キミの名前は……黒竜よ。いい名前でしょ。  自分がこの名を付けられたのには、明確な理由がある。  単純明快。見たままを、そのまま名にしたのだ。  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜      黒竜  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 目指す先は、青き空。そこから先は、翼持つ者の領域。 それは一つの試練の地とも言えるほど過酷である。 そこに住まうのは偉大なる翼を持つ者。敵対する者には強大な爪牙が唸りを上げて殲滅の咆哮を上げる。 吐き出す力は戦慄の戦禍。ただ只管なる暴力。だが彼らはそれを悪戯には振るわない。 自らの力を神の恩恵とし、自らの力を敬う。それが彼らを無敵の領域とする理由の一つ。 そこから見える風景は、その地で最も見晴らしの良い場所である。 刺々しい岩の山岳地帯。その天辺近くの足場に、彼はいる。 その身を包む細かな漆黒の鱗。長き尾の先には紅蓮に包まれた命の光。 平常時でも緩むことのない鋭き瞳。それに比例するあらゆるものを引き裂く爪牙。 彼はこの地にて、覇者とも呼ばれる存在だった。 そんな彼が寝床に帰ってきた時、異変は起きた。 食糧探しと散歩を兼ねた飛行。それはいつも通りであり。 覇者と恐れられる自分の寝床で、あろうことに寝息を立てているヤツがいた。 「……おい」 「…………」 「おい、起きろ。そこは私の寝床だ」 「…………ふわ?」 寝ぼけた声を上げながら、そいつはまだ頭を支配する眠気を払いながら起き上がる。 水色の小柄な身体ながら、その口には立派な牙が見え隠れしている。 その幼いタツベイは、彼を見上げて暫し硬直して。 ……きっかり五秒後。 「わぁぁあああ!? え、ちょ、アレェ!? 何でオイラこんなとこで寝てんの!?」 「知るか。……いい度胸だな、私の寝床をこんなとこ扱いとは」 喉が許す限り絶叫してから、タツベイはようやく自分を見下ろしている存在の正体に気付いた。 漆黒――群青色に限りなく近い黒。腹のクリーム色と小豆色の翼膜を除けば、黒き存在。 尻尾の先で絶え間なく燃え続ける紅蓮の輝き。 ……血の気が引いた。 「こ、こここ、黒竜様……!?」 黒竜。ドラゴンばかりが住むこの山岳地帯で、最も気高く最も強き存在。 その地で生まれる子供は、皆次のような事柄を常識として刷り込まれる。 山の天辺に棲む黒竜様に逆らってはいけない。近づいてはいけない。 昔、その禁を破った馬鹿者が丸焦げになって山頂から落下してきたという。 その馬鹿者は黒竜様の怒りを買ったのだと、大人たちはそれを教訓とでもするように子どもたちに教え込んだ。 生まれてから一度も見たことのない、黒竜――黒いリザードン。 それでも直感が、脳内を駆け巡る予想が当たっていることを告げていた。 死を覚悟した。自分たちにとって全知全能の神ともいえる黒竜様の寝床で寝てしまうという失態。 加えて、黒竜様の寝床をこんなとこ扱いした自分はただでは済まされないだろう。 ……頭を掴まれた。涙が滲んだ。これからどうなる? 丸焼き? つーか、食? だが偉大なる黒竜様は、その辺にタツベイを放り出し、干草の寝床に身体を丸めて翼を休めた。 少し、沈黙が流れる。 「何を怯える。お前にとって私は鬼神か?」 「い、いや……え〜と……」 「それはそうと。お前、何をどう血迷ってここで寝ようなどと思ったのだ」 タツベイは、空を夢見てその身を投げ出す。 崖から飛び出し、翼もないクセにばたつき、当然のように落ちていく。 全体重の中で頭が半分を占めるタツベイは、重力の法則に従い頭から落ちるのが日課である。 先祖代々、頭を打ち付けて幼少時代を過ごす彼らの血は、生まれた時から石頭という遺伝子を残していた。 このタツベイもまた、そんなタツベイの日課に乗っ取った行動を取っていた。 だが彼は『進化しないと飛べない』のではなく、『飛ぶ意思が小さいから進化できない』と考えている。 それ故に、自分が飛べないのは恐らく危機感だろうという答えに行き着き。 だったらすごい高い場所から飛べば、自分の中に眠る何かがいい加減目覚めるのではないかと考えた。 「……で、何ゆえそこからここで眠るという行動に?」 「えっと、そのすごい高い場所っていうのが、ここの上だったわけで」 おずおずとタツベイが指差す先は、この岩山の頂上である。 確かに、せり出した足場を利用すれば翼のないタツベイでも何とか上がっていけそうだ。 ……そもそも、飛べない理由が危機感というだけであそこまで登る根性がどうかしている。 「で、飛ぼうとしたけどやっぱり飛べなくて、落ちた先がここで」 と、黒竜が寝そべっている干草を指す。 「落ちるのはいつも通りなんだけど、何だか気持ちよくて……」 「で、寝てしまったと」 図星である。何の弁解の余地もない。 「ご、ごごごごめんなさいもうこんな――」 「お前たちは」 全力で謝ろうとしたタツベイに向けて、黒竜は至極落ち着いた声色を奏でる。 既に日は落ち、夕暮れに染まる地平線が一日の終わりを告げていた。 妖艶ともいえる夕日を瞳に写し、黒竜は間を空けてからもう一度言う。 「お前たちは……私をどう考える」 「ど、どうって……」 「私はお前たちにとって、魔神か、鬼神か。はたまたおとぎ話の中の存在か。  ……遠慮はいらん。思ったこと全てを話してくれ」 ――伝わっている内容と違う。タツベイの脳裏にあった、凶悪な黒いドラゴンの像にヒビが入っていた。 確かに少し怖そうな雰囲気ではあるけれど、物静かで優しそうな雰囲気がある。 実際にその姿を見た者は少ない。同世代で黒竜を、それもこんな間近で見たのは自分が初めてだろう。 黒竜様とは、自分たちにとって王というべき存在。 黒竜様とは、絶対に逆らってはいけない存在。 黒竜様とは、何者も敵うことのない世界最強の存在。 黒竜様とは、絶対に近づいてはならない存在。 その全てを話す頃、綺麗な三日月が夜空に降臨していた。 夜空に輝く月は、夜空の王だと誰かが言っていた気がする。 ならばこの黒竜は、自分たちの王。…………の、ハズである。 「様を付けるな」 「え?」 「私は別にお前たちに敬れるような存在ではない。  私も一匹の竜だ。竜が竜に様を付ける必要などない。敬語も必要ない」 夜の冷たい風が二匹を撫でる。それはいつもの風と同じ。 だが、タツベイはこの風がいつもと違うような気がしてならない。 偉大な神のような存在から、親しみやすい友……とまではいかないが。黒竜という存在は変わりつつあった。 ただ、彼が自分に対して興味を持っているその理由だけが、よくわからない。 黒竜は、リザードンの標準体格から一歩抜き出る巨体。 対して、幼いタツベイは身体が出来ておらず、まだまだ小柄。 巨躯のリザードンと小さなタツベイではかなり大きさに違いがあり、 黒竜がタツベイを見下ろすと、傍から見ればこれから食べてしまいそうな雰囲気だった。 「黒竜さ……黒竜は、今までどこに行ったことがあるの?」 ついさっき禁止された言葉を飲み込んで、タツベイは三日月を見上げる黒竜に問う。 「……何ゆえ、問う」 「えっと……オイラ、翼がないから、ここから離れたことがないんだ」 少したどたどしいが、少しずつ滑らかになっていると思う。 黒竜を目に前にする緊張も少しずつ解れ、タツベイは黒竜の目を見て話した。 だが、黒竜は少し首を傾げて、 「おかしな話だ。親のボーマンダの背に乗ったことがないのか」 「……オイラ、母ちゃんも父ちゃんも知らない」 「――ッ」 目に見えて沈むタツベイ。それを冷静に見下ろす黒竜。 父親の顔は覚えていない。物心ついたころから自分は母しかおらず。 その母もまた、思い出らしい思い出ができる前に亡くなってしまった。 タツベイは、親の背に乗り初めて空への憧れを持つ。自分は、この岩山の上を飛ぶ翼ある者たちの姿を見て育った。 だから『飛ぶ』ということに対して漠然とした考えしかなかったし、理解もあまりしていない。 「……そうだな。長く生きているが故に、それなりにあらゆる空を飛んだ」 強い月光に照らされる岩山。そこで光る黒竜とタツベイの瞳。 「お前にもいつか、私と同じように翼が生える。それで世界の空を飛ぶがいい」 「…………」 月が隠れて、月明かりを失った夜は闇へと変わる。 自分の寝床へと帰って行くタツベイ。彼が安心できるその地に着くまで、黒竜はじっとその背を見つめていた。 闇へと変わる世界。その闇の中に溶け込む、黒竜の鱗―― 黒竜の巣は、岩山の頂上近くにある。 タツベイの巣からその位置は確認できるが、それでも大体の位置のみ。 たまに黒い何かがのそりと動くのが見える。その程度でしかない。 黒竜の巣に落ちるという大事件から発生した奇妙な出会い。その翌日。 タツベイは再び岩山を登っていた。身投げ――飛ぶ練習ではなく、例の黒竜の巣に行くために。 途中、同世代のタツベイたちに出会い、どこに行くのかと聞かれて。 ……黒竜の所に行くなんて言ったらどんな反応されるか全く予想できないので、いつも通りの飛ぶ練習だと言っておいた。 「お前はなぜ、翼が欲しい」 巣に行った矢先、昨日別れた時と同じ体勢で出迎えた黒竜。 重々しい声色の問いかけに、タツベイは即答した。 「決まってるよ、空を飛ぶため」 「何ゆえ、空を飛ぶことを望む」 「何でって……」 明確な理由など求めたことがない。空を飛びたい理由など、それこそ自分がタツベイだからで通るかもしれない。 だが、黒竜はそんな理由では納得しないだろう。 「だって、飛べなかったら飛ぶことに憧れたりするでしょ。  黒竜だって、ほら……え〜と……。何だっけ。  よく覚えてないけど、黒竜にだって翼がない時期があったんでしょ?」 「あったが、翼を求めたことはない。むしろ死を望んだ」 あまりにあっさりとした告白に、タツベイの思考は一瞬停止した。 し? しって……あの『死』のことだろうか。死ぬこと、だろうか。 自分がその言葉を理解できずにいることを悟ったらしく、じっと彼の顔を見つめた。 「私は幼少時より『黒竜』と呼ばれていたわけではない」 「?」 「私がヒトカゲだった時、その体は橙色ではなく、黄色く染まった鱗に覆われていた。  生まれながらにして特異体質といえる私は、生まれて間もなく親に捨てられた」 そこで黒竜は一度言葉を切る。持ち上げていた長い首をゆるりと干草の中に沈め、 鋭い目を細め、思いにはせるように遠き空を見つめる。 「自分という存在を呪いすらした。自分はなぜ『普通ではない』のか理解できなかった。  ……自害すら考えた自分に差し伸べられた手は、神よりも神々しく感じた」 「手?」 「母の手だ」 ……母? 確かさっき、生まれて間もなく親に捨てられたと言わなかっただろうか。 それを問うと、黒竜は「いや」と否定から答えてくる。 「本当の母ではない。私を拾い、育ててくれた『人間』のことだ」 「ニン、ゲン?」 あまり聞き慣れない単語だが、一応その意味は理解しているつもりだ。 人間はこの世界で最も賢く、自分たちを捕獲する術を持っている。 親のいない自分でもそれぐらいの常識はあった。人間は、黒竜の次に近づいてはならない存在だと。 「オイラ、ニンゲンに会ったことないんだ」 この岩山で一生を過ごす自分には、関係のない存在だと思っている。 ここにいればニンゲンに掴まることなんてないし、黒竜だっている。 「ならばお前は、人間を知らないのか」 「うん」 肯定する。黒竜は暫し考えてから、 「私を拾い育てた人間は、狡猾でも博識でもない。  ……ただ、一途に私を愛してくれた。黄色い鱗だった私を愛した」 「愛した?」 黒竜がくれた木の実――それもこの岩山の山頂にしか生えない巨大な物に悪戦苦闘。 それでも何とか噛み砕きながら、同じように木の実に牙を立てる黒竜を見上げる。 「そうだ。その者は人間だが、『母』だった。この世で唯一の母だった。  野生の者たちは皆、『人間は酷い生き物』だと言う。  あながち間違ってはいないが、人間全てをその一括りにまとめてしまうのはおかしな話だ」 タツベイには大き過ぎる木の実を、黒竜は二口で飲み込んでしまう。 その巨躯は、彼がどれほど永い時を過ごしてきたか物語っているかのようだった。 「私は私利私欲で翼を求めていない。だが、母が喜ぶならばと私は翼を求めた。  無駄に鮮やかな黄色の鱗が漆黒に染まり、その背に巨大な翼が生えた時。母はこう言った」  ―― おめでとう! ―― 「おめで、とう?」 「そうだ。ありがとう、ではなく、おめでとう、だ。……母はお人好しだった」 本当にバカだ。そう付け加えて、黒竜は目を伏せる。 「今一度問おう。お前は何ゆえ翼を求める」 ……よく考えてみる。翼を求める理由。 今までで一番深く頭を使ってから、威厳溢れる黒竜を見上げて、 「難しいことはよくわかんない。ニンゲンのこともよくわかんない。ただ……」 「……ただ?」 「自分のためじゃなくて、誰かのために翼を求めたら、そっちのほうがカッコイイとは思った」 「そうか。それでいい」 よく理解できたわけじゃない。あの言葉は本音の中枢を担う言葉だった。 ニンゲンのこともよくわからない。黒竜に翼が生えた時、ニンゲンが言った言葉もわからない。 みんなはよく「ニンゲンなんて悪い生き物だよ!」とか「ニンゲンに掴まったらそれこそ終わりだよ」とか言うけど、 ……あれって全部、親からとか噂とかそんなのばっかりじゃないか。 『ありがとう』ではなく、『おめでとう』 この違いがわかるようでよくわからない。 誰かのために翼を求める。……多分、誰かのために強くなる、に近いことだと思う。 黒竜はそのニンゲン『母』のために翼を求めた。『母』が喜ぶ顔が見たくて。 ……カッコイイと言った自分。やはり自分は翼を求める真の理由を理解していない。 でも黒竜は「それでいい」と言った。こんなのでいいのだろうか。 誰かが言った。タツベイが翼を求めるのは本能的なもので、理由なんて存在しない。 黒竜に言われるまで理由なんて考えなかったのは、本能がそう言っていたから?  ……カッコイイって思ったのも、本能?? 「……よくわかんないや」 いつものねぐらに帰る道中、そんなことばっかり考えていた。 ふと目に入ったのは、この辺りを貫くように流れる小川の傍に落ちていた物。 恐らくどこからか流れてきて大分時間が経ったのだろう、乾いた板切れが落ちていた。 何かに導かれるようにそれを拾い上げ、少し考えてから尖った石ころも拾う。 それを板切れに突きつけ、ガリガリと傷を付けていく。 「……こんな感じかな」 それは、一匹の飛竜だった。大きな翼と長い尻尾、鋭い牙を持つ飛竜の絵。 無骨ながらもしっかりと特徴を捉えたその絵を満足げに見上げて。 「オイラも、こんな風になれるかな……」 黒竜をモデルにした飛竜の絵。大きく口を開け、今にも動き出しそうだった。 自分の未来図。空に羽ばたく大きな翼を持つ至高の飛竜。 誰かのために飛べる、翼。 「……やっぱ、まだわかんないや」 翌日。タツベイは昨日描いた飛竜の絵を持っていつもの道を歩く。 折角よく描けたのだ。黒竜にも見せてあげようと自然と足が軽くなる。 誰かのために飛べる翼。それは未だによくわからない。 流れ落ちる水を掴むみたいに、それはいつまで経っても理解できなかった。 「そういえば……何で黒竜は、あんなこと言ったんだろ……」 意識が一瞬だけ散漫になった、その瞬間。 崖上を歩いていた自分の身体が、奇妙な浮遊感に襲われた。 その直前に感じた、足元ががくんとなる奇妙な脱力、に近いもの。  …… あれ …… ? ?   …… …… …… …… その奇妙な――温かな母の抱擁のような感覚に、タツベイは目を覚ます。 今までに感じたことのない奇妙な感覚。気持ちよくすらあるその感覚は、もう一度眠ってしまいそうなぐらい。 朝方あの奇妙な浮遊感に包まれたはずなのに、周囲は既に闇夜に包まれている。 焚き火の灯りが暖めてくれていた。……焚き火? それに、夜? 何で? 「お、目を覚ましたか。何時までも寝ているから死んだかと思ったぞ」 闇が――浮いていた。そう、闇が浮いている。 逆三角形の目が一対、加えてギザギザ模様の口。足のない身体から離脱した両手。 見たことがないが、彼もまた自分に近い存在なのはよくわかった。 「俺が見えるか? 言葉がわかるか?」 「う、うん。大丈夫」 「よし。……シウル、目を覚ましたぞ」 黒い浮遊体――ゴーストの彼が目を向けた方向に、奇妙な生き物がいた。 今まで見たことのない、それも自分とは何かが決定的に違う生き物。 ――『ニンゲン』が、変な入れ物に棒を突っ込んで掻き混ぜていた。 「――――――――」 ニンゲンがタツベイに気付き、何か喋った。……理解、できない。 「何だ。お前、シウルが言っている言葉がわからないのか」 「……うん。ニンゲン見るのも初めてだから」 ニンゲン――今の自分の目では、このニンゲンがオスなのかメスなのかもわからない。 ただ、そのニンゲンが掻き混ぜていた入れ物の中身を別の小さな入れ物に移して、自分の前に置いてくれた。 見たことのないそれ。ただ、とてもおいしそうな匂いを漂わせていることはわかる。 「食え。シウルお手製のシチューだ」 「お前、あそこから落ちてきたんだぞ」 その『しちゅー』とかいう食べ物を食べている時、ゴーストが頭上を指差した。 そこは確かに、自分が朝方歩いていた場所。少し、崩れているが。 「下が川で助かったな。地面だったら……いや、生きてるか。タツベイなら」 彼の言う通り、すぐ近くに川が通っている。 どうやら崖上を歩いていた時に崖が崩れ、そのまま崖下を流れる川に落ちたらしい。 「シウルに感謝しろ。溺れるお前を川に飛び込んで助けたのだ。  ……俺に頼めば自分が川に入る必要もないのに、お人好し奴だ」 ―― お人好し。その言葉が頭に染み込んで離れない。 その……シウルっていう名前のニンゲンも、自分と同じようにしちゅーを食べている。 時折自分に話しかけてくるが、やっぱり理解できない。 「うまいかどうか聞いている。どうだ?」 「おいしいよ。普段食べてる木の実とかよりずっとおいしい」 首を縦に振ると、シウルはニコッと笑った。 ……あれ? 何だろ、これ。どっかで見た、いや、聞いたような気がする。 全く同じじゃないけれど、似たようなもの。何だろう、何かが……。 「シウルが、ポケモントレーナー?」 「そうだ。まぁ……ちょっとした手違いで、こんな場所まで来てしまった」 夜。焚き火は申し訳程度に残し、ゴーストとタツベイだけを照らしている。 シウルは既に寝息を立てていた。ゴースト曰く『ネブクロ』とかいう物の中に入って。 焚き火の爆ぜる音と、川の流れる小さな音。そして、タツベイの呼吸の音だけが聞こえる。 「俺たちはもっと別の……海の向こうの地方を旅することになっていたのだがな。  立ち寄った港に停泊していた船の船体、備え付けの梯子に引っかかっていたメノクラゲを見つけた。  シウルは無駄にお人好しで……ポケモン好きだからな。  船に乗り込んで、波にのまれながらメノクラゲを助けた」 「…………」 「気が付いたら海の向こうのホウエン地方までやってきてしまった。  で、折角だからホウエンのポケモン一匹ぐらい捕まえてから帰ろうと言い出して。  ……全く、後先考えずに行動したら面倒になるというのに」 ふー、とため息を突くゴースト。でもそれは、面倒というよりどこか愉快そうでもあった。 川に落ちたあとずっと眠っていた所為か、夜だというのに目が冴えている。 そのおかげか、ゴーストの語るシウルの話は、一字一句逃さず聞くことができた。 「ニンゲンは酷い生き物だって、みんな言ってる」 「……そうだな。酷く、愚かで、自己中心的な者が多い」 「シウルは違うの? お人好しなんだよね?」 ゴーストはゴローンとかができる腕組みって奴をして、夜空を見上げた。 夜の闇とゴーストは不気味なほど似合っていて、寒気に近いものを感じる。 「シウルはポケモンのために泣ける奴だ。そんな奴が酷く、愚かで、自己中心的か?」 「……お人好しだね」 「そうだ、お人好しだ」 「ねぇ、どうして『誰かに喜んでほしい』って思うのかな」 「……何?」 疑問符を浮かべるゴーストを見上げる。 タツベイは少し頭の中で言葉を整理してから、 「オイラの知り合いが言ってたんだ」 ―― 母が喜ぶならばと私は翼を求めた ―― 「その人は……その、お母さんに喜んで欲しいから、翼を求めたんだって。  あ、知り合いってのはリザードンなんだけど。……よく、わかんないんだ」 ちぐはぐで順序がおかしい質問だったが、要点はわかる。 ヒトカゲは最終進化を経てリザードンとなり、初めて翼を持つ。母に喜んで欲しいがために。 タツベイにはわからなかった。リザードンが――黒竜が『母が喜ぶならば』と言った意味が。 「……それは、母親が大事だったからだろう」 「大事?」 「彼は……いや、彼女かもしれんが。  彼にとって母親はとても大事な存在だった。かけがえのない存在だった。  母親の喜びは彼の喜びでもあった。息子の成長は母親にとって喜ばしいことだ」 母親。……説明不足でゴーストが少し勘違いをしていたが、あまり気にするところではない。 自分にとって大事な存在なんていたこともないし、何より母親の顔も知らない。 「それ故に、自らの成長を見せて母親を喜ばせようとしたのだろう」 「……でも、進化したらそのお母さんは『ありがとう』じゃなくて『おめでとう』って言ったんだ」 わからなかった。何故その『母』は黒竜に『おめでとう』と言ったのだろうか。 だが自分には到底理解できないその問いに、ゴーストは簡単に答えて見せた。 「それは……簡単だ。その母親はシウルと同じだからだ」 「同じ? …………。お人好し?」 「そうだな。確かに自分にとっても喜ばしいことだが、その母親は彼の喜びそのものを祝福した。  ……面白いな。その母親はまるでシウルそっくりだ」  ―― もしかして、シウルが黒竜のトレーナーだったのだろうか。  ―― じゃあなんで、黒竜はシウルの下を離れたのだろうか。  ―― いや、違うか。黒竜はすでにおじいちゃんみたいなものだし。 いつの間にか空が白み始めている。 谷の仲間たちもそろそろ目覚める頃だ。 タツベイたちは朝から元気で、やたらと走り回ったり飛び跳ねたり。まぁ自分もそんな一匹だが。 昼間に川に落ちてそのまま眠ってしまった所為か、朝方だというのに全然眠くならない。 そういえば、黒竜はいつ頃起きているのだろうか。もう起きているのだろうか。 昨日は結局行けなくて心配しているだろうか。 (僕も……黒竜みたいになれるかな) ただ翼が欲しいだけじゃない。誰かのために翼が欲しい。 誰かのために強くなる。誰かのために空を飛ぶ。 かっこいいだけじゃない。……何か、よくわからないけれど。 自分が考えている以上に何かがあるものだと、よくわかる。 自分もいつか、黒竜みたいに――――  黒竜、みたいに?  あれ、何か忘れているような気がする。何だろう、何か……  そういえば、川に落ちる直前に何かしていた気がする。  何だっけ…… …… ……?       あ。 突然腰を上げ、川の傍へと走っていくタツベイ。 川面を注視し、さらに足元や対岸の岩肌辺りも見つめて、 何かを捜すようにキョロキョロキョロキョロ。 「? どうした?」 「ねぇ、オイラが落ちてきた時、他にも何か落ちてこなかった?」 「俺たちは何かが落ちる音を聞きつけてやってきたからな。  落ちる瞬間そのものに立ち会ってはいない。何だ、何か持っていたのか?」 「まぁ……うん。一応」 となると、川下まで流されてしまったことになる。 黒竜を模し、いつか自分もこうなれることを願って書いた飛竜の絵。 それ程大事って訳じゃないけれど、黒竜に見せてあげようと思っていた矢先のこと。 上手く書けた故に余計に口惜しくて、未練がましくもう一度捜してみる。 ゴソゴソとシウルが起床する音が聞こえたが、あまり気にせず捜索続行。 「ない…………」 「そんなに大事なものだったのか?」 「いや、えっと……どうだろ」 日が昇り始め、シウルたちは出立の準備を始めている。 確か、ホウエンのポケモン一匹捕まえて帰るとか。どうせなら近場がいい、ってゴーストが言っていた。 シウルが荷物を背負い上げる中、タツベイはまだあの板を捜している。 空を舞う翼を持つ一匹の飛竜の絵。何でかわからないけれど、なくしちゃいけない、まだやることが残っているような。 たかが板切れ一枚にどんな役割があるのかわからない。 「――――――――」 「俺たちはもう行くぞ。お前はこれからどうするつもりだ?」 僕は? 僕は……これから? これからどうする? 黒竜みたいになりたい。誰かのために翼を得たい。 その『誰か』が決まっていないのに、こういう願いはどうだろうか。 少なくとも、こうしてこの場に留まっている限りその願いは一生叶わないだろう。 それに、黒竜は言っていた。        ―― お前にもいつか、私と同じように翼が生える。それで世界の空を飛ぶがいい。        ―― 私は翼を求めていない。だが、母が喜ぶならばと私は翼を求めた。 「……ついていってもいい?」 「…………? 何?」 ゴーストが全身で傾げるくらい、自分の発言が突拍子もないものだと自覚している。 別にシウルが好きになったとか、何かに共感したとか、そんな立派なものじゃない。 己の欲望ともいえる。黒竜の言葉を真に理解するために、シウルたちについていきたいと思った。 ゴーストが腰のボールを指差したりして伝えると、ボールを持って近づいて来るシウル。 モンスターボール。人間が造った、ポケモンを収納して携帯できる物。 未だに理解できない黒竜の言葉。誰かのために何かを求める心。 シウルたちについていけば答えにありつけるとか、そんな簡単な結末ではないと覚悟している。 黒竜。お人好しの『母親』。……その『母親』に、そっくりなシウル。 自分の身体が光に包まれて、数秒間今まで感じたことのない変な場所に自分がいて。 すぐにその視界が開けて、目の前でシウルが笑っていた。 その時、シウルの口から飛び出した言葉。 ほとんど理解できなかったが、その単語だけ。それだけは理解できた。 「―――――― ………… 『コクリュウ』――――」  …… え? シウルが持っていたのは、あの板切れ。一匹の飛竜を彫った簡素な木製の板だった。 それを指差して、シウルは再び口にする。 「コクリュウ ―― ――――――――」 ついさっき拾い上げたばかりの板切れは、川に浸かっていたのか水浸しだった。 ―― 水に濡れた板は、その色を濃く染め上げて。  色が濃くなった板切れに描かれた飛竜は、『黒い竜』に見えた。 「……安易過ぎて嫌か? と聞いているぞ」 ゴーストの言葉で我に返ると、シウルは苦笑を浮かべて頭を掻いていた。 たまたま拾った板切れに彫られた竜。その見たままに付けられた名前。 コクリュウ。黒い、竜。そう、あの黒竜と同じ名前だった。 オイラの名前はコクリュウ。……オイラが、コクリュウ。 何だろう。嬉しいのとは別に、何か別の感情が小さく、小さく湧き上がっていくのを感じる。 何でかわからない。わかりかけているようで、全然理解していない。 何故か、シウルに頭を撫でられて凄く嬉しかった。  ――――――――――――――――――――――――――――――― 住み慣れた岩山を離れるのはそれほど苦じゃなかった。 友達とかはいるけれど、やはり親がいないというのが一番自分の背を後押しした。 大きな未練は……ああ、黒竜に挨拶できなかったことが一番の未練かもしれない。 黒竜は自分にとって父親のように感じていたし、もしかしたら黒竜も自分を息子みたいに見ていたかもしれない。 ……ほとんど、「かもしれない」だけど。 前を歩いていたシウルが振り返って、何か言っている。 多分、立ち止まって故郷を見つめている自分に対する何かだろうけど。 「――――コクリュウ――」 「どうした、やはり残るのか?」 「……ううん、すぐ行――」  オオオオオオオオオオオオオオオ!!!!! 咆哮だった。地平線の彼方まで轟くような偉大なる咆哮。 シウルも、ゴーストも。その巨大なる咆哮に思わず耳を塞ぐ中。 コクリュウだけが、その咆哮に聞き入っていた。 『黒竜』から『コクリュウ』へ贈る、旅立ちの咆哮。 小さき竜は翼を求める理由を求めて。……実はもう手に入れていることに気付かずに。 ゴーストには理解できなかっただろうが、自分には理解できた。  ―― 行ってこい。翼の真なる意味を見出してくるがいい。 自分のバックに控えるのは、黒く大きな翼を持つ一匹の火竜。  行ってきます。 「……そうだ、ねぇ」 「ん?」 「キミの名前はなんていうの?」 「そういえば名乗っていなかったか。なに、お前より安易な名前だ」 「そうなの?」 「俺の誇りでもあるがな。よく覚えとけ、俺の名は――」      〜 End 〜