深夜、ポケモンセンター内にある集中治療室。  その扉の上にある注射器マークの灯りが消えた。  手術が終わったのだ。  カンタは弾かれるように立ち上がった。  カンタに寄りかかって、うつらうつらとしていたハルノとミオが、支えを失って転がる。  アヤは寝ぼけたまま、カンタの背中にへばりついている。  プシュッ  エアーの抜ける音がして、扉が開く。  出てきたジョーイさんにカンタが迫った。  「ジョーイさんっ、ポン太は…ポン太は大丈夫なんですか!?」  食って掛かる勢いで迫ってくるカンタに、ジョーイさんは笑顔を返した。  「もう大丈夫よ、会ってあげて。」  言葉が終わらない内に、カンタは手術室に駆け込んだ。  そこで…。  「へっ??」  カンタは間の抜けた声をあげた。  医療器具の置かれた室内。その中央にあるベッドにはカプセルが被されてあり、その中にポ ン太が…?  「ふぇっ???」  「アレ〜っ、ポン太さまは〜??」  追って入ってきたミオたちも声をあげる。  そう、その中に“見慣れた”ポン太は居なかった。  代わりに一匹の“ライチュー”が入っていたのだ。眠っている風の、なんの変哲も無い“ラ イチュー”が。  「えっ? えっ?」  カンタは混乱する。  その時、カプセルが開いた。  中のライチューが、ゆっくりと目を覚ます。  「ポ…ポン太?」  おずおずとカンタが声をかける。すると、そのライチューが目をパッチリ開いて明るく答 えた。  「ラーーーーイッ」  まるで、「はい、ご主人様」と言うかのような返事をして、カンタの胸に飛び込んでくる。  胸の中のポン太は軽い。  いつもと違いすぎる事に、カンタは思わず言ってしまった。  「どうしたんだ!? ポン太。まるでライチューみたいだぞっ!?」  「「ライチューです。」」  両サイドから、ハルノとミオの突っ込みが入った。  「ジョーイさ〜んっ。」  カンタが手術室から出ると、ベンチに倒れこむように寝ていたジョーイが起き上がる。  「この、この。これ、これ。」  必死でポン太と思われるライチューを指差して、言葉を失ったカンタがジョーイに説明を求 める。  「ああ、それ? 出血と共にみるみる内にちっさくなって。」  深夜にまで及ぶ手術に疲れた顔をあげて、ジョーイさん。  それだけ言うと、再びベンチに倒れこむように眠ってしまう。  ジョーイさんの助手であるポケモンのハピナスが毛布を持ってきてかける。  照明が落とされた薄暗がりの廊下で、カンタ達は立ち尽くした。  キョルンv  と、愛くるしい瞳でカンタを見つめる、まるでポケモンのようなポン太に(ポケモンだが) 、カンタは困惑して呟いた。  「どうするよ…? これ。」  さぁ…? と、背中にへばりついたアヤが、首を捻(ひね)った。                     −第9話−  朝。と言っても、もう昼過ぎ。カンタ達はポケモンセンター前に立っていた。  日差しに涼しげな輝きがあるのは、空気がキレイだからだろうか。少し、夜更かしが祟( たた)った目に眩しくて目を細める。  カンタは手に持ったポン太のモンスターボールを見た。  完全に閉まったそれは、まるで機械の部品である。  手の中にスッポリと収まり、軽く扱いやすい。  中央にあるスイッチを押す。  すると、もう一回り小さくなって、まさしくポケットに入ってしまう程の大きさになった。  う〜ん…。  カンタは首を捻(ひね)った。  背中にへばりついたアヤが、それをまねっこする。  「今までの苦労は、いったいなんだったんだ?」  さぁ…? とアヤが、さっきとは反対の方向に首を捻(ひね)った。  キキーーーーッ  そこにリムジンが乗りつけた。  初老の執事が降りてきてハルノに頭を下げ、うやうやしく挨拶する。  「お迎えにあがりました、ハルノお嬢様。ささ、お友達もどうぞ。」  車は、どこまでも続く塀に沿って走り、たどり着いた入り口をくぐると、森に入った。  森…と、いうよりは手入れされた公園、といった感じだが、車でどこまでも走っていく感 覚は、まさしく森を行くかのようだった。  「都会の真ん中に、これだけの敷地を持っているなんて、ハルノって何者なの?」  ミオは少し興奮気味で聞いた。  「私の家は代々、優秀な軍人を輩出してきた名門ですの〜。先祖は海賊で貴族だったって話 ですけど、私は会った事ございませんの〜。」  そりゃ、そうでしょう。  「キルーーーーッ☆」  森を抜けた時、アヤが歓声を上げた。  森を抜け、広い芝生が草原のように広がる庭の向こうに、まるで中世ヨーロッパの城のよ うな、立派な屋敷が現れたのだ。  「おかえりなさいませ、ハルノさま、スカーレットさま。いらっしゃいませ、カンタさま、 ミオさま、アヤさま。」  リムジンが入り口に乗りつけると、何人もの召使いが現れて、ハルノとカンタ達に挨拶を した。  シャルペロを隣に、胸にスカーレットを抱いたハルノが、手を振って笑顔で答える。  カンタとミオは、やたら、かしこまって礼をした。  メイドのひとりに案内され、一行は大きなテーブル…数十人が座れるような…のある部屋に 案内された。  「すぐ来ますから、好きなところに座って、楽にしていて下さい〜。」  遅い昼食をハルノ邸で頂くことになっていたのだ。  ハルノはそう言い残して、部屋を出た。  入替りに、昼食を持ったメイドが数人、入ってくる。  カンタ達は、その豪華で大量の食べ物に目を取られ、ハルノの事を忘れてしまった。  ハルノは、シャルペロを連れ、スカーレットを抱いて、どこまでも廊下を歩いた。  いつの間にか、窓がひとつもない、屋敷の奥まった場所を歩いていた。  ハルノとスカーレットの顔に、緊張が浮かぶ。  シャルペロが心配げに鼻を鳴らした。  たくさんある部屋の扉、そのひとつを通り過ぎようとした時。  「入りなさい。」  中から声が、かけられた。  落ち着いた感の、大人の男性の声だった。  ハルノにとっては聞きなれた声に立ち止まり、手放せば駆け出しそうになる呼吸を整えて から。ノブを回した。  「失礼いたします、おとうさま。」  中には、ゆったりとくつろげるソファーと、背の低いテーブルが置かれてあった。  主に濃いブラウンで色を統一した調度品は派手でなく、しかし、どこか華やかさと上品さを 滲ませるようだった。  壁際のカップなどを置く棚にもたれるように、父“ジョセフ・オーリン”が立っていた。  口元に寄せたカップからは湯気が立ち、左手には数枚の書類を持っていた。  イギリス紳士風の服は、スマートな長身に似合い、茶色っぽい髪と相成って、どこか日本人 ばなれした印象を受ける。  柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべているが、厳しさを隠せない瞳が、娘を射る。  スカーレットはハルノの胸にしがみ付き、シャルペロの足が固まった。  ス…  ハルノは左手でシャルペロの首筋を撫で、スカーレットには、その頭にキスをして、「大 丈夫」を伝えた。  すると、シャルペロの足が動き、スカーレットの緊張が解けた。  「ご用件を伺いますわ、おとうさま。」  ニコッと、ハイソサエティー…上流階級の笑みを浮かべる。  「お前の報告を受け、リードと名乗る人間の素性を調査した。あと、ポン太とトラのDNA 鑑定が終了した。」  ハルノは内心、緊張を高め、父ジョセフの言葉を待った。  しかし、ジョセフはなにも言わず、振り返って、ハルノに背を向け、ソファーの方に歩い ていった。  「えっ?!」  ハルノは驚きに声を上げる。  いつの間にかソファーに、一人の女の子が座っていたのだ。  実用性を重視した、ポケットのいっぱい付いた上着。布生地が強靭な短パン。  腰にあるロープの束。深いグリーンの帽子。  それはポケモンレンジャーの服装だった。  心身ともに健康そうに輝く瞳で、ハルノにそっくりな顔が振り返る。  「アキノっ!」  ハルノはそれを見て、妹の名前を呼んだ。  「このアキノを、リードに付ける。お前の任務は終了だ。」  ジョセフは、そっけなく言った。  ハルノは言った。…いや、言ってしまったと言うべきか。  「ポン太のDNA鑑定結果が、ライチューだった…のですね。」  選ばれし者が連れているのはカビゴンだ。ライチューではない。  その事実は、カンタが選ばれし者ではないことを裏付けていた。  ハルノの言葉に、ジョセフの顔が不機嫌にゆがんだ。  「少尉っ!!!!!」  しまった、と思った時にはもう遅い。ジョセフからハルノに向って激しい叱責が飛ぶ。  質問は許されていない。  スカーレットが、天井まで飛び上がりそうなくらい驚き、シャルペロの全身が固まった。  「席を外したまえ。」  冷たい声が、はるかな高みから掛けられた。  「はい、将軍閣下。」  押さえつけられるように、ハルノは頭を下げて、退室したのだった。  アキノが部屋を出た。弾むような足取りだった。  「あれっ?」  そこに意外な人物が待っていた。それは、姉。ハルノだった。  手を招いて、テラスに誘う。アキノは快(こころよ)くそれに従った。  「気をつけてね〜、アキノ。」  前置きもなく、姉“ハルノ”が言った。  妹を気遣う、優しい声だった。  森…に見間違う庭にある東屋のひとつで、二人はお茶を飲んでいた。  メイドがひとり、控えている。  自然の音や野鳥の声がBGMとなって森に響く。  森の木々、生い茂る葉をすり抜けた一筋の光が、二人にさしていた。  「それはこっちのセリフだよ、ハルノぉ。」  生意気な言葉が、良く動く口からこぼれる。  「いっつも、一言多いんだから。こっちまでビックリしたよォ。」  ここで終わらないのが、父の前で無口。ハルノの前でオシャベリ“アキノ”だ。  「でもなァ、ハルノが一番、亡くなったおかあさんに似てるんだから、一番、大切にされて るのもハルノなんだよなァ。」  ちょっと、じぇらすぃーーーっ。と、アキノが笑う。  いつでも一番をお譲りいたしますわ〜、アキノさん。と、ハルノが笑う。  アハハハハッ、いらねぇ。と、アキノが返す。  と、これが二人の“ああ言えば,こう言う”コミュニケーション。  カタ…  ハルノはカップを手に持って、一口、紅茶を含んだ。  アキノが“ガバツ”と、カップを傾け、口に紅茶を流し込む。  「やっと、この家を出られるね〜、アキノ。」  感慨深く、ハルノが言った。  「おうよォ、やっとだぜェ。」  ニカッと笑ってアキノが答える。まるで男の子のような喋り方だ。  ハルノはオーリン家の三女。男児を望む父ジョセフはハルノが生まれた時に「またか」と言 ったという。  アキノは四女。父ジョセフは「いいかげんにしろ」と言ったという。  成長するごとに母、“シキ”に似てくるハルノと違って、男っぽくがさつに育つアキノは、 ないがしろにされ、いつも「家を出る。」と言っていたのだ。  選ばれし者の監視という軍の任務であるが、一時的にも家を出られるという事実に、アキノ は喜んでいた。  「でも、ハルノこそ、良かったじゃない。」  アキノがクッキーを丸呑みにしながら言う。  クッキーの形がハッキリ分かる喉あたりで、音を立てて砕ける。  「良かったのかな〜? 複雑です〜。」  これで、また、家に閉じ込められる日々が帰って来たのだ。  それはハルノにとって、耐えがたい憂鬱だった。  でも、ハルノはホッとしていた。  軍が“選ばれし者”になにをするのか…大体の予想がついていたから。  間違いなく“洗脳”。  選ばれし者を操り人形にして、人類存亡の決定権を軍が握る事。  「本当に、アキノ、気をつけなさいよ〜。リードは悪い奴っぽいから、大丈夫だと思う けど〜。」  その言葉にアキノはカラッと笑った。  「大丈夫だよォ、あたいはハルノみたいに、誰にでも同情しないもん。」  アキノはハルノが家の外で“友達”を作った事を知っていた。  二人が住む世界で、それは大変に難しく、時に辛い事だと二人は知っていた。  任務の為に、友達を裏切らなくてはいけなくなる日が来る。  それは決定事項だった。  本当にカンタが選ばれし者じゃなくて良かった…。  ハルノの心の声が、ハルノの全身にジワッと染み渡った。  「おねぇ〜ちゃーん。」  そこに男の子が駆けてきた。  元気いっぱいに手を振るその子は、父ジョセフに「やっとか。」と言わせた弟“オウキ”だ った。  オウキがアキノに飛びつく。  「ねェねェ、アキ姉。旅に出るんでしょ?」  アキノがオウキを受け止めて、爽快に笑う。  「おうよ、みやげはなにがいい?」  「僕ねェ、弟が欲しい。そして、家の事は弟に任せて、僕は旅に出る。」  東屋に、森を抜けてきた風が、緑に輝いて吹きぬけた。  ハルノは…  アキノは…  帰ってこない長女と次女へ、馳せた想いを風に乗せて、記憶から洗い流した。  「ポン太、復活、大作戦―――――っ!!」  パフパフ ドンドンッ♪  オードリーがラッパを鳴らし、スカーレットがタイコを鳴らす。  ………どうやって?  ミオが冷や汗を流す。  指揮をとるのが意外とカンタ。イスの上に乗って、マイクを握り締め、声を張り上げている。  ………なぜ?  アヤが冷や汗を流す。  なにも知らない風のポン太が、みんなの真ん中で、よだれかけをして、幼児用イスに座らさ れている。  ポン太の目の前には山のような食事。  とても昼食の量とは思えない。  「まず、ポン太!! この食べ物を全部たいらげるのだっ!!」  ビシィッ!! と、いずこかを指差してカンタが言う。  「ラーーーーイッ」  エッホ エッホ とポン太が皿に頭を突っ込み、食べ始める。  ごちそうさま。  ステーーーンっ  一枚の皿を食べ終わっただけで、ポン太の腹がポンポコポンになった。  イスに深く腰掛け、おなかをさするポン太。こけるカンタ。  「どうしたーーーーっ! おまえの実力(食欲)はそんなもんじゃないだろうっ、ポ ン太ァ!!」  ホラ 食べろ。ホレ 食べろ。  と、ポン太の口に、皿ごとメシを詰め込むカンタ。  「ラーーーイッ!!」  嫌がるポン太。  がむばってっ! がっつよっ!  と、こぶしを握り締め、カンタを応援するオードリーとスカーレットの電気ネズミギャルズ。  「キルル キルリア キルルリア?」  痩せてたほうがいいのでは?  アヤが電気ネズミギャルズに訊ねる。  「ピッカ ピカッチュ ピカ ピカチュウ。」  そんなのポン太くんじゃありません。  きっぱりとオードリー、そしてスカーレット。  さいでつか。  アヤは冷や汗を流し、それ以上言及しなかった。  「カンタ、あなたはポン太が痩せてた方がいいんじゃないの?」  ミオが言った。ハッとカンタが気付く。  「そ…、そうだったぁーーーーっ!!」  カンタは、その事実に気が付いた。  ポン太、復活、大作戦。完っっ!!  「あらあら〜、楽しそうですわ〜。」  そこにいつものおっとりとした声がかけられた。  「ハルノっ、どこ行ってたの?」  ミオが聞くと  「おとうさまに、ご挨拶に行ってまいりました〜。」  ハルノはおっとりと答え、イスに座った。  隣で息を詰まらせ、悶絶するポン太が居る。  「まあ〜、大変。ポン太さまが〜。」  少しも大変そうでないハルノの声。おっとり  「ぎゃああーーーーーっ、死ぬなーっ、ポン太ああああっ!!」  食卓はいっきに、にぎやかになるのだった。  「それで〜、おふたりは、これからどうなさいますの〜?」  落ち着きを取り戻した食卓で、ハルノが訊ねた。  「そうね〜、次のジムに行くかなァ。あのチャーレムとアサナンの動きが気になるけど、ど うしようもないもの。」  食後のケーキをつつきながら、ミオ。  「そうだなァ、選ばれし者とかは、平凡な俺たちには関係ない雲の上の話だしな。」  ちょっと、俺がその“選ばれし者”かな、なんて思ったけど。  と、見栄を張ったブラックコーヒーに渋い顔を作りながら、カンタ。  そうそう、オーキド博士からポケモン図鑑をあずかるような人達に任せておけばいいのよ。  うんうん、と頷くアヤ。  「ハルノも、もちろん行くよね? 私たちと一緒に。」  はむっと、ケーキを頬張ってミオが言う。  「それが〜、私は行けないのです〜。父の言いつけで〜。」  心底、残念そうにハルノが言う。  ミオ、カンタ、アヤは、ビックリした顔をして…。  それがみるみる内に残念そうな顔になっていった。  まるで花がしぼむよう。  「そっかー、残念だよ。さみしくなるー。」  カンタは、まだ実感が湧かないのだけども、ムリに感情を表現してみた。  しかし、表現できた“さみしい”は、この後に訪れるであろう実感の10分の1にも満たなか った。  「そこで、カンタさまっ。」  はいっ?  身を乗り出すように迫るハルノに、カンタの腰が引けた。  「ポケモンを3匹、引き受けて欲しいのです〜。」  胸の前で手を合わせ、祈るように、すがるようにハルノが言った。  「シャルペロとスカーレット。そして、3匹目は出口に“今から”用意いたします〜。」  えっ? えっ?  そして有無を言わせぬスピードで、ハルノは行ってしまった。  首を傾げながら、カンタ達が屋敷の出口にたどり着くと、そこにリムジンで迎えに来てくれ た初老の執事が待っていた。  「お待ちしておりました、カンタさま。これがハルノさまから預かりました3匹目のポケモ ンです。どうか、お受取下さい。」  初老の執事が持った“ソレ”にカンタ達は絶句した。  「ハァ???????」  執事が持っていたのは、“棺おけ”。  蓋にはお札のような紙が貼られ、このように書かれてあった。  ポケモン“ミイラ女”  中からかすかに  「これで家から逃げられますわ〜。」  とかなんとか言っている聞き覚えのある声と、勝利の揺ぎ無い確信に、こらえきれない含み 笑いが漏れてくる。  なにが入っているかは、一目瞭然である。  アヤとミオが、冷や汗を流す。  泣きながらついて来たシャルペロが、あっという間に泣き止んで、大喜びで棺おけに擦り 寄る。  みんなに、促(うなが)され、カンタが棺おけを担ぎ、言った。  「あー…ポケモン、ゲットだぜ?」  「バカな娘だ…。」  去っていくハルノを見て、ジョセフは言った。  窓際に立った父…。  手に持ったカップを、口に寄せた。  ジェントルマンのジョセフは、その厳しすぎる目を…紅茶の香り立つ湯気から守るように 、ゆっくりと瞑った(つむった)のだった。  行くがいい、ここがお前の家じゃない。愛する人の傍(そば)こそが“家”なのだから。  ジョセフは瞑った瞼の裏に…亡き妻“シキ”の面影を映していた。  それが今のハルノの姿と重なる。  もっとも…再び目を開く時は、愛さえも裏切りかねない非情な軍人の瞳に戻るのだが…。  でも、今は…、今だけは…。  妻の好きだった紅茶の香りが、全てを許してくれるから。  つづく