「復旧までは時間が掛かる…わな」 椅子に座り、机に置いてあったコーヒーを飲む。 少し冷めていて、生温い。 開けっ放しの窓から入ってくる風。 雲の流れる青空の中、飛行機雲が飛んでいる。 陽射しが眩しかったので、少しカーテンを閉めた。 中身の無くなったコーヒーカップを、再び机に置く。 ポケモン転送システムの管理者、及びポケモン評論家のマサキは、しばらく目を閉じていた。 ++科学の天才児++ 「いかへん…、眠っとった…」 ――いまだ寝ぼけている頭をさすりながら、2階へと上がる。 何段あるのか数える気にもならなかった階段。 ひんやりとした感触が、この季節には心地良い。 2階についてまず見えるのは、2つの扉。 片方が寝室、もう片方が書斎―いわゆる仕事部屋だ。 マサキは書斎に入ると、パソコンの前にある椅子に座った。 机に上に置いてあるパソコンの電源を入れ、研究資料に目を向ける。 近々開かれる学会。研究するべきものが一向に見つからなかった。 ようやく見つけた研究物は、“トキワの森の異変”に関しての物で。 明日頃には、実際トキワの森に行くつもりでいるのだ。 「…あ、パソコンフリーズしたわ…。時間ないっちゅー中やのに…」 再起動をかけ、窓から外を見る。 空の上を走っている飛行機雲。 自分自身に葛をいれ、意地でも飛んでやるとでも言いた気。 晴れ渡った空の上を飛び回るポッポ達。 いつも仕事仕事といって家を出れないマサキにとって、彼らは自由。 行きたい時に行きたい場所に行けて、言いたい事があればはっきり言える。 学会で反論しても、その意見は多数決によって消えるか生き残るかだ。 全くの正反対な世界に居るポケモン達に、憧れた記憶がある。 ――今だって、パソコンを前にしている自分。 学会で発表する研究資料の続きを書くためだ。 科学の為に働き、科学の為に自由を捨てている。 「…お、出来たか」 マウスのカチカチと鳴る音。いい加減聞き飽きた微動。 もうすっかりこの生活に慣れて、自分を捨てている。 窓から下を見れば、ハナダシティジムリーダーのカスミと、見知らぬ男がデートしている様子で。 呆れたように溜息をつくと、同時に羨ましい気持ちが溢れ出た。 「…あ――…、やる気起きん…。メールでも見よか…」 このパソコンとも、付き合いが長い。 もう何年になるのだろうかと、ふと思い起こしてみる。 初めてパソコンを使った時は、使い方を散々練習したほどなのに。 今ではもう、このパソコンについて知らない事は無い。 「メール来とる…」 着信4件。とりあえず、一つ目のメールを読む事にする。 送信者の名前に、“マユミ”と書かれている。 内容を読めば、預かりシステムについての相談内容が書かれていた。 『あたしの預かりシステム、どうですかね?  近頃忙しくてロクに管理が出来なかったので、少し不安です。  同じ開発者のマサキさんに見てもらいたくて、メールしました。  最近2人の男の子と女の子に会って、使いやすいってほめてもらいました。  私の預かりシステムは、まだホウエン地方たった一つの地方だけど、  二つの地方を掛け持ちしてるマサキさんはどうですか?  カントーとジョウト、全員のトレーナーの預かりシステムを管理してるマサキさんは、疲れませんか?  息抜きでもして、体を休めてくださいね。  体に気を付けてください。  ――マユミ』 「相変わらず心配性な子や…。やっぱ新人サンやなぁ…」 返事を打つ。キーボードに慣れてしまった手。 初々しさも消え、すっかりプロと化したこの手。 「……。しゃーないんや…」 3分程度でメールを仕上げ、送信する。 内容もほめ言葉。それが学会の掟につながっている。 『君の預かりシステム、なかなか便利やな。  いろんなところに女性らしい気配りがあって、使ってて楽しいし。  一緒に開発した仲間として嬉しいわ!  ほな、これからも預かりシステムの研究頑張ってな。  ――マサキ』 書いて、何度も読み直して。 こんな事しかいえない自分に、ふと葛藤を起こす時もある。 そんな気持ちを抑え、次のメールを見た。 「シダケのミチルちゃんやないか…」 シダケタウンの在住のミチル。 マサキのメール相手で、気軽に相談事を出来る親友。 タマムシ大学で一緒になり、勉強を教えあった時期もあった。 そんな彼女から、久々のメールが来たわけだ。 『マサキへ  勉強頑張ってる?もうすっかり偉い人になっちゃったね。  私は相変わらず元気です。恋人も出来ました。  ミツル君を今預かってて、自然と触れ合わせています。  タマムシ大学にいた時期は、こんな授業全然なかったよね。  全部勉強。全部科学って感じで。自由なんてなかったなーと思ったよ。  でも、マサキは変わっちゃったね。あの頃は私に勉強教えてもらってたぐらいなのに。  今ではもう、社会の中に溶け込んだ人になった。必要とされるようになった。  そんな友達を持って、私は自分を誇りに思います。…改めて言うのもなんだけど。  これからも、たまにメール送るね。お元気で。  ――ミチル』 頬杖をついて、頭を軽く叩く。 「変わった…か…」 ――そういえば、変わったような気がする。 あの頃は、ミチルの助言がどんなに役立っていた事か。 今ではもう、自分一人で何もかも出来るようになっている。 「…もう、人を頼りに出来へん時代になったワケや…」 呟くと、返事を打ち始めた。 カタカタというキーボードの音。 うるさいような気もして、足をふらつかせる。 『ミチルへ  久しぶりやなー。そや、わいはもうすっかりメジャーやで。  あの頃のミチルいうたら、彼氏なんて滅相もなかったほどやのになあ。  恋人が出来たんか。こりゃトリビアやな。ナナミはんに言うたろ。  …社会に溶け込みたくなんかなかったのになあ。  どーゆーこっちゃわからへんけど、すっかり利用されてもうたわ。  科学に頭悩まされて、勉強に睡眠時間とられて…。  わいも自然に触れたいと思った。ミチルが羨ましいわ。  ミチルも遠い人になってもうたな。自由人や。  そんな親友を持って、わいも嬉しいです。  そんじゃ、お互い体に気をつけような。んじゃ。  ――マサキ』 「……。意味わかんかな?」 ミチルを何だと思ってるのか、マサキよ。 「さーって、こーなったらとことんやるでぇ…。次は誰や?」 3件目のメールを見ると、送信者はナナミだった。 「ナナミはん…」 どこか嬉しくなって、内容を読み始める。 暖かみのある内容が、頭の中に浸透していった。 『マサキさん、お元気ですか?  近頃多忙だとお爺様から聞いたので、少し心配です。  無理をせず、体を休めてくださいね。  私に協力できる事があったら、出来る限りします。  管理システムに異常が起きたそうですね。  修復大変と思いますが、頑張ってください。  今度遊びに行きますね。勉強ばかりせず、時には散歩するのもいいですよ。  それでは、お体に気を付けて。  ――ナナミ』 「…………ふぅ」 心配されてるんだなと、改めて思い知る。 こうやって後ろから押してくれる人がいるからこそ、頑張れる自分がいる。 科学の為に研究資料まとめて、頭を疲れさす自分がいるんだ。 「…ありがたいわな…」 『わいは元気です。ナナミはんも元気そうでなりよりや。  最近は仕事ばかりしとったから、すっかり外の空気を忘れとった。  やから、今度近くを散歩しよう思っとってん。  無理はしとらんから、ナナミはんも健康に気を付けてな。  たまには息抜きしよう思っとったから、ええ励みになったわ。  ミチルちゃんに恋人できたらしいで?青春しとるなあ〜。  そんじゃ、ナナミはんも体に気を付けて。  ――マサキ』 「なんちゅーか…、わいも結構クサい言葉ゆーとんなぁ…」 自分で自分に呆れつつも、最後のメールを見た。 送信者はレッド。珍しいものだ、レッドから送ってくるなんて。 「どんな内容やろか…」 そう思いつつも内容を読めば、なんとなく予想しておいた事が。 『マサキへ  元気にしてるか?俺は相変わらずポケモン鍛えまくってるぜ!  使い慣れないパソコンだけどさ、久々に使ってみようと思って。  それにしても、何回もフリーズしちまったんだぜ?このパソコン。  やっぱ、何年も使ってないのがアダになったな〜…。  そうそう!この前さ、なんか変なポケモン見たんだよ。  空飛んでてさ、なんか黄色とか緑とか青とか…、あったっけ?  とりあえず、なんかすっげーオーラ出してる奴見たんだ!  貴重な体験したな〜…。そんなポケモンいないか、マサキ探しといてくれる?  それじゃ、この辺で。  ――レッド』 「…黄色とか緑とか青って…、どこにでもおるわ…」 ガクッと項垂れて呟くと、とりあえず返事を送る。 もう何年ぶりかになる彼からのメールには、自然と笑みがこぼれた。 『レッド、あんさん相変わらずポケモンオタクやな。…違うか。  フリーズなんて、時々あることや、気にせんでええ。  わいのパソコンだって、今日一回フリーズしてん、めんどかったわ。  何年も使ってないんか。まあ、連絡手段は通信機ゆーて、顔あわせて話すモンやからな。  …まあ、ホンッットッ、相変わらずポケモン事に明け暮れてんやな。  その努力には感心するわ、いろんな意味で。  ――ところで、その、緑とか(省略)ゆー奴やけど、そんなん幾らでもおるで?  でも、空飛んでるゆーから…、とりあえず調べてみるわ。  近頃そんなんよく見るからな、研究は進んどんねん。  多分ー…、“ジラーチ”やったと思うんやけど…。  返事かえってくるとは思わんけど、とりあえず待っとくわ。  ――マサキ』 ――科学なんて関係無い。 誰かの役に立ってるなら、それは本望だと思う。 嫌々というわけじゃないし、とりあえず、これからも研究を続けようと。 微笑む姿は、科学を見つめる真剣な顔と化した。 溜息をつくと、風が窓から入ってきた。 暖かい抱擁で、身も心も暖かくなってくる感じがする。 草原を吹き渡る風が、水面を波立たせた。 先程までデートしていたカスミの姿がもうない。 夕焼けが見えて、雲が茜色だ。 橙色の空の上に見える、一本の飛行機雲の跡。 隣の寝室に入り、ベッドに腰を掛ける。 窓を開けて下を見れば、誰もいない草原が見えた。 夕陽が落ちて、緑と色がまじり合う。 毛布を被って横になれば、風が少し肌寒く感じる。 そんな事を考えながら、目を閉じた。 岬の小屋は、今日も夜を迎える。 ++fin++