太陽の見えない、いつになっても白と黒しかない空。 白と黒しか作らない、僕らの生まれ故郷の煙突の群れ。 故郷から出る水で出来た、よどんだ緑や赤の川。水が青いなんて、僕らにそんな話をしても想像すらできない。 そう、これが「マタドガス」と呼ばれる僕らの見つめる普通なんだ。 「……おい兄者、起きろ、起きろよぅ」 「起きてるよ、そんなに騒がなくたって」 自分の身体の右側辺りでぱたぱたと小さく動きがあって、僕の弟が動いているのがわかる。 いや、僕らなら分からない方がむしろおかしい。 僕ら兄弟のからだは、別人にも関わらずくっついている。 他のポケモンは気持ち悪いとかこんなの見た事無いとか色々言うけれど、僕らにとってそれはごくごく普通の事だ。 「お腹空いたの、早く朝ご飯探そうよぅ」 「はいはい、今日は何が良い?」 「そうだなー……あの、前に食べた青くて逆タネボーな形のやつ」 「名前覚えような、『カゴ』なんて、たったの二文字なんだぞ」 がんばってるんだもん、なんて言う弟に苦笑を返して、僕は弟を引っ張って浮き上がる。 弟は僕より大分小さいくせに僕より重く出来ているので、ちょっと苦労する。 そのままふわりふわりと木の実を探して森の中をうろついた。 故郷に近いこの辺りの木は皆葉を落としてやせ細っているので、なかなか木の実がなっているような木はない。 それでも、僕らは他のポケモン達の2倍の目を持っている。 その利点で、こんな場所でも他よりは食料を見つけやすい。 「兄者ー! あったあった! …えーと、ボクから右90度ぐらいの木の上!」 「お、早速か?」 90度、頭の中で計算してくるりと振り向く。 その瞬間、弟の狙い澄ました「ヘドロこうげき」がカゴの実を直撃した。 弟の中に入っている重いヘドロはなかなか飛べない原因でもあるけど、こういう時はとても役に立つ。 僕らは手も足もないわけだし、こうでもしないと木の実なんか取れやしない。 ヘドロまみれになって落ちたカゴを見て、弟は自信ありげに頷いた。らしい。僕の身体までつられて、弟が下を向いた分上を向く事になった。 「……おいおい、勝手にそんなことやらないって約束したろ」 「…あっ、そうか!ごめんな兄者!」 からだが繋がった僕ら固有の問題だ。 僕の顔が動いた分弟の顔も動くし、その逆もまたある。 「大丈夫だよ、これからまた気をつけてくれれば。……さ、朝ご飯にしよう」 「う……うん、わかった!」 弟はまた頷きかけたみたいで、僕の頭がちょっと揺れたけどさっきよりは気にならなかった。 僕らにはヘドロまみれの木の実だろうと、食べる事にそんなに困る訳ではない。 むしろ、人間の言う「調味料」というものに当たるかもしれない。 ポケモンにもそんなのがいるのか、って驚く…むしろ、引くポケモンも少なくはないんだけれど、そんなポケモンにこそ試してほしいと僕は思う。 そんなことを思い出しながら朝食としてヘドロまみれのカゴの実を食べ終えて、僕らは相談に移った。 「……もう、ここにいるのも限界だな。そろそろ、次の森に行こうか」 「もう行っちゃうの?僕、もうちょっとここにいたいよぅ」 弟の言う事ももっともだ。ここにはまだ一月も留まっていないし、僕自身ももう少しは居られるかと思っていた所もある。 ……でも、予想以上に草木が減るのが早すぎた。ここから見る森も、僕らが来た頃と比べると目に見えて葉が落ちたり、あるいは下草が枯れて地面が見えるようになっている。 元々が嫌われ者の僕らは、そのことでさらに嫌われてしまう。 それに、僕らとしても他のポケモンが住む森を壊したくない。 「……居たいのは分かるけど、やっぱり僕らはずっと同じ場所にはいられないんだ。 この森も、もう随分元気がなくなっただろ?もっと元気がなくなったら、僕らの食べる木の実もなくなってしまうさ」 「……でも、でもっ……」 納得がいかなさそうな、弟の声。 僕も悲しいけれど、これはきっと僕らが生まれた時からの宿命なんだ。 元々僕らは自然に悪いモノで出来ているから、自然には悪い事しかできない。 かといって僕らは、僕らの元を作った人間にも嫌われているらしい。 僕らをこんなにした人間はなんて勝手なんだろうって、時々思うんだ。 +++++ そのまま、僕らは誰にも言わずに森を離れた。 僕らを心配する人なんて誰もいなかったから、すごく楽だった。 誰かがあの相談を聞いてて石でも投げられるんじゃないかと思っていたから、何の妨害も無く森を出られたのは意外な事だった。 …もしかしたら、今回が初めてだったかもしれない。 そのまま僕らは砂だらけの大地を横切って、新しい森を探した。 道中で出会ったポケモンも、僕らを見ると口々に気持ち悪いと騒いでいた。 中には僕らを見るなり大騒ぎして、何もしてないのに技を仕掛けてくるポケモンや、さっさと人間どもの所に行ってしまえ、なんて事を言うポケモンも居た。 傷つかないなんて言ったら嘘になるけれど、僕らがそれを言ったって聞いてくれる人はきっといないだろう。 そのまま荒れきった大地を行き過ぎて、僕らは新たな森に着いた。 人間の街から離れているせいか、前の森よりも断然木々に活気があった。 見た事の無いような木の実もたくさんなっていて、隣から弟の興奮気味の声が聞こえる。 「……すごい、すごいよここ! きっと、たくさんポケモンがいるんだろうなあ…!」 そうだな、と小さく相槌を打って、内心はそういった見た事の無いポケモン達が危害を加えて来ないか、を考えてしまっていた。 嫌われきった末の、悲しい癖だった。 「………何だ、お前は」 不意に、横側の木の上から声がした。 誰だろう、と横目で木を見やると、木の上に明らかに妙な赤いギザギザ模様が浮いている。 弟と呼吸を合わせて振り向き、ギザギザの正面に向いて改めてギザギザを見てみる。 ……やっぱり、ただのギザギザ模様にしか見えなかった。 「聞こえなかったか? ……何だ、お前は。答えろ」 その声は明らかにギザギザ模様の方からしてきた。 メタモンか何かが妙なものに化けているのだろうか。警戒しなければならないが、まず部外者の僕らは自分の紹介から始めなければならない。 「僕らは…この付近を旅しています。人間にはマタドガス、と呼ばれる種族です。個人の名前は、まだありません」 「マタドガス、で良いな。……了解した、この森へ来た目的は何だ」 「……以前に居た森が枯れかかって、逃げて来たんです」 「ほう。して、ここへ移り住みたいというのか?」 姿も見せずに上から物事を言ってくるギザギザを見て、質問に答えようとした僕よりも先に、弟が叫んだ。 「おまえっ、そんなギザギザだけじゃなくちゃんと姿見せろよ! そんな聞き方じゃ、答える気なくしちまうぞ!」 ……このギザギザに答える前にきちんと弟に言っておくべきだった、と僕は今更ながらに後悔した。 しかしギザギザの方は内容よりもいきなり別の声が聞こえて来た事に驚いたようで、さっきまでの事務的なものに明らかに驚きが混じった声で聞いて来た。 「……お前は、連れが居るのか?」 「…ええ、弟です」 さっきの声の調子から、放っておくとさらにこのギザギザに噛み付きそうな弟に一言言ってから、僕はやっとギザギザに答えを返す。 同時に少しからだを回して、弟がギザギザの正面に来るようにする。 「……そういうことですよ、このギザギザー」 弟はまだ悪態をついている。やめろと言ったはずなんだけれど。 言われる方のギザギザは全く耳に入っていないようで、僕らを見て呆然としている。 「…………なんと、………」 ギザギザの周りに、うっすら木とは違う黄緑色が見えて来た。 そのうち黄緑色は周りにも広がって、くるくると巻いた尾、黄色の縁取り模様のとさか、大きな目が見えてくる。 …どうやら、驚き過ぎて元に戻ってしまったらしい。 「ギザギザ、そんなポケモンだったんだ」 現れたギザギザの本体を見て、弟が言った。 ギザギザは言われてようやく自分の姿が見えている事に気づいたようで、驚いてから我に返って僕らを見て来た。 「……失礼した、この期にきちんと名乗っておくとしよう。私はジル。この森の番を仰せつかっている一族の者だ」 返して名乗る名前がないのが残念だけれど、僕らもきちんと挨拶を返しておいた。 僕らにこうして接してくれるポケモンはとても珍しいからだ。 ジルはひとしきり僕らの境遇等について質問した後、唸って考え込んでいた。僕らはやっぱりこの森には入れてもらえないんじゃないかと思っていると、ジルは急に顔を上げた。 「……お前達が森に入っただけで悪さをするとは思えん、一度中に入って、長老様に会ってくれ」 僕らとしても下見として…いや、こんなきれいな森に入れるなんてそれだけで良い経験になると思って二つ返事で頷いた。 弟と僕がほとんど同時に頷こうとしたらしくて、結局弟に負けて僕が上に行ってしまった。 +++++ 僕らが森の中に入って行くと、たくさんのポケモンが不思議そうな目を向けて来た。 中には僕らを見るなり嫌そうに顔を背けるポケモンや、僕らを見る子供の目を覆う親ポケモンなんかも居たけど、いつものことなのでもう気にしなかった。 攻撃まで仕掛けてくるポケモンはジルが腹のギザギザから不思議な光線を出して、一撃で倒してしまっていた。 見張り番に選ばれるだけの強さがあるのを実感するのと同時に、攻撃されていたらきっと勝てなかっただろうと思った。 弟はジルの技に感心しきりのようで、 「ギザギザ、すごいんだな! あんな技を使えるなんて!」 と興奮気味に話しかけていた。 ジルだ、と返しながら倒したポケモン達を片手で引っ張っていくジルを見て、僕はこのやりとりに笑いでもしたらさっきの光線が飛んでくるんじゃないかと思って、必死に笑わずに居た。 「ここに長老様がいらっしゃる。くれぐれも、粗相のないよう頼むぞ。」 そう言ってジルが指したのは、前の森では見た事が無いくらい大きな木に空いた穴だった。 この森の木は皆大きいけれど、その中でもこの木はひときわ目立っている。 「ギザギザ、『そそう』って何だ?」 「……失礼だったり、嫌な事を言わないでくれってことだよ。」 その言葉自体を聞いた事がなかった弟は、興味津々と言った風に聞いた。 僕は苦笑しながらその意味を教える。ジルが呆れ顔でこちらを見ているのに、弟は気づいているだろうか。 「……じゃあ、入るぞ。」 「ようし!」 木のトゲなんかにひっかからないように、慎重に木の穴へ入って行く。 その木の中の穴に居たのは、 所々が膨らんではいるが、ほぼ真ん丸に近い丸いからだ。 小さな目。 所々に穴の空いた、紫色の肌。 その肌の穴から、吹き出るガス。 肌に浮かんだ、白い骸骨のサイン。 どことなく、僕らと似ている気がした。 僕らはガスが吹き出している事を身体で感じている、というだけで、僕らは自分の姿を見た事が無いから、似ているというのは本当に「どことなく」の事なのだけれど。 その「長老様」も僕らを見て驚いたようで、随分落ち着かない様子だったけれど、何とか腰を据えて僕らと話してくれた。 「マタドガス、か……私以上の工業的毒ポケモンを受け入れる、と…」 「……僕らの事を、知っているんですか?」 僕らはこの「長老様」を知っている訳ではないから、僕らのことを彼が知っていたのはとても意外だった。 無論僕らが気づいていないだけで、何処かで見ていたという可能性もある。 けれど、種族としての、人間の使う名前まで知っているのは普通じゃない。 「ああ。私と非常に良く似た、ガス性の毒を持つポケモンであるということは知っている。 その特異な容貌でも、知れ渡っていると聞く。」 「と……とくい? ようぼう? 話が難しいよー…」 目を閉じ、考え込むように話す「長老様」だが、その話を弟はほとんど理解できていないらしい。 さっきの「粗相」も合わせて、もう少し言葉を教えておけばよかったろうか。 それでも、「長老様」は怒りもせずに、僕らを疑問にも思わずに笑った。 「ん、すまないな。どうも、こういった小難しい言葉を使うのが癖になってしまってね。 変わった見た目で、有名だという事さ。」 「あ、そうなのか! ありがとうな!」 入る前のジルの注意は、とっくに弟の頭からはなくなっているらしい。むしろ、「粗相をしている」という自覚もなさそうだ。 しかし僕がそれより気になったのは、この「長老様」がここまで博識な理由だった。 ただ単に長く生きる、というだけでは絶対にここまでの事は知り尽くせないだろう。 「……貴方が博識なのは、よく分かりました。して、どこでそのような知識を得たのですか?」 僕のその質問に、彼は考え込むような表情をいっそう強めた。吹き出るガスが多くなった。 「……君もマタドガスならば、人間の街の存在は知っているだろう?」 ええ、と小さく相槌を打つ。 平たい石が繋がった建物、金属で出来た煙突や骨だけの塔が立ち並んだ、人間の街。 その光景は、簡単に忘れられるものではない。 「私は、…生まれてから、ずっと長い事人間の街に居た。 幼い頃の学習能力はすばらしいものでね、私は人間の言葉を長い事かけて覚え、人間の書いた本というものを読んで、人間の知識の一部をこうして持っている。 ………私を見たとき、どうして私のような者が居て、この森がこんなに発展しているのかと疑問に思わなかったか?」 「……はい、それは少々」 僕らのガスと彼のガスが同じものなら、彼も森を枯らしてしまうはずだ。 それなのに、この森がこんなに豊かなのは…やはり、彼が持つ人間の知識の賜物なんだろうか。 「……私は、人間の街に居たと言ったが……正確に言えば、私は人間とともに暮らしていたのだ。 私とともに居た人間は、『カガクシャ』という種類の人間で、丁度私のような工業毒ポケモンのガスが草木に与える影響を調べていた。 そうして、私が人間の言葉を覚える長い時間が経つうちに、いつの間にかその人間が調べる事は変わっていた。 ガスによって枯れた草木を元に戻す−−もしくは、ガスによる草木への影響を少なくする。そんな研究をしていたから、私はそんな知識を自然に得ていった。 そのうち、用が無くなったのか私は野生へ返されてね。それから、私はその知識を使ってガスに冒された森を癒す事を決めたんだ。 ……その効果もあって、この森は私が居てもこれだけの豊かさを保っているんだ。」 思いがけない話に、僕は目を丸くしていた。その僕の隣から、弟の懇願するような声。 「………じゃ、じゃあ……僕たちをこの森に入れてよ! そんなすごい技があれば、僕らが居たってこの森は大丈夫でしょ!?」 その叫びに、「長老様」は眉間に深くしわを寄せた。 まずい、と思った次の瞬間には、「長老様」の声が部屋の中に響いていた。 「すまないが、…正直な所、今すぐにはどちらとも答えられないのだ。 今でも、表面こそこう緑豊かではあるが…… 内側では他の森と同じようにガスに冒され、弱って来ている。 私がこれ以上の進行を止められなければ、私はこの知識を他の者に伝えてこの森を去る他ない。 ………私も、同胞として君達を受け入れたいのはやまやまだ。しかし、現実は思いのみでは動かないのだよ。」 重い、重い声だった。 その声に、「長老様」がこの森に、この森に住むポケモン達に、そして僕らに対して持っているとても重い決定権と責任を感じた。 「……どうか、ご検討をお願いいたします。」 頭を下げたかったけれど、弟を引きずる事になるから目を伏せるしかできない。 そんな僕を見て、「長老様」は依然として重い声で言った。 「…私一人では決める事はできないのだ、この森の者達と協議をしよう。 すまないが、しばらく席を外してくれないか?」 はい、と小さな声で答えを返して、僕らはそのまま家を出た。 弟はまだ何か言いたげに僕が出て行くのに抵抗していたけれど、すぐに諦めたようで素直についてきてくれた。 +++++ 「私も協議に加わる一人だ。お前達の番はこれで解く事になる。協議の結果が確定するまでは、お前達の行動は制限される事はない。 ……ここは豊かだ、他の場所にはないような自然もたくさんある。適当な場所を見て回るだけでも発見があるだろう。 そうだな、手始めに水場はどうだ?他から来た者は、皆見た事もないほど澄んでいると驚くからな。」 そんな事を言ってジルが僕らと入れ替わりに家へ入っていったのが少し前の事だ。 水なんて僕らは緑や赤の淀んだ水しか知らない。 僕も弟もそんな水を見たいと思ってはいたが、その水の興味よりも今は「長老様」の判断の方が気にかかった。 結果的に、僕らは水場へ向かってはいた。 でもその速さはきっとナエトル並みに遅かったのだと思う。 「……僕ら、ここに居させてもらえると思う?」 「…わからないよ。」 もしここに居られなかったら、僕らはまた新しい森を探さなければならない。 そして、その森を汚してまた次の森へ。 その悪循環を少しでも縮めるために、どうしてもここにいたいのに。 「……それと、ね…」 口ごもるように、弟が言う。 何だい、と優しく先を促すと、言いづらそうに、どこか申し訳なさそうに、弟は続けた。 「……あの人の技でさ、ボク達を離してもらうって、……できると、思う?」 離してもらう。 つまりそれは、僕らが別々に、ひとりひとりになるということだろう。 確かに、この身体で苦労する事はそれこそ山のようにある。けれど。 「……どうしてそう思ったのか、ちょっとでいいから。…教えてくれないか。」 そう尋ねたら、返って来たのは泣きそうな声だった。 やっぱり、焦ったとはいえ質問が性急すぎただろうか。 「だって、だって、ボクは、……子供だし、足引っ張ってばっかりだし、それにっ……!」 そこから先は、何も聞こえなかった。嗚咽で、声なんて出せる状態じゃなかった。 「………ごめん」 僕もそれだけを言うのが精一杯で、その後はただ何も言わずに、何も言えずに進み続けるだけだった。 しばらく進むと、森が急に開けた所があった。 今までの道から、明らかに道幅が広くなっているのがわかる。 ここが噂の水場だろうと速度を上げた。 本当に、僕らが見た事もないような青色。 工場が吐き出す煙の合間の空になんて比べることもできない。 今まで僕らが見て来たどんな青いポケモンの体色にも勝る、そんな蒼色が広がっている。 「……これが、水!?」 その蒼色を少しでも近くで見たくて、つい急に速度を上げてしまう。 弟を強く引っ張るような形になったけれど、弟もさっきまでの涙は既に消えて高い声を上げている。 「すごい、こんなの見た事ないよ…!」 蒼い水の淵まで来て、そのまま怖々ながら水の上へ飛んで行く。 すると、蒼色の中に紫とほんの少しの白が写った。 「…あれ、せっかくきれいな水なのに変な色になっちゃった!」 弟が不満そうに声を上げる。 僕らのヘドロやガスが、やっぱりこの水を汚してしまったんだろうか。 それなら他の所にも汚れが広がるはず、と水の上を更に進んで−− 「この変な色、ボクらについてくるよ!色も変だけど、ついてくるなんてもっと変だ!」 その言葉で、僕は突然にこの色の正体を理解した。 理屈が分かってしまったら、もうこれは簡単な事なんだ。 「…これはただの色じゃない。僕らのからだが、このきれいな水に写っているんだよ。」 「写ってるって、どういうこと?」 「僕らは、このきれいな水を通して自分を見てるんだ。この色と形は、僕らなんだ。」 そこまで説明した所で、弟は水面に視線を落とした。 いや、水面に映った弟が僕らを見上げた。 「よかった、こういうところがあるんだったら、ボクは、……離してもらわなくても、いいや!」 本当に晴れ晴れした顔で言うものだから、僕はその豹変ぶりに驚いた。 さっきまでごねて泣いていたはずなのに、これはどうしたことだろう。 「ボク、ね。………一度でいいから、こうやって顔を合わせて、話したかったんだ。 水を見て話してるんだけど、声だけじゃなくて、ちゃんと顔見て、驚いてるんだって分かって話してるんだよ、今はさ!」 ああ、そうか。 そういうことだったのか。 離れたい理由って言うのは、きっと本当に足を引っ張っているとか、そういうものもあったんだろうけれど−− 「……どうして泣いてるの、兄者? せっかく顔を見て話せるんだよ、泣いてたら見えなくなっちゃうよ……」 ぼやけた視界の中、ふたつの点からの雫で僕らの姿が交互に揺れる。 fin