ぬ い ぐ る み の 歌






 ユズリは、いつもぬいぐるみを持っている子だった。
 真っ白なウサギのぬいぐるみを抱えて、毎日一人で遊んでる。

 ユズリは、日焼けのない真っ白な肌に、背中まで届く真っ黒な髪を持つ子だった。
 瞳孔が見えない真っ黒な瞳は不気味だって、ユウレイみたいだって言われてる。


「オバケがきたぞー!」

「にげろー!」

 ユズリが公園に来ると、他の子供はそう叫んで逃げる。
 無口で、人見知りで、引っ込み思案なユズリ。
 格好のからかい対象として、いじめられていた。


 ぬいぐるみを片手に、真っ白なワンピースを着たユズリはいつも砂場で遊ぶ。
 真っ白なスコップで、真っ白な砂を掘って、真っ白な砂山を作るのだ。

「ここ、トンネルつくったほうがいいかな」

 ウザギのぬいぐるみに話しかけながら、ユズリは一人でトンネルを掘る。

「ともだちがいたら、いっしょにつくれるのかなぁ」

 ぬいぐるみは、何も言わない。
 ただ、真っ黒なボタンの目で、トンネルを掘るユズリをじっと見つめたまま。


「やーいやーい、オバケの子!」

「おまえがこわくて、山も逃げちゃう!」

 ユズリがやっと完成させた砂山は、いじめっこにはしゃいだ声を上げて崩される。
 踏まれて叩かれて小さくなって、トンネルも潰される。
 頭に砂をかけられて、真っ黒な髪に、星屑みたいな真っ白な粒がまぶされる。

「おやま、くずれちゃったね」

 ぺたんこになった砂山を見ながら、ユズリはぬいぐるみに話しかけた。

「ともだちがいたら、かんたんにつくりなおせるのかなぁ」

 ぬいぐるみは、何も言わない。
 ただ、真っ黒なボタンの目で、髪から砂をはらうユズリをじっと見つめたまま。


「いい子にしてた?ユズリ」

「うん、いい子にしてたよ」

 ユズリの両親は、朝早く仕事に出かけて、夜遅く戻ってくる。
 いつも、とっても忙しそう。
 だから、ふつうに話ができるのは、晩御飯のときだけ。

「今日はどんなことをして遊んだの?」

「すなのおやまをつくったよ。トンネルもつくったよ」

「楽しかったか?」

「うん。楽しかった」

 ぬいぐるみを膝にのせて、みんなで晩御飯。
 おかあさんは忙しくて料理できないから、いつも冷凍食品だ。

「悪いんだけどユズリ、お皿洗っておいてくれない?」

「わかった」

 食べ終わったら、ユズリはお皿を洗う。
 だって、おかあさんもおとうさんもお仕事で忙しいから。
 真っ白な小さい手のおかげで、お皿は真っ白になった。

「きれいになったね」

 ユズリは、ぬいぐるみに話しかける。

「ともだちがいたら、てつだったりしてもらえるのかなぁ」

 ぬいぐるみは、何も言わない。
 ただ、真っ黒なボタンの目で、手を拭くユズリをじっと見つめたまま。


 お風呂に入って、パジャマに着替えて、ユズリは学校の宿題をやる。
 わからないところがあったけど、両親は忙しいから、がんばって自力で解く。

 宿題が終わったら、絵本を一冊、ぬいぐるみに読み聞かせて。
 そして、電気を消して、ひとりで寝るのだ。
 ふわふわの真っ白な毛布に、ふかふかの真っ白なまくらで。

「おつきさま、おつきさま、わたしにともだちができますように
 あしたこそ、あしたこそ、わたしにともだちができますように」

 毎夜、寝る前に、窓の外の月を見ながら、手を組んで、そう祈る。
 同じ言葉を何度も繰り返し、独自の音韻をもつその願いは、まるで歌のよう。

「わたしにともだちができますように」

 叶ったことは、ないのだけれど。

「おやすみ、わたしのぬいぐるみ」

 そうぬいぐるみに挨拶してから、ユズリは眠る。
 夢の中で、もっともっと大きくて、真っ白な砂山を作るのだ。
 ひとりで。
 そして、夢の中で、砂山に向かって呟くのだ。
 ひとりで。


 どうして、だれもともだちになってくれないの。

 どうして、わたしをいじめるの。

 どうして、どうして、どうして。


 ぬいぐるみは、何も言わない。
 ただ、真っ黒なボタンの目で、寝言を呟くユズリをじっと見つめたまま。
 誰にも聞こえない恨み言を、全部その身に引き受ける。




「かえしてっ!」

「とりかえしてみな!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねて、一生懸命ウサギのぬいぐるみを取り返そうとする。
 けれど、男の子の背のほうが高くて、届かない。

「かえしてっ!」

「やーだね!」

 いつもいつも、大切そうにぬいぐるみを持ち歩いてるユズリ。
 今日はいじめっこの男の子に取り上げられてしまい、泣きそうだ。
 まわりの子供は、見てるだけ。

「かえしてっ!!」

 男の子にしがみついて、取り返そうとする。

「そんなにかえしてほしけりゃ、とりにいきな!」

「あっ……」

 いい加減、ユズリがうっとおしくなった男の子。
 ぬいぐるみを、近くのドブ川に放り出した。

 ぼちゃん、と汚い川に浸かって、真っ白なぬいぐるみが真っ黒になる。

「わたしの、ぬいぐるみ!」

 ユズリは叫ぶけど、声はむなしく響くだけ。
 あっというまに水を吸って重くなり、沈んでいくぬいぐるみ。
 手を伸ばしても、届かない。

「わたしの……」

 流されるぬいぐるみを追いかけた。
 水に押されて、沈んで、ぬいぐるみは沈む。
 ぽたぽたと、涙が川に落ちた。

「わたしの、」

 ぬいぐるみは、何も言わない。
 ただ、真っ黒なボタンの目で、塀の上で泣くユズリをじっと見つめたまま。

 ボタンの目が、水の中に消えた。




「おつきさま、おつきさま、わたしにともだちができますように」

 窓から月を見上げながら、いつものようにユズリは祈る。
 部屋には、ユズリひとり。
 おかあさんもおとうさんも、忙しいから。

「わたしにともだちができますように」

「わたしにともだちができますように」

「わたしに、ともだちが」

 ふと、ユズリの声が途切れた。
 何もない自分の手の中を見て、それから部屋の中を見回す。
 絵本がベッドの上にあるけど、もう読む理由がない。
 だって、いつもいっしょだったウサギのぬいぐるみは、もうない。

「ともだち」

 呟いて、ユズリは、再び指を組んだ。

「おつきさま、おつきさま、わたしのともだちをかえしてください」

 いつもの言葉と、違う言葉。

「わたしのともだちをかえしてください」

 淡い希望に溢れた今までの歌とは違う、ぞっとするような暗い暗い怨嗟に濡れた歌。
 聞いたものの心を氷の手でわしづかみにするような、深い深い音韻。
 音は窓を突き抜けて、真っ黒な夜空に漂う。

「わたしのともだちをかえしてください」

「わたしのともだちをかえしてください」

「わたしの、たったひとりのともだちを」


「かえしてください」


 月の光が、暗くなった気がした。
 ユズリが顔を上げると、窓に、くっきりと黒いシルエットが写っている。

「わたしの、ともだち!」

 真っ暗の布に、鋭い切れ込みをいれたような、赤と黄色の瞳。
 糸だった口は、今はチャック。ウサ耳はネコ耳のように短くなってしまったし、 前はなかった、まるでユズリの髪みたいに長い布がついているけれど。
 それでも、ユズリには、あのぬいぐるみだとわかるのだ。

 窓を開けて、抱きついた。
 ふわふわの、いつものぬいぐるみの感触。

「もどってきてくれたの?」

 ユズリの質問に、ぬいぐるみは頷いた。

「おつきさまへのおねがい、かなったんだ!」

 よかったあ、とユズリはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
 ぬいぐるみは、抱きつかれてぱちぱちと目をまばたかせたあと、ユズリの手を すり抜けて、ベランダに降り立つ。

「どうしたの?」

 窓から身を乗り出すユズリに、ぬいぐるみは笑って手招きする。

「ともだち?」

 誰も何も言っていないのに、まるで、ぬいぐるみにそう言われたかのように、 ユズリはぱっと表情を明るくさせた。

「ともだちに、あわせてくれるの?」

 ぬいぐるみは頷く。

「みんな、いっしょにあそんでくれる?」

 ぬいぐるみは頷く。

「ほんとう?」

 ぬいぐるみは頷く。

「じゃあ、つれていって」

 ユズリは腕を伸ばして、ぬいぐるみの手をとった。









 あるところに、ひとつの町があった。
 けれど、その町には今は誰も住んでいない。
 突然ゴーストポケモンが大量発生して、人が住んでいられなくなったから。
 だから、みんな町を出て行ったって。

 子供がさらわれた、という噂もあった。
 最初に女の子がいなくなって、それから近くの学校の子供が次々と行方不明。
 ゆうれいにつれていかれたのだと、みんな言う。
 消えた子供たちは、一人として帰ってきていないって。

 廃墟のようになった町は、いつも静か。
 足音ひとつしない町には、不気味なの影がゆらめくだけ。
 誰もいないから、誰の話し声もしない。
 ただ、おばけの囁き声が聞こえてくるだけだって。

 けれど、雲一つない月夜だけ、呪詛のような深い深い歌が、町を流れるのだと。
 そして、真っ白なワンピースを着た女の子が、ジュペッタを連れて公園で遊ぶのだと。
 真っ白なスコップで、真っ白な砂を掘って、真っ白な砂山を作り、二人で笑うのだと。

 そして、こう歌うのだ。


「おつきさま、おつきさま、もっとわたしにともだちをください」


「もっとわたしにともだちをください」


「もっとわたしにともだちをください」




「ともだちをください」






 町に足を踏み入れる旅人は子供たちと同じように行方不明になる。
 今でも、近隣ではそう噂されている。






2007.8.25 Misty