―――――――――― 眠りの夜・紅 ――――――――――― 「メアリ……逃げなさい…」 「いやっ。いや、いやいやいや!」 「我侭言わないでッ! …早く、行きなさい……さあ」 「…いや…。ママと一緒がいい……ママといるの…」 「………駄目、よ……貴方は…ちゃんと生きなさい……ママの分も…ちゃん、と」 「やだっ。ママ、やだよぉ。ねえ、目を開けて、ママ……」 「メア…り………私の……かわい…い…むすめ…………」 「…ママ? ねえ、ママ? ママ、ママ、ママままママままマままま…」 ―神よ。私は貴方を恨みます。 ―何故、私が行かなければならないのですか。 ―可愛いあの子を残して、どうして私が貴方の御許へと旅立たなければならないのですか。 ―神よ。私は貴方を恨みます。 ―恨みます。恨みます…………。  ねえ、ジェニファ。  ママ。寝ちゃったのかな。  目、開けてくれないんだよ。  メアリに答えてくれないの。  …そっか。ママ、疲れちゃったんだよね。  うん、わかってるよ。  大丈夫。メアリ、いい子にしてるもん。  ママを困らせたりしないよ。  ママ、眠いんだもんね。  メアリ、起きるまで待ってるもん。  怖くなんか無いよ。  だって、ママも、ジェニファも一緒だもん。  ちょっと寒いけど、大丈夫。  ほら、みんなで一緒にいれば、温かいよ。  …ママ、大丈夫よ。  メアリがママを、暖めてあげるからね。  あったかい? ママ?  ……メアリも、なんだか眠くなってきちゃった。  メアリも、ママと一緒に寝るね。  うん、ありがとう。ママが起きたら起こしてね、ジェニファ。  きっとよ? きっとだからね。  きっと……なんだから……………… 「おい。…女の子だ。生きてるぞ」 「何? ……きっと、この死体が親なんだろうな。……銃で撃たれたのか」 「どうするんだ、トゥールーズ。このまま…」 「連れてくよ。オレが面倒見る。…見捨てらんねえよ」 「…お前なら、そう言うと思ったぜ」  …ん、ママ? 「ああ、起きたか、嬢ちゃん」  …誰? 誰? 「嬢ちゃん、兄ちゃんに名前を教えてくれるかな」  だ、誰? 誰なの? ここは、何処?  ……!  ねえ、ママは? ママは何処なの? 「…参ったな。口、きけないのか?」  ママは何処!? ママを何処につれてったの!?  メアリのママは何処!?  返してっ。ママを返して!! 「うわっつ! 痛…。このっ、何しやが」  返して……ママを、返してよ…………。  ねえ、ママを、返して……。 「……そうか、淋しいんだな。悪かった。ごめん、泣くな。いい子だから」  ママ…ママ………。 「ほら、よしよし。…オレは、トゥールーズだ。これからは、オレがいてやるよ。 だから、もう泣くな、な?」  ねえ、ジェニファ。  あのトゥールーズって、誰なのかな?  兵隊さんのお洋服着てるから、きっと兵隊さんなんだよね。  じゃあじゃあ、このお家って、兵隊さんのお家?  兵隊さんがいっぱいいるもんね。  髭もじゃの兵隊さんや、お兄ちゃんみたいな兵隊さんや、パパみたいな兵隊さんとか!  すっごいすっごい、いっぱいいるのね。  でも、みんな白い包帯巻いてるのよ。  包帯、メアリ知ってるよ。  怪我したら、巻いてあげるの。  ママもね、よく巻いてあげてた。  いろんな人に。  みんな、ママにありがとうって言うのよ。  メアリ、ずっと一緒にいたから知ってるもん。  ? あれ、ねえ、ジェニファ。  あそこにいるのって、マリア様だよね?  ほら、あの綺麗なガラスの前に立っている綺麗な人。  メアリ、見たことある。  ママといった、教会って所にいたマリア様と同じよ?  あれれ? じゃあ、兵隊さんは、教会に住んでるの?  教会が、兵隊さんのお家?  ……メアリ、わかんないや。  ジェニファはわかる?  ……わかんないよね、やっぱり。  まあ、いいや。  ねえ、ジェニファ。  トゥールーズ、ママは先に行って待ってるって言ってたよね。  追いつけるのかなあ、メアリたち。  ………うん、そうだよね。  きっと大丈夫よね。  トゥールーズ、メアリをママのところまで連れてってくれるって、約束してくれたもんね。  メアリと一緒にいてくれるって、約束したもんね。  うん、ママを探しに行こうね、ジェニファ。  あれ? トゥールーズがメアリを呼んでるよ。  行こっか。ジェニファ。 「お、いたな、嬢ちゃん。さあ、おいで」  わーい。  トゥールーズの手って、パパの手みたいに大きいのね。  えへへ、嬉しいな。  …ねえ、トゥールーズ。  今から何処に行くの?  兵隊さんたち、みんな歩き始めたけど。 「今から移動するんだ。…もう、ここもヤバイからな」  ママのいるところに行くの?  ママ、そこにいるの? 「…オレたち、きっともう終わりなんだ………ん?  あ、ああ。嬢ちゃんのママも、多分そこにいると思うぜ。追いつけると良いな」  うん。メアリ、ママに早く会いたいな。  早く、ママにぎゅってしてもらいたいの。 「……嬢ちゃん。……………ごめんな…」  どーん。  どーん、どーん。  ねえ、ジェニファ。音がいっぱいするね。  メアリ、知ってるよ。  この音は、タイホウっていうのの落ちる音なんでしょ?  アレが聞こえたら、ママね、地面に伏せなさいって言ってた。  …でも、トゥールーズ、伏せないね。  一生懸命走ってるよ。  メアリ抱っこしてくれて、…メアリ、重くないかな。 「…ハァ、ハァ。……くそっ。帝国軍め。見境無く攻撃しやがって……。 嬢ちゃん、俺の胸に、しっかり掴まってろよ」  トゥールーズ、大丈夫? 「あ? …心配すんな、嬢ちゃん。 そんな不安そうな顔しなくたって、オレがちゃんと守ってやるから」  そうじゃないよ。そうじゃない。  トゥールーズ、大丈夫なの?  お腹が、真っ赤だよ? 「…っつ……。ヤバイ、な。こないだの傷が、開いてきた。…くっそ」  痛いの? 痛いの? トゥールーズ? 「………嬢ちゃんは。絶対、守るからな。心配、すんな」  どーん。  また、大きな音がしたよ。  ジェニファ、なんだか怖いよ。  ジェニファ、トゥールーズ……。  メアリ、怖い……。 「!? ま、まずいっっ………!!!!」  どうしたの、トゥールーズ?  っ、きゃっ。 「…大丈夫だ。………嬢ちゃんは、オレが守っから」  なに? なに? なに?  トゥールーズ? トゥールーズ? 「怖くない………怖くないから………」  どーーーーーーーーん。  光った。  いやっ、風が、風が!  怖い、怖いよジェニファ!  トゥールーズ! 「ぐあっ………!!!!」  !  トゥールーズ?  どうしたの、トゥールーズ!? 「…………………」  …トゥー…ルーズ? 「………嬢…ちゃん。…逃げな……」  何で? 何で、トゥールーズ?  ママのところに連れてってくれるって。  メアリと一緒にいてくれるって。 「…攻撃が、止んだ。……今の…ち、走………て…」  トゥールーズ、ねえ、トゥールーズ? 「駄目…だ………オレ。………すまね……嬢ちゃ……………」  やだ……やだぁっ!! 「約束………守れな…………………ご…めん………」 ―くそっ。こんなところで、死にたくねェよ。 ―神様のバカやろう。恋人だって、まだ……キスとか、してみたかったのに… ―くそ…戦争なんて………なんで……。 ―…ごめんな、嬢ちゃん。嘘ついて。約束、守れなくて。 ―………くそぉっ。……………………くそぉっ!!  ジェニファ。  トゥールーズ、動かないよ。  ねえ、メアリを庇ったの?  地面にうつ伏せになって、メアリをぎゅってしてくれたのは。  メアリを、タイホウっていうのから、守ってくれるためだったの?  ねえ、メアリのせいで、トゥールーズ、動かないの?  メアリのせい?  …ジェニファ。  メアリ、どうすればいいの?  わからない。わからない。  ジェニファ。  真っ赤だね。  お空が真っ赤よ。  地面も真っ赤。  ……兵隊さんが、いっぱいいるよ。  みんな、地面に寝ちゃってる。  兵隊さんも真っ赤。  ねえ、ジェニファ。  立ってるの、メアリだけね。  風の音しか聞こえないし、誰も動かないし。  …ねえ、ジェニファ。  トゥールーズ、メアリに逃げろって言ったけど。  メアリ、何処に行けばいいのかな。  だって。  何も無いよ?  何も見えない。 「………サリア…」  !?  ジェニファ、あそこの兵隊さん、動いたよ。 「サリア…サリア………。何処だ、サリア…」  …誰かを、探してるのね。  真っ赤な手を、いっぱいのばして。  …ねえ、ジェニファ。  この人、ちょっとだけ、メアリのパパに似てるね。 「サリア…サリアァ……」  ジェニファ。  この兵隊さん、足が無いのよ。  …痛いよね。  歩けないよね。  あ、そっか。  だからあんなに、手を伸ばして探してるのね。  動けないから。  …ねえ、ジェニファ。  メアリのパパも、ママも。  メアリのこと探してるかなあ。  この、兵隊さんみたいに。 「何処だ…サリアぁぁ………」  ……泣かないで、兵隊さん。  メアリがいてあげるから。  メアリが手をぎゅってしてあげるから、  だから、泣いちゃ駄目よ。 「! …さ、サリア……?」  サリアじゃないよ。メアリよ。 「…おお、サリア………すまない、パパな、お前との約束、守れそうにねぇ……」  メアリは、メアリよ?  でも、いいよ。  メアリはサリアじゃないけど、今だけサリアになってあげる。  だから、泣いちゃ駄目。 「すまねえ……すまねえ……………」  ジェニファ。  たくさんの兵隊さんが、みんな、苦しそう。  悲しそう。  ねえ、ジェニファ。  メアリも哀しい。  …トゥールーズ、メアリにごめんって言ってた。  でも、トゥールーズは、メアリを守ってくれたの。  トゥールーズは悪くないの。  メアリが悪いの。  …ねえ、ジェニファ。  ママに会いたいよ。  でもね、でもねジェニファ。  ……メアリ、疲れた。  体が、もう動かないのよ。  …兵隊さんたち、みんな地面で寝てるね。  メアリも、一緒に寝ようかな。  ………………ジェニファ、お空が見えるよ。  お日様きらきら。  でも、なんだか灰色ね。  あと、ちょっと紅い。  お空の色に、お日様も染まっちゃったのね。  あのお日様は、メアリ、あんまり好きじゃないな。  …ジェニファ。  あのね、ママが言ってた。  戦争なんか、キライだって。  あのね、戦争ってネ、メアリよくわからない。  でも、ママ、とても悲しそうだったの。  悲しそうに、そう言ってたの。  だからね。  メアリも戦争キライよ。  キライ。  戦争なんか、キライ。  トゥールーズも、キライだったのかなあ。  あの、兵隊のおじさんも。  ……でも、戦争ってなんだろう。  ねえ、ジェニファ。  メアリには分からない。  でも、キライよ。  ダイキライ……。  そして。  メアリは息を引き取りました。  その小さな命は、幾つもの命と共に、天へ上っていきました。  そして、  後に残されたのは。  全てがなくなった平地で。  全てが動かなくなったその場所で。  むくりと、何かが起きあがりました。  それは、人形でした。  メアリの連れていた、女の子の姿をしたお人形。  メアリがジェニファと呼んでいた、パパから貰った、大事な大事なお人形でした。  しかし。  ジェニファはもう、ジェニファではありませんでした。  その金髪はもうありません。  その白い肌はもうありません。  その海より深い藍色のガラスの瞳も。  愛らしい、その薄紅色の唇も、薔薇色の頬も。  その身にまとう、柔らかな桃色のドレスも。  たくさんの、恨みと呪いの気持ち。  メアリと共に戦場を歩いた彼女は、人々のそのような感情を。  全てその身に吸収していました。  メアリの母親。  トゥールーズ。  多くの兵隊たち。  そして最後に。  メアリ。  誰もいなくなった戦場。  人々の呪いのエネルギーを受け、ジュペッタとなった彼女は。  一人、立ち上がりました。  一歩を踏み出します。  何処かを目指し、彼女は一人、平地を歩いて行きました。  …彼女の行方は、誰も知りません。  …………………誰も。