ぼくは、月を見ていた。 その月は、赤く、赤く、ありきたりな言葉で言えば… まるで「血に染まったような」色の月だった。 本当に、本当に、傷を負ってボロボロになって血を流しているみたいに。 …今のぼくみたいに。 …このまま月に連れてって欲しい。僕は、そのときそう思った。 「FLY ME TO THE MOON」 ぼくは、捨てられたんだ。 弱くて、負けてばかりで、いつも傷だらけなぼくは。 ぼくの飼い主は、ぼくのことをいつもがっかりしたような目で見ていた。 どんなにぼくががんばっても、どんなにぼくが一生懸命に戦っても。 ぼくのことを、ゴミを見るような目つきで見ていた。 なんでぼくはこんなところに居るんだろう。 なんでぼくは生きているんだろう。 なんてぼくは価値が無いんだろう。 なんども、なんども、そう思った。 それで、いつしかぼくはずっと使われることがないまま「数合わせ」のためにぼくは連れられていた。 でも、今日はやっと出番が来た。 でも、それは最後の出番だったんだと思う。 ぼくが目を開けると自分よりもずっと大きい相手が目の前に居た。 そして、飼い主はぼくにこう言った。 「時間を稼げ」 …気がついたら、ぼくは腹を切られて…頭を殴られて…キゼツしてしまった。 その後、ぼくは飼い主がどうなったかは知らないけど、辺りは血みどろになっている。 ぼくの血だけじゃないきがする。 そして、今は夜だ。 ぼくは、地面に倒れている。 上を向いている片方の目で、ぼんやりとかすむ意識で、月を見ている。 ぼくは、ここで死ぬと思う。 別に、それは、かまわない。 ぼくを必要とする人は居ない。 ぼくが好きな人も居ない。 …そう思ったとき、なぜか知らないけれどぼくは涙が出てきた。 ただでさえぼやけている月がますますぼやけていく。 でも、赤い月はまだそこに居る。 まるで、ぼくを慰めてくれるように。 ほんとうは、きずついて動けないだけかもしれない。 けれど、ぼくはそう思いたかった。 …ふと。 ぼくの視界に入っていた月が突然隠れる。 …逆光で顔はよく見えないけれど、どうやら人間だと思う。 飼い主だろうか? …いや、違う。 その人間はぼくにこう言った。 「…今宵の月は…美しい…な…」 その人間は、近くのちょうど人が座るのに適した、 そしてぼくの視界に入る場所に座った。 …背中に背負った木箱をいすにして。 何をしにきたんだろうか。 …いや、ぼくにはどうでもいいことだ。 どうせぼくはここで死ぬんだから。 そう思ってると、その人間はぼくの傍によってきた。 …そして、ぼくのことを抱き上げる。 「…一つしかない…ものは簡単に…捨てるもんじゃ…ない…」 その人間はその木箱の引き出しの一つから変な丸い物を出して、ぼくの口に入れた。 もちろん、抵抗する気力などないぼく。 そして、竹の水筒に入った水をぼくの口に含ませた。 口に入れられた丸い物を飲み込まされたんだ。 そして、次にその人間は先ほどとは木箱の別な引き出しから、細長い布を出して ぼくの怪我したところに撒いていく。 …ぼくを助けようって言うのだろうか。 そんなことを考えているとぼくはだんだん眠くなってきた… ぼくの意識は闇の中にひきずりこまれていった… … …… 次に目を開けると、そこは小屋の中だった。 …小屋、というよりかはあばら家…納屋…そんな感じがしっくりくる場所だった。 どれくらい眠っていたんだろうか。 夜だ。 多分、前に起きていたときとは違う夜。 「おきた…か…」 格子から射す月の光を浴びたその人間。 今日の月は、銀色だったが、その人間の髪もまた月のような色だった。 そして、その瞳は紅い。昨日の月のように。 ぼくが言うのもなんだが…「人間ではないような」その白い肌と真っ白な着物がなんともあっている。 「…しばらくは…動くな…」 その人間は、ぼくの目の前に白いものが入った皿を持ってくる。 少し臭いを嗅いでみる。 顔を上げてみる。 もう一度臭いを嗅いで見る。 もう一度かを上げてみる 「…食べて…大丈夫だ…」 おそるおそるぼくは口にしてみる。 甘くて…おいしい。 なんだか解らないけれど、ぼくはお腹は空いていたのであっという間に平らげてしまった。 その間、目の前でぼくのことをずっと見ている。 ぼくが食べ終わると、そいつは、皿を片付けてまた格子の傍に行き月を見上げる。 ぼくも、そうしているそいつを見る。 「…できることなら…月に連れて行って…欲しいものだな…」 そいつは、一言そうつぶやく。 ぼくは、その意味がよくわからないが、つられてぼくも月を見る。 昨日の月はまだ満月ではなかったんだろうか。 その月はちょうど丸い。 そんな月を見ながら僕はまどろんでくる。 …それからというもの、ぼくはしばらく月色の髪の人間に世話をしてもらっていた。 そいつは、ぼくになぜそんなことをしてくれるのかわからない。 ぼくみたいな、無価値なものに。 ぼくは、別に生きたくないのに。 そんなふうに思うときに限って、そいつは 本当に稀だが…微笑みかけてくる。 そして、ぼくはなぜかその表情を見るとそんなことをわすれてしまうのだ。 しかし、毎晩欠けていく月を見ている時の表情はなんというか…淋しそうに見える。 新月の日だけは、夜になるとなぜかぼくの前から消えて、ぼくが目が覚めると戻っていた。 そうこうしているうちに、また月は丸くなっていく。 大分動けるようになったぼくは、あいつの後について小屋の周りの森を歩いたりしていた。 どうやら、こいつは薬師というやつらしく、森の中を歩き回っては薬草なんかを集めていた。 で、たまに食べれるのや、食べちゃいけないのを教えてくれたりなんかもしてくれた。 …たまに変なものを食べさせられたりしてからかわれたりもしたけれど。 そのときは、ぼくは怒ったけどそいつには大笑いをされてしまった。 でも、不思議といやな気分ではなかった。 …しゃべり方とか、見た目とかは変だけど、あの飼い主とはぜんぜん違う。 優しい…というのはこういうことを言うのかもしれないな、とぼくは思った。 月の丸くなったある晩。 月明かりに照らされたあの小屋の前。 「…大分…治ってきた…な…」 ぼくに巻かれた布を外しながらそいつが言う。 傷の辺りを見てみる。 …すこし痕は残っているけれども、ほとんどふさがっている。 「…いい…みたいだな…それじゃ…そろそろお前…いきな…」 …なぜか、そういわれたとき僕はこう思ってしまった。 この人間と一緒に居たい。 ぼくは、首を振る。 どうしてか、そういう気分になったのだ。 「…いか…ないのか…?」 ぼくはうなずく。 「…そう…か…」 そいつは、悲しい表情をする。 ぼくがいるのが迷惑なんだろうか。 …いや、よく考えてみればそうに決まっているのだ。 ぼくは、居る意味のない荷物なのだから。 「…そんな風な…目をするな…お前を…そんなふうには…思わん…」 そいつは、月を見上げながら言う。 …? では、なぜそんなふうな表情をするのだろうか。 「…俺も…お前みたいに…見放されたんだよ…俺にとって…頼れる人にな…」 そいつは、ぼくの心を見透かすようにしゃべる。 「その時…いっそ…月に連れてって欲しい…そう思った…」 … 「お前の…そういう目を見ていると……俺まで悲しくなってくる…」 … 「…何を…言ってるのだろうな…俺は…」 ぼくは、また、なぜか涙がこぼれてきた。 同じなのだ。 月とぼくの目が写るこいつの目。 …その目は、どこかあきらめていて、闇に染まっている。 月は写っているようで写っていない。 …同じなのだ。 「…来るか…俺と。」 ぼくはうなずいた。 どこに行くかはわからない。 けれど、ぼくはこの人にならついていっていいと思った。 「…そう…か…」 すこし、そいつは微笑った。 「月まで…行くことに…なるかもしれんぞ…?」 またぼくはうなずいた。 どこまでも行ってやるさ。 月までいければ本望だ。 そいつは、木箱を背負うと月明かりに照らされた夜の道を歩き出す。 ぼくも、その後に続く。 月は…僕達をそこまで連れて行ってくれるのだろうか。 fin (BGM:FLY ME TO THE MOON)