忘れるな……全てを……。この戦い。そして失ったものを。  忘れるな……。仲間との……友との出会いを……。  さらばだ……。親愛なる友たちよ……。 いつかの記憶。それは彼らの脳裏に張り付いて離れない。 離れそうになっても逆に貼り付ける。あの記憶は忘れてはならない。絶対に。 世の広める必要もない。それが全てだから。それが彼らと彼の絆だから。それだけで十分だから。 虚空に消えた友。―――あれから、6年………。 不気味な風が、頬に粘りつくように吹き付けてくる。 晴天の下。その島だけは邪悪なオーラに包まれ、見る者来る者全てを狂わせていく。 何もない、ただの無人島。露出した岩肌の上に転がる奇怪な土の塊。まるで何かを模っていた土が、力を失い崩れ去ったかのような。 何か大きな力で抉られた岩肌。見るも無残な姿と化した小さな無人島。まるで、大規模な戦闘……ポケモンバトルでも行われたような。 その真中。大きくクレーター状に抉れたその場所の中心に立つ一人の男。 「なるほど……ここか。ここで果てたのか。原因は分からぬが……」 唸るように呟き、足元から何かを拾い上げる。小さな黒い石。――否、黒く変色、凝固した“何か”だ。 男はじっくりとそれを見つめて、邪悪な笑みを浮かべた。 「まだまだ転がっている。これだけあれば何とかなる……。  あの波動を受ければ、ヤツらも目を醒ます。……順調に事が運ぶ……」 ――黒い“何か”を空のビンに入れ、また一つ黒い“何か”を拾い上げる――  ―― 男は知らない。それがどんな災厄を呼ぶものなのか。   ―― 男は知らない。それがどんな結末を用意しているのか。    ―― 男は知らない。それに宿る魂が、いかに邪悪なものなのか。 ―――― リベンジャー FINAL STORYT ―――― ―――― 水の街 ―――― 「○月×日、デボンコーポレーション本社を襲撃した謎のポケモンは未だ行方が分からず、捜査は難攻を極めており―――」 カーラジオから流れるそのニュースは、熟睡している青年の耳に届くことはない。 見渡す限り草原が続き、それを貫くように一本の道がある。とある街まで仕入れに行く軽トラックは、タイヤが石を踏む度にバウンドを繰り返す。 吸い込まれそうな蒼穹と、春のポカポカした陽気の下。青年とそのポケモンは、仲良く横になって夢の世界にいた。 小麦粉か何かを詰めた袋にビニールシートを被せると、即席の枕となった。荷台の上でこれ以上の枕はない。  ガタン! ゴン!! 「うごっ!?」「ラ!?」 大きめの石を踏んだのか、一際大きくバウンドするトラック。 青年とポケモンの短い悲鳴は、その運転手の耳にも容易に届いていた。 「兄ちゃん、大丈夫かい?」 「お、おお……。軽く強打したけど…」 バウンドの瞬間、不運にも頭の位置がずれて小麦粉枕を外れ鉄板に逆ヘッドバットする羽目になった。 当然鉄板と生身の人間の頭では硬度や強度が違う。あっさり負けて青年は後頭部を押さえながら悶えた。 「チュウ〜?」 「た、多分大丈夫。コブに……なってるわ、クソ。お前こそ大丈夫か?」 「ラァイ!」 涙目の主人とは裏腹に元気一杯のポケモン。それはそうだろう、青年の腹の上で寝ていたのだから。 ちょっとばかし下腹部もダメージアリだったが、たっぷり寝てご機嫌な相棒の機嫌を損ねさす必要はないと判断する。 「お、見えてきたぜ」 「!」 移動中の車上で器用に立ち上がり、青年とポケモンは運転席の屋根の上から前方を見渡した。 自分たちが乗る軽トラックが走る自然の道。緩やかなカーブを描きながら続くその先に見える、一つの街。 それはちょうど、青年が訪れたことがある街、ジョウトのコガネシティと同じぐらいはありそうな規模の街だ。 街の向こうにはすぐ蒼い海がその雄大な姿をさらし、陽光を吸収して白光を放ち煌めいている。 「あれがセキサシティか〜。結構でっけぇな」 「チュウ〜…」 「兄ちゃん、トレーナーだろ? あの街に行くっつったら、アレかい、腕試し?」 「へ? 腕試しって、何かあんの?」 視線を一瞬逸らしたその瞬間だった。視界の端に何か飛び込んできた。 道の傍らにある大きな森。その緑の中に奇怪な金色が凄まじいスピードで突き抜けていく。 同時に聞こえた微かな音。――そうだ、ちょうど虫ポケモンが羽ばたくような、そんな音。 乱立する樹木の隙間を縫うように突き抜けていく。まるで風のようなその影に、青年はハッとなって荷物を背負った。 「おっさん、ここでいい! ありがとな!」 「へ? ああおい! ちょっとォ!?」 あろうことか、青年とポケモンは走行中の軽トラックの荷台からひらりと飛び降りてしまった。 咄嗟に急ブレーキをかけ、青年たちの安否を確認しようとした。……無意味だったかもしれない。 二人はケガした様子も見せず、こちらに目もくれず森へと突撃していった。 ―――春の陽気の下。海沿いのセキサシティの上空を、キャモメの影が一つ、二つ……。 「…………」 軽トラックの姿も見えなくなった頃。青年とポケモンは追跡を止め、目を閉じて立っている。 二人の周りを“見えない風”が甲高い鳴き声を上げながら、ぐるぐる旋回している。 虫ポケモンの羽ばたく音とその鳴き声だけ。二人の耳にはそれしか聞こえていない。 (……からかってるな、こいつ) 慣れた様子で、腰からモンスターボールを一つ手にとる。使い込まれた古いボールだ。 いつでも投げられるよう握り、相手の出方を待つ―――  ギュンッ!! 「!」 ――斬撃系の代名詞、居合斬り。二人の間にわざわざ滑り込んで地面に残された斬撃痕。 今の居合斬りで確証を得た。こちらの判断は間違っていない。 「お前は風みたいなヤツだな」 語りかけるように呟く。こちらに興味を示したのかどうかはわからないが、飛び回るだけで攻撃はしてこない。 見えないほどのスピードは未だ衰えず、それどころか速力を増しているような気がする。 「でも」 青年は構えた。右手の古びたボールの中で、風よりも鋭い“何か”が身悶えする。 風のようなポケモンが、その視線に射抜かれ一瞬動きが鈍った――― 「お前は風じゃない」 その一瞬。たった一瞬。“風のようなポケモン”の目の前に“風が具現化したようなポケモン”が回り込んでいた。 紅の鉄槌が、陽光に照らされてギラギラと輝く―――― 「……ビ?」 金の兜だ。そんなものを被ったようなその小柄なポケモンは、身体を震わせながら起き上がった。 薄い羽が高速で羽ばたき、真っ赤な目で辺りを見渡す。“自分はいつ寝た”のだろうか。 それが気絶であることもわからず。数分前に人間とポケモンをからかっていたことも忘れ飛び去ろうとして、 ……眼下に一つ、小さな木の実が置かれていることに気付いた。しかも、自分が好きな甘い味の―――― 《図鑑ナンバー291 テッカニン データ入力済み》 「よし、これでまたデータが増えた」 手の中の赤い機械の液晶画面。そこに映し出されているのは先程捕獲したテッカニンだ。 データさえ入力すればポケモンそのものは必要ない。青年は捕まえデータを入力すると、すぐにその場で逃がすくせがついていた。 昨年の冬に新調したパーカーは春の陽気の下では少々暑く、腰にきつく巻いて荷物を背負い直す。 ジーンズもそろそろ替え時かもしれない。濃い色のそれは、裾がボロボロになって少し短くなっているような気がした。 「ふ〜ん、あいつ《加速》っていう特性持ってたのか。あれ以上加速されたらさすがに見切れなかったか…?」 カタカタと、腰のボールが文句を垂れる。 「分かってるって。お前なら六段階加速したって追いつける」 前方に見える港町。とある建物の影響やその街並みもあって、観光地として有名な街でもある、セキサシティだ。 春の真っ只中。通常より少々気温が高めなその日。青年とポケモンは蒼穹を拝みつつ、ゆっくりと歩を進めた。 こうやってのんびり歩くのも久し振りだった。暖かな風が、心地良く二人の背を押す。 古ぼけたヘアバンドの上で蒼い髪が靡き、銀のロケットが胸の上で踊る――― 頭上を飛び交うキャモメは、その船を歓迎しているのかもしれない。少女はそんなことを考えつつ、強風で暴れる髪を撫で付けた。 この海や空と同じ蒼。だが少女の髪は明るさを帯びて水色に近い。彼女はその髪を気に入っていた。綺麗な色だというのと……。 “あの人”と、近い色だから。 「あ、見えてきたよ」 「シャオ?」 「ほらあそこ。まだちょっと小さいけど。……見える?」 「シャオオ!」 彼女が指差す先を、そのポケモンは懸命に見つめて歓喜の声を上げた。 甲板から見えるその先に、ポツンとだが小さく何かが見える。ホウエン地方の港町、セキサシティが微妙にだが見え始めていた。 さてと、 「シャイン、あの街に着いたら早速バトルだよ。気合い入れてよね!」 「シャ! シャウオウ!」 ――一つの決意が固まる中。船尾に聞こえる声は、どこまでも懐かしい……。 「いやしかし、アレだな」 「アレ?」 「え〜と、何だっけか。そうだ、アレだよ、アレ」 「………あんたさ、特に理由もなく喋るの止めてくれない?」 「む、失礼な。それはつまり俺の存在そのものを否定しているな?」 「いつ否定したのよ……」 そんな他愛のない会話はもう慣れたもの。金髪の彼女はただ、目の前で左右から合流していく海流を眺めていた。 肩の上で無駄に口を開く相棒は、いつにも増して無駄だった。その存在も無駄かもしれない。 真っ黒なカラスの無駄な言葉を右の耳から左の耳にスルーさせるのも、最早日常茶飯事である。 「くう〜…ああ! よく寝たぜホント」 船内からひょっこり顔を見せる彼もまた、最近では日常になり始めていた。オレンジの髪に同色のバンダナを締めている。 大きく欠伸をする彼は、今の季節ではおかしくなかった。Tシャツに丈が短めのズボンはどう見てもおかしくない。 ただ、去年の冬に会った時も似たような格好をしていたのはさすがにマズイと思った。 「もう昼よ。あんた寝過ぎ」 「いやいや、寝る子は育つっていうだろ?」 「18歳のあんたにその言葉は適用されるの?」 「適用される……か? どうだろ?」 他愛のなさ過ぎる会話。恐らく適用されないだろうであろう青年は、大きく伸びをしながら広大な海を見つめた。 どこまでも続く蒼い海。遠くにホエルオーの潮吹きが見え、その周りに数匹のホエルコが戯れている (……確か、あん時もホエルオーの親子が見えたっけな……。あいつも見てた……) 苦笑する。蘇った記憶は、いつまでも薄れない。いつまでもしっかりと記憶に残っている。 彼は苦笑を微笑に変え、彼女に振り返った。 「なんつーか、懐かしいなぁ。お前と二人で旅するの。え〜…と、5年前だっけ?」 「7年前よ。……二人を除いた全員が、初めて顔を合わせたあとのことでしょ?」 「おいコラちょっと待て。俺は人数に含まれねぇのかお二人さん。特にそこのバカヅラ」 ピク、と青年の何かが反応した。 「どっかのスカし野郎と同じ言葉使うんじゃねぇよバカラス」 「あんだとバカヅラ! やるか!?」 「やったるわ! 覚悟しろバカラス!」 「あああもう! こんなとこでケンカしないでよ、注目浴びるじゃない!」 腰からボールを引っ掴んで距離をとる青年と、肩から翼を広げて飛び出すカラス。 昔はよくあった光景。6年経った今でも、彼らの関係は変わっていなかった。気苦労を思わせるため息だけが漏れる。 6年前もそうだった。彼と出会ったのは7年前。ポケモントレーナーとして旅をして、リーグに出場して。 ――……それから、人に話しても信じてもらえないような出来事が沢山あって……。 船の速度が少しずつ遅くなっていく。振り返れば、港町セキサシティがすぐ近くに見えていた。 水。水。水。水。水。水。水。水。……海。 その街に住む以上、水との付き合いは決して絶つことはできない。イトマルの巣のように張り巡らされた水路は、陸の道より多いような気がした。 移動は専ら水路が使われ、ボートや水ポケモンが人々の足代わり。家々の間をすり抜けるように流れる水路こそ、その街の代名詞といえる。 街を真っ二つにする大きな水路は中央水路と呼ばれ、北から南まで行き交う人々、さらに“今の時期”を狙った出店が多く並ぶ。 ホウエン地方有数の規模を持つ街、カナズミシティの同格の大きさを持つ街。カナズミの名所をデボンコーポレーション本社とするならば、 このセキサシティの名所は、東の城のような建築物。そして西の巨大なドーム状の建物だ。 東が最近有名になった“古代携帯獣化石博物館”、西を用途多様な“セキサドーム”。……そして、 そのセキサドームこそ、この街のお祭り騒ぎの原因である。 セキサドーム。またの名を、水のドーム。ドーム内の客席以外は全て水路と同じ水で満たされていた。 客席は満席。子どもから大人まで、既に行われているイベントに白熱している。彼らは一様に同じ趣味を持っている。 この世界の住人ならば、嫌でも目に入るもの。ポケモンバトルは世界の常識の一つともいえた。 ポケモンリーグ本選が行われるスタジアムに負けない大きさのドーム。天井に開いた大きな穴から、春の太陽が暖かな光を送り込んでくる。 水のバトルフィールドといえよう。いくつか浮いている色鮮やかなタイルは、あまり大きなものとはいえない。 小型、中型なら乗ることが出来るが、さすがに大型や体重の重いポケモンは乗ったら一発で沈む程度のもの。 トレーナーは対岸から突き出た足場の乗り、そこからポケモンたちに指示を出す。 さあ、聞こえる。一人のトレーナーの指示で、一匹のポケモンが華麗に蹴りを放つ――― 重く鋭く、そして的確な一撃。華麗な飛び膝蹴りが、相手のラグラージをフィールドの壁まで吹き飛ばした。 あそこまで強力な一撃を受けて立ち上がれるはずもなく。水に浮かんだラグラージはどう見ても気絶していた。 「おおっとォ! チャーレムの十八番、飛び膝蹴りでラグラージぶっ飛んだァ!!  あの細い身体のどこにあんなパワーが……あ、足は太かった! 悪ィ悪ィ!」 「オッケー、ブレック。カンペキ!!」 頭上の小うるさい実況の中、少女がズビッとVサインをすると、そのチャーレムは少ない動作で合図する。どうも照れ屋な性格らしい。 通算九連勝を果たした少女は、春というよりほとんど夏季をイメージした服装だった。膝丈の半ズボンと、ノースリーブのシャツ。 鮮やかな蒼の髪。その上に巻いた同色の布がリボンのように見えてオシャレである。腰にはボールが六つフル装備。 目鼻のスッキリとした顔は、自信に満ち溢れていた。 ――ポケモン協会公認ジムバッジ。それを六つ以上持つ者だけが参加できるセキサリーグ。 来たるポケモンリーグに備えたトレーナーたちの力試しでもあるが、街全体がそのイベントに便乗している辺りそれだけではないらしい。 水と化石の街と呼ばれるセキサシティが一番輝く、春空の下で賑わう日―― セキサリーグで十連勝した者には、ポケモンリーグ本選でシード権が与えられる。それが一番の目的かもしれないが、 連日行われるその祭り中、初日の最初に九連勝した者にだけ与えられる特権。 ――ジョウト地方のとある有名トレーナーとバトルできる。この盛り上がりようは、そのトレーナーの存在が一番大きいのかもしれない。 「順調にぶっ飛んだバトルを見せてくれる、カイナシティ出身、セリハ!  一度もダウンすることなく戦いまくる彼女に拍手を贈ってくれ!!」 木霊する拍手と声援。それらを浴びながら、セリハは自分の成長を自分で認めた。 八つ目のバッジを手に入れてから修行を繰り返し、そしてセキサリーグでの九連勝。この調子で行けばポケモンリーグでもベスト8に入れるかもしれない。 ……いや、もしかしたら優勝も狙えるかもしれない。6年前の、あの人のように……。 「さてさてさてェ! 皆さんお待ちかね! 九連勝をカッコ良く決めたセリハに立ちはだかる巨大な壁!  これから行われるこのスゲェバトルも、この暴走実況野郎イッチャンがトロピウスのロロッチの上から叫びまくるぜェェ!」 ……このセキサリーグの名物らしい。とにかく激しく実況することで有名な実況野郎、イッチャン。 黒の革パン、革ジャン姿に逆三のサングラスでキメた、どっかの遊び人風に見える。だがその実況は観客を一つにまとめる魅力を持っていた。 噂によると、どうやら今度のホウエンポケモンリーグの司会&実況に抜擢されたとかでテンション上がりまくりらしい。 マイク片手に相棒のロロッチと共にフィールドを飛び回り、たまに流れ弾を受けて墜落したりする。 「………」 「ホラ、出番だよ?」 「いや…まぁ確かに。だが何かおかしくないか? 街に入った途端あのイッチャンとかいうヤツに連行された辺りが」 「有名トレーナーの運命ってことで♪」 「……認めたくない……」 腰のボールに手を添える。それだけで緊張が吹き飛び、最も心地良い瞬間だった。 ボールの中から六つの力が流れ込み、腕を通して全身に行き渡っていく。 「よっしゃあそろそろ行くぜェ! チャレンジャーセリハ! 準備はいいか!?」 「…………」 一度深呼吸。もう一度深呼吸。掌をゆっくり開き、彼女はイイ笑顔でビシッとVサインを出した。 「オッケ!」 「うおーっしィ!! みんな盛大な拍手で迎えちゃってくれ!  ジョウト地方の若き天才ジムリーダー! オレっちが発見してここに連れ込んだ銀髪のイケメン野郎!」 ……観客の女性陣が沸き立っている辺り、その辺が目当てなのかもしれない。 確かに彼は有名だった。ジムリーダーであると同時に、6年前のカントージョウトポケモンリーグで準優勝を収めた……。 「フスベシティのジムリーダー、ジンの登!場!だァァァアア!!」 ―――確かに会場は沸き立っていた。だが彼にやる気はない。 いきなり訳のわからないどっかのバカを連想させるハイテンション男に連行された挙句、ゲストに仕立て上げられバトルさせられる。 それ相応の報酬がなかったら、イッチャンを本気でぶっ飛ばしてやろうと思った。 (あの人が……ジンさん…!) フィールドの反対側から現れた、一人の青年。 控えめな色の上着と迷彩柄のTシャツ、その華麗な銀髪が目を引く二十歳に近い男だった。 背は高く、身体はがっしり。オマケに美形とくれば世の大抵の女性は一撃アウトだろう。だが。 セリハにそんな余裕はない。今からこの人とバトルするのだから。 (リーグで……あの人とすごいバトルを繰り広げた人…!) 背中がしっとりと汗ばむのを感じた。今まで戦ったどんなジムリーダーよりも、この人は強い――! 「さ〜てルールの説明だ。形式はシングルで三対三の勝ち抜き―――」 「おい暴走審判」 「戦……ってんん? どーしたジムリーダージン?」 さあ盛り上がろうとした時、ジンは思いっきりイッチャンのルール説明に割り込んだ。 トロピウスの上から下を覗き込むイッチャンに、ジンは目つきを鋭くして告げる。 「俺はあんたに無理矢理連れてこられたんだ。少しぐらいワガママを聞いてもらうぞ」 「へ?」 唖然となるイッチャンに完全無視を決め込み、彼はセリハに向き直った。 真正面から見据えられ、心臓そのものをスプーンですくわれたような感覚が襲いかかってくる。 「ルールはダブルで二対ニ。先に相手の二匹を戦闘不能にした時点で決着。  ダブルで二体だから当然交代は認めない。……異存はあるか?」 「え、えっと……ないです」 「異存は“もちろん”ないな? 暴走審判」 「あ、はい。了解です。ごめんなさい。だから睨まないで〜…」 「さぁさぁさぁさぁ! とっととおっ始めるぜイ! とりあえずみんな静粛に〜!」 ジンに脅された過去もその辺に捨てて、ポジティブ全開のイッチャン。この立ち直りの早さはなかなか称賛ものだ。 声援、野次も止み、水のドームを静寂が支配する。ロロッチが羽ばたく音だけが聞こえる……。 「セキサリーグ十戦目! チャレンジャーセリハVSジムリーダージン! ダブルバトルで開始だァァァア!」 「バース、リンリ!」 セリハ側から繰り出された、二匹のポケモン。 胴長の身体と美しい体色が目を張る、水中の慈しみポケモン。 タイルにピタリと短い脚を据え、口なのか顔なのか分からない紫のウミユリポケモン。 大きな湖の底にいるといわれる… 最も美しいポケモンといわれていて、絵画や彫刻のモデルとなっている…。 約1億年前に絶滅したポケモン…。 海底の岩にくっつき花びらのような触手で寄ってきた獲物を捕まえる…。 「………」 無言のジンがボールを放つ、片方は天を舞い、片方は水中へと身を潜めた。 水中側は完全にその姿を隠し、種族も分からない。だが空中側は逆に甲高い鳴き声と共にその存在をアピールする。 灰色の翼が太陽を覆い隠し、水面にその雄大な姿を映し出した。 琥珀から取り出した遺伝子を再生して復活した、恐竜時代のポケモン…。 空の王者だったと想像されている…。 「セリハはミロカロスとリリーラだ! どっちも随分レアなポケモンだァ!  対するジンはプテラと……んんん?? 水中に引っ込んで姿が見えねぇ! 一体何が飛び出すのか〜!?」 それほど大きくないが、水面に影が一つちらほらしていた。あの大きさのポケモンならいくらでもいる。 正体を探っていても時間の無駄。相手は最強クラスのジムリーダーだ、普通の戦い方じゃ倒せない―― 「バース、プテラにハイドロポンプ!」 敵戦力を削るのは有効な手だ。岩タイプには効果抜群の太い水流が、上空のプテラを狙い打つ。 「定石だな。……ジーテ、避ける必要はない」 「!?」 プテラはそれほど特殊防御力が高いわけではない。上級水タイプ技であるハイドロポンプを受けたらただでは済まないはずだ。 ジンは腕組みしたままプテラと水流の距離を見つめ、……ボソリと。 「原始の……」 「ギィィ……」 「力」 「ャァァアアア!」 ゼロ距離になるその瞬間、プテラを黒い光が包み込み、ハイドロポンプを弾き飛ばした。 甲高い咆哮と共に真っ黒となったプテラ、ジーテ。再び大きく咆哮し、そのまま黒光りする身体でバースに突撃する。 「やば…っ! リンリ、怪しい光! バースは水中へ―――」 「カミッセ、破壊光線」 緊迫の一瞬を引き裂く閃光。プテラに気を取られていたのが最大の失態。 水中に潜む何かが、極太の破壊の一撃を吐き出した。ドームを揺るがすビームが水面を割り、バースの鼻っ面にぶち当たった。 タイルから浮き上がったバースの長い身体。頭部に遅れて引っ張られていくその美しい身体を弾き飛ばし、山吹の一撃がフィールドの壁を抉り散らす。 壁の破片と共にバースが水中に沈む。同時に「ピギャ!?」という小さな鳴き声も聞こえた。 「しま…!」 ―――何もかも遅い。仲間を沈められ気が動転したリンリを、ジーテの黒き一撃が打ち据えた。 バースと同じように弾かれ、壁にぶち当たり、落ちる――― 「………! い、一撃だァァ! ジムリーダージン! 颯爽とミロカロスとリリーラをフィールドに沈めたァ!  なんつー強さかジムリーダージン! その肩書きは伊達じゃねぇ!!」 一瞬遅れた歓声。誰もがその一連の攻撃に目を奪われていた。 ミロカロスのハイドロポンプを原始の力で弾き、水中に潜んだ何かが破壊光線で技を妨害しつつミロカロスを撃つ。 仲間のダウンで隙が出来たリリーラに、プテラが原始の力を纏ったまま突撃。簡単そうに見えるが、そう簡単にはいかない。 鍛え上げられた二匹が最大のコンビネーションを発揮しないと成しえない技。それをジンは容易くこなしてしまったのだ。 「あ、あまりに一瞬過ぎてなんか釈然としねぇけど…。  この勝負、ジンの勝利だァ! そんじゃまヒーローインタビューを……」 「…………」 ジンは動かない。ちょっとウザイ男がマイクを突きつけてきても、ジンは腕組みしたまま動かなかった。 ジーテと何かも、主人の指示を待っていた。そう、指示を待っている。 ジンの視線が射抜いているのはセリハだった。項垂れて動かない彼女は、妙な空気をかもし出している。 沈んだミロカロスとリリーラを回収せず、動かない。不意に動いた彼女の足が、何かのリズムを刻むように床を叩く――― 「おい暴走審判。どいていろ」 「え?」 「ジーテ、カミッセ! 来るぞ、気を抜くな!!」 その判断は正しかった。水中を割った何かが、勢いよくその身を晒す。 「バース! よく狙ってハイドロポンプ!!」 自己再生、という技がある。 言葉通り自己を再生する。己を回復する。全身の傷を癒す特殊な技。 自分がつい最近まで世話になっていた人物が、ホウエン地方特有のポケモンたちについて教えてくれた。その中で、ミロカロスというポケモンは……。 高い特殊攻撃力と体力。特性は不思議な鱗。そして、例の特殊技も扱える。 ダウンしても諦めない。転んでもただでは起きない。最後まで諦めず、ポケモンたちを信じる戦い方―― どこかの誰かと似ている気がしてならない。足場を叩くリズムで水中のポケモンたちに指示を出すなんて変わった戦法、同じ境遇ならばあいつもやったかもしれない。 こういった状況を予測しないとできない芸当だ。事前にポケモンたちに教えておく必要があるから。 たかだか六つ以上バッジを集めただけとナメていた。油断すれば、負ける! 「おおっとォ! まだ負けていないとばかりにミロカロスふっかぁぁつ!!  勝負は終っちゃいなかった! 試合再開! 最後までぶっ飛んだ勝負になりそうだァ!!」 ちゃっかり避難した……というか本当に巻き込まれそうになったイッチャン&ロロッチ。 イッチャンはいつも通りのハイテンションだったが、ロロッチは急いで上昇したためかかなり疲労しているように見えなくもなかった。 あのリリーラというポケモンも戻さなかったということは―― 「ジーテ、旋回して避けろ! カミッセ、リリーラが水中を……」 「毒々!!」 時既に遅し。水中をさりげなく漂い接近したリリーラが、未だ姿を見せない水ポケモンに猛毒を見舞った。 ……が、カミッセもそれほど甘くない。リリーラの接近などとうに気付いている。毒々は回避した――― 「リンリ、相手に直接根を張る!!」 「な!?」 予想だにしない指示だった。本来地面に根を張り、そこから養分を吸収する技、根を張る。 それを相手に直接使うということは、相手そのものから体力を奪うということだ。根を張られ続ける限り。 ジンはその瞬間、理解した。この娘は――― 本気にならないと、勝てない。 「カミッセ! 全力で竜巻! ジーテ、最大出力でミロカロスに破壊光線!!」 「ドルルルァァアア!!!」 「ギィィヤアアァア!!!」 水面が割れた。そこから伸びる極太の竜巻は意志を持っているかのようにうねり、空中のイッチャンとロロッチを掠めた。 ジーテの破壊光線もついでに掠め、正直かなり危険な状態にある。 「うおあ!?」「フウオ!?」という情けない悲鳴も無視し、竜巻がさらにその規模を大きくした――瞬間。 バースが水中へ避難した瞬間と重なった。竜巻の中腹辺りから何かが飛び出し、タイルの上に横たわった。 それはどう見ても気絶したリンリであり、一匹がダウンしたことでもあり。 巨大な竜巻から姿を現した“彼”が、その筒のような口先に光を収束していく――― 深い海底で静かに眠る…。 水面へ上がってくる時、船を飲み込むほど大きな渦潮が発生する…。 「カミッセ、破壊光線!!」 キングドラの一撃が、ミロカロスを山吹色の世界へと包み込んだ。 「あははは……負けちゃったね」 「………」 「あ、言っとくけど、みんなの所為じゃないからね? あたしが悪かったんだから。  特にバース、ごめんね? 最後の最後で指示だせなかったし……」 そんなことない。キミは十分頑張った。彼に人間の言葉を操る術があるならばそう言っただろう。 セキサシティポケモンセンター。トレーナーたちで賑わうロビーの一角に、セリハたちはいる。 最後のジン戦で戦ったバースとリンリ、そしてそれまでの戦闘で頑張ったブレックとシャイン。 ブレックとシャインは疲労だけだったため、バースとリンリは己で傷を癒せるため回復に時間を要さなかった。一時間ほどでケロッとなって帰って来た。 シャイン以外をボールに収め、それほど多くない荷物を背負い直す。 微笑を向けると、相棒であるワカシャモも微笑を返してくれた。 「縁日はまだ続くし、修行はそれからでもいいし。一杯楽しんじゃおう!」 「シャオオウ!」 「待て」 いざ外を出ようとしたその瞬間。自動ドアの向こうに立ちはだかる形で、ジムリーダージンは立っていた。 腕組みして立つ彼は先のバトル時よりも迫力があった。さらにその傍らには漆黒の犬が控えている。 通行人の邪魔にならないようセンター内まで入って来ると、今度こそセリハたちの目の前に立った。 「聞きたいことがある」 「へ? あ、はい、何ですか…?」 ジンの出現で周囲から囁き声が聞こえるが、ジンは全て無視を決め込む。 「お前、確かリリーラというポケモンを持っていたな?」 「え?」 ―――一瞬動悸が激しくなる。リリーラのリンリは、三番目に仲間になったポケモンだ。 いろいろと、いざこざがあったが。 「持ってます……けど…」 「どこで手に入れた?」 「そ、それは……」 「まさか、デボンコーポレーション本社じゃないだろうな?」 「っ! え――」 「よし、警察に行くぞ」 問答無用で腕を掴まれた。自分は女で年下、相手は男で年上。どう考えたって腕力で敵う相手ではない。 デボンに侵入してポケモンを盗んだ。……と思われているらしい。そう考えるのが普通だ。 デボンでは近年古代携帯獣復元実験に成功したらしく、アノプス、リリーラというポケモンが数匹復活したらしい。 リリーラを持っている彼女を疑う余地はなかった。古代ポケモンそのものが出回ることなどなく、存在そのものが貴重なのだ。 「ちょちょちょ! ちょっと待ってください! あたし盗みなんて!」 「言い訳なら取調室でしてくれ。ポケモン協会は警察と繋がりを持つ。  ジムリーダーとして協会に所属している俺はお前を連行する権利がある」 「シャオ!」 センターから出て三歩歩いた時、回りこんだワカシャモがジンの前に立ちはだかった。 漆黒の犬が威嚇しかけたが、視線だけで止めさせる。 「シャオ! シャウオウ、シャア!」 ――弁解しているのだろう。彼は性格上真っ先にセリハを護ろうとする。 前に立たれて当然足を止める羽目になったが、ジンはシャインの言葉を“一字一句”真剣に聞いていた。 ポケモンの言葉で人間に弁解することなど出来ない。だからといってこのまま捕まるなんて嫌だ。シャインに気を取られている隙にボールを掴んで……。 「…そうか」 「!?」 腕を掴む握力が消え、真後ろに体重をかけていた身体が自然と尻もちをついた。 小さく悲鳴を上げて、セリハは唖然としながら青年を見上げ、青年は少しだけ表情を緩めてセリハを見下ろす。 「お前は随分ポケモンに好かれているな」 「え?」 「疑って悪かった」 差し出された手を、訳もわからないまま握る。助け起こされても釈然としない。 まるで、シャインが疑いを晴らしたようだった。シャインの言葉をジンが理解したようだった。 ジムリーダークラスになるとポケモンの言葉も理解できるようになるのだろうか。いや、いくら何でもそれは無理に違いない。 じゃあ、何で……?? 「お兄ちゃん、やっぱり! 何やってるの!?」 「コン!」 突然センターに入ってきた彼女は、真っ青な髪を翻して他に目もくれずジンに詰め寄ってきた。 視線を向けたジンが一瞬ギョッとして、「いや、えっと」と言葉を濁し始める。 その様子に加え、セリハの存在に気付く。すごい剣幕だった女性は苦労が見え隠れする大きなため息を吐いた。 「ああもう! どうせ勘違いして迷惑かけたんでしょう!?」 「う……」 あのジンが何も言えなくなる女性。さっきのバトルで見せた気迫はどこへやら。 そんな彼女も、セリハに顔を向けた時にはありえないくらい穏やかになっていた。声も。 「ごめんなさいね。ウチのお兄ちゃん、ちょっとそそっかしい所あるから……」 「は、はぁ……」 綺麗な人だった。控えめな色のロングスカートが、彼女の清楚さをさらに引き立てている。 二つに結った蒼い髪は“あの人”にそっくり。本当に人なのかと思えるぐらい整った顔立ち。 傍らでは、彼女のポケモンと思しき九尾の獣が漆黒の犬を叱っているようにも見えた。主人同様頭が上がっていない。 ――それから数分。妹が兄を叱り続けるという少々奇怪な光景を眺めた。 あたし、そろそろ行きますのでーと小さく一応言ってみると、女性だけこちらを向いた。笑顔で。 小さく手を振り、そして再び説教を始めた。――どういう、関係? 兄妹? 本当に?? 似ている所が何一つないその兄妹に別れを告げ、セリハとシャインはセンターをあとにした―――― ………っ!? 視線。不思議な視線。 ぞくりと背筋を撫でるような目。……いや、危ない人の視線ではない。もっと別の視線。 全てを見透かすような、ある意味恐ろしい視線がどこからか飛んでくる。右? 左? 上? ……下? セキサリーグに乗じたお祭りは、陸に留まらず水上でも行われていた。水路に浮かぶ小さな船の上で露店を開く者も沢山いる。 装飾が施された橋を渡る、リーグ出場者と思われる人。駆け回る子ども。値切り合戦を始めた人。 ……違う。視線の主はこの中にはいない。セリハとシャインは己の感覚を総動員して相手の位置を探る。 自分たちだけの空間。全ての喧騒が遠く彼方の声に聞こえ、代わりに不思議な視線だけが明確になっていく。 ――何かが、弾けた。 「上……! シャイン!!」 「シャオオオウ!!!」 一気に跳躍。すぐ近くの建物の上に軽く飛び乗り、相手の正体を探る。 それ程高くない建物の屋上。シャインの背中だけ見えていたが、それ以上の進展はない。 妙な視線の主を発見したのなら一声上げるはずだが、相棒からの合図は皆無だった。 不審に思い、チャーレムのブレックを出した。 「ブレック、あそこまで蹴り上げて。できる?」 「ボボ」 当たり前だとばかりにどんと胸を叩く。セリハも頷き、出来る限り大きくジャンプした。 彼女と地面の隙間に滑り込み、セリハの靴の裏を足に乗せる。そのまま縦回転を加え―― 「ボウッ!!」 蹴り上げる。というより持ち上げ、そのまま弾き飛ばす。身軽な彼女の身体は簡単に屋上まで跳ね上がった。 ブレックの微妙な調整のおかげで、足に負担がかかることなく華麗に着地する。 「よっと。ありがとねーブレック。ちょっとだけ待ってて。で、シャインどうなって……」 視線を向けて……アレ?と呟いて辺りを見渡す。 何もいない。確かにそこから視線を感じられたのに、殺風景なコンクリートだけの屋上には何の姿もない。 下方から祭りの喧騒だけが聞こえ、それ以外に何も存在しない。う〜んと唸り、傍らのワカシャモに問い掛ける。 「何も……いないね?」 「シャオ…」 「逃げたの?」 「シャオ、シャオオウ」 「違うの? じゃあ……」 ―――何だったのだろう。気のせい? 二人揃って? あの視線は確かに存在していたのに。あんな不気味な視線、一度味わったら忘れられない。 こうやって唸っていても何かが始まるわけではない。とりあえず、今すべきことは唯一つ。 お祭りを目一杯楽しむため、セリハはシャインに抱えられて屋上から飛び降りた――― 粘りつくような視線が、水路の中から伸びていることも知らずに。 『まったく……そそっかしいことこの上ないな、ジン』 「いや、面目ない……。ん? ちょっと待て、お前も疑っていただろう」 「世に古代ポケモンを持ってる人なんてもっと沢山いるでしょう? 多分」 『いや、多分って……』 美形兄妹が歩いていると、嫌でも視線を浴びる。ヘルガーとキュウコンを連れているとなると尚更だ。 結局、普段は大人しい妹に説教されまくった。しかも人前で。オマケに相棒まで知らなかった顔で済ませている。なんと薄情なヤツか。 ジンはとりあえず、行方の知れないため息だけを存分に吐き出した。 ホウエン地方に来て二ヶ月。今思えばバトルの特訓ばかりさせられた。 ジムリーダーの何たるかとか、いろいろ徹底的に叩き込まれた。リーダーじゃない人に。 その人がリーダー以上の存在、四天王でなければこんな所まで来なかったに違いない。結局自分のためになったのだが。 ホウエン四天王のドラゴン使い、ゲンジに強制強化合宿に連行された二ヶ月。 突然ジムに連絡が入り、イブキに留守は任せろと言われていつの間にかホウエン行きの船に乗せられていた。 自慢の水竜に乗れば脱走もできたが、止めておいた。理由はもっと強くなれる気がしたからだ。 何と言っても相手は四天王ゲンジ。そんな人の下で腕を磨けるならこれ以上の環境はない。……力を付ければ、“あいつ”にも勝てるかもしれない。 ドラゴンを司るリーダーとして強制的に二匹のドラゴンを一から育成させられた。その内の一匹がタッツー。名をカミッセ。 ほとんどスパルタ教育(ゲンジの命令)だった。ちょっと可哀想だったが、仕方がない。それがゲンジの下を離れる条件だった。 新たな二匹のドラゴンをどちらとも最終進化形態まで育てること。尚且つ、他のポケモンたちの強化も怠らないこと。 よくもまぁ二ヶ月で育てられたもんだと、自分でもちょっと称賛できることだった。 そして今日、やっとジョウトに帰れることになった。いつまでもイブキさんに迷惑をかけられない。 本日、ジョウトコガネシティ行きの便で帰郷。そうしたら突然イッチャンとかいうわけのわからないヤツにドームに連れて行かれて。 なかなか腕の立つ新人の相手をさせられた。迷惑この上ない挙句、特に報酬なし。問い詰めたら、 「オレのスマイルで我慢してくれ!」 と爽やかな笑顔で言われたので軽く殴っておいた。 「……それで、船はいつ出る? まだ時間はあるはずだろう?」 「うん、一応あるんだけど。さっき船着場言ったら“出航予定変更”って書かれた紙が張ってあったよ」 納得しかけて、頷きかけて。思い止まって「ん?」と呻く。 義妹キキのさらりと結構重要な言葉に、ジンは訝しげにもう一度聞き返した。 「……時間はあるはずだろう?」 「ん〜、今ね、ジョウト地方近辺の海がすごい荒れてるんだって」 「…ほう。それで?」 「だから、船をつけるどころか近づけないんだって。台風がかするとか」 「……つまり?」 「船はでないって。早くて明日」  ……… 「面倒な……」 『さほど気にすることでもないだろう、ジン。幸い縁日、少しぐらい楽しんで行ったらどうだ』 どうも納得がいかない様子のジンを見上げつつ、ヘルガーのジールは苦笑する。 最近は例の二匹や自分たちの特訓で時間を取られ、ろくに休む暇もなかったはずだ。今日ぐらいゆっくりしても罰は当たらない。 内心、自分たちもジムリーダーのポケモンとして休みがなく、ちょっと休みたいと思っていた頃合。 縁日といっても、ただのお祭り騒ぎに過ぎないが。 こういう賑やかな街を散歩するのもなかなか乙だ。イリスやジークでも誘おうかと思案して。 ――――――!! 妙な気配を感じ、ジールは目つきを鋭く変える。 自然と脚が止まり、小さな動作に留めて視線を巡らせた。視界の中にその存在はいない。 嗅覚でも聴覚でも確認できない。だが、いる。妙な存在がこちらをじっと見つめている感覚。 「ジール、どうした?」 ジンは気付いていない。それほどまでにその存在は気配を消している。いや、ポケモンだからこそ気付けたのかもしれない。 ……いや、イリスが反応していない所を見ると、そうでもないらしい。 『ジン、少し外れるが、いいか?』 「? ……別に構わないが」 『夕刻までにセンターへ戻る』 建物の裏手。賑やかな表通りに反して、人気のない寂しげな道だ。 水路に面した道は必然と狭くなっていたが、この裏の道は少し違う。陸が広い代わりに水路が少し細くなっていた。 繋がれた古いボートが、風で煽られて出来た小さな波にチャプチャプと揺れている。風は先程より少し乾いている気がした。 こんな水路でもゴミが少ないのは、この街を思う人々の思念が強いからか。多少のゴミは仕方がない。 ジールは誰もいないことに感謝した。人がいたら厄介なことになりそうな気がしたのと、 隠れた存在は、相手が一人にならないと出てこないものだ。問題があるとすれば相手が自分を目当てにしているかどうかだった。 少々賭けだったが、勝ったらしい。気配は自分に張り付いて離れようとしない。ジールは大き過ぎず小さ過ぎない声で、 『一人になってやったぞ。出て来い』 返答は行動だった。水路に映し出された影が、留まらずに一気に大きくなり、水面を割る。 水中から飛び出したそいつは、全身から水滴を垂らしつつ陸に着地した。 『……?』 知らないポケモンだった。少なくとも今まで出会ったことはない。 若干青に近い灰色の装甲。不格好についた両腕と爪。胴と一体化した首の上に、耳のように飛び出した両眼。 首の両脇にある三対の……羽だろうか? それにしては小さすぎる気がしてならない。 長い尻尾を打ち鳴らし、そいつは自分の凶暴さをアピールしているかのようだった。 「コオ……オオ……オオオオオ!!」 『!?』 咆哮。そして突撃。巨躯に似合わぬスピードで飛び掛ると、その爪を光らせながら振り下ろしてくる。 難なく避けるが、爪の一撃は綺麗な網目状のコンクリートに容易く穴を開けた。 『何者だ! 名乗れ!!』 『イ……ギ…ア……』 アアアアアアア!!! 再び咆哮。気合いの声ではなく、ただの絶叫に聞こえる。 今度は爪による斬撃ではなく、口からいくつもの拳大の岩を放ってきた。 『ロックブラスト!? チ…ッ!』 相手が岩属性の技を扱えるという事実。それだけで十分不利になった。 身近な建物の壁を蹴り、回避と同時に急接近。鼻っ面に強烈な炎をぶちまけてやる。 視界を塗りつぶし、さらに身体を焼き尽くそうとする豪炎。今までこの炎で幾多の敵を倒してきた。 そいつに対する炎というのは、微妙な効果だった。効いてはいるもののダウンはしない。 『水から出てきて岩まで吐いて、だが炎は普通効果…? 何だこいつは……!』 水も岩も関係のないタイプなのか。それとも二つ属性を持ち合わせ、それらが相殺し合っているのか。 元より戦う気はなかった。だが先に仕掛けてきたのはあっちだ、いわゆる正当防衛という行為にあたるはず。 それに、自分はジムリーダーの相棒なのだ。こんな突然攻撃してくる不良ポケモン相手に負ける気はない。 『攻撃を止めぬのなら、それ相応の対処をとるぞ。深手を負っても恨―――』 『ナ……カ……』 咆哮ではない。喉の奥から搾り出すように掠れた声が、そいつの口から漏れてくる。 言葉を遮られながらも、ジールはそいつの言葉に耳を傾けた。 『ナカ……マ……』 『? 仲間?』 『ナカマ、ツレテク……。ソウ…スレバ……』 ジユウニ……ナレ…ル……! ジュバクカラ、ノガレラレル……!! 『ナカマハドコダ……! ナカマ……ナカマ……!』 イニシエノナカマ、ドコダァァァァ!!! ――― 一瞬我を忘れて、そいつの叫びに聞き入って。 身体に眠る古の力を爪に宿し、襲い掛かってくる様を唖然となりながら見つめていた。 さぁ、動き出した。全ての運命に導かれた彼らと、新たなる彼女。 大昔の風が水の街に吹き荒れる。乾いた風が水面を滑る。 動き出した物語は止まらない。最後まで止まらず、“ジユウ”を求める古代の命が絶叫を上げる。 触れてはならない物語。封印されたはずの物語。大きな“友”をなくした代わりに手に入れた平和。 全てが崩れ始めた。復讐者たちの最後の物語が、一人の少女を巻き込んで崩れ出す。 ………ホラ、あいつは今でも笑っている。闇に堕ちても、邪悪な手招きを繰り返す………。