<<MIXED WORLD STORY... >>  人間は、罪を犯した。  人間は、決して許されぬ罪を犯した。  世界が、泣いた。  世界が、そして全ての生き物が、悲しみに震え、泣き叫んだ。  人間は己が犯した罪を背負って、…再び、この道を歩き始めた。    “ 天空を震わす鈴の音に 見えない未来を聞きながら ”         【Tamayura  the other stories……】  白い波の打ち寄せる砂浜に立って、一人の少年が遠い海の向こうを見つめていた。十四歳くらいの、まだ微かに幼さが残る少年。  癖のある赤茶けた髪を、潮の香りを含んだ温かな風に靡かせ、海の彼方に見えるものを、ただじっと見つめていた。  一点を見つめ続ける、少年の熱に浮かされたようなその瞳は左右別の色で、右が高い秋の空、左が深い夏の葉の色をしていた。  …じっと立ち尽くす少年、その元へ、一匹のマッスグマがやって来る。  真っ直ぐな針のように鋭い毛並みが風に煽られ呆気なく逆立った。見た目とは裏腹に、その毛はとてもしなやかで柔らかいのだ。  マッスグマは少年の足元に擦り寄ると、少年同様、海の向こうを見つめ始めた。澄んだ水色の瞳で、果てない青の向こうを見続ける。  ・・・どれだけの時間が経ったろうか。  海の向こうに太陽が落ち始め、辺りが茜に染まり始めた頃、少年が踵を返した。 「……帰ろ、クノン」  マッスグマにそう声をかけ、砂の浜をざくざくと歩き始める。クノンと呼ばれたマッスグマはすぐにその後を追い、少年の後ろについた。  緩やかなリズムを刻み続ける波の音に送られ、少年は帰路につく。  真っ赤な太陽の中、今日もまた海の向こうに思いを馳せつつ、少年はゆっくりと、家へ帰ってゆくのだった。  * * * 「セク兄ちゃん!」  僕は、砂浜に立っているセク兄ちゃんの姿を見つけて、うわーいっと喜び勇んで駆けて行った。  滑りそうなくらい木目細かい、少し赤みがかった砂の上を、全速力で走りぬけ、その姿に向かって襲い掛かると言ってもいいくらいの勢いで飛びつく。 「っうわ! なっ…、…ルー? おい、ルーじゃんか! なんだよっ、いつ来たんだよー」  突然飛びつかれたセク兄ちゃんは、一瞬混乱した後ですぐに僕の事に気付いた。  そして、抱きついた僕をていっと剥がすと、わしわしと僕の柔らかめの黒髪を撫でた。頭を撫でる懐かしい感触がちょっとくすぐったくて、僕は肩を縮込ませた。  顔を上げれば、僕より頭一つと半分くらい背の高い兄ちゃんの、上の方にある二つの目が優しく僕を見下ろしてくれていて、僕は一年ぶりに会うセク兄ちゃんの変わらぬ笑顔に、嬉しくなって笑い返す。 「にしても、ほんとビックリしたなぁ。かーちゃん、お前が来るなんて一言も言ってなかったぞ?」  今年も一人で来たのか?そう続けて問うた兄ちゃんに、一人だよ、と答えて、僕はいたずらっこの改心の笑みを浮かべた。 「だって、おばさんにセク兄ちゃんには内緒にしてねって言っといたもん」  キョトンとしたセク兄ちゃんが、満面の笑みを浮かべて僕のほっぺたを両方同時にむにぃーっと抓ったのはすぐだった。 「ルーのくせにぃ〜!」「うにゃーーっっ」と、僕らはきゃっきゃとじゃれあうんだった。  …セク兄ちゃんは僕の従兄弟だ。本当はセクトって名前なんだけれど、セクト兄ちゃんだとちょっぴり長い気がするから、僕は一文字縮めてセク兄ちゃんって呼んでる。  兄ちゃんも僕のことをルーニィじゃなくてルーって呼んでるから、おあいこだよね。  セク兄ちゃんの抓り攻撃からやっと解放された僕は、改めて、久々に見る海のほうに意識を向けた。  真っ青な海。緑色も混ざった、深い深い命の色。それでいて透明で澄んでいて、底まで見える海が、僕の目の前に広がっている。  僕の住んでるシティからは絶対に見えないもの。だから、海を見ると、今年も来たんだなァって感じがして嬉しい。  この高く青い空も、この深く静かな海も。そして、  …何処からか飛んできた碧色の葉っぱが目の前を飛んで行くのを、僕はついっと目で追った。うん、この葉っぱだってそうなんだ。  シティの木の葉は、なんだか色褪せて見える。でも、セク兄ちゃんの住んでるここに生えてる木は、とっても元気なんだ。すっごくすっごくキレイだし。 「ん? そういやルー、ジークはどうした? いつも一緒だったよな」  セク兄ちゃんが、何かを探して辺りをキョロキョロ見まわしてから、そう僕に問い掛けた。  ジークというモノ。僕はしたり顔で、首を縦に振って答えた。 「うん、一緒だよ。でも、僕走ってきたから、じっくーはもうすぐ来…」  ドスンッ、ドスンッ、ドスンッ。  僕の言葉を、地響きが遮った。重いものが一生懸命駆けて来るような音が、こっちに向かってきているようだ。  僕とセク兄ちゃんは顔を見合わせて、海岸沿いにたくさん生えている青々とした茂みと木々の間に視線をやった。  音がどんどん大きくなっていく。そして僕たちが待つ中、その緑の間から、ぬぅっと見知った顔が覗いた。 「おお、来たな」 「じっくー! こっちだよぉー!」  僕の呼び声に気付いた一頭のサイドンが、くるりとこちらに方向転換してドスドスやってくるのはすぐだった。  僕の友達のじっくー。本当はパパのポケモンで、本当はジークフリード(だったかなぁ?)ってカッコイイ名前なんだけど、僕はじっくー、セク兄ちゃんはジークって呼んでいる。  大きくて、少し怖い顔をしているから勘違いされちゃうんだけど、じっくーはいつも僕たちと遊んでくれる優しい大兄ちゃんなんだ。  やってきたじっくーの体に何時ものようによじ登った僕は、その灰色の堅い鎧みたいな皮膚に、ぺたーっと頬をくっつけた。  何時もひんやりしたその皮膚も、今日は太陽のいい匂いが微かな温かさと共に染み付いていて、僕は自分だけじゃないその確かな変化に笑顔を浮かべた。  僕の掴まってる背中の下の方で、セク兄ちゃんもじっくーの体を「久し振りだなぁ、ジークぅ」と言いながらてしてし叩いてた。  何時の間にかやってきていたセク兄ちゃんのポケモン、マッスグマのクノンも、元気だった?と言う様に、顔を寄せたじっくーの鼻に自分の鼻を押し付けていた。 「んで。どーだ? ルー。あの後、わかんないもん見たりしたか?」 「ううんっ。すぐわかるのばっかりだったよー。セク兄ちゃんは?」 「オレ? オレはそうだな・・・・・まあモノによりけりって感じ」  一年ぶりの再会をひとしきり喜んだ後、僕たち二人とクノンは、打ち寄せてくる真っ白な波に足をつけて歩きながら、のんびりと話をし始めた。(じっくーは砂浜にいる。日向ぼっこ中だ)  僕とセク兄ちゃんが顔を会わせてすぐにする話。そう言ったら、答えは一つ、アレのことしかない。 「…ま、異常が無くて何よりだな」  先を歩いていたセク兄ちゃんがくるっと振り返って、足を止めた僕の顔にそっと手を伸ばした。  ひんやりと冷たいセク兄ちゃんの指が、そっと僕の右瞼の上を撫で、僕はちょっと安心したようなセク兄ちゃんの目を左の目でじっと見つめた。その、内に光を閉じ込めたみたいな、僕の右目と同じ深緑を。  …僕とセク兄ちゃんの目は、ちょっと他人と違っていた。左右の目の色が違うんだ。  僕は、右が深緑、左が黒。セク兄ちゃんは、左が深緑で、右が青色をしている。  でも、人と違うって言うのは、単に左右の色が違って、外観に違和を感じるということだけじゃない。  人と違う僕らの目。一番の違いは、この深緑色。この緑が見せるのが、イマだけじゃなかったってことなんだ。  僕と兄ちゃんの目は、時を越える。  この目が見せる風景が、イマじゃない先を映すことがあるって気づいたのは、何時のことだっただろう。  詳しくは覚えていないけれど、そのことをママに話した時の、とてもビックリして少し怯えたような表情のことは…良く覚えてる。  そして僕は、ママとパパに、この場所に連れてこられた。セク兄ちゃんに会ったんだ。  僕はセク兄ちゃんに、パパとママはセク兄ちゃんのお母さんに色々話を聞いた。  僕たちの血には、時を視る力が眠っていること。左右の目の色が違う子供に、その力が発現すること。  ここ最近はそのような子供は生まれていなかったのだけれども、今までも、僕らのおじいさんのおばあさんのそのまたおばあさんのお父さんとかが、そんな力を持っていたらしいという話が残ってたということ。  そして、ちょっと警戒してビクビクしていたちっちゃな僕に向かって、当然今より小さかったセク兄ちゃんは、無邪気な笑顔を浮かべて、こう耳打ちをしたんだった。 「オレたち仲間だな」  僕は、すぐにセク兄ちゃんが大好きになった。  セク兄ちゃんは、「視えるもののことはあまり人には言わない方がいい。特に友達とか、先生たちオトナには絶対言うなよ」  と、僕に助言をしてくれたんだったけれど、僕がその内容をちゃんと理解出来るようになるのは大分後の事だった。  加えて、そのことを周囲の人に知られて気味悪がられるようになり、セク兄ちゃんとおばさんがシティを出て、こちらに引っ越してきたんだという事は、つい最近知った。  きっとセク兄ちゃんとおばさんは、僕たちがその二の舞にならないように言ってくれたんだろう。  だけど僕は、最近はバレてもいいかなぁって思うようになってきてたりする。だって、僕はこの場所が好きだから。  パパとママは「不便だ」って嫌がるかもしれないけど、僕は思いっきり走ったり出来るこっちの方が、シティより好きなんだ。  でもきっとセク兄ちゃんたちは、そんなことになったら悲しんだり怒ったりするんだ。だから、本当にばらしちゃったりすることはしないけどね。 「・・・・・・・」  さっきから、セク兄ちゃんが黙りこんじゃっている。  僕の右目瞼を軽く抑えたまま、なんだか石像になっちゃったみたいにセク兄ちゃんは動かない。  …ちょっと不安になってきた。 「セク兄ちゃん?」  呼びかけたら、少し焦点のずれていたセク兄ちゃんの目がこちらに戻って来た。青色と深緑の中に、不安そうな、ちょっと情けない顔をした僕が映りこんでいる。 「どしたの? だいじょぶ?」 「あ・・・うん。悪りィ、ちょっと考えてた」  慌てて僕の目から手を離したセク兄ちゃんの声は、どこか心が篭ってない。なんだか、夢見てるみたいで、掴み所が無いように感じる。  思わず、僕は傍らのクノンと目を合わせた。  クノンは僕と目が合うと、ちょっと小首を傾げてみせた。いつも一緒のクノンから見ても、このセク兄ちゃんはちょっとおかしいみたいだ。 「・・・なあ、ルー」 「ぅえっ?」  突然呼びかけられて、僕はビクッと顔を戻した。  見れば、セク兄ちゃんが真剣な目で僕のことを見下ろしていた。…ちょっと怖い。  太陽が真上から照りつけているから十分温かいはずなのに、そんなセク兄ちゃんの目を見ていると、少し背中が冷えてくる気がする。気のせいだとは思うけれど。 「あのさ」  僕は金縛りを受けたように、身動きできない。早打ちする心臓の音を、まるで他の人ののように聞いていた。  セク兄ちゃんの厳しい目。ゆっくりと口が開かれるのを、僕は、目を見開いて…… 「らっきょの妖精に、会わなかったか?」  ・・・・・・・・・。 「……え?」 「らっきょ妖精」  相変わらず真剣な目をして、セク兄ちゃんが繰り返す。僕は、表情と単語のギャップに目を白黒させた。 「・・・言っとくけど、真面目な話なんだからな」  あ、ちょっと顔が赤い。  僕は歳相応の、いつもの感じの容貌が戻って来たセク兄ちゃんを見て、ホッと息をついた。 「えと、らっきょの妖精? なぁにそれ?」 「頭がらっきょみたいな形をしてるんだよ。だかららっきょ妖精って名前付けた」  らっきょの妖精なのではなく、らっきょ頭をした妖精らしい。  僕は考える。らっきょ頭の妖精、見た覚えは無い。らっきょ頭なんて見たら絶対忘れられっこないから、この記憶は確かだ。 「見てないよ」 「ん。そか……」  セク兄ちゃんが眉を潜めて息を吐いた。どういうことだろうと首を傾げた僕は、ある事に思い当たる。 「ねえセク兄ちゃん、もしかして、…視たの?」  あらぬ方向を難しい顔をして見ていたセク兄ちゃんが困ったように僕を見、逡巡してから小さく頷いた。 「…半年くらい前にな。お前と、その緑のらっきょ妖精が一緒にいるところが見えてさ。半年前の事だから、てっきりもう終わったことだと思ったんだけどな」 「なにか、いけないことがあるの?」  セク兄ちゃんの苦りきった顔に、僕は恐る恐る問い掛ける。なんだか、終わっていて欲しかった、そんな感じで言うんだもん。気になるよ。  セク兄ちゃんは、うーんと唸る。 「・・・なんかさ、やな感じのところだったんだよ、お前のいたところが。地面が真っ赤でさ、木が一本もねえの。砂ばっかで…水も見当たらなくて」  そんなのがまだ来てない未来なんだったら嫌だろ?と顔を顰めて言うセク兄ちゃんに、僕は大きく頷く。  うん、嫌だ。真っ赤な地面ってなんか怖いし、気が一本も無くて水も無いところになんて、行きたくなんかない。  ・・・・・・でも。 「ねえ、セク兄ちゃん。らっきょ妖精って、かっこよかった?」 「は?」  僕の質問に、セク兄ちゃんが口をポカンとあけた。僕の手をグーにしたら、多分入っちゃうくらいの大きさだ。兄ちゃん、口おっきい。  でもそんなセク兄ちゃんの混乱を気にすることなく、僕はちょっとドキドキしながら言い募った。 「妖精なんだよねっ、じゃあ魔法が使えるよね、お菓子出したりとか…あとあと、妖精の粉っていうのを使うと僕も飛べるようになれるんだよね? 僕、本で読んだことあるよっ」 「ちょ……ルー?;」  うわあ、なんかワクワクしてきた!  セク兄ちゃんが中途半端に僕のほうに手を伸ばしたのか視界の隅にチラッと見えたけれど、今の僕は妖精のことで頭がいっぱい。  だってだって、赤い地面の場所って言うのはやっぱりちょっと怖いけど、妖精って一回見てみたいもんね。  それに僕がまだ会ったことが無いってことは、これから会うのかもしれないし……そうだよっ、もしかしたら今日会えるのかもしれない!  僕はうんっと自分に頷き、僕の気配に慌てて飛び退いたクノンの横をすり抜けて、だーっ!!とじっくーのところに走って行った。 「って、おいルー!?」  少し離れたところで日向ぼっこをしていたじっくーは、駆け寄ってきた僕の気配に薄く目を開ける。 「じっくー、らっきょ妖精を探しに行くよっっ」 「……グルゥ」  よじよじと背中によじ登る僕の声に、じっくーはちょっぴり眠たげに鳴く。けれどもすぐに目をパチパチと開くと、首を左右に何度も振って意識をはっきりさせて、僕がいつもの指定位置につくのを待ってくれた。  ちょうど首の後ろ。手を伸ばせばなんとか眼の先のドリルに届くような場所に、僕はしっかりしがみついた。  ちゃんと滑らないように、ギザギザの背鰭(?)のところに、上手く腰を落ちつける。  うんっ、準備オッケー。 「じっくー! らっきょ妖精を探しに、しゅっぱつしんこ―!!!」「ギュワァァ!」 「って待てよルー!? クノンッ、ジーク止めて来いっっ!!;」「クッ、クゥゥ!」  セク兄ちゃんの慌てた声が、僕の弾んだ声の後に響き、それぞれに答えたじっくーとクノンらの声もまた、その後を追うようにして、この広い広い砂浜に響いていった。  * * *  海がある。真っ青な真昼の海。何処までも広く、限りない、海。その向こう側に、一点の、青で無いものがあった。  青と青の間に浮かぶ、それは、島。一つの島。立ち入りを許されぬ、島。  と、青の中に何かが割りこんでくる。  一人の少年。赤茶の髪をした、やんちゃな笑みを浮かべた少年。彼が、こちらを向いて手招きをしている。  すぐにやって来る一匹のマッスグマ、けれども彼が呼んでいるのは彼女ではないらしい。まだしきりにこちらを気にして、楽しそうな笑顔を見せている。  マッスグマが海を泳ぎ始めた。  背中の茶色い古ぼけたリュックをこちらに見せ、少年も波に向かってザブザブと入っていく。  その場で待っているマッスグマの背に乗ると、もう一度こちらを向いて何かを言う。  聞こえない。けれども、もう少年は振り返らずに、マッスグマを沖へと進ませた。少年の姿が遠ざかる。  …彼は、島に行くのだ。 「待ってセク兄ちゃん!!!」  思わず叫んだ途端、幻が消えた。  右目の焦点が定まり、あの眩しいほどの日差しは跡形も無く消え、僕の目の前にまだ黒々と夜の跡を残した朝の海が広がる。 「・・・・・・あれ?」 「グルゥ……」  じっくーが僕の顔を覗き込んで、不安そうな瞳で見ていた。  その目を見返して、僕は一瞬、自分が何処にいるのかわからなかった。けれども、すぐに思い出す。  ここは海。セク兄ちゃんの住んでるところ。今年も一人で遊びに来た僕は、二日目の朝を迎えて、じっくーと二人で朝の海を見に来た。  …大丈夫、間違ってない。その証拠に、ほら、太陽が後ろの山に近いところにある。覗いてきたばかりなんだよ。  僕はほっと一息ついて、右目をこしこし擦った。  幻覚持ちの目。幻視の深緑。僕は時々、こうやってどっちが現実なのかわからなくなってしまう。  ちゃんと左目の方は現実を見ているのだけれど、どうしても右目の方に意識が引き摺られて、そのうち左目の方を忘れてしまうんだ。 「グゥ」 「うん、だいじょぶだよ、じっくー」  じっくーの目に僕は微笑を返した。  ……でも、さっきのはなんだったんだろう。あれは、セク兄ちゃんだったけれども。  僕は大分光を受けて輝き始めた海、その向こうをじっと見つめた。まだ暗い海の上に、一層暗い影があるのが見える。  島だ。あれは島。昨日も見た、未開の地。  ずっと昔に起きた大きな戦争で、あの島の近くにミサイルっていうのが落ちたんだって。だもんで、その後何十年何百年もの間、人間は誰一人として近付こうとはしなかったんだ。  でも、もう今では難しい調査の結果、あの場所は安全だってわかっているんだけれど、やっぱり、今でもあの島には誰も近付かないんだって。  禁忌の場所って言われてるって、セク兄ちゃんに聞いた覚えがある。人間の、行ってはいけない場所だって。  どうしてかは、セク兄ちゃんは教えてくれなかった。「戒めなんだよ」って言ってたけど、…やっぱりわからない。 「でも、どうして?」  行ってはいけない、禁忌の島。なんでそこに行くセク兄ちゃんの姿が見えたんだろう。  僕はこの矛盾に、うーーーんっと首を捻った。行っちゃいけないんだよね。でも、行くセク兄ちゃんが見えたんだよね。どうして? 「……じっくー、わかる?」 「グルゥゥ…」  僕の隣でじっくーも首を傾げた。大兄ちゃんのじっくーでもわかんないんじゃ、僕にはわからないよね。  僕は答えを出すのを諦めることにした。うん、そーだよ。セク兄ちゃんに直接聞いてみればいいんだ。その方が考えるより簡単だよね。  うんうんと自分に頷いて、僕はじっくーの体をぽんぽんと叩いた。 「じゃあ戻ろっか、じっくー。お腹すいたよねっ」  そして、じっくーと一緒に砂浜を来た道へと引き返し始めた。  こじんまりした、平屋の建物。それが、セク兄ちゃんとアエカおばさんの住んでいる家だった。  シティとは違う木の匂いのするこの家は、本当に全部木で出来ている。  家の角に火がついたら、きっと全部すっかり燃え尽きちゃうぜ? と前セク兄ちゃんが冗談交じりで言っていたけれど、実を言うと僕はそれが本当にありそうで怖い。  だからおばさんに言われるまでもなく、僕は決して火遊びをしようとは思わない。(家が本当に燃え尽きちゃったら怖いもの)  夏は花火だー、ってシティの友達は言うけれど、ここでは花火よりもキレイな星がいっぱい見えるしね。  開けっぱなしの木のドア(勝手口っておばさんは呼んでた)から中に入った僕を、キッチン(でも土間って本当は言うんだって)で料理していたおばさんが笑顔で迎えてくれた。 「あら、おかえりルーちゃん。転んだりしなかった?」 「だいじょぶだったよ。ねえおばさん、セク兄ちゃんは起きた?」 「あの寝ぼすけならさっき叩き起こしといたわよ。そうね、そろそろ井戸から戻ってくるんじゃないかしら。そしたら、朝御飯にしましょ」 「うんっ」  ジークちゃんもね、と呼びかけられて、扉の外からこちらを覗いていたじっくーが嬉しそうに応えた。 「かーちゃーんッ、ちゃーんと言われた通りトマト採って来たぜー!」  と、じっくーのいる外の方からセク兄ちゃんの声が聞こえてきた。「はよ、ジーク」と言う声もして、そのすぐ後にはセク兄ちゃんがひょいっと中に入ってきていた。  おはよっ、セク兄ちゃん。僕はそう言おうとして振り返り、そのまま開きかけた口を閉じる事が出来なくなってしまった。目をまん丸にして、まじまじとセク兄ちゃんの姿を見つめてしまう。  …セク兄ちゃんの着ている服が、ついさっき見た幻の中のセク兄ちゃんと、全く同じだったんだ。  真っ白いTシャツ、真っ青な半ズボン。全く同じ色の、同じ長さの、同じ感じの服。僕は呆気にとられる。…じゃあさっきのって……  そう考え始めた僕は、何も言わないセク兄ちゃんの異様な様子に気がついた。顔を見て、ビックリする。  セク兄ちゃんも、僕と全く同じ顔をしていたんだ。すっごい驚いた顔をして、僕を…正確には僕の服を見ている。  頭のてっぺんから靴の先っぽまで、セク兄ちゃんの視線が何度も何度も舐めるように行ったり来たりする。 「? 何やってるの二人とも。さっ、朝御飯にしましょ。セクト、トマトは器に入れて…、ああ、先にクノンちゃんとジークちゃんの御飯を用意したげなさい」 「え? …あ、はーいっ」  金縛り状況から逃れたセク兄ちゃんが、おばさんに言われて動き始めた。僕もハッとして靴を脱いで畳敷きの居間にあがって、器や箸を並べるおばさんを手伝いに走る。  ・・・・どうしてセク兄ちゃんは僕を見て驚いてたんだろう。  僕と全く同じ表情をしていたセク兄ちゃんの事を気にしながら、とりあえず朝食を食べるべく、僕はせっせと朝御飯の準備をするおばさんの手伝いをしたのだった。 「ルーもだったのか!?」 「えっ、じゃあセク兄ちゃんもそうだったの?」  朝食を終えた僕とセク兄ちゃんは、屋根裏のセク兄ちゃんの部屋で向かい合って座っていた。促されて先に話した僕にセク兄ちゃんはすぐに驚きの声を上げた。  聞き返す僕に頷くと、セク兄ちゃんも僕に話してくれた。  今日の僕の服装、黄緑のポロシャツに深緑の半ズボン、それがセク兄ちゃんの視た、らっきょ妖精と一緒にいた僕の服装と全く同じだったのだ。  これには僕も驚いた。まさか、互いに同じことに驚いていただなんて。 「セク兄ちゃん、これって……」 「偶然にしちゃ出来すぎだよな。うーん………」  僕もセク兄ちゃんも黙りこむ。あの島に向かうセク兄ちゃんを見た僕、そして、赤い地面の上にらっきょ妖精と共に立つ僕を見たセク兄ちゃん。  そして僕らは、今日、その視た時に互いが着ていた服を着ている…… 「…冒険の匂いがする」 「え?」  唐突にセク兄ちゃんが立ちあがった。僕はキョトンとセク兄ちゃんを見上げる。 「いよっし、ルー! 島に行こう!」 「えっ、えええーーー!!?」  とんでもない言葉が転がってきた。僕は仰天してセク兄ちゃんに向かって問い返す。 「行くって……行くの?」 「おうっ。よしよし、そうと決まれば準備準備。ルー、お前も支度しろよー」 「ぼっ、僕も!!?」  思いがけないセク兄ちゃんの言葉に、僕の頭がプチパニックを起こした。そんな僕に構うことなく、セク兄ちゃんは当たり前のように言い放った。 「当然だろ? 冒険だぜ、冒険! なんたって禁忌の島だからな♪」  禁断の地だぜ〜、はっはっは。と、セク兄ちゃんは既にもう、部屋の隅においてあった古ぼけた木箱の中をひたすら漁り続けている。・・・本気だ。セク兄ちゃん、本気で禁忌の島に行くつもりなんだ・・・。 「い、いいのっ? だって、行っちゃ駄目なんでしょ?」 「ばれなきゃ平気だよ、ルー。お、あったあった。ほら、ルーも支度してこいって。十分後に海岸でな」  海が俺を呼んでるぜ〜〜いやっほぅ!! と、既にセク兄ちゃんの脳は島にトリップしていた。僕は嘆息する。  屋根裏の窓から、青い海が見えた。そして、あの禁忌の島が。  ・・・・・あの島で、一体何が、僕らを待っているんだろう・・・ 「ほらルー!! 遅れたらおいてくかんなっ!」 「ええっ、ま、待っててよねセク兄ちゃん!!」  セク兄ちゃんの声に急かされ、僕は、屋根裏部屋を後にした。 「じゃーーーんっっ」  ジークと一緒に海岸に行くと、セク兄ちゃんとクノンが首を長くして待っていた。  そして、やってきた僕の目の前に、ずいっと一つの包みを差し出した。大きな葉っぱと紐で包まれた、両手より少し大きなモノ。 「ほら弁当! かーちゃんにふかし芋作ってもらったから。まだあったかいぜー? 二つ入ってるかんな」  さすがセク兄ちゃん。僕は素直に尊敬した。  昼食の準備も万端だなんて、すごいや。何時の間にか、僕の水筒も持ってきてあるし。 「井戸の冷たい水入れといたぜ」と続けるセク兄ちゃんからそれらを受け取り、僕は笑って言った。 「なんだか、本当に冒険みたいだねっ」  セク兄ちゃんがニカッと笑った。 「あったりまえだろー?」  いそいそと、背負ってきた山吹色のリュックサックの中に貰ったお弁当をしまい、水筒は肩にかけながら、僕は海の方を見やった。  真っ青な、太陽の光を揺らめかす昼の海。そして、その向こうにある秘密の島。  本当に、僕とセク兄ちゃんはそこに行くんだ。今更ながら、ワクワクとドキドキとビクビクが、僕の胸に込み上げてきた。  ・・・ううん、大丈夫だよ。だって、僕一人じゃないんだもん。  セク兄ちゃんがいる。じっくーもいる、クノンもいる。皆一緒だもん、大丈夫だよ。 「よしっ、いいな? じゃ、行こうぜ!!」  セク兄ちゃんの声に顔を上げた僕は、目の前で、時というビデオが再生されるのを見た。  あの幻と、この現実が、いま・・・・重なった。  海がある。真っ青な真昼の海。何処までも広く、限りない、海。その向こう側に、一点の、青で無いものがあった。  青と青の間に浮かぶ、それは、島。一つの島。立ち入りを許されぬ、島。  と、青の中にセク兄ちゃんの姿が割り入る。  赤茶の髪を靡かせ、やんちゃな笑みを浮かべたセク兄ちゃんが、こちらを向いて手招きをしている。 「ルー! ほら来いよっ。ジーク波乗りできんだろ?」  すぐにやって来るのはクノン、セク兄ちゃんは楽しそうな笑顔を見せている。  …クノンが海を泳ぎ始めた。  それに気付き、背中の茶色い古ぼけたリュックをこちらに見せ、セク兄ちゃんも波に向かってザブザブと入っていく。  その場で待っているクノンの背に乗ると、もう一度こちらを向いて言う。 「ちゃんとついて来いよー、ルー!!」  そうして、もうセク兄ちゃんは振り返らずに、クノンを沖へと進ませた。  姿が遠ざかっていく。・・島へ向かって。 「・・・・・・」  再生された時は、過ぎ去った。  ここからは、僕の知らない時間。待っているのは、未知の領域。 「グルゥ」  じっくーが僕を促す。僕は頷いて、打ち寄せる波に向かって、バシャバシャ駆けて行った。  僕を追い越して、じっくーは海へとその大きな体を沈めた。その背中に上った僕は、じっと前を見つめる。  波間に浮かぶ、小さなセク兄ちゃんの後ろ姿。僕は大きく息を吸った。満面の笑顔で、時の声をあげる。 「じっくー! きんきの島に向かって、れっつごぉーー!!!」 「グルゥゥウ!!!」  水の飛沫が空を舞い、青と青が空気に溶けた。  * * *  温かい海を、一匹のマッスグマが泳いでいた。  穏やかな波に乗って、心底リラックスした表情で、海を航っていた。  その背中にはひとりの人間の少年が乗っていた。  サラサラの赤茶けた髪の間から覗く、左右で色の違う瞳。  片方は深緑、片方は空と同じ青。  その後を追うようにして、一匹のサイドンが泳いでいた。  穏やかな波を切って、険しい貌に今は優しげな表情を乗せて、海を進んでいた。  その背中にはひとりの幼い人間の少年が乗っていた。  柔らかな黒髪の隙間から覗く、先ほどの少年と同じく、左右で色の違う瞳。  片方は黒、片方は少年と全く同じ深緑。  彼らの向かう先には島があった。  森に覆われて、その中心付近から、巨木が、天に向かって聳える柱のように立っていた。  白い砂浜。マングローブの林が、彼らを迎える。  河口から川に入ろうとした時、マッスグマに乗った少年がふと体を乗り出した。  くいっと顔を上げて、マッスグマも同じ方を見る。  川辺の木に手を付いて、もう片方の手に金時計を提げた一匹のキモリが、彼らをじっと眺めていた。 「ついたね、セク兄ちゃん」 「んー、そだな、ルー。にしても、すっげえ木がいっぱいだなぁ」  島に着いたオレとルーは、辺りを見回して感嘆の息を吐いた。  河口から川を遡って、適当な場所で降りて森(それとも林か?)の中へと一歩踏みこんだんだけれど、本当に凄い。見上げても空が見えないくらい緑がいっぱいで、…本当にいっぱいだ。(まあ、言い過ぎだけど)  さわさわ、ざわざわと、風が通り過ぎるたびに葉と葉がざわめいて、少し不気味な感じもする。  …雨でも降ったのだろうか。揺れる葉の一枚一枚には小さな雫がくっついていて、光をキラキラと辺りに反射させていた。  葉陰から零れるいくつもの光の様子は、まるで、澄みきった水の底から上を見上げているような感覚をオレたちに与える。  ここが、禁忌の島。  人間がほとんど立ち入らない、戒めの地。そして、人間にあらざる生き物たちの楽園。  さっきもトカゲみたいな黄緑色の生き物を見たし、この島には他にはどんな生き物がいるんだろうなぁ。あと、どんな場所があるんだろう。 「ねえっ、セク兄ちゃん。これからどーするの?」  弾んだ声。ルーがとてもワクワクした顔で、ジークの上からオレに尋ねてきた。ここに来る前の躊躇いは、もうどこかに吹き飛んじまってるみたいだ。  オレはクノンと一緒に「ふむ」と木のいっぱい生茂った深い深い木々の奥を見やる。 「そだな。とりあえず、真ん中まで行ってみようぜ。ルーも見ただろ? 真ん中から生えてたでっけえ樹!」  オレは、この島に上がる前に見た、大きな空を支える柱のような大木のことを頭に思い浮かべた。  なんだろう。あの、とーちゃんのような、かーちゃんのような、とっても大きくて優しくて、全てを包み込んでくれそうなあたたかそうな樹。  なんとなく、あそこには何かあるような気がしていた。  あそこにいけば、何かわかる。  よくわからないけれど、オレはどうしてか、そんな確信を持っていた。 「……じゃあ、行こうよ、セク兄ちゃん」  オレが顔を上げると、えへへー、と笑ったルーがこちらを見下ろしていた。  地面に落ちるんじゃないか不安になるほど、ジークの体から身を乗り出して、にっこにっこと楽しそうに体を揺らす。 「お弁当もあるし、水筒もあるし、準備はおっけーだよっ。ねっ、行こっ、セク兄ちゃん」  オレは笑った。うん、なんだかんだ言いつつも、状況を全部楽しんじまうルーには、もしかしたらオレよりも冒険の才能があるんじゃないだろうか。 「…おしっ。じゃあ、大樹目指して、いっちょ行くか!」 「おーーー!!」  クノンが先頭に立ち、二番手にオレ、そして最後尾をジークに乗ったルーが努め、知らない森をオレたちはクノンの方向感覚を頼りに進み始めた。(結構頼りになるんだよな、クノンの方向感覚)  進んでも進んでも、緑が広がる。緑にも濃淡があるんだということを、この場所は改めてオレに教えてくれるようだった。形も大きさも様々で、さっきなんか、ルーの顔より大きな葉っぱがあったりしてビックリした。  少し湿り気を含んだ風が何処からか吹いてきて、そしてまた何処かへと過ぎて行く。まだ残っている雨の匂いが、少しづつ晴れて行くような気がする。  時折、上空で羽ばたきが聞こえて、見上げると黒いシルエットが視界をかすめて行ったりした。  よく見たら、とてつもなく大きなポッポ(ピジョンよりでけえの!)だったりして、そのあまりの大きさにオレとルーは顔を見合わせて大笑いした。  ここは、ドキドキワクワクの宝庫だった。  たくさん咲き誇っていた真ん中の白い赤い花も、土の中から突き出して蔦に覆われたよくわからない遺跡みたいなのも、どれもとても新鮮で、面白かった。  強すぎる太陽の光は、空を覆う木々が和らげてくれているおかげでそれほど熱いと感じなかったし、湿り気を含んだ空気だって、雨の日のじめじめした空気よりは随分爽やかだったし。(逆に冒険してる実感があって良い感じだったし)  オレたちは疲労も近付けない勢いで、わいわいはしゃぎながら、着実に大樹へと向かい突き進んで行った。  太陽が、真上に来たようだった。  オレは雷かなんかで裂けたらしい高い木がよく見える、おっきな樹の根元に座り込んで、昼飯を食おうとルーに呼びかけた。  ルーは都会育ちとは思えない身軽さでジークの背中から駆け下り、柔らかな草の絨毯の上に寝転んだ。(まだほんのちょっとだけ湿った感じがあったけど、ほとんど乾いてたから平気だった) 「セク兄ちゃん、良い匂いだねー」  体に当たる草の感覚がくすぐったいのか、クスクス笑みを零しながらルーが言う。  オレは背中に背負ったこげ茶のリュックから、クノンとジークのための昼食(ポケモンフード)を取りだし、器が無いから草の上に山盛りに積んでやった。  さあ、食え! と、ちょっぴりおどけて嗾けてやると、二匹は互いに遠慮しながら御飯を食べ始めた。  …オレなら、我先に食っちまうのにな。そう思いつつ、オレが来るのを待っているルーの横に座り込んだ。 「あーっ。どうしようっ、手が汚れたまんまだよ、セク兄ちゃん!」  ・・・・・・迂闊だった。  でも、見回しても水場は見当たらない。…仕方ないのでオレの水筒の水を使って、四つの手を濯いだ。冷たい水に、手が冷やされる。水滴をパッパッときって(ルーはハンカチで拭いてたけど)、改めてオレたちはふかし芋に齧り付いた。  芋の味と、微かな塩味が口の中に広がる。オレは慣れた味だからそんなに美味しいとは思わないけど、ルーはまるでこんなに美味しいものは食べた事が無いとでも言うように、ひたすら笑顔で「おいしいね」と繰り返している。  ……こいつには、こっちの暮らしのが向いてるのかもな、と口には出さずに考えていると、ふとルーが声を上げた。  その細っこい指で差す方向を見ると。 「・・・・・・何やってんだか」  少しづつ遠慮しつつ食べていたクノンとジークの間に、何時の間にか招かれざる客が割り込んでいた。  …黄緑色のトカゲ(もしかしたら、海岸で見たやつかもしれない)が、物凄い勢いでポケモンフードの山を荒らしていた。  クノンもジークも、その様子を両側からただじーーーっと見ている。 「ねえ、セク兄ちゃん。どうしよう?」  じっくーの食事が無くなっちゃうよ。そう困ったように言うルーの頭をポンポンと叩き、オレは一つの熟語をルーに教えてやった。 「ルー。この世はな、ヤキニクキョウショクなんだ」 「…焼肉強食?」  うーん、どっちかっつーと、クノンとジークのが強いはずなんだけどな。  まあ、木の実とかもあるわけだし、お腹が空いたら自分で何とかするだろう、とオレは状況維持を決行した。…だって、このトカゲがこのスピードを保ったままどこまでポケモンフードを腹に詰め込むのかも興味あるし。  と、ケタケタ笑っていたオレだったが、   …ズキンッ。  唐突だった。  体が硬直した。なぜだかわからないけれど、どうしてかわからないけれど、一人世界から隔離されたような感覚が訪れる。  心臓が、悲鳴を上げた。  不安と恐怖がどこからか込み上げてきて、喚き叫びたくなって、…わけがわからないまま、オレはその感情に必死で耐えた。  なんだ、これ・・・・。  ・・・これは、何かの前触れ・・・・・・?  胸が痛い。痛い。苦しい。息が出来ない。  チリッと、左目が疼いた。  あっと言う間に視界が歪み、今でない時を、深緑は映し始めた。  …広がる海。青い、海。 そこに今、白銀に輝く白いモノが落ちてくるのが見えた。  体の全神経が、アレが危険だと警告を発する。自分の時間軸とは関係無いものであるのに、それでも、体が逃げようと促す。  けれども、オレは動けない。一歩も動けず、左目の光景に意識を犯されている。   ・・・・・・・・・・・こわい。  白銀の軌跡が、こちらへと線を描いてくる。青い空を引き裂いて、白銀がこちらへと迫る。  下には青。澄んだ青。そして傍らに浮かぶ緑の島。   ・・・・・・・・・・だめ、だ。  逃げられない。逃げる必要は無い。  頭では分かっているのに、この恐怖はしっかりとオレの心を捉えて離そうとしない。  いやだ。こわい。くるな。おちてくるな。こっちにくるな。  何も知らずに輝く青。それが、とても目に痛い。   ・・・・・・・・・・・・・・みちゃ・・・・だめだ・・・・。  シャープペンのような白銀色のモノが、 落ちた。   ・・・・・・・・・・・・・・みたくない・・。  光が広がり、真っ白な光の中、変なノイズが混ざりこむ。画面が乱れ、一瞬にして光景が移り変わった。  連続して違う光景になるのは、これが初めてだった。オレは時計の秒針よりも早く打ち動く心臓の音を遠くに聞きながら、新たに広がった目の前の惨状に、目を見開いた。  喉が、音にならない悲鳴を上げた。 「…セク兄ちゃん?」  急に引き戻された。一瞬の乱れの後、視界いっぱいに緑が広がる。…聴力が戻った。何かの鳴き声が聞こえる。大気の奏でる漣のような音も。  気がつくと奥歯がカタカタ鳴っていた。先ほどの光景が、脳裏に焼き付いて離れない。一気に冷え込んだようだった。背筋が、寒い。 「……兄ちゃん? どうしたの?」  ハッとして見ると、ルーがオレの様子を伺っていた。まだ小さい、オレの従兄弟。弟みたいなヤツ。  その不安そうな顔に、オレの、兄ちゃんとしてのプライドが素早く頭をもたげた。 「んーん、何でもねえ。ちょっとぼーっとしてただけだ」 「・・・・そお?」  後味の悪さを追い払って無理矢理浮かべた底抜けの笑顔に、ルーは少し首を傾げつつも納得してくれたようだった。再びふかし芋に向き直った。  オレは、流石にもう芋を食べる気にはなれなかった。食欲はすっかりなりを潜めてしまった。  …あの凄惨な光景は、ルーには見せたくないと思った。オレがどうこうできるものではないんだけれど。  それにしても、あれは何時なんだろうか。未来? それとも、過去?  でも、オレにわかるはずがない。っていうか、わかったならこの深緑に悩まされてたりしない。  嘆息し、何気なくクノンらの方を見たオレは、ぎょっとした。  …すっかり満足した顔をして仰向けになって膨れた腹を摩っているトカゲがいた。クノンとジークはそれをさっきと変わらずじーーーっと見ている。ポケモンフードは……どこにもない。  ・・・・・・・このトカゲ、  オレは半目でハッと薄ら笑いを浮かべた。(乾いた笑いというか)  ・・・・・・・・・・・・全部食いやがった・・・。  風の囁きに混ざって、小さな軽いゲップの音が聞こえた。  再び、オレたちは歩き始めた。  目指す大樹まで、もっと歩くかな、と思ったが、・・・・・すぐ側まで来ていたようだった。 「セク兄ちゃん!」 「あー・・・・・・やっぱでけえなぁ」  十分もかからずに、オレとルー、クノン、ジークは、この島の中心、巨木の根元まで辿りついていた。  本当に大きい。そして、圧倒される。でも、怖いんじゃない。感動だ。なんかこう、この樹を見ていると胸に込み上げてくるような感じがあるんだ。  ルーも同じ気分なんだろう、ジークの上で丸く口を開いたまま、ぽけーっと巨木を見上げている。 「キャッ」  何故かクノンの上に乗ってここまで一緒にやって来た黄緑トカゲも、大樹を見上げて一声鳴いた。  そうしてクノンの背から飛び降りると、勝手知ったる様子で大樹の幹を勢いよく上っていった。…早い。もう木の葉に紛れて何処にいるか見当がつかない。  本当に大きな樹だった。オレは、何故かこの樹を知っているような気がしていた。  デジャヴ…じゃない。奇妙な感じだけど、この左目の深緑、これが、この樹の事を覚えているような気がした。…もしかしたらオレ、この樹に呼ばれたのかもな。  非現実的な事が浮かんだけど、バカには出来ない。だって、幻視が出来るっていう時点で、オレはすでにファンタジー世界のお友達なんだよなぁ。  呆然と大樹を見上げていたルーが、満面の笑みを浮かべてジークの頭に抱き着いていた。ちょっと見には熱そうな(もしくは冷たそうな)鈍色の鎧に顔をつけて、足を宙にぶらぶらさせている。 「じっくー、おっきいねえ。じっくーもこんだけ大きくなれるかなぁ」  それは幾らなんでも無理だ、と心の中でルーにツッコミをいれて、オレは大樹に近付くと、地面から盛り上がった太い根にそっと触れてみた。  ごわごわした樹皮の感触。すこし湿っていて。ああ苔も生えてるみたいだ、ちょっと柔らかな黄緑の部分がある。湿った木の香りをいっぱいに吸いこんで、オレは目を閉じてそっと額を押し付けてみた。  心臓の音、みたいなのが聞こえた。水の流れる音だ。この樹が生きているのを、感じた。  ふと、さっき見た幻覚の事を思い出した。…そういえば、あの光景では島が見えた。きっとこの島。でも、この大樹は見えなかった気がする。  オレはほっと息を吐いた。じゃあ、大丈夫だ。あれは、これからのことじゃない。少なくとも、すぐに起きるわけじゃない。だって、ここには大樹が存在しているのだから。この樹がなくなるなんてことは、有り得ないように思えた。  ・・・・・じゃああれは・・・・・・・この大樹が生まれる前の光景・・・・?  『戦争』。  その単語が頭を過った。そうだ、あれはオレらが生まれるずっとずっと前にあったっていう戦争の光景だったんだ。うん、そうに違いない。  心に沈んでいた巨石が、不意に無くなったようだった。時間と場所がわかったおかげだ、大分気分が楽になる。  じゃあ、心配する事は無いんだな。あー良かった。しばらくは夢に見そうだけど、とにかく良かった。  心の重りが無くなって初めの元気を取り戻したオレは、あのトカゲみたいに木登り(大樹登り?)をしようと、クルッと後ろを振り返ってルーに呼びかけようとした。  リィ―――――――ン。  澄んだ、鈴の音のような音が響いた。  木々に染み入るようなその音に、オレとクノンは顔を上げた。ルーとジークも音の出所を探すように上空を見上げている。  音はどこからも聞こえてきているようで、全く出所の特定は出来なかった。  気付けば、全てが止まっていた。音も、この澄んだ音以外は聞こえてこなかった。大気が揺れる。振動が、視覚的に感じられる。  すっごく小さく、微かに、微弱に、大気が震えて。  ルー! と叫んだ声は、音にならなかった。ルーがこちらを向いた。その口が動く、けれども音は聞こえない。  …視線を感じた。  バッとオレは斜め上空を見た。そこに――  リィ―――――――ン。  もう一度鈴の音が鳴った。音が何処までも響いて行くと同時に、オレらも一緒に響いて行くような感じになって…  そうして、全てが陽炎のように掻き消えた。  気が付けば目の前には、あの幻覚の赤い大地が広がっていた。  * * *  どこまでも、血でもこぼしたみたいに真っ赤な土が続いていた。ホントに、どこまでも……あんなに遠い地平線を、オレは初めて見た。  地球って丸いんだな。それがわかるくらい、弧状になってる地平線。大きな岩でもあるのか、ジュースに浮かべた氷みたいに凹凸した場所も幾つかあるみたいだけど、基本的には……どこまでも続く、赤土の大地。  触るとボロボロ崩れて、そう、見渡す限り、草の一本も無い。植物の育てない土……砂漠なんだ、とオレは思った。  空の色がさっきと違った。夏の終わりの濃い青色から、春先に霞がかった時みたいな、灰色っぽい、極限まで薄い水色。雲はひとつも無い。  じりじり暑い。真夏に逆戻りしたみたいだ。いや、砂漠だから暑いのは当たり前か……。 「ていうか、どこだよココは」 「どこだろねぇー」  オレの問いを、ルーがのんびり反復した。緊張感ゼロ。「どこかなぁー♪」と音符まで飛んでそうな勢いだ。 「……ルー、お前、楽しそうだな」 「ねえねえセク兄ちゃん! 兄ちゃんの見た赤い地面のところって、ここ?」  聞いちゃいない。普段は大人しくって聞き分けのいい良い子なんだけど、どうもこのような冒険の匂いを嗅ぎ取るとオレに負けず劣らず猪突猛進なタイプになりがちだ、ルーは。  ・・・さすが従兄弟。血の繋がりは争えないってことか。 「あっ、じっくーじっくー! 走れー!!」 「っ!? おいルー!?」  突然ルーがジークに突撃命令を出した。「ギュオォゥ!」と応えて、ジークがダダダッと駆け出す。  赤い砂埃を巻き上げ地響きを鳴り響かせ、加速して加速して、そして。 「とぉっ!!」  飛んだ。  ジークの背中から、ルーが、飛んだ。  危ない! 危ないっていうか、なんてことすんだルー!? ケガするぞ!!? 「そだっ、クノ・・・」  ハッと横を見ると、気の利くクノンはすでにルーの落下地点へと駆け出していた。  ひゅるる〜〜と落ちてくるルーを、ボフッと見事にその背中に受け止める。 「な、ナイス!クノン!!」  オレは安堵の息を吐く。心臓の早打ちが峠を越え、少しづつ納まっていく。しかし……寿命が三年は縮んだぞ、確実に。 「・・・・・・・ほえ?」 「ほえ?じゃねえよ、ルー」  ルーを背中に乗せたまま、クノンがオレの方へと戻ってくる。その鼻面を愛情込めて撫でてやると、クノンは嬉しそうに体を摺り寄せてきた。愛いヤツだ。今回は本当に助かったからな、ありがとうクノン。  ・・・・・で、だ。  オレはくるっと振り返った。赤土の上に座り込んだルーに向かって怒鳴りつける。 「何バカな事してんだよ! あのスピードのジークから飛び降りたら只じゃ済まないことくらい分かってるだろ!!?」 「あっ……ごめんなさい」  しゅんとしてルーが項垂れた。その背後では何時の間にかあの地平線の付近から生還を果たしたジークが顔を覗かせ、同様に頭を垂れていた。  滅多に怒らないオレの怒声を受けて、ルーは本気で反省しているらしい。さっきまでのテンションの高さはどこへやら。すっかり平均値に落ちついたように見える。  その様子に、オレの怒りもクールダウンする。…まあ、無事だったし。そうクドクドと何時までも怒る事じゃねえよな。うん。 「……今度から、危険なコトすんじゃねえぞ」 「…はい。ごめんなさい、セク兄ちゃん」  わかればいいんだ、とルーのサラサラの黒髪をくしゃくしゃっと撫でてやったオレは、ここでやっと、ルーが何かを抱えている事に気がついた。  ・・・・・・なんだ、これ。 「…なぁルー。お前、何持ってるんだ?」 「あっ、そうだった!」  ルーもハッと我に帰って、キツク持っていたそれをオレのほうにずいっと差し出した。 「セク兄ちゃん! らっきょ妖精!!」 「・・・・・あ」  見事ならっきょ頭がそこにあった。  緑色で、触角が二本あって、透明の薄黄緑色な羽根があって、二頭身ならっきょ頭の妖精。オレが幻覚で見たやつが、そのまんまの姿でそこにいた。  ・・・へろへろで目の焦点が合ってないけれど。(そりゃ、ルーにずっと抱き込まれていたんだからなぁ…) 「あのね、これが空を飛んでたもんだから、さっき飛び降りて捕まえたんだっ」  なるほど。コイツがルーをあの行動に走らせた発端というわけか。オレは何時までもフラフラしているらっきょ妖精の触角をピッピッと引っ張ってみた。 「びぃっ!」  唐突にパチクリッとらっきょ妖精が目を見開いた。焦点が合う。オレと目が合う。  ・・・・・あ、思い出した。そういえばココに来る前、二度目の鈴の音を聞く直前、あの大樹の側でコイツを見かけたんだっけ。・・・ってことはだよ。ってことは・・・・・・・・・ 「お前かぁあぁぁっ?!!! オレたちをここにつれてきたのは!!!!」 「びっ、ビビィィーーッッ?!」  くわぁっと目を見開いて噛み付くような勢いで顔を突き出したオレに、らっきょ妖精がビクゥッッッっと、怯え混乱したように泣き叫んだ。  じたばたと暴れまくるが、ルーの手とオレの手が逃げ出す事を許さない。ルーは物珍しさで、オレは命綱といわんばかりの勢いで、はっしとその小さな体を押さえている。 「えっ、兄ちゃん兄ちゃん、らっきょ妖精が僕たちをココに連れてきたの?」 「おう。この慌てっぷり、ビンゴだ」  単に怯えているだけかもしれないけど、でも、絶対そうだと思う。オレの第六感がそう告げている。  そんなオレとルーの間からクノンが顔を覗き込ませ、無駄な抵抗を止めて大人しくなったらっきょ妖精の体をてしてしと前足でつっついた。  力無くそれから身を避けようとするらっきょ妖精だったが、オレらの手が邪魔になって上手く避けられていない。終いには、もうどうにでもして…という感じでがっくりと項垂れていた。  ・・・・・・ちょっとだけ、可哀相になってきた。 「セク兄ちゃん。離してあげよ?」  ルーが眉根を寄せてオレに言った。ルーもらっきょ妖精が可哀相に思えるらしい。そっとその小さな手を下ろしたが、…オレは離す決心がつかなかった。  だって、ここで離したりして、もし逃げられたらどうする? 帰る方法がわからないオレたちは、この何もない場所で野垂れ死ぬしかないぞ? 「……おい、らっきょ妖精」 「……ビィ?」  弱々しく、らっきょ妖精が答えた。(・・・かなり疲労してないか、こいつ?) 「…逃げないか?」 「…ビィ」  コクリと頷いた。 「…本当に?」 「ビィ」  即答。オレは心を決めた。大丈夫だ、多分嘘はついてないと思う。  パッとらっきょ妖精を掴んでいた手を離す。  ドスッ。  ・・・らっきょは落ちた。 「…だ、だいじょうぶかぁ?;」 「らっきょーー?!」  らっきょは動かない。赤土にのめり込んでいる、顔から。(やっぱ頭の方が重いんだ…)  ルーがわたわたと、らっきょ妖精をずぼっと土から引きぬいた。グラグラ〜と目を回しているらっきょに、オレは水筒を取り出して残り少ない水をトポトポトポーっとかけてやった。(だってなんか植物っぽい色してるから)  水のおかげか、らっきょはすぐに意識を取り戻した。大きな青い水晶のような瞳をパチパチさせ、体をぶるぶるーっと震わせて水滴を弾き、ルーの手から元気よく飛びあがった。  らっきょ妖精、復活。 「ビィィーー!!」 「よかったぁー、らっきょー!」  ルーがうわーいっと、らっきょと共にそこらを走り回った。赤い視界の中、らっきょとルーの服の緑色がやけに鮮やかに景色の中に浮かぶ。  オレはらっきょが死ななかった事に一先ず安堵し(まじで死んじまうかと思った)、それから改めて辺りを見やった。  とにかく、広い。そして暑い。何にも無いのが不気味だし、寂しい。うん、まじで何も無いっていうのがすっごい辛い。人は一人じゃ生きていけないって言うのは、こういうことなんだろうか。  遥か彼方に見える、あのジュースの氷みたいな凸凹はなんだろうな。山?岩?・・・よくわかんないや。 「あっ、セク兄ちゃん!」  ルーに呼ばれて、オレは後ろを振り返った。と。  べちっ。 「・・・・・・・・・」 「…あやや」  らっきょが顔にぶつかってきた。  顔に貼りついたまんまのらっきょを、オレは無言でバリッと剥がす。首根っこを掴んで、真正面に吊り上げて。 「・・・・・・煮て食うぞ?」 「びっ、ビィビィィ!!?」  らっきょ妖精は慌てふためいてルーの方へと飛び戻った。ルーの頭に隠れてオレの様子を伺っている。・・・なにルーになついてんだよ、テメエは。 「だめだよセク兄ちゃん。らっきょ、怖がってるよ?」  うんうんと頷くらっきょの姿は、ルーには見えていない。…あのやろう、もし曲がりなりにも帰れないなんてことになったら、ぜってえ煮て食ってやる。 「そうそう! セク兄ちゃん、あのね。らっきょ、向こうに行って欲しいんだって」 「は? 向こう?」  ルーがついっと宙を指差した。(っていうか何時の間にらっきょと意志疎通してんだ?)  ルーの差す先にあるのは……いや、何も無い。しいて言うのなら、 「・・・・まさか、あの凸凹部分か?」 「うん、そう」「ビィッ」  らっきょとルーが、同時にコクリと頷いた。  オレは二人と凸凹を交互に見る。  あの場所までの推定距離、…わからない程遠く。推定所要時間、…日が沈むんじゃないか?  そんなメチャクチャ遠そうなあの場所までオレたちに行けと、このらっきょは言うのか? 「……ルー、いくらなんでもなぁ」 「だいじょぶだよっ、セク兄ちゃん!」  首を振って嗜めようとしたオレに、ルーは自信たっぷりに胸を張って言った。問題無し!ってな勢いだ。ニッコリ最強(最凶)笑顔を浮かべる。 「じっくーが乗っけてくれるって!」 「ビィッ」 「ギュオォォ!!」  ・・・・・・・既に決定事項なのかよ。 「クゥゥ…;」  また復活したルーのハイテンションにがっくり肩を落としたオレを、クノンが元気を出してと慰めるように足元に擦り寄ってきた。  照りつける太陽は強く、赤土がその色と同じ位熱そうに見えた。…ジークの鎧から陽炎が上っているような気がしたのは、多分気のせいなんかじゃなかったと思う。  ジークの体は、我慢できないほど熱くは無かった。まあ、それなりに熱かったけれど、猛スピードで走ってくれたもんだから風が起こってちょっとだけ涼しかったし。  ルーがジークの首の辺り、オレがその後ろに座って、クノンはジークと共に赤い大地を軽快に駆けた。あのらっきょはというと、飛ぶことをめんどくさがって(とオレは推測する)ルーの頭にくっついて一緒にキャーキャーはしゃいでいた。  なんだか納得いかないものがあったけれど、オレはジークの背中から振り落とされ無い様にしっかり掴まって、凸凹場所に着くまでぼーーっとしていた。  凸凹場所の正体は、ビルの成れの果てだった。  ジークから降りて岩に近付いたオレたちは、そのことを知った。成れの果てって言うか…もうこれは墓場だ。街の墓場。  街灯の先端、橋の一部、車輪、いろんなものが赤土から顔を出していて、ここに確かに人が暮らしていたんだっていう事をオレたちに訴えかけてくる。  クノンが何かを見つけたらしい、赤土を掘り始めた。少し掘って出てきたのは、白いコーヒーカップ。キレイなもんだった。まるで、つい最近まで普通に棚に並べられていたみたいな。  受け取ったコーヒーカップを小さな岩の上に乗せ、オレは息をついた。  ルーとジークは、オレの少し後ろの方でビルのでっぱりによじ登っていた。危なっかしくてっぺんに立つルーをジークが見上げ、低く喉を鳴らしている。 「セク兄ちゃん、誰もいないね」  誰も居ない。何も無い。ここは、そういう場所だった。  今この時間、生きて動いているのは、もしかしたらオレたちだけなのかもしれないと錯覚させるほど、静かで、哀しくて、寂しい空間。  オレはルーに応えず、先を飛んでいったらっきょ妖精の行方を探した。  ・・・・・いた。  少し先のほう、らっきょは地面の上に座り込んでいた。オレはクノンと一緒に駆けていく。ワンテンポ遅れて、ジークに飛び乗ったルーも。  らっきょ妖精の前、そこには灰色っぽい土が盛り上がっていた。赤土とは、違う感じ。なんだろう、赤土は死んでる感じがするんだけど、この灰色土はまだ生きてるような感じがする。 「あっ、セク兄ちゃん! 芽が出てるよ!!」 「なにっ?!」  ルーに指摘され、灰色土をまじまじと見たオレは「あっ」と声を上げた。本当だ。小さな黄緑色の芽が、ひょっこり灰色の間から顔を出していた。  でも、凄く弱々しい。・・・無理も無いか。こんな雨も降りそうに無い、土に栄養もなさそうな場所じゃな。芽が出たってだけ、すごいことだと思う。  芽の存在は、オレを嬉しくさせると同時に、哀しい気持ちに突き落とした。  そうだ、こんな場所じゃ何時枯れたっておかしくない。こいつは、生きようとしているのに。…生きたくても、生きられないかもしれないんだ。 「・・・・・・」  そっと、芽に触ってみた。  少し、生気が無い。草木特有の瑞々しさが、ほとんど感じられない。もうどれだけ水を飲んでないんだろう。でも、この芽は頑張って生きてきたんだな、今日まで。 「セク兄ちゃん、コレ」  ジークから降りたルーが、何時の間にか後ろに立っていた。その手に持っているのは・・・・・・・水筒。 「ルー・・・」 「水、まだいっぱい残ってるよ。・・・・・・早く大きくなれると良いね」  オレがその場を退くと、ルーは厳かな面持ちで小さな命へと歩み寄り、手に持った水筒をそっと傾けた。透明な液体が線となって灰色の土に吸い込まれて行く。灰色から黒へ、土の色が移り行くと同時に、心なしか芽の黄緑も濃くなってったようだった。  ・・・・・・頑張れよ。  そう、オレが心の中で呟いた時、  リィ―――――――ン。  あの鈴の音がした。  ハッと見ると、らっきょの姿が無い。  ルーが手を滑らせて、水筒を落とした。  水が零れ、重い金物の筒が重力に従ってゆっくりと引き寄せられて行く。  リィ―――――――ン。  再び大気を震わす音色。  そうして、また空間が止まった。  視界がぶれ、歪み、崩れ、  オレたちは、草原に立っていた。  若草色の、穏やかな海。それほど強くない風が吹き過ぎ、煽られた若草が不可思議な紋様を広げて行った。  所々に小さな木が生え、まだ成長途中の林なんだとわかる。  若草の海を見て、オレたちのいる場所が暗い影になっていることに気付いた。振り向きつつ上を見る。  そこには、細い腕を広げた一本の樹。周りにいる木々よりも一回り近く大きな、だけどまだまだ若い樹がたっていた。  風に吹かれ、葉をさやさやと鳴らす。木漏れ日が、キラキラと降り注ぐ。  さっきまでの赤土の死界とは比べ物にならないほど、命に満ち溢れた、春のようなところだった。  平和、穏やか、安らぎ、そんな言葉を形にしたらきっとこうなるんじゃないかと思えるような場所だった。 「また、知らない場所だね」  ルーの声。オレは無言で頷いた。  草の中に踏み入り、ジークと共に日の当たる場所へと出たルーが、空を見上げる。 「青いねー。雲ももくもくだよぉ」  街の墓場で見た薄い水色の空に、直に青い絵の具を注ぎ入れたみたいな空。自然界の穏やかな青色が、雲の化粧を纏ってオレたちを見下ろしている。  真っ白な雲はのんびり流れていく。風に吹かれその姿を様々に変えながら、時を刻み続ける。  オレは、らっきょの姿を探した。けれども、赤土の場所ではあんなに目立っていたらっきょ妖精の緑色も、ここではまったく目立たず、オレはその小さな姿を見つける事は出来なかった。 「…今度は、なんだってんだよ」  オレはため息をついた。帰してくれるのかと思いきや、ついたのは全く違う場所。しかも、すごい平和でのどかで綺麗な。  赤土の場所の砂埃を受けて少しごわごわになった頭を掻き、オレはこっちに影を投げかけている樹の方を向いた。  あの島の大樹とは問題にならないほどの細い樹だった。オレ一人じゃギリギリ無理っぽいけど、ルーと二人で手を繋げば、隙間を空けて一週出来てしまうくらい細い樹。  クノンが樹の後ろに回り込み、オレは正面でポンポンと幹を叩いた。…木登りは出来ないな。上の方の枝がまだ細すぎる。  この辺を一望して見たかったという望みは諦めた。それに、見なくたって分かる気がする。きっとその向こうもずっと緑に違いない、地平線の向こうまで。(…実際には海が広がってたらしかったんだけど、結局オレは緑と青のコントラストを見ずに終わった) 「クゥ!」 「ん? どした、クノン」  樹の後ろの方で、クノンが鳴いた。オレはゆっくりと半周して裏側へ周った。 「グ、グゥゥ…」  木の根っこの側を、クノンは一生懸命掘っていた。ん?口に何かを咥えて…それを掘り出そうとしているのか。  なんだろうと思いつつ、オレはクノンがそれを掘り出すのを待った。  数分後、その物体が黒い土の中から全貌を現した。  クノンの側に座り込み、それを一緒にまじまじと見やったオレは、「あっ!」と声を上げた。慌ててルーを呼ぶ。 「なになにー、セク兄ちゃん」  ジークと一緒にやって来たルーに、クノンが掘り出したものを見せてやった。茶色く錆びてて、筒状で、中が空洞で底がある容器。微かに残っている外側の色に、オレたちは見覚えがあった。 「僕の水筒だ!!」  ルーが目をまん丸にして叫んだ。水色の塗料が微かに残るその汚れた物体。それは、ルーの持っていた水筒だったのだ。 「なんで? 僕の水筒なら、ここに・・・・・・・・あれ?」  首を見たルーが不思議そうに首を傾げた。下げておいた水筒がかかって無いのが、心底不思議らしい。オレは苦笑しながらルーに教えてやった。 「さっき緑の芽に水をやったとき、はずしただろ?」 「あっ、そうだ!」  ポンッとルーが手を叩く。 「それで僕、鈴の音がしてビックリして水筒落としちゃったんだ。それで落ちたまんま・・・・・・あれ? じゃあ、セク兄ちゃん、この樹って・・・」 「ああ」  オレは込み上げてくる笑いをそのままに、見違えるほど大きくなったあの時の芽を見上げた。 「あの芽だよ。・・・ここまで、大きくなりやがった」 「・・・っすっっごーーーーい!!」  ルーがピョンピョンと飛び上がった。オレも似たような気分だった。  本当、自然て凄い。あれから、どれだけの時が経ったんだろう。あの赤土の大地にも確かに命があって、少しづつ少しづつ、長い時間を掛けて目を覚ましていったんだな。  そうして、血色の土の大地をこんな緑がいっぱいの大地に変えて、・・・・すげえよ、自然の力って。 「もっともーっと、おっきくなーれっっ」 「ギュオォ!」 「クゥゥ!」  歓声を上げて、ルーが樹の周りを囲って踊りだした。ジャンプしたり、クルクル回ったり。見よう見まねでクノンとジークも踊りだす。  オレはその楽しそうな様子を笑って見ていた。  リィ―――――――ン。 「あれ? ―――――?」  ルーの声が一瞬耳に届いた。  でもすぐに音は皆掻き消える。聞こえてくるのは、何より澄んだ透明な…あの音だけ。  また、移動するんだ。  ルーがこちらに駆けて来て、きょときょとと辺りを見回しながらオレの左手を掴んだ。  オレは流石にもう落ち着いた心持ちで、全てを達観することができた。  時が止まり、空気が止まる。大気が液体になったように揺らいで、色もだんだん薄れていく。  その時。ジジッと、目の前にノイズが走った。 「…あれ?」  ちょっと違う。  さっきまでの移動とは違った、妙な感じがあった。  空間が揺らぎ、風景が消えて現れる。けれども現れた風景は定まろうとしなかった。  危なっかしく波打ち、水面の虚像のようにあやふやだ。水の中に投げ出されて、そこに写るものを見ているような感じだった。 「セク兄ちゃん、揺れてるね」  ルーの声が聞こえる。不安定な空間の中、安定しているのはオレたちだけ。ちょっぴり不安なのか、ルーの手がきつくオレの手を握ってくる。  安心させるようにルーの小さな右手を握り返した時、揺らいでいた画面が穏やかになった。映像を見ているような感じは排除されないものの、さっきよりはよほど安定した光景が広がる。  ・・・・・・林が現れた。樹がたくさん密林している、大きな林。さっきまであの若い樹があった場所に、どっしりした樹が立っていた。  すぐに、この場所の未来の映像だとピンと来た。ルーもわかったのだろう、うわぁと輝いた声を漏らしている。  ・・・・・・次に、森が現れる。さっきよりも、もっと緑が深くなった感じ。樹も、一回り以上大きくなっている。大分貫禄が出てきた。  ・・・・・・もっと深い深い緑の樹の群れ。どんどん樹が大きくなっているのが分かる。そして、緑が安定していくのも。  ・・・・・・そして。 「……あ」 「あれー?」  オレたちは思わず声を上げた。  あの、オレたちが一番最初に来た大樹が写っていた。どうしてわかるかって? だって、オレがいる。オレとルーとクノンとジークが。大樹の周りで、ポカンと上を見上げている。…そか、あの木の芽は、この大樹だったんだ………。  景色は、まだ変わり続けていた。  ・・・・・・大樹。もう、どれだけ大きくなったのかは分からない。でも、まだまだ成長しているみたいだった。幹は少しづつ太くなっていて、周りの樹も負けじとぐんぐん伸びていて。  どんどん、どんどん、風景が加速していく。  …いつまで続くんだろう、そう思ったとき。 「っわ・・・・・!!」  光。  白い光が、あたりを満たした。  あまりの眩しさに、オレは目を閉じた。  光がやむ。何事も無かったかのように、空間は風景を写していた。  目を開いてソレを見たオレは、絶句した。  赤土の大地だった。 「あれ? はじめの場所だねー、セク兄ちゃん」  …ルーがのほほんと言う通り、風景は、一番はじめに戻っていた。  赤土の何もない大地。命は何も見つからない。  死界が、揺らぎながらそこに存在していた。  そして、また変わっていく。  一本の樹、草原、林、森、・・・・・・・猛スピードで、風景は移り変わる。  そしてまた、光。  再度、赤土の大地。  オレの脳内に、大樹に着く前に見た幻視の風景がまざまざと甦ってきた。  美しい青と緑。白い物体。白い閃光の後、一面に広がる凄惨な光景。 「・・・・・っ」  体がガタガタ震えだした。細胞の一つ一つが、恐怖に慄き怯えだす。  …これは、何だ?  オレは、何を見ている?  これは本当に、はじめの光景なのか?  もしかして、これは・・・・・・・・・・・。  オレは推測でしかない、恐ろしい考えを吐き出した。 「・・ずっと、ずっと・・・・未来の光景・・・」 「え?」  消え入るようなオレの囁きに、ルーが疑問の目を向けた。でも、それに答えてやる余裕は、今のオレにはまったく無かった。  とにかく、怖かった。混乱して、わけがわからなくて、・・・・オレは口を開いた。 「……聞いてるんだろ、らっきょ」 「…セク兄ちゃん?」  見えないらっきょに向かって話し始めたオレを、ルーが不安そうに見上げる。 「…これは、未来なんだよな。お前が見せてる、未来の光景なんだろ? これからの世界。永遠に繰り返し続ける、オレたちの世界なんだよな」  返事はない。でもオレは構うことなく喋り続けた。…怖かったんだ。そして。・・・・きっと追い詰められてたんだ。こんな光景を見せられて。  オレは、なんとなくわかってしまっていた。らっきょがオレたちを連れて来た訳、その目的が。 「…なあ、らっきょ。どうしてこんなもん見せたんだよ。…オレたちに何とかして欲しいのか? 連鎖を止めろ? 争いをやめさせろ? 破壊するな? 繰り返すな?」  延々と揺らぎ続ける不確かな空間の中、オレの声だけがはっきりと辺りに響いていく。ルーもクノンもジークも、黙ってオレの言葉を聴いているようだった。  オレたちを連れてきた、らっきょの目的。気付いてしまったオレは、その重さに耐えきれなかった。一つ一つ口にする度、その重さが、あの光景が、オレに圧し掛かった。  …できるだけ抑えていた感情が、ふいに限界を超えた。気持ちの昂ぶりを宥められず、思わずオレは声を荒げた。 「やめろよっ、無茶言うなっ! オレたちはただの子供だっ。変な力はあるけど、そのせいで異端扱いされてる、ただのガキなんだよ!! 力なんて……力なんてなにも持ってないんだよ!!!」  しんと、辺りが静まり返った。オレの叫び声は染み入るように大気に溶け込んでいき、静寂の中にまぎれる。  ・・・・そうなんだ。音なんて、巨大な静寂の中じゃ無意味に等しい。あっという間に飲み込まれて、吸収される。強者・多者・大人・常識の前では、弱者・少者・子供・異端は、何の力も持たないんだ。  オレはずっと昔に、そのことを知った・・・・・・・・・。 「…帰せよ………」  声が、しわがれた。自分でも思っていない、今にも泣きそうな声が口から転がり出た。 「っ、もう帰してくれよ!!!!」  情けない、逃げるなんて。  そう思ったけれど、もう限界だった。・・・・・オレの、心の。  リィ―――――――ン。  待ちわびた、音が響く。  細胞の一つ一つを、揺さぶる音。  浅いまどろみへと誘うあの音に、肌が泡立った。  髪の毛の一本一本が、細かく震えるようだった。 「・・・・・・らっきょー・・・」  ルーの寂しげな声が聞こえた。  オレは目を閉じ、項垂れ、思考を放棄した。  …空間が歪んだのを感じた。静寂の中、音が舞い戻って来る。  大気のざわめきと、生き物の囀りと、心臓の音。  同時に、動き始めた大気が、露出した肌を撫でた。軽い湿気が纏わりつく。  ・・・見ずとも分かった。  オレたちは、大樹の前に、戻ってきていた。  * * *  セク兄ちゃんは、ピクリとも動かなかった。  僕はどうしていいのか分からず、握られたまんまの手を、おんなじように握り返していた。  クノンがそっと近付いてきて、セク兄ちゃんの足元に擦り寄った。俯いてる兄ちゃんの顔を見上げ、小さく鳴いた。セク兄ちゃんは、黙ったまんま。クノンは悲しそうな顔をし、ただ無言でセク兄ちゃんの足に顔を擦りつけた。 「……セク兄ちゃん…」  僕は名前を呼んだ。でも、続ける言葉が思いつかない。  どうしようもないから、僕はなんとなく、らっきょの姿を探して上空を見上げた。でも、いそうな気がしたのに、らっきょは何処にも見あたらなかった。  …もう、行っちゃったのかな。帰してくれてありがとうって、まだ言ってないのに。(らっきょに連れてかれたんだけどね)  戻ってきた大樹の風景は、少しも変わっていなかった。時間も、まったく経っていないように感じる。ほら、太陽の光が同じ位置からこぼれてるし。  なんだか、夢だったのかな、って思えてくるくらいだ。でも、夢じゃないのは、無くなった僕の水筒が証明してくれている。きっとね、この大樹の根っこのどこかにあると思うよ、僕の水筒。だけど、多分ずっと深くに埋まってるんだろうな。(じゃあ証拠にならないかぁ…)  …セク兄ちゃんは、俯いたままだ。  僕、どうすればいいのかな・・・・・・・。 「……人間なんて」 「ほえ?」  ポツリ、とセク兄ちゃんが口を開いた。顔を覆った茶色い髪の毛の隙間から、ゆっくりと、言葉が落ちてくる。 「人間なんて、生まれなきゃ良かったんだよな…」 「…兄ちゃん?」  淡々とした兄ちゃんの声に、僕の背筋がゾクゾクッとした。…氷みたいに、冷たい響き。僕は、そのセク兄ちゃんがちょっと怖くて、早くもとの何時も通りのセク兄ちゃんに戻って欲しくて、手をぎゅっと握り締めた。  でも、セク兄ちゃんの様子は変わらなかった。僕じゃなくて、どこか違う場所に向かって語りかけているようなままだった。 「人間が消えれば、争いはなくなるんだ。誰も自然を破壊しない、ミサイルも落としたりしない。そんなバカなことをするのは、人間だけだもんな。だから、人間さえ消えてしまえば、世界は平和になるんだ…無意味な争いも消え、同じことを繰り返すことだってなくなる……」 「・・・・・」 「……答えは、簡単なんじゃねえか」 「・・・・・」 「人間を滅ぼせば、…全部良くなる。丸く、収まる」  言葉が途切れた。  ぎゅっととても強い力で、セク兄ちゃんが僕の手を握った。あまりの力の強さに、僕は悲鳴を上げそうになったけど、なんとか堪えて、ぶるぶる震える兄ちゃんの顔を見上げた。  痛くて、悲しい顔だった。唇をかみ締めていて、今にも泣いちゃいそうで。 「・・・・なのになんでっ!! なんでアイツはそうしねえんだよ!!!!!」  そう叫び声を搾り出したとき、透明なしずくが一滴、宙に舞った。  すぐにそれは地面に落ちて消えてしまったけれど、僕は一瞬のその水晶のような輝きが、とても綺麗だと思った。  …けれど、こぼれた涙はそれだけ。セク兄ちゃんは、泣かなかった。  でも僕には、セク兄ちゃんがいっぱいいっぱい泣いてるのが分かった。  だって繋いだ手から、セク兄ちゃんの悲しい気持ちがいっぱい、伝わってきたもの。  僕は、一生懸命考えた。  考えて考えて、…やっと、言葉を見つけた。僕の気持ちを表せることができる言葉を。 「…あのね、セク兄ちゃん」  恐る恐る、僕は口を開いた。  黙ったままのセク兄ちゃんに、そっと、話し出す。 「僕ね、セク兄ちゃんが死んじゃったら悲しいの」  セク兄ちゃんは動かない。多分、何を言い出すんだろうと思ってるんだよ。でも、僕は上手な言い方を知らないから、自分の考えた言葉を一生懸命連ねるしかない。だから挫けそうになりながらも、必死で喋り続けた。 「じっくーが死んでも、クノンが死んでも、悲しいの。だって、友達だもん」  自分の名前を出されて、じっくーが僕の後ろから顔を出した。空いてる左手でその鼻をなでなですると、じっくーは喉を鳴らして目を細めた。 「…でもね、セク兄ちゃん。僕、知らない人でも悲しいの。死んじゃったりしたら・・・・やっぱり悲しい」  聞いてるかな? 分かってくれるかな?  不安がは後から後から溢れてきたけれども、僕は一生懸命思ったことを言葉にし続けた。 「だからね、きっとね、……らっきょも、悲しいんだと思うの」  セク兄ちゃんの肩が、ピクッと震えたような気がした。僕は考えて言葉を繋げる。 「らっきょもね、悲しいんだよ。死んじゃったら、悲しいの。・・・・・僕たちは、悪い子なのかもしれないけど、でも、でもね」  セク兄ちゃんが言うように、僕たちは悪い子なのかもしれない。いじめっこなのかもしれない。  だけどね、僕は、いじめっこに死んで欲しいなんて思わないよ。いじめないで、って言うかもしれないけど、死んじゃうのはヤダ。  だって・・・・・だってね・・・・・・・。 「……この世界に住む、同じ命だから……」 「セク兄ちゃん!」  ハッとして顔を上げると、セク兄ちゃんが正面を見据えていた。その目はまだ何処か遠くを見ている、でも、確かに光が戻ってきているようだった。緑の目の奥に、小さな光の影が見えた。  クノンが、細く鳴いた。セク兄ちゃんは顔を下に向け、小さく笑ったみたいだった。 「…人間なんて、見捨てたほうが絶対ためになるのにな……」  バカだぜ、ホント。そう言うセク兄ちゃんの顔には、何時もと同じ…とまではいかないけれど、それに大分近い優しい笑顔が浮かんでいた。  そうして僕のほうを向くと照れたように笑って、「心配かけてごめんな」って、僕の頭を何度も撫でてくれた。  ふっきれた、のかな? 僕の言いたいことが、伝わったのかな?  よくわからなかったけど、僕は目を細めてニッコリ笑顔を浮かべた。  そう、むずかしいことはまだわからない。でもね。  僕は単純に、セク兄ちゃんがまた笑ってくれたことが、とってもとっても嬉しかったんだ。 「・・・・・・キャッ?」  大樹の上方、太い枝の上では、黄緑トカゲが金色の鎖時計を手にしながら、下の僕らの様子を首を傾げて見下ろしていた。 「らっきょ、もう会えないのかなぁ」 「・・・・・・・・さあ、どうだろな」  帰り道。森を抜け出して海の上。セク兄ちゃんの家に向かってのんびりと海を波乗りするじっくーとクノン。  じっくーの上に乗った僕は、同様にじっくーの上に乗ったセク兄ちゃんと、らっきょ妖精の話をしていた。  僕の後ろに座っているセク兄ちゃんに寄りかかりながら、ね?と聞いてみる。 「会いたいよね、セク兄ちゃん」  ちょっと迷ってから、セク兄ちゃんは気まずそうに頷いた。 「そだな。・・・・・ちゃんと謝りてえし」  寄りかかった僕の体をぎゅーっと抱きこんで、ぼそっとセク兄ちゃんは言う。僕はセク兄ちゃんの珍しいそのフクザツな表情が面白くって、ケラケラ笑った。  そうして、ずっと考えてたことをセク兄ちゃんに提案してみた。 「ねえねえ兄ちゃん、僕ね、らっきょに会えなくても謝れる方法わかるよー?」 「あ?」  僕の言葉に、セク兄ちゃんはちょっと興味を持ったみたいだった。言ってみろ、と目で促してくる。  僕はセク兄ちゃんに抱きこまれたまま、胸を張って大威張りで言った。 「んとね、戦争しないで、繰り返さないで、壊さなきゃいいの!」  ・・・・・・・・・・・・。 「……あれ?」  真上にあったセク兄ちゃんの顔が、横を向いた。その口から大きな溜息が出る。  ・・・・・あれ? なにか、ダメだったのかなぁ? 「いや、ダメっていうか、それはそうなんだけど・・・・・」  セク兄ちゃんが渋柿を食べたような顔をして言う。 「・・・・・お前、簡単に言うよな」  …簡単じゃないの? だって、喧嘩しないだけでしょ? 仲良くするのって、簡単だよ? 「世の中全部が、お前と同じ考えを持ってるわけじゃないんだ」 「喧嘩するのが好きな人がいるの?」 「いるところにはな」  ふーん。変なの。僕がそう言うと、セク兄ちゃんは苦笑して、「違いないや」と言った。  そうして、世の中全部の人がルーみたいだったら喧嘩なんか起こらないのになぁ、と呟く。  むぅ? 世の中全部の人が……僕? 僕はちょっと考えてみた。 「…だっ、だめぇ!!!」 「は?」  慌てて否定した僕に、セク兄ちゃんがナンデヤネンという顔をした。  だ、だってだって・・・・・・。 「そしたら、僕がセク兄ちゃんと遊べなくなっちゃうもん!」  みんな僕になっちゃったら、みんなセク兄ちゃんと遊びに行っちゃって、僕がセク兄ちゃんと遊べなくなっちゃうよ。  それはイヤ。そんなのダメ。絶対ヤダったらヤダ!! 「……ぷっ、はっはっはははは!!!」  突然、セク兄ちゃんが笑い出した。あはははと、すっごい可笑しそうに笑い続ける。  …なんで笑うの、セク兄ちゃん。 「いっ、いやな。…そんな、大量のルーがやって来るところ想像したら……くくっ、あーっはっはっはっは」 「セク兄ちゃん! 僕、真剣なんだよ!?」  怒ってみても、兄ちゃんの笑いは収まりそうになかった。ひたすら笑い続けてる。(きっとアエカおばさんが言ってた「ワライキノコ」って言うのを食べたらこんな風になるんじゃないかなぁって勢い)  それで、当然のことながら笑われてる僕(正確には「大量の僕」)は面白くないわけであって。数分後、不機嫌な僕に何度も何度も謝るセク兄ちゃんの姿があったのは…言うまでもないよね。 「・・・・・ねえ、セク兄ちゃん」 「んー?」  機嫌を直した僕は、またセク兄ちゃんに声をかけた。  兄ちゃんの返事がして、僕は確認するように尋ねてみる。 「未来って、変わるよね」  青い空を見上げていたセク兄ちゃんが、「おう」と顔を上げたまま肯定した。  僕は、もう一つ聞いてみる。 「僕たちが、変えるの?」  セク兄ちゃんが、こちらを向いた。  まじまじと、奇妙なものを見たって顔で僕を見て、それから、とても楽しそうに笑った。 「お前、時々すっげえこと言うよなあ」  そうして、くるっと後ろを振り返った。僕もつられてそっちを見返す。…もう結構遠くになってしまっている、あの島は。  少しの間あの緑の島を見続けてから、セク兄ちゃんは口を開いた。 「うん、そうだ。オレたちで変えようぜ」  セク兄ちゃんに笑いかけられ、僕はちからいっぱい「うんっ」と頷いた。  海はまだ青くて、空もまだ青い。島は緑だし、僕たちも生きている。  でも、これが消えてしまう日がいつか来るのかもしれない。  海が無くなって、空が白くなって。大地が真っ赤に、命がまっさらに。  そんなふうになってしまう日が、また来ちゃうのかもしれない。  僕らはとても無力だけど、何もしなければ本当に何も変わらないから。  少しでも良くなるように、同じことを繰り返さないように。  目の前にあるのが同じ道でも、そうやって気をつけて歩いていけたらと思う。 「ルー、お前簡単に頷くなよなー」  それがどんだけ大変な事なのかわかってるのかー?と笑いながら、僕の頭をグリグリしてくるセク兄ちゃんから身を避けながら、僕は「わかってるもん!」と言い返した。  温かな潮風が僕とセク兄ちゃんの隙間を通り過ぎて行き、大樹に引っ掛かった太陽が僕らを見送っている中。  僕は確信犯の笑顔を浮かべて、こう続けた。 「だいじょぶだよっ、だってセク兄ちゃんと一緒だもん!」  じっくーが振り返り、クノンが鳴く。  海の白い雫のように、僕とセク兄ちゃんの笑い声が海と空に弾け飛んだ。  …青い海を横切る二つの影、それを遥か上空から緑色の妖精が見下ろしていた。  らっきょ頭の妖精は、その小さな口元に小さな微笑みを浮かべると、涼やかな音を響かせて、また、どこか違う時空へと渡って行った。  その天空を震わすような鈴の音は、海空へと響き行き。 そうして、まだ見えない未来へと、溶け入るように消えていった。  *** 20040114  *** 20040205  完成  *** 20040206  訂正(1)  *** 20040209  訂正(2)