今日、ぼくの友達が死んだ。  ――。  とびきりの友人だった。  物心ついたころからの幼なじみで、ヒマさえあれば一緒に遊んだ。  近所で色々とイタズラをしたり、野生ポケモンを観察しにいったり、釣りをしたり……。  「楽しい毎日だ」って。ひとことで言ってしまえる。  ぼくの毎日は、いつだってそいつと共にあって。  ずっとずっと、そのはずだった。  ………。  なのに、どうして?  どうしてぼくは、今こんな風にまっくらな部屋のなか、ひとりで震えていなきゃならないんだろう。  なまあたたかい季節の空気が冷たくて、しびれるように痛い。  窓辺からもれる隣の家の明かりも、ヒリヒリとしみる。  心がひしゃげて、ばらばらになってるのがよくわかる。  じんわりと気持ちの悪い、つっかえるような胸の熱さ。吐き気が止まらない。  何か吐くかわりに、目頭がチリチリして――涙が。 「……ちくしょう。何で、なんで」  窓のそばの本棚の上に、グラスにさした赤い花が一輪。  風のない部屋のなか、ゆらゆらと、水際の命を揺らしている。  その隣には、写真立て。  四角にそっと閉じこめたのは、近くの丘に遊びに行った時の、ぼくとそいつ、あの日の笑顔。  暗いなかでも眼に浮かぶ。たくさんのポケモン達に囲まれて、本当にまぶしく笑っている。  そして、今ぼくはひとりきりだ。  わかるかい?  ひとりきりなんだ。 【読み切り小説】  ... MODEL DD2―Dream Drop― ...  そいつは、名前をイズミと言った。  「苗字みたいな名前だ」とか、「女みたいな名前だ」とか、よく馬鹿にする奴がいたけれど、  イズミは腕っぷしが強いので、そういう奴はすぐに己の態度を反省する結果になった。  イズミは気も強くて、気弱なぼくとは正反対。  親どうしが仲良くなかったら、一生関わらないふたりだったかもしれない。  事実、幼なじみっていっても、ぼくら、最初からそんなに仲がいいわけじゃあなかったのだ。  ――ぼくらの距離を近づけたのは、よく晴れた夏の日の、ひとつのエピソード。  その日ぼくは、町はずれまで足を伸ばしていた。  フィールドワークでポケモンの生態を観察・記録する「ポケモンウォッチャー」を目指しているぼくは、  学校の夏休みの自由研究に、自分が住んでいる町周辺のポケモンの生態を自分でしらべて発表するつもりでいたのだ。  といっても、まだポケモン取扱いのライセンスをとれる年齢には少し足りなかったから、あんまり踏み込んだことをするつもりもなくて。  せいぜいポケモンの居そうな草むらなんかを遠巻きにみて、運良く見かけたら、軽いスケッチと見かけた場所をノートに記してまわるくらいだった。  だけどそれでも、それなりの成果はあるもんで。  小さかったぼくはノートが埋まってゆくようすに夢中になり、そのうちいつしか陽はだいぶ西に傾いていた。  いけない、そろそろ帰らなきゃお母さんに怒られちゃう。  変わりはじめた空の色に、少し遅れてから気づいて、あわてて家路へと駆けだした。  だいだい色に馴染む、川沿いの土手道。  汗と夏草のにおいの染みこんだ服で、なまぬるい風をぐんぐん追い越してゆく。  遠くのほうでたなびく商店街のアドバルーンが、「早く戻ってこい」と手招きする。  と、  そんなぼくの眼が、不意にある光景に奪われた。  川の対岸、ちょっぴりそれたところに、ごくごくささやかな雑木林がある。  そこに佇む、ひとりの人影。  西日が逆光となって、顔はよくわからないが、人影は、雑木林の木のうちのひとつを見上げ、しきりに何かを呼びかけているようだった。  ぼくは急いでいたんだけれど、その様子がとても切羽詰まっているように思えて、好奇心半分にそちらへと足を向けた。  水深が浅いのをいいことに、まっすぐ土手を駆け下り、ばちゃばちゃと激しい水しぶきをあげて川を横断する。  対岸の土手を上がったぼくを待っていたのは、そいつ――イズミの視線だった。 「……やあ。何見てたの?」  やや緊張の面持ちで、ぼくが尋ねる。  するとイズミは、何も言わずにくいっと顎で上を指し示した。  さっきから彼が見上げていた、木の上方だ。  彼につられてそれを見て、ぼくはあっとなった。  葉の生い茂る頂上付近の幹のところに、華やかなピンク色の、もこもこした姿があった。  エネコだ。 「登ったきり降りられなくなったみたいなんだよ。さっきオレが見つけてからもずっとこの調子なんだぜ」  なるほど。  何かに追われてとっさに登ったのか、誰かにイタズラされたのか。  そのへんの真実は分からないが、事実としてエネコは小さくまるくなって、ぶるぶると震えながらそこに居た。 「なんとかしなきゃ。――そうだ、イズミが木に登って助けてやればいいんだよ」  いい考えだと思った。  イズミなら運動もできるし、そのくらいは朝飯前だろうって思ったから。  だけどイズミは、そんなぼくの提案に、ぶんぶんと首を横に振って返した。  なぜ?  問い詰めるぼくに、彼はさも恥ずかしそうに、か細くつぶやいた。 「……オレさ。高いとこ、ダメなんだ」  ………。  意外だった。  この頃のぼくは、心のなかで、イズミは何だってできる奴だと勝手に決めてかかっていたから。  何だってできる奴が、何やったって冴えない自分と相容れるハズがない。そうやってぼくは、イズミに対して壁をつくっていたから。  その壁は、こんな簡単に揺らぐものだったなんて。  ともあれ。  イズミが木に登れないというのならば、別のやり方に頼るしかない。  ぼくにはもう時間がなかったけど、こんな場面に出くわして、ほっといてサヨナラするなんてこと、できっこなかった。  このエネコのお母さんだって、心配しているハズなんだ。  ……ぼくは、心を決めた。 「ぼくが登る」  ――。  不安いっぱい、恐怖めいっぱい。  それでも、やるしかないと思った。  思えば、木登りなんて、この時が最初で最後だっただろう。  イズミの心配と期待の眼差しに見送られ、最初の一歩に足をかけてからは、  怖気づく身体と心をぐっと押さえ込むのに必死で、どこをどうやって登ったのか、まったく覚えていない。  ただ、幹が低いところから枝分かれしていたおかげで意外と登りやすくて助かったことだけは、なんとなく印象にある。 「よし……」  何とかてっぺんまで辿りついたぼくは、相変わらず小さくなっているエネコにそっと手を伸ばした。  幸い、エネコは少しも抵抗するそぶりを見せずに、ぼくの腕におさまった。 「もう大丈夫だから」  そう言ってぎゅっと抱きしめてやると、エネコは安心したのか、身体のふるえがぴたりと止んだ。  よしよし、これでひと安心――。  と思った矢先、ぼくはある深刻な問題に気がついてしまった。  一体、どうやって降りればいいのか。  エネコを助けたい勢いでなんとかここまで登ってきたものの、帰りのことはまるっきり考えていなかったのだ。  つまりこれじゃあ、今腕の中にいるエネコとぜんぜん変わらない状況ってことだ。  何気なく下を見る。  自分が登ってきた高さに、ひゃっと身体が縮こまる。  何より、エネコを抱えているせいで、自由に腕が使えない。  どうしよう、どうしよう。  ぼくは分かりやすく、途方に暮れた。  心なしか少し冷たくなった風が、いじわるに吹きつける。ぼくは一気に心細くなった。  すると、下からイズミが叫んだ。 「ケイイチ! 飛び降りてこい、オレが受けとめてやるから!」  ムチャだと思った。  下を見ただけで足がすくむようなこの高さ。飛び降りるなんて、とてもじゃない。  だけど。  腕の中のエネコが、不安げにぼくの顔を見上げて、か弱く鳴いた。  ………。 「心配ないよ。必ず助けてやる」  ぼくは、ぐっと大きく息を吸いこんだ。  そして、  エネコを離さないようしっかりと抱きかかえ、思い切り目をつむってイズミの上へ身体を投げだした。  ――。 「う……」  気がつくと、ぼくは地面に転がっていた。  口のなかに、ざりっと湿った土の味が少しした。  でも、身体はそれほど痛くない。  すかさずイズミがぼくの顔を覗きこんできた。 「大丈夫か」 「うん、エネコもね」  ぼくはにわかに澄まして無事をアピールしてみせた。  エネコもぼくの腕の間から顔をみせ、しばらくぶりに間近で感じる大地の匂いに、嬉しそうにひとつ鳴いた。  イズミがちゃんと受けとめてくれていなかったら、こうはならなかっただろう。  ぼくの落ちてくる勢いが凄くて、少しばかり勢いあまったせいで、地面に投げ出されてしまったけれど。 「お前すごいよ。勇気あるんだな」  ぼくに手を貸しながら、イズミは不意にそう言ってきた。  その様子があまりに率直だったので、ぼくは素直に照れくさくなる。  ので、 「それを言うなら、お母さんに怒られるの承知でここにいる勇気を一番にホメてほしいな。イズミならぼくくらい平気で受け止められるって思ったしさ」  照れ隠しにちょっぴり冗談めかしてみた。  イズミはちゃんと笑ってくれた。 「まかせてくれよ。低いとこでならオレは強いからな」  こんどはふたりで大笑い。  ハイタッチで、お互いの健闘をたたえあった。  ぼくらの冒険を祝福するかのように、暮れなずむ夕日が、ずっとふたりを優しく照らしてくれていた。  ――。  それ以来、ぼく達は無二の親友どうしになった。  かちり、まるでパズルのピースがはまり合ったみたいに、デコボコなぼくらの、ふたりの時間は動き出した。  澄み切った青空の下、きりきりと自転車をこいでくような、風切って笑顔いっぱいな時間。  ふたりにとって、それは永遠だった。  今日だって、それは変わらなかった。  夕飯を済ませた直後、ぼくのポケギアに、その電話が来るまでは――。  ………。  信じられなかった。  信じたくなかった。  当然だ。  信じられたら、ぼくは今、こんな風にしてるはずがない。  呆然自失。まっくらな自室で、ひとりぼっち。  ひとりぼっち。  ・  ・  ・  ……ふと。  ズボンのポケットに違和感をおぼえて、ぼくはその感覚を探る。  ちんまりと丸い、  でてきたのは、あめ玉ひとつぶ。  《 ぼくとイズミの約束。    ふたりでつるんで遊びにいくとき、いつも行きつけの駄菓子屋でお菓子を買って食べたんだ。 》  無意識に、口に運ぶ。  すぐに舌先から広がる甘い味。    それが、心にはどうしようもなく苦かった。  ――もう、“さよなら”なのかな。    ぶわっと眼からにじんで、世界の輪郭が何もわからなくなってゆく。  涙、とまらなくて。  ・  ・  ・ 「おい」  不意に窓のほうから声がした。  驚いて、とっさにぼくが顔を上げると、そこに立っていたのは、  ――イズミ?  …違う。  一瞬、ぼくの涙目に、イズミの姿が浮かんだような気がした。  でも、眼をありったけこすってちゃんと見たら、窓辺から射す光を受けて佇むそれはイズミではなく、  小さくて真っ白な身体に、赤いかざりのついた緑色の笠をかぶったようなイキモノ。  ラルトス。 「……フィーラ」  ぼくの口から、自然とそのラルトスの名前がこぼれ出た。  何故って、よくよく見覚えがあったから。  間違いない。目の前のラルトスは紛れもなく、イズミが大事にしていた「フィーラ」だ。  どうしてこんな所にいるんだとか、どうやって入ったんだとか、  そんな事は不思議とどうでもよく思えた。  ぼくは食い入るようにフィーラを見つめ、そっと近づいた。  すると、 「ったく、どんだけ泣いてるんだよ。ひどい顔になってるぞ」  フィーラが口をきいた。  イズミの声で。イズミの調子で。……イズミそのもので。  ――。  ぼくは張り裂けそうな気持ちになって、胸に焼けつくほどの熱がこみあげた。  なんとか閉まりかけていた涙の堰が、また決壊して――もう二度と戻らないんじゃないかと思うほどで。 「だから泣くなってば」 「だって、だって……イズミが……」  ひざまずいて、ひたすらわんわん泣きじゃくるぼく。  フィーラ――いや、イズミは、少し困った風に、ぼくの背中をさする。  その温度があまりに優しくて。  だからよけいにやりきれなくて。  よけいに、切なかった。 「いやだよ……いやだ。……ぼく…は、イズミと、ずっと、イズミと一緒が……。“さよなら”なんて……いや、だ」 「平気だよ」  イズミはぽそっと、ぼくの耳元でささやく。  とたんにぼくは、何だか眠くなって、意識が遠のくのを感じた。  ………。    ゆらゆらと、揺らいで遠ざかってゆく意識のなか、イズミの声が響きわたる。 『どれだけお前が「これから」を生きたって、  過ごした時間は、消えないから。  オレとの時間は消えないから。  お前はずっと、どうしたってそれを持って生きていくんだから』  ・  ・  ・ 『平気だよ』  あめ玉といっしょに、やがて溶けてゆく声。  ふわりと口の中で残った味だけが、ものすごく鮮明だった。  ――。  夢から覚めて。  僕は脇目もふらずに外へと飛び出した。  向かう先は一路、酷いケンカをしたっきり、もう長いこと顔さえ見ていなかった、そいつの家。  たどり着いて、ドキドキしながら遠巻きに様子をうかがっていると、タイミング良くそいつはすぐに庭へ出てきた。  かろうじて顔で分かったものの、何年かぶりに目にしたそいつは、引き連れたサーナイトに負けないくらい美しい女の子で。  僕がよくよく知っていたやんちゃ坊主の面影は、もうなかった。  だけど。  僕の心は、晴れやかなそいつの姿を見てなんだか満足できたようだったから。ようやく納得できたようだったから。 「ずっと認められなくって、ごめんよ。イズミ」  聞こえないようにそれだけ言って、懐かしい駄菓子屋へと、くるりと足を向けた。  ポケモンウォッチャー養成学校への入学試験を目前にひかえた、よく晴れた夏のある日のことだった。  −完−