静かな、夜。 時折、草叢のあちらこちらで光る、蛍ポケモンの群れ。 その光景は、闇に浮かび上がるイルミネーションの如く。 なんとも、不思議な灯火であった。 辺り一面、音はなく。 ただ、パチパチと常に燃え続ける焚火の音に、たまに遠くで聞こえる何者かの咆哮。 自然の営みは、こうして絶え間なく続いている。 ガクは、体内に宿る五感全てで、この広大な自然を感じていた。 フィールドワークを嗜んでいたガクは、この日も家からやや離れた場所にある林へ来ていた。 しかし、飽くまでこれは趣味の範囲。 そう踏み込んだ事までは出来るはずもない。 将来は本格的にこの道を歩んでいこう、と思う彼は、今はその練習、とでも言わんばかりに、色々な場所のポケモン――といっても、家からそう離れたトコへは行けなかったが――を観察していた。 多少焦りがあったのかも知れない。 そもそも彼はあまり勉強が得意な方ではない。 だから……、せめて少しでも経験を積んでおけば……。 ――そう、思っていた。 そんなだから、自分はポケモンも持たない身でありながら、ついついポケモンを探していて日が暮れてしまった。 なので、今日は林の中で野宿、という具合。 念のために、いつも水筒や非常用の食料を持ち歩いているのが役に立った。 が、もしも、野生のポケモンに襲われでもしたら。 そう考えると、ぞっとしない。 大丈夫、この辺りには、そんな凶暴なポケモンはいない……はずだ。 自分で自分に言い聞かせるように、落ち着こうとする。 でも、ふと周りを見ると。 闇の中で時折、弱いストロボのようなものが光る、そんな幻想的な空間。 それを見ていると、次第に不安は姿を消していくのだ。 ――ガサッ 茂みが、揺れた。 音は、背後からだった。 …………近い。 「……ッッッ!!」 途端に、消えていた不安と恐怖が込み上げてくる。 もし、凶暴なポケモンだったら。 もし、そのまま襲われたら。 なんてことだ。 日が暮れる前に帰るべきだった。 もう、遅い。 目をつぶる。 真っ暗な視界。 背後からの気配。 ……余計怖いじゃないか! 恐怖に耐え切れなくなったガクは、勢いに任せて、振り向いた。 体の輪郭が薄っすらと、浮かぶ。 焚火の炎の揺らめく光を浴びて、辛うじて淡く浮かび上がる青い色。 ……ゆっくりと、『そいつ』は近づいてきた。 こちらがそうしているように、『そいつ』もまた、こちらを警戒している様子だった。 近づくにつれ、体の輪郭や色がはっきりと、浮かび上がってきた。 ――そいつは。  ===== ===== ===== ===== =====   ポケットモンスター         読みきり小説   ―見えるモノ、見えないモノ―      Consideration  ===== ===== ===== ===== ===== 「ソーナンス……?」 確認するように、その名を声に出してみる。 知ってるポケモンだ。 こいつは、確か……。 ガサゴソ、と右腰につけてあるポーチから手帳を取り出す。 調べたことのあるポケモンの特徴が、拙い絵と字で殴り書きしてある。 ソーナンス……。 ……あった。 「我慢ポケモン。  ひたすら我慢するポケモン……か。」 手帳を走り読みしている間にも、そいつ、ソーナンスはガクに近づいてた。 すぐ傍。 手を伸ばしたら、確実に触れる距離。 ――そこに、居る。 ソーナンスは、何かを我慢しているかのような表情を湛えて、ガクを見ていた。 ガクもまた、不思議そうな面構えで、ソーナンスを見た。 何か、苦しんでいるようにも見える。 それに、襲い掛かるでもなく、ゆっくりと歩み寄ってくるなんて。 ガクは、そのソーナンスが何かを伝えたかったのではないか、と考えた。 そして、話し掛けた。 「……何か、言いたいことでもあるのかい……?」 ソーナンスは、 『…ソー……ナンス…』 と、力細く鳴いて、――その場に、倒れた。 はわわっ、とガクはその場で慌てふためいた。 突然、寄って来たソーナンス。 そして、何かを訴えるかのように見つめ、――そのまま倒れた。 まさか……、とガクの頭の中で、ある一つの仮説がたてられた。 ――やはり、この林には凶暴なポケモンがいて。   そして、ソーナンスは襲われた。   逃げてきたソーナンスは、ボクに助けを求めて、その場で意識を失った。   ……そして、その凶暴なポケモンは、獲物であるソーナンスを探し、さまよっている……。 自分で考えておいて、自分で恐ろしくなって震えてしまった。 も、もしそうだとしたらボクはどうすればいい?! 辺りは相変わらずの静寂。 それがかえって不気味な雰囲気を醸し出している。 落ち着け、落ち着け。 必死に、自分のバクバク言ってる心臓を鎮めようと、自分に言い聞かせる。 ……少々の時間は要したものの、ようやく落ち着いてきた。 そこで目に入ってきたのは、倒れっぱなしのソーナンス。 怪我でもしてるんじゃないか、と心配になって体を診てみる。 体に、特に目立った外傷はなかった。 ところどころにかすり傷のようなものが見られるが、これが原因で倒れたわけではないだろう。 暗くて視界も利きにくい。 夢中で逃げる――逃げてきた、というのは仮定だが――うちに、どこかの木にでもぶつかったんだろう。 「あれ……。」 ガクが、あることに気付いた。 闇に溶けるような、漆黒。 その青いボディとは、不釣合な色。 そして、その漆黒と混ざり合うかの如く、そこに在る真紅。 ――それが、体と繋がっている、というよりは生えているのに、気付いたのだ。 位置からすると尻尾だろう。 そいつは酷かった。 偉く抉れていて、真っ赤な液体が中から溢れていた。 どうも、抉れた痕が歯形のようなので、鋭い牙が食い込んだみたいだった。 ……そうか、それでこいつ……。 ガクは、数分前の、ソーナンスの苦悶の表情を思い起こした。 ――こいつも、怖かった……だろうな……。 ガクは、そっと、ポーチから小さな布切れを取り出した。 暖かい。 パチパチと、小さな何かの爆ぜる音。 まだ薄っすらとしか意識がない中、微かに働く自分の感覚を頼りに、周囲の様子を探ろうとする。 しかし、肝心の目が開かない。 これは、まだ体を起こせそうにはない。 でも、不思議と、こうしていても大丈夫な気が、する。 少し記憶の整理をしよう。 ここに至るまでの経緯……、は。 そこまで考えた瞬間、ハッ、と我に返る。 閉じていた目が、開く。 ――ガバッ 眠りに就いていたソーナンスが、突然身を起こした。 やっと意識が戻ったようだ。 ソーナンスは、慌てて立ち上がると、周囲を見回す。 警戒してるようだ。 そして、自分の尻尾をのぞき込む。 そこには、白の包帯が巻かれ、手当てが施されていた。 ガクが手当てをしたのだ。 「やぁ、目が覚めた?」 まだ事態を呑み込めていないのか、キョロキョロと辺りを見回すソーナンスに、ガクは話し掛けた。 「傷口洗うために、水筒の水使ったら、飲む分がなくなっちゃったよ。」 すると、事態を把握できたのか。 ソーナンスは、何かを理解したような様子で、静かにまた、その場に座り込んだ。 流石にまだ、歩き回る元気はないのかな、などと思いながら、ガクはしげしげとソーナンスを見つめた。 ――それにしても。 ガクには、さっきから少し引っ掛かることがあった。 どうして……。 ――と、そのとき。 ――ガサ ガサガサッ ガサササッッ 草を掻き分け、高速で進む音。 先ほどのソーナンスのときとは、明らかに様子が違う。 その音と気配に、殺意さえ感じられた。 ……だが、不思議とそのとき、恐怖はなかった。 『……チュ』 出てきたのは、小さな灰色の、鼠ポケモン。 ――コラッタ。 こいつもまた、ガクの知ってるポケモンであった。 「小さくても、前歯は強力」。 そんな風によく言われているポケモンである。 そうか。 こいつか。 こいつが。 尻尾の生々しい傷を、思い返す。 複雑な想い。 何故かはわからない。 だけど、沸々と、何かの感情が湧き上がるのを覚えた。 ――こいつが、ソーナンスが、何をした。   こんな、こんな性格のやつが。   この小さな、ポケモンを襲った……とでもいうのか。   それに何故、あそこまでやる必要があった。   こいつは、見ず知らずのボクに助けを求めるほど、追い詰められてたんだぞ。   意識を失うほど、傷は深いものだったんだぞ。 何か、怒りに近い、だけどそれとはまた違う感情。 しかし、コラッタは、そんなものを感じ取る気配すら見せず。 ギロリとガクを見つめ、微動だにせず、しかし構えは崩さずにいた。 暫しの間。 だけど、永く感じた。 ようやく、コラッタが動く。 といっても、視線だけ。 だが、その視線は、確実に、――ガクの後ろのソーナンスを捕えていた。 「逃げろッッ!!」 咄嗟に、叫ぶ。 そして、次の瞬間、コラッタは。 電光石火の勢いで、確実に、『獲物』へ跳びかかろうとしていた。 ――ソーナンスが、身構えるのがわかった。 真正面から跳びかかり、己の牙を突き立てるコラッタ。 だが。 ソーナンスは動じた様子を見せなかった。 そして、コラッタが次の一撃を繰り出そうとした合間を縫い、身を翻して、――強力な一撃を叩き込んだ。 …………静寂。 一瞬の出来事だった。 跳びかかるコラッタの反動を利用し、その拳を、突き出したのだ。 コラッタは、その場に倒れた。 一瞬ひるんでいたようだったが、すぐさまその場を離れ、逃げ出した。 「……。」 ソーナンス、そしてガク。 また、二人……否、一人と一匹になった。 「…………。」 言葉が出ない。 先程の光景が目に焼きついている。 ……凄い。 『ソーナンス!』 勝ち誇ったかのように、ソーナンスが鳴いた。 だけど……。 「……血、出てるじゃないか。」 何事もなかったように、平然とした様子のソーナンスに、言ってやった。 先ほど、コラッタに噛まれた痕が、――尻尾の傷ほどは酷くないが――血を滴らせながら、在った。 だが、ソーナンスは何でもないような顔をしている。 「……、ったく。」 数分後、焚火の炎が大分弱まっていた。 こいつの手当てにかまけてて、薪をくべるの忘れてた……な。 ソーナンスの腹部ら辺には、白い包帯が、尻尾と同様に巻かれていた。 手当てをするときも、ソーナンスはきょとんとした態度だった。 それを見ていて、何となくわかったことがある。 「お前、さ……。」 ソーナンスが、ガクを見る。 ガクも、ソーナンスを見ている。 「痛みとか、我慢できるのな。  ……尻尾以外は。」 ソーナンスは肯定するかの如く、短く鳴いた。 「ひたすら我慢するポケモン……ねえ…………。」 恐らく、先ほどは、背後から突然コラッタに襲われ、尻尾をやられたのだろう。 尻尾は言わば、こいつにとって弱点。 突然そこを噛まれたんじゃ、たまったもんじゃなかったろう。 他の部分なら、噛まれようが、何されようが、我慢していたのか。 なんだか、ガクは複雑な気分になった。 もどかしいような、気持ち。 「なあ、我慢しなくても、いいんじゃない?」 思い切って、言ってみた。 愚問だったかもしれない。 第一、我慢しない我慢ポケモンがどこにいるってんだ。 だけど、この想いを。 ――伝えたい。 「我慢ばっかしてたらさ、……えっと、その……。  ……。  ……、きっと、……えーと……。」 何言ってるんだ。 何でこんな風になってるんだ。 落ち着け。 頑張れ。 頑張れ。 自分を励ましながら、言葉を探す。 そして。 「…………我慢ばっかしてたら、ホントの気持ちを、わかってもらえないじゃないか。  そんなんじゃ……みんな、離れていっちゃう……と、思う。  ……だから……。」 自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。 これが、言葉を探して、やっとのことで出てきた言葉か……。 そんなことを思い始めた、そのときだ。 『ソー……ナンス。』 座っているガクの、すぐ目の前。 ソーナンスは、か弱く、鳴いた。 元気がないのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。 ――照れてるようだった。 そして、そのまま、ソーナンスはもたれかかるように、――ガクに抱きついてきた。 「……ソーナンス……。」 ガクは、彼の名を、今一度呼んでやると。 ――静かに彼を抱きしめてやった。 やっぱり、我慢してたけど、孤独には耐えられなかったんだね。 大丈夫、二人なら、分かり合えるよ。 まだまだ、時間が必要かもしれないけど、だけど、確かに。 キミはもう、ヒトリじゃない。 「よろしく、ね。」 『ソーナンス!』 一際元気に、そいつは鳴いてみせた。 我慢してばっかりでは、得られないモノもあるんだ。 それは、決して、目に見えるモノばかりではなくて。 だからこそ、大切なモノで。 こうして、ガクのフィールドワークに、相棒が誕生した。 十数年後、ある学者が世に広く、名を知られることになる。 彼にはいつでも、尻尾に傷痕のあるソーナンスが一緒にいる、という。 が、それはまた別のおはなし。           - fin - 2004.03.11