この世は不公平である。  しかし、たとえ辛いときも“希望”を持ってさえいれば、この不公平な世中でも生きていくことができる。  私はそう思っていた。  というより、そう願っていた……。 『unfairness』  ある日、一人の女の子が私――黄色く縁取られた黒目。赤く、いぼいぼした身体。頭に一本、お尻に二本角を持つ。“いもむし”ポケモン、ケムッソ――に近付いてきた。  年は十歳くらいだろうか。茶髪を二つ結びにして、その上から赤いバンダナを巻いている。服装は赤い半袖シャツに黒いスパッツ。その手にはモンスターボールが握られている。彼女は私の目の前で立ち止まり、私を見つめ言った。 「…ケムッソってね、進化するとアゲハントになるんだよ。わたしね……アゲハントが欲しいの。…あなたもきっと…アゲハントになるよね?だからさぁ……友達になろう?」  初めてだった。普通人間は私を見た瞬間、 「気持ち悪い。」 「ちっ、ケムッソか…」  と反応する。だから今まで彼女のように自分から好んで近付いて来る人間はいなかった。まして「友達になろう?」だなんて……言われたことなどなかった。あまりに突然で夢かと思った。だが今起きていることが現実だと知り、嬉しかった。  その日私は女の子の“手持ち”となり、モンスターボールの中に入った。そして彼女の家に連れてかれた。 「ねぇねぇ。わたしね、今日ポケモン捕まえたの」  女の子の嬉しそうな声がボールの外から聞こえてくる。 「あら。それはよかったわねぇ」  彼女の…たぶん母親であろう女性の声が聞こえた。彼女と同じように声の調子からして嬉しそうである。母親は少女に尋ねた。 「それで、何を捕まえたの?」  少女は「へへっ」と笑いながら、私の入ったモンスターボールをバックから取り出す。私は「出ておいで」という声と共にボールの外に出された。女の子の母親は私を見ると……笑顔が消えた。そして呟いた。 「何でケムッソなんか……」  私には確かにそう聞こえた。 「お母さん、どうしたの?」  女の子は固まっている母親を不思議そうに覗き込む。 「あ…ううん、なんでもないわ。良かったわね」  と母親は引きつりながらも笑顔を取り戻す。女の子もつられて笑う。しかし私は気付いていた。母親の口は笑っていても、目は笑っていないことに。  夕方。女の子は私をモンスターボールから出して、色々なことを話してくれた。家族のこと、近所の友達のこと、好きなもの、嫌いなもの……色々話してくれたが、一番印象に残ったのは少女がアゲハントについて語っている時、目がすごく輝いていたことだった。よっぽどアゲハントが好きらしい。  話が一段落ついたとき、家のドアが開く音がした。 「あっ、お父さんだ。お帰り〜」  彼女の父親が帰ってきたらしい。彼女は父親を見るや否や、走っていって飛びついた。父親は飛び付いてきた我が子を愛しそうに抱きとめる。 「ただいま。今日はどうだった?」 「今日ね、わたし、ポケモン捕まえたの」  女の子は自慢げに話す。 「そうかそうか。それはよかったな」  父親は娘の興奮冷めやらぬ様子に笑顔を浮かべる。そして父親は尋ねた。 「それで?何を捕まえたんだい?」  女の子は昼間母親に見せた時のように、「へへっ」と笑いながら私の方を指差した。  私の姿を見て…父親の笑顔が消えた。 「……」 「お父さん、どうしたの?」  女の子は父親を不思議そうに覗き込む。と父親はそれに気付きすぐに笑顔を取り戻す。だが、 「…どうして…ケムッソを捕まえたんだい?」  と父親は女の子に尋ねた。顔は笑っているが、声が震えている。女の子は気付かないのか笑顔で話し始めた。 「わたしね、アゲハントが欲しかったの。でね、アゲハントはケムッソから進化するって聞いたの。だからね、この子を捕まえたの」  女の子の説明を聞いていた父親は、やさしい声で――まるで彼の内から滲み出る感情を隠すかのように――女の子を諭すような形で話し始めた。 「ケムッソはね、必ずアゲハントに進化するとは限らないんだ。そんなにアゲハントが欲しいのならカラサリスを捕まえてくれば……」  必死の説得。しかし、 「大丈夫。この子は絶対にアゲハントになるよ。だからこの子でいいの」  と女の子は笑顔で言った。  父親は「はぁ」とため息をついた。父親は右手の平でこめかみを押さえて俯く。説得が失敗したことで、ひどく落胆しているようだ。 「お父さん?大丈夫?具合でも悪いの?」  女の子は心配そうに覗き込む。父親はその視線を遮るように女の子の頭に手を置き、 「いや…なんでもない。大丈夫だよ。それよりもケムッソを大事に育てるんだよ」  と言って女の子の頭を撫でた。そして父親は笑顔を取り戻す。しかし父親の目はこちらを睨んでいた……。  その後も女の子の両親はことあるごとに女の子を説得していた。私のことがよっぽど気に入らないらしい。  両親が言うように私たちケムッソは、カラサリスとマユルドという二つのどちらかに進化する。カラサリスもマユルドもケムッソの進化形、つまりサナギの状態である。カラサリスは繭の色が白く、羽化すると“ちょうちょ”ポケモン――見るものを魅了する翅を持つ――アゲハントになる。一方、マユルドの繭は紫色で、羽化すると“どくが”ポケモン――見るからに毒々しい身体を持つ――ドクケイルになる。なぜ二通りの進化があるのか、また自分がどちらに進化するのかは私たちケムッソにもわからない。人間の科学者たちはどちらに進化するのか判別できるようだが、一般の人間には出来ないらしい。  女の子の両親は私がカラサリスではなくマユルド、さらにはドクケイルに進化するのではないかと心配しているようだ。確かにドクケイルに進化する可能性はある。  ならば、カラサリスに進化する可能性だってあるはずではないか。しかし両親は私が確実にマユルドに進化すると言わんばかりに女の子を説得し、私を汚いものを見るような目で見てきた。正直なところ目障りだった。毒針で刺してしまおうかと本気で思った。だが、そんなことをすれば女の子が悲しむのでやめた。ある時、彼女は私に言った。 「もう。お父さんもお母さんもひどいよね。ケムッソがマユルドになるって言うんだよ。わたしは絶対にカラサリスになると思うんだけどなぁ。……でもケムッソがマユルドになっても、ずっと一緒だからね?」  私はマユルドになったら捨てられてしまうのかと心配だったが、その言葉を聞いてとても気が楽になった。むしろ嬉しかった。そして、私はその言葉を信じた。  ある日、女の子と家の近くの草むらに行き、野生のポケモンとバトルをした。勝者は私。バトルの経験が多いこと、トレーナーが付いていることが勝因となった。戦闘が終了すると、私の身体に異変が起きた。身体がすごく熱い。私はその場から一歩も動けなくなってしまった。一緒にいた女の子も私の異変に気付いた。 「ケムッソ、どうしたの?大丈夫?」  突然私の身体が光はじめた。だんだん光が強くなっていく。 「もしかして…進化するの?」  進化?そうか。ついに進化する時が来たのか。私は虹色の光に包み込まれた。 「やった…やったよ、ケムッソ!」  女の子は私が進化することがわかり、喜び、興奮しているようだ。私は嬉しかった。カラサリスに進化すれば、あの父親と母親を黙らせることができる。そして女の子を喜ばすことができる!  身体を包んでいた光が弾けてだんだんと弱くなり、新たな身体が現れる。ついに私は進化した。 閉じていた目を開けた。すると、そこには喜びに満ち溢れている女の子の顔が…… ……無かった。  その代わりに愕然とした、今にも泣き出しそうな顔があった。恐る恐る自分の身体を見てみる。私の身体は以前の面影はなく、硬い繭によって守られた身体になっていた。確かに私は進化していた。しかし肝心の身体の色は……紫だった。私は頭の中が真っ白になった。なぜ。なぜなんだ。なぜマユルドに進化したんだ。  不意に女の子が喋りだした。 「……よかったね。」  何が? 「進化できてよかったね。カラサリスには進化できなかったけど…」  そうだよ。マユルドに進化してしまったんだよ。 「でも仕方ないよ…」  仕方ない?この数週間、カラサリスになるために努力してきたのに仕方ないだと!  怒りのあまり女の子を体当たりで突き飛ばそうとした。が、できなかった。なぜなら、  目の淵にいっぱい涙を溜めていたが、彼女は精一杯私に微笑んでいたから――目を細めたとき涙が一筋、頬を伝って落ちた。怒りが一気に引いていく。  そして彼女は言った。 「あなたがマユルドになろうとして……なった訳ではないでしょ?」  これ以上彼女を悲しませたくなかった。  その日彼女は私を抱いて帰宅した。  マユルドに進化してからも、彼女はケムッソのときと同じように私に接してくれた。  しかし、ある時彼女はこう呟いた。 「なんでだろうね」  何について疑問を投げ掛けたのかわからなかった。誰に言ったのか――私に問うたのか、ただの独り言なのか――わからなかった。彼女が何を思って言ったのかわからなかった。確実に私に関することなのだが……  そういった彼女との少しぎこちない日々が過ぎていくにつれ、彼女の両親は私に対する憎しみをさらに募らせていた。  ある日家に帰ると、ダイニングにあるテーブルの上にモンスターボールが一つ置いてあった。女の子と私はなぜこんなところに? と顔を見合わせた。私の入るべきモンスターボールは彼女のバックの中に入っているからである。女の子はいったいこれはなんだ?といった面持ちでモンスターボールを手に取り、台所にいる母に声をかけた。 「お母さーん、テーブルの上にモンスターボールが置いてあるんだけどー」  彼女が尋ねると、母は満面の笑顔で台所から現れた。私を目の前にして笑顔というのは珍しく、その笑顔に一点の曇りもないのはかなり異様だった。笑顔の母親は女の子に言った。 「お父さんと私からのプレゼントよ。中のポケモン出してみたら?」  女の子は言われた通りに出してみた。 「出てきて!」  ポンッという音と共に光の中から現れたのは――カラサリスだった。  次の日、私は捨てられた。突然のことだった――昨日の時点で感付いていたが――。ボールから出され、別れを告げられた私はただ呆然とするしかなかった。女の子は泣きながら言った。 「わたしには……あなたとカラサリスを……一緒に育てられる自信がないの……。もし一緒に育てていくとしたら……きっとあなたを……不幸にしてしまうと思うの……だから……ごめんね……あなたは悪くない……悪いのはわたしなの……」  私は何も言えなかった。そしてこれ以上女の子の悲しむ顔は見たくなかった。  私は動きづらい紫の身体を引きずって、泣いている彼女から離れた。そして森の奥へ消えて行った……。  それからの二週間程経った日、私はまた進化した。マユルドの進化系――ケムッソの一方の最終進化系――ドクケイルに。クリーム色の触角。同じ色の複眼。紫色の胴体。赤い模様の付いた緑色の翅。忌々しい体。  ……なぜ?  なぜ私は嫌われなければならないの?  なぜ私は捨てられなければならないの?  なぜ私はドクケイルになってしまったの?  ……なぜアゲハントになれなかったの?  ……私は悪くない。  私だってなりたくてドクケイルになった訳じゃない。  でも私は捨てられた。  ある時彼女は言った。「マユルドになってもずっと一緒だからね」って。  でも約束は破られた。  また別れ際に彼女は言った。「あなたが不幸になるから捨てる」って。  でもおかしいではないか。  不幸になるから捨てられたのに、捨てられれば幸せになれるはずなのに、なぜ……  ……涙が出るの?  …………  ………  ……  …  それから私は、このやり場のない感情を紛らわすために、遭遇した人間やポケモンを襲い続けた。大人も子供も。男も女も。何人も。何匹も。  しかし、いくら傷つけても満足感は得られず、ただ虚しかった。一ヵ月程して私は襲うのをやめた。  襲うのをやめてから数日経ったある日、私の前に五人の人間が現われた。その五人の中の一人が進み出て私に言った。 「わたし達は近くの町に住んでいる者だが、少し尋ねたい。通りすがりのポケモンや人間を襲っているドクケイルはおまえのことか?」  彼らが私の前に現れた理由はなんとなく分かっていたが、やはりそのことか……。私は否定しなかった。すると男は眉間に皺を寄せ、先程より幾分声を低くして言った。 「否定しないということは、全ておまえの仕業と考えていいんだな?」  私は頷いた。本当のことだから。すると、人間達は各々のモンスターボールからポケモンを出した。スバメ、キャモメ、ズバット、ドンメル、マグマック……私の苦手なタイプばかり。 「この森から出ていって欲しい。さもなければ、この場で…」  彼が言い終える前に私は彼に背を向けた。  もう襲うのをやめたのだから、追い出される理由はない。だが、そのことを説明するのも面倒だし、仮に戦ったところで苦手なタイプばかりで勝つのはかなり難しいだろう。だったらおとなしく去ることにしよう。別に此処にいる理由はないのだから……そう思いながら何処か別の所へ飛んで行こうとした時、五人の内一人が 「まったく。なんでドクケイルがこんな所にいるんだか」  と言ったのを聞いた。というより頭に直接響いたと言うべきか。聞き覚えのある声。忌々しいこの感覚……。振り返ってみると、そこには  私を捨てた女の子の父親がいた。  私の心は一瞬にして怒りで黒く渦巻き、負の感情に支配された。  次の瞬間、私は彼にサイケ光線を放っていた。念で出来た黒と紫の交じった色の輪。まるで今の私の感情の色。それが幾つもが連なった光線。  一直線に延びていき、父親に直撃すると思いきや、ドンメル――おそらく彼の手持ちが間に入って彼を守った。父親は驚いて尻餅をついたもののドンメルのお陰で無傷だった。が、ドンメルの方はそうはいかず、目立った外傷はないが顔を歪めて苦しそうである。かなりダメージを負ったようだ。 「おい!大丈夫か!?」  他の男たちが父親に近寄り心配そうに尋ねた。すると父親はへたりと座り込んだまま恐怖に顔を引きつらせ、震える指でこちらを指差して言った。 「も、もしかして、おまえは…あ、あの時のマユルド!?」 どうやら父親もこちらのことに気付いたらしい。 「どうした?このドクケイルを知っているのか?」  仲間達の一人は私を指差しながら父親に尋ねた。 「知っているも何も、二ヵ月くらい前に娘が飼っていたマユルドだよ。まさか進化しているとは…」  父親は明らかに動揺している。そんな父親と私を見比べて仲間の別の一人は不思議そうに言った。 「その割りには、おまえ随分と嫌われているなぁ」 「そ、それは……」  私にしたことを言えるはずがない。それで父親は話を逸らした。 「まぁ、細かいことは気にするな。それよりも、あいつをどうするんだ?このまま放っておいたら危険だぞ?」  話を逸らした上に私を指差し、仲間の注意を私に向けた。 「確かに…今おまえを攻撃したしな」 「だろ?だったら今退治しとかないと」  むしろおまえがいなければ私は去って行ったのだ……。そのことに気付く訳もなく、仲間達は父親の提案に賛成した。 「そうだな。」 「よし」  そんな中、仲間の一人は困ったような顔をして言った。 「でもいいのか?娘さんが飼ってたんだろ?」  仮にも仲間の子供が所持していたポケモンである。私を攻撃して傷つけてはまずいのではないか、と考えたのだろう。しかし父親は言った。 「ふんっ。どうせ奴は捨てられた身だ。退治したって別に…」  ドサッ 「!?」  彼らが音のした方を見ると、そこにはドンメルが倒れていた。  私は「捨てられた」と聞いた瞬間、怒り、憎しみ、殺意で満たされ、ドンメルにサイケ光線を射っていた。ドンメルは避け切れず戦闘不能になる。 「ドンメル!くそっ、こんなになっちまって…」  父親は座ったまま、気絶したドンメルをボールに戻し悔しそうに呟いた。 「仕方ない…ドクケイルを退治するぞ」  他の男達とそのポケモン達は私に鋭い――敵意と侮蔑のこもった――目線を突き付けてきた。邪魔だ、此処から消えろと言われているような感覚。久しぶりに味わった。しかし、いつ味わっても心地よいものではない。  さて、ドンメルを戦闘不能にしたので、残りはスバメ、キャモメ、ズバット、マグマッグ。  はっきり言って、父親さえ痛めつけられればそれでいいのだが、実行しようものなら彼らはそれを邪魔するだろう。邪魔をするなら私の敵。私は彼らと戦うことにした。  先手は彼らの方だった。と、いうより数的に不利な私は下手に動くことは出来ない。 「いけっ!スバメ、翼で打つ!」 「キャモメも翼で打つ!」 「ズバット、噛み付く!」  なんと三体で突っ込んできた。一気に決めるつもりだろうか。しかし、そんなに簡単にやられる訳にもいかない。私を不幸にした張本人が目の前にいるのだから……。  私は迫りくる三体をしっかりと見据えタイミングを見計らい、翅を勢いよくはばたき突風を起こした。  “吹き飛ばし!”  本来は野性のポケモンとのバトルで、相手を何処かへ飛ばして戦闘を終了させたり、対トレーナーバトルではポケモンを強制的に入れ替えさせる技だ。  しかし、今回は“吹き飛ばし”で起きた風の勢いで接近してきた三体を強制的に引き離す。  接近してきた三体は突然の突風にバランスを崩し、スバメはなんとか態勢を立て直して上空へ避難。キャモメはまともに突風を食らい、元いた場所へ強制的に戻された。ズバットはなんとか抵抗しようと努力したが、その努力が仇となって近くの木に激突した。 「ズバット!! 大丈夫か!?」  ズバットは頭を振ってふらふらしながら力なく起き上がったが、そこへサイケ光線をたたき込む。 「うわぁ!? ズバット!!」  苦手なエスパータイプの技を受けてズバットは戦闘不能。動かなくなったズバットはボールに吸い込まれた。男達は動揺し始めた。 「くそ……あのドクケイル、以外と強いぞ!?」 「落ち着け。こっちの方が数的にもタイプ的にも有利だ。落ち着いてやれば……」 ……ドサッ  再び何かが地面に落ちた音。男たちが話し合ってこちらを見ていない隙に、今度はキャモメにサイケ光線が命中。 「なっ!?……キャモメ!」  普通のバトルなら卑怯だと言われるかもしれない。が、今は一対四である。そうでもしなければ負けてしまう。  サイケ光線を受けたキャモメは力なくのびている。戦闘不能だろう。持ち主はキャモメを仕方なくボールに戻した。  残るはスバメとマグマッグ。 一対二になったので早くバトルを終わらせたくなった。こちらから攻撃したいところだが、もしどちらかを狙うと隙が出来てしまう。相手の出方を見て、相手が隙を見せたらそこを徹底的に攻める。焦らずに。目的を果たすために……  人間たちは今度はこちらに目を向けたまま会話を始めた。 「……どうするよ?」 「うむむ。レベルはドクケイルの方がかなり高いみたいだ。だが数はこっちの方が勝っている。これを利用しないと……」 「何かいい方法はないのか?」 「……よし、じゃあおまえのマグマッグは火の粉を射ち続けてくれ」 「? わかった。おいマグマッグ、火の粉を連射だ!」  マグマッグの口から大量の火の粉が産まれ、こちらに向かってくる。しかし、“風起こし”で火の粉をあっさり掻き消し、ついでにマグマッグにダメージを与える。すると、あたかも勝利を確信したような声で男の一人が叫んだ。 「スバメ、ドクケイルの後ろから電光石火だ!」  いつのまにか背後に回っていたスバメが、目にも止まらぬ速さで突っ込んできた。しかし私はそのままの態勢で背中に意識を集中させる。一瞬にしてスバメとの距離が縮まり、あと一メートルとなったとき、突然スバメは停止した――というより、何か壁のような物にぶつかった。 「「え!?」」  スバメはその場に落ち、目を回している。  私は“守る”を使用した。この技は、どんな攻撃も無効化できる素晴らしい技だが、かなりの体力を使うので連続して使うと失敗することがある。  私は目を回しているスバメに対して至近距離からサイケ光線を射ち、戦闘不能にした。スバメもモンスターボールに戻っていく。  一体一になったので、残ったマグマッグを戦闘不能にするのに時間は掛からなかった。マグマッグもボールに戻っていく。 「あのドクケイル、強すぎるぞ」 「ジムリーダーを呼んできた方がいいんじゃないか」 「と、とにかく、逃げろー」 「ま、待ってくれ!?立てないんだ。おい、置いていかないでくれ!!」  父親の叫びも届かず、他の人間たちは逃げて行った。父親は逃げて行った仲間達の後ろ姿を見て呆然としている。私はゆっくりと父親に近づいて行く。それに気付いた父親は逃げようとするが、腰が抜けて立てず、脚を引き摺りながらなので思うように逃げられない。だんだんと距離が縮まる。私と父親の距離が縮まるにつれ、父親の顔はどんどん引きつっていく。私は来たるその瞬間が待ち遠しく、頬が弛んでしまう。  ついに父親との距離が二メートルを切った時、彼は私に言った。 「ゆ、許してくれ」  何を今更。両手を地面に着いて土下座している父親を軽蔑の眼差しで見下ろす。 「頼む。頼むから!」  父親の必死の懇願を無視してサイケ光線の発射準備をする。おまえも苦しめばいい。そうだ。苦しんで、苦しんで、藻掻いているところを私に見せてくれ。恐怖で引きつっている父親の顔に目がけて、サイケ光線を放とうとした。その時。 「やめて!!」  その声と共に、私と父親の間に誰かが割って入ってきた。構わずサイケ光線を放とうとしたが放てず、溜めていた念も飛散してしまった。なぜなら、  目の前に現れたのが私を拾った少女だったから。 「お願い、撃たないで!」  彼女は両手を広げて私の前に立ちはだかり、必死に訴えかける。  情けないが私はひるんでしまった。だが彼女は私を捨てたという事実を思い出し、再び発射準備に掛かった。すると彼女は覚悟を決めたのか、ぎゅっと目を瞑った。  この娘が私を捨てたのだ。私を不幸に……。  怒りと憎しみで心の中が満たされた……。  ……はずだった。  彼女の頬に涙を見るまでは。  一瞬だが私のは心の中で様々なことを考えた。  彼女は私に何をした?  私を捨てた。  なぜ?  私がアゲハントにならなかったから。  彼女に何の責任があるの?  それは……  私は今更になって迷っている。  そもそも私はなぜカラサリスに、そしてアゲハントになりたかったのだろう。  私を馬鹿にした奴らを見返したかったから?  否。  父親と母親を黙らせたかったから?  違う。そうじゃなくて……  私を拾ってくれたら少女を喜ばせたかったから?  なぜ?彼女は私を不幸にしたのに。  でも不幸になったということは ……私は……。  ……幸福だったということ?  いつから不幸になったのだろう。  拾われる前、私は生まれた時から孤独で、生きるのが苦痛ではなかっただろうか?  彼女に拾われてからも辛いこと確かにあった。でも彼女と一緒にいるとき安らぎを覚えたのではなかったか?それは……  彼女が私を幸せにしてくれたってこと?  アゲハントになろうと共に励まし合い、共に努力した日々。  そして特に意味のない会話や、逆に私のことを気遣ってかけてくれた言葉。彼女と共に過ごした楽しかった日々。  思い出した。私は、私がアゲハントになるかもしれないという、何の根拠もない理由だけで拾ってくれた彼女を――絶望から救い出し、希望を抱かせてくれた彼女を――ただ、ただ、喜ばせたかったのだ。  なのに今はどうか。彼女は涙を流しているではないか。これが私のしたかったことか?私の望んでいたことなのか?  違う。断じて違う。  私の心の中で怒りや憎しみがスーっと引いていく。私はサイケ光線の発射準備を解除した。  何も起きないことに気付き、少女はおそるおそる目を開ける。私がサイケ光線を撃たないことがわかったらしい。戸惑いと安堵の交ざった表情をしている。 「…撃たないでくれるの?」  涙を拭きながら彼女は言った。私は苦笑した。彼女は私に攻撃されてもよいと、本当に覚悟していたらしい。私もそのつもりだったが……。  私は頷いた。 「じゃあ、許してくれるの?」  それを見て彼女は目を輝かせ言った。彼女のその嬉しそうな表情を見て私は頷きかけた。頷きたかった。しかし、私は首を横に振った。父親のしたことは許す訳にはいかないから。  見る見る彼女の表情が沈んでいく。 「じゃあ、どうして……」  私は彼女に背を向ける。  彼女には私の心境など理解できる訳がない。そして、私も理解して欲しいとは思わない。  私は願う。  私の願うものは私自身の幸せでも、憎い者達に下される罰でもない。  私の願い。それは  あなたの笑顔が見たい。  私は振り向き微笑んだ。  だからそんな顔しないでください。  彼女は微笑んでいる私を見て、最初は驚いていたが  笑ってくれた。嬉しそうに、満面の笑顔で。  以前、あなたが別れ際に言ったことを覚えますか? 「…きっとあなたを…不幸にしてしまうと思うの…だから…」  最初、私はあなたがすごく自分勝手で、私のためを思って私を手放すと言って、本当は私のことが嫌いなのではないかと思っていました。  でも本当は違うのですね。今になって気付きました。あなたは本当に私のことを想ってくれていた。  私は幸せだった。それは他人から見れば短い間だったかもしれない。でも、あなたは紛れもなく私を幸せにしてくれた。心からあなたに感謝します。そして私は、あなたの幸せを願っています。いつでも、どこでも。  私は彼女の笑顔を心に焼き付け、再び彼女に背を向けた。すると彼女は言った。 「ありがとう。」  その言葉を確かに聞いて私は彼女の前から勢いよく飛び去った。涙で前がよく見えなくて危なかった。  そして私は彼女の前に二度と姿を現わすことはなかった。  この世は不公平である……  でも私は辛くても“希望”を持ちさえすれば、この不公平な世の中でも生きていくことができると願っていた……  その肝心な“希望”が無くなったと思ったとき、私はどうすることも出来なかった……  しかし実際は、“希望”は無くなった訳ではなかった。ただ私が他人に邪魔されて見失っただけ。あたかも綺麗な貝殻が、海の波によって砂に埋もれてしまったかのように。  今はただ、その“希望”を見失わないようにと頑張っている……  そして今では、不公平なこの世界でも私は幸福でいられる……。 終