ポケットモンスター大紀行 〜バタフリーの旅立ち〜 カチッ、カチッ、と1秒ごとに枕元の時計が鳴っている。 その音が気になってどうしても寝付けない。 明日に備えて早く寝なくちゃ、と思うのに、 そういうふうに焦れば焦るほどかえって眠れない。 もう夜中の2時くらいにはなっているんじゃないだろうか。あと何時間眠れるんだろう。枕元の時計を見るのが怖い。 眠ろうとする努力を続けるのに飽きて僕は目を開けた。目の前には見慣れた天井がある。 ベッドから身を起こして、枕の上の窓枠に置かれたプラスチック製の四角い目覚まし時計を見た。 2時にはまだ15分足りない。 カチッ、カチッ、と、時計は規則正しく鳴っている。その度に少しずつ明日は近づいてくる。 僕はカーテンを少し開いて、窓の外を覗き込んだ。 どの家の灯りも消えている。道端の街灯だけが光っている。朝はまだ遠そうだ。 僕は寝るのをあきらめて、布団から出てベッドの上に座り込み、そうしてしばらく自分の部屋を眺め回していた。 右を見ると窓。正面には本棚。左を見ると勉強机。上を見ると天井。 7つの時に自分の部屋を持ってから、5年間お世話になったこの部屋とも、あと8時間ほどでお別れだ。 よいしょ、と立ち上がって、勉強机の方へと歩いていく。 机の上には、端っこの方にモンスターボールが一つ置いてある。 そのすぐ横の壁には、ハンガーで明日の着替えがかけてある。 僕はそのモンスターボールを手にとって、じろじろとそれを眺めた。 野球ボールほどの大きさの、赤色の部分と白色の部分が半分ずつのボール。 この中に犬ほどの大きさもあるポケモンが入っているかと思うと、とても不思議な感じがする。 僕はそのモンスターボールを放り投げた。 ボールが床につくと、ピカッとまぶしい光が部屋を包み込む。 急に強い光を見たせいで少しの間目の前に光の海が溢れ、何も見えなくなったが、 そんな中、「きゅうんっ」という鳴き声が耳に届く。 だんだん視力も戻ってきて、部屋をうっすらと照らす暖かい光が見えてきた。 やがて、しっぽに火のついた恐竜のような姿をしたポケモン、ヒトカゲの姿がはっきり目に映った。 僕のヒトカゲ、”ザード”は、きゃっきゃっと声を上げて、僕の足元に近寄ってくる。 「しーっ。静かに、ザード」 僕は口の前に人差し指をたて、小声でそういってザードに指示した。 ザードはうなづいて、口をつぐんだ。 首すじをなでてやると、ざらざらとしたうろこの触感がある。 目を細めて嬉しそうにしているザードを見て、僕は明日からの自分たちのことを考えた。 ―――明日からはザードといっしょに、どんな旅が始まるんだろう? 僕はザードから目をはなして、カーテンのかかった窓の方を見た。 急に外に出てみたくなった。少し散歩でもしてきた方が、寝付きやすくなるかもしれない。 ザードがいれば、夜道でもそれほど危険ということもないだろう。 僕はハンガーにかけてあった上着を羽織り、右腕に腕時計をつけて、もう一度ザードに静かにするようにと合図して、 母を起こさないよう、静かにドアを開けて、そろそろと階段を降りていった。 ザードも僕のマネをして、そろそろと階段を降りていく。 階段から玄関へと続く廊下、特に母の寝室のドアの前では、 僕とザードは音を立てないようにひときわ注意して、抜き足差し足で通り過ぎた。 ギ…… 僕は玄関を開けて、外に出た。 肌寒い空気に震えながら、僕は空を見上げた。 一面の星空に、満月がこうこうと輝いている。 庭を見渡すと、あちこちに草が生えている。そろそろまた草取りをする必要がありそうだ。 堀を隔てて向こうは畑だ。きれいに手入れが行き届いているその畑には、まだ作物の芽吹く気配はない。 畑の向こうにはウィリアムズさんの家がある。電気はもう消えている。 僕とザードは玄関から左に曲がり、飛び石を伝って、家の前の車一台分の幅の舗装された道に出た。 僕はその道をまた左に曲がって、軽い上り坂になっているその道を進んでいく。 「ザード、少し前を行ってくれ」 「きゃうっ」とザードは返事をして、言われたとおり僕の少し前に出て進んでいく。 ザードのしっぽにともる炎の明かりを頼りにして、僕は進んでいった。 家のすぐ前の道脇に立っている街灯の明かりの中を、何匹ものガが飛び交っている。 道を進んで左には家が多く、右には畑が多い。 お隣のサトーさんの家の厩舎の中で、3頭のケンタロスがいびきをかいているのが見えた。 3本のしっぽをもつ、闘牛用の牛のような姿をしたポケモンだ。 トラクターやコンバインを使う人が増える中でも、サトーさんはいつまでも相棒のケンタロスたちといっしょに畑を耕している。 その道をずっと歩いていくと、やがて二車線の道路に行き当たった。 ヒトカゲが立ち止まり、僕の方を向いた。どちらに進むべきか、指示を求めているらしい。 僕はどうしようかと、辺りを眺め回した。 その道路の向かい側には街灯が規則正しく並び、その向こうは真っ暗な林だ。こっちの側には民家や商店が並んでいる。 この道を右に曲がると一番道路へと続いていて、一番道路は隣町のトキワシティへと続いている。 明日、僕たちが通っていく道だ。 正面の林に、小さな階段があるのがうっすらと見えた。 ここしばらく行っていないけれど、その先には神社があるはずだ。僕はそこに向かうことにした。 車がくる気配はなかったけど、一応左右を確認して、僕たちは道路を渡り、その階段をのぼり始めた。 石でできたその階段は急で、先のほうは暗くてよく見えない。 真っ暗な林の中から、いろいろな生き物の鳴き声が聞こえてくる。 森に独特なにおいが漂い、ザードのしっぽの炎に照らされて見える両脇の茂みには、いろいろな草花が生い茂っているのがわかる。 ついこの間まで冬だと思っていたのに、もうすっかり春になっている。 ザードは前足も使いながら、よいしょよいしょと石段をのぼっていく。 炎の光に誘われて両脇の茂みから出てくる虫を追い払いながら、僕はザードについてのぼっていった。 50メートルほどのぼって、僕たちは石段をのぼりきり、小さな鳥居をくぐって、その神社の境内へと入った。 ザードの炎が、周囲の様子を照らし出す。 神社は僕たちの通ってきた階段の他にも、車も通れる道で町とつながっていて、 近くには神主さんの家やちょっとした駐車場もあり、境内はよく手入れされている。 真夜中の神社は静かだった。 境内の中には月と、ザードのしっぽの炎のほかに明かりはない。 風はなく、暗がりの中木々はしんと静まり返っている。 僕らは駐車場の方へと歩いていった。さいせん箱や鈴、おみくじの自動販売機が見える。 駐車場には軽トラックが一台だけ止めてあった。 この辺りは高台になっていて、山の下に続く町並みが見渡せる。 すぐ下の方には僕の家があり、そのずっと向こう側には中心街の灯りが見える。 田舎町のマサラタウンでも、港の周りでは夜でも賑やかだ。 さらにその向こうには真っ暗な海が広がっているのが見える。 その海のさらに向こうにはグレン島があるはずだけど、さすがにそこまでは見えない。 ―――マサラタウン。僕の生まれ育った町。 明日、僕はザードといっしょにこの町を旅立ち、ポケモントレーナーとしての修行の旅に出る……。 しばらくその景色を眺めた後、僕は家に帰ろうと、駐車場から続く二車線の道路を降りていった。 さっき上ってきた階段を降りていくよりもだいぶ遠回りになるが、この道からも家には帰れるはずだ。 30メートルほどその道を歩いていくと、ザードがふと立ち止まって僕の方を見た。 「どうした?」 そうたずねると、ザードは顔を左側の林の方に向けた。 その方向を見ると、林の中へと伸びている舗装されていないわき道があった。 今まで知らなかった道だ。その先には何があるんだろう? 冒険心がうずく。けれど時間が心配だ。 僕は右腕につけた腕時計を見た。蛍光塗料の塗られた針は暗闇の中で2時25分を指している。 どうしよう、行ってみようか……。 ……よし、もうこうなったら睡眠時間が1時間になっても構うもんか。 僕はその道の方を指しながら、ザードに向かって言った。 「行こう、ザード」 「きゃうっ」とザードは返事をして、その道の方へ駆けて行った。 僕も走って、ザードについていく。 真っ暗な林の中の道。ザードの炎に木々や茂みが赤く不気味に照らされる。その奥はただ暗い。 ときおり鳥だろうか? 何か動物の鳴き声がする。 その道をしばらく歩いていくと、木々が少なくぽっかりと空いた空間に行き当たった。 そこに誰かがいた。 白衣を着た白髪のおじいさん―――僕はその人に見覚えがあった。 もしかしたら…… 「オーキド博士?」 僕はその人に声をかけた。 すると、その人は振り向いた。 しっかりした眉に、低い鼻。いかめしい顔つきながらどこか優しさをたたえた目……。やっぱりオーキド博士だ。 マサラタウンに住んでいる、世界的に有名なポケモン研究者で、テレビにもよく出ている人だ。 なんでこんな所にいるんだろう? オーキド博士は口の前に人差し指を立てて、 静かにするように、と僕に向かって合図をした。 何かマズいことしたかな……、少しあせって口をつぐむと、博士は今度は手招きをする。 それに応じてそばに寄ると、博士は手に持っている、 赤色のセロハンが張られた懐中電灯の光で、林の中を指し示した。 僕とザードはその光の照らす場所を見た。 懐中電灯の赤い光が照らしているのは、一本の木の幹についた、大きなさなぎのような虫ポケモン―――トランセルだ。 そういえば、夜中に虫を観察するときは、虫には見ることのできない赤い光を使うと、どこかで聞いた事がある。 赤く照らされたそのトランセルの姿をよく見ると、背中の辺りにヒビが入っている。 僕は目をぱちくりさせて、博士の方をむくと、博士は笑顔でうなづいた。 トランセルの背中のヒビは次第に増えていき、やがてその殻をつき破って、 大きな蝶―――バタフリーがその姿を現しはじめた。 まず背中、次に頭、触覚……。 胴体が全て出てくると、次は大きな羽を殻の中から出し、広げはじめた。 最初はふにゃふにゃな羽が、だんだんとピンと丈夫そうに広がっていく。 羽を広げ終えると、バタフリーは頭を数回、何かを振り払うように振って、 そのあと、ゆっくりと羽ばたき始めた。 羽ばたきの速度は次第に速まっていき、ばさっ、ばさっ、と音がし始め、風が僕たちの方にまで届くようになる。 やがて、バタフリーの体は木の幹から離れ、星空へと飛び上がっていく。 後にはトランセルの抜け殻が残った。 飛び上がったバタフリーは、その後もずっと僕たちの頭上を飛び回っている。 夜空にはこうこうと満月が輝いている。 すると、辺りに甘い香りが漂い始めた。 なんだろう、と思いながらバタフリーの姿を追い続けていると、林の周りから1匹、また1匹と新たなバタフリーが飛んできて、 そのバタフリーの周りに集まってきた。 バタフリーたちの数はみるみるうちに増えていき、いつの間にやら10匹近くになったバタフリーが、 満月の輝く星空の中を乱れ飛んでいる。 時々、バタフリーたちの羽から落ちたりんぷんが、月の光を反射してきらきらと輝いている。 僕はその神秘的な光景に、しばらくのあいだ目を奪われていた。 ふと、ザードの方も見ると、ザードもまた目を丸くして、その光景を見つめている。 「長い旅の始まりだよ」 オーキド博士がいう。 どういうことなのか、と博士の方を向くと、博士は頭上を舞うバタフリーたちの方を向いて、続ける。 「彼らヒメリアゲハ亜種のバタフリーたちは、ああして集まったあと、季節風に乗って海を越え、中国やロシアにまで飛んでいくんだ」 僕はもう言葉もなく、バタフリーたちの姿を眺めていた。 明日から、彼らもまた長い旅を始める……。 その後、あの石段を暗い中降りていくのは危ないから、といわれて、 僕は神社にとめてあったオーキド博士の軽トラックに乗せられて、帰路についた。 僕はザードの入ったモンスターボールを手に持って、助手席に座っていた。 「君は、明日旅に出る子かい?」 オーキド博士が尋ねる。 僕は博士の方を見て、「はい」とうなづいた。 すると、続けて博士がたずねてきた。 「どうしてあんなところにいたんだい?」 そう聞かれて、僕は答えにつまった。 どうして、といわれても……。 「えっと……、なんだか急に行ってみたくなって」 答えになってない答え。 けれど、博士はどういうわけか、妙に納得したような顔でうなづいていた。 軽トラックはやがて僕の家の前についた。 僕は博士にお礼を言って、家の中へ戻ろうとした。 「ちょっと待った」 後ろから博士の引き止める声。僕は振り返って、博士の方へ戻った。 「これを君にあげよう」 そういって博士は、白衣のポケットの中から何やら電子手帳のようなものを取り出し、僕に手渡した。 これは……。 「最新型のポケモン図鑑だ」 僕は目を丸くして、博士の方を見た。 ポケモン図鑑―――これをポケモンに向けると、自動的にその生体反応を読み取って、 そのポケモンのデータを呼び出す、ハイテクマシンだ。 「そんな……、いただけませんよ! こんな高価なもの……」 「いいんだよ。受け取ってくれ」 本当にいいのだろうか……。 僕はそう思いつつ、しげしげとそのポケモン図鑑の赤いボディを眺めた。 「開いて、中を見てみなさい」 博士が言った。 言われたとおり、僕は図鑑をパカッと開いて、スイッチを入れた。 バッテリー表示のランプが灯り、液晶に図鑑のメニューが表示される。 「あれ……?」 メニューを見た僕はあっけにとられた。 No.001 ---------- No.002 ---------- No.003 ---------- No.004 ---------- ……… 本来、ポケモンの名前がびっしりと並んでいるはずのそこには、何のデータも書き込まれていない。 どういうことなのか、と博士の方を見ると、博士はふふっと笑って、言う。 「図鑑と、君のヒトカゲの入ったモンスターボールを貸してみなさい」 言われたとおりに、僕は図鑑とザードのモンスターボールを渡す。 すると博士は、図鑑の正面にボールの開閉スイッチを向けた。ピッと電子音が鳴った。 博士はボールと図鑑を僕に返す。 「もう一度、図鑑のメニューを見てみなさい」 僕は図鑑のメニューをもう一度見た。 すると、さっきは空白だった、「No.004」の箇所に、「ヒトカゲ」の文字があった。 目をぱちくりさせて、また博士の方を向くと、博士はにっこりと笑って言う。 「見ての通り、その図鑑にはまだ何のデータも書き込まれてはいない。  だが、君が旅の中で新たなポケモンと出会い、モンスターボールで捕獲するたびに、  自動的にそのポケモンのデータが新しく書き込まれるよう、設定してある」 僕は、空白のナンバーが並んだポケモン図鑑のメニューを、もう一度じっと見た。 画面を下にスクロールさせてみると、どこまでもナンバーは続いている。 そうしてしばらく真っ白なポケモン図鑑の画面を見ているうちに、 僕は次第に、押さえきれないほどの震えが、体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。 ―――この図鑑を………埋めてみたい! 「私が確認しているだけでも、国内だけでポケモンの数は380種を超える」 僕は博士を見た。 博士は僕をしっかりと見据え、言った。 「……挑戦してみるか?」 「はい!」 力強い返事が、胸の奥から自然に吐き出された。 僕は自らの強い決意を示すべく、博士の目をしっかりと見た。 そんな僕を見て、博士は嬉しそうに笑っていた。 そのあと、僕とオーキド博士は、明日から始まる旅のことや、 ポケモンのことについて少し話をした後、博士は帰路についた。 僕は博士にもう一度お礼を言って、軽トラックに乗った博士を見送ることにした。 ドドドドドドド…… 軽トラックのエンジン音が鳴り響く中、博士は車のパワーウィンドウを開けて、 そこから頭を出して、僕に向かって聞いた。 「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。なんていうんだい?」 僕は待ってました、とばかりに、大きな声で答えた。 「レッドです!」 「そうか」と、博士はにっこり笑った。 「それじゃあ、レッド! 頑張れよ!」 ぶろおおおっ、というエンジン音とともに、軽トラックは走り出し、 マサラタウン中心街の方の、博士の研究所のある方へと走り去っていった。 博士は窓の中から出した手を、しばらくの間振っていた。 僕も博士の車が見えなくなるまで、力強く手を振り続けた。 肌寒い空気に震えながら、僕は空を見上げた。 一面の星空に、満月がこうこうと輝いている。 まだ朝は遠そうだ。 腕時計の針は3時を少し回っていた。 僕はあくびを一つして、家へと戻るため庭の飛び石を歩き始めた。 朝6時まで3時間。今度はよく眠れそうだ。 玄関の前まで来たとき、僕は振り返って、もう一度夜空を見上げた。 ―――明日からはザードといっしょに、どんな旅が始まるんだろう? ―――明日の今ごろ、僕はどこにいるんだろう? ―――その頃あのバタフリーたちは、どの辺りを飛んでいるんだろうか?   ポケットモンスター大紀行 〜バタフリーの旅立ち〜              −完− -------------------------------------------------------------------------------------------------- どうもっ、かなり久々の投稿となるタカマサです(^^; 考えてみればこのサイトの新設直後に「獣人物語」の改訂版プロローグを投稿して以来なんですね〜、いやはや(汗) この作品は、「ポケットモンスター大紀行」シリーズの第一弾となります(^^) このシリーズはもともと連載モノとして考えていたアイディアなんですが、 連載モノは「獣人物語」だけで手一杯ということで、読みきりシリーズとして続けていくことにしました。 今回の話はポケモン世界のリアリティに徹底的にこだわってみたのですが、はたして成功しているかどうか(^^; そういった点で少々実験的な作品といえますが、その分ちょっと物語自体の面白さが削られてしまったのではないか、と反省しています。 まだまだ未熟ですな(× 最近何かと忙しいですし、来年は私も受験生なので、次回がいつになるかわかりませんが、 どうか「ポケットモンスター大紀行」シリーズ及び、タカマサ作品をよろしくお願いしますm(^^;m それではまた〜。