−第4話−  森は緑に萌えている。  夏の輝きすぎる太陽が照り付けているのだから、しなびても不思議で無いのに…この森には 緑が萌えている。  シャリ…シャリ…。  交互に前に出るスニーカーが土を踏む。それ程踏まれていない地肌の露出した道が、音を立 てる。  音は3人分。  真っ直ぐに前を向いて先頭を行くのが、ポケモンのシッポの生えた大きなチュックを背負 って、野球帽をかぶった短パンTシャツ姿の子供“カンタ”。  その背中を見て、それに続くのが、ミニスカートを履いて白いポロシャツに身をつつんだ女 の子“ミオ”。  ものめずらしそうに、辺りをきょろきょろと見回し、少し遅れては小走りに追いつき、また 後れては小走りするのは、上品な白いワンピースを着て、日傘をさしたお嬢様“ハルノ”。  森は緑の輝きと、葉擦れのささやき、鳥の声に満ちて3人を包んでいた。  カンタが黙々と前に進む。  ミオは踏んだ小枝の折れる音にすら敏感に反応して、振り返る。  ハルノは…昨夜の雨で道端に出来た小川のかすかな水音に感動し、空気に含まれるさまざま な香りに小さな歓声を上げる。  ふと…。  カンタが立ち止まった。ミオが背伸びして、カンタの頭上から前方をうかがうと…。  ボフッ  背中にハルノが、ぶつかった。ミオはバランスを崩して、カンタの背負ったリュックに手を やる。カンタは一歩踏み出して踏みとどまった。  鼻を押えて、ハルノがミオ越しに前を見ると、前方から一匹のキルリアが歩いて来た。  道は人ひとりが歩けるくらいの幅で、だからカンタは道をゆずり、通り過ぎる時にひとつ会 釈をした。ミオとハルノがそれにならう。キルリアも自然に…まるで山登りで登山者が下山者 とすれ違うように、会釈を返し、そのまますれ違った。  すれ違って…数歩歩いてから、ミオが驚くように…突然なにかに気が付く様に、振り返った。  振り返った道の先、そこにはキルリアが振り返っていて、カンタを見ていた。  そんなふたりの目が合った。  視線が衝突し、火花を散らせた。  森は緑に萌えていた。  数時間前の事…。  「あ…俺、忘れ物があるから家に帰る。」  と一言、カンタは踵(きびす)を返した。  そこは、都会の真ん中で森を体現したかのような公園の中にあるポケモンリーグ公認ジム、 その正面だった。  威風堂々とした入り口を前に、怖気づいたと思われてもしかたのないカンタの言動である。  臆病を嫌うミオがムッとする。ハルノは手を叩き「すぐに取りに戻りませんといけませ んわ〜。」と、のんびり言う。  「待ってよ、カンタ。今、すぐに必要なものなの? それ?」  ミオが振り返れない体を半分だけ向けて、カンタに聞く。  「うん、とても大切なものなんだ。」  ジムに向えない体が、すでに帰路に向かい、カンタが答える。  こうしてカンタ達、旅の一行はカンタの生家…父と母のもとに帰ったのだった。  カンタの生家は、森の小道を抜けたところにあった。  前庭には母の趣味の畑があり、幾種類もの野菜が植えられていた。  家の向こうには竹林が見え、緑の山に消えていく。空は高い山によって、いつもの半分ほど の広さしかない。畑に身をかがめていた、ぽっちゃりとしたカンタの母が立ち上がり、満面の 笑みで手を振る。  「ただいま、かあさん。」  「まあまあまあっ、カンタ、きれいな女の子を“3人”も連れてっ。」  へっ? 3人??  いつものことだが、謎な母の言葉にカンタは振り返った。  するとそこには、ミオとハルノ…そして、行儀良く…どこか大人びた会釈をする、さっきす れ違ったはずのキルリアの姿があった。まるで「初めまして、おかあさま。」と、言わんばか りである。  「まあまあまあっ、これはご丁寧に。あなたぁ〜、カンタがお嫁さん、3人も連れて帰って 来ましたよー。」  「ち、違いますっ! おかあさんっ!!」と、両手を振り回して焦っているミオ。  「お嫁さんだなんて…キャッv 照れちゃいます〜。」と、両手で顔を覆い、喜んでいるハ ルノ。  なにが「キャッv」ですか…、ハルノさん。  コクコクと頷いて、母の言葉を肯定するキルリアは、時々二人…ハルノとミオを睨んで牽制 する。  ミオとキルリアの目が合う。  ふっ  と、キルリアは口の端っこで笑って、自分の優位を主張する。  あーっ! なんかムカツク!!  ミオが心の中で叫んだ。  ドカーンッ!  その時、突然、爆発するように家の扉が開いた。  「でかしたーっ! カンタ!!」  時速100kmで走るヤドンに乗って、カンタの父…ヘンタイ親父と道義…が飛び出してきた。  ヤドン…?!  時速100km!?  時速100km(キッパリ  やる気あるなァ、あのヤドン。  カンタ、感心する。  あ…転んだ。  「さあさあさあっ、こんな山の中まで歩いて疲れたでしょう。入んなさい、入んなさい。」  と、気のいい母。  いや、母さまっ。あなたの夫…自分の父とは言わない言えない言いたくない、が時速100k mで転がって、真っ直ぐ千尋(せんじん)の谷へ…。  「さあさあさあっ♪」  ………………。  まあ、いいか。  あーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ  谷底へ落下して行く父の声が、山に木霊した。  母のもてなしは食べきれない程の手料理であった。  毎日がキャンプと言われるカンタの家のログハウス風コテージ、そのリビング、そのテーブ ルは料理で埋まった。あ、カンタのポケモン、カビゴンみたいなライチュー“ポン太”が、ほ とんど全部食べてしまいます。  食事はカンタとポン太のバトルでもある。  ふたりは争うように食料を奪い合う。時々、カンタの蹴りが、ポン太の顔面に入る。泣き出 したポン太をミオのポケモンであるピカチューの“オードリー”と、ハルノのポケモンである ピチューの“スカーレット”がなぐさめる。  そこから距離を取り、自分の分を確保した女性陣…母、ミオ、ハルノとキルリアの“アヤ” …母、命名…が輪を作り、談笑しながら食事をとっていた。  しかし、父、不在!!  しかし、女性陣、談笑しながら食事!!  「で、カンタ。今日はどうしたの? お嫁さんの紹介に帰ってきてくれたの?」  おなかをポンポンにして転がるポン太。その向こうのカンタに、母が話し掛ける。野球帽し か見えない。  「うん、ちょっと忘れ物して。」  「なにを?」  母が聞く。ミオが耳を傾けた。  カンタは、見栄を張ったブラックコーヒーに渋い顔を作りながら答えた。  「うん、ポケモンマスターって、いったいなに?」  ステーンッ  ミオがこけた。  「カンタの、おバカーッ! そんなことも知らんのかーっ!?」  ミオさん、復活早いっ。ハルノも声を出す。  「そうですよ〜、カンタさま。常識ですわ〜。」  ふたりは声を合わせる。  「リーグチャンピオンの事よっ!」「全てのポケモンと、お友達になる事ですわ〜。」  あれ?  ふたりは意外そうに顔を見合わせた。  バターーーンッ  その時、勢い良く扉が開いて父が帰って来た。  「よくぞ言った! 我が息子、カンタよ!!」  うわっ…、生きてたの?  目を回したヤドンを肩に担いで、父が入ってくる。  「お前がポケモンマスターかどうか、見極めのテストをしてやろうっ!! 準備をして、裏 庭に来るがいい!!」  と言うと、父は母に目配せをして、ともなって裏庭に出た。  残されたカンタ、一同を振り返る。とまどいながら、みんながコクリと首を縦に振った。  ゴクッ…。  カンタは息を飲んで裏庭に出る。竹林を望む裏庭の芝生は、水を含んで青々としていた。少 しだけ開けたそこに…。  「へっ??」  カンタが間の抜けた声を上げる。ハルノが小首を傾げる。ミオは目をパチクリしていた。  そこには、そう。父と母が“カビゴンのきぐるみ”を着て立っていたのだ!  「さあ、ポン太をここへ。」  混乱したまま、言われるままにポン太を促すカンタ。  ポン太と並んだ両親は、置いてあったカセットリコーダーのスイッチを入れた。  すると、どこか牧歌的なダンスミュージックが流れ、それに合わせてぐるぐるとその場で回 り始める。  ジャン♪  音楽が止んだ時、妙なポーズのまま止まった父が言った。  「さあ、このカビゴンの群れの中から、自分のカビゴンを、みごと見つけてみせよっ! カ ンタぁ!!!」  シーン…。  静まり返った。  これがポケモンマスターになるための試練…? テスト…??  カンタは、とまどった。  これに合格すれば、僕は“ポケモンマスター”???  んなわけないやん。  でも、もし、これでポケモンマスターになれるというならば…、これで父に認められるとい うならば………。  ポケモンマスターになるためのハードル、ひっくぅーーーーーーーーーーーーっ。  「こいつ。」  カンタが黄色と黒のシマシマの、でっぷり太ったライチューを指差し、言った。  「「おおおおおお!!!!!!! このカビゴンの群れの中から、自分のカビゴンを言い当 てるとわっ!!」」  父と母の驚きの声。  カビゴンなんか一匹もおらへんやん。  「お前こそ、ポケモンマスターだっ!!」  「よくここまで育ってくれたわっ! おかあちゃん、嬉しいっ!!」  キルリアのアヤがお祝いの“紙ふぶき”を振りまく中、両親は諸手を上げて、喜んだ。  ここで、しっかりと知っておくべき事がある。それは、両親は決してカンタをバカにしてい るのではないという事だ。  そう、彼らは“天然”であった。  「うん…、よかったね…。」  あきらめに、仏のように目を細めて、カンタは言った。その心は悟りの境地にあった。  ふと…その時、焦げ臭い匂いが漂ってきた。  あっけにとられていたミオ達が家を振り返る。すると、家の向こう側、森に煙は上がって いた。  「山火事っ!?」  空を囲む山肌に、火の手が広がっていた。  「!!!」  ミオがバケツに水を汲んで走り出す!  わっ、ミオさまっ! そんなモノで山火事をどうしようと!?  「わ〜、大変ですわ〜。軍に連絡しませんと〜。」  ハルノさんっ、なぜに軍隊!?  心中でつっこみながら、カンタは飛び出したミオを追いかけた。それぞれのポケモンがそれ に続く。  山の小道は、その両側に火の壁を、造っていた。  熱気が照りつけてくる道を、一匹のポニータが歩いていた。  体中に怪我を負い、悲しみと憎しみに、その紅玉の瞳を濁らせていた。  ポニータは小道を出た。  少し広くなったそこで、小さな畑のあるコテージから出てきたミニスカートの女の子と、ば ったり出会う。  いなないて怖がった。  たてがみを憎しみに燃え上がらせて震えた。何者も火傷させないはずの、その炎が、あろう ことか自然の森に火を放っていたのだった。  ミオは悲しみと、ポニータを虐待して捨てたであろう人間に対する情けなさに、泣き出しそ うになって、グッと歯を食いしばった。  そこにカンタ達が追いついた。しかし、熱気によって、それ以上近づけないでいた。  ポニータはまるで生まれたての子馬のように震えている。…痛みに…悲しみに…憎しみに耐 えかねて。  ミオはポニータに足を進めようと僅かに足を出そうとする。しかし、熱気にすくんでまった く動けなかった。そのうちに目の前に、炎が壁のように、ポニータとの間に立ちふさがって しまった。  そこへ…。  「ミオさん〜、ちょっとコレ頂きますね〜。」  おっとりとした声がかかり、ミオの手に持ったバケツを…。  「ハルノ!?」  ハルノが奪い取った。  ハルノは、やさしくポニータに笑い掛け、  ジャバァーッ  バケツの水を、頭からかぶった。  両手を広げ、炎を抱いて、ゆっくりと近付いていく。  「大丈夫…、大丈夫だからね…。」  炎が激しさを増した。その炎で生まれた上昇気流が、ハルノの濡れた長い髪すら舞い上げた 。髪の先端が、あっという間に乾いて、音を立ててコゲる。髪を焼くイヤな匂いがした。  「ハルノっ!!」  ミオの叫び。  ピチューのスカーレットが泣いてハルノを…主人を追いかけようとする。それをポン太が、 潰さないように、のしかかって止める。  動けないスカーレットが泣いてわめいて、ポン太に噛み付き、引っ掻いた。  カンタは息を飲んで見守った。握った手のひらに爪が食い込んで血が出て流れた。  肌に照りつける、悪意すら感じられる熱の放射。しかし、ハルノはポニータにたどり着いた。  そして…  やさしく  包み込むように抱きしめ、頬を寄せ  「大丈夫だよォ…。」  ただ、耳元でささやいた。  ハルノは紅蓮の炎に包まれた。炎は渦を巻き、囲まれた空に立ち上った。  チャーーーーーーーーーァッ!!  スカーレットの叫びが、群青の空に舞い上がる、紅蓮の火の粉を追いかけた。  カンタは、砕ける音がするほど歯を食いしばって、でも、決して目をそらさずにハルノを見 ていた。  キルリアのアヤは祈るように合わせていた手が離れてしまうほど、そのカンタの姿に見入っ ていた。嫉妬を含んだ…恋する女の瞳で…。  大丈夫っ  その時、渦が弾けた!  炎は大量の、桜の花びらのように散って、空に舞った…。  あたたかな光の中で、やさしい熱になった花びらが、吹雪のように降り注ぐ。  「キレイ………。」  つぶやいたミオの声が、そこに居る全員の心を代弁していた。  ハルノが小道で倒れたポニータを抱いていた。全員が呼ぶと、笑顔でポニータの無事を伝 えた。  ホッとしたカンタの頬に、熱を帯びた風が吹いた。  「!!!」  まだ、山火事が残っていたのだ!! 炎が再び、ふもとからこちらに向って昇って来て、あ っという間にハルノとポニータを、取り囲んでしまう。  カンタは…。  「ポン太ァ!!」  自分のポケモンを呼んで、家に飛び込んだ。ミオがそれに続く。  ミオは水場へ、カンタは家を抜けて、裏庭に出る。竹林に飛び込み走ると、程なく大きな池 に出た。  「ポン太!!」  カンタの声に、ポン太が池に口をつける。そして…。  ズゴゴゴゴッ!!!!!  水を吸い込み始めた。あっという間にポン太の口に消えていく大量の水…。代わりにポン太 の体がどんどん、どんどん大きくなる。そして…。  ポニータを抱きしめたハルノに炎が迫っていた。  火傷に引きつる体を必死に鞭打って、みんなの所に戻ろうとするが、足が思うように動か ない。炎に囲まれたその向こうに家とみんなが見えた。と、その時…  「え…っ!?」  ハルノがポカンと口を開いた。まるで空を覆い隠す巨人のような、ポン太の姿が家の向こう に現れたからだ。  ズシンッ!! ちゃぽん…。  ちゃぽん??  大地を揺るがすポン太の足音…に続いて、ゆれる“おなか”から、水音がする。  ズシンッ!! ちゃぽん…。 ズシンッ!! ちゃぽん…。  「ハルノーーーーーーっ!!」  家からずぶ濡れのミオが飛び出した。  炎の壁を破ってハルノの元へ。そしてハルノとポニータを抱えて炎を抜ける。ハルノ達がみ んなのもとに帰った。その時!  ザッパァーーーーーーーーン!!!  まるで津波のような水流が、ポン太の口から吐き出され…。  こうして、山火事は鎮まったのだった。  「では、どうしても行くというのだな、カンタ。」  家の玄関で父が言った。となりで母がシオシオと泣いている。  「はいっ、やはり自分で自分をポケモンマスターと認めることが出来るようになるまで、僕 は旅を続けます。」  ハッキリと決意を言ったカンタに、母は泣きついた。  「うう…っ、カンタ。」  涙ながらの母の声に、カンタの目に涙がグッと込み上げた。  「おかあさん…。」  「せめて、お夕飯のお買い物行って、お洗濯手伝って、夕食後の皿洗い手伝ってから行 って〜っ。畑仕事まで手伝えとは言わないから〜。」  「今すぐに旅立ちますっ!!」  急ぎ足のカンタは、そう答えた。  「待てっ! カンタ!!」  父が止めた。  森の入り口で、ポニータを連れたハルノとミオ、そしてキルリアのアヤを連れたカンタが 、渋々振り返った。  父は静かに言った。  「せめて、夏休みの宿題…持っていけ…。」  「嫌じゃああああああああああっ!!」  森の小道を駆け降りるカンタの声が、山々に響いていた。  つづく