さくりさくり、なんだか軽い音が外からした。 何だろうと思って池の中から体を出してみると、ピンク色の体に、立派な貝殻の王冠をかぶったポケモン―ヤドキング、って言ったんだっけ? 珍しいなあ、と思って見ていると、すぐにぼくはヤドキングの持っている釣竿に気がついた。 釣りは確かぼくみたいな水の中にいるものを捕まえる準備、だったはずだ。 ぼくやお母さんや弟を捕まえてしまうつもりなのかな、と怖くなって、竿についた糸の先を見てみた。 「………あれっ?」 ぼくはうっかり、変な声を出してしまった。 その糸が入っていたのは、ぼくのいる池の中じゃなくて、 …ちょうど池の前の、砂の中だった。 ―砂を釣るひと― ぼくの出した声で気付かれてしまったみたいで、ヤドキングはゆっくりこっちを向いた。 「…おやあ?そこなニョロモ君、どうしたのかね?」 邪魔しちゃったと思って、ぼくはちょっと悪い気持ちになった。 「ご、ごめんなさい。誰か来てたから、つい気になって…」 そんなぼくを見て、ヤドキングさんは笑って言ってくれた。 「いやいや、いいんだよ。私はみんなに不思議がられるんだ。」 …そういえば、不思議だ。 「あの、その持ってるのは釣竿ですよね?」 「ああ、そうだよ。私はこれで釣りをしているんだ。」 でも、おじさんの使い方とぼくの聞いた使い方は違うと思う。 水の中にいるものを上げるんじゃなくて、地面の中から何かを上げるものなんだっけ? 「…何が釣れるんですか? 地面の中の、サンドさんとかディグダさん?」 ぼくのその言葉を聞いて、おじさんはちょっとおかしそうに笑った。 「そうだねえ。たまにそんなポケモンも釣れるけれど、私はもっと不思議なものを釣っているんだ。」 不思議なものって、なんだろう。 聞いてみようと思ったら、ちょうど池の中からお母さんの呼ぶ声がした。 空を見たら、もうきれいなオレンジ色になっている。ぼくはちょっと考えて、おじさんに言った。 「もっと話を聞きたいんだけど、ぼくはもう帰らないといけないんです。…お願いです、明日もここに来てくれませんか?」 おじさんはにっこり笑って、ゆっくりうなずいてくれた。 ぼくはありがとうってお礼を言って、急いで家に帰った。 家に帰って、お母さんやお父さんにヤドキングさんのことを言ってみたけど、ふたりとも信じてくれなかった。 弟にも話してみたけど、ただ笑ってるだけだった。 +++++ 「おはよう、ヤドキングさん!」 「おお、君か。ずいぶん早いねえ。」 次の日、ぼくは早起きしておじさんに会いに行った。おじさんは昨日と変わらない笑顔で、まだ砂の中に釣り糸を垂らしていた。 「ねえねえ、昨日から何か釣れた?」 「いやいや、何も釣れないねえ。私の釣りには、ちと時間がかかるんだよ。」 でも、おじさんはちっとも残念そうな顔なんてしてなかった。 それどころか、なんだか楽しそう。 「……ヤドキングさん、つまんなくないの?」 言ってから、ぼくはすごく嫌なことを言っちゃったと気づいた。 つまんないのに、あんなににこにこ笑ってるなんてできない。 それでもおじさんは、怒ったりしないで静かに言ってくれた。 「君みたいな若い子にはつまらなさそうに見えるだろうな。 しかし、私のように年をとると、こういったことが楽しく思えてくるものもいるんだ。」 ぼくは怒られなかったことにほっとして、それからちゃんとおじさんに謝った。 おじさんは 「まあ、若い時分にたくさんこういうことをすると、大人になった時に役に立つからね。」 と言って許してくれた。 おじさんが怒るなんてことは、絶対ないんじゃないかな、なんて思った。 それからぼくは、おじさんにたくさん話を聞いた。 昨日言っていた「不思議なもの」のことは秘密みたいで教えてくれなかったけど、代わりにおじさんの行ったたくさんの場所のことや、今までに聞いた昔話を教えてくれた。 その中でもぼくがびっくりしたのは、死んだ後に悪い人が連れていかれる「地獄」の話だった。 お母さんは、死んだ人はみんな「天国」っていうところに行ってしあわせになれる、って言っていた。 「じゃあ、お母さんは間違いを話しちゃったんだね。」 そんなことを言ったら、おじさんは初めて困ったみたいな顔をした。 何か変なこと言っちゃったかな、と思った時、おじさんはゆっくり言った。 「いいや、君のお母さんは間違っていることを言ったわけではないと思うよ。 ただ、地獄みたいな悪い話は、わざと話さない人がたまにいるんだ。」 わざと話さないなんて、どうしてだろう。 お話はいっぱいのほうが、きっと楽しいのにな。 そんなことを考えていたのがバレたみたいで、おじさんはうんうんとうなずいて、また話し始めた。 「確かに、話は全部教えるほうがいいだろうな。しかし、人は何かしら悪いことをしているものさ。 君もちょっとウソをついたりしたことくらいはあるんじゃないかな?」 ぼくは、この前弟のおやつをこっそり食べて、その上お母さんに食べてないってウソをついたのを思い出した。 悪いってわかってても、ついついしてしまうことがある。 「ほうら、あっただろう。そんな風に、誰でも思い当たることがある。思い当たると自分も地獄に行かなければならないかも知れない。 それに、誰かが死んでしまった時にだ。 その人のした悪いことを知っている人は、その人が地獄に行っているかも知れないと思うだろう? その人が本当に乱暴者だったり、嫌な人だったら地獄に行って当然だろうが、もしも自分の大切な友達だったりしたら。 そんな大切な人が地獄で苦しい思いをしているなんて、思いたくないだろう?」 ぼくは水に半分浸かったままでうなずいた。 友達がもしも死んじゃって、なんて考える自体嫌だけど。 「……ああ、すまないね。嫌な話をしてしまったな。でも、その嫌な気持ちがあるからこそ、この話は話されなかったんだろう。」 おじさんがあんまりしんみりして話すから、ぼくも何も言えなくなってしまった。 なんだかどこを見たらいいかわからなくて、とりあえず空を見たら、もう空はいつの間にかオレンジ色になっていた。 「…あっ、ごめんなさい!ぼく、もう帰らなくちゃ!」 慌てて言うと、おじさんはしんみり顔からいつもの笑顔に戻って 「ああ、もうそんな時間かい?長話をしてすまなかったね。」 と言って見送ってくれた。 ぼくはきちんとお礼を言って、すぐ家に帰った。 家に帰ってからお母さんに、今日教えてもらった、って地獄の話をしてみた。 そうしたら 「縁起でもないこと言うんじゃありません!」 って怒られてしまった。 結局、この話を知ってたのかは怖くて聞けなかった。 +++++ 次の日、おじさんのところに行った時、ぼくはちょっと顔を出すか迷ってしまった。 なぜかと言うと、おじさんがいつもとは違って、なんだか怖い怒り顔をしていたからだ。 ぼくはおじさんが全然怒らない人だと思っていたから、意外なのもあったけど、やっぱり一番は怖かったからだった。 そうやってぼくが迷っているうちにおじさんがぼくに気づいたみたいで、怒り顔からいつもの笑い顔に戻ってぼくに話しかけてくれた。 「おや、おはようニョロモ君。今日はちょっと元気がなさそうだが、どうしたんだい?」 その言葉でぼくははっと考えるのをやめて、慌てて水の上に顔を出した。 「な、何でもない!ぼく、いつもどおりだから!」 そうかねえ、と言いながらおじさんは首をかしげて、いつものように釣りを始めた。 今日はまだ釣りをしてないみたいで、釣り糸全部が砂の上だった。 「………ええっ?」 ぼくはその糸の先を見て、思わずびっくりしてしまった。 …きちんと言うと、糸の先は見えなかった。 糸自体が長すぎて、どこが端だかわからなかった。 きっとぼくは、ぽかんと変な顔をしてたんだと思う。 そんなぼくを見て、おじさんは言った。 「ああ、驚かせてしまったかね。前にも言った通り、私のやる釣りは少々変わっているのさ。 この糸も、見た人は皆驚くよ。」 やっぱり驚くだろうな、いやそれより、あんなに長い糸が要るくらいこの砂の中は深いのかな。 「…おじさん、そんなに長い糸、切れちゃったり絡まったりしないの?」 考えてるまま話したので、ぼくはなんだか変なことを聞いてしまった。 それでもおじさんは笑ったりしないで、普通に質問に答えてくれた。 「ああ、この糸はアリアドスというポケモンが出した糸でね。私と君が一緒にぶら下がるぐらいなんでもないだろうな。 それくらい丈夫な糸だから、切れる心配はほとんどいらない。ただ、絡まった時は本当に大変だがね。」 おじさんはそこで困ったみたいに笑ってぼくを見た。 その目線が、 「まだ質問はないかい?」 なんて言ってるみたいに思って、ぼくはちょっと迷った後に気になっていたことを聞いてみた。 「……おじさん、ぼくが来る前にちょっと怒ってなかった?」 おじさんはちょっと困ったような顔をした。 それから、なんだか答えにくそうに言った。 「むう…話していいものかはわからないが、一応理由を話しておこうか。今日はようやく釣れそうだったんだが、もう少しでかかるというところで……」 おじさんは何かを思い出したみたいで、そこで一旦話すのをやめた。 その顔は今朝来たばかりの時と同じようにとても怖かったから、ぼくは何も言えずにただおじさんが話し出すのを待っていた。 「……ああ、すまないね。私があげようとした物が、他の奴に盗られそうになってね。 すぐに追い払ったんだが、結局釣ることはできなかったんだ。それがあって、今日は少々イライラしていてね。 すまなかったね、怖がらせてしまったようだ。」 おじさんは、すまなそうな顔で謝った。 ぼくはそんなおじさんを見ていたくなくて、つい大声を出してしまった。 「だ、大丈夫だよ!謝らなくていいから!ぼく、確かに怖かったけど、もう大丈夫だから!」 慌てて言葉のまとまらないぼくを見て、おじさんはようやくいつもの笑顔に戻ってくれた。 それから、ぼくはいつものようにたくさんの話を聞いた。 もうずいぶんたくさんの話を教えてもらったのに、おじさんの話はまだまだなくならないみたいだった。 おじさんの話の中にはたくさんの場所の話が出てくる。 地獄みたいに地面の下にあるところや、雲の上の国の話、ここよりもっと大きな「海」というのを泳いでいった先の場所。 そんな話を聞いていて、ふと疑問に思ってことを聞いてみた。 「おじさんは、今までどれくらい遠くに行ったことがあるの?」 すると、おじさんは少し考えこんだ後に 「そうだねえ。世界を一回りするくらい…いや、それでも足りなさそうだな。 少々傲慢かもしれないが、世界の果てのその先まで、だろうかな。」 と言って、すっと遠くを見つめた。 その視線の先には、きっと今まで見てきたたくさんの場所があるんだろうな。 そう考えたら、同じ水ポケモンのはずなのにぼくよりずっと遠くへ行けるおじさんがうらやましくなった。 ぼくもいつか大きくなって足がもっと強くなったら、池の外に旅に出ようって決めた。 そんなことを考えていたら、辺りはいつのまにか真っ暗になっていた。 おじさんにお礼を言って慌てて家に帰ったら、やっぱりお母さんはすごく怒っていて、ぼくはたっぷりお説教されてしまった。 落ち込んだぼくを見て弟が笑うので、かっとなって弟を叩いてまた怒られた。 次の日、ぼくは昨日なかなか帰ってこなかったことをまた怒られて、その上お手伝いをすることになった。お母さんは、 「最近は私達を釣り上げてさらっていく悪い人間の話もたくさん聞くんだから、心配したのよ!」 なんていうけど、結局ぼくにお家のことを手伝わせたいだけだと思う。 よその水といっしょに流れてくるゴミのお掃除や、ごはんの草を取ってきたりして、ようやく外に行っていいと言われた時は、もうお昼過ぎだった。 今日もおじさんは来てるかな、と思いながら、ぼくはいつもおじさんがいる砂場に行って、水の中から上を見てみた。 その時。 ぼくは、この目ではっきりと見た。 ヤドキングのおじさんが、砂の中からずるりと何かを釣り上げているのを。 「おうおう、よく頑張ったじゃないか。その努力の見返りは、望むものを見合うぶんだけ、だ。」 釣り上げられた何かはポケモンみたいで、、今にも死んでしまいそう。 それでもやっと声を絞り出して何かを言ったけど、ぼくのところまでは聞こえなかった。 その声を聞き届けたおじさんは、にっこりと笑って言った。 「何を言っているんだい。君は確かに頑張った。だが、「救ってくれ」だって?君はもう、あの場所から救われているじゃないか?」 釣り上げられた何かは、また何か言おうとしたけど、その前におじさんに止められてしまった。 「残念ながら、私が見返りを聞いてあげるのは一度だけさ。また次に頑張りなさい。 ただし、私は他人の機会を奪う輩が大嫌いなんだよ。自分に番が回ってくるまで、気長に待ちなさい。 そう、気長に。時間なら、有り余っているだろう?」 言い終わるのと同時に、おじさんはポケモンを糸から外して、砂の中へ無理やり押し戻した。 ばたばたと暴れるその人の抵抗なんて全然気にしない様子で、おじさんは砂の中へその人を沈めてしまった。 そしておじさんは、竿を肩に担ぐと悩み顔でその場を去って行った。 ぼくはしばらくその場から動けなかった。 きっと、あの埋められた何かは死んでしまっただろう。 悪いのは埋めたおじさんか? それとも、その気になれば助けられたはずなのにただ見てただけのぼくなのか? そう思うととても怖くなって、この今浸かっている水からも見ていた砂からも後ろ指を指されているような気になって、ぼくはたまらず水の中から飛び出した。 地面の上を走るには弱すぎる足を恨んで、転がるようにして前へ、前へ、前へ。 引きずられて痛いお腹なんて気にもならない。 追いかけてくる、あの何かの視線からとにかく逃げる。 それだけ念じて、とにかく前へ。 気がついたらぼくの体は乾ききってパリパリになっていて、どう頑張ってもこれ以上逃げることなんてできそうになかった。 だから、ぼくはもうあきらめて寝てしまうことにした。 目を閉じると、びっくりするぐらい早く眠気が来てぼくはそのまま眠った。 目が覚めたら、目の前になんだかすごく怖そうな人がいた。 いや、きちんと言うと人じゃない。ポケモンだ。 金色の仮面をかぶったようで黒い体をしていて、背中らしいところから小さな翼―いや、体が大きすぎるだけだ。 そのコウモリみたいな翼は、ぼくよりもずっとずっと大きかった。 「こんな小さな死者とは、珍しい。さぞかし罪も軽かろう。」 そのポケモンは、ぼくを見つめて言った。 何のことかわからないぼくを見て、ポケモンの視線がなんだかやわらかくなったような気がした。 「此処は、生者達が地獄と呼ぶ場所。 死者はここで罪を償うことで、初めて天国へ足を踏み入れることを許される。 それでも案ずることはない。 そなたはまだ若い。重ねた罪も軽かろう」 なんとか「ここが地獄だ」ということだけわかったぼくは、おびえながら他のポケモンに連れて行かれて、その間にもいろいろ話を聞いた。 ぼくは水ポケモンだから「血の池地獄」に連れて行かれること。 その池でたくさん泳げば、今までしてきたいろいろな悪いことがなくなって、天国に行けること。 ぼくはきっとあの釣られた何かを見てるだけで何もしなかったから、きっとそのせいですごくたくさん泳がなくちゃならないのかな、なんて思った。 血の池地獄は、本当に地獄っていうような場所だった。 ぐらぐら煮えた熱い真っ赤な池で、疲れても疲れても泳がされる。 泳ぐ気力もなくなってぷかりと浮かんでいたら、上で何かがきらっと光ったような気がした。 気のせいかな、と思ってそのまま浮かんでいたけど、その光るものはだんだん近づいてくる。 それが糸だと気付いたところで、近くから何かが糸に飛び付いた。 見ると、ぼくなんてどうがんばってもかなわないような、大きなギャラドスだった。 血走った恐ろしい目で周りをにらんでいる。 そのまま糸を上ろうとしたギャラドスは、突然上から降ってきた水で糸から落とされてしまった。 「まったく、何回落ちれば覚えるのかね。 言っているだろう。私は他人の機会を奪う輩が大嫌いなんだよ。」 落ちたギャラドスを見送るみたいに、上から声がした。 …あの、ヤドキングのおじさんの声だ! 「さあニョロモ君、今は君の番なんだよ。遠慮せずに上っておいで?」 続けて降りてきた声に、ぼくは慌てて糸を上ろうとする。 でも泳いで泳いで疲れすぎているうえに、ぼくにはそもそも手なんてない。 ぼくはとうとう、血の池地獄の中に沈んでしまった。上から、おじさんの残念そうな声が聞こえる。 「うーむ、君にはちょっと早すぎたかねえ。また今度、君に手が生えたら機会をあげるとしよう。」 待ってよ、と言おうとしたけど声なんか出なかった。糸はするすると上へ上がっていく。 「ああ、君なら知っていると思うが、最後に一つ忠告をしておこう。」 響く、ぼくがきっとずっと後に聞くことになるんだろう声。 「もし君に手が生えて、それでも君の番が来なくても、他人の番を奪うようなことはしないでおくれ。 きっと次に私が来るより、君が天国に入るほうが早いだろうからね。 それでも、君が奪うならば。 私はこの力のすべてをもって、君に「天罰」を加えようじゃないか。」 その声が聞こえなくなるのと同時に、糸は完全に見えなくなってしまった。 Fin