とある町に、いっぴきのムウマがいました。  ムウマはいつも、何となくふらふらして、特にすることなしに飛び回って暮らしていました。  そんなムウマの楽しみといえば…。  ――ホラ、また今日も。 「こらぁコイツ!うちの店のモン、盗りやがって!」  パン屋のヒゲのおじさんが、顔を赤くさせながら、どすどす表通りを走ります。  その前を、ムウマがケタケタ笑いながら、こんがりおいしく焼けたパンを口にくわえて逃げています。  ムウマときたら、わざとおじさんと近づきすぎないよう、離れすぎないよう、念入りに飛んでいるのですが、おじさんは必死です。 「ていっ!」  何とか相手をつかまえようと、大きな身体を投げだして飛びかかるおじさん。  でも、ムウマはそのとたん、ひゅーんと空高く飛び上がってしまいました。そうして、下でおじさんが転んだのを見て、またケタケタ笑います。  ムウマといえば普通、くらいくらい洞くつなんかに棲んでいて、人前に姿を表すことはめったにないのですが、このムウマは違います。  そりゃあ寝る時なんかは洞くつの中ですが、しょっちゅう町なかに出てきては、こんな風にイタズラばかりをしていました。  だけど、  ムウマは時々むなしい気持ちになります。  イタズラするのはたしかに楽しいけれど、自分がなんだか、それだけなのです。  あっちへふわふわ、こっちへふわふわ。  たいした実感もなく、ただ毎日は過ぎるばかりで――。   そんなこんなある時、ムウマは彼女と知り合ったのです。  まさしくそれは、「出逢い」でした。 【ポケットモンスター・読み切り小説】  ... Day Dream ...  その日その時もムウマは町のあちこちで、イタズラをしてまわっているところでした。  ポケモンを驚かせてトレーナーをてんてこまいさせたり、庭の掃除をしているおばさんに水をひっかけたり。  いつものようにそうやって、いつものようにケタケタ笑い転げていました。  そして、次なるイタズラの相手を探して飛び回っているムウマの目に、ふと、ひとつの建物がとまったのです。  それは真っ白で、きちんとしていて、何階だてだかになっている、そんなに小さくない建物でした。  建物の窓という窓からは、真っ白いベッドがあって、そこにちらほら人が居るようすがムウマには見えました。  ムウマは無邪気に嬉しくなって、その真っ白空間に近づきます。  おじいさん、おばさん、おとこのこ。ベッドの上の人達は、みんな何だかぼうっとしていて、とっても驚かしがいがありそうに思えました。  でも、中でもとりわけムウマの心をひいたのが、彼女なのでした。  他の人たちと同じように窓ぎわのベッドの上に居て、半身を起こして窓の外に視線をほうっている女の子。  彼女は他の誰よりもぼんやりで、他の誰よりも真っ白…まっしろでした。  だから、他の誰よりもびっくりさせてみたい。ムウマはその子を見たとたん、むしょうにそう思えました。  ムウマは女の子に気づかれないよう姿を消して、彼女を空間へ閉じこめている窓をするりとすり抜けます。  そうして、まっしろな彼女のすぐ鼻先まできて…。  ばあ!  いっきに、消していた姿をあらわしました。女の子にしてみたら、ムウマはとつぜん目の前にあらわれたことになるわけです。  これには当然、女の子はたいそうびっくりしたことだろうと思ったムウマ、こらえきれずケタケタと彼女のまわりで笑い転げます。  なのに、  女の子ときたら少しも驚いたようすはなく、どこかおぼろげな表情のまま、うつろにムウマを見るばかりでした。  これではムウマも、拍子抜けです。いぶかしげに、彼女とじいっと目を合わせます。  すると、とっさに女の子は口を開きました。 「こんにちは。…でもごめんなさい。  わたし、生まれつきからだがよわいから…。ここのベッドをはなれられないから、あなたと遊んであげられないの」  表情をかえないで、でも、とってもすまなさそうに言葉をつむぐ彼女は、声までもまっしろでした。 「夢のなかなら…自由なんだけどな」   *  *  *  その日の夜、ムウマは昼間とおなじように、女の子のところへ行きました。  女の子はベッドの上で、すやすやと寝息をたてています。 『夢のなかなら…自由なんだけどな』  昼間に彼女が言ったそのことばは、ムウマにとって好都合なことでした。  このままこの子を驚かせられないままでいたら、ムウマは何だか気分がよくありません。  ムウマは女の子の枕もとで、そっと両目をつむります。  そうして、彼女の夢のなかへと、入ってゆきました。  ――。  ムウマの前に、世界が広がります。  それはそう…色の世界。  まっしろな女の子の夢は、それはそれは色あざやかなものでした。ほんとにもう、信じられないくらいのです。  口で言いあらわすことを誰もが捨ててしまいたくなるような、あたたかな、やさしげな…それでいて、とびきり元気な。  そして、そんな色達のまんなかに、彼女は居ました。  ムウマはその姿を見つけるなり、いたずらっぽく嬉しそうな表情で、ふっと姿を消して近よってゆきます。  そうして、あざやかな彼女のすぐ鼻先まできて…。  ばあ!  いっきに、消していた姿をあらわしました。  すると、 「わあっ」  素直すぎるくらいに驚いた女の子は、すってんとその場に尻もちをついてしまいました。  そのあまりのようすに、ムウマは笑いをこらえずケタケタ笑い転げます。  女の子もつられて、そのあざやかさで奏でるようにけらけら笑いだしました。 「あなた、昼間のムウマさんね。ほんとに来てくれたんだ」  ふいにそう言った彼女に、今度はムウマが思いもよらず驚かされるばんでした。  そのことばは、彼女が夢のなかで、強い自我をはっきりともっている証拠だったからです。  本来、おぼろげで不安定であるはずの、夢のなかで。 「わたし、ムユウよ。ムユウの世界にようこそっ」  なるほど、ここはたしかに、まぎれもない彼女の…ムユウの世界なのでした。  こんなにすてきな出来事なんか、ムウマは誰の夢でも経験したことがありません。  ここではムユウも好きにとんだりはねたり走ったり、スキップなんかもできるので、心配ごとはひとつもないのです。  ムウマとムユウは、時を忘れるくらい楽しく、ふたりで遊びました。  時がくるまで。  ――。  気がつけば、白。  ムウマは真っ白なベッドのうえ…まっしろなムユウの枕もとに居ました。  色の、おわりです。 「またね」  ゆっくりとまぶたの開いたムユウは、おぼろげに小さくそう言いました。  ムウマはこくり、小さくうなづきました。   *  *  *  それからというもの、ムウマは毎夜毎夜、ムユウのところへと行くようになりました。  そして、彼女の世界で彼女と笑ってすごすのです。  夢でのムユウはものすごく活発です。ときにはムウマがおいていかれそうになるほど、元気そのものなのです。  ぎゃくに、昼間みる彼女のようすは、いつだって何よりもまっしろで、まるで実体のないみたいでした。  時たま、ベッドの上から彼女がしばらく居なくなってしまうこともありました。  ムウマはぐうぜん、ひどく苦しんでどこかへと運ばれてゆく彼女の姿をなんどか見かけたので、なんとなく理由はわかりました。  だけど、居なくなって、かえってきたときのムユウの夢は、決まっていつも以上に楽しくてあざやかなものでした。  だからムウマにとって、それは無邪気に嬉しいことでした。 「ずっと夢のなかだったらいいのにね」  ムユウはよくそんなことを言いました。 「夢のなかがほんとなのに。現実なんて、白昼夢なのに」  そんなことも、言いました。  それでもやっぱり、毎日はすべてに無関心です。  ただ、過ぎてゆくだけで、それ以上もそれ以下もありません。  ――だからそれが起こることも、「とつぜん」だったのです。   *  *  *  ある日の太陽がいちばん元気なころです。  いつものように町じゅうでイタズラまっさかりをしていたムウマは、ふとムユウのところへと向かいました。  とくに何の気があったわけでもなく、いつものように思い立って、いつものように行ったのです。  ムユウはちゃんと、真っ白な建物の、真っ白なベッドの上に在りました。  だけど、そのようすが、いつもとは少し違います。  ぽかぽか陽光に照らされて、彼女はいつもよりもさらにまっしろでした。  彼女の身体が透きとおって、シーツに溶けて消えてゆきそうな気すら、ムウマはしました。  そして、彼女は眠っていました。ここにない、そんな表情でそこに在るのです。  ムユウがこんな時間に眠っているのを見るのは、ムウマにとっては、はじめてのことでした。  もうひとついつもと違ったのは、彼女の胸の上に、一冊のノートが置いてあったことです。  そのノートは、あるページで開かれた状態になっていたので、ムウマは何となくでのぞいてみました。  そこには、色がありました。  夢のなかで遊ぶ、ムウマとムユウのようすが、あざやかに描かれていたのです。  いきいきとして、喜びにあふれていて、まさにムユウの世界そのまんまがそこにありました。 『これでいつでもいっしょに遊べるね』  ページの左下に、赤い文字でそうやって書いてあるのを見つけて、ムウマはとってもとっても嬉しくなりました。  ムウマはすぐさま踊るようにムユウの枕もとに寄り、そっと両目をつむりました。  さっそく彼女に会いにゆかなくちゃと思ったのです。  ――。  でも、だめでした。  ムユウは夢を見ていませんでした。  ムユウは、  ……。  ムウマは急にかなしくなりました。両目から、どうしようもなく涙があふれだしました。   止められるはずも、ありませんでした。   *  *  *  それでも毎日は過ぎて、時を過去へと追いやってゆくものです。  ――ホラ、また今日も。 「こらぁコイツ!またやりやがったなっ!」  パン屋のヒゲのおじさんが、顔を赤くさせながら、どすどす表通りを走ります。  その前を、ムウマがケタケタ笑いながら、こんがりおいしく焼けたパンを口にくわえて逃げています。  ムウマときたら、わざとおじさんと近づきすぎないよう、離れすぎないよう、念入りに飛んでいるのですが、おじさんは必死です。 「ていっ!」  何とか相手をつかまえようと、大きな身体を投げだして飛びかかるおじさん。  でも、ムウマはそのとたん、ひゅーんと空高く飛び上がってしまいました。そうして、下でおじさんが転んだのを見て、またケタケタ笑います。  ムウマの日々は、何ひとつ変わってはいません。  やっぱりイタズラばかりですし、時々むなしい気持ちにもなります。  だけれど、  そんなこんな毎日への心もちは、少しだけ変わったかもしれません。  だって、ムウマがこうしていることで、ムユウは。  ――ムウマがムユウと遊んだ彼女の世界は、今はっきりとムウマのなかに在って…そこにたしかなムユウは居るのですから。 『ずっと夢のなかだったらいいのにね』  ムユウの願いは、こんなかたちで、ムウマによってかなえられているのです。  ムウマがこの世から消えないかぎり、夢のなかの彼女もずっとずっと消えることはありません。 『現実なんて、白昼夢なのに』  それならば、それだから、ムウマはこの白昼夢のなかを、これからも飛び回り続けるのでしょう。  夢に有るムユウのため。  ずっとずっと、覚めないように。  ――。  ムユウが笑う。  −完−