大きな樹が、黒い影を落とす24番道路で、2人はすれ違った。           −大樹が影を落とす24番道路で−  場所は違うのだけれど、同じ年に生まれ、書く字は違うのだけど、同じ名前を付けられた2 人の少女は、奇しくも、ある瞬間まで、まったく同じ境遇を生きた。  2人の名は“ミユウ”。“実結”と、“美由生”である。               −ミユウ、7歳−  「ゴホッ、ゴホッ。」  ミユウは小さく咳きをした。  部屋の扉が勢い良く開き、優しいみたいな顔を浮かべた義母が飛び込んでくる。  義母は猫なで声で言った。  「ミユウちゃん、大丈夫?苦しいの?辛いの?」  すぐにべったりと、くっついてくる義母。  苦しくも辛くもなかったはずが、ミユウは突然はげしく咳きを始めた。  「あらあら、たいへん。」  義母が背をさする。ミユウは激しく咳きを続け、やがて体力をなくして、グッタリとした。  ジゴク………。  ミユウは心の中で、つぶやく。  義母はミユウが落ち着いたものと見て、部屋を出た。  部屋の戸を閉める義母は満足げな顔で、  「ああ、わたしってなんていい母親なの…。」  と、悦に入っていた。  実結は一度、赤ちゃんの時に、教会に捨てられ、保護された後に消えてしまった。  1週間後、戻って来た実結は2人に…、実結と美由生に増えていた。みんな首をひねったが 、謎は解けぬまま、2人は教会関係者に引き取られていった。  敬虔な、神様の信者たちに…。                −ミユウ、6歳−  ガシャンッ………。  皿の割れる音…、運んでいたミユウの顔色が真っ青になる。  恐怖に固定された顔が、そのままで、振り返る。そこに、ゆっくりと義母が近づいてきた。 手には、水の満たされたペットボトルが、ぶら下がっている。  「このバカッ!!」  どぅんっ  鈍い音  ミユウは壁まで転がりながら、吹き飛んだ。となりに居た飼いポケモンのガーディー“ポチ ”が悲鳴に似た吼え声を上げる。  「悪い子はね、こうやって罰を受けるものなのよっ!私も子供の時、そうだったもの。あな たが悪いんだからねっ、ミユウ!!」  興奮した義母がヒステリックに叫び、その折檻をエスカレートさせる。そこに、音が響いた 。下品極まりない音が…。  ジョーーーッ。  なんと、ガーディーが義母の目の前で、オシッコをしたのだ。  「ぽっ、ポチーーーッ!!!」 憎しみの矛先がポチに向いた。  容赦なく叩きのめされるポチ。その時、ミユウは………。  ………混乱した頭で、ただ、怒りの矛先が自分から逸れたことを幸運に思い。ポチのことな ど考えてはいなかった。  ポチはボロ雑巾のように、外に放り出された。  義母は言う、瀕死のガーディーに。  「外で頭を、冷やしなさい!」  義母が家の中に戻って、しばらくして、近くの森から男の子が現われた。  実結の方には、どこにでもいそうな男の子。美由生には、赤い髪の優しげな目をした、男の 子が。  男の子はポチに“げんきのかけら”を使って、語り掛けた。  「お前、わざとだろ。わざと、ミユウを守るためにオシッコしたな・・。」  そう言って、おにぎり……ボロボロにくずれた、おそらく男の子の手製なのだろう……を、 差し出す。  ポチが、ガツガツとおにぎりを食べる。  男の子はその背中を撫でて言った。  「ありがとう。」  ミユウは家の中で、ほぼ監禁状態で育った。義母は近所に「あの子は体が弱いの。」と、触 れ回った。義母をよく知る近所の人々は「触らぬ神に…。」と、詮索はしなかった。ただ、と なりに住むミユウと同じ年頃の男の子だけは…、心配して、ちょくちょく、ミユウの家を覗い ていたのだった。なにも出来ない無力をかみ締めながら…。  ミユウは…やがて病気になった。  始めは仮病だったが、そのうち本当に病気になってしまった。  病気になっていると、義母は満足して、折檻という名の暴力をミユウに、そして、ポチに振 るわなかったからだ。  そして………。                −ミユウ、8歳−  「あらあら、どうしたの?ポチ。」  ミユウはやさしいみたいな声をかけた。ポチが激しく咳きをしている。ミユウはベタベタと 、ポチの背に触れる。ポチは激しく咳きをし続け、やがて体力をなくして、ぐったりとした。 ミユウは喜びの顔を満面に浮かべ、ポチを抱きしめる。  「ああ、わたしって、なんていい子なの…。」  ミユウは、悦に入っていた。               −ミユウ、9歳。別れ道−  どんどんひどくなるポチを、お医者さんに見せることになった。  実結は、気が強く、厳しい女医さん。美由生は優しそうで、賢そうなメガネをかけたお医者 さんに出会った。  この出会いが、2人をまったく別の道を歩かせることになった。  女医は言った。  「新鮮な空気と水、そして適度な運動が必要です。太陽の下、元気なポケモンたちの中で遊 ばせなさい、」  この子、実結もね………。  賢そうなお医者さんは言った。  「大変な病気です。しかし、私の薬を飲んで安静にしておけば直るでしょう。もっとも、お 母さんとお嬢さんが、目を離さずに看護することが必要ですが。」  美由生は、はりきった。夜も寝ないつもりで看病するつもりだったし、そうした。  実結は女医に対して激怒した。  「お外にはバイキンがいっぱいなのよ!病気で弱ってるのに、そんな危険なところに出すな んて出来ないわ!」  義母も言った。  「あんなひどい人が女医をやっているなんて、世の中、間違っているわっ!」  そして2人は、女医の悪口を言って楽しんだ。となりでポチが咳きをしているが、構わなか った。  ミユウのガーディー“ポチ”は、どんどん弱っていった。  やさしいと決められている義母の言う通り、賢いと定められているお医者さんの言う通りに しているのに、良くなるどころか、ますますひどくなっていったのだ。  ミユウは焦りはじめた。  やがてミユウは、悦に入ることも、自分がいい子に見られたいことも忘れ、泣きそうにな って、看病した。  濡れタオルを絞る手が、アカギレになっても、日に3時間も眠らなくても、看病を続けた。 それでも、ポチは弱って行った。  死んで欲しくなかった。2人のミユウは必死だった。                −ある朝−  ミユウは、いつの間にか眠ってしまっていた。  カーテンの隙間から射し込んでくる、朝の清涼な光に目を擦る。  ふと、ミユウは、静けさに気が付いた。ポチの咳き込む声がしないのだ。  ポチは目を閉じて、微笑むような、安らかな寝顔をミユウに見せていた。  全てを許すように、心から、感謝の言葉を述べるかのように。  「元気になったの!?病気が治ったのね、ポチ。」  喜んで抱き起こすミユウの手の中で、ポチは不自然に、ぐにゃり、と体を折った。  それを見て、ミユウは、これまで感じたことのない感情にさらされた。  自分から、自分が粉々に砕けて、剥がれ落ちていくような、喪失感。  音が、光が、温度まで、自分を避けて遠のくような、孤独感。  やがて悲しみが、心の奥の奥、心の底の底から突き上げた。  乱暴に自分の中で暴れる。自分自身すら傷つけてしまう程の、激しい悲しみだった。  実結は、叫んだ。  「私のせいだ!」  美由生は叫んだ。  「医者のせいだ!」  また新しいガーディーを買ってあげるから。と、嬉しそうに、なだめる義母を振り切って、  実結は女医の元へ走った、悲しみに泣きながら・・・。  美由生は医者の元に走った、怒りに奮えながら・・・。  2人は生まれて初めて、外を全力で走った。転んでも、雨に打たれても、構わなかった。  美由生は医者にくってかかった。  「おまえのせいで、ポチが死んだ!」  医者は答えた。  「私の治療は完璧だ。おまえの看病が悪かったのだ。」  優しげだった医者が、今は氷のように冷たかった。  美由生は、そこにうずくまって、泣いた。  実結は女医に泣いて、自分を責めた。  「私が悪いの、私のせいなの。」  女医は実結の肩を抱き、頭を撫でながら、ただ、実結の話しを聞いていた。我慢強く、ず っと、ずっと。  実結は言った。  「私は母と同じだっ!            自分が善い人である為に、                        自分が善い人って思われたい為だけに、 ポチを病気にさせて、喜んでいたんだ!!                    私は悪魔だ、                          吸血鬼だ!!!」  実結は、涙が涸れるまで、女医の胸で泣いた。  美由生は、涙が全然涸れてもいないのに、医者に追い出された。  実結が泣き止んで、顔を上げた時、女医―ヴァイオレット―が、実結に聞いた。  「あなたが、ガーディーを死なせたとして…              それで、あなたはどうするの?                            どうしたい?」  実結は、涙に洗われて澄んだ目で、答えた。  「もう、こんなひどいこと、したくない。ポチにごめんって、あやまりたい。」  もし、美由生が、そう聞かれたなら、こう答えただろう。怒りが憎しみに変わり、涙の淀ん だ目をして。  「私は、私が嫌い。大ッ嫌い!私なんか、死んじゃえっ!!」  2人のミユウの道は、完全に別のものになった。  その頃、ミユウの家の裏口で、騒動が起きていた。  助けを求めるミユウの義母の声で、近所の人々が集まってくる。なにかを抱えて逃げ出す男 の子。ひっくり返った大きなゴミバケツ…。  「助けてーっ。ゴールドちゃん(シルバーちゃん)が、わたしをっ、殴った!!」  消えた男の子、女の子の捜索で、田舎の町は騒然となった。  最初に見つかったのは、泥だらけの男の子。  ゴールドに父親がやさしげに言った。どこか、「よくやった。」と、言い出しそうな雰囲 気で、  「お前がどれだけ悪いことしても、俺はお前が好きだぞ。言いたくなかったら、訳も聞か ない。先方には俺が言っておいたから、気にするんじゃないぞ。」  シルバーに父親が怒鳴った。  「てめえは人様になんてことしやがる。さあ、謝ってこい!どうせ、お前が悪いに決まって いるんだから。」  2人のミユウが家に帰った。  義母が出迎えた。  ミユウは聞いた  義母は答えた。  ・・・・・・その答えに、ミユウは吐いた。  おう吐は止まらず、  血まで吐いた。  2人のミユウは、とうとう入院した。  そして、入院した日の夜に、ミユウは病院を抜け出した。  いや…。  母親の手から逃げ出したのだ。  森をさ迷っていた実結は、女医―ヴァイオレット―に、助けられた。そして、ヴァイオレッ トの元で医学を学んだ。  救うために。  都会の路地裏をさ迷う美由生は、ロケット団に拾われた。そこで暗殺術を学んだ。  殺すために。                  −そして、ミユウ、10歳−  24番道路を、実結は走っていた。  胸を張り、しっかり前を向いて。希望に目を輝かせながら。  その前方から、美由生が歩いてきた。  暗く淀んで、闇を宿した瞳は、その顔ごと下を向いて、どこか、とぼとぼ、と、力なく…。  今  大きな樹が、地面に、黒い影を落とす24番道路で  2人は  すれ違った・・・・・・・・・。  ………ただ、すれ違っただけなんだよ。 おしまい