≪ブルーバード≫



 満ちた月が光を放っていた。
 窓硝子越しに夜の冷気が迫ってきて、茶色の小鳥は翼をすぼめた。脇を見やれば少年の顔があった。枕によだれの染みを作りながら、幼い主人は大人しい寝息を立てている。
 主人は相変わらず寝相が悪い。小鳥は足元に蹴飛ばされた布団を頼りないくちばしで摘んで掛け直した。肩まで運んだ時、少年は満足そうに微笑んで見せた。


――ずるい笑顔。


 風邪をひいたらどうするのだと半ば呆れていた思考も、幸福を絵に描いたようなその表情には敵わない。
 小鳥は更けていく夜を眺めながら、朝が来ないことを願った。明日になれば、彼の寝顔を盗み見ることは出来なくなる。
 明日は少年の十歳の誕生日。ポケモントレーナーとしての旅立ちの合図は、あの空の向こうに息づいていた。同時にそれは、自分との離別を決定付ける合図にもなる。
 少年は数時間前まで母親と話をしていた。


――俺、初めてのポケモンは母さんの言う通りフシギダネにするよ。


 小鳥は悟った。これが別れの時なのだろう。ポッポである自分などに少年の夢を手伝えるはずもなかったのだと、否応なく気付かされたのだ。






『ブルーバード』







 一週間前、『ユウジ・カナヒラ様』と素っ気なく印刷された、少年宛の封書が届いた。差出人は携帯獣協会で、それを見た少年は飛び上がって喜びをあらわにした。

「母さん、やっとトレーナーカードがきたよ!」

 ギンギンと頭に響く声。ポッポは止めてくれと弱く鳴いたが、少年の耳には届いていなかった。このプラスチック製のカードは頂点への第一歩を許す証明書のようなものだ。無理もない。

「そうだ、友達にも見せてやろっと……クゥ、ちょっと出掛けてくる」

 そう言うと、カードを片手にした少年はまたたく間に部屋からいなくなってしまった。廊下を駆ける騒々しい足音。机には封書の残骸を残したままだ。
 置き去りにされた紙切れをくちばしに挟み、ポッポはそれを屑かごに運んだ。まったくだらしない主人だ。これぐらい片付けられずに一流のトレーナー、強いてはチャンピオンになどなれるわけがない。
 ポッポは開きかけの窓に小さな身体を滑り込ませ、畳んでいた翼を命一杯に広げた。少年の母親から強く言われていることがあった。


――最近、オニスズメが町のあちこちでうろついているから、あの子から目を離さないで。


 オニスズメは自分と同じ背格好のポケモンだが、気性が違いすぎるのだ。好奇心からちょっかいを出した子供がひどい怪我をしてしまうのは、そう珍しいことではなかった。
 部屋に吹き込んでくる風に身を預けて、ポッポは飛び立った。文字通り鬼のような形相で襲い来るオニスズメほどの力は持っていなくても、危険な草むらに入らないように注意することはできる。
 羽ばたきながら見上げる青い空は際限なく広がっていた。羽の一枚一枚が空気を滑らかに撫でて、体を浮き上がらせていく。十分な高度まで上昇してから小鳥は町並みを見下ろした。
 少年の祖母が開いている道角の煙草屋。
 農作業に向かう鈍重な動きの作業車。
 買い物かごを片手に、さびれたバス停の前で談笑しあう主婦たち。
 そこに少年の姿は見当たらない。翼を翻して旋回する。すると、すぐ先の公園で子供たちの騒ぐ声が聞こえてきた。少年を中心に近所の子供たちが集まっている。

「うわぁ、ユウジくんすごいね。トレーナーカード、わたしお兄ちゃんのしか見たことないよ」
「マジで本物だ。すげぇな――」

 ポッポは少年を羨む声の中にパタパタと舞い降りた。主人の肩に留まると、幼い視線がいくつも自分に向けられて、小鳥は一握りの気恥ずかしさを覚える。
 どこにでもいる小鳥ポケモンとはいえ、一匹でも家にポケモンを飼っていることは、子供たちの中では一種のステータスらしかった。

「あ、ユウジくんの所のポッポだ」
「ホントだ。いいよなぁ、親がトレーナーだった家って、大体ポケモン飼ってるもんなぁ……」
「なあユウジ、どうせ博士からフシギダネかゼニガメかヒトカゲを貰うんだろ? お菓子やるからさぁ――そのポッポ、俺にくれ!」

 子供たちは少年とその肩に乗る小鳥を交互に見やって、次々に羨ましいと口にした。しかし、最後の言葉にだけ、少年は強く反応した。

「誰がお菓子なんと交換するか! ポッポじゃなくて『クゥ』だ! それにこいつは……」

 一瞬、主人が覇気を失って小鳥の黒い瞳を覗きこんだ。

「……こいつは母さんのポケモンだ。俺のじゃない」

 少年は小さく言って、サッカーボール持ってきたから遊ぼうぜ、と急に声を大きくした。
 自分は少年のポケモンではない。当然のことだったから、ポッポは気にも留めなかった。
 彼の母親。彼女がポケモンの所持資格を有しているからこそ、自分は少年の傍にいられるのだ。それに――彼女の息子である少年もまた、主人なのだ。
 少年を筆頭に、全員が一斉にボールを追い始めた。
 公園の中は子供たちだけのサッカースタジアムに姿を変えた。プロにも負けない光をそれぞれが放ち、見えないゴールネットを何度も揺らす。
 きっとこれは旅立つ少年に贈られた壮行試合なのだろう。
 小鳥はのんびりと羽を伸ばしながら、陽が傾き始めるまで幼い選手たちに声援を送った。




 ◇




 帰り道の途中、少年は煙草屋に立ち寄った。トレーナーになる前祝だと言って、店主である祖母から飴玉をねだるためだった。
 猫のように背を丸くした祖母は孫の姿を目に捉えると、途端に呆れ顔になった。

「ユウジ。アンタねぇ、泥んこじゃないか。またお母さんに叱られるよ」

 祖母の嘆きに、いいんだよ、と少年は意地悪そうな笑みを浮かべる。

「子供は風の子なんでしょ。ちょっと服が汚れたぐらい、平気だって」
「よく言うね。ほら、ポッポのクゥちゃんだって呆れ返ってるよ」
「――んなっ、クゥ、裏切るのか! 何だよ、別に俺はそれでもいいんだよ。どうせ博士から新しくポケモン貰えるんだからな!」

 少年は顔を真っ赤にして、肩を掴むポッポの足を振り解く。その様子を見た祖母の含み笑いにますます機嫌を悪くしたのか、少年はプイと首を背けて一人で先に歩き出してしまった。
 ポッポは慌てて後を追った。何度か手で払われそうになったものの、少年は肩に乗ることを何とか許してくれたようだった。
 上下に揺れる少年の肩幅は、まだ小さい。
 もし、少年がチャンピオンになってこの町に帰ってくることがあったなら、その肩幅はどれだけ大きくなっているのだろう。一端の青年並みには力強くなっているのだろうか。

「……なあ、クゥ」

 不意に少年が小鳥の名前を呼んだ。赤く燃える夕陽が視界に入って、少年の顔がなかなか見えない。

「さっきのは嘘だからな。本当はさ――」

 小鳥はその一瞬が永遠に続くように思えた。黄昏の色で満たされる美しい世界が、自分と少年のためだけに用意されたものだと錯覚するほどだった。
 少年は言った。


――俺、クゥと一緒に行きたいんだ。


 泥と汗にまみれた少年の確かな一言が、ポッポの小さな胸の鼓動を速めた。

「ほらこれ、お祖母ちゃんから貰ったやつ」

 少年は雲のように白い飴玉を摘んで、ポッポが食べやすいように、そっとくちばしまで運んだ。舌で転がすと、少し甘酸っぱい、ほのかな虹色の味が広がった。




 ◇




 少年と母親が寝静まったころ、ポッポは居間の端に作られた巣箱の中で眠れずにいた。茜色の帰り道で聞いた少年の言葉が、頭の中をぐるぐると回り続けている。
 ポッポは少年との旅路を想像したことがなかった。
 少年の母親のポケモンとして、都会から遠く離れたこの町で、このまま暮らしていくことに疑問を抱いたことさえない。ただの田舎娘のように、平穏な一生を過ごすのだとばかり思っていたのだ。
 それが少年の一言で呆気なく覆された。


――ユウジと一緒に……旅を。


 旅の荷物を背負った少年の肩に乗り、この町を出る。たったそこまでのことを想像しただけで、言いようのない嬉しさが込み上げてくる。胸の高鳴る、不思議な気持ちだ。
 夢に向かう少年と共に歩めば、その先には一体何が待っているのだろう。
 進化して、体が一回り大きいピジョンにもなれるだろうか。いや、更に強くて、流れるような飾り羽が美しいピジョットにもなれるはずだ。
 チャンピオンの姿を追ってたかれるフラッシュの洪水に、少年と顔を見合わせる喜びが思い浮かぶ――。
 メトロノームのような時計の音がカチコチと響いて、次第に意識が闇に引き込まれていった。
 そして、不意に目が覚めた時だった――眩しい。時計の針はまだ夜中を指しているにもかかわらず、居間の照明は煌々と灯っていた。


――ですから、はい、うちのユウジが……そうなんです。お願いします。はい。


 少年の母親が受話器に対してまくし立てるように喋っている。巣箱から這い出てきたポッポを見るなり、彼女は血相を変えて言った。

「――クゥ、起きて! ユウジがどこにもいないの!」

 突然の言葉。意味を飲み込むのに数秒掛かってしまう。
 ポッポは急いで少年の部屋に向かった。どうせ掛け布団の下に隠れているはず――丸みを帯びた布団を勢いよく引き剥がす。


――ユウジ?


 しかし、そこにあるのは枕だけで少年の姿はなかった。
 現実を把握できない。掴んだ布団を放すことも忘れて呆然としていると、小鳥の首筋を夜風が撫でていった。窓が、開いている。


――ここから外へ?


 ポッポは窓枠を蹴って宙に身を投げた。冷えた向かい風を両翼に当てて、一気に上昇する。どこにいるのだと、腹の底から鳴き声をしぼり出した。
 道角の煙草屋、農道の十字路、さびれたバス停前。どこにも少年の姿はない。
 昼間飛び交った空路から眺める町並みは驚くほどに暗かった。懸命に少年を呼ぶ。低い雲を潜り抜けた時、掻き消えそうな声が小鳥の鼓膜を打った。


――けて……助けて。


 ポッポは空中で急ブレーキをかける。間違いない、少年の声だ。
 少年は公園の中心でへたり込んでいた。高度を下げようとすると、背中に重い衝撃が走った。
 体勢が崩れて真っ逆さまに地面へ。羽を広げて速度を落とそうとするが、痛みに邪魔をされて思ったよう動かない。こんな時に一体何が起こったというのだ。
 落下していくポッポの脇を黒い影が横切った。自分と同じぐらいの大きさ。鋭い眼差しで睨みつけてきたそれは、正しく鬼の眼――オニスズメだ。
 よく目を凝らせば、地上にいる少年の周りを十数羽のオニスズメが取り囲んでいる。
 ポッポは意を決し、広げようとしていた翼を一転して折り畳んだ。
 降下速度が急激に速まっていく。着地が困難を極めてしまうとしても、一刻も早く少年のもとへ行かなくては。吹き付ける突風に思わず目を閉じそうになる――それでもこじ開けた。
 地面に激突する一秒前、ポッポは身体を捻り上げるようにして両翼を広げた。それでも僅かに判断が遅れたのか、小鳥の足は悲鳴を上げて鈍い音を出した。

「……クゥ!」

 少年の呼ぶ声がはっきりと聞こえた。
 ポッポは痛みを押し込めて傍に寄った。少年の手には何かが握られている。それがトレーナーカードだと分かるまでに、さほどの時間は掛からなかった。
 昼間遊んでいた時に落としていたことに気付いて、それを探しに来たのだろう。
 少年は恐らく寝ていたオニスズメを間違って起こしてしまったのだ――本当に不安にさせてくれる主人だ。片時も離れずにいなくては、恐らく旅の途中でも心配で堪らなくなる。
 暗がりからいくつもの鋭利な眼光が姿を現した。少年はすくみ上がって逃げられそうもない。
 ポッポは怪我した足を引きずりながらも、襲い来るオニスズメの前に立ちはだかった。
 戦って勝てるような相手ではない。しかし、もう決めたのだ。少年を守ることが出来なくては、一緒に夢を追い駆けることなど到底出来ない。
 研ぎ澄まされたくちばしが小鳥の風切羽を貫いた。別の角度から圧し掛かってきた影は無造作に綿のような羽毛をむしり取っていく。
 群れとなったオニスズメの前に、ポッポ一羽の抵抗はあまりにも無力だった。
 声にならない声で、小鳥は叫んだ。


――ユウジ、早く逃げて。


 こちらに気を取られているうちに逃げ出せるはずだった。


――ユウジ、どうして逃げないの!


 少年は小鳥の名前をうわ言のように繰り返しながら、まだ座り込んでいる。
 視界がオニスズメたちの身体で覆い隠されていく。少年の許しを請うような目が悲しかった。


――私を置いて、逃げて……いいのに。


 鬼たちの狂乱は最高潮に達していた。無様に引きちぎった羽毛を吐き捨て、ポッポの翼をあらん限りの力で引き抜こうとする。滲み出る赤い血がみるみるうちに身体を汚していく――。

「――やめろぉっ! 俺の、俺のっ……俺のクゥに触るなぁっ!」

 ポッポに群がっていたオニスズメたちが一瞬で打ち払われた。少年は涙交じりの顔をぐしゃぐしゃにして、傷付いた小鳥をその胸に抱きかかえる。
 少年の顔が触れそうな位置にあった。オニスズメたちの羽音が強くなり、少年は目を閉じて歯を食い縛ったようだった。背中に手痛い攻撃を受けたのか、口から苦悶の声が零れる。
 何故だろう。身に代えて作り出した機会が無駄になってしまったというのに、怒りはまったく湧かないでいた。それとは別の、何か熱いものが胸の中に溢れかえった。
 少年の荒れた息遣いが耳に届く。もっと早く動けたのに、ごめんな、俺、意気地なしだ――もう言葉なんて要らない、とポッポは小さな頬を少年の胸に押し当てた。
 この温もりに全てを預けよう。そしていつか、少年を守り切れるように強く、美しく、この姿を変えようと思った。

「――ユウジ!」

 母さん、と少年がその声に答えた。額に汗をびっしりとかいた少年の母親が駆け寄ってくる。
 続いて母親が桃色の丸い影を投げ込んだのが見えた。オニスズメたちが一斉に首の向きを変えてその物体に飛び付く。


――あれは、ピッピ人形。


 何年も前に引退したとはいえ、さすがに彼女も元トレーナーだ。野性のポケモンから逃げる術は、しっかりと身に染み付いている。
 小鳥と少年は、元トレーナーの母親の手によって、あっという間に助け出されていた。




 ◇




 家に帰ってすぐ、母親は慣れた手つきでポッポの身体に包帯を巻きつけ、そっと巣箱に戻した。
 机に置かれたマグカップから、温かい牛乳の、じんわりとした湯気が立ち昇っている。マグカップを一度傾けてから、母親は言った。

「あのね、ユウジ。母さんは意地悪でそういうことを言っているんじゃないの」

 母親は椅子に座って、少年のまだ小柄な頭を撫でた。しかし、少年は目に涙を貯めながら、首を横に振った。

「……ユウジの気持ちは母さんにも分かるわ。でもね、」

 少年は頑なに首を振り続けた。そうね、ユウジはクゥのことが大好きだものね、と母親は困ったようなそぶりを見せる。
 母親の手が少年の両肩にゆっくりと乗せられた。少年ははっとなってその目を見開く。

「クゥが大好きなら……連れて行っては駄目。酷いことを言うと思うかも知れないけど、しっかり聞いて。先輩トレーナーとして言わせて貰うとね、あの程度のオニスズメの群れを相手に出来ないようでは駄目なの。最初のポケモンは博士が用意してくれる三匹の中から選びなさい」

 少年に語りかける母親の瞳に嘘はない。
 博士が新米トレーナーのために準備しているポケモンは、最低でも野生のポッポやオニスズメ、コラッタなどと戦って簡単に勝てるレベルまで事前に訓練されている。
 そうでなければ隣町までの旅路でさえ安全ではないからだ。
 答える言葉を持たない少年に、母親は強い口調で続けた。

「ユウジ。自分のポケモンたちに重荷を背負わせるようなトレーナーは、トレーナーとして失格なのよ。クゥを連れて行けば、クゥは今日みたいに命がけで守ってくれるでしょう。でも、もし母さんが助けに来てなかったら、ユウジはクゥと自分の、二人分の命を守り切ることが出来た?」

 背中の傷口がチリチリと疼く。少年は俯いて、たぶん守れなかったと思う、と呟くように口にした。

「ユウジ、あなたの成し遂げたい夢は何?」
「――チャンピオンに、なる、こと」

 咳き出る声を殺し、唇を噛み締める。悔しさの溶け込んだ涙を呑み干すような嗚咽。
 母親という先輩トレーナーの言葉は、少年に一つの決断を迫った。チャンピオンを目指すことは、間違ってもこの大好きなポッポの命を危険に晒すことではない――。
 少年は静けさを保つ巣箱に近寄って、瞳を閉じた小鳥に、ごめん、と頭を下げた。


――俺、クゥが大好きだから……連れて行けない。一緒に、行けない。


 泣いているとしか思えないその声に、ポッポは寝ているふりを続けることしか出来なくなった。




 ◇




 それからの一週間は、ぽつんと浮かぶ雲のように、ただ空しく流れるばかりだった。




 ◇




 満ちた月が光を放っていた。
 窓硝子越しに夜の冷気が迫ってきて、茶色の小鳥は翼をすぼめた。脇を見やれば少年の顔があった。枕によだれの染みを作りながら、幼い主人は大人しい寝息を立てている。
 巣箱から抜け出してきてみればこれだ。こんな姿を見たら、きっと百年の恋でも一瞬で冷めてしまうだろうに。
 小鳥は足元に蹴飛ばされた布団を頼りないくちばしで摘んで掛け直した。明日は出発の日。風邪をひかせる訳にもいかない。
 布団を肩まで運んでやると、少年は満足そうにうっすらと微笑んで見せた。


――ずるい笑顔。


 旅路を共にして、強くて美しいポケモンに進化すれば、この笑顔がもっと自分の方を見てくれるはずだった。かけがえのない存在として、この笑顔を独り占めすることも出来るはずだった――けれど。
 夢は、すでに見終えたのだ。
 明日の朝、少年の選ぶポケモンは。
 青空の下、少年の隣を歩むのは。
 栄光の頂、少年の相棒は。
 そのどれもが自分ではない。
 小鳥は悟った。これが別れというものなのだろう。ポッポである自分などに少年の夢を手伝えるはずもなかったのだと、否応なく気付かされたのだ。


 ポッポは、幸福の青い鳥にはなれなかった。


 夢破れて、ようやく小鳥は知ることができた――叶わなかった夢の名前は、恋だったのだと。
 きらめくようなあの夕焼け空も、飴玉の甘酸っぱい味も、眠れなかった胸の高鳴りも、全ては少年への想いが姿を変えたものだったのだ。
 かさついたくちばしを少年の寝顔に摺り寄せて、ポッポはさり気なく口づけた。くすぐったそうに笑みを浮かべた少年が、小鳥の名前を呼んだような気がした。


――せめてこの夜を、もう少しだけ。


 月光に青く照らされて、羽毛の輪郭が淡く輝いた。朝日と共にやってくる少年の目覚めが、希望に縁取られたものであるように祈りながら、やがて小鳥は深い眠りに落ちる。
 夢を見すぎた心のしずくを、その小さなまぶたの裏側に閉じ込めたままで。






『ブルーバード』 おわり


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