「……最低だ……」

 全身、服の色も分からないほど泥まみれの上に、こってりとキノガッサの胞子をまぶされ、どうにも不味そうな安倍川餅のごときありさまと化した少年……サトルは、どん底の気分でぬかるみの中にへたり込んだまま 、うめき声をあげた。

 ミオと名乗った銀髪の少女トレーナーが立ち去る前に彼に向けた、激しい怒りに満ちた視線が目の前にちらつく。

 ただでさえ、マグマ団と間違えるだの、男と間違えるだのという言語道断な誤解をしていた上に、事故とはいえ、思い切り女の子の胸に手をつくなどというとんでもないことをやらかしてしまうとは……! 彼は、先ほどの失敗を思い返し、消え去りたい思いで泥だらけの頭をかきむしった。「しびれごな」の麻痺はそろそろ取れてはきたが、この最低の気分では、動き出す気力もない。

 とはいえ、自分だけならまだしも、ポケモンたちを回復させてやらないわけにはいかない。ため息をつきながら、泥から立ち上がろうとした彼の耳に、ドスドスという重たい足音が飛び込んできた。

「?」

 顔を上げた少年の目に飛び込んできたのは、先ほどの少女を乗せたボスゴドラが、彼目掛け真っ直ぐに突っ込んでくる姿だった。

 銀髪の少女が、険悪な表情で彼を指差し何事かを叫ぶ。慌てて逃げようともがく少年目掛け、鋼鉄の双角が閃いた。

 

 

もう一度君に
〜One more chance〜

 

 

 キンセツシティへの町外れの道を、二人の人間を乗せたボスゴドラが早足でドスドスと歩いている。

 肩の上に腰掛けているのは、白銀の髪に黒と紅の服の少女トレーナーだ。
 年は13、4歳くらいだろうか。薄い茶色の瞳に色白の肌、細いガラス糸のようにきらめく白銀色のふわりとした髪が、上着に合わせた黒と紅のへアバンドに映える。
 背にはワンショルダーのリュック、長袖のトレーニングウェアに指なしの革手袋。活動的な服装や、鋭いまなざしからは、少年のようにも見えた。しかし、少年にしては線の細い、整った顔立ちや、ゆったりした服に半ば覆い隠されたつつましやかな胸のあたりをよく見れば、少女であることがわかる。

 そしてもう一人、全身泥まみれの少年が、頭の上に乗せられ……と言うよりは、角に引っ掛けられたまま、今にもずり落ちそうな、少々情けない格好でしがみついている。

 二人とも、先ほどから一言も口をきいていない。

 と言うより、少年の方は、ボスゴドラの早足にガタガタ揺すぶられ、しがみついているのが精一杯で、舌を噛まずにしゃべる余裕などなさそうだ。
 たとえ少女が、一切の会話を拒絶するような険悪な表情でなかったとしても。

 

 その少女、ミオは湧き上がる怒りといらだちを抑えかねていた。

 一つはそもそもの原因となった少年に対して、そして、何よりも、一旦押さえ込んだはずの怒りをうかつに爆発させてしまった自分自身に対して。

 ――まだ、胸の中がおさまらない。

(あのとき……)
 ミオは、つい先ほどの出来事を思い返していた。

 

 

「キミ、女の子だったのかーっ!?!」という一言が耳に入った瞬間、ミオは、怒りの衝動にまかせて少年を殴り飛ばしたあげく、即座にキノガッサとラグラージを繰り出し、弁解する暇も与えず、ひっくり返った彼の頭から爪先までたっぷりと泥と胞子を浴びせかけていた。

 胞子でしびれ、泥まみれで動きがとれずにぬかるみに尻もちをついたまま、げほげほ口の中の泥水を吐き出している少年に冷たい一瞥をくれ、続けざまにボスゴドラをボールから出す。

 さらに追い討ちをかける気か、と、身動きが取れぬまま泡を食う少年を無視し、ミオは、ボスゴドラの尻尾から背中の凹凸を足がかりにその背中を跳び上がり、装甲の突起を手すりがわりに肩の上に腰掛けた。

 一言命じると、ボスゴドラは早足で歩きはじめた。
 泥水を吐き出しながら、必死でなにかを叫ぼうとする少年を背後に残して。

 

 

 そのまま彼女は、しばし激しい感情のままにボスゴドラを駆っていた。

(馬鹿さ加減にもほどがある! あんな最低の連中と間違えた上、ずっと男だと思っていたなんて、あげくに、あんな、、……!!)

 先程のアクシデントを思い出して、ミオの顔がかっと熱くなった。
 悪意でなかったのは判っているだけに、余計に腹立ちが内にこもる。いっそアクア団の連中ででもあったならば、遠慮なく徹底的にぶちのめして、今頃はすっきりしているだろうに。

 そこまで考えたミオは、ふと、あることに気が付き、ギクリとした。

(あの子は、マグマ団を追ってきた、と言っていた。……もし、本当に連中に出くわしてしまったら?)

 少年の手持ちは、先ほどのバトルで彼女自身が完膚なきまでに叩きのめしている。かろうじて残っているのは、戦力としては話にもならないコンテスト用のピカチュウ一匹だけだ。

 ……自分には関係ない、と無理やりその考えをねじ伏せようとしたものの、一度心に浮かんだ考えは、勝手に不吉な方向へと流れていく。

(ずっと奴等の邪魔をしていた人間が、あんな抵抗もできない状態でいるところを、もしあのごろつき共が見つけたなら……)

「……ああ、もうっ!!」

 そこまで考えて、ミオはそれ以上進むことができなくなった。半ば癇癪を起こしながらも、ボスゴドラに命じる。
「プル、戻って!」

 彼女がボスゴドラを急かし、いらつきながら元の場所に戻ってくると、幸い少年はまだ先ほどの場所にへたりこんだままだった。彼女の剣幕を見て、仕返しに戻ってきたと誤解したのか、慌ててもがく少年を指差し、ボスゴドラに命じる。

 「プル! この子を運んで!」

 ボスゴドラは、うひゃあ、と情けない声をあげる少年の上着を角にひっかけて、ひょいと頭の上に放り上げた。

 「町へ!」

 一言命じると、そのままボスゴドラは、ミオがここ数日宿としていたキンセツのポケモンセンターへと早足で歩きはじめ、振動で振り落とされそうになった少年は、あわててボスゴドラの頭にしがみついた。

 

 とりあえず少年の安全を確保はしたものの、決して怒りが消えたわけではなかった。
 とは言え、波立つ激しい怒りがわずかに治まると、交代するように、自己嫌悪の念が頭をもたげてくる。

 ミオは自分が怒りっぽい性格なのは自覚していたし、それもあって、特にバトル時には冷静さを保つように気をつけていた。

(……それなのに、怒りにまかせて、あんな、はぐれトレーナー同然の振る舞いをしてしまうなんて)

 彼女は唇を噛み締めた。

 基本的に、ポケモンの攻撃技を人間に向けるのは危険行為とみなされる。
 マナーが重んじられる公式試合では、故意に相手トレーナーに技を向けたと判定されれば、そのトレーナーは即時退場だ。さらに、厳密に解釈すれば、携帯獣取扱法違反で、減点の対象にもなるし、程度によっては免許停止という場合もありうる。
 しかしそれは極端な例であって、子どものケンカで「すなかけ」やら「どろかけ」合戦になるくらいのことはよくあることだ。

 だからといって、彼女には無責任に笑って済ませることはできなかった。被害の程度はともかく、怒りにまかせて無抵抗の相手を殴ったあげく、攻撃技を向けたのは事実なのだ。

 これがもし、アクア団の連中や、密猟者のような奴らが相手だったならば。
 彼女は何のためらいもなく(たとえ免停をくらおうとも、むしろ積極的に)相手を遠慮なく叩きのめし、いささかも良心に恥じなかっただろうが、相手は特に悪意があったわけでもない、ただのおっちょこちょいな少年でしかないのだ。 

 怒って当然とは思うものの、そんな子どもじみたことをしてしまった事が腹立たしく、しかしその原因となった少年にも怒りをぶつけずにはいられず、 ……そして、何よりも。そうせずにいられない自分が、さらにいらだたしかった。

 

「……グアァ?」

 ゴロゴロと遠雷のようにひびく、ボスゴドラの問いかけるような声に、はっと気がつくと、そこはもうキンセツの街中だった。思考がそんな堂々巡りをしているうちに、いつのまにかポケモンセンターの前までやってきていたのだ。

 ……仕方がない。
 少年にはまだとても謝る気にはなれなかったが、……少なくとも、自分のしたことの責任も取らない卑怯者にはなりたくない。

 

 肩から跳びおり、一声かけると、ボスゴドラはゆっくりと頭を下げ、少年を地面に降ろした。

「ふぇえ……」
 振動で酔ったのか、少年は、ずるずるとすべり落ち、ボロ雑巾のように地面にへたりこんだ。

「そこで待ってて」

 ミオは、ボスゴドラをボールに戻しながら少年に言い捨て、ポケモンセンターに入った。
 トレーナーが普通戻ってくる時刻にはまだ少し早く、明るい午後の日差しがさしこむロビーには、他の人影は見えない。

「いらっしゃい、 ……あ、ミオさん、お疲れさま」

 『お姉さん』と軽く呼ぶには少々落ち着いた感じの白衣の女性が、事務用のモニタから顔を上げ、入ってきたミオにほほえみながら声をかけた。

 彼女の名前はアオイ、ここのポケモンセンターの所長兼総合管理主任兼主任医師、いわゆる”ジョーイさん”だ。
 ポケモン医学界で有名なとある一族の名から、トレーナーから親しみをこめてそう呼ばれることも多いこの職務は、ポケモンの治療とともに、センター全体の管理を司る要職とされており、特に有能な女性が就くことが多い。

 とは言え、それだけ多忙な職務ということでもある。

 看護ヘルパーとして訓練された優秀なラッキーが助手として配置されており、食堂や宿泊設備の運営、施設のメンテナンスなどは専門業者に委託されているとは言え、ポケモンの回復、急患の処置などはもちろん、定期健診から栄養指導、果てはコンテストのゲスト審査員から、トレーナー同士の喧嘩の仲裁まで、ポケモンに関するよろず面倒ごとは、ほとんど、彼女たちの肩にかかってくるのだ。

 彼女は今日も朝から大量の仕事に忙殺されていたが、ミオの険しい顔つきを見て、仕事の手を止めた。

「ジョーイさん、……すみませんが、洗い場をお借りできますか? 私は、……つまらないケンカで、ポケモンの技を人間に向けて、相手を麻痺させた上、泥まみれにしてしまいました」

「どういうことか、聞かせてもらえますか?」 彼女は、まっすぐにミオの目を見て柔らかくたずねた。

 ミオが口を開こうとした瞬間、後ろから緊張感のない声が掛かった。
「いやぁ、すみません。オレがドジふんじゃったもんで……、」

 ミオが慌てて振り向くと、外でへたりこんでいたはずの少年が、急いで吹っ飛んできたのか多少ふらつきながらも、いつのまにかすぐ後ろで、泥だらけのままへらへらとした笑い顔で頭をかいていた。

「自分のしたことくらい、責任をとる! 余計な事を、……!!」
 ミオは、怒りをあらわにして鋭く食って掛かった。

「だ、だって、そもそもはオレが勘違いしたのが、」
 うろたえながらも少年が抗議し、言い合いになりかけたところに、パン!と手を打ち鳴らす音とともに、制止の声が飛んだ。

「ハイ、お二人さん、そこまで!! ……仲良しさんなのはわかったから、」

「な……っ!!」
「え〜と……」
それぞれに慌てて抗議しようとする二人に、続けて、にこやかに、しかし有無をいわせぬ調子の言葉がかけられる。
「それ以上そこでバタバタしたら、ロビーじゅう泥だらけになっちゃうでしょ?」

「あ……」

 二人は足元を見てあわてた。だいぶ乾いていた泥が少年の体からはがれ落ち、いつのまにか床は、かなりの量の胞子混じりの泥のかけらだらけになっていたのだ。

 即座に、てきぱきとした指示が飛ぶ。

「じゃ、ミオさん。あなたは、落ちた泥を片付けてね。掃除用具は、そこの廊下のすみのロッカーの中に入ってるから。あと、サトルくん?」

「はい、お世話になってます、アオイさん……、うわ!」 少年が帽子を取ろうとすると、頭からも泥が飛び散り、彼はあわてて帽子を押さえた。

「あなたはまず、外でざっと泥を落として来なくちゃね。シャワーを使うのは、それからね。
 ……じゃ、このドタバタについては、これでおしまい、一件落着!! ハイ、二人とも!すぐやる!!」

 ミオは廊下のすみに駆け寄り、掃除用具のロッカーを開けたが、「いけねっ!」という声に、ふと手を止めた。振りかえると、一度外に出ようとした少年が、あわててカウンター前に戻ったところだった。

 彼は、ポケットから三つのボールを泥をつけないようにそっ、とつまみ出してカウンターの上に置き、「すみません! 先に、ポケモンの回復、お願いします!」と、にっこり笑ってぺこり、とおじぎをすると、今度は泥を落とさないように、そろそろと歩み去った。

 ミオはそれを見送って、ひとつ短いため息をつくと、モップを持ったまま、もう一度カウンターへ戻った。

「どうしたのかしら? ミオさん」

 ミオは唾を飲み込み、尋ねた。「これだけ、ですか? だって私は……」

 アオイはほほえみながら言った。「友達どうしのケンカに、お巡りさんや警察なんていらないわ。そうでしょう?」

「でも……!」

 なおも言いつのるミオに、アオイは答えた。

「あなたへの罰は、この泥だらけのロビーを、しっかりピカピカに掃除すること。そして、……」
 彼女はまっすぐにミオの目を見つめ、言った。

「もしあなたが、そのままではどうしても気が済まないというなら、もう一つ、あなたのするべきことは、サトル君と仲直りすること」

「……!」 ミオの表情がこわばる。

「これは罰じゃないわ。わたしからのアドバイス。何が原因でケンカになったのかは知らないけれど、サトチ君は決してあなたが悪いとは思っていないようだし、あなただって……」

「わかりました、ロビーをかたづけます!!」 ミオは視線をそらし、話を打ち切るように言い放つと、背を向けて泥掃除を始めた。

 その後姿を見ながら、アオイは(おやおや)と、軽く肩をすくめた。

 


 

「……傷つけちゃったのかなぁ……」

 サトルは、泥だらけになった服を着がえ、ランドリーコーナーのベンチに腰かけて、シャワーで濡れた頭をふきながらつぶやいた。ふだん楽天的な彼にしては珍しく、落ち込んだ気分で深いため息をつく。

(最初マグマ団と間違えたのもだけど、女の子を男に間違えたあげく、ハプニングとはいえ、あんなことになるなんて……)

 いまだ手に残るやわらかな感触を思い出し、赤くなった彼は、あわててタオルでガシガシ、と顔をこすった。

(おまけに、フォローのつもりで口出ししたのも、なんだか余計にプライドを傷つけちゃったみたいだし、……もしかしたら、もう、口もきいてくれないんじゃないだろうか)

 カウンターの前で振り返った彼女の、鋭い怒りの視線が思い出される。

 

 まるで野生のアブソルのようだ、とふと彼は思った。容易く人を寄せ付けない、峻嶺を駆ける白銀の獣。

 白銀の髪のせいだけではなく、攻撃的で、鋭くとがった印象に見えて、それでいてどこかしらにひどく脆い部分を併せ持っているようなその雰囲気も、そう感じさせたのかもしれない。

 

(……でも。

 最初の誤解がとけて、コンテストやおたがいのポケモンの話をしていたときは、すごく楽しくて、気が合う友達になれそうな感じがしていたのに……)

 そのときの彼女の楽しげな表情を思い出し、タオルを頭にかぶったまま、もう一度深いため息をついた彼の前に、ふとだれかが立った気配がした。
 あわててタオルをはねのけると、そこに立っていたのは、Tシャツとショートパンツの軽装に着がえた先ほどの少女――ミオだった。

 ……しかし、先ほどはトレーニングウェアで隠されていたすらりとした素脚の線よりも先に、彼の目を釘付けにしたのは、彼女の色白の肌のあちこちに浮かんだ真新しい青アザだった。
 先ほど、彼のピカチュウをかばってボスゴドラに吹っ飛ばされた時のものなのだろうか、と、彼はぎくりとした。

 それから恐る恐る視線を上に向け、彼女の顔を見上げたが、半ばにらみつけるような鋭いまなざしや、ぎゅっと引き結んだ口元からは、あまり友好的な雰囲気は感じられない。

 言葉が見つからずためらう彼の目の前に、すっと彼女の腕が突き出され、ボールを一個、折りたたんだメモと一緒に押し付けるように彼に渡した。

「……へ?」

 反射的に受け取ったものの、一瞬わけがわからず、とまどいの表情を向けたサトルに、彼女はぶっきらぼうに告げた。

「この子はハブネークの♂で、名前はラピス。……あたしの持ってないポケモンをメモしておいたから、交換する子は、できたらその中から選んで。明日、7時くらいには発つつもりだから、それまでに選んでくれればいいから」

 

 そこで一旦言葉はとぎれ、緊張をはらんだ沈黙が流れた。

 彼女はしばし逡巡したが、結局言葉は続かず、もう片方の手に持っていた缶コーヒーを無言のまま押し付け、去っていこうとした。

 彼はたまらず口を開いた。

「……待って! キミは、その、……この子を、なんで?」

「――いらないの?」

 振り向かずに発せられたその声には、押し殺された鋭い怒りの棘と……そしてどこかに、かすかに寂しげな響きが漂っていた。

「そうじゃなくて! だって、オレは、キミに、その……」

 彼は言葉を続けようとしたものの、頭の中がまとまらず、なんと言っていいのか言葉が見つからない。

「……約束は、守る!」

 彼女は、そう怒ったように言い捨てると、そのまま……まるでその場から逃げるように、足早に立ち去っていった。

 

 置き去りにされたような格好になったサトルは、混乱し、しばらくの間呆然としていた。

「やっぱり、まだ怒ってるみたいだけど、……だったら、ハブネーク、無理に交換してくれなくてもいいのに……」

 図鑑のデータだけでも増やしておこう、とでも思っただけなのかな、と、彼は少し悲しくなったが、気をとりなおして、メモを開いてみた。
 キャモメの絵が入った淡いブルーのびんせんには、線の細い、几帳面な整った文字で、いくつかのポケモンの名前が書かれていた。

「ザングース、クチート、ソルロック、……へぇ? タネボーも持ってないんだ。ん……?」

 余白に、うっすらとなにかを書いたような跡が残っていた。何度も何度も、書いては消したのだろうか、紙の表面がわずかに荒れている。彼は、明かりにびんせんをかざしてみたが、書かれていただろう文字を読み取ることはできなかった。

 彼女が置いていった缶コーヒーを改めて手に取ってみると、しばらく手に持ちっぱなしだったのだろうか、それはすでに、すっかりぬるくなってしまっていた。

 彼は、それを持ったまま、真顔でしばらくのあいだじっと考え込んでいたが、やがて、ふっと息をついて、ふたを開け、一気に飲み干した。


 ミオは、泊まっている部屋に戻り、後ろ手にドアを閉めた。

 ……結局、謝れなかった。

 出迎えるアブソルのカサンドラの声が、まるで自分のため息のようにひびく。慰めるように頭をすり寄せ るカサンドラの、長く白い絹のようなたてがみをなでてやりながら、ミオは力なくベッドに腰を下ろした。

 『あなたのするべきことは、サトル君と仲直りすること』
 耳の底に、あの言葉がひびく。 ……そんなことは、他の者に言われなくても分かっていた。

 しかし、いったんつむじを曲げてしまうと、決して自分から謝れない、意地っ張りな性格がじゃまをする 。

 手紙なら……と思ったものの、結局、言いたいことをうまく書き表すことができず、話しかけるきっかけにでも、と買ってみた缶コーヒーも、やはり、すっかりぬるくなるまで、顔を合わせることができなかった。

 思い返してみれば、気の良さそうな少年だった。こちらからも一言謝っていれば、きっと特にわだかまりもなく、仲直りしてくれただろう。

 

 ――そうだろうか?

 

(さっき、ハブネークのボールを持って行ったとき。あの子は、あたしを見て、確かにぎくっとしてた。

 もしかしたら、
  ……いや、きっと、 ……もう、顔を合わせたくなかったんだ。

 嫌なやつだと思われたんだろうか。せっかく、かばおうとしてくれたその相手に、逆にまた怒りをぶつけるなんて)

 

 急に空虚な気分がミオを襲う。重苦しい疲労感がずっしりとのしかかり、ミオはそのまま背中からベッドに倒れ込んだ。

(……敬遠されているなら、もういい。無理に仲直りなんてしてくれなくたっていい。人付き合いなんか面倒なだけだ。……あたしには、ポケモンたちだけいればいい)

 そう、自分に言い聞かせてみたものの、空虚な気分は去らない。

(……もう、いい。別に仲直りなんかしなくたって、何も変わらない。あたしはそのまま旅を続けるだけだ。
 明日には、ここを発つ。もう、寝よう……)

 ミオは毛布を引きかぶり、目を閉じたが、なかなか眠りは訪れてはくれなかった。


 

 次の朝、ミオは、ポケモンセンターの中庭の片隅で、出発前の自転車の点検をしていた。

 芝生や小さな池、バトル用のフィールドがあり、時にはヘリポートならぬ飛行ポケモン用の着地ポイントともなるそこでは、トレーナーたちがポケモンを遊ばせたり、バトルの練習をしたりする光景がよく見られる。しかし、朝早いこの時間には、まだ他のトレーナーの姿はなかった。

 今回の目的地のミナモシティまでは、直線で飛んで行けばすぐに戻れるのだが、ミオは今回、トレーニングをかねて、ヒワマキ経由の陸路を行くつもりだった。もちろん、かなりの長丁場になるし、ヒワマキまでの道は天気が変わりやすいことで有名だ。途中で土砂降りになっても大丈夫なように、念入りに自転車に油をさし、手入れをするミオの背後に、だれかが近づく足音がした。

「おはよう。……ええと、もう、出発するの?」

 昨日の少年だ。ミオは、ちらりと振り向いただけで、手を止めずに彼にたずねた。

「――交換する子は決まった?」

「ザングースでいいかなぁ? 君のハブネークとケンカしないか、ってちょっと心配なんだけど……」

「かまわない」

「3匹いるから、好きな子を選んでほしいんだけど、良かったら見てくれない?」

「どの子でもいい。そっちで選んで」

 まるで、見えない氷の殻に閉じこもってでもいるように取り付く島もないミオの答えに苦笑しながら、さらに少年はたずねた。

「これから、どっちに行くんだい?」

 ミオは一瞬とまどったが、余計なことを考えるのすらわずらわしく、予定をそのまま口に出した。

「……118番水道から、ヒワマキ経由でミナモシティまで」

「よかった!」 少年は明るい調子で言った。「オレもこれから、そっちの方に行くつもりだったんだ。……一緒に行ってもいいかな?」

「――?!」

 驚いたミオは、手を止めて立ち上がり、少年の方に向き直った。大きく見開かれた薄い茶色の瞳が、朝の日光を受けて金色に光る。

 彼は少しだけ真顔になり、ミオに言った。

「昨日は、本当にごめん……。

 あんなことになったら、怒るのも当然だよね。オレは泥だらけのボコボコにされて当然、君が無理して謝る必要なんてなにもないんだ。
 だから、まだ怒ってるなら、それはしょうがない。……でも、お願いだから、もう一度だけチャンスをくれないかな。はじめて会った誰かを怒らせたまま、それっきりになっちゃうなんていやなんだ。
 それがもし、最初のつまづきさえなかったら、気が合いそうな、いい友達になれそうなやつだったら、……なおさら、このままさよならなんてしたくない。せっかく仲良くなれそうな気がしたのに、そのままバイバイなんて」

 ミオは何も言わず、探るような目つきのまま、少年の言葉の続きを待った。

「だから、さ、」 少年は破顔一笑し、人懐こい笑顔で言った。

「しばらくキミにくっついてけば、どこかでちょっとはいいとこ、見せられるかな、って。
 キミの大事なハブネークをもらうんだもの、せめて、あの子が心配にならない程度には見直してもらわなくちゃ。だから、キミと一緒に行きたいんだ」

 

 ……勝手な言い草だ。 ミオは思った。

  勝手で、ずうずうしくて、適当で、……単純で、お人良しで、脳天気で、……

    ……あきれるほどに、まっすぐで。

 

「昨日、バトルの後で話してたときも、とっても楽しかった。
 昨日は、てっきりマグマ団だとばっかり思い込んでたから、バトルを楽しむ余裕なんてなかったけど、もし、ちゃんとしたバトルを全力でやりあったら、きっとすっごく楽しいと思う。
 せめて、バトルだけでも再挑戦できないかな。あんな、コテンコテンにやられっぱなしじゃ、カッコ悪くってしょうがないもの。ちゃんとしたメンバーだったら、結構いい線、いける、……と思うんだけどなぁ。
 ……いや、ま、それはいいけどさ」

 少年は、苦笑いしながら頭をかいた。

 

 あまりにもまっすぐに切り込んでくる少年のストレートさが、まるで太陽を直視したように痛く、まぶしい。

 

「全部なかったことにしてくれ、なんて言わない。でも、お願いだから、もう一度チャンスをくれないかな」

「……いいよ」 ミオは、口の中でぼそりと言った。

「え?」 返事が聞き取れなかったのか、少年はけげんな顔をした。

「――バトルぐらいなら、してもいいと言ったんだ!」

 少年に背を向け、さっさとバトルフィールドの片端の、トレーナーの定位置へと歩を進めながら、ミオはぶっきらぼうに言った。

「やたっ! ……ありがとう!」 少年は嬉しげにガッツポーズを取ると、負けじともう片端へと走る。

「ルールは?」 ミオは少年のほうへ向きなおり、気合を入れるように手袋をぎゅっ、とはめなおしながらたずねた。

「シングルで6vs6のフルバトルでいいかな? 野試合だし、後はなんでもありで!」

 ミオがうなずくと、「よっしゃぁ!」と、少年は満面の笑みを浮かべ、ボールを投げた。

「行けぇ! ジンライっ!」
「行け! ミナミ!」

 次の瞬間、ボールから飛び出したライボルトとキノガッサは、青と緑の閃光となってぶつかり合った。

 

 

(……なかなかやる!)

 ミオは、続けざまに指示を出しながら、最近なかなか感じることのない、心地よい緊張感を感じていた。

 少年はもう、昨日のようにしゃにむに力押しで突っ込んで来るような隙は見せない。彼女のパーティのうち4体をすでに目にして、ある程度手の内を読んでいるにしても、こちらに合わせ的確に対応してくる、少年のトレーナーとしての腕は、かなりのもののようだ。ポケモンの育てもいい。倒すには、全力が必要だろう。

(――そんな相手でなければ、倒す価値などない!!)

 鼓動が一段と早くなり、熱い高揚感が全身を駆け抜ける。ミオは、巨大な獲物に挑む狼のような笑みを浮かべた。

 

「やっべぇ! ――もどれ、オスカル!」

 サトルは舌を巻いた。

 ボスゴドラ、ラグラージ……彼女のポケモンには、比較的動作の遅いとされている種類が多い。しかし、彼女の指示の早さと的確さは、その遅さを相殺してあまりあるものだ。そして、多彩な技を駆使し、弱点を逃さず矢継ぎ早に突いてくる攻めのバトルスタイルは、彼に反撃の余裕を与えない。

(……厳しい! でも、――楽しい!!)

 全力を振り絞るぎりぎりのバトルの緊迫感に背すじがぞくぞくし、武者震いと同時に笑みがこぼれる。

「やっぱ、バトルはこうでなくっちゃ! ……行け! ボッコ!『サイコキネシス』!」

 

 

 予想よりもバトルは拮抗した。

 長時間に及ぶバトルで、互いのポケモンはすでにほとんど倒れ、ミオの手持ちで残っているのはHP半減りのボスゴドラとラグラージの2体、少年はといえば、すでに一体しか残ってはいない。しかしその一体――ジュカインが問題だった。

 多少のダメージを受けているとはいえ、草系ポケモン中でも指折りの敏捷性を誇るその素早さはまったく落ちておらず、先ほどから、ミオのボスゴドラは、その動きに翻弄され続けている。当たれば大ダメージを与えるだろう「アイアンテール」も軽々とよけられ、「リーフブレード」を警戒すれば、背後にひっつかれて「すいとる」でちまちまと体力を回復される。

 このままではジリ貧だ。ミオは唇を噛んだ。なんとかして「れいとうビーム」でも喰らわせられれば倒せもしようが、その技を持つもう一体――地面と水タイプをあわせ持つラグラージを出そうものなら、「リーフブレード」どころか「すいとる」でも一撃でダウンだろう。

 今までの攻防を思い返し、ふとミオは気づいた。相手のジュカインの技は「リーフブレード」のほか、直接攻撃タイプのものばかりだった。「ソーラービーム」や「タネマシンガン」といった間接攻撃技がないなら――

(――行けるか?!)

「プル!」ミオは、ジュカインにまとわりつかれて四苦八苦しているボスゴドラに声をかけた。
「ぶん投げろ! そいつを、思い切り遠くへ吹っ飛ばせ!!」

「投げ技なんか効くもんか! ……ジュナ! 華麗な着地、見せてやれ!」

 その通り、先ほど投げを試みた時には、地面に叩きつけられるどころか、樹上を跳び回って生活するキモリ系独特の身軽さで、見事にふわりと足から着地し、まったくダメージを与えることはできなかった。
 今回も、先ほどと同じように……いや、飛距離がある分、さらに優雅にジュカインは宙に舞った。くるりと身をひねり、着地の態勢を整える。

 ――しかし今回は、目的が違う!

 流れるような一動作でボスゴドラを戻し、ラグラージを繰り出す。ジュカインが宙に舞った次の瞬間には、既にミオはラグラージに指示を出していた。
「ゴビー! 『れいとうビーム』!  おまえなら、――」

 投げ飛ばされたジュカインが着地し、駆け戻ってくるまでに2(ターン)とかかるまい。しかし、それだけあれば……!

「――あいつが仕掛けてくる前に、倒せる! 避けるな、撃ち続けろ!」

 いくら素早いジュカインでも、直接攻撃技しかなければ、接近して技を繰り出すまでに隙ができる。なるべく間合いを稼いでおいて、接敵するまでに遠隔攻撃で倒す、それが彼女の作戦だった。

(そっちか!)

 作戦を悟った少年が舌打ちをする。しかしラグラージも、「れいとうビーム」を撃っている間はむやみに動けないはずだ。

「突っ込めジュナ! お前ならいける!!」

 少年の指示通り一気に突っ込んでくるジュカイン目掛け、ラグラージは「れいとうビーム」を放った。ジュカインの鼻面が、頭が、顔面をかばう前肢が、見る間に真っ白い霜で覆われてゆく。しかし、凍てつきながらもジュカインはラグラージめがけ突っ込み、勢いに乗せ「リーフブレード」を放った。

 二体が交錯した次の瞬間――

 ――倒れたのは、「リーフブレード」を受けたラグラージだった。

「くっ……!!」

 歯噛みしたミオだったが、ラグラージを倒したジュカインも無傷ではいられなかった。上半身を霜が固まった氷でびっしりと覆われ、動きが取れずもがいている。

 とはいえ、ジュカインはまだ立っている。「ポケモンの体力が無くなるか、相手が降参するまで」がルールだ。今ならボスゴドラと言えども、攻撃を外すことはない。彼女はラグラージを戻し、ボスゴドラのボールをゆっくりと手に取った。

「ちょ、ちょっと待ったぁ! 降参だ、降参! オレの負けだ!」

 少年があわてて駆け寄ってくる。緊張の糸が切れ、ミオは詰めていた息をほっ、と吐き出した。

 ……おかげで、氷付けになっているジュカインにとどめの一撃を加えずにすんだ。
 強い相手を打ち負かすのは好きでも、倒れる寸前の相手を不必要に痛めつけたくはない。……例え、自分の手持ちでなくてもだ。

 すっ飛んで来た少年は、じたばたしているジュカインの顔の氷を慌てて払い落とし始めた。どうやら、鼻も口も氷付けになって呼吸ができないらしい。それに気付いたミオも、急いで駆け寄り、氷を払い落とすのを手伝った。

 

 顔にびっしりとこびりついた氷がやっと割れ落ち、ジュカインは、ぷはあ、と大きく息をつき目をしばたたいた。

 「大丈夫?」と心配気に声をかけた少女が、自分のトレーナーと一緒に氷を払い落としてくれていたことに気が付き、ジュカインはひょいと少女の顔のまん前に頭を下げた。目を見開き、口を大きく開けて「ジェーッ!」と一声鳴く。

 「あ、こら! ジュナ!」

 サトルはあせった。陽気なジュカイン本人にしてみれば、おどけ顔で思い切り愛嬌を振りまいているつもりだろうが、各地方の御三家進化系の中でも一、二を争う人相の悪さ、と呼び声も高いジュカインにこんな真似をされれば、大体の人間(飼い主以外のトレーナーを含む)は引いてしまう。

 しかし彼女の反応は、彼が予想したものではなかった。

 口元がほころび、温かいまなざしがジュカインに向けられる。
「大丈夫みたいだね。……お茶目な子!」

 その瞬間の、優しい笑顔。
 鋭い怒りのまなざしでもなく、バトルの間の精悍な表情でもない、やわらかな表情。彼のもう一度見たかったのは、この笑顔だった。

 

 ミオは、人懐こいジュカインをなでてやりながら改めて観察した。

 こんなに間近でジュカインを見るのは初めてだった。ユッカかパイナップルの葉のような、尖った丈夫そうな深緑の葉がびっしりと並んだ尾。体を覆うのは、鮮やかな草緑色と緋色の繊細でなめらかな鱗……それとも、ひょっとするとこれも、細かくつややかな葉っぱなのだろうか。

 いずれにせよ、その生き生きとした色艶は伊達ではない、とミオは感嘆した。単にコンテスト向けに上っ面を手入れされているだけのポケモンではない。それは、体調に注意をはらい、手塩にかけて世話をされている健康状態の良さが表面に現れたものなのだ。

「……昨日勝ったからって、ちょっと見くびってたかな。ポケモンだって、すごくよく育ててるし」

「とんでもない! そりゃこっちのセリフだよ」 少年は頭をかきかき言った。
「指示が確実で速い上に、ポケモンもパワーがあるし。やっぱり強いや」

 会話がとぎれた。穏やかな静けさの中、ジュカインがなでられながら心地よげに低くのどを鳴らす音だけが響く。

 

 その穏やかさに勇気付けられたように、少年が口を開いた。

「本当は、昨日キミが来てくれたときにも、謝ろうと思ったんだ。そしたら、なんかあちこちアザだらけになってるし、……オレのせいで、ボスゴドラにふっとばされたからだと思って、ギョッとしちゃってさ。なんか、うまく言えなくなっちゃって」

 ミオは一瞬、虚をつかれた。ほろ苦い感情を噛み締める。

(そうか。……そうだったのか。……敬遠されていたわけじゃ、なかったんだ)

 重くのしかかっていた空虚さが、すうっとどこかへ消えてゆく。

「あんなの、怪我のうちに入らないよ。
 プルが、……あ、あたしのボスゴドラだけど、この子がコドラに進化したてのころなんか、身体が格段に大きくなったのに、感覚がまだつかめないもんだから、あの体重で思いっきり飛びついてこられたりして、遊んであげるのなんか、もう、命がけだったんだから!」

「ひえー! そりゃ大変そう……!」

 他愛もない会話を交わせる、そんなことが何故かほのかにうれしかった。

 

「やれやれ、それにしても、」少年が、苦笑いを浮かべる。「結局、また負けちゃったかぁ。……いいとこなしだ」

「ううん。こんないいバトル、ひさしぶりだった」 素直な感想が、すっと出てくる。

「……ええと、それじゃ、さ。」

少々照れくさそうな笑みを浮かべながら、少年が言った。
「やっぱ、もうちょっとましなとこ見てもらいたし、やっぱり、しばらく、キミにくっついて一緒に行っても、いいかな?」

「……いいよ」

 満面の笑みを浮かべた少年を横目に、半ば冗談めかして付け加える。
「このところ、雑魚の相手はあきあきしてたんだ。このくらいのレベルなら、練習相手にはそこそこ歯ごたえありそうだし。
 後で、君のザングースも見せてくれる?」

「もちろん! ……ああっと、でもさ、その」

 少年は、苦笑しながら続けた。

「オレ、どうもちょっとやることが抜けてるから、もしかしたら、また、怒らせちゃうかもしれないけど、……そんときは、遠慮なくぶっとばしてくれたっていいよ。
 でも、もしできれば、……せめて、グーじゃなく、パーにしてくんないかな。キミのパンチ、結構痛かった」

 とたんにミオは、妙なおかしさの発作に襲われた。こらえようとしても、笑いがこみあげてくる。あわてて下を向き、せきばらいでごまかしたが、一度笑ってしまったら、もう怒り続けることはできなかった。

 

「も一度チャンスをくれて、ありがとう!」

 満面の笑みを浮かべる少年に、ミオは、黙って首を振った。

(……もう一度のチャンスをもらったのは、あたしのほうだった)

 


 

 高く上った日が、ポケモンセンターの床をまぶしく照らす。

「……んじゃ、このハブネーク、そのままもらっといてもいいんだね」
「その代わりザングース、遠慮なく一番強そうな子選ばせてもらうからね」

 アオイは、回復装置のモニターから目を上げて頬を緩めた。

 結局何がどうなったかはともかく、昨日の二人はしっかり仲直りできたらしい。 昨日とはうって変わった明るい表情で、楽しげに語りあっている。朝からバトルでくたくたになったポケモンの回復を待ちながら、交換するポケモンの品定めのようだ。

「この子が一番ガッツがありそう……おっと!」

 彼女の手持ちのハブネークの匂いを嗅ぎ取ったのか、毛を逆立て爪をむき出すザングースたちをいなしながら、少女は楽しそうに1匹を選んだ。

「そいつはタビー。かわいがってやってくれよなっ! ――戻れ! リッキ、ティッキ!
 ……そうそう、オレ、タネボーとクチートも持ってるんだけど、ハスボーとかいたら、交換してくんない?」

 

 ひとしきり交換が終わった頃、ちょうど回復装置のタイマーが切れた。

「おまちどうさま! 今日の天気予報によると、119番道路方面は、夕方大分荒れるようだから、二人とも、気をつけていってらっしゃい!」

「どうも、お世話になりましたぁ!」
「……ありがとうございました」

 人懐こい笑顔の少年は脱いだ帽子を振って挨拶をし、銀髪の少女は丁寧に会釈して、そろってポケモンセンターを出て行った。

「結果OK、これにて一件落着、ってとこかしらね。 ……?」

 アオイが何気なく眺める目線の先で、少女はふと悪戯っぽい表情を浮かべ、少年に一声かけたかと思うと、手入れの済んだマッハ自転車に素早くひょいと飛び乗ってさっさと走りだした。くたびれたダート自転車で慌てて追いかける少年を振り返り、楽しげに笑いかける。

「……あらあら」

 アオイは、きょとんとする助手のラッキーのかたわらで、苦笑しつつ溜息をついたのだった。