月とバナナ     1.  長い旅路の果てに、エレブーはポケモン村にたどり着いた。  ポケモン村は人里を遠く離れた山奥にひっそりと存在し、そこではポ ケモン達が平和に暮らしている。ポケモン達が平和に暮らすポケモン村 ではあまりにも安直ではないかと怒る人がどこかにいるかもしれない が、そういった俗な声もこのポケモン村までは届かない。村の入り口に は墨の大きな文字で『ポケモン村』と書かれた看板が立っている。書い たのは自称お絵描き書道家のドーブルさんで、誰かれかまわず会うたび に必ず『あれはワシが書いたんじゃ』と言うので少し煙たがられてい た。  とにかく誰がなんと言おうとここは昔からポケモン村なのだった。  平和なポケモン村……かつての住処を追われた僕にとって、ここは最 後の楽園となるのだろうか……などと感傷的なことを考えながら歩いて いると、エレブーは村の広場らしき場所に出ていた。まずはとりあえず 住む場所を見つけなければならない。  誰かに尋ねようと思ったが、広場には誰もいない。いや、いることに はいる。でもど真ん中で大いびきをかいているあのカビゴンは絶対起き そうにないのでひとまず無視することにした。しかしなぜ昼間からこう 誰もいないのだろうか。  ザパン。  エレブーが首をひねっていると、小さな池から誰かあがってきた。人 間の分類では「まぬけポケモン」などと呼ばれているポケモン、ヤドン だ。いかにも暇そうに見える。人間から見たら年中暇そうに見える生き 物だが、やはりそこはポケモン同士通じ合うものがあって、暇な時とそ うでない時のコンマ数ミクロン単位の違いはなんとなくわかるのだっ た。  いささか心もとない気はするが、エレブーは人間の分類では「まぬけ ポケモン」などと呼ばれているヤドンにきいてみることにした。とこか に住める場所はないか、あとどうして昼間から広場に人気がないのか。 「こんにちは、ちょっとお聞きしたいんですが」 「何してるヤン、こんなとこでボサッとしてたらアイツらが来るヤンよ」  ヤンというのは関西弁が変なのではなくてヤドン族の語尾である。 「え、アイツらって……?」  皆まで言わせず、人間の分類では「まぬけポケモン」などと呼ばれて いるヤドンはエレブーに背を向け、のそのそヤンヤンと池の中に帰って いった。  一体アイツらとは誰なのだろう。考えてわかることでもないのにエレ ブーはその場で腕組みをして考え込んだ。  アイツらはすぐにやってきた。アイツらは怪獣みたいなポケモンと、 人型に近いポケモンだった。怪獣の方にはエレブーも見覚えがあった。 あれは確かバンギラスだ。しかし人型の方は初めてみるポケモンであ る。手足と顔が白く、胴の一部が紫色、長い尻尾がある。奇妙なこと に、体中が紫の炎の様なもので覆われていた。  その二人は仲があまりよろしくないのか、互いに攻撃を仕掛けあいな がらこっちに向かってきている。  平和なポケモン村とはいえ、ケンカや小競り合いがあるのは当然だろ う。しかしこのバトルはそういったレベルを遥かに超越していた。人間 の分類で言うと「四天王級」あるいはそれ以上の攻防。「まぬけポケモ ン」などというのほほんとした響きはどこにもない。   バンギラスが足を踏み鳴らして地震を起こすと、人型ポケモンは紫の オーラを脚部に集中し、驚異的なジャンプ力で空中に離脱する。バンギ ラスの視線がそれを追う。 「ゲハアアアアアアアア!!」  バンギラスの口から"破壊光線"が迸る。人型はそれを避けることもせ ず、空中でまともに受け止めた。光の乱反射とすさまじい轟音があたり を満たしたが、それが収まると、人型はなんでもないような顔でバンギ ラスを見下ろしていた。その右手には黄金色に輝く光の盾のようなもの が見える。"バリアー"だ。バンギラスの破壊光線は片手で防がれたの だ。  歯軋りをするバンギラスに、今度は人型が攻めに転じた。空中で両手 を掲げ、作り出した暗黒の球体"シャドーボール"を発射。バンギラスは それを、胸の前で交差した両腕で受け止め、力任せに掻き消した。口の 端をニヤリと歪め、人型に向き直ったバンギラスに、追撃の冷凍ビーム が直撃する。半身を氷漬けにされ、目を剥くバンギラスの前に人型は降 り立ち、すいっとまるで指揮棒のように"ゆびをふる"。闘争心を剥き出 しにしているバンギラスとは対照的に、人型は息ひとつ乱さず、表情は 冷徹そのものである。 「ゲハッ……ちょっ、待っ」  バリバリドカーン!  今のいままで晴れていた空をなぜか急に雷雲が覆い、そこから落ち た"かみなり"がバンギラスを直撃した。  また人型がすいと指を振る。  池の水がなぜか大きくうねりを帯びて巻き上がり、"ハイドロポン プ"となってバンギラスに襲い掛かった。  指を振る。  バンギラスの周りにだけなぜか"ふぶき"が発生する。  指を振る。  どこからともなくなぜか"ソーラービーム"が。 「グハアアアアアアアア――――!!!」  バンギラスはなぜか都合よく繰り出される最強技にも耐え、最後の力 を振り絞って覆いかぶさるようにして人型を捕らえた。最後の力で"か みくだく"攻撃を仕掛けるべく、口を大きく開ける。  すっ、と人型が全身の力を抜き、後ろに倒れこんだ。とっさのことに バンギラスの体が前方に泳ぐ。人型は、跳ね上がった足でバンギラスを 完全に宙に浮かせ、そのままグルグルと回転して遥か後方に投げ飛ばした。  "地獄車"だ。  ドオオオオオオン!  バンギラスはギュルギュルと、縦だか横だかもわからないめちゃくちゃ な回転をして、頭から地面に突っ込んだ。ドリルのように土を掘り返 してどんどん埋まっていき、足だけを残して後は全部めりこんだ。「い わ/あく」のバンギラスに対して、地獄車のタイプは「かくとう」、決 まった四倍攻撃。  こうかは ちょうばつぐんだ! 「フン、百万光年早いぜ」 「百万光年は時間の単位じゃない……距離だ!」  遠くに避難して見学していたエレブーはつい大声でいってから「しまっ た!」と思った。人型がこっちに気付いた。近づいてくる。やばい、 因縁をつけられたら勝ち目はない。逃げようにも相手は空を飛べるの だ、追いつかれないはずがない。距離はどんどん縮まっている。  うーわー!おい誰だ最初の方で平和なポケモン村とか言ったのは。責 任者を出せ!もちろん責任者は出ていかない。とかなんとかやっている うちに人型はもう目の前まで来ていた。 「見かけない顔だな」  間近に見るとかなりの体格差がある。それでなくても全く表情の読め ない顔が怖い。エレブーが冷や汗たらたらでひたすらうろたえている と、人型が突然にっこりと笑った。 「俺はミュウツー。ツーでいいぜ。あんたは?」 「え……その、えーと、エレブーです。今日この村に来ました」 「そうか。じゃあまあ、わからないことがあったら何でもききなよ」 「なんだ、ツーさん良い人っぽいじゃないか。急に緊張が緩んだものだ からエレブーはさっきまで聞こうと思っていたことをすぐには思い出せ なかった。何かあったはずなんだけど何だっけかな。そうだ、なんで昼 間から誰もいないのか聞こうとしたんだった。でもそれも今となっては なんとなくわかっちゃったしなあ。  そっちは副次的な質問で、本当は住む所を探していたのだが、頭から スコーンと抜け落ちていた。  寝転がっていたカビゴンがのそりと起き上がるのが、ツーの背後に見 えた。カビゴンは横に差してあったスコップを取ると、まだ地面に突き 刺さって犬神家の一族みたいになっているバンギラスの横までタプタプ とお腹を揺らしながら歩いていって、大根でも収穫するみたいに掘り出 し始めた。なるほど、そのためにカビゴンはここに寝ていたのか、など と感心しているうちに掘り出されたバンギラスが意識を取り戻し、ヨタ ヨタドスドスこっちに走ってきてツーの後ろでピタリと停止した。これ だけ無遠慮に音を立てておいて不意打ちでもないだろう、エレブーは別 にそのことについては何も言わなかった。というか、もう見るからにく たくたのボロボロで、戦う体力など間違っても残っていなさそうである。 「……ツー姉さん……好きだあ……ガクリ」  ちゃんとガクリまで言ってバンギラスはまた気絶した。  ツー姉さん?  今のはちょっと衝撃的だったぞ。 「えっ、ツーさんって……」  メスだったのか!  そう言われてみれば睫毛が少し長いような気もする。 「おう、悪いか?」 「い、いえぜんぜん」 「ふん、オレより弱い奴なんか眼中にないねって冗談で言ったら、こい つ弱っちいくせに何度も挑んできてよお。うんざりしてんだ。オレ、平 和主義者なのにさ」  まあオレとまともに勝負できるのなんて二丁目のデオ爺さんくらいだ けどな、と言ってはははと笑う。いやまあ、別にいいんだけど、あれだ けやらかしておいて平和主義者ってそれは嘘だろうとエレブーは思っ た。  向こうの方で、バンギラスを掘り起こし終わったカビゴンがまだ寝転 がっていた。お腹がまだタプタプと揺れていた。 2.  ツーの紹介で、エレブーは一本の大木の根に空いている大きな洞をす みかに決めた。管理人のカモネギさんは「今ワンルームしか空いてない けどいいカモ?」と言っていて、木の洞にワンルーム以外の何があると いうのか、と気になったが質問はしなかった。長旅で疲れていた。  肩にかけていた革袋を投げ出し、わらを敷いた寝床に寝転がる。さて 住む場所は見つかった。これからどうしようか。村の中で生きていく以 上、何らかの役割を果たさなければならないだろう。それもまあ、おい おい決めていけばいいか、とりあえず今日は眠ろう。  しかしエレブーはなかなか寝つかれなかった。根無し草のうちはそん な余裕がなかったが、ひとまず新しい場所に落ち着いた今、昔のことを どうしても思い出してしまう。エレブーは眠るのを諦め、起き上がって 革袋を引き寄せた。中には木の実やパンの食べ残しと、イナズマ型の赤 いエレキギターが入っていた。それは何年か前に街のゴミ捨て場で拾っ たものだった。ボディに所々キズがついてはいたが、特に不調もなく、 アンプ内蔵型だったため、しっぽから電気を流せばすぐに音が鳴った。 拾ってから今までずっと、それはエレブーの宝物だった。  そう、かつてのすみか、無人発電所では毎日このギターを掻き鳴らし て、ポケモン達の喝采を浴びていたのだった。電気が豊富にあり、たま に入るメンテナンスの他にはほとんど人が立ち入らない、その発電所は 電気ポケモンにとってまさに楽園だった。  発電所の気ままな生活に、運命の日は何の前触れもなく訪れた。  無人発電所のリニューアル、有人化にあたり、電力会社が電気ポケモ ンの排除に乗り出したのだ。電力会社の重役たちは、大勢のポケモント レーナーを率いて、発電所の明け渡しをポケモンたちに要求した。  要求したと言ったって日本語が通じるのか、と誰もが思うところだ が、無人発電所には雷の神、日本語どころか12ヶ国語くらいは余裕で解 するサンダーさんがいた。このピンチもサンダーなら……サンダーなら きっとなんとかしてくれる。電気ポケモンたちはそう信じて疑わなかっ た。 「奢れる愚かな人間どもよ!神に近きポケモンの実力、その目にしかと 焼き付けるがよい!」  しかしそう言って雷鳴を背に出陣したサンダーさんが1ターン目のマ スターボールで捕まってしまったのは大きな痛手だった。あれで発電所 内の「断固抗戦!」の士気はがた落ちしたのだ。結局それから大した抵 抗もできないまま、無人発電所は落城した。恨めしいのはシルフカンパ ニーの技術力である。  その後、ある者は観念してトレーナーにゲットされ、ある者は逃げ出 し、半野生から完全な野生へと帰った。ポケモン村にたどり着くまでの 道中に聞いた風の噂によれば、そのサンダーさんもトレーナーと一緒に 苦難の道を乗り越え、ポケモンリーグ殿堂入りを果たしたという。 「サンダーさん、僕も頑張るよ」  エレブーはギターを壁に立てかけ、今度こそ眠りに落ちた。 3.  次の日、朝早く起きたエレブーは管理人のカモネギさんに場所をきい て、村長の家に挨拶に行った。村長の家は瓦葺きのちゃんとした日本家 屋だ。お手伝いのキルリアさんが縁側でお茶と草もちを勧めながら、こ の家は大工のハリテヤマ親方たちが建てたのよと教えてくれた。  村長のフーディンさんは、遊びにきていた自称お絵描き書道家のドー ブルさんとポケモンカードに興じていた。冒頭でも書いたようにこの人 は誰かれかまわず会うたびに「あの入り口の看板はワシが書いたんじゃ 」と言う。新入りのエレブーも例に漏れず、ワシが書いたんじゃの洗 礼を受けた。  看板はいいけどポケモンカードって、よくわからないけどそんなの出 してまずいんじゃないの、とエレブーは思った。 「これは昔のう、友達と交換したんじゃ。わしは曲がったスプーンをあ げてのう」  スプーンをクルクル回して手を触れることなくカードをシャッフルし ながら、フーディンさんは言った。 「あの頃ワシはまだユンゲラーじゃった。思い出すのう……訴えられて アメリカの法廷まで呼ばれたり……あの頃はやんちゃしたもんじゃわい」  今のゲーフリにはとてもできんことじゃ、とも言っていたがエレブー には何のことだかよくわからない。 「でも一本しかないスプーンあげちゃって……」 「おかしなことを言うのう、スプーンなんてほれ、食堂にいくらでもあ るじゃろうが」 「えっ!あれって唯一無二の神秘のスプーンとかじゃなかったんです か!?」  なんだかフーディンさんの持っているスプーンが一気に安っぽいイメ ージになったなあ。でも弘法筆を選ばずとも言うしな、とエレブーは好 意的に解釈しておくことにした。 「まあなんじゃ、来たばかりでなにかとわからんこともあるじゃろう。 なんでも訊くとええよ」  と言ってフーディンさんは草もちをひとつ頬張った。 「うむ、美味い。そうじゃキルリアさん、ひとつ二丁目のご隠居にもお すそ分けしてきなさい」  キルリアさんははーいと返事をしてパタパタと出かけていった。 「ああそうだ、そういえばひとつ気になっていたんですけど、この村の 広さってどのくらいあるんですか?」 「む、広さ……広さか。広さねえ。そうじゃのう、ざっくり言ってオース トラリアくらいかのう」  エレブーはずっこけた。 「待たんかいそんな広いわけあるかあ!ポケモン村ゆうてもお前ニッポ ンの中ぞ」   と突っ込んだのはエレブーではなくてドーブルさんだった。この人も 「あれはワシが書いたんじゃ」以外のことを言えないというわけではな い。 「そうかのう、じゃ、25ヘクタールくらいかの」  一足飛びにすごく具体的になる。まあ測ったわけじゃないから正確な ところはわからんのじゃがの、といったところで広さの話はうやむやに なってしまう。 「ところでエレブーくん、村の一員になる以上、君にも何か仕事をして もらわねばならんのじゃが、何かアテはあるかの?君は電気タイプじゃ から発電に回ってもらうのがええと思うんじゃが」  ポケモン村も自然物のみで成り立っているわけではなく、たまに人間 の社会から捨てられている電化製品を拾ってきて、直せるものは直して 使っているらしい。 「あの、僕、できれば音楽をやりたいんですが」  フーディンさんは「ほっ?」と意外そうな顔をした。 「音楽か、ふむ、そういう前例はないのじゃが……」  そこでフーディンさんは言葉を切り、ヒゲを撫でながら遠くを見つめ た。何かあるのかなとエレブーがその視線を追うと、バクオングがひと り、歌と呼んではあまりにも歌に失礼な爆音を撒き散らしながら畑のあ ぜ道を行くのが見えた。手押し車で野菜を運んでいる。さっきから遠く の方でダムか何か造る工事でもしているのかなと思っていたらあれだっ たのか。 「うほん、前例は……まあないでもないのじゃが、うーむ、たしかにちゃ んとした音楽家がひとりいると楽しいかもしれんのう」  そういうことなら、一週間後に村のお祭があって、ステージで村の住 人が出し物をやることになっている。まずはそれに出てみてはどうか、 とフーディンさんは言った。  それは願ってもないことです、とエレブーが言う前に、横で聞いてい たドーブルさんがバシンとエレブーの肩を叩いていた。 「よっしゃ、そのステージの演出はこのお絵描き書道芸術家のドーブル さんに任せえ!サントアンヌ号に乗ったつもりで待っとれ、かっかっ か!」 「あ……ありがとうございます」  でもあの船、いつだったか一度沈没してたよなあ。  4. 「お祭りか」  夜、部屋に戻ったエレブーはギターを爪弾いていた。いくつかのコー ドを取りとめもなく行ったり来たりして、やがてそれはひとつのメロデ ィとなって狭い部屋に流れる。人前で演奏するのなんて、発電所を出て 以来、本当に久しぶりのことだ。うまくいくだろうか。 「青い青い、静かな夜には……オイラ一人でテツガクするのニャ」  やがてエレブーの口から唄がこぼれ出した。ポケモン村に着くまでの 旅路、ある月のきれいな夜に、原っぱに座ってこの曲を弾いているニャ ースと出会った。ギター弾き同士で意気投合し、無人発電所を追われた こと、噂に聞いたポケモン村を目指して旅をしていること、お互いの身 の上話から始まり、色々なことを話した。なんでもそのニャースは、と ある特別なピカチュウをなんと1997年からずっと追いかけているという。 「オイラも帰る場所のない根無し草みたいなもんだニャ、ニャーたち仲 間だニャ。おみゃーも頑張るのニャ」  その時の丸い月の明かりと鈴虫の声、風の匂い、そしてニャースのど こか寂しげな笑顔は今でもよく覚えている。 「おつきさまがあんなに丸いなんて、あんなに丸いなんて……あんなに……」  静かなアルペジオは木の洞を離れて、星空の下をどこへともなく流れてゆく。 5.  三日目の朝。エレブーは挨拶がてらポケモン村を歩いてみることにし た。お祭りに向けて村中が少し浮かれた雰囲気に包まれているようだった。  広場ではハリテヤマ親方の指示のもとでやぐらが組まれ、その脇には ステージが設営されている。木箱を積み上げて上に板を載せただけの簡 単なものだが、広さはそれなりにある。池のほとりでは、あの人間の分 類では「まぬけポケモン」などと呼ばれているヤドンが管理人のカモネ ギさんと出店の準備をしていた。見覚えのある字体で「おこのみやき」 とか「かきごおり」と書かれたのぼりが見える。  祭の準備をしている者の他にも、シャボン玉で遊んでいるプクリンと ププリンの親子連れ、池からあがって文字通り甲羅干しをしているカメ ール、組み手をしているマンキーとアサナンなど、おとといはツーとバ ンギラスの戦いを避けて誰もいなかった広場が、今はとても賑やかだ。 その中に、エレブーと同じように暇そうに歩いているツーの姿があった。 「ツーさん、こんにちは」 「よお。木の住み心地はどうだい」  おかげ様でとても快適ですとエレブーがお礼を言うと、ツーはそりゃ 良かったと言ってグルリと首を捻った。 「もう見ての通り、村中祭り一色さ。お前は何かやんないのか?」  エレブーはフーディンさんの家でのやり取りをかいつまんで説明し た。ポケモン村で音楽をやっていく取っ掛かりとして、ギターの弾き語 りをやるつもりでいる。それを聞いてツーは感心したように何度も頷いた。 「ふうん、音楽かぁ。いいなあ、オレも何か出たいんだけどよ、何やる か決まってなくてな」 「じゃあツーさん一緒にやりませ……」  んか、とエレブーが言おうとしたその時、ツーの後ろからドスドスと バンギラスがやってくるのが見えた。ツーは振り向いて露骨に嫌そうな 顔をする。 「おいこら、そこのしましま野郎!ツー姉さんをたぶらかすんじゃね え!ツー姉さんは俺と夫婦漫才をやるんだか……」  らな、と言おうとしているバンギラスの前に、ツーが無言で指をすいっ と出し、チッチッと振った。おととい何もそこまでという無情の連続 攻撃を叩き込んだ"ゆびをふる"だ。エレブーは慌てた。 「ツーさん!こんなところで大技出したらお祭りの準備が全部吹っ飛ん じゃいますよ!」  後ろから腕を掴んで必死に止める。止めて止まるものじゃないことは 覚悟の上だったが、予想に反してツーはあっさりと指を下ろした。 「それもそうだな。オレとしたことが、悪かったよ」  ごめんな、と言ってポンとバンギラスの肩に手を置く。 「ツー姉さん!それよか俺、もう台本も用意してあるんです。これで村 中の笑いはもうドッカンドッカン、俺たちがどくせ……ゲハッ!く、苦 しい……こ、これは"どくどく"!?」  バンギラスは苦しいくるしいとしばらく唸っていたが、そのうちバタ リと倒れてピクリとも動かなくなった。公衆の面前で毒を盛って平然と しているツーさんって、実はものすごく恐ろしい人なんじゃないか。 「死にゃしないだろ」  ツーはクールに言った。まあたしかに、おとといあれだけやられて今 日にはもうピンピンしているのだから殺したって死なないのだろう。エ レブーはあまり気にしないことに決めた。こいつもこれでけっこうひど い奴である。 「ところでツーさん、まだ決まってないんだったら僕と一緒に出ません か、お祭り」 「え、いいのか?」  本人はなんでもない風を装っているつもりのようだが、ツーは100メ ートル先からでも「なんだか嬉しそうだな」とわかるような笑顔を浮か べていた。この人は表情に出やすいのか出にくいのか、今いちわからな いところがある。 「部屋を紹介してもらったお礼もまだしてませんし。それに実は僕もソ ロだとちょっと不安で……」 「♪えー、でもよお、オレあんまりうたうまくないしなー」  と言っているそのセリフにはすでにメロディがついていた。あ、この 人歌いたがりだ。エレブーは確信した。しかしステージで歌うなら嫌々 歌う人よりはもとから好きでしょうがない人の方が向いている。  不意にエレブーの足を誰かの手がぐわしと掴み、その感触に悲鳴を上 げそうになった。よく見ると、ずりずりと這いずってきた哀れなバンギ ラスだ。 「ツー姉さんが出るなら、俺も出る!……ガクリ」  またガクリまで言って気絶した。  かくして三人のバンドが結成された。  結成したはいいが、もう本番まで日にちがない。今日この瞬間からで も練習しないと、とても一週間後のお祭りには間に合わない。というわ けでツーがバンギラスをたたき起こし、さっそくエレブーの部屋で練習 が始まった。エレブーひとりだと丁度いい部屋も、ツーとバンギラスが 入るともうすし詰めである。しかし祭りの前に誰かに聞かれてしまうの もつまらないので三人は我慢した。  構成はエレブーのギターに、ツーとエレブーのツインヴォーカル、そ してバンギラスがどこからか持ってきたカスタネット。曲目と曲順は、 エレブーが無人発電所時代のレパートリーを一通り披露し、その中から 四曲を選んだ。  エレブーたちはそれから数日間、何回も通し練習を繰り返した。楽 器、歌、マイクパフォーマンス、いずれも完成度は着実に上がっていた が、三人は何か物足りなさを感じていた。 「どうもメリハリというか、楽器がギターとカスタネットだけだと迫力 に欠けますね」 「だなあ。だけどよお、もう本番まで日がねえぞ、今から新しいパート はちょっと無理じゃねえか?」 「俺、タンバリンもやりましょうか?」  うーん、と三人して唸っているところにドーブルさんとカビゴンが来 た。ドーブルさんが村長の家で「ステージの演出は任せろ」と言ってく れたのは口からでまかせではなく、練習中に何度かここに来て、エレ ブーたちと相談しながら照明やスモークなどの段取りを整えてくれていた。 「おうおうやっとるな皆の衆。かかか、ステージの首尾も上々だわい。 ほれ、差し入れ持ってきたぞ」  と言って背後のカビゴンを振り返る。 「随分大きな差し入れですね」  とエレブーは言った。 「違う違う、こいつは差し入れじゃなくて差し入れを持ってもらったカ ビゴンじゃ。なにしろたくさん持ってきたからな、年寄りの腰には余る わい。ほれカビゴン、出した出した」 「カビー」  カビゴンは面倒くさそうに一声吠えただけだった。どう見ても手ぶら である。この時点で三人は「ああ食べちゃったんだな」となんとなく想 像がついたが、ドーブルさんは目を丸くしていた。 「ややっ!差し入れのバナナが消えとる!これは奇怪な……」  芸術家の考えることは常人とは少しズレているようだ。 「ドーブルさんよ、ねこにかつおぶしって知ってるかい?」  ツーはしょうがねえなあ、と言ってカビゴンに近づき、しばらくその お腹を眺め、手の甲で軽く叩いた。たしかにこのお腹にはちょっと触っ てみたくなる魔力がある。  ポコン。  カビゴンは叩かれたのにも頓着せず大あくびをしただけだった。ツー の顔から笑いが消え、目つきは真剣になっていた。 「ツー姉さん、バナナくらいでそこまで怒らなくても」 「ちげーよ。……カビゴーン、悪りいんだけどちょっと大きく息吸って みて」  カビゴンがやはり面倒くさそうに、言われた通り息を吸い込む。大き く膨らんだ腹を、ツーがもう一度叩いた。  ドォン!  リズミカルに連打する。  タンッ、タッ、タタッ、ダララララ!! 「うおっ!ドラムだ!」 「思ったとおり、見事な"はらだいこ"だぜ。おいカビゴン、お前バナナ 食っちまったんだからよ、ちょっくらドラムとして働いてもらうぜ」  カビゴンは起き上がり、のそのそとどこかへ行こうとしたが、すぐさ まツーとバンギラスに取り押さえられた。 「大きな差し入れですね」  さっきのは冗談だったのになあ、とエレブーは複雑そうな顔をして言っ た。 「ああ、うん……そうね」  ドーブルさんもちょっと困ったような顔をしていたが、「まいいか」 と思い直したのか、すぐにかっかっかと笑った。 6.  そしてお祭りの日がやってきた。  ポケモン村の住人たちは夕方までに最後の準備を終えて、日がくれる のを待っていた。森は、木々にさげられたち提灯やランタンの光で幻想 的にきらめき、広場にはたくさんの夜店が出ている。  夜店が取り囲むその中心に、ステージは設置されていた。そこで毎年 ポケモン村の有志たちによるさまざまな出し物が披露されるのだ。イー ブイ・シスターズによる光のイリュージョン、ストライクとカイロス の"いあいぎり"合戦に客席は大いに沸く。そしてエレブーたちの一つ前 の演目はエビワラーとサワムラーによる漫才だった。 「はいどーもー、海老原沢村でーす」 「ありがとうございましたー」 「ってアホ!ありがとうございましたーやない、何をいきなり締めとん ねん!」 「サワさんサワさん、こないなとこで漫才やってる場合とちゃいますがな。 聞いてくださいよ、こないだうちのせがれとケンカになりましてね」 「ほう、仲良し親子のエビさんちでケンカとは珍しい。でもどうせあれ やろ、ダイパどっち買うかとか、そんなしょうもないことやろ」 「うん僕は断然パールってちゃうわ。せがれが学校の『しんろちょうさ』っ ていうんですか?将来エビワラーになるかサワムラーになるか決めて きなさいって言われてきましてん」 「まてまてお前、もういっこ選択肢があるやろ」 「カメダーのこと?」 「適当抜かすな!つかそれもボクシングやないかい!カポエラーはどう したカポエラーは」 「まあそれは置いといてやね」 「置くな置くな、お前あとでカポやんにどつかれるで。まあそれはええ わ。しんろちょうさ、うちらの時もあったねえ、あれは随分迷ったもんや」 「うん、あれは化石どっちとるかくらい迷ったね」 「なんでそこでいきなしニンゲン視点になる」  「そんなことよりかうちのせがれですよ、ヤツが何て言ったと思います?」 「さあ?」 「さあてアンタ冷たいなー、僕ら東の因果応報、西の四面楚歌と呼ばれ た仲やないですか」 「ワシがいつそんなあだ名で呼ばれた」 「でまあ、勝手に話さしてもらいますけども、『エビワラーは三色パン チが使えるけどとくこうが低くて器用貧乏で潰しが利かないから嫌や』 と、こうですよ」 「そらきっついなー親父の前で」 「せやろ!せがれはエビワラーの良さがひとつもわかってへん!サワム ラーになったかて何ですかあれは、"とびげり"だの"とびひざげり"だ の、自爆技ばっかやないですか」 「おま今までそんな目で見とったんかいワシのこと!」 「その点エビワラーになれば格闘の花形"きあいパンチ"が使える。これ は大きい。サワさんもエビワラーになりなはれ、是非ともなりなはれ」 「アホ抜かせ今からなれるかい。つーかな、きあいパンチならワシも使 えるで」 「まあそれは置いといてやね」 「だーから置くなー!ちゃんと向き合え、現実と!」 「でもしんろちょうさに限らず親子の対話は大切やね、最近とみにそう 思いますわ」 「急にまともなこと言い出しよったな。そうねえ、親子の対話が足りひ んと子供は非行に走るね」 「非行と言えば森のワタッコさんもこないだ子供がついにひこうしたひ こうしたと言うてはりましたが、やはり親子の対話……」 「それは非行やのうて進化して飛行タイプがついたんや!めでたいこと やないか!」 「あとテッポウオさんとこの娘さんもしばらく見いひんうちになんやタ コになっとりましたが、あれもやはり親子の……」 「それもちゃうわ―――!ええかげんにしなさい!」 「ありがとうございましたー」  ステージに降り注ぐ拍手と指笛に見送られ、沢村海老原が退場した。 今のはかなりウケてたなあ。舞台袖から見ていたエレブーは武者震いの 心境だった。  後ろからポンと肩を叩かれ、振り向くとツーの不敵な笑顔があった。 「おい、緊張してんのか?大丈夫だって、オレもバンギもカビゴンもい るんだからよ。自信をもて自信を」 「おう、しましま、練習どおりやれば大丈夫だ」  最初はエレブーに対して敵意を持っていたバンギラスも、練習を通し て今ではすっかり打ち解けていた。 「そうですね……よしっ!」  自信じしん!と自分に言い聞かせているエレブーに、司会を務めるキ ルリアさんはひとつウィンクをして舞台袖から出て行った。 「沢村海老原さんありがとうございました!さて、次に控えるのは、先 週越してきたエレブーさんを筆頭に、今ポケモン村でもっとも熱いバン ド、『The Electric BANANA』です!」  照明が絞られ、白いスモークが床面を満たしている。エレブー、ツ ー、バンギラス、カビゴンがステージの真ん中に立った。客席にはポケ モン村のほとんどの住人が集まっている。知っている顔もいくつかあ る。村長のフーディンさん、最初に会ったヤドン、管理人のカモネギさ ん、バクオング、ハリテヤマ親方。ドーブルさんも裏方に回ってくれて いる。  ここまで来たんだ、もう後戻りはできない。  キュイーン!  エレブーの爪がギターの弦を思い切り叩いた。それを皮切りに、左手 がフィンガーボードの上を滑るように動き、右手は徐々に激しいピッキ ングで音を刻んでいく。まずはオープニングでギャラリーをこちらにぐっ と引き込む。それがエレブーたちの作戦だった。少しずつ速まってい くギターのスピードが限界に達する寸前。 「ワン!トゥー!ワントゥースリーフォー!」  バンギラスのコール。そしてそれにオーバーラップして、まずはエレ ブーがマイクに向かった。軽快なノリで、おどけた調子の歌声が響く。 「クラブでみつけた、ニャースなあの娘。  住所もNAMEも、ナゾノクサ  誰かのヒトカゲ、ちらつくけれど  心はドガース、とまれなあい……」  そこで、エレブーの声にツーのソリッドな声が重なった。ツインボー カルの叩きつけるようなシャウトが客席を揺るがす。 「Lucky Lucky Nice to Mew-two!!  タマタマ出会ったその日から  Happy Happy I'm so …… Pippi!!  腹がタッツーほど!コ・イ・キ・ン・グ!!   OH YEAR!!」  オープニングナンバーは、「ラッキーラッキー」。客席には歌にのせ られて思わず立ち上がる者も見えた。ツカみは成功、いける!エレブ・br>[ はマイクを手に取った。 「こんばんは―――!!」  エレブーがギターを振りかざしてギャラリーに呼びかけた。こんばん はー!と波打つようにたくさんの声が返ってくる。 「みんなー!聴いてくれてどうもありがとぉ―――!! メンバー紹介 するぞ――!!」  普段の控えめなエレブーとはうってかわって、マイクパフォーマンス は発電所時代に取った杵柄でかなり板についている。エレブーは後ろの 三人を振り返った。 「エレクトリィィィィィィック!!バナァ―――ナァ―――!!  ギター!……ギター!     こないだ引っ越して来たばかりの俺は……エレブー!  みんなー!よろしくぅ!  ヴォーカル!……ヴォーカル!   素敵に最強!クールに無敵! ……ツー姉さんだぁ!!  そんな彼女に一途な片思いは……  ダブル・カスタネット! バンギラース!  そして忘れちゃいけないスーパーへヴィー級ドラム!  カービーゴーン!!  嬉しい誤算!ドーブルさんの差し入れだあ!」  そこでエレブーはつま先でクルリと一回転し、ラッキーラッキーの続 きを歌った。 「Lucky Lucky Nice to Mew-two!!  僕らの出会いはフシギダーネ☆  Happy Happy I'm so …… Pippi!!  ドラマはこれから……!!   Lucky Lucky Nice to Mew-two!!  コンパン、ゴローンとあまえたーい  Happy Happy I'm so …… Pippi!!  ドラマはこれから……マ・ダ・ツ・ボ・ミ!! 」     「エル・ユー・シーケーワイ! エルユーシーケワイ!! ラッキー!     L・U・C・K・Y  L・U・C・K・Y ラッキー!              みなさんご一緒に!!」    L・U・C・K・Y  L・U・C・K・Y ラッキー!      L・U・C・K・Y  L・U・C・K・Y ラッキー!        L・U・C・K・Y  L・U・C・K・Y ラッキー!          L・U・C・K・Y  L・U・C・K・Y ラッキー! 7.  ――――何、故、ダ。  星の瞬く天空にあって、そのポケモンは悶え苦しんでいた。  何故……何故自分だけがこのような苦しみに耐えなくてはならないの だ。何故、よりによってこのような日を選んで、悪しき運命はわが身に 降りかかって来るのだ……。  理不尽なまでに膨れ上がった怒りは、普段温厚な彼から理性と思考力 を奪い去っていた。遥か下方に、雲間を通して地上が見える。そこに横 たわる、いつもの黒々とした森、いや、今そこには無数の光点が浮かん でいる。それがまた何故だか無性に腹立たしく思えた。  ――破壊、シテクレル、全テヲ。  そのポケモンは、ゆらゆらと揺らいでいる体を光の球体で包み、地上 に向けて急降下を始めた、森の中心でひときわ大きく輝く光へと、まる で吸い寄せられるかのように。  地上では、エレクトリック・バナナのセカンドナンバーが始まってい た。エレブーとツーがステージの奥手に一歩下がり、カビゴンのドラム とバンギラスのボーカルがメインを張っている。  曲目は……。 「LA LA LA LA LA LA なんて素敵な  LA LA LA LA LA LA 文字の並び! LA LA LA それは LA LA LA それは  ……お・ね・え・さ・ん!!」  タケシのパラダイス。 「ほれっぽいのは……わかっています  ハートが ぽろぽろ こぼれおちて  足の踏み場も ないくらいです!  軽すぎじゃないのって 思われたって  何やってんだかって 笑われたって  僕には僕の 僕には僕の 僕には僕の  夢がある!  そうさ  LA LA LA なんて素敵な   LA LA LA LA LA LA 言葉の響き! LA LA LA それは LA LA LA それは……!  ツー・ね・え・さ・ん!!  ……ツーねぇさ―――ん!!好きだァァァ――!!」   エレブーが後ろでこけそうになった。最後の告白は打ち合わせにな い。アドリブだ。それにすぐさま「……ごめんなさぁい」という聞き覚 えのない声が重なる。エレブーが驚いて振り返ると、ツーが意味深な含 み笑いを浮かべ、ステージに流し目を送っている。えっ、うそお、今の 声ツーさん?……マジ?  バンギラスでなくても思わずドキッとしてしまうくらい、それは妖艶 な声だった。エレブーは驚くだけで済んだが、バンギラスはステージか ら転げ落ち、爆笑が巻き起こった。 「ツーねーさーん……そりゃねーっすよぉ」  しかしそう言っているバンギラスの鼻からは血が一筋たれていた。 「やるなあ……よおし!」  負けてられねーぜ、とますます激しくギターをかき鳴らすエレブー。 星空を引き裂いて、一条の光がステージに飛び込んだのは、エレブーが 二度目のマイクパフォーマンスに入ろうとしたその瞬間だった。最初、 ドーブルさんと相談して決めた演出にこんなのあったっけと思った。そ してすぐにそれが演出の光でないことに気付く。  それは不思議な光だった。照明があたりを明るく照らしてはいるが、 今は夜なのだ。これほどの圧倒的な光が目に入ったらしばらく視界がブ ラックアウトしてもおかしくないのに、まったくそんな様子がない。  光はほんの三秒ほどステージ上に存在して、何の予兆もなく弾けて散っ た。光の去った後には一体のポケモンが佇んでいた。最初にツーと会っ たときと同じように、それはエレブーが今までに見たことのないポケ モンだった。  基本の形は、ツーと同じように人型に見えなくもない。頭部と胴と、 二本ずつの腕と脚がある。いや、腕というよりは触手に近く、しなやか にうねりを帯びている。胸にあたる部分にある青い結晶体が、あの不思 議な光を放っていた。 「あ?なんだよデオ爺じゃねえか」  隣でツーが言った。その名前は、やはりツーの口から一度聞いたこと があった。たしかポケモン村でツーとまともに戦える唯一のポケモンだ とか……。 「おいおい爺さんよお、いくらなんでもステージに上がっちまうのはマ ズイだろほら降りたおりた」  ビュッ!   デオ爺の触手がツーの腕に絡みついた。 「……あん?」  ツーはデオ爺……デオキシスの眼を覗き込んだ。そして、背筋に冷た いものが走るのを感じた。デオキシスの瞳は奇妙に平坦で、そこには光 が無かった。 「ツーさん、その方がデオさんなんですか?」 「近寄るな!……このじーさん、なんでだかしらねーが、正気を失って やがる!」  ツーはそう言い終えるのと同時に、腕に絡んだ触手をぐいっと引っ張 り、デオキシスごと空高く飛び上がった。普段は二丁目に住む好々爺、 しかしデオキシスの本当の力を知るツーは、その力を暴走させればエレ ブーたちはもちろん客席ごと消し飛びかねないことを理解していた。そ して、その暴走を抑えられるのはこの場に自分しかいないことも。 「あんれ、二丁目のデオさんじゃないかね」 「ほんとだ、散髪やのご隠居だ、あんなとこで何してるんだろ」 「なーなーおとんー、次の曲はまだなんかー」  ギャラリーがざわつき始めた。事情を知らない人から見れば、さきほ どの光もデオキシスの登場も「すごい演出だなあ」という風に見える。  しゃあねえな……。ツーはデオキシスをキッと見据え、戦って取り押 さえる覚悟を決めた。だが、この一週間の練習を無駄にするつもりもな い。 「エレブー!バンギラス!カビゴン!」  ツーがステージを見下ろし、叫んだ。 「いくぜ!サードナンバー!」 8.  無茶だ。  ツーの言葉を聞いて、バンギラスは思った。ツーがデオキシスと繰り 広げた秘密の決闘を、彼は一度だけ目撃したことがあった。いつかきっ と、という思いで必死気に鍛えてきた自分の力など全く問題とならな い、はるか天上の光景がそこには広がっていた。自分をあれほど圧倒的 に打ち負かすツーと、デオキシスは理性を保った状態でさえ互角以上の 戦いをしていたのだ。今、ツーは歌いながらデオキシスと戦い、全ては 演出の一環だと観客に思わせようとしている。それはあまりにも危険な 賭けだった。  だが、ツーの言葉に誰よりも早くカスタネットを構えていたのもまた バンギラスだった。そんな自分にバンギラスは驚いた。 「お、俺は……」  ――俺は、ツー姉さんの強さを誰よりも信じていたい。 「何ボサッと突っ立ってやがんだエレカビ!いくぜぇぇぇぇ!!」  はっとわれに返ったエレブーは、一瞬の迷いを見せたが、すぐにギタ ーを構え直した。カビゴンはのそりと起き上がり、マイクをスタンドか ら取ると、空中のツーに向かってぶん投げた。ツーが尻尾でそれを器用 に受け取る。 「サンキュー!」  ツーとデオキシスが対峙し、身に纏うオーラを高める下、ギターとカ スタネットとドラムもまた熱を帯びてゆく。 「飛び回る、子供たち」  ツーの歌が始まるのと同時に、デオキシスがが触手の戒めを解き、そ れを槍のようにより合わせ、ツーの胴体めがけて突き出した。ツーは尻 尾にマイクをキープしたまま、バリアーでそれを受け止める。並みの攻 撃なら触れる前に跳ね返す、ツーの両腕を使ったバリアーに、デオキシ スの槍は穂先を半分ほども食い込ませる。ギリギリでツーには届かない。 「……不思議そうに眺める子ネコたちもが、誰もが笑ってTell me! Can you feel it or you can't !」  デオキシスは槍を引き、すかさずサイコキネシスを放つ。だがそれは ツーにとっても伝家の宝刀と呼べる技だ。歌声をひとときも途切れさせ ることなく、同じくサイコキネシスで相殺。両者のパワーの衝突は、妖 しくも美しいオーロラを広場に落とした。  エレブーたちはステージ上で、叩きつける激しさと語りかける優しさ を行き来しながら、一心不乱に「toe it moi」を演奏し続けた。  トワエモア――あなたとわたし――それは、バンギラスにとってのツ ーであり、あるいはツーにとっては、今目の前にいる最強の敵を示す言 葉なのかもしれない。  全世界最強クラスのポケモン同士の技の応酬に、観客は見とれてい た。 「なあ、なんかうまく言えないけど、この歌……」 「ああ……」  極限の戦い、そこから溢れる歌からは、とめどない生命力の源のよう なものが感じられた。 「誰のためでもない、自分との戦いを、いつまでも……」  思えば、最強の遺伝子ポケモンなどという人間のエゴの下に生を受け てから、自分の全力をぶつけるに足る相手がどれだけいただろうか。  歌い、攻撃を繰り出し、かわしながらも、ツーはどこか遠くにある意 識の中でそんなことを考えていた。戦いに限ったことではない。研究施 設を跡形もなく消滅させたあの日、そしていつしかポケモン村にたどり 着いたその後も、オレはどれだけのことに全力で打ち込んできただろう。  デオキシスがツーの体勢を崩さんと、スピードスターを放つ。回避不 可能なはずのその技を、ツーは神がかりじみた体さばきでかわし、ほと んど反射的に冷凍ビームで斬り返した。  入る!ツーがそう思いかけたその時、デオキシスの体が音もなく形を 変える。全ての攻撃に対して鉄壁の防御力を持つ、ディフェンスフォル ムだ。 「後戻りはできないよ!今からじゃ……負けるわけにはいかないよ!変 えることのできない運命……!」  冷凍ビームを無傷でいなし、デオキシスが再び体をアタックフォルム に切り替える。胸の結晶体に、青い炎が目視できるほどの凄まじいサイ コパワーが集中する。デオキシス最強の技"サイコブースト"、かつてツ ーは、かなり力を抑えて放たれたであろうこの技で、生涯初の敗北を喫 したのだ。  長期戦を嫌ったか。  ならば……勝負はこの瞬間!  ピッと指を突き出したツーの瞳には決意の色。 「抱きしめちゃおう、よ……!」  白い光が、その場にいる全員を飲み込んだ。 9.  その光は、デオキシスが姿を現した時のものとは違い、容赦なく眼を 刺した。たまらずエレブーは目をつぶる。だがボロボロと落ちる涙は止 めようもない。演奏を最後までやめなかったのは半ば意地だった。  やがて、光が去ったのがまぶたの裏からでも感じられ、エレブーはゆっ くりと目を開けた。最初に見えたものは、空から落ちてきたツーをダ イビングキャッチし、顔を地面にズザザ――っと擦りながら20mほど滑っ ていくバンギラスの姿だった。 「……わりぃ」 「ツー姉さん、やっぱり好きだぁ……ガクリ」  最後までガクリと言ってから気絶するバンギラスだった。ツーはこの 期に及んでまでまだそんなことを言っているバンギラスを呆れたような 顔で見た。しかしその口元には、今まで見せなかった微笑が浮かんでいる。 「認めたかねーけどよ……お前カッコイイぜ」  エレブーはギターを置いてツーに駆け寄った。ツーはよろめきつつも 立ち上がる。 「……ツーさん、勝ったの?」 「……いや、引き分け、だな……自慢じゃねーがオレももう瀕死だ。で もな、アレ見てみ」  ツーが指差した方を見ると、デオキシスが半身残して地面にめり込ん でいるのが見えた。たまたま近くにいたフーディンさんが恐る恐る近づ く。それを見たカビゴンは、いつもやっていることで条件反射みたいに なっているのか、近くにささっていたスコップを持って犬神家の一族み たいになっているデオ爺さんを掘り出し始めた。  デオ爺さんは掘り起こされるとまず胃袋がひっくり返るんじゃないか というほどにむせて咳き込んだ。その勢いで口の中からポロリと緑色の 塊が落ちる。未知の宇宙ウイルスではないかと周りの人たちは慌てふた めいたが、あっ、これはこないだおすそ分けした草もち、と最初に気付 いたのはお祭りの司会、フーディンさんちのお手伝い、キルリアさんだ った。  草もちを吐き出したデオキシスがムクリと起き上がる。 「アア……苦シカッタ。死ヌカト思ッタワイ。オオ、皆集マッテドウシ タ?ソウ云エバ、今宵ハ祭リデハナカッタカ?」  そこで何が面白いのか唐突にワハハハ!と笑い、周りがザッと一歩後 ずさった。正気を失っていたことはキレイに忘れているようだった。 「くさもち……」  そう言えばフーディンさんちに言ったときにおすそわけとか言ってた けど、いやまさかそんな理由で……。エレブーは開いた口がふさがらな いどころか顎が地面についてしまうんじゃないかと思った。  ツーさんもこれを聞いてさぞかしご立腹だろう。だいたいそんな伏 線、誰も覚えてるわけないじゃないか。ねえ、と見上げると彼女にとっ ては理由は特に大した問題ではないらしく、怒っている様子もない。あ れー、僕がおかしいのだろうか。 「カウンターの"ゆびをふる"で大爆発を仕掛けてやったぜ。ざまあみろ いデオ爺」  くっくっくと怖い笑い方をし、エレブーに視線を移した。 「さて……と。エレブー、お前にはまだラストナンバーが残ってるだ ろ。オレは聴いてから寝るぜ」  言われるまで忘れていたが、最初に決めた四曲のうち、まだ一曲、エ レブーのソロが残っているのだった。  エレブーは今にも倒れそうなツーを振り返りながら、ステージに戻っ た。戦いの余波で木板の表面はささくれ立っていたが、あの破壊力の行 き交う下にあって、その程度で済んでいるのは奇跡的だった。  エレブーはギターを構え、静かに弦を弾き始めた。メロディは夜風に 乗り、ざわめく客席を通り抜ける。やがて、そのざわめきもしんとした 静寂に変わっていった。 「青い青い、静かな夜には……おいらひとりで……」  エレブーはそこで指を止めた。  ツー、バンギラス、カビゴン、ドーブルさんやフーディンさんにキル リアさんにカモネギさん、ヤドン、バクオング、ハリテヤマ親方、サワ ムラーとエビワラー、デオ爺さん。今まで出会い、そしてこれから同じ 村で暮らしていく人たちの顔が次々に頭に浮かぶ。  無人発電所でお世話になったサンダーさんは今頃どうしてるだろう……?  そして、最後に浮かんだのは、あの夜同じ歌を、同じ丸い月の下で歌っ ていた、あのニャースだった。 「……おいらみんなと、歌っているのニャー」  光は、もう去ったはずなのに、悲しいことなんか何もないはずなの に、目の奥がどんどん熱くなって涙が止まらないのはなぜだろう。  かげりひとつない丸い月の下、アルペジオは静かにどこまでも流れていった。