〜〜短編読切・bO21−G9と少年の顛末 父さんがはたらいている研究所の前に止まったトラックから、父さんの腕でひとかかえくらいのオリが運び出されてきた。 白い長い服を着た大人の人が、二人で運び出していた。鉄で出来ているみたいだ。きっととっても重いんだろう。 手伝ってあげようと思って寄ってったら、父さんにジャマだといって追っ払われた。 でもそのほんのちょっとの間に、その中に何が入ってるのかちゃんと見といたんだ。 中には一匹のポケモンが入ってた。鳥みたいなやつ。 紅色のきれいな翼と、黒い体に茶色の頭。目つきはつりあがってて、きょろきょろってよく動く。 ぼくんちの回りでもよく見る、どこにでもいるポケモンだ。名前は……なんて言ったっけ? 一瞬だけ、そのポケモンと目があった。きれいな目で、ぼくはすごくドキドキした。 ぼくはポケモンが大好きだけど、まだ一匹も持ってない。まだ六歳で子どもで危ないからだって、父さんが言っていた。 けど、もしかしたら、仲良くなれるかなと思う。だってそいつは、とってもきれいな目をしていたから。 仲良くなれるかな。仲良くなれるかな。――――――仲良くなりたいな。 ぼくはできるだけこっそりと、研究所に忍び込んだ。オリごとそいつを運んでいく、大人の人の後をつけていった。 父さんといっしょの時でも入ったことのない、ずいぶん奥の方まで来た。ここってこんなに広いんだ。 あんまり人のいないところ、うす暗い建物のすみに白いとびらがあって、大人の人はそこへ入っていった。 とびらの上に、部屋の名前が書いてあるかんばんがついてるけど、字がむずかしくて読めない。 上を向いてうんうんうなっていると、いきなりとびらがまた開いて、さっきオリを持って入ってった人が何にも持たずに出てきた。 とびらの外に突っ立ってたぼくとぶつかって、おどろいた顔をしていた。それから怒ったような顔になった。 すぐに追い出されたけれど、ぼくのドキドキはおさまらなかった。 あのポケモンは、この中にいる。道は覚えた、一人で会いに行ける…… 次の日になった。 ぼくはもう一度中に入った。前の時よりもっともっと気をつけて入った。 ぼくのやせていてチビな体のおかげで、隠れようと思えばどこにでも隠れられる。大人の人たちは、誰も気がつかなかった。 きのうと同じ部屋の中に、だれもいないかちゃんと確かめてから、そうっと白いとびらを開けた。初めて中を見た。 壁と床と天井が、全部コンクリートの冷たい部屋だった。真ん中にどでんと置いてあるのは、理科室にあるみたいな大きな机。 その上に、オリに入ったまんまのそいつが乗っかっていた。ぼくはそいつをじっと見た。そいつもぼくをじっと見た。 いきなり入ってきたぼくに、ビックリしているみたいに見える。目が合って、ぼくは笑った。 「大丈夫だよ、何にもしないよ……」 ドキドキしながら、そのポケモンをおどろかさないようにゆっくり近付いた。 ポケモンはあぶないと父さんは言うけど、オリに入っているからきっと平気だ。手でさわれるくらい近くまで行って、中をのぞき込んでみた。 僕が今まで見たポケモンの中で、一番きれいだと思った。めずらしくない種類のポケモンだけど、こいつだけは違う感じがした。 よく見かけるこいつの仲間よりもちょっと小さくて、やせていた。ぼくと同じだ。……ひょっとしたら、お腹が減ってるのかもしれない。 おどおどと首をかしげながら、そいつは不安そうにこっちを見ていた。ぼくはもう一度言った。 「大丈夫だよ、何にもしないよ」 それから、もう一言付け加えた。 「ぼくは、お前と友だちになりたくて来たんだよ」 それからポケットに手をいれて、持って来たビスケットを差し出してやった。 目の前でひとつ食べて見せると、ちょっとケイカイしながらも近付いてきてついばんだ。かわいい。やっぱりお腹減ってたんだ。 ……その味はなかなか気に入ったようで、それからはあっという間にたいらげた。さらに欲しがるので、もう一枚あげた。 そいつがビスケットをかじる音を聞きながら、ぼくはふと、オリについている、白いプレートに目をやった。        『bO21−G9』 「? ……なんばー、ぜろ に いち の……じーきゅう……?」 名前かな。だとしたら、変な名前だ。長いし、なんだか呼びにくい。 友だちになるんだったら、もっと呼びやすい名前を考えなきゃいけないな…… ……手をこんこんとつつかれて、ぼくはそいつ……bO21−G9のほうを見た。あどけない顔でこっちを見上げている。 「グァッ」 短く鳴いて合図を出しておいて、くちばしで翼の羽根を一本抜き取って、ぼくに差し出してくれた。 受け取ってみると、それは空気のようにやわらかくて、軽くて、夕日みたいにきれいな紅色をしていた。 フワフワしたそれが飛ばされないよう、ビスケットと入れ替わりにポケットに入れた。 ぼくとbO21−G9の、友だちのショウコだと思うと、さっきよりずっとドキドキした。うれしかった。 ……とびらの向こうで、コツコツと大人の人の足音がして、ぼくはあわてて回りを見回した。……足元に、背の低い窓がある。しめた。 カギをこっそり開けて、ぼくは外に這い出した。研究所の裏側、誰もいないさびれた原っぱに出た。 窓を閉めたのと同時に、とびらが開かれる音が中から聞こえた。ぎりぎりセーフ。 家に帰っても、夜はなかなか寝られなかった。紅の羽根を暗闇に透かして見ながら、ずっと考えていた。 考えて考えて考えて、あのポケモンは、ジークと呼ぶことにした。あのプレートに書いてあった名前の、最後のG9の所だ。 ジーキュでもいいけど、赤ちゃん言葉みたいでかっこ悪いから、やめた。 ジーク、ジークと口の中で繰り返す。すごくかっこいい。あいつにピッタリだ。 次の日には、きのう出た裏の原っぱから回った。思ったとおり、目立たない窓のカギは開いたままだ。 すぐには入らず、耳をすまして中をうかがう。部屋の中には、誰もいないようだ。窓を開けて、地面に腹ばいになって入った。 「ジーク、……ジーク」 小さい声で呼んだら、ジークはすぐにぼくに気がついて、せまいオリの中でうれしそうに羽ばたいた。 昨日の夜つけた名前なのに、自分のことだと分かったみたい。気に入ってくれたんだ。なんかくすぐったい感じ。でもうれしい。 近付いて、昨日みたいにビスケットをあげた。今日はテツゴウシごしに、そっとジークの頭をなでてみた。 ジークはぼくになでられて、とても気持ちよさそうな顔をした。初めてふれるポケモンの体は、やわらかくて、とてもあたたかかった。 ……ぼくがそれに気がついたのは、ジークが足を上げて首をポリポリかいた時だ。 ジークの足に、小さな赤い点がぽちんとついている。虫刺されみたいだけど、なんかちょっと違う感じがする。 針でぶつりと刺されたみたいな、見るだけで痛そうな。……ぼくも見覚えがある形の傷だ。 「ジーク……君、注射したのかい?」 「? グァアッ」 ぼくの問いかけに、ジークは最初は首をかしげて、それからうん、と言うように返事をした。 そっか、ジークは注射したんだ。……それにしても――――――――――――何のだろう? その時初めて、ぼくはジークがモンスターボールじゃなく、オリに入ってることをふしぎに思った。 きのうと同じ足音が聞こえてくるまで、ぼくはずっとそこでジークに色んな話をしたり、頭をなでてやったりした。 きゅうくつそうなオリから出してやりたいと思ったけど、それは無理だった。カギの場所が分からない。 ……きのうよりも、またちょっとジークと仲良くなった気がする。あしたも窓のカギは閉まってないだろう。 あしたも、ぼくは初めてできたポケモンの友だちに会いに行く。はやく朝になって欲しいな…… ジークの注射のあとは増えていた。 きのうは一つだったのに、今日は三つ。もう一方の足のも数えたら、四つ。 なんだか、ジークは元気がないように見えた。あんまり動かない。 きっといっぱい注射をしたからだ。あれは痛い。ぼくも注射は大嫌いだ。 なのに、ジークはきのうから三つも打った。すごいな。元気づけようと思って、ぼくはジークに大きくなった時の夢の話をした。 「あのねジーク。 ぼくはね、ポケモントレーナーになりたいんだ」 「グアアッ?」 ジークは『ポケモントレーナー』が何か知らないみたいだったから、ぼくはていねいに教えてあげた。 大好きなポケモンといっしょにくらす人。いっしょに仕事をしたり遊んだり戦ったり…… 中でもぼくは、ポケモンといっしょに旅をして、世界を見て回るトレーナーになりたいんだと言った。ジークは目をパチパチさせて、 「グァアアアッ」 なんだかうれしそうに鳴いた。 その時に、ぼくは友だちになった日から思っていたことをジークに伝えた。 「ジーク、いつかいっしょに行きたいね……」 「グァアアアッ!」 ジークは目を細めて、うれしそうに一鳴きしてくれた。 その夜、ぼくは父さんに、今すぐ旅に出ちゃいけないのか聞いてみた。父さんは困ったように笑った。 「だめだ、十歳になるまで待つんだ。  その時には、父さんが研究所から、ビギナーズパートナーを貰って来てやるからな。  何ならピカチュウやイーブイでもいい。何でも言えよ」 ビギナーズパートナーとは、フシギダネ、ヒノアラシ、ワニノコなんかの、初心者にぴったりだと言われるポケモンだ。 トレーナーになつきやすくてあつかいやすいけど、数が少なくて大きな研究所でもあまりもらえない。 最初にこのポケモンをもらえるトレーナーは、とっても運がいいんだぞ、と父さんから何度も聞かされた。 そしてぼくも今までそう思っていて、いつか旅に出るときはヒノアラシをもらおうと決めていたんだ。 ……でも、今は違う。ぼくがいっしょに旅に出たいのは…… ねぇ父さん、とぼくは呼びかけた。 「ぼく、そういうんじゃなくて、別のポケモンが欲しいんだ。えっとね……その、  ……この前研究所の近くで遊んでた時、トラックで運ばれてきたポケモンがいたでしょ?あいつがいいな」 できるだけわざとらしくないように言ったつもりだったけど、やっぱり力が入ってたかもしれない。 父さんの顔を見ると、父さんはぽかんとした顔でかたまっていた。それから、ちょっとだけ苦笑いを浮かべた。 「…………。あ、……ああ……覚えてたのか。あいつな、……bO21−G9……」 そうだよ、でもぼくがジークって名前をつけたんだ……言いそうになって、あわてて止めた。 言ってしまえば、ジークに会いに行ってることがばれてしまう。隠せ隠せ、父さんにもヒミツだ。 一方、父さんは妙にあわてていた。むずかしい言葉で言うと、ドウヨウしていたと言うのかな。 モゴモゴと口の中で何か言いかけて、それからちょっとどもりながらぼくに向きなおった。 「……いい、いや、待ちなさい。……あんなポケモン、そこらにいくらでもいるじゃないか。  旅に出てから捕まえればいい。最初に選ぶほどのポケモンでもないだろう? な?」 ……ぼくは黙った。父さんは分かってない。 ジークと同じ種類のポケモンが欲しいんじゃなくて、ぼくはジークが欲しいんだ。他の誰でもない。 けれどあんまりしつこく言うとあやしがられると思ったから、それっきり黙った。 その夜は、そのことについて色々考えた。 ……たとえ今はテツゴウシのオリに入っていても、誰も知らないヒミツの友だちでも。……いつかきっと、ぼくはジークと旅に出る。 ぼくもジークもチビでやせっぽちで、あんまり強くなれないかもしれない。でも、そんなことどうだっていい。 ぼくは、ジークを最初のパートナーにして旅に出たい。 ジークのようすが変だ。 ほとんど動かない。いつもよろこんで食べるさしいれのビスケットにも、ぜんぜん見向きもしなかった。 そしてげっそりと、やせて見えた。……ぼくはとても、とても心配になって、そして不安になった。 ……ジークのオリをたたいて、むりやり体を起こさせて足を見た。……やっぱりだ。 ジークの注射のあとは、また増えていた。しかも、今度は指で数えられる数なんかじゃない。 いやぁな感じがした。とても寒くなった気がした。涙が出そうになるのをこらえて、ぼくは冷たい床に座り込んで、 ……かちゃん、と音がした床の上に目をやって……よけいに寒くなった。何十本もの注射針が、コンクリートの上に転がっていた。 針に反射した冷たい光が、僕をチクチク突き刺した。それは間違いなく、ジークをこんなにしてしまった注射針だった。 ぼくは動かないジークの方を見る間もなく、すぐに窓から出た。来た道を、逃げるように走って帰った。 足音が聞こえる前に窓を出たのは、ここに来るようになってから初めてのことだった。 涙が出るほど怖かった。 後ろから一度だけ、ジークのさみしそうな声が聞こえた気がした。 その夜、ぼくは決めた。  ――――あした。  あした、オリのカギを探す。  オリを開けて、ジークを外に出す。 人のポケモンを取るのはドロボウだ。 でも、ぼくはこれ以上、ジークが元気を無くしていくのを見ていられない。ドロボウになったってかまわない。 ぼくはジークを助けたい。注射針から助けてあげたい。そして……いつか、いっしょに旅に出る。 紅色の羽根を握り締めて、自分で自分に約束した。ぼくは、ジークを守る。 窓のカギは、今日も開いていた。今日も中には誰もいなくて、いつもどおりぼくは中に入った。 そして、いつもどおりじゃないことを知った。全てが終わってしまったことを知った。 ジークはいなかった。 でかい机の上のオリのとびらは開いていて、近くに記録用紙みたいなものが置いてあった。 ぼんやりと、ぼくはそれを覗き込んだ。   『 被験体a@21−G9       ××××年 ×月×日 ×時×分   呼吸停止確認(実験携帯獣飼育室にて)             同日 ×時×分   心停止確認(同上室)     死因:実験投与した開発薬「×××××」による著しい体力の低下・        それに伴う神経系の衰退からくる衰弱死・または急性ショック死                           詳細は検死解剖の結果にて             』 ……むずかしい漢字ばかりで、ほとんど読めなかった。けれど、一つだけはっきりしていることはあった。 ―――もうここに、ジークはいないんだ。 ぼくは泣いていた。冷たい床に座って、声をおさえて泣いた。 何も考えなかった。何も考えられなかった。全部なくして、ずっと泣いていた。……大人の人の足音にも気付かないほど、一心に。  ぼくが悪いんだ。  きのう、ぼくは逃げてしまった。ジークを置いて。怖さに負けて。  ……あの時間でカギを探して、オリを開けていてやれば、ジークはいなくならずにすんだんだ。  ぼくが……きのう、きのう…………ぼくが……――――――――――――。 ……気付いたら、オリの中にいた。ジークが入ってた奴よりも大きい、人間が入るくらいのだ。 あそこでずっと泣いていたら、入ってきた大人の人に見つかったような気がする。それから……あんまりおぼえてないや。 オリの中でも、小さくなって泣いてた。思い出すのは、ぼくがジークに背を向けた時のことばかりだった。 最後にさよならも言うことなく……ジークはきっと、あのきれいな目でぼくを見ていた。ぼくの背を。 そうして思い出すたびに、体の中でいやなものがざわざわした。うなされるように、ぼくの口はブツブツ繰り返す。 「……ジーク……ごめん、ジーク……ジーク、……ごめん……っ……」 テツゴウシととびらの向こうのとなりの部屋で、誰かに泣きつく父さんの声が聞こえてくる。 「頼む、私の息子なんだ……お願いだ、いくらなんでも、あのbO21−G9と同じところにいかせるなんて……  やめろ! 息子を返してくれないなら、私はっ、私の研究の全ての資料を燃やした後、あの薬を飲んで自殺するぞ!!」 最後のほうは、子どもみたいなわめき声だった。ぼくはぼんやりとしたまま、ただ聞いていた。 父さんと話していた誰かの声がした。ひんやりしていて、笑うような声だった。 「博士はここでも、有数の人材ですよ。その研究資料もね……だから、それは困ります。  しかし、明らかに違法の生体実験を見られたからには、子どもだからと言ってもこのまま返すわけにも行かない。  …………だから、こうしましょう?」 男の人の声が、一度そこで切れた。父さんが息を飲んだ、感じがした。 キィッととびらが開いて、さっきの声の男の人が入ってきた。その後ろから、うつむいている父さんも。 ぼくはゆっくり顔を上げた。ジークをどこにやったのか、何としても聞き出そうと思って……でも、泣き疲れて声が出なかった。 男の人は、きらんと光る注射器を持っていた。……ジークを壊していった。注射器。 その時ぼくはそれを、ものすごい目でにらんでいたんだと思う。男の人が、少しだけぼくから注射器を遠くした。 男の人がピストンを押すと、針の先から透明の液体がピュッと飛んだ。男の人は気持ち悪い笑い顔で、満足そうにうなずいた。 ……そしてその笑い顔のまま、とんでもないことを言った。 「この薬で、ここで見た一切の記憶を消してしまいましょう。  ……全く。バトルにも使えないひ弱な実験体に会うために、こそこそと忍び込んでいたなんて…  油断も隙も無いですなぁ、最近の子どもは」 ―――――――――――――――――――記憶を、……消、す?                     それって、                    ジークのことを…… 「はい、腕を出しなさい。」 そう言いながら、男の人はぼくのうでを力づくで引っ張った。 必死で暴れたけど、ぼくはもともとけんかが弱くてチビでやせっぽちで、大人の力に勝てるわけなかった。 ぼくはいやだった。……いやだ。忘れたくない。ぼくは言ったんだ、いっしょに行こうって。 ジークと同じところへ行かせてくれるって言ってたのを、父さんは何で止めたんだ? いっしょのところへ行きたかった。いっしょにいられるなら、どこだって良かったのに…… ジークはぼくの友達で……忘れるもんか。忘れるなんて…… ……ぼくは、忘れてしまうんだろうか。小さくてやせたあの体も、紅色の翼も、きれいな瞳も… ――――――ジーク……っ、  ……いやだぁああああああっ!!!!!  ……ぷつん。 小さい痛みが走って、注射針を通してクスリがぼくの中に入ってきて、 …………それから…… ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ―――それから、                               それ    ……か、  ら ?   ・・・ ・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・何か、聞こえる・・・ ・・・誰かが、呼んで・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「………………ゥ……  …………ガゥッ……ガウゥ……」 ……耳元で響く、心配そうに僕を呼ぶ声に、僕は薄っすら目を開けた。 風が頬を撫でていく。……ついうとうととしてしまっていた事に気付くまで、しばらく掛かった。 頭の中が、現実に……十六歳の僕の所に戻ってくるまで……アホみたいに、呆然と座り込んでいた。 「……。ああ。ガイア……ごめんよ、心配させて。  きっと、またあの夢見ちゃったんだね、僕……」 『あの夢』。……と言っても、僕はその内容を知らない。 朝起きると、真っ白に塗り潰されたように頭から抜け落ちているのだ。まるで…… ……そう、まるで、忘れ去ってしまった過去の記憶のように。 懐かしさみたいな曖昧な感覚と、そこはかとなく漠然とした……しかし確かに胸に残っている、言い知れない悲しみが、 半年に一度か二度見る空白の夢が、同一のものだと教えてくれている。 丸一日思い出そうと粘った事もあったけど、どうしても思い出せない、この夢。 他の夢なら、いつもよく覚えている性質なんだけど……ひょっとしたら、何か特別な……記憶の底に沈んだ夢なのかも…… 何故か捨てられなくて、今もポケットに入ってるちっぽけな紅い羽根とか、いい年こいて注射だけは絶対打てない事とかと、何か関係が…… …………………。 なんてね。ほんの冗談だ。 いつまでたってもうだつの上がらない、平均点中の平均トレーナーの僕に、そんな秘密めいたモノ、潜んでる訳無い。 目が覚めてしばらくすれば、僕はそんな不思議な悲しみを、すぐに忘れ去る。 「ガゥ……ガゥウ?」 そばで心配そうな顔をしているのは、バクフーンのガイアだ。 五年前……十一歳の旅立ちの時、父さんからもらったポケモンだ。僕の、初めてのポケモン。 こいつを『最初のポケモン』として受け取る事に、物凄い抵抗があった覚えがある。何故だかは、分からない。 とにかく、最初のポケモンはもっと別の奴に決めていた気が、とてもしていて……ああ、父さんを困らせたんだっけ。 今思うと、何であんな意固地になってたんだろう。しばらく一緒にいてみれば、ガイアは気の優しい、最高のパートナーだった。 今、ガイア達と旅をしている。勝ったり負けたり、捕まえたり捕まえ損なったり。そんな普通で満ち足りた今が、僕はとても好きだ。 それでいいじゃないか。 僕は、悠々とした草海原を見渡す。風がそよぎ、草が波打つ。太陽の光を浴びて、青葉がキラキラと光る。 夢現の憂鬱を吹き飛ばしてくれる、すかんと突き抜けた空の青。……今日もいい日になりそうだ。 「よーし、行こうかガイ……」 不意に。 紅色の翼が、茂みを鳴らして飛び上がった。僕は振り向いた。 「!!! ……ジークッ!?」 ……咄嗟に口を突いて出たその名が、誰のものなのかも分からないまま、 けれど僕は叫んでいた。どこにでもいる、見知らぬ野生のオニスズメが、驚いて僕の方を見た。 ……すぐに僕への興味を無くし、呆然としている僕から視線を離した。踵を返し、羽ばたいて、飛び立った。 少しずつ、小さくなっていった。緩やかな春の光の中に消えていった。 僕は、その後姿を見送っていた。 訳も分からず、涙を流しながら……ぼろぼろ泣きながら見送っていた。 ガイアが不安そうに、僕の様子を伺っていた。 ・ ・ ・ ・ ・ ・           “ジーク、いつかいっしょに行きたいね……”      抹消された記憶の狭間を彷徨うのは、二度と還らぬ過去の言霊。 後には、僕とガイアと涙の跡と、空っ風だけが残された。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜bO21−G9と少年の顛末・END  実験用動物の世話をしていたときに思いついたお話。  作品としては後味が悪くなってアンハッピーになってるけど、 これ以上一概に少年の味方に立つ訳にも行かないですね。矛盾矛盾。