かつてないほどの静寂に包まれたコガネシティに、雪が降り続いていた。  ほとんど灯りの見えない街を、ヘルガーを連れて、高台から見下ろしていた少女が言った。 「やっぱり、何かあったみたい」  考えにふけっている少女の数歩後ろで、青年がやや覇気のない声で言った。 「そやな。早いとこ行かんと……」  少女が歩き出そうとしたとき、突然青年がゴホゴホとせき込んだ。 口からは数滴の雫がこぼれ落ち、それは彼の足下の雪を鮮やかな紅に染めていった。 「大丈夫ですか? マサキさん」  少女が青年に駆け寄った。 「大丈夫や。クリスはんは先に行っとってぇな。わいはちょいと休んでくわ」  少女は青年の青白い顔と血に染まった雪を交互に見て、首を振った。 「もうすぐ着きますから一緒に行きましょう。それにこんなところで休んでいたら、凍えちゃいますよ」 -------------------------------------------------------------------------------- □あかね色の夜明け□ 第三話 --------------------------------------------------------------------------------  人気のない街を、灯りの在りかを探して地下通路へと入った二人は、思わず息を呑んだ。  普段は出店で賑わっている一角、そこの椅子に老婆が腰掛けていた。  目の前のテーブルにはププリンが横たわり、息も絶え絶えにうめいている。  老婆はププリンに毛布を掛け、なすすべがないとでも言うかのように、ただじっと見守っていた。 「どうしたの!?」  二人はププリンをのぞき込み、老婆に尋ねた。 「どうもこうもない……。街の全てのポケモンがこのありさまじゃ」  老婆は無表情にうつろな声で答えた。 「そんな……。そうだ、これなら……苦いけど我慢して」  老婆の言葉を聞いたクリスは何かを思いついたようにリュックから紙包みを取り出し、 中に入っている粉をププリンに飲ませた。  すると、ププリンはしばらくうめいてから、やがて静かに寝息を立て始めた。 「それは……」 「万能粉です。古代の人々がアルフの遺跡に残した」  その言葉を聞いた老婆が目の色を変えてクリスに詰め寄った。 「お、お願いですじゃ。それを譲ってくだされ。お代はいくらでも、出せるだけ出しますじゃ」  クリスはその気迫に一瞬圧倒され、そして言った。 「タダでいいです、だから……。教えてください。この街で今、何が起こっているのか」 「やれ、リングマ」  局長の声を受け、リングマの鋭い爪がアスカにかかろうとしたそのとき、 「ピッピ、天使のキッスや!」  とのアカネの声と共に、ピッピがリングマに投げキッスを送った。  その攻撃はリングマに通じなかったが、アスカからリングマの意識をそらすことはできた。  リングマは恐るべき速さでピッピに突進し、ピッピがかろうじてそれを避ける。  接近戦に持ちこまれてはピッピに勝ち目はない。そう判断したアカネが緊迫した声をあげた。 「離れるんやピッピ。プレゼントやぁっ!」  だが再び、リングマの腕にはじかれ、プレゼントは無意味に宙を焼いた。その煙が双方の視界を覆い尽くしていく。  自分の作戦がアカネを窮地に追い込んでしまったことを、アスカは痛感していた。  けれども、この状態で手を出すことは足手まといにしかならないことも分かっていた。  彼女はただ黙って、ピッピとリングマの動きを見つめていた。  一方アカネも考えていた。メロメロや指を振るで攻撃するにしても、攻撃態勢をとるのには時間がかかる。  それならプレゼントの爆発の煙で視界を遮って時間を稼ぐしかない。  ……しかし、そんなことは局長も分かっているはず。  煙が切れた瞬間、ピッピの次の攻撃を読むかのように、リングマが破壊光線を撃ちだしてきた。  激しい音と光を放つ光線が、ピッピの影を粉々に吹き飛ばす。  だが、あれは……。局長の顔に緊張が走った。 「しまった、人形か」 「ピッピ人形や。今度はうちの番やな」  煙に紛れてリングマに近づいていたアカネがミックスオレの栓を開け、攻撃の反動で動けないリングマに投げつけた。 「何をしている。気でも狂ったのかね」  中の液体がリングマの左肩にかかり、腕を伝わって床に流れ落ちる。  匂いにつられ、リングマが左腕から滴り落ちるミックスオレをペロリと舐めた、そのときだった。 「いまやっ、ピッピ!」  ピッピが手を叩き始めると、リングマは何かに取りつかれたように、自らの左腕を繰り返し舐め始めた。  アカネは、その瞬間の思考に相手の頭を支配させてしまう技、アンコールをピッピに放たせたのだ。 「……降参だ。ワシの負けだな」  戦意を喪失したリングマを一瞥してボールに戻し、局長が苦々しい表情をアカネに向けた。 「もうすぐ、かな……」  ストライクの作り出した渦を見つめながら、ツクシがつぶやいた。  かまいたちの結界が張られてから、ロケット団員達は火炎放射と岩雪崩で中心にいるストライクを攻撃しようとした。  しかし、火炎放射は渦に巻き上げられて入り口の天井を焦がすのみで、 岩雪崩は真空の刃によって微塵となって消えていった。  ロケット団員達は諦めたのか、やがて攻撃が止んだ。  これだけだと確かに無敵の結界のようであるし、ロケット団員は誰一人として塔の中に入ってこれない。  けれどこの結界は、ストライクを激しく消耗させる。  もってあと1,2分。……それまでにゴールドが出来るだけ上にたどり着いてくれれば。  そうツクシが思ったときだった。  爆音をあげ、火花を飛ばしながら向かってきた青色の閃光が、真空の渦を突き抜け、ストライクの身体を貫いた。  ストライクが全身の力を奪われ、羽ばたくことができずにどさりと地面に落ちる。  それとともにかまいたちの渦もすっと消え、目の前の視界が開けた。 「……電磁砲?」  呆気にとられて、ツクシは閃光が放たれた方向に目をやった。  そこには手持ちポケモンを全て倒され、荒縄で縛り上げられたロケット団員達と、 電磁砲を撃ち出したと思われるレアコイル、そして、かつてツクシがウバメの森で戦った、赤髪の少年の姿があった。 「邪魔だ、どけ」  立ちつくしているツクシの横を素通りし、赤髪の少年はレアコイルと共に、ラジオ塔の階段を上がっていった。  ツクシが外にいたロケット団をくい止めてくれたのと、ポポッコが大活躍してくれたおかげで、 かなり上の階まで、ゴールドは大した苦労もなくたどり着くことができた。  粉と綿胞子で、相手を倒さずとも動きを封じて、無駄に戦って消耗することもなく上がってこられたのだ。  そしてさらに次の階に進もうと階段に足をかけたそのときだった。  床にまいてあった油に足を取られ、ゴールドは態勢を崩した。  直後、上の方からヘドロ爆弾が襲いかかってきた。  ゴールドは壁に手を置きながら立ち上がるのがやっとで、指示を出すことができなかった。 「ッ!?」  頭の上を飛んでいたポポッコが、避ける間もなくヘドロ爆弾の直撃を受け、ゴールドの目の前に落ちた。 「ポポッコ!!」 ゴールドは床に倒れたポポッコを抱え、すかさず陰に隠れて傷薬を塗った。 「ごめん……。傷が癒えるまで、休んでいてくれ」  ゴールドはポポッコをモンスターボールに戻すと、壁に張り付いて階段の上の様子をうかがった。 「よくここまで来れたわね、坊や。でも、ここで終わりよ」  階段の上から静かな、しかし憎々しげな声が聞こえた。他のロケット団員達とは違った赤い服。 整った顔立ちをしているが、殺意に満ちた歪んだ微笑み……ロケット団の女幹部だ。  その隣ではベトベトンが階段の下に向かって攻撃の狙いを定めている。 「……。サンドパン、穴を掘る」  サンドパンが穴を掘ってベトベトンに近づいている間に、ゴールドはベトベトンの正面に飛び出した。  ベトベトンがゴールドを目がけてヘドロ爆弾を放ち、ゴールドが間一髪でそれを避ける。  と同時に、無防備なベトベトンの真下から、サンドパンが爪で一撃を食らわせた。  そこまでは作戦通りだった。  しかし、その攻撃を読んでいたかのように、次の瞬間ベトベトンは大爆発を起こして四散した。  間近で爆発に巻き込まれたサンドパンが階段を転がり落ち、ベトベトンの傍にいた女幹部も、 不敵な笑みをゴールドに向けると、そのまま前のめりになって床に崩れた。  ゴールドはサンドパンを抱えあげ、傷に薬を塗ってボールに戻すと、階段を滑らないようにゆっくりと上っていった。  残る手持ちはトゲピーだけ。自分のせいとはいえ、二匹が回復するまでの十数分の間、 指を振るに運命を託すことになるのは気が重い。しかし…… 「行こう、トゲピー」  ゴールドはそう言うと、握りしめたモンスターボールからトゲピーを出して、自分の肩に乗せた。  普通ならここで立ち止まって回復を待つなり、引き返すなりするだろう。  しかし、ゴールドの情熱と仲間や街の人々に全てを託されたという使命感が、断じてそれを許しはしなかった。 「おまえは!?」  さらに階段を上り、その姿を目にしたゴールドは思わず声を出していた。 「久しぶりだな少年。チョウジでの借りは返させてもらう」  じろりとゴールドに目をやった男に、ゴールドが憎悪のこもった視線を返す。  その男は学会を追放され、ロケット団の科学者として、ポケモン達に非道な実験を行い続けてきたはぐれ研究員だった。  手元のリモコンのような物のスイッチを押し、はぐれ研究員が言った。 「見るがいい、我が科学力で進化したイーブイを」  だが、その声に答えて飛び出してきたのは、とてもイーブイなどと呼べる代物ではなかった。  その生き物……通常のサンダースやブースターなどと同じくらいの大きさのそれは、目を剥き、 全身の毛を逆立て、よだれを垂らしながらゴールドに向かってきた。  もはやポケモンとは呼びがたい、化物と言う名前がふさわしい、 通常の進化に必要とされる『石』の力やトレーナーの愛情を与えられず、 特殊な電波によって強制進化させられたイーブイだった。 「なんてことを……」ゴールドは絞り出すように言った。 「ふん、私の研究を理解できぬ愚か者めが」  狂っている。ゴールドは奥歯を噛みしめた。なにが研究だっ……。  それ以上思う間もなく、イーブイが放った強烈なスピードスターがラジオ塔の壁を粉砕した。 ゴールドは間一髪でかわし、肩の上のトゲピーに言った。 「トゲピー、甘えるんだ」  トゲピーが肩から飛び降りて、可愛らしい鳴き声としぐさでイーブイに甘えた。  だが、あらゆるポケモンの戦意を削ぐことのできる技、 甘えるをもってしてもイーブイの様子には全く変化は見られない。  ゴールドは考えた。スピードスターを外したと言うことは、あいつは俺達を狙ってはいない。  それに、甘えるが効かないってことは、もしかしたら、ただ行き場のないエネルギーを放出するために……。  それなら、イーブイを止めることができるかも知れない。  しかし、その考えは甘かった。  次の瞬間、イーブイの捨て身タックルを受けたゴールドとトゲピーは宙に、 それも塔の外、コガネシティの街並みがよく見える高さに舞っていたのだ。 「うわぁっ」  やばい。そう思ったときにはもう落ち始めていた。目の前がかすんでいく。 「トゲピーを戻さなきゃ」  ぐんぐんと地面が迫ってくる中でゴールドは考えた。  とにかくモンスターボールにトゲピーを戻さないと。  ゴールドはボールに手をかけたが、手が滑って……間に合わない……。  研究員の不気味な笑い声が、薄れゆく意識の中で耳の奥に残っていた。