−イントロダクション−  かつて瞳に闇を宿していた女の子がいた。名前を美由生(みゆう)という。  しかし、今は。  覗き込んだ写真立てに、薄く映る瞳には影がなく。子供のように、好奇心に輝き、大きく見 開いている。  そこはウツギ博士の研究室。数々の実験機材や資料のあふれる。しかし、綺麗に整頓されて いた。  「助手がいいからね。」  研究に没頭すると食事も忘れるという、ウツギ博士が嬉しそうに言った。  美由生は顔を上げて笑い掛け、すぐに顔を写真立てに戻した。すこし考え込み、小首を傾 げる。  「美由生ちゃん、それがどうかしたのかい?」  ウツギ博士が、その優秀な助手の姉…外見はある意味同じなのだが、その仕草が、どうみて も妹…に話しかけた。  美由生が覗き込んでいるのは、ウツギ博士の古い友人達の集合写真だった。ふざけてもつれ 合い、楽しそうに写っている数人の若者が居る。そのひとりに視線を固定したまま美由生がつ ぶやいた。  「この人…どこかで見たことあるぅ。」  その言葉にウツギ博士は驚いた。その美由生の言った若者…現在はいい歳のオジさんだが …は、生死不明になっていた者だったからだ。  「美由生ちゃん、詳しく話してもらえるかい…?」  美由生は写真に目を向けたまま、思い起こすように、ひとつひとつ話し始めた。  それが全ての始まりだった。  私は、許されないウソをつく。                     −嘘つき少女−  「じゃあ、行ってきまーっす。」  親友を伴って、男の子は振り返りもせずに、研究所を出た。  私は視線だけで男の子を追いかけて、…追いつけずに、おいてけぼりを喰う。  ふぅ…。  人知れず、ため息をつく。  「美有羽ちゃん?」  手に持った研究資料も目に入らず、ボンヤリしているところを、世話になっているウツギ博 士に「どうしたの?」と、声をかけられる。  「いえ、なにもないもの…。」  抑揚の無い、感情の感じられない声で答える。  視線が合わせられない…。  これからやろうとしている事は、非常に罪悪感をともなう“うそ”である。バレると私の人 格が疑われることになるだろう。軽蔑され、無視され、疎ましがられる事になるかも知れない 。しかもそれを愛する人達に…。  なのに私は嘘をつく。そして、それは自分では止める事が出来ない。  私なんか消えてしまえ。  誰にも認めてもらえない、  誰もなにも分かっていない、  誰にも分かってもらえない…  自分なんか消えてしまえ…。  ここはウツギ博士の研究所。緑豊かな田舎町、ワカバタウンにある。  そこに住み込みで助手をしている女の子“美有羽(みゆう)”は、与えられた自室…では なく、第三書庫に入った。幅が狭く、奥に深い縦長部屋。両側の壁際には天井まで届く本棚 にびっしりとポケモン研究の資料が収められている。本棚の間を通って奥へ行くと、小さな明 り取りの窓の下に、本棚の影になって古い化粧台が置かれてあった。  きしむ音を立てて美有羽が三面鏡を開く。  鏡に映って、目の前に立つ3人の美有羽…。  みにくい…。  アルビノ…色素欠乏により色をなくした真っ白な肌と髪、血の色の瞳は生々しく鼓動を映し 出し、鮮血を色濃くする。美有羽にとっては嫌悪の対象が映っている。雪の精霊のようなその 姿は、誰もが賞賛する美しさであったが、生に儚げな自分のその姿が、美有羽は大嫌いだった。  こんなだから、あの人は振り向いてくれないんだ。  さっき出て行った、どこにでも居るような男の子“ゴールド”は、自分ではなく、自分の姉 …実結(みゆう)を選んだ。その実結が今、遠く離れた街の医学校に行っている。そこで私、 美有羽は…。  白衣のポケットから小瓶を取り出した。目に染みる、耐えがたい薬品臭のする中身を飲み 干す。  「う…っ。」  まるで全身を敵意を持ったエンテイが、肌を焼き尽くすように駆け巡る。破滅的な痛みが走 り去り、火傷の心配が杞憂だったのを確認して前を見ると…。  「ん…。」  そこには、健康そうな肌、黒い瞳をした姉、実結の姿が映っていた。  「アイン…。」  呼ぶと、隣に片腕のミュウツー“アイン”が現れる。「お願い…。」そう言うと自分はポケ モンの技“どわすれ”を自分におこなった。美有羽の左腕はミュウツーからの移植で、その為 、いくつかのポケモンの技を使えたのだ。外見は華奢な女の子のままだったが。  “どわすれ”が終わると、アインが美有羽に“さいみんじゅつ”をかけた。  オマエ ハ 実結  オマエ ハ 実結  オマエ ハ 実結ダッ  意識が脳ごと螺旋に回る感覚。意識を翻弄する渦の中で美有羽は言った。  「私は“実結”っ!」  実結だったら、仲間外れになんかされない。ゴールドと一緒に冒険に行ける。だったら、今 日から私は実結だ!  美有羽は昨日、起こった出来事を思い出していた。そこは研究所の隣、ゴールドの家での出 来事だった。  「美有羽ちゃん、お使い、頼まれてくれるかな?」  ウツギ博士が美有羽を呼んだ。  手渡されたフロッピーディスク。顔を上げて博士を見ると「ゴールド君に渡してもらえる かな?」  美有羽は手に持っていた書類を、どこに置いたかも分からなくなる程、無意識に処置して、 フロッピーを持って隣家に向った。らしからぬ優秀な助手の姿に、ウツギ博士は苦笑して、突 然書類を手渡されてオロオロしているチコリータから書類を受け取った。  ゴールドの母親に声をかけて、二階に上がる階段の途中。ふと、ゴールド以外の声が聞えた 。しかも複数。  相談事…?  声には意見を出し合う独特の雰囲気があった。雑談とは、まるっきり違う雰囲気に、美有羽 は不思議に思った。  「?」  しかも、美有羽の足音で、声が聞えなくなるのだ。  静まり返った扉の前に行き、ノックをする。  「かあさん?」  ゴールドの声。  「…私、美有羽…。」  ガタ ガタ ガタッ!  物音がした。複数人が折り重なるように動く音。  シーン…  私は待った。疎外感を抱いて  ガチャッ  ゴールドが扉が開くと、中にはゴールドの親友(?)シルバーと、もうひとりの姉、美由生 の姿があった。  「これ…、ウツギ博士から…。」  フロッピーを手渡すと、ゴールドは大慌てでお礼を言って「じゃあ。」と、言って扉を閉め てしまった。  冷たい風と、消沈していく光を感じた。美有羽は心を置き忘れたまま、ウツギ博士のもと に戻ったのだった。  空虚となった心に、冷たい風と光が満ちていた。しかし、光は温めるものでなく、孤独を浮 き彫りにして、冷たい風に晒した。  耐えがたい苦痛…。  味気の無い自室に帰った美有羽に、片腕のミュウツー…アインが寄り添わなければ、うず くまって泣き出したかもしれない。いや、美有羽は泣かない。泣く代わりに、悲しみを感じる 心を、喜びを感じる心とともに、殺していくのだ。しかし今、アインに支えられた美有羽は、 その寒さから逃げ出す方法を思いついた。  それは「実結を演じる。」…それは許されない嘘だった。                     −帰って来た、偽りの実結−  「おーいっ、ゴールド。シルバー!美由生〜。」  ワカバタウンの町外れ、森の入り口で三人は驚いた。三人を呼ぶ女の子は、遠くミナモ シティーに行ったはずの実結の姿だったからだ。  「実結っ!!………?」  驚いたゴールド。しかし、すぐに考えるように、口に手をやる。  「実結っ!おかえりっ。」  手放しで喜んだシルバー。  「実結ぅvゴロニャン♪」  子供のポケモンのように、甘えてくる美由生。  「驚いた?まとまった休みが出来たから帰って来たんだ♪」  実結がいつもそうしてたように、じゃれつく美由生を、なでくりまわしながら実結を演じる 美有羽が言う。  「ちょうどいい!実結にも手伝ってもらおうぜ。な、ゴールド。」  シルバーが興奮した声で言う。なぜかゴールドの反応は鈍かった。  「あ…?あ、ああ。」  「手伝う…?なになに?なにをするの?」  好奇心で目を輝かせ、実結が聞く。  「美有羽の誕生日プレゼントを、救出にいくんだ。」  明るい素直な言葉の内容に、美有羽は驚いた。驚きを隠し、演技が続く。  「えっ!?プレゼントを救出??どういう事???」  「ああ、美有羽には内緒だぜ…?」  自然と小声になるシルバーに、コクコクと実結がうなづく。  「美有羽のおとうさんが、事故で行方不明になったって話は知ってるよな?」  コクコクとうなづく。内心で美有羽が身を乗り出す。  「しかし、事故の後も美由生が、おとうさんを見たって言うんだ。ロケット団のアジトで。」  「ええーーーっ!!」  演技以上に内心は穏やかではなかった。生存の可能性を考えていなかったわけではない。も しかして…と、思っていなかった訳ではない。  「見間違いかもぉ…。だって、遠くからチラっと見ただけだもん。」  語尾の母音を延ばす甘えた声で、元、強盗。のちにロケット団員の美由生が言った。今は更 正してリーグチャンピオンの付き人となっている。  「と、言う訳。もし、勘違いだったら美有羽を、がっかりさせちゃうだろう?で、美有羽に は秘密なんだ。なっ、ゴールド!オマエ、なにボケッとしてんだよ。」  背中を叩かれて前につんのめるゴールドは、実結を見てなにか考え込んでいる。  まさか…バレてる!?  美有羽は冷や汗を流した。  ゴールドは、一度、目を閉じて、なにかを決めるように、うなづいてから答えた。  「そういうことだ。オマエも行くか?、みけつ。」  明るく、イジワルに言ったゴールド。  「うちは“みけつ”ちゃう!“みゆう”やぁっ!!」  叫ぶ実結。その心の中で…ズキッと心痛める美有羽が居た。とても、ホッとして。そして… すこし…すこし、残念で。  ナニサ ゴールド ノ バカ キガツイテヨ   …イイエ キガツカナイデ  イイエ…  ケッキョク ナニモ ワカッテ モラエナイノカ…  デモ ソレデモ イイ…  ソレデモ…イイ  美有羽は全て、破壊したいような、衝動に駆られた。  ナニモ ワカラナイ クセニ!!  トモダチ ノ カオ シナイデヨ!!  美有羽の顔が、まるで仮面のようにひきつった。それを見た者は…居なかった。                     −嘘について−  おとうさんを救出した夜…私、美有羽は知人を訪ねた。  その時、ポケモンリーグチャンピオンである彼は、難しそうな本を読んでいた。  「ねェ?」  「何?」  落ち着いた雰囲気のチャンピオン執務室で、彼は答えた。  灯りは押えられ、執務に向いている光の量ではなかったが、就寝前には充分な光量なのだ ろう。ワタルは、似合わないメガネなんかをかけて、読書にふけっていた。  外には雨が降っている。  ずぶぬれの美有羽を、ワタルは真っ先にシャワールームに連れて行った。シャワーを浴び、 ワタルが用意したダボダボの男服に着替えて、美有羽が帰って来ると、温かいはちみつ入りの ミルクが待っていた。  視線は本にあって、こっちに向かない顔。机に向かった彼の声は、夜の静寂に守られて、や っと私に届いたくらいの僅かな声。  私などは、ソファーに身を預け、シャワーの後の、乾かない長い髪を弄びながら、何気無し な声。  だってそうでしょう?  真実でないこと  正しくないこと  適当でないこと  そんな“嘘”達が、どれほどこの世に溢れているか…。  なにをいまさら、嘘の話しなんかしたい?  でも…だって…嘘で大切なものを無くしたくないから。  それに私は、嘘のような精神的な事柄は専門外だったから。  「ワタルは……          嘘ついたコトある?」  「あるよ。」  何気ない返事。あまりにも正直な答えに、私は言葉を無くした。  「何か?」  彼はハードカバーの分厚い本を閉じて、初めてこちらを向いた。なんでもない顔をしている。  「ん…       何となく…             かな?」  ワタルの顔を見れずに、視線を豪奢なジュータンの上に落とす。ずり落ちてきたバスタオル が両目を隠す。  「ふーん?」  なんでもないような声。  気遣いのない自然な反応がそこにあった。  ワタルが美有羽にだけする反応である。  ここ最近、紳士なワタルは美有羽にだけは、気を遣わなくなっていた。  自然体。  その姿勢で接していた。  「何となく         ワタルって                嘘つきかなって                         思うの・・・」  「それで?」  失礼な言葉を、まるで、なんでもない事のように受け止めて、続きを促す。  バスタオルのターバンを引っ剥がし、身を乗り出して美有羽。眼鏡に白い光を宿して、両手 で頬杖をついたワタルは自然体。  「うん       だから・・・。」  言葉が無かった。  私の為に命を賭けた友達と姉。その人達を私は欺いたのだ。  あの人達は私を許してくれるかもしれない。しかし、私は私が許せなかった。そして、もし 、許されなかった時の事を考えると…。  でも…  許していないのは、私の方かも知れない。本当の自分を見てくれなかった事に…。  両膝を抱き寄せて、美有羽は震えた。  渇望…憎しみ…孤独…。  美有羽は震えた…。ついた嘘の重圧が呼吸すら困難にした。  ワタルの何気ない視線さえ痛い…  美有羽は瞳に影を落とした。  「ワタルは…  ん?  「許されない嘘を          ついたコトは?」  「ついたコトも         つかれたコトも                あるよ。」  意外なワタルの返事に驚き、子供のように純粋な瞳で、美有羽は聞いた。  「後悔…      してる?」  すると、ワタルは………。  哀しみが時間で積み重なって  でも  静かな優しさが限りなく溢れるように…  ほほえんだ。  「美有羽ちゃん。          嘘は、愛されない理由には、ならないよ。                           嘘の自分も、本当の自分も…       全てを、包み込んでくれるのが“愛”だから。」  美有羽は自分の胸に、両手を当てた。  痛みに・・・?ううん。じゃあなぜ?  ・・・説明できない・・・  朝  雨が上がっていた。  清涼な朝日に、植物の葉に付いた雫がキラキラと輝く。  「じゃあ、帰るね…。」  そう言って、笑顔で振り返った美有羽に、手を振るワタルの手が、なぜか大きく腫れ上がっ ていた。  「ゴールドによろしく。」  驚いた美有羽。その顔が徐々に笑顔となり、輝きを放ち…  「はいっ!」  元気な返事が返ってきた。  朝露の輝きと、朝日と共に。                     −美有羽の戦い−  今日は、美有羽の誕生日。  ウツギ博士の研究所に、ささやかながらパーティー会場がつくられ、たくさんの友人が集ま った。  「おい、美有羽は?」  会場は、主役の不在にざわめいていた。  真剣な顔でうつむいていた実結が立ち上がった。  「私が連れて来ます…。」  「美有羽をつれて来ました。」  声がした。みんなが入り口に振り返った。  そして、入って来たのは…  「ええっ!?」  みながざわめいた。声を上げた。  そこには呼びに行った実結しか居なかったからだ。しかも、その姿…。白衣を着て、片腕 のミュウツーを連れていた。  「私…。」  ポケットに手を入れた。震えた手を  「私が美有羽なの!!」  小瓶を取り出し、飲み干した。すると、瞬く間に色をなくし、美有羽の、その姿が現れた。  「私、みんなを騙していたのっ。本当に、ごめんなさい!!」  頭をさげ、うつむいたまま、顔が上げられなかった。心弱く、震え、ただ裁きを待った。  ざわめきが広がる…ゴールドが周囲に押されて前に出る。なぜか、顔にアザが出来ていた。  ゴールドが前に来て止まった。美有羽は震えて、歯まで鳴らした。  「美有羽、ごめんっ!」  突然、ゴールドがあやまった。  パチクリとして、なにがあったのか分からない風の美有羽に、ゴールドが続ける。  「分かっていたんだ、最初から。みんな、もう、知ってる。」  「どうして…?」  混乱した目を周囲にめぐらす。申し訳なさそうなみんなの顔。  「言い出せなくてさ。一緒におとうさん、助け出したかったし、実結のフリしてても、美有 羽は美有羽だから、別にいいかなって…。美有羽になら騙されても構わないし…。でも、その 嘘が美有羽の重圧になっていたんだよな、本当にゴメンッ!」  美有羽は…  泣き出してしまった。おおきく、おおきく、子供のように。  分かってもらえたんだ…。最初から、分かってもらえていたんだ…。  なにやってたんだろ、わたし…。  バカだ…本当にバカだ…わたし…。  嬉しくて、恥ずかしくて…美有羽は泣いた。  アリガトウ…  バターーーッン!!  突然、扉が開いた。そして、何者かが飛び込んで来る。  「ゴールド!!!わたしの妹、泣かしたな!!!!」  「うわっ!本物の実結!!生きてたのか!?」  「生きてるわいっ!!」  本物の実結が乱入し、昨夜とつぜん深夜に訪れたワタルのように、ゴールドにナックルを叩 き込む。  再会した父親が、大切な友達が、やさしい姉達が…プレゼントを持って、美有羽を笑顔で囲 んだ。  ひったてられたゴールドが音頭をとって、みんなが声を揃えて美有羽に言った。  「 HAPPY BIRTHDAY 」  美有羽は、涙を拭いて笑った。  みんなが仕合わせてくれた…  誕生日に  おしまい☆