――晴天。 そりゃもう、雲一つありゃしない、言わば快晴ってヤツだ。 夏のような日差し。蒸し暑い。 恨めしいくらいに晴れ晴れとした一日。 はあ。 ため息まじりに、天を睨むと、目を閉じた。 この足が……地を、蹴れたら。 そう思うと、どんなに悲しいことか。 この体が、外で動き回れたら。 そう思うと、どんなに悔しいことか。 この目で、いろんな景色を見られたら。 そう思うと、どんなに苦しいことか。 眩しい。 目を閉じたものの、眠ることはできそうにない。 チェッ、と舌打ちして、もう一度空を睨みつけてやった。 昔から体は丈夫な方じゃなかった。 でも、小さい頃はまだよかった。 外で遊べたから。 あんまり激しい運動とか、しちゃだめって言われてたけど。 それでも、まだ。 あの晴れやかな空の下、風を感じることができたんだ。 大地を踏みしめることができた。 太陽の光を浴びることができた。 ――それなのに。 ――今の自分は。 改めて、自分の現状を顧みてみる。 十歳になった誕生日。 その日、全てが変わってしまった。 突然、倒れた。 力が入らない。 もう一度、その地に立とうと、這い上がろうと、……必死に体に力をこめようとした。 だけど、無理だった。 何かを掴もうとしていたのは憶えている。 でも、何に手を伸ばしたのかは、わからない。 ただ、掌が虚空を握りしめていた。 そして、意識が遠のいた。 目覚めたとき、部屋のベッドで寝ていた。 どうしたんだろう。 何が起こったんだろう。 不思議に思いながらも、立ち上がろうとした。 ベッドから出て、もう一度。 ……もう一度、『僕は立てるんだ』って証明してやるんだ。 そんなことを考えてたような気がする。 何故かはわからないけど、怖かった。 世界が、小さくなるような、変な感じがした。 そして……。 ――僕の足が地につくことは、なかった。 あの時から、今まで。 ううん……多分、これからも。 母さんは言っていた。 ――体が弱っているだけだから、ずっとベッドで休んでいれば、いつかは良くなる。 でも、わかってるんだ。 きっと、僕はもう。 一生、このまま。 この部屋の、この場所で。 僕の一生は、続き、終わる。 ――だから。 もう一度、窓の外に目を向ける。 そこには……。 眩しいほどの、晴天。  ===== ===== ===== ===== =====   ポケットモンスター         読みきり小説    ニャースのはなし Part.b       - D.O.E -  ===== ===== ===== ===== ===== ……それにしても。 すごく暑い。 汗ばんだシャツが、気持ち悪い。 それになんだか、苦しい。暑さのせい……かな。 ……ふう。 やっぱり、寝よう。 そう思って、再び、目を閉じる。 ……。 暫しの、間。 ……。 暑い。 眠りへ就くための精神統一も、ものの十分で途切れてしまう。 この気だるい暑さのせいだ。 何てことだ。 暑さから逃れるための手段が、暑さのせいで実行できないなんて。 部屋にはクーラーがない。 冷房は体に障る、ということで暖房しか設置してない。 はぁ、とため息一つ。 上半身だけを起こすと、窓を開けた。 微弱だが、風は吹いていた。 暑いことに変わりはないが、幾分はましだろう。 僕の部屋は一階にある。 窓から向こうの世界を見つめてみる。 窓に面して、小さな庭が広がる。 母さんがきちんと手入れをしているのだろう、綺麗な庭。 日なたには、ナゾノクサの姿が。 光合成でもしているんだろう。 小さな庭は、高さはあまりない垣根に囲まれている。 ……昔はここでよく、遊んだんだよな。 苦いような思い出。 外の世界を見ると、憬れは強くなる。 だから、外はなるべく見ないようにしていたんだけど。 ちょっとの間、そうしていた。 けど、やっぱり何か虚しく思う自分がいる。 開け放った窓だけそのままにして、もう一度上半身を倒す。 目を閉じてみたけど、やっぱり眠れそうにはなかった。 仕方ない。 読みかけの本の続きでも読もうか……と思って再度体を起こそうとした、そのときだった。 ……猫? …………いや。 白い猫みたいだったが、それは。 まぎれもない、ポケモン。 ――ニャース。 ニャースが、窓のふちに乗っかっている。 いつの間にやってきたんだろう。 そのいたずらっぽい瞳が、僕をじっと見ていた。 どれぐらい、目が合ったままでいただろうか。 沈黙は、破られた。 『オイラが、見えるのニャ?』 ――えっ? 確かに、そう声が聞こえた。 けど、母さんは二階にいるはずだし、窓の外には誰もいないし。 もちろん、部屋にも誰もいない。 いや、一匹……このニャースをのぞいて、だけど。 そういや、声は結構近くから聞こえた気がするし、ニャースの口もとも動いてた気がする。 ……で、でも、ポケモンがしゃべったりするのか?! 少なくとも、しゃべるポケモンなんて見たこともないし、聞いたこともない。 『見えてる……のニャ?』 今度は、少し自信のなさそうな声。 確かに、聞こえる。 それは、どうやら間違いなく、この目の前にいるニャースのものらしかった。 首を傾けて、少し困っている様子。 「うん、見える……けど。」 返答を求めているようだったので、答えてやった。 それを聞くと、ニャースは耳をぴくっ、と動かした。 『ほ、ホントかニャ!?』 ニャースは驚いた様子、なおかつ、嬉しそうな様子だった。 ……ん? ニャースは、自分の姿が見えるのか、と僕に聞いてきた。 僕は、それに見える、と答えた。 そして、ニャースは驚いている。 ……って、他の人には見えてないのかー!!? 『オイラ、いたずら大好きで、町の商店街でいたずらするのが好きなのニャ。  でニャ、この町にやってきたから、ここでもいたずらをしようとしたんだけど、誰もオイラのこと見向きもしてくれないのニャ。  ……でも、キミはオイラのことじっと見てたから、もしかしたらオイラのこと見えてるのかニャーと思って。』 ニャースはひととおり経緯を説明してくれた。 しかし、いたずらっぽい外見に違わず、中身もいたずらものだったのか……。 僕は、ニャースの話を聞いて一つの結論に達した。 みんなは、こいつの姿が見えてないんじゃない。 ……相手にしてないだけだ。 僕は、呆れかえりながら、ニャースをまじまじと見た。 「何か?」とでも言いたそうに、僕を見るニャース。 はあ……。 ……でも。 これで暫くは退屈しないで済みそうだ なんて、思いながら、話し掛けてみた。 「ねえ、外の世界には何があるの?」 ニャースから、いろんなことを聞いた。 外には、いろんな人やポケモンが暮らしていること。 ニャースは、いろんな街を歩き回っていること。 窓からのぞく、僕の姿が誰かに似ていたこと(誰とは教えてくれなかったけど)。 そして、だから僕の方へとやって来たこと。 ニャースは紛れもなく、外の世界を駈ける者だった。 ――僕の、憧れた。 「外の世界には何があるの?」。 その問いに答えたニャースは、逆に、「何故そんなことを聞くのか?」と問い返してきた。 僕は、自分の生い立ちを語った。 生まれつき体が弱かったこと。 突然倒れたこと。 ……歩くことはできなかったこと。 僕が話し終わると、 『ふーん……そうなのかニャ……。』 と、ちょっと深刻そうな顔をしてた。 でも、僕は別に同情されたくてそんな話をしたわけじゃない。 そんな顔をするのはやめてくれ、って言おうとした瞬間、 『お腹空いたニャ……。それじゃ、オイラは食べる物を探してくるのニャ。』 ……そう言って、窓から外に飛び出していってしまった。 しょせん、いたずら好きの困り者。 そう思った。 ……というのは昨日の話。 結局、日が暮れても、ニャースは戻ってこなかった。 また、いたずらしにどこかの街に行っちゃったのかな、と思った。 せっかく出会ったのに。 なんだか、淋しい気持ちだった。 窓の外を見る。 今日も今日とて相変わらず、晴れ晴れとした天気だった。 小さい頃――まだ、歩き回れた頃――は、雨の日の方が憂鬱な気分だった。 だけど、今じゃ。 この気持ちのいいぐらいの快晴こそが、憂鬱の原因である。 変わらない毎日。 変わることのない日常。 そんな、有り触れた世界が、少しでも……。――ほんの、少しでも。 変わると、そう思った。 だけど――。 開いた窓の外には眩しい世界が広がっていた。 ――何一つ変わりはしない。僕だけが、取り残されたんだ。 何度も思い知らされた「現実」という重さ。 ……また押し潰されそうになってる自分がいる。 いけない。 表に出しちゃ、イケナイ。 ――だけど、無理だった。 強く発せられた感情は、涙腺を強く刺激してしまう。 温かいモノが頬を伝うのが、はっきりとわかった。 ……。 天井を涙目で睨みつけた。 別にそうすることに意味があるわけじゃない。 だけど、それが精一杯の虚勢であった。 『どうして、泣いてるのニャ?』 ふと、横で声がした。 この声は、と振り向くと。 ――昨日のニャースだ。 昨日と同じように、窓のふちの乗っかって、いたずらっぽい瞳で僕を見ていた。 嬉しさと同時に、恥ずかしさが込み上げてきた。 ……涙を、見られた。 僕は、慌てて目の辺りを腕で擦って、とぼけた。 「……目にゴミが入っただけだよ。」 見え透いた嘘。 ありがちな言い訳だった。 でも、ニャースもニャースで、とぼけたように答えた。 『ふぅー……ん。目、大丈夫かニャ?』 「もうっ……!」 僕とニャースは笑いあい、 そしてまた、 楽しい時間は、 流れた。 そうして、 ニャースはそれから毎日、 夜になるとどこかへと去っていっては、 昼になると現れた。 いつも、 気がつくと窓のふちに乗っかっていた。 ――数日後。 その日は、めずらしく曇り空だった。 どんよりとした、今にも雨が降り出しそうな天気。 こんな天気だけど、ニャースは来てくれるのだろうか。 それが心配でならなかった。 天気のことを考えていたのが、いつしか。 ……ニャースのことを考えていた。 初めて会った日のこと。 それからのこと。 色々。 ふと思ったことがあった。 いつもいたずらっぽい瞳で僕を見るニャース。 だけど、ときどき。 ――ホントに淋しそうな目になるときがある。 ニャースは、どこから来たのだろう。 ……何故か、そんなことを思った。 そして何故か、こんなことも思った。 ――突然、またどこかへと消えてしまう気がする。 何故だ。 そんなことあるはずない……。 ……多分。 『そんな暗い顔して、どうしたのニャ?』 いつものように、突然話し掛けてくる。 そして僕も、いつものように振り向く。 ――いつものように、窓のふちに。 「やあ。」 懸念を振り解き、ニャースの質問は無視して、挨拶をした。 だけど、ニャースはしつこく聞いてくる。 『ね、どうしたのニャ?』 「ニャースは、どこにも行かないよ……ね……?」 一瞬、静まり返った。 時が止まってしまったのか、とさえ思った。 大丈夫、思い過ごしだ。 すぐに笑って肯定してくれるはずだ。 ……だけど、返ってきた答えは、意外なものだった。 『んー、どうしよっかニャー……。  もう、ここにいるのも飽きた頃だしニャ……。』 ……そんな。 なんで、なんでそんなこと言うんだ。 『オイラ、そろそろ行くニャ。』 行くって、どこに。 心の中の疑問の返答を待ったが、もちろん返ってはこなかった。 ニャースはピョン、と窓のふちから軽々と飛び降りた。 そして、庭を向こうへと歩いていく。 ――待ってくれ。 呼び止めようとするけど、声が出ない。 ……苦しい。 何故か、とても苦しかった。 必死で腕を伸ばす。 何かを掴もうとするかのように。 ――そう、まるで「あの日」と同じように。 そのとき。 ニャースが振り向いて、言った。 『来ないのニャ?』 えっ。 『こっちに、来ないのニャ?  一緒に来ないのニャ?』 ……僕に、来いと言うのか……。 歩けない、って言ったのに。 「……無理だよ……。」 苦しくて、軋むような痛みを発する胸をおさえて、力細い声で、辛うじてそう言った。 立ち上がることさえできないんだ。 ましてや、歩くなんて。 『そうやって、逃げるの……ニャ?』 ……え? 『いつまでも、そうやって目を背けているつもりなの……ニャ?』 ……何を言ってるんだ……。 『君は、立てるニャ。歩けるニャ。  ただ……畏れているだけニャ。』 ……おそれている? 『ここまで……来られるニャ。……オイラを信じるニャ。』 ニャースは、言った。 いつものいたずらっぽい目じゃない。 ときどき見せる悲しげな目でもない。 今のニャースは、確かな意志を秘めた目をしていた。 僕が……歩ける。 そんなはずはない。 前だって、無理だったんだ。 ……でも。 窓を挟んで対峙するニャース。 今、行かなければ。 ……ニャースは、行ってしまう。 上半身を起こした。 足に力を入れる。 動かない。 やっぱり……駄目なのか……。 『諦めるのニャ?』 ニャースに言われる。 諦める……? 諦めたくなんか……ない。 諦める……ものか。 もう一度、強く力を入れる。 右足が、僅かに動く。 もう、ちょっと。 痛む胸をおさえながら、額から脂汗が滴るのを感じながら、 力を、込める。 ……動いた。 自分の足が、……地面を捉えた。 もう、少し……。 意識が薄らいでいく。 『しっかり、ニャ!』 ニャースの声に、我に返る。 こんなところで、倒れるものか。 全身に力を込めて、体を動かす。 苦しい。 息が。 それでも。 今、失うわけには、 ――いかないんだ! 気付くと、ニャースは隣にいた。 ……いや。 僕がニャースの傍まで辿り着いたのだ。 『やっぱり、君には出来たニャ。』 そうだね。 僕には、できた。 ニャース、君に出会えて良かったよ。 涙が零れるのが、わかった。 なんで、涙が出てきたのかは、わからなかった。 「これで、ずっと一緒に居られるね。」 ……そう言おうとした。 だが……意識が徐々に遠ざかっていった。 ああ、頭が真っ白になっていく。 ……。 …………。 ありが……とう……。 ――夢は、終わった。 ***** ***** ***** ***** ***** 白を基調とした建物の、一室。 部屋の中も白が基調となっていて、清楚な感じだった。 部屋にはベッドが一つ。 その上には一人の少年が、横たわっている。 少年の腕や頭などには様々な管が通っていて、何かの機械に繋がっていた。 機械が、ピッピッ、と定期的に音を上げている。 間隔は、徐々に広くなっていく――。 少年を何人かの人が囲んでいた。 一人は、白衣を着た初老の男性。 男は機械と少年とを交互に見やり、深刻な面持ちをしていた。 少年に向かって、必死に呼びかける女性。 この少年の母親らしい。 他の何人かは、白衣を着たやや若い女性や男性。 いろいろと、せわしなく動き回っている。 そのとき、少年の目が開いた。 呼びかけていた女性――少年の母親――は、一際大きな声で呼びかけた。 目には涙がたまっていた。 白衣の初老の男性は、少年を見下ろし、 「奇跡だ……。三年間も眠りっぱなしだったというのに……。」 と、呟いた。 皆、一様に驚いた様子であった。 少年は、薄く目を開けたまま。 ゆっくりと、微笑んだ。 少年の目から、一筋、また一筋、涙が流れた。 そして、 「こ…………れ…………。」 何かを、しゃべろうとした。 皆、少年が言おうとしたことに耳を傾ける。 部屋が静寂に包まれた。 「これで……ずっ……と…………いっ…しょ……に……い………ら…………れ…………」 少年の目から、一際強く涙が溢れた。 「あ……りが……と………」 ピーーーーーーーーーーーッ。 機械が、終焉の音を告げた。           - End - 2004.05.09