遠くから見た限りでは、いつもと変わったところは見られなかった。  ただ、西の空には大きな灰色の雲がかかり、いつもよりも冷たく強い風が吹いていた。  もっともそれは、この地方に特有の季節風で、もうじき雪が降ることの前触れだ。  三人のポケモントレーナーが、その景色の中を早足で歩いている。  ピンクがかった赤色の髪をした少女、アカネが落ち着かない様子で先を行き、それよりもやや小柄な、 ゴールドとツクシという二人のトレーナーが、その後を追いかけていく。  街が近づき、そのシンボルであるラジオ塔が大きくなるにつれて、 アカネの胸騒ぎがだんだんと大きなものになっていく。  複雑な感情を抱え、それでも彼女はさらに足を速める。  ……帰るつもりのなかった場所、コガネシティ。  最先端のバーチャルシステムを駆使したモバイル・ジムを持つ、 その完成と従来のシティジムの廃止に伴って、若きジムリーダーが涙とともにその座を追われた街。  アカネがふと足を止め、口を開く。 「……帰ってきてもうたな」  傍にいたゴールドとツクシは、アカネを気遣ってか、言葉を発しようとはしない。  やがて、感傷に浸っていたアカネも、軽く息を吐き出し、元のように歩き始める。  ゴールドのポケギアにウツギ博士からの電話があったのは、昨晩のことであった。  博士の言うところを手短にまとめると、コガネシティがロケット団によって制圧され、 街の全機能が麻痺状態らしいとのことだった。  最初は三人とも半信半疑だった。しかし、ラジオの放送が途絶え、 渋々ながらもアカネが電話をかけたコガネの人間とも連絡が取れなかったことから、 少なくともそこに何らかの異状があることを確信した。  コガネシティの北にある管理ゲートにたどり着いた三人は、 一番手のポケモンを出すために腰のモンスターボールを手に取ると、その構えのままゲートの中へ足を踏み入れた。  それそれが手練れのトレーナーとはいえ、やはり緊張が走る……。 -------------------------------------------------------------------------------- □あかね色の夜明け□ 第一話 --------------------------------------------------------------------------------  ゲートに入った三人を待ちかまえていたのは、ロケット団ではなく、それよりもさらに衝撃的な出来事だった。  その場にいたコガネシティの住民達が、瞬く間に三人を取り囲んだのだ。 「おとなしくボールをしまってもらえませんかな」  口ひげをたくわえた紳士が進み出て、穏やかな、しかしあまり人にものを頼んでいるようには思えない口調で言った。 「これは、どないゆうことや?」  予想だにしなかった事態を前に、アカネの声は震えていた。 「ごめんなさいアカネさん。でもこうしないと、僕たちのポケモンが……」  アウトドア風の服装をした少年がアカネに何かを説明をしようとしたが、彼はそこで口をつぐんだ。  三人が顔を向き合わせ、しばらくの沈黙の後、腰のホルダーにボールを戻した。  人々は三人を後ろ手に軽く縛ると、ゲートの内側に停めてあったトラックの荷台に乗せ、どこかへと連れ去って行った。 「なあ、俺達これからどうするんだ?」 「どうするって、しょうがないよ。街の人たちのポケモンが危ないって言うんじゃ」  三人が連れてこられた部屋で、ぼんやりとパイプイスに腰をかけながら、ゴールドとツクシはため息をついた。  アカネは二人の会話に入らずに、じっと宙を見つめていた。 「うち、帰ってけえへん方が良かったわ……。ごめんな二人とも、巻き込んでもうて」  思わず口に漏らしたアカネに、ゴールドが言葉をかけようとしたときだった。 「アカネちゃん」  鉄製の扉が開いて、ミニスカートの少女が姿を現した。 「……久しゅうな、アスカちゃん」  気のない返事を返すアカネに、アスカと呼ばれた少女が後ろめたいような表情を浮かべ、気を取り直して言った。 「ちょっと来てくれる?」  アカネは無言で立ち上がると、アスカの後ろについて部屋を出ていった。  何か言おうとしたさっきの体勢のまま、ゴールドはその様子を見送っていた。  一時間くらいが過ぎただろうか。ゲートで三人を待ちかまえていた人々が、アカネとともに部屋の中へと入ってきた。  思わず怪訝そうな顔を向ける二人に、紳士が先刻の非礼を詫びた。その言葉が終わるやいなや、 人々は先を争うように、口々にゴールドとツクシに話し始めた。 「ロケット団の拠点になっているラジオ塔を解放して、電波の送受信装置を止めてください」 「ゲートから内側の会話は全部監視されているのです。だから、唯一電波の届かない、 この地下通路の一室でお話しする必要がありました」 「我々のポケモンはロケット団の開発した強力なウイルスにやられてしまい、 戦うことが、いえ、動くことさえほとんどできないのです」  ロケット団の目的はラジオ塔の占領とジョウトの全放送の支配であること。 コガネを制圧し、ポケモンをウイルスに感染させて住民の抵抗を防いでいること。  事情を説明する人々の言葉を最後まで聞いて、ゴールドが言った。 「分かった、行こうツクシ、アカネ」  人々の間から歓声が上がった。だが、アカネは戸惑うように口を開いた。 「うちは……うちが一緒に行くと、コガネのみんなが責任をとらされてまう。 それに、ここにいる弱ったポケモンを介抱できるんは、癒しの鈴が使えるうちのミルタンクだけなんや」 「コガネのみんなって、アカネ今まで……。」  ゴールドにとってその言葉は意外だった。アカネがコガネシティを去ったいきさつを知っているだけに……。 「……なら、俺達だけで行く」  そう答えたゴールドの横で、ツクシもうなずいた。 アカネはラジオ塔までの最も監視の薄い道順を示し始めた。ラジオ塔で働いていたという若者が、 塔の内部の構造と、送受信装置のスイッチのある部屋の場所を紙に書いてゴールドに渡した。 そしてアカネが何種類かの傷薬を二人に渡して言った。 「ええ? センターの回復装置とパソコンは絶対に使ったらあかん」 「ロケット団が罠を仕掛けているんだね」  ツクシの言葉に、一瞬複雑な表情を見せてアカネがうなずいた。 「そや。せやから回復はこの薬でな」 「この街でパソコンを使えないのはきついな。俺のトゲピーはバトルが苦手だし、 ツクシはストライクしか連れてない。ここは……」  ゴールドがそこまで言ったとき、ツクシがそれを遮った。 「僕は大丈夫だよ。ストライクだけでも十分戦える。それに、 ロケット団はまだ僕たちが来たことに気づいてないんでしょ。チャンスだよ」 「……そうだな。奴らが気づく前に。行こう」  そう言ってゴールドとツクシが立ち上がった。街の人々の応援に見送られ、 二人は地下通路を抜け、アカネが示した道を進んでいった。 「二人とも行ったんやな」  足音が聞こえなくなってから、アカネは一人つぶやき、荷物を持って部屋から出ようとした。 その様子を見たミニスカートの少女、アスカがあわてて声をかけた。 「!? ちょっとアカネちゃん。一人で行く気?」 「あとまともに動けるのは、うちのピッピだけやから。……電波を止めてもこっちの問題は解決せぇへんし」  そう言い残すと、アカネは地下通路をゴールド達が行った方向と反対側の、細く入り組んだ奥の方へと歩き始めた。  そして、アスカの方を振り返って言った。 「これはうちの……コガネの人間の問題や」  アカネの後ろ姿をしばらく見ていたアスカは、何かを決意したかのようにうなずき、その後を追いかけた。 「私も行く。私のドーブルも、一撃だけなら技を出せる体力があるわ」 「一撃って……。ちょっと、無理させたらあかん。もし外したらどないすんねん?」 「外さないわ」  目を丸くするアカネに、アスカが確信に満ちた声で答え、付け加えた。 「それに……あのときは、助けてあげられなかったから」