−第13話−  「追いかけてこないね。」  ジュンサーが、夜の街角を振り返って言った。  月光が投げかけられる路地裏。生ゴミや雑多な廃棄物で汚れた道に全員、全力で逃げた後の 荒い呼吸をしていた。  肩に担ぎ上げていた幼姫を降ろして、ジュンサーは壁にもたれた。アヤは地面に突っ伏して いる。  ひとり平気そうなホーリーだったが、突然、血を吐いて、スローモーションで仰向きに倒 れた。  瞳孔を開いた目で天を仰ぎ、かすかに開いた口から「カヒュー…カヒュー…。」と、不自然 に空気の抜ける音がする。ううっ、恐い。  空に浮かんで偵察に行っていたチャーレムとアサナンが、無事を告げる。一行はようやく安 心のため息をついたのだった。  蓋をしたポリバケツに倒れこんで、荒い呼吸をするカンタを、シャルペロが鼻で突付いて催 促する。  「ああ、分かったよ、シャル。」  カンタは彼女の愛称を言って答え、背負ったリュックから、ふたつのヒューマンボールを取 り出した。  「出てきてくれ。ミオっ、ハルノ!」  言って両手で上空に投げる。  そしてヒューマンボールは…。  コン コンッ  カンタの頭に落ちてきた。  アスファルトに転がったヒューマンボール。それをアサナンが拾って、ボール中央のスイッ チを押す。  すると、ヒューマンボールは完全に真っ二つに割れ、そこにミオとハルノ、ふたりの姿が現 れたのだった。  やったーっ! と、手を取って喜ぶアヤとカンタ。泣いて喜ぶシャルペロ。  ミオとハルノも喜んで、カンタ達に駆け寄ろうとした。  その時。  ふたりの足元に、血を吐いて倒れているホーリーの姿があったのだった。  ふたりの間に、緊張が走った。  お互いの顔色を窺う(うかがう)。  その顔に浮かんだ表情で、互いを理解して、それぞれ自分の武器を、黙って構えた。  「キルッ キルル キルリアッ!」(人間語訳:ちょっと、いい加減にしなさいよ、ミオ、 ハルノっ!)  アヤが言ったが、ふたりの間の真剣な雰囲気は解けなかった。  お互いに、譲れないものがある。  ふたりとも、しかたがなかった。  と、そこに。  ジリリリリリーーーーーーンッ  ポケギアのベルが鳴った。  「はい、もしもし、カンタです。」  場の空気が一気に、しらけていく。  ミオもハルノも、武器を下ろしてしまった。  「そうですか、分かりました。それでは…。」  しばらく話し込んでいたカンタであったが、ポケギアを切って、ミオとハルノの間…ホーリ ーに、ひざまずいて語りかけた。  「なぁ、ホーリー、俺のポケモンにならないか? 俺が“親”になって、お前の命に責任を 持つよ。」  ムクッ  いきなりホーリーが、起き上がった。  びくうっ!  と、カンタ以外の全員がビビる。  ホーリーは、右を向いた。  ミオが、屈した両ヒザに両手をやって、ホーリーを心配そうに覗き込んでいる。  ホーリーは、左を向いた。  ハルノが泣き出しそうな目で、ホーリーを見ていた。  ホーリーは、ため息をついた。  まるで、どうしようもない我侭な子供に、あきれるように。  そして、嫌そうーーーーーーーーーーっに、正面のカンタを見た。  左手に持った空のモンスターボール、そこにシブシブ入っていこうとする。  ガブゥっ!!!  「痛てえええええっ!!!」  モンスターボールに入る前に、カンタの右手に、強烈に噛み付いてから、ホーリーはモン スターボールに入ったのだった。  互いの顔を見合わせ、ホッとしたミオとハルノ。  「あのね…ハルノ。あたし、あなたの穏やかで可愛らしいところ、大好きよ。」  「あの…ミオ。私もあなたのマニッシュでカッコイイところ、大好きよ。」  と、互いの手を取って、仲直りしたのだった。  周りに居た全員が明るく笑う。  と、そこでまったく笑わず、ホーリーが入ったばかりのモンスターボールに、視線を釘付け となった、カンタが居た。  不思議に思って、ミオ達が覗き込むと…。  「えっ…?!」  そこには、5本のシッポが、はみ出たモンスターボールがあった。  「えっ!? どういう事じゃっ?!」  幼姫が、そのモンスターボールを手にとった、その時っ。  でろんっっっ  と、モンスターボールの少し開いた隙間から、こぼれ落ちるように、完全に瞳孔の開いた目 をした、前髪巻き毛のイーブイの頭部が現れた。  冥(くら)―――――――――い、死を映した瞳が、幼姫の眼前にある…。  「ぎぃーーーーーい、やぁーーーーーーーーーあっ!!」  都市の路地裏に、幼姫の悲鳴が大きく長く、こだましたのだった。  「これからどうするの?」  誰ともなしに、聞いた。  答えたのは、カンタだった。  「ホーリーの件で、ジョーイさんから連絡があったから、詳しい話を聞きに行くよ。」  と言って、さっさと歩き出す。  全員がそれを追いかけるように続いた。  深夜、ポケモンセンター。  話を聞こうとしたのだが、夜も遅いという事で、全員、宿泊施設でベッドに入った。  真夜中―――――。  「カンタ。ねぇ、起きて、カンタ。」  ポケモンセンターのベッドルーム。  両脇に2段ベッドが置かれてある4人用の部屋。  質素にして簡素な、全てのトレーナーが利用できる部屋だ。  入り口のドアを入って左側の2段ベッド。  その下側で眠っていたカンタが、声に目を覚ました。  レース地のカーテン、その隙間から、かすかに月明かりが降りてきて、部屋の中はうっすら と明るい。  おなかの辺りに重みを感じ、目を開けて首を起こして見ると、そこにアヤが乗っかっていた。  「なに? アヤ。」  寝ぼけてジーンとしびれるような頭。なにも考えられずに、カンタが聞く。  「あたしの名前を、呼んで欲しいの。」  驚くべき事に、アヤは人間の言葉でしゃべった。  しかし、寝ぼけた、カンタ。  「いいよ。」  ふたつ返事でOKし、さっそくアヤの名前を呼んだ。  「アヤ。」  「…はい。」  幸せそうに、返事をするアヤ。しかし…。  アヤ、胸を抱いていた両手を広げて、確認。  腕に抱かれていた、スリムな胸を、確認。  と、このように、アヤの視線はアヤ自身の全身を確認した。だが…。  「うっそーっ、なんで人間に、ならないのォっ!?」  うきーーーーーっ! と、暴れるアヤ。  「真の名で、呼ばれなかったからじゃ。」  ヒョコっと横から首を突っ込んでくる、幼姫。  うおぅっ。と、ビックリするアヤ。  すぐに気を取り直して、幼姫に飛びつく。うおりゃっ。  「真の名前って?! 真の名前って!?」  と、激しく迫る。  慌てず騒がず、落ち着いた幼姫が答える。  「おぬしの人間としての名前じゃ。それが分からぬ限り、人間には孵(かえ)れぬ。」  そんなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ、うるるるるぅーーーーーーーーっ。  さめざめと泣くアヤ。しかしっ、アヤは強いぞ、元気だぞっ。  「じゃあ、じゃあ。真の名前って、どうやったら分かるのっ!?」  アヤが幼姫の首を絞めて、懇願(こんがん)する。  「ぐええっ、くるしい。放すのじゃっ。」  カンタは「漫才みたいな夢だなぁ。」と、寝ぼけた頭で、思っていた。  「あっ、ごめんなさい。」  ゲホゲホと、アヤのネックハンギングから逃れた幼姫。  「おぬしが知っているはずじゃ。ただ、忘れておるだけでな。でも、ひとつ、ルールが ある。」  ルール?  アヤが身を乗り出した。  「たとえ思い出しても、直接“孵す者”に、その名前を教えてはならん。あくまで自然に、 気付いてもらう必要がある。」  教え、諭す(さとす)ように、幼姫が言った。右手の人差し指を立てて、前後に振っている。  「えええっ!? どうしてェ〜?!」  アヤが混乱して、両手をバタバタと振り回す。  その手がカンタの頭に直撃して、カンタは完全に目を覚ました。  「そういうものなのじゃ、4000年も前からな。」  「ずいぶん長生きなのですね、幼姫さま。」  カンタの突っ込み。「わらわはまだ7つじゃ。」と、怒り出す、幼姫。  ガーン ガーン ガーン  ショックでフラフラのアヤだったが、ハッと、カンタの視線に気付いて、なにか言われる 前に、こう切り出した。  「これは夢なのよっ、カンタ。」  「いや…。それにしては、リアル…。」  トオッ!  ズガンッ  バタン  キューーーーーーーーーッ。  アヤの空手チョップが、カンタの延髄(えんずい)に決まった。  足の指先まで振動する程の打撃に、カンタは、あっという間に気を失った。  「じゃあ、わらわも寝るかの。今日は色々あり過ぎた、ちと眠い。」  おやすみなさーいっ。  カンタを布団に戻しながら、アヤは幼姫に手を振ったのであった。  朝。  と言ってもお昼過ぎに一行は起き出し、遅い朝食兼昼食を食べた。  都市の大きなポケモンセンター内、ファミレス風のカフェテリアに全員が集まっていた。  カレーを食べるカンタ―――妙にアヤを気にしている―――の前には、ジョーイさんも居て 、ホーリーの事について話していた。  大きなガラス戸の向こうに、広い中庭が見え、食後にくつろぐトレーナー達の姿が見える。  今日はいい天気、みなポケモン達と木陰に入って、食後のひとときを楽しんでいた。  「医療研究機関に送ったホーリーちゃんのデータ、研究結果がでたの。」  サラダをシャクシャクと食みながらジョーイが言う。  お行儀が悪いです、ジョーイさん。  皆、ジョーイの話に聞き入った。食べながら。  お行儀が悪いです、みなさん。  「イーブイが持つ進化の可能性。“水”“炎”“電気”“エスパー”“悪”、全てのタイプ が同時にホーリーの体の中で、現れようとしています。」  どうコメントすればいいのか…? 分からずに全員、黙ってジョーイの話の続きを待つしか なかった。  「これにより、水が炎を、電気が水を、悪がエスパーを滅ぼそうとする力が働いて、ホーリ ーの体内は、ルール無しのバトルフィールドとなっています。」  「えと…、それでどうなるのですか?」  待ちきれずに、カンタが口を挟んだ。  「医学的には、死にます。体が保ちません。」  全員がシーンとなった。  「でも、医学研究機関によると…。」  そこでジョーイがテーブルの下からカルテを出した。  ページをめくって話を続ける。  「ホーリー。イーブイのメス 人間の年齢に直すと19歳。この頃、イーブイの体質は大き な変化の時期を迎える。具体的には、肉体の生きる為の成長から、死ぬ為の成長に切り替わる 時期なのです。」  「死ぬ為の成長???」  そんなものがあるのか????  「そうです。新たな命に生きる場所を譲る為の“死”に向う成長です。」  重要な事なのよ。と、ジョーイ。  確かに、死ななければ、世界はポケモンに埋め尽くされてしまうだろう。  「敏感でデリケートなイーブイは、このとき、全身の細胞が“死”にゆるやかに向って行く 事を感じる事になります。  これはイーブイにとってジワジワと迫る死の恐怖。  それにより進化タイプの混乱を起こし、中には消耗して衰弱する者も居ます。  また、肉体の変化を認知できず、限界を超えてムリな運動をしてしまう。  それによっても衰弱、消耗、その後に死亡。これによって、イーブイはその個体数が極端に 少ないのです。」  生きる為には、敏感でなくてはいけない。しかし、敏感すぎてはいけない。  生きる為のバランス………それを取る事の難しいポケモンなのだ、イーブイは。ストレスに 弱い。  死を思え。しかし、思い過ぎてはいけない。  ………バランスを取るのだ。  「治療法は、ただひとつ。進化させて、タイプを安定させる事です。」  ミオは、その言葉に嫌悪を示した。しかし、ハルノも辛そうな顔をした。そして、ふたりは カンタを見た。カンタは黙々とカレーを食べていた。  「カンタっ!?」  ミオの声に、カンタはスプーンを置いて、ようやく口を利(き)いた。  「命や…心を、他人がどうにかしていいわけが無い。なにがあってもホーリーが決めるべき だよ。」  ジョーイは音を立てて、立ち上がった。  それだったら私達医者は、なんの為に存在するのよ!  言いかけてジョーイは、やめた。  「治療法は分かったんだから、ホーリーが望めば与えればいいさ。それまで隣で付いてれば いいんでしょう?」  「口で言う程、簡単な事じゃないわ。常にイーブイの死のイメージに同調しないように、気 を付けていなくちゃいけないのよ?」  すこし怒って、ジョーイは言った。  「あなたに、それが出来るの?」  無理である。  トレーナーとポケモンは一心同体。心通ってこそである。  「ホーリーを傷つけ、カンタ…あなたも傷つく事になるわ…。」  ジョーイは、悲しそうに言った。  「でも…。」  カンタは、目を閉じた。  想いは巡った。  迷いもあった。  苦悩も…した。  責任の重圧が…肩に、重くのしかかった。  「でも、ホーリーを避ける事が、一番、ホーリーを傷つける事になると思う。」  親だから、進化を押付ける事もするだろうなぁ。  死の幻影に、ボクが耐えられず、大泣きする事もあるだろうなぁ。  「ホーリーが、ボクに、あきれるまで、傍にいるよ。」  親だから、絶対に、ポケモンを見捨てない。  それに…。  「人間の年齢で、33歳を超える頃には、安定するのでしょう?」  カンタは、聞いた。  ジョーイは、カルテをめくった。  「そういう症例も、確かにあるみたい。」  意外そうに、ジョーイが答えた。  「あと、子供を産んだり、恋人が出来たりしたら、安定する症例もあるわ。」  ビックリして、ジョーイは言った。  「知ってたの? カンタくん。」  カンタは、目を逸らせて答えた。  「お兄ちゃんの、ロコンがそうだったから…。」  ロコン? イーブイじゃなく?? それよりっ!  「おにいちゃんが居たのっ!? カンタ!?」  ミオの声に、カンタは急に落ち着きをなくして、足をゆすったり、スプーンをいじったりし 始めた。  「う…うん、居るよ。」  ふと…、ハルノはカンタの目が、気になった。  なにか大切な感情が、欠落しているみたいな…?  「お兄ちゃんの名前は、なんて言うの? カンタくん。」  ジュンサーが、笑顔で聞いた。  カンタの動きが、いっそうせわしくなった。  しばらくの間を置いて、カンタは答えた。  「ポン太。」  つづく