取扱説明書なんかあるか。あってたまるか。  雨の日の約束、晴れの日の約束 「――――地方は、今日から長い梅雨入りに入ります。みな――お出か―の際は……」  おんぼろラジオが雑音混じりに、途切れ途切れ天気予報を喋る。やれやれ、梅雨入りか。  だが、雨は嫌いではない。湿気が高いのも嫌いではない。私にとって雨の日に困ることと言えば、洗濯物が干せないことと風呂場のタイルに 蛞蝓がへばり付いていることくらいである。あれを踏む感触はなかなか慣れない。いや、慣れたくもない。  蛞蝓が大好きという奴もいる。私の相棒なのだが……風呂場の悲鳴を聞きつけるたび、満面の笑みで台所から塩を持って来る。自分が 濡れるのもかまわず、蛞蝓に塩を投げつける。一回強く怒ったら、私の入っているときは来なくなったが、たまに風呂場の入り口で 塩一袋を持ち、スタンバイしていることがある。お前は霊払いの祈祷師かと思ったが、よくよく考えると塩を触っても大丈夫なのか分からない。  ともかく、こういう雨の日は畳の上に寝そべって小説を読んだり、音楽を聴いたりして過ごすのが一番である。わざわざ、出かけて濡れるより……ん? 今、上から埃が落ちてこなかったか……? 屋根裏部屋に、何かいるのだろうか。  上を見上げる。特に、何も音等はしない。気のせいか、と思う。  その時、間違って頭を壁にぶつけたような音がした。再び、埃が落ちてくる。古い家だ。今時、木造だなんて。しかし、おかげで正体が分かった。 「ドータクン、そうどんどん壁にぶつかるんじゃない! 家が壊れ……寝てるのか?」  どうやら、寝ているようだった。私のドータクンの特性はふゆうだったが、まさか浮いたままで寝るとは。しかも、壁にぶつかっても目を 覚まさないとは……特性に鈍感をプラスしたほうが良くないか。ぶつかった反動で、あらぬ方向に浮いていっている。当然、目を覚まさずにだ。 あの調子では、またどこかにぶつかるな……そろそろ家の補強を真剣に考える機会かもしれない。  そんな私を見て、不安に思ったのかネンドールがドータクンをちらと見て、腕をぐるりとまわした。 「ネンドール、起こさなくて大丈夫だ」  寝かしてやってくれ、と付け加える。了解の意だろうか、ネンドールがもう一度腕をぐるりとまわした。  さて、と。 「こら」  縁側に立っていたジュペッタがびく、と体を竦ませる。恐る恐るというふうに私を見て、笑う。笑い方がえらく、引きつっていたから 私は笑いそうになったが、こらえた。つまり、図星だったのだ。 「外に出ようとしてたのか?それとも、蛞蝓を探してたのか?」  私が隣に座って聞くと、違う違うと首を振る。だが、口……ジッパーの端が微妙につり上がっている。笑いをこらえられないのだろう。 うそが顔に出るとは、まさにこのことだった。  ジュペッタの気持ちが分からない訳ではない。  私のジュペッタの性格は、どうも幼い。それが本当にまだ子供なのか、このジュペッタの性格なのかは分からないが、いたずらをしたり 甘えたがりだったり、さびしがりな所だったりすることから、とにかくやんちゃな奴である。この前なんか、こっそりお土産を買って驚かしてやろう と思っていたのに鞄から出す前に、勝手に出して遊んでいた。そういえば、特性がおみとおしだったと気が付き、落胆したのだった。  だから、強く雨が降っていたら、外で遊びたいと思う気持ちが分からない訳ではないのだ。私も子供の頃はそう思っていたから。 「だが、お前はダメなんだ」  分かってくれるか、と聞く。どうして? とジュペッタが首をかしげた。 「だって、お前ぬいぐるみじゃないか」  ジュペッタが唸る。こればかりは、否定できないだろう。しゅん、と落ち込んでしまった。  正直、私にも良いのか悪いのかは分からない。恐らく、ジュペッタは生きているのだろう。だが、ぬいぐるみであることも確かなのである。  別に、濡れることは良い。だが、湿気が多いこの季節はなかなか乾かないのである。  一回、ただのぬいぐるみで試したことがあった。梅雨の季節に洗って、自然乾燥させてみた。  一日目、乾いていない。二日目、乾いていない。三日目……と続けていくうちに、カビが生えてしまった。ピカチュウドールが少し緑と黒に染まってしまった。  その後、そのぬいぐるみは洗濯機に放り込んで、乾燥機で乾かしたのだが、やはり完璧には……。  もちろん、ジュペッタには洗剤も洗濯機も乾燥機も使えまい。ポケモン専用のシャンプーか何かを使えば良さそうだが私はあまり そういうことがしたくない。ジュペッタの体に悪そうだからだ。  一度、私の友人からこのポケモンに食べさせるものは何がいいかだの、何して遊ぶのが好きだの、聞かれたことがある。私は、戸惑いつつ答えたが どうも彼女は納得してくれていないようだった。その時、彼女はこう言った。  ポケモン一種類一種類に取扱説明書があったらいいのに、と。  私は、その言葉を聞いて無性に腹が立った。そして、こう言ったのだった。  そんなこと、自分で向き合って分かるようになるのだ。そんなもの、取扱説明書なんかあるか。あってたまるか。  今、思えば言い過ぎたと思う。彼女は後で謝ってくれたが、やや怒っていた気がする。当然だろう。  しょんぼり項垂れたジュペッタは、あまりに可哀相だった。何とかできないかと思考をめぐらす。そうだ。 「晴れた日なら良いから、な?」  晴れた日なら乾燥も速いだろう。きっと、カビも生えないはずだ。 「雨の日は、外に出てはいけない、代わりに晴れの日は外で水遊びをして良い」  顔を上げたジュペッタに、微笑んでやるときらと、瞳が光った。刹那、腹に激痛が……ジュペッタはすてみタックルを習得できたっけ? 「分かった、分かった、嬉しいのは分かったからすてみタックルはやめてくれ」  お腹に抱きつくジュペッタ。この癖もなんとかしなきゃなぁと、思いつつ、いつも思うだけなのだ。  ……蝉の鳴く声が聞こえる。体を起こすと、激痛が。……目覚まし時計代わりのふいうちはきつくないか? 「っぐ……、今日のは一段と響いた……」  けらけら、という笑い声を聞き、後ろを振り返ると、やはりジュペッタだった。  時計の針は六時過ぎを差していた。いつも、十時超えの私にとってはかなり早いほうである。いつもは、ジュペッタも揃ってそのくらいまで 寝ているのだが、何故今日は早く……?  ん、蝉?  開け放たれた窓から差し込む光が、畳を照らしている。私は、驚いて縁側に出る。    雲一つない青空に、煌々たる太陽の輝きが、あった。 「梅雨明け……か!」  自慢気に、胸を張るジュペッタ。恐らく、この日をどんなに待ち望んだことか。 「おし、やるか!」  おー!とでもいうように、ジュペッタは小さな手を上に突き上げた。  久しぶりに庭に出る。庭と言っても、そんな立派なものじゃない。花なんかはないし、小さな木が数本生えているだけで後は乾燥した土である。  大き目の金盥の中に、ホースで水を注ぎ込む。それだけでも、暑い。夏だなぁと再実感した。  いっぱいいっぱいに水を張った金盥の中に、トサキントを模した如雨露とこの日のために用意した牛乳パックで作った氷を三本ほど浮かべ、完成である。  待ったとばかりに、ジュペッタが飛び込む。水飛沫が光に反射して、虹色に煌いた。   「お目覚めかい? ドータクン」  大量の洗濯物を干し終えて、私も金盥に足を浸けていたとき、のそりとドータクンが庭に出てきた。  先程までは、ネンドールもいたのだが、ジュペッタに水をかけられて、部屋に戻ってしまった。地面タイプだから、水は相当嫌いらしい。  ふよふよと、ドータクンが庭に出ようとする。そこで、私はあることを思い出した。 「ドータクン、外に出てはいけないよ」  ドータクンの体は金属で出来ているから、日光に当たると火傷するほどに熱せられてしまう。特に夏の快晴下では尚更だ。特性が耐熱ならまだしも、 私のドータクンの特性はふゆうだった。  ?という、表情をされてまたか、と私は苦笑した。  全く……と、私は首を振った。