気づけば、うねるような歓声のただ中にいた。  高いお日様の光が景気よく降り注いでまぶしい。  超満員のスタジアムの底、バトルフィールド上で、僕はだいじな場面を迎えていた。 『ナオト選手大チャンス! ここで決めればポケモンリーグ・決勝戦進出だァッ!!』  そうだ。ここで勝って、そして次で勝てば、僕が晴れてリーグのチャンピオンになれるんだ。  相手のポケモンはもうボロボロのカイリキーが一匹だけ。  そして僕の隣には……いちばん信頼できるパートナー、フーディンが居る。  僕は深呼吸して空を見た。雲ひとつない抜けるような青。  ずっとずっと想い描いてた夢に、あとちょっとすれば手が届く――。  ――掴んでみせる!  僕はぐっと相手を見据えて、最後の攻撃を指示した。 「フーディン、サイコキネシス! 全開だぁぁぁ――ッ!!」 【読み切り小説】  ... MODEL DD3―from Dream to the Dream― ... 「決勝進出おめでとうございます」  ぼーっとする頭で控え室へ行こうとしたら、扉の前に居た係のお姉さんに祝福された。  僕はぎこちなく会釈をして部屋に入り、すぐそばにあったイスに腰かける。  ……で、頭をかかえた。 「いやいやいやいや」  おかしいよ、なんだこの状況。  ポケモンリーグって。しかも決勝って。  さっきの試合のあいだは、熱にうかされるみたくノリノリだった僕だけれど、いまは頭のなかがめちゃくちゃだ。  いつのまに僕はこんな大舞台にいたんだろう? どうして僕がこんな大舞台にいるんだろう?  全然覚えてないし。覚えてないのにこんなとこにいるし。うわあ、へんな汗が止まんない。 「どないしたん?」  突然ぬっと覆いかぶさった影。  振り向いて僕は、相手の姿を見たとたん固まった。 「じぶん、緊張しとんのかいな。……まームリもないわな。  そんな時はストレッチや。さんはい、カメックスカメックス――ってそれリラックスやんけ!」  劇的に寒いノリツッコミを妙に甲高いコガネ弁で繰り出すそいつが、どう見てもフーディンだったのだから、そりゃあ固まる。  フーディンといえばフーディンでありポケモンであり、僕のいちばんのパートナーで……あれ、いつからそうだったんだっけ。  ともかくそのフーディンが、喋ってる。それもテレパシーでの会話とかそんなんじゃない。じかに喋ってる。軽快に、その口で。  はは……これは夢だ。悪い夢だ。 「うん、夢やでこれ」  あっさり頷かれた。ってかコイツいま人の心を読みやがったな。  僕の手が反射的にほっぺたに伸びる。 「わーッ、待て待てッ! その手ェ、ほっぺたつねる気やろッ。そないなことしたらじぶん目ェ覚めてまうやんけ!」 「ホントに夢か確かめようと思って……ダメ?」 「あ、あかんてッ! かなわんわー、オレがおもろいネタいっぱい披露したるさかい堪忍してや」  いや、それはいらない。 「ショック! えらいつれないなぁ、マスター」 「……とりあえず僕の心を勝手に読むな」  なるほど。夢だったのか。  それを聞いて僕は一気に、いろんなことがストンと腑に落ちた気がした。  胸がすきっとして、思わずぷくく、と笑みが漏れる。 「夢ならフーディンが喋るのもしかたないね」 「しゃーないしゃーない」 「あー。なんだ、これみんな夢の世界なんだなぁ。そりゃそうだよね。だってポケモンリーグも何も、僕ホントはまだ――」 「ストーップ、しょうもないこと言わんといてや」 「ぅ……なんだよ、しょうもないことって」 「夢はなんでも知っとるんや」  小ばかにされた気になって食ってかかった僕に、フーディンは三本指の真ん中をピンと立てて、さも意味ありげにそう言った。  え、どういうコト?  キョトンとする僕をフォローするように、フーディンが付け加える。 「まあまあ。要はいまはもっと考えなあかんコトがあるやろ、っちゅうこっちゃ」  うーん。結局なにが言いたかったのかイマイチ見えないけど。別にいっか。 「わかってるわかってる、決勝だよね。がんばろ、フーディン」 「……なんやえらい気が抜けたなあ、マスター……。ま、ええわ。オレもカメックスせな!」 「まさかそれ、気に入ってる……?」  どうでもいいような会話を繰り返していると、すぐに係のお姉さんからお呼びがかかった。  決勝の時がやってきたんだ。  フーディンをいったんボールの中にしまって、僕は長い長い廊下を歩いてく。  廊下を渡りきってバトルフィールドに出るのには二十歩とかからなかった。雷鳴みたいな歓声がスタジアムを揺るがす。  空は真っ暗く、四方八方から目のくらむような照明がフィールドを照らしてた。 『ナオト選手、悠然と決勝の舞台に姿を現しましたァッ! 対するは――』    いまとなっては僕はもう、少しも深刻に考えてなかった。  どうせ夢なんだから。すべて僕が願ったような結果になるんだろう。  きっと簡単に勝って、チャンピオンになって、朝がくる。  何ひとつも変わらない、いつもの朝がくるんだ。  ……どうせ、夢なんだから。 『レディィィィィィィィィィ……ゴーッ!!』   *  *  * 「――う……くッ……」  甘かった。  バトルが始まった次の瞬間にはもう、僕は地べたに這いつくばっていた気がする。  どこをどう戦ってこうなったのかすら全く思い出せない。  それほど完全に、カンペキに、目の前の相手に打ちのめされていた。  「そいつ」の顔はモヤがかかったみたいになっていて、どんな人相でどんな奴なのか、どうやっても見えてこない。  そして「そいつ」の使っているポケモンも同じく正体不明。ハッキリとそこに居るのにどんな姿をしているのかわからない。  けれど僕はよくよく知っていた。目の前にいるのが最強のトレーナーであり、最強のポケモンだってことを。  観客席からの割れんばかりの声援がアタマのなかでがんがん響いて、かち割れそうだ。  僕の手には、最後の一匹のモンスターボールがあった。  でも、これからどうしたらいいのだろう。  ……あれれ!?  僕はなにも知らない。  ボールはどう投げればいいのか。  どうやったらポケモンが出てくるのか。  どういう風にポケモンに命令したらいいのか。  なにひとつ、僕は知らない……。 「ムリだ」  僕は確信してつぶやいた。  ああ。最強のあんちくしょうが、僕がポケモントレーナーであることまでも剥ぎ取ってしまったんだ。  みるみる声援が遠のいてく。  あたりの景色もぐんぐん遠くなって――真っ黒い空だけが降りてきて――僕ひとりをすっぽりと包んだ。  そうして360度見渡すかぎり、真っ暗でからっぽの空間ができあがった。ふしぎと安心した。 「なんやじぶん! 諦めるんかいな!?」  不意にした、すっとんきょうな声。  いつの間に後ろにいたかはわからないけど、そのあまりの必死な雰囲気に僕は思わず笑ってしまった。 「いいんだよ、フーディン。どうせこれは夢だし、一晩限りでサヨナラの世界なんだからさ」 「一晩限りでもなんでもッ。アンタはいまここにおるんやろ、ここで戦っとるんやろ! 違うか!?」 「そんなこと言ったって。夢は夢、現実じゃないじゃん」 「アホ言うな! まるで一緒やないかッ。アンタは現実でもおんなじように、『ここぞ』って時から逃げ続けとるんやろが!!」 「! ――うっさいなあッ!」  ハッとした。すごくムカっときた。僕はフーディンを思いっきりにらみつけてた。  でもフーディンはそんな僕の視線に一歩だって退かない。むしろ逆に僕のことをにらんでる。  ……なんだよコイツ。胸がザワザワざわついて、きもち悪い。 「えっらそうに……ッ。知ったようなことばっか言いやがって」 「おお、よっくよく知っとるわ! 言うたやろ、夢はなんでも知っとるんや。……ホラ。対戦相手の顔、よく見てみィ」  フーディンが指で示した先に目をこらして――僕は足がすくんだ。  スタジアムの底、バトルフィールドに向かいあって立っていたのは、僕のとても見知った人だった。  ……てか、知らないハズあるもんか。毎日顔を合わせてるんだから!  そしてその人がとてもとても怒った顔をしている。あああ、謝らなきゃ……僕にとってたぶん、世界でいちばん怖いモノだ。  僕はもう、泣きわめいてしまいたくなった。 「……やっぱ、ムリ……だよ」 「泣き言ぬかすな、根性見せてみィ! マスター、じぶんこのままでええんかッ。一生このまま逃げとるつもりか!」 「で、でもッ」 「デモもストもないわボケ! ええか、これは夢やッ。アンタの想い描いた夢なんや! こんなとこで――夢を諦めんなッ!!」 「……僕の、夢……」  その瞬間。僕の全身をトクンと熱いものが駆けめぐった。  ――ちくしょう!!  僕は破れかぶれで振りかぶった。  最後の一匹――フーディンの入ったモンスターボールを右手で力いっぱい握りしめて。  抜けるような青空にこだまする歓声。お日様の輝きが憧れのバトルフィールドを、乗りこえるべき「その人」をきらりと照らし出す。  もう逃げない。逃げるもんか。  ずっと想ってたんだ。  こんな最高の舞台に。こんな最高のパートナーと。  次はホントに立ちたいんだ。だから!   「うぉぉぉぉおおッ、いっけぇぇぇぇぇ――ッ!!」  僕はまっすぐにボールを放った。  夢の、その先へと――。   *  *  * 『っしゃあ、朝やッ。はよ起きんかい! っしゃあ、朝やッ。はよ起きんかい! っしゃあ、朝やッ。はよ……』 「――う……ん。……起きてるよ」  今朝も予定どおりに目が覚めた。やっぱりこのフーディン型目覚まし時計のせわしないボイスアラームは「こうかはばつぐん」だ。  コガネシティに住んでるいとこの兄ちゃんが、3年前の誕生日にプレゼントしてくれたモノだ。  兄ちゃんはごていねいに自分の声を目覚ましボイスとして吹きこんで渡してくれたんだけど、  なんとか声色を作ろうとがんばったのか、ヘンテコな甲高い声で必死にコガネ弁をしゃべっているのがすごく笑える。 「ふわあ……」  まだちょっと眠くてベランダに出てみると、澄んだ朝日とそよ風が心地よかった。  今日はわりかし涼しい日っぽいから、まわりの木や草花もどことなく過ごしやすそうだ。  大きく伸びをして……僕は胸がばくばく言ってるのに気がついた。  ゆうべの夢のせいだな、と何となくわかった。どんな夢だったかはもうほとんど忘れちゃったけど。 「おはようナオト。ちゃんと起きれたわね」 「――うわぁ!? お、お母さん……おはよ」  見えない力で跳ね飛ばされるみたく飛びのいた僕に、お母さんは何がなんだかって顔を向ける。僕にもよくわかんない。  ただ、部屋に入ってきたお母さんの顔を見るなり、むしょうに申し訳なくなって謝りたくなって、焦ったのだった。 「何よもう。さっさと着替えて朝ごはん食べちゃいなさい。今日、塾の夏期講習でしょ?」  「あ……うん。すぐ行くよ」 「早くね。まいにち勉強勉強で大変だろうけどしっかりしなさい、あんたの夢なんだから」 「うん……」  お母さんが部屋から出ていって、僕はふとじぶんの机の上を見た。  山積みされた塾のテキストに参考書。あと模擬テストの結果表や志望中学校の資料一式……。  これは誰の机なんだろう? そんな風に思えた。  ……昨日の夢、ひとつだけ、しっかりと覚えてる。  右手を青空にかざしてみた。手のひらには、丸くて硬い感触がまだ鮮やかに残ってる。  みなぎる生命と通い合うような、あの感触が。 「……僕の、夢……」  ――僕は。ぐっとひと息のみこんで、お母さんを追いかけた。 「お母さん!」  そうだ。  今日こそハッキリ言うんだ。  「僕はポケモントレーナーになりたいんだ」って。  −完−