我夢中で、走って走って・・・・でも、どんなに走っても、何故か行き当たらない。  壁にも・・・・・母さんにも。 「…っ、母さん! どこ!? どこにいるの!!!?」  困惑して、俺は足を止めた。  キョロキョロと、白い霧に包まれた宙を見まわす。  でも、さっきと変わった所は何も無い。  まるで、同じ場所から一歩も動いてないような気さえしてくる。  それこそ、煙に巻かれたような・・・・・・ 「・・・・母さんっ、どこなんだよ!! 俺・・・俺、母さんに謝らなくちゃいけないんだよ!!!」  全てを遮断する白い壁。  俺は、見えないけれど、確かにこの霧のどこかにいる母さんに向かって叫んだ。 「謝るって、何を?」  キョトンとした母さんの声。  頭に、コダックみたいにとぼけた顔をした母さんが浮かんできた。  ・・・・もう、十一年と三百二十四日も見てきたからこそ、こうやって思い描ける母さんの顔。  もう二度と見ることの出来ない、母さんの生き生きした表情。  ぶわぁっと、熱いものが込み上げてきた。  さっき一度泣いてしまったから、どうやら涙腺が緩んでるらしい。  俺は必死で零れそうになる水を気力で抑えながら、言いたくて仕方なかった言葉を搾り出した。 「・・・・・・・ごめんなさい」  言葉と同時に、堪えきれなかった雫が一つ、下へ落ちた。  霧の中に吸い込まれ、涙は消える。  俺は目を見開いて真っ直ぐ直視した、白い霧の向こうを。  でも、歪みに歪みまくったそんな視界の先は、やっぱり白のままで。  続けて二つ、水滴が零れ落ちた。 「どうしたの、アキホ。あやまるなんて・・・・・悪い事でもしたの?」  違うよ! そんなことじゃない!!  俺は「テストで悪い点でもとった?」なんて、全く変わり無い母さんののほほんとした言葉を遮って、怒鳴り声を上げた。 「っ、俺のせいで、母さんと兄さんは死んじゃったんだ!!!」  あの日、出かけたりしなければ・・・・・  俺の誕生日が、あの日なんかじゃなかったら・・・・・!!!!  …そうだよ。  俺の誕生日が、もう一日遅ければよかったんだ。  そうすれば、あの日に買い物に行く事なんか無かった。  飲酒運転のトラックが、母さん達に突っ込んでくる事なんか無かった!  誰も、俺の大切な人は誰も死ぬことは無かった!!  全部、俺のせい。  俺の誕生日が・・・・あったせい・・・・ 「バカだな、アキホ」  心地好い低さの、男の人の声がした。  弾かれたように俺は顔を上げ、その名を叫んだ。 「キョウヘイ兄さん!!!!!?」  もう、二度と聞けないと思っていた人の、声だった。  俺の・・・・・一番大切な人の・・・・・・・・・・。 「何泣いてるんだ? 強がりのアキホが」 「ちがっ・・・泣いてなんかない!!」  からかうような兄さんの声。  久々で、懐かしくって・・・・不覚にも、またしても涙が零れそうだった。  ダムの決壊の時は、もう直にきてしまいそうな勢いであった。 「・・・兄さん・・俺・・・・俺のせいで・・・・・」 「自惚れるな、アキホ」  一生懸命、掠れそうになる声をなんとか押し出して、謝ろうとした俺の声に、  冷たい響きの、キョウヘイ兄さんの声が被さった。  初めて聞く兄さんのそんな声。ビクッと肩が震えた。 「おれと夕子母さんが死んだのは、お前のせい? 笑わせるな。お前にそんな力があるもんか」  淡々とした兄さんの声が、すぅーっと心に入り込んで行くのが分かった。  声は冷たいけれど、……わかる。兄さんの言いたい事。 「あの事故は、単におれと夕子母さんの運が悪かっただけさ。アキホが気に病むことじゃないよ」  兄さんの、あのあたたかい笑顔が頭に浮かんだ。  …最後の言葉は、いつも通りの優しくて優しい、キョウヘイ兄さんの声だった。 「そうそう、響平君の言う通りよ? アキホ」  のんびりとした母さんの声が、兄さんの声に続いた。 「そうねえ。修平さんと出会って、結婚して、響平君て言う立派な息子ができて。あーあ、私、きっと運を使いきっちゃったのよね」  「幸せの絶頂の時に死ねたってだけ、運が良いと思わなくっちゃバチが当たるわよね…」  「でも、死んだら元も子もないんだよ、お母さん?」  「…それもそうよねぇ」  なんて、兄さんと母さんは微笑みながら会話をしているようだった。  死んだっていうのに、変わらないや、二人とも。  俺はそれが何だか可笑しくて、クスッと笑った。 「あ」 「笑った」  そうしたら、二人に同時に指差された。(みたいな感じがしたんだ)  安心したような、ほのぼのとした空気が広がって、笑い声が飛ぶ。 「よかったわぁ、アキホが笑ってくれて。私たちがいなくなってから、ちぃーっとも笑わないんだもの」 「そうそう。いつも仏頂面で。見ててハラハラしたよ」  やっぱりアキホは、笑顔でなくっちゃね。  そう言って、二人は漣のようにクスクス笑いあった。 「な、なんだよ二人して・・・・・・」  俺はどう反応して良いか困って、眉を潜めた。途端、 「だーめっ、そこに皺寄せちゃダメなのよっ」  ピトッ。  眉間に、何かが触れた……気がした。  ビックリして、俺は目を見開く。 「・・・・・・え?」 「いーい、アキホちゃん。ココよ? ココに皺寄せるのだけはやめなさいっ。折角私に似て美人さんなのに、台無しになっちゃう」 「私に似て、って。…夕子母さんも、結構言うよなぁ」  俺の驚きなんか構いもせずに、二人は楽しそうに笑っている。  俺は、そっと触れられている部分に手を伸ばして見た。  ・・・・・・・・・  触れなかった。  ・・・確かに、そこに触れられてるような感覚はあるのに、俺の手は宙を掻くだけ。  ずるい。どうして?  なんで向こうからは触れるのに、俺からは触れられないんだよ。理屈に合ってないって、それ。 「・・・・・アキホ」  目じりに、温かなものが触れた。  指…かな。そっと、目もとの線に沿って撫でてから離れる。 「泣かないの。ね?」  知らないうちに、ダムは崩れてしまっていたらしい。  でももう、それを止めようとは思わなかった。  俺はただただ、何も無い宙を見上げて、サラサラと涙を流しつづけた。 「…アキホって、案外泣き虫だったんだな」  新発見だ、と兄さんが言い、その後くしゃっと頭を撫でられた感じがした。  曖昧な感覚。  もう自分とは違うんだ、それをまざまざと感じさせられたようで。  ・・・・・・・・・すっごく、悲しかった。 「そうだ、アキホ。お願いがあったんだわ」  母さんの言葉を聞いて、俺は、この不思議な時の終わりが近付いている事を感じた。  きっと、もう二人は消えてしまう、でも、俺にはどうしようもない。  この、母さんの願い、それを聞いたら二人はきっと・・・・・ 「聞いてくれる?」 「・・・・・・・・うん」  でも、俺は頷いた。  聞いたら終わってしまうと分かっていたけれども。  でも、どうしようもないから。  母さん達に願いがあるのだというのなら、それはちゃんと叶えてあげたいと思ったから。 「…あのね。修平さんのこと」  少し悲しそうな響きの、母さんの声が聞こえた。 「もう、私は修平さんの側にいて上げられないから、だから、アキホ。……あなたが、修平さんの側にいてあげて」 「・・・・・え?」  思わぬ言葉に、俺は一瞬言葉を失った。  修平さん。  キョウヘイ兄さんの、お父さん。  母さんの、再婚相手。  ……俺とは直接的な繋がりの無い、今は、他人のような人。 「え、母さん、それは・・・・・・・」 「おれからも頼む、アキホ」  兄さんの声が続く。  少し悔しそうな、痛みを堪えるような、そんな声。 「おれも夕子母さんもいなくなって・・・・・アキホしかいないんだよ、父さんには」  支えてやってくれ、父さんを。そう言う二人に、俺はガクガクと首を振った。  そんなの・・・そんなのムリだ。俺は絶対父さんに嫌われてる。  俺のせいで、二人が死んじゃったんだから!! 「だから、それはアキホのせいじゃないわ」 「そうだよ」  それでも・・・・・・・・・俺には、合わせる顔が無い。 「・・・アキホ、父さんは今、一人ぼっちなんだ」  静かな兄さんの声に、俺はピクッとした。  一人ぼっち。  思いがけない単語に、恐る恐る顔を上げる。 「・・・・・一人・・ぼっち?」 「だって、そうでしょう? 私もいない。響平君もいない。・・・・・・アキホだけよ、修平さんの側にいるのは」  「…だからね」  ふわっと、体が何かに包まれたような感じがした。  そう、まるで・・・・・母さんに抱き締められているような・・・ 「修平さんの側にいてあげて。胸を張って良いのよ、アキホ、貴方はもう、あの人の大切な娘なんだから」  そして、ちゃんと幸せになってね。アキホ。  耳元でそう声がすると、すぅっと母さんが離れて行った。  遠ざかった気配に、俺は、黙って頷いた。 「・・・・・・それじゃあ、もう行くわね、私たち」  言われた瞬間、ドキッとした。  ・・・・わかっていたことだけれど、やはり、その言葉は何時までも聞きたくなかったから。 「だーいじょーうぶよっ。ちゃんと待ってるからね、アキホが来るのを」  でも、だからって早く来たりしたら御仕置きしちゃうから★  おちゃめに言い切った母さんの声に、悲しみは無かった。  ちょっと旅行にいってくるわね、って、そんなノリ。  ・・・・そうなのかも、な。  死ぬっていったって、また、会えるはずなんだ。少しの間、お別れするだけで。お休みするだけで。 「そうそう。だから、泣くなよ、アキホ」  兄さんがポンポンッと俺の頭を叩く。  …泣くわけ無いじゃん、そう強がって、俺は笑い返した。  そうして、兄さんの気配も俺から離れた。  ・・・・消えちゃう。  ・・・・・・・行っちゃう。もう、・・・・・  そう思ったら、勝手に口が開いていた。 「兄さん!!」  ん?  兄さんが振りかえったみたいだった。  できる限りの笑顔を浮かべて、俺は、元気に告げた。  一生言うつもりの無かった、あの一言を。 「……俺、兄さんのこと…………好きだったんだ!」  生まれて初めての、告白。  きっと、これが最初で最後じゃないかな。  だって俺、兄さんのこと、きっと忘れられないから・・・・・ 「……ばーか」  兄さんの苦笑したような声が帰ってきた。  そうして、 「そうだな……いっぱい恋して、フラれて、つきあって、…もっともっと色々な経験をして、いい女になるんだな。そしてこっちに来たら・・・・・」  もう一回、言ってみな。その時が来たら、真剣に返事してやるから。  あったかくて、優しくて、大らかで。…そんな、俺のダイスキな人。  その、とても「らしい」返答に、俺は笑いながら頷いた。 「・・・約束だよっ、兄さん!!」  返事は無かった。  でも。  また溢れてこようとした涙を拭って、俺は前を見つめた。  白い霧の立ち込める周囲。その奥まったところに、  一瞬、藍色のロングヘアの女の人と、茜色の短髪の男の人の姿が見えた気がした。  二人はこちらを見て、  ・・・・幸せそうに、笑ったようだった。  * * * 『…夢オチで、ごめんなさーいっ』  場所は変わって、何処かの部屋の中にジラーチはいる。  青系色で統一された、殺風景な部屋。  秋穂の部屋だ。・・・・女の子とは思えないほどの、家具やその他諸々の少なさである。  でも、ジラーチは知っていた。  秋穂が、二人が亡くなってすぐに、二人に関わりが合ったものを全て、あのクローゼットの中に纏めて押し込んでしまった事を。  たくさんのタッツーが小さくプリントされた水色の布団を被って、秋穂はジラーチの視線の元、すやすや眠りこけていた。  テレポートで、ジラーチにここまで運ばれてきたのだ。  勿論、しっかり青のギンガムチェックのパジャマに着替えさせたのも、ベッドに押しこんだのもジラーチである。  自分のあまりのサービスっぷりに、ジラーチは「ふぃー」っと溜め息をついた。 『…へーんなボクー。いくらなんでも、気にかけ過ぎだよねえ』  みんな平等に扱わなくっちゃいけないのにさぁー、とブツブツ口の中で言う。  ・・・・・・・まあ、これっきりだもんね。  自分に頷き、ジラーチは全て良しとすることに決めた。 『でも。・・・・・・・本当に会わせてあげられなくって、ごめんね、アキホたん』  全ては夢の話。  二人の魂を連れてくるなんて・・・・到底ムリ。  それだって、規則の「魂、弄ぶべからず」にひっかかってしまうのだから。  全てを制限されたジラーチに出来る事といったら、  ・・・秋穂に纏わり付いていたあの二人の残留思念を基盤に、秋穂の望む夢を見せてあげる事だけ。 『…ていうか、もう転生しちゃってるんだよねえ、二人とも』  心配そうに見てた二人の幽霊・・・ってのも、本当は嘘であったわけだ。(見えたのは残留思念だけだもんね)  それに、連れて来れても、二人の魂はもう新しい人生を生きているわけで。  ・・・・・・見たって絶対わからないよ、秋穂には。 『・・・・うあうあうーーー。でもでもっ、やっぱりちょっと心が痛むなぁ…』  ジラーチは一人のたうちまわった。  嘘ついちゃったー、どーぉしよーーー・・・・・!!!  誠実なボクなのにーーー!!!! 『・・・・・・・・・・・・・・・ま、いっか』  しょうがないもんねー、とジラーチはうんうんと頷いた。  ・・・開き直る前に、少しなりとも悩み苦しむところがあるのが、  このジラーチが仲間の中では「結構セイジツ」と言われる所以であったりする。 『さぁて。・・・・・・行くか』  最後にもう一度秋穂の顔を覗き込み、優しく微笑むと、  ジラーチは窓から飛び出した。 『じゃねっ。シアワセになるんだよぉーー』  * * *  目が覚めた。  チチッという鳥の鳴き声が、窓の向こうから聞こえてくる。  あたたかな太陽の光が、カーテンの隙間をぬって、俺の胸のあたりに零れていた。  カーテンが内側に翻った。  どうやら、窓は開いてるらしい。  ・・・・・俺、窓開けて寝たっけ?  まだ、靄が掛ったような意識を、俺は少しづつ覚醒させていった。  ぼぉーーっとしながら、気だるい体を布団から起こす。 「・・・・・・・」  右手で目をこしこし擦る。 「・・・・・・・・っあふ」  ふわぁ、と一つ欠伸をする。  ぼけーっと、目に眩しい光の帯をじっと見つめて。 「・・・・・・ジラーチ!!!!?」  布団を跳ね飛ばして、全部を思い出した俺はベッドから飛び出した。  朝の日差しが覗く窓に身を乗り出し、キョロキョロを外を見渡す。  まだ白っぽい朝の空、黄金に輝く太陽、あの変な場所で見た霧のような白色をした雲の群れ。  マンション五階のこの部屋から、十分見下ろすことができる広い住宅地の向こうに、昨晩出駆けて行った岩山が見えた。  でも、変わった所は何も見当たらない。  ・・・崩れたところも、何も無いようだ。  まさか、夢か?  そんなことはない、…と思いたいけれども、アレを現実と言える証拠は何も無い。  服も、いつのまにかパジャマになってるし・・・・・。 「・・・・・・・ゆめ・・」  自分の記憶が、信じられなくなっていた。  夢といえば、夢のような気がする。  そうだ、死んだ母さんと兄さんに会えるなんて、実際にあるはずない。  空から、あんな軽い性格の流れ星が落ちてくるなんてことも・・・。 「・・ジラーチ・・・」  納得行かない気持ちをどうにか抑えて、俺はクローゼットを開いた。  かかっている服を取りだし、その際、きちんと積み重ねてあるダンボールの箱が目に入った。  ・・・・・・二人に関するものを、全て仕舞いこんだ箱だった。  ちょっと悩んでから、適当に一つを引っ張り出して見た。  ガムテープをばりばり剥がし、半年振りに箱の封印をといた。  出てきたのは。  詰め込まれたものの一番上にのっていたのは、小さな紙の包みだった。  とても深い、落ちついた深緑色の包み紙に包まれていたソレ。  何なのか思い出せないまま、カサカサと、俺は包みを解いた。 「・・・・・・・あ」  小さな、星のヘアピン。そして、ネックレスが顔を出した。  黄色い小さな星をモチーフにしたその二つのものを見て、俺は思い出す。  二人が買ってきてくれた、半年前の誕生日プレゼント。  それが、この緑色の、ずっと開けられなかった包みであった事を。 「・・・・・・・Real or Dream」  小さく口の中で呟いてから、俺はさっさと服を着替えた。  白いシャツの上に、青いベストを羽織り、こげ茶色のパンツを穿き。  星のネックレスを首に提げ、長い髪をピンで留める。  それから窓を振りかえり、そよそよと靡くカーテンの向こうに広がる青い空を見つめた。  空は明るい。  星は、夜にならなければ見えないだろう。  そして昨夜の星には、……二度と会えない。 「・・・・ま、どっちでもいいよな」  ふっ、と口元を緩めた。  使わないがために、すっかり錆びついていた口元の筋肉だけれど、まだまだ、笑顔の形は取れるようであった。  大分忘れていた「笑い方」というものを再度確認し、俺は立ち上がった。  外へ…俺の部屋とリビングを繋ぐドアの前に立ち、深呼吸をする。  悠然と立ちはだかる、ドアの向こう。  そこにはきっと、いつも通り修平さんがいるはず。  笑顔はオッケイ。  言葉も大丈夫。  ・・・・・戻れるかな。そんな不安が過るけれども、そう気にしない。  戻すんだ。どうやってでも。  だって、  母さんと兄さんに頼まれてしまったんだから。  言えなかった簡単な一言。  でも、もう大丈夫、  俺には母さんと兄さんの御守りがある。  軽い性格の流れ星の、ご利益だって付いてるはず。  そっと、ドアノブに手をかけた。  まずは一歩から。  ゆっくりゆっくり、戻っていけばいい。 「おはよう、・・・・・・・・・・父さん」  始まりの言葉。  驚いた修平父さんの顔を目に写してから、  俺は満面の笑顔で、父さんの白いワイシャツに向かって抱きついていった。  *** 20040217  ジラーチ平行世界、第二世界観物語・第2段  *** 20040225  「流れ星にお願いっっ☆AGAIN!!」完成。