― ひとりぼっちのだいぎゃくしゅう ― きーんこーんかーんこーん。 「きりーつ、礼。さようならぁ」 今日の学校生活の終わりを告げる言葉が教室を満たし、次にざわめきが訪れる。 「おいケンタ。後でポケモンバトルしようぜ!」 「ああ、いいよ。負けないからな」 「ミクー! 一緒に帰ろー」 「うん、ちょっと待ってー」 一日分の学業を終え、勉強という名の苦しみから解放された生徒達が、ある者はぐ〜っと体を伸ばし、ある者は友人と遊ぶ約束を取り付け、ある者は足早に教室を出て行く。 思い思いに放課後を過ごす同級生達を私は何の感慨もなく眺め、さっさと鞄を手に取り教室を後にした。 時として人間は無意味な孤独感に襲われることがある。 家族はいる。友達もいて、ポケモンもいる。特に対人関係に困っているわけでもなく、今の環境に不満があるのでもない。 それなのに、何故か突然寂寥感が心に湧いて出てくるのである。 原因は分からない。ただ、その寂しさというのは一人になった時、家族や友人やポケモンから離れた時にそれは訪れるのだ…… 「だからついついメールしちゃうんだよねー」 「だからって真夜中に送ってくる事ないでしょ!」 「あははーゴメンゴメン。でも結構悩んでるんだよぉ」 「まったく――」 ……というのが、先日昼食中に聞いたクラスメイトの会話である。 そこまで難しく会話しているわけではなかったが、要するに言いたいことはそのようなものだと思う。 サンドイッチ片手にゲラゲラ笑うその女子生徒は、寂寥感や孤独感、悩みがあるとは到底思えないほど明るく振舞っていた。 贅沢な悩みだ、と思う。 では、本当に一人になってしまった人間はどうなのか。 無人島で自分一人だけになってしまったなどという極端なものじゃないにしても、誰からも相手にされない、 例えば唐突に寂しくなったのだとしてもメールを送る相手も居らず、送ってくれる人も居らず、その苦しさを受け止めてくれる人もいなければ、一緒にいてくれるポケモンすらいない。 そうなってしまったら、一体どうすればいいというのだろうか。 答えは簡単、どうしようもないのである。 人間一人の力なんて高が知れている。自分だけで何かを変えようと思い実際に行動したとしても、それを周りから否定されてしまえばそれで終わりなのである。 認めてくれる者がいるからこそ、その行動、存在に意味を持たせることができるのだ。 「…………」 なんて馬鹿なことを考えていたのだろう。まるでどこかの宗教だ。大体最後の一文、だったら無人島にいるのと大して変わらないじゃないかとつっこめないか? そう思いつつ、私はポケットから鍵を取り出した。 鍵穴に挿し込み、右に回してロックがはずれる音を確認するとドアを開けた。 そろそろ西の空が紫から黒へと変わろうとしているこの時間帯、どこの部屋も明かりの点いていない我が家の廊下は薄暗く、ゴーストポケモンが潜んでいてもおかしくはなさそうだ。 しかし、私は恐怖することなく靴を脱いでその廊下を通りリビングへと歩く。 ただいまと言わないのも、スイッチを押して電灯を点け、無人のリビングを見るのも、それは私の日常だった。 本当に一人になってしまった人間、それは私だ。 家族は母と父がいる。いるのだが、共働きで帰ってくるのは日付が変わる頃。私はその時間にはもう寝ていて、朝起きる頃に二人は既に出勤している。 仕事はほとんど毎日のようにあって、たまにある休日でも両親は体を休めることに精一杯なので、ほとんど会話しない。 友達はいない。これは私が原因なのかもしれない。不思議な事に、私には嬉しかったり怒ったり悲しんだり楽しかったりというのが無い。 つまり、感情が無いのだ。 人と話している時も、相手が冗談を言っても私はクスリともせず、からかわれてもしかめっ面一つしない。 そんな私を、人はつまらないとか無愛想だとか不気味だと思うらしい。私を認めてくれる人は、少なくとも今まで会った中にはいなかった。 私も私で、感情が無いものだから友達を作って楽しく遊ぼうなんてことを考えない。これなら友達ができないのは当然だ。 ポケモンもいない。というか、そんなものを飼えるほど我が家に余裕は無い。飼ってみようと思ったことも無い。 拒絶しているつもりはないが、求めているわけでもない。 誰もいない。何もない。 私は一人だ。 リビングでも堂々と着替えができるのは部屋に誰もいないからかもしれないが、感情が無いのだからいてもいなくても同じか。 そんなことを考えながら制服から私服へと着替え終えた私は、特にやることもないのでテレビの電源を点ける。 大体この時間帯はどのチャンネルに回してもニュースしかやっていない。しかも皆同じような事ばかり報道している。 適当に指が止まったところの局にし、リモコンを軽く放り投げる。この局もまた報道番組をやっているのは言うまでもない。 鞄からコンビニで買ってきた晩御飯用のおにぎりを取り出す。これもいつものこと。母の手料理なんてものを私は食べたことがない。 おにぎりを一口食べる。海苔と、冷たいご飯の味がした。 認めてくれる者がいるからこそ、その行動、存在に意味を持たせることができるのだ。 私を認めてくれる人は、少なくとも今まで会った中にはいなかった。 私が生きているのは何故なのだろうか。それを考えるのは愚かなことなのだろうか。 ないない尽くしの私にいったいなんの価値があるというのか。全く分からない。 ……やめた。そんなことを考えたところで一体何になるというのか。分かるはずもないのに。 一人なのはいつものこと。今更考えることはない。 一人でいることは苦痛ではないし、孤独感も覚えない。ずっとそうだった。そして、これからも。 そう、思っていた。 テレビには、満面の笑みと元気いっぱいの声で話す若い女性が映っていた。 『は〜い! 皆さんこんばんは! 今日はここ、怒りの湖からお伝えしま〜す! え〜、皆さんご存知でしょうか?  最近この湖になんと! 赤いギャラドスを目撃したという情報があるんですよ〜!  元々ここ怒りの湖でギャラドスを目撃することはそう珍しくないのですが、赤いギャラドスの目撃例は初めてだと言うことです〜!  すごいですね〜! 強そうですね〜! ギャラドスはとても凶暴なポケモンで、ある古文書には村一つを破壊したという記録も残されているんですが、 赤いギャラドスならもう、街ひとつを、ドッッッカアアアアアン!!! ってぶっ壊しちゃうかもしれないですね〜! 怖いです〜! それでは、明日の天気を――』 しかし、確実に、黒い塵は私の心に積もっていたのである。 翌日。放課後。 いつものように鞄を手に取り教室を出て行く。廊下を少し歩き、角を曲がって階段に―― ドンッ 「!」 「痛っ!」 急な圧力、衝撃が体を揺らし、私は思わず尻餅をついた。 ぶつかった。当たった箇所が鈍く痛む。そこを手で押さえながら、ぶつかった相手に謝ろうと顔を上げ、 「いってぇな! この!」 またしても衝撃が襲った。今度は顔面に。 「あっ……!」 さすがに驚いて相手を見上げる。男子生徒が、蹴った後の姿勢のまま立っていて、私を睨みつけていた。 その目はまるでゴミを見るような、否、ゴミを見る目だった。 「チッ」 最後に舌打ちをしてその男子は去っていった。 ぷちっ。 家へと帰るその道中。私は奇妙な感覚を覚えていた。 なんだろう。これは。 胸の奥が熱いというか、いや、熱いのは顔か、とにかくさっきからあの男子生徒の目が脳裏にこびりついて離れない。 おかしい。体がフワフワする。なんというか、何かをしないと気が済まない。 私は歩みを止めた。 「…………」 そして、我が家に帰るのとは全く別の道へとまた歩き出した。 日没が過ぎてだいぶ経った頃。 空は既に闇に覆われ、主な光は粒粒と光る星たちと月光のみである。 まともに舗装もされていない道を、私はただ黙々と歩き続けている。 何故私はこんな行動をしているのだろう。胸は未だに熱いままで、冷める気配は全くない。 この先の目的地に行ったところでどうなるのか、何がなんだか分からない。 もしかして、この気持ちが、感情なのだろうか。 坂を上がった所で視界が開けた。 立ち止まって、その光景を眺める。 静かな音が辺りを包んでいる。小波が寄せては返し、遠くの方でコイキングがはねるのが見えた。 周りを木々に囲まれ、一見平和の極みにあるようなこの場所だが、平和というものとは全く逆の名称がつけられていた。 「怒りの湖……」 幸いなことに、というべきなのだろうか、周囲を見渡しても人はいなかった。 来てみた。それで? 何をすればいい。 心安らぐこの景色にも私の熱は治まることはなかった。 そういえばここに来る途中、私は何故かモンスターボールを買った。 意味不明だ。どうしたんだ私。今更ポケモンを捕まえてどうする。捕まえて持って帰ったとしてもやれる餌もないのに―― 「……?」 ふと、気づいた。 広大な湖のその中央、細長い影が一本水面から伸びている。 目を細めてよく見てみる。 大きく開いた口、三本の角、鋭い目つき、蛇のような細長い体。 平穏な光景とはあまりに不似合いな存在感を放つその凶暴なポケモン。 「ギャラドス……」 その凶悪な双眸は私の目を見据えていた。 息をのむ。体がガチガチに固まって動かない。胸が高鳴る。これは恐怖なのか。 月明かりを反射するその全てを壊してしまうかのような体躯、その背。色が。 「赤――?」 脳内に声が再生される。 『赤いギャラドスならもう、街ひとつを、ドッッッカアアアアアン!!! ってぶっ壊しちゃうかもしれないですね〜!』 黒いものが湧いてくる。奇妙な感覚が、徐々に変化していくのが分かった。 あのギャラドスの力がどれ程なのかとか、私の言葉が届くのかとか、そんなことは考えなかった。 止めどなく膨れ上がる黒。やがてそれは私の体を埋め尽くしていき、言葉と共に口から溢れ出した。 「壊しちゃえ」                  ――破壊―― 「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!!!!!!」 鬼神の雄叫びが響き渡る。 赤いギャラドスの咆哮、まるでそれが合図だったかのように、湖から青いギャラドス達が一斉に生えてきた。 無数のギャラドス。この湖にいるギャラドス全てがいるように思えた。 まず始めに、赤いギャラドスが一発放った。 破壊光線。 極太の、異常なまでの衝撃波を撒き散らし輝きながらそれは一気に直進していき、木々を射抜く。 さらにまた一匹、破壊光線。また一匹、破壊光線。また一匹。 次から次へと繰り出される破壊の一線。それは地面に当たり、木に当たり、爆発する。命中した場所は土煙で覆われてよく見えなくなる。 森の中で数十匹のポケモンが逃げ惑うのが見えた。破壊光線が、その中の数匹に当たった。 止まらない光と轟音。 破壊光線を放つと反動でしばらく動けなくなるというが、このギャラドス達はそんなもの関係ないと言わんばかりに撃ちまくっている。 突然、一匹のギャラドスが目の前に飛び出してきた。そしてそうするのが当然のように口の中にエネルギーを溜め、放つ。 私の頭上を通過して行ったそれは、先が見えなくなるほどまで伸びていって、 「!」 私の住む街に直撃した。 さらに二本また伸びていって、同じように当たる。煙が立ち昇るのが見えた。 繰り返される破壊活動。それは戦争、天災と言っても言いすぎではなかった。 「アハハハハハハハハハハハ! アハハハハハ!」 ――? 笑っている。誰が。笑っている? この状況で? 誰が笑っているのか周りを見ようとして、そこでようやく気づいた。 「アッハハハハハハハハハ!」 笑っているのは、私だ。 狂ったように笑い続ける私。何故今まで気づかなかったのだろうか。 体と魂がまるで別の所にあるかのような感覚。どちらかというと、私は今魂の側にある。 体が勝手に笑っている。 私には感情なんて無かったんじゃないのか。それに今、こんな無茶苦茶な状況で笑っているなんて、壊れているとしか―― ああ、そうか。 壊れているんだ、私は。スクラップに価値なんて無い。そうだ、だから一人なんだ。だから狂い笑っている。 だからあの男子はゴミを見る目をしていたんだ! 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」 あっけなく崩れ落ちた平穏。 もう湖を囲っていた森林はほとんどがバラバラになっていて、原型を留めていない。倒木の間に倒れて動かなくなったコラッタを見つけた。 ある所では、さすがに疲れたのか、数匹のギャラドスが苦悶の表情のまま湖の底へと沈んでいき、数匹は地面に横たえていた。 空を見ると、鳥ポケモンに乗って飛行するトレーナーの姿が見えた。この異常事態を止めるべくやってきたのだろうか。 しかしこの圧倒的なギャラドスの数である。手持ちのポケモンを全て出したとしても恐らく近づくことさえ出来ないだろう。 壊しても壊しても、まだ壊す。 止める者も、止めることのできる者もいない。 狂喜の破壊は夜が更けるまで続いた―― 朝霧なのか、砂埃なのか。 霞んだ何かがゆったりと空間を流れていく。 破壊はたった今終わった。最後のギャラドスが、最後の破壊光線を放って、そのまま湖へと消えていった。 静寂が蘇った。だが平和は蘇らない。 湖のあちこちに力なく倒れたままのギャラドスが転がっていた。 延々放たれ続けた破壊光線は何もかもを砕き、地表にあるものは全て荒れ果てていた。 それは私も例外ではない。 生まれて初めての感情の発露。それも一気に、大量に奔出されたためなのか、心はまた無に戻っていた。 水辺に近づいて、私は座り込んだ。 体が果てしなく重い。疲れた。体も、心も。 このまま寝てしまおうかと、俯きぼんやり考えていた時。 すっ、と目の前が薄暗くなった。 「君は……」 ギャラドスだった。赤の。 私の中に、またおかしな感覚が僅かに滲み出る。 「……どうして……私の言うことを……聞いたの……?」 無言だった。そのギャラドスは全く変わらず、私を見つめていた。 なんとなく、分かったような気がした。 「そうだね……。どうでもいいよね……そんなこと」 私は鞄をまさぐった。 隅から隅へと手を移動させる途中、プラスチックのような無機質な感触が指に当たった。 それを掴み取り出す。モンスターボール。 投げてみた。 ギャラドスは避けることもなく、何も言わずにボールの中へと吸い込まれた。 しばらくカタカタ動いて、止まった。 「おーい!」 「!」 誰かの叫ぶ声。後ろから足音が近づいてくる。 振り向くといくつかの影が見えた。私はボールを手に取り、ポケットに入れつつ立ち上がる。 次第に影がはっきりとしてくる。ポケモンを連れた歳はさまざまな男女が数人走ってきた。 「君! 大丈夫か!?」 先頭の男性が走りよってくるなり私の肩を掴み大声で安否を確認してきた。 「怪我はないか!? 痛む所は!?」 心配してくれているのか、どうやら私を被害者だと思っているらしい。 さらに何人かがこの湖に到着して、全員酷く顔を歪めた。 「こりゃ酷い……」 「…………っ!」 「なんてこった……」 恐らく心を痛めているのだろう。言葉を失う者、悲痛の呟きを発した者も、それっきり何も言わなかった。 私は肩に置かれた手を払った。 「! おい?」 「大丈夫ですよ」 答えて、歩き出す。 少し進んだところで止まり、振り返る。 全員が私を変な目で見ていた。 気持ちが軽い。おかしな感覚、ではない。多分これは、 楽しいんだ。 「私は、力を手に入れましたから」 私は満面の笑みを見せ、霧に包まれていった。