「……すまない。私にはもうお前たちに頼ることしかできぬ……」 その声そのものが荘厳であり。彼らはその声に黙って耳を傾けた。 誰も干渉できないその空間で、声は苦しさを押し殺して続ける。 「私は存在していることだけで精一杯だ……。……私の身勝手を許してくれ……」 『何を言う。何を謝る。我らは主の言葉に従うだけだ』 どっしりとした声色。 『その通りです。常々、私たちはあなたへの恩を返すべきだと思っていた……』 澄み切った声色。 『俺たちはあんたの手足。俺らに拒否権はねぇし、拒否る気もさらさらねぇ』 荒々しく尖った声色。 その全てはこの世界に存在する携帯獣――ポケモンだった。 一人は重圧感のある、落ち着いた声。 一人はガラスのように透き通った、穏やかな声。 一人はガキ大将のような、ケンカ腰な声。 全ての存在に違いは有れど、その全てが主への忠誠心に溢れている。 彼らは――言わば、“あのポケモン”の先輩ともいえるポケモンたちなのだから。 「手遅れになる前に……! 急いでくれ……!!」 ―――― リベンジャー FINAL STORY V ―――― ―――― 合流、そしてボディブロー ―――― ホウエン、セキサシティの港。 漁業船が出入りする場所から少し離れた、使われていない倉庫の前。 大きな輪を作ってできた人だかりの真ん中で、一匹のポケモンが勝利の咆哮を挙げた―― 「ググ……ウウ……」 何とか起き上がったものの、そのポケモンは身体に蓄積されたダメージに耐え切れず倒れた。 カカシとサボテンが融合したようなポケモン、ノクタス。倒れたノクタスはなぜかびしょ濡れだ。 相性上ではノクタスは水に強い。ではなぜノクタスは水の攻撃に倒れたのか? 理由は簡単。相手の水ポケモンの強さがハンパじゃなかったからだ。 「く、くっそー……、俺のノクタスがオーダイルに負けるなんて……!」 「ぬあっはっは! まだまだ青いぜ少年! 俺に勝とうなんざ百年と三年ぐらい早ェ!」 微妙な端数は一体何なのかツッコミたかったが、その男のテンションに押されてツッコむ気も失せる。 巨大な青ワニ、オーダイルを従えた青年は、これでもかとばかりにふんぞり返っていた。 Tシャツに丈が短めのズボン、少ない荷物と軽装。頭に巻かれたオレンジのバンダナが、潮風に靡いている。 顔は一言で言うならば、ガキ大将がそのまま大人になりかけているような。 青年の名はコウ。……こんなハイテンションながら、ジョウトではなかなか有名なトレーナーだ。 「なんだよアンタ! めっちゃくちゃ強ェじゃねぇか!」 「はっはっは。別に弱ェなんて一言も言っちゃいねぇって」 ノクタスを助け起こす少年と、しゃがんで彼に視線を合わせる青年。 少年と青年の顔に大差はない。少年が大人っぽいのではなく、青年が子どもっぽいのだ。 ドキドキワクワクを忘れない冒険野郎。それがコウである。 そんなコウが、未だ頭がクラクラしているらしいノクタスの頬に手を当てて「ん?」と首を傾げる。 「何かこのノクタス……ちょっと太ってねぇか?」 「へ? あ、うん。こいつちょっと大食らいで……」 「もうちっと食う量減らして減量すりゃあスピード増すぜ。  あ、でもやりすぎたら毒だからその辺考えてやれよ?」 ――簡単なアドバイスを受けて引っ込む少年。 コウは「ぃよっし!」と意気込みを新たに立ち上がり、周りを見渡して叫んだ。 「さあさあ! 次に俺とバトルしてぇヤツはいるか!?  俺は誰であろうと何人だろうと受けてたつぜ!!」  …………………… 返ってきたのは静寂だけ。 そのバトルを見守っていたギャラリーたちのほとんどが少年少女だ。 最初はトレーナーとしての興味本位だったのだろうが、 そこで行われていたあまりに一方的なバトルの連続……主にコウのパーフェクト試合に軽く恐怖しているらしい。 故に新たに挑戦者を募っても、誰一人として前に出てくる者はいなかった。 「なんだよ〜、全員ビビっちまったのかァ?  俺もゲイルもまだまだ、あと二、三十回はバトれるぜ! なぁゲイル!」 「オオオ……」 低く唸るような声で頷くオーダイル、ゲイル。 足腰が強靭で巨体ながら凄まじいスピードで走り回り、 カビゴンと綱引きできるくらい強力な顎で何でも噛み砕くという。 「おいおいマジか〜? 他のポケモンたちも暴れたくてウズウズしてるってのに」 そう、彼の腰では空一つ、主人に似ず静かな一つを抜いて、ボールが四つ暴れてぇぞコノヤローと自己主張している。 ゲイルも既に数回バトルを繰り返しているにも関わらず元気一杯。腕をブンブン振り回してやる気満々だ。 だがそんな彼らに対し、ギャラリーたちは完全に臆病風に吹かれている。 しょうがねぇな〜と呟いて、ゲイルをボールに戻そうとして、 「暇そうね、コウ。私と戦ってみる?」 そんな声が聞こえた。若い女性の声。 少年少女たちの群集の中から飛び出た、長い茶髪の女性だった。 「……お? ん?? ……ティナか!?」 「久しぶり、コウ。1年振りだっけ?」 ジーンズをビシッと着こなした、モデル体型の女性。 肩が大きく開いたシャツを着ており、自分より遥かに年上に見えた。露出した肩に荷物を下げている。 最初はどっかで見たことあるなー程度だったが、足元に見慣れたエーフィが控えていたことが決定的だった。 「大体何やってんの? あんた。いじめ?」 「アホかァ! バトル仕掛けられてオッケーしたらいつの間にか集まってきて、  んでもって連続バトルしてただけだっての!」  ゴポ……コポ……。 「お前、ここで何やってんだ?」 「あんたこそ、ホウエンまで来て何やってんの?」 自分から先に質問したくせに、促されて勝手に記憶を掘り返し始めるコウ。 そりゃおめぇ、と言いかける。だがその時になって、ティナはコウの性格をよく思い出してみた。 彼はそんな1年ぶりの再開から発展する世間話よりも、 「……先にバトルしねぇか?」 「は?」 「俺もゲイルも久々にあっついバトルがしてぇんだよ。いいだろ?」 「……ブランクすごい長いんだけど。ま、別にいいでしょ」 コウから少し距離を取り、荷物と上着を置いてボールだけを手に取った。 エーフィが荷物の傍を離れないところを見ると、彼女は出ないらしい。 コウはポケットをゴソゴソと漁りながら、ゲイルの名を呼んだ。 「ホレ!」 「オオ!」 彼が放った小さな立方体を空中で見事にキャッチ。そのまま喉の奥へと飲み込んだ。 「ポロック?」 「おう! 市販のじゃなくて自家製だ!  いっくぜぇゲイル! 気合い入れろよ!!」 「オオオオオウ!!!」 大きな顎をさらに大きく開き、咆哮を轟かせるゲイル。 ポケモンリーグ以来、まともに本気を出して戦えることがなかった彼にとってワクワクものの戦いだ。 (ティナの手持ちの中で、ゲイルに有利なポケモンっつったら……え〜と) ティナがボールを振りかぶる。 (フシギバナのギーバぐれぇか……。だけど冷凍ビームがあるからな。それで――) 「じゃ、サイクスがんばって」 (そうそう、サイクスな。サイドンの……)  …………? 「……え??」 ギャラリーの誰かが。もしかしたらギャラリー全員が口を揃えて呟いたのかもしれない。 オーダイルに対して現れたのは、灰色の岩石獣、角がドリル状になったポケモン、サイドンだった。 水に対して、岩、地面。それはあまりに絶望的な組み合わせだった。 「……マジで?」 「マジ。……これで勝てなかったらお笑いものよね?」 ……心理戦デスカ? 確かに勝てなかったらお笑いものだ。ここまで勝敗がはっきりしたバトルでは。 オーダイルの遠距離水攻撃ならば、サイドンが放つ近距離物理攻撃を妨害しつつ攻撃できる。 決定的なのがタイプ相性。岩も地面も水に極端に弱い。当たれば即アウトに違いない。  ゴポ……コポポ……ゴポ…… 「相手がサイドンだからって気ィ抜くなよ、ゲイル!」 「正直かなり久しぶりだけど……行くわよ、サイクス」 ゲイルが勝負前から咆哮し、サイクスは静かに前に出た。 審判などいない野良試合。……だけど。ギャラリーの誰もが、押し黙った。 旧友の久しぶりの再会は、ポケモンバトルという彼ららしいものだった。 「ゲイル、ハイドロポォンプ!!」 「メガホーンで突き破って突撃!!」 いきなりの大技のぶつかり合いにギャラリーが歓喜する。 ゲイルが吐き出した強力な水流に、角を光らせたサイクスが真っ向から突っ込んだ。 最初は止まってしまったが、すぐに持ち前のパワーでハイドロポンプを引き裂いていく。 勢いがついたサイクスは一気に距離を詰め、ゲイルの眼前まで来た。 ……が。物事はそううまくは転ばない。 「ゲイル、受け止めろォ!」 「はっ!?」 ゲイルは掌をわしわしと開けたり握ったりを繰り返し。 迫り来るメガホーンを……サイクスの角を、そのまま掴んで受け止めた。 「相変わらず無茶苦茶な……!」 「これが俺らのバトルってもんだ! ゲイル! そのまま持ち上げて……!」 「オオオオ!」 「!?」 体重百二十キロあるサイドンの身体が、ゆっくりと、ゆっくりと持ち上がる。 いつしかメガホーンは解けてしまい、サイクスは成す術もなく宙でもがくことしかできない。 しっかりと持ち上げたところで、ゲイルは突然手を離した。 「アイアンテェェル!!!」 落下するサイクスに、鋼鉄より硬くなった尻尾が強打する。 岩石の巨体は見事に飛んだ。それはもう飛んだ。海に向かって。 綺麗な流線型を描き、サイクスの灰色の身体は青い海に映えた。そして。 落ちた。海に。岩、地面タイプのサイドンが。 「あ……」 「なっはっは! サイクス討ち取ったりてっかァ!?」 「オオオオオ!!」 唖然となりながら海を見つめるティナ。 コウとゲイルはイエーイ!という掛け声と共に手を叩いたり。 水に弱いということは、当然海に落ちれば大ダメージを避けられない。 結構呆気なく終わってしまい、ギャラリーが不満そうな声を上げながら解散していく。 だが。そんなギャラリーはまだまだということだろう。 あれぐらいで戦闘が終了はずがない。  ガポ…………ポコ…… 「サイクス、メガホーン!!」 ザバァッ!と突然サイクスが海から這い出た。 全身ずぶ濡れのサイドンは四本足で気合いを入れ、ヘラクロスのように角を光らせ、 振り返りつつあるオーダイルの背後から一気に襲い掛かる!! 「ヤベ……ッ、ゲイル、ドラゴンクロー!!」 咄嗟に繰り出したドラゴンクロー。ゲイルの方が腕のリーチがある分、有利。 メガホーンすれすれで、爪がサイクスの頭に直撃する。技が中断され、サイクスは今度こそ倒れそうになり、 「……じゃ、さよなら。ゲイル」 「へ?」 「オ?」 突然余裕尺者なティナのセリフ。それは倒れゆくサイクスの後ろから見えた。 笑みを浮かべるティナ。戦闘不能となるサイクス。そして――  ――ゴッッ!!!! 突然、ゲイルが吹っ飛んだ。サイクスもティナも飛び越え、それはもう豪快に。 コウはそんなちょっぴり綺麗に飛んでいくゲイルに呆気に取られ。 自分のすぐ傍にもう一匹、別のポケモンがいることにすぐ気付けなかった。 もう一匹の、サイドン。紛れもない、ティナのサイドン、サイクス。 彼女の前であお向けに倒れているのもサイクス。固めた拳を引くのもサイクス。 「?? ……!!? ええっ!?」 どこかで見たことがあるような。その戦法は確かにどこかで。 本当に昔の話。知り合いが持つ赤いポケモンが同様の戦法を……。 倒れたサイクスが、突然煙のように消えていくのがきっかけだった。 「……! み、身代わりかァ!? 身代わりから気合いパンチ!?」 「そ、海に吹っ飛ばされた時ね。最初に上がってメガホーンを失敗したのが身代わり。  あんたたちが安心してる間に、本体は気合いパンチの準備してたってワケ。  ま、元々波乗りできるから海の中でも多少動けるし。ね、サイクス?」 「ギャアアオオウ……」 ティナに撫でられ、怪獣っぽいながら甘えたような鳴き声のサイクス。 遠くに吹っ飛んで大の字でぶっ倒れているゲイルを見つめていたコウ。……突然、 「はは……なっはっはっは! いや〜負けた負けたァ! 清清しいぜオイ!」 どかっと座り込み、一人で勝手に大笑い。 そんなコウに、ティナは(ああ、全っ然変わってない……)といつも通りな感想を漏らす。 主人同様、やたら頑丈で立ち直りが早いコウのポケモンたち。 気合いパンチをモロに受けたはずなのに、ゲイルは数分休むだけでケロっとしていた。 「……で、あんたホウエンに何か用事?」 ゲイルの肩をポンポン叩きながら、彼は答えながら微笑を浮かべた。 「おう。カナズミシティにあるポケモントレーナーズスクールって場所に呼ばれてんのよ。  いやいや、実は俺、ポケモンブリーダーに……」 「…………」 意気揚々と語るコウに対し、ティナは難しそうな顔で耳を傾ける。 「そこのツツジって人のご指名で、練習用レンタルポケモンたちの世話を……」 「あ、そっか!」 「へ?」 「要するに、こんなトレーナーになるなって……あれよ、悪いお手本!」 「お前人の話全く聞いてねぇだろ!?」  コポコポ……ゴポ…… 「ギャオ……?」 「フィ?」 何かに気付き、海に歩み寄るサイクス。どうしたの?と言いたそうな顔で見上げるフィル。 海はいつも通り平穏。波も小さく穏やかだ。 『……視線、を感じた』 『視線? 誰の?』 『わからないから調べるんだ』 コンクリートに弱々しく打ち据える波。そこをじっと見つめるサイクス。 ……何か見られている気がしてならない。何かに睨まれている気がしてならない。 殺意ある視線。悪意ある目つき。海へと投げ出され、身代わりを先行させている時にも感じた。 一線を退き、ギンバネ島で店の手伝いばかりしていた所為か感覚が鈍っている。 それ故か。 海の中に眼光を見つけ……それに対し、防衛行動に出るのが遅れてしまった。 「使用ポケモンは一体のみ。一対一のガチンコ対決だ」 「わかりました」 セキサシティ、北の門から出たところに広がる草原。 右には広大な青い海、正面に鬱蒼と生い茂る森、左には西門に繋がる街道が見える。 春の暖かい風が吹きぬけ、ざわざわと草原が震える。 春夏秋冬の一端を宿した息吹に、草木はざわつかずにはいられない。 その中に立つ二つの人影。 カイとセリハがボールを構えて立つその場所は、静かな草のフィールドへと姿を変えた。 「……勝負の前に、一つだけ確認させてくれ」 「ハイ?」 「お前は……この勝負で何を望む?」 「え?」 質問の意味を理解できず、頭の上にハテナマークを浮かべるセリハ。 真剣な視線を向けてくるカイに、彼女は何とか答えを搾り出そうと考えつくし。 ……よく考えたら簡単なことじゃないかと気付き、セリハもまた真剣な眼差しを返した。 「……試すだけじゃ物足りません。勝ちたいです」 ――意思ある言葉。カイの表情が自然と綻んだ。 「ん……よし。それが聞きたかった」 その視線は、鋭く、そして冷酷だった。 目的のためならば手段を選ばず。利用できるものは全て利用する。 森の中から、彼女は冷たい目でカイとセリハを見ていた。 「――……さぁ、見せてみなさいよ。あんたたちの力を」 「リング、行って来い!」「ギュラァッ!!」 「チルチル、頑張って!!」「キュイイイ!」 片や、漆黒の身体に月の波動を受け、月光の輪を宿す。暗闇から滲み出す存在。 片や、ソプラノの歌声であらゆるものを魅了する。綿雲に紛れし存在。 「チルタリスか……! リング! 黒い眼差し!」 「チルチル、白い霧!!」 ふわりと舞い上がるチルタリス、チルチルに暗黒の視線が喰らいつく。 本来、逃走を遮る技である黒い眼差し。カイのブラッキー、リングは行動そのものを束縛する。 だが黒い眼差しが届く瞬間、チルチルが口から発生させた白い霧に遮られ失敗に終わる。 (ブラッキーの技は光や視覚を操るから、とりあえずこれでよし) 「チルチル、歌う!」 「やべ……リング、耳を塞げ! 絶対に聴くな!」  〜〜〜♪♪ 白い霧の向こうから、チルタリスの十八番が聞こえてくる。 聞くものに安らかな眠りを与える技。その透き通った声を聞けば、たちまち眠りこけてしまう。 前足で懸命に長い耳を押さえるが、やはりどうがんばってもその綺麗な歌声が耳の中に入ってきてしまう。 うとうとし始めたリングを見て、カイの顔に焦りの色が見え始めた。 一対一のガチンコ勝負に置いて、状態異常はかなり痛い。故に、シンクロを持つリングを出したのだ。 (眠りと凍り付けだけはシンクロできない。今ここで眠ったら……) リングがチルチルの歌声に耐えかね、ついにだらりと四肢を投げ出して倒れた。 安らかな寝息を立てるリングに、セリハは小さくガッツポーズを決める。 「チルチル、ゴッドバード準備!」 「キュイ!」 内部から破裂するように白い霧が弾け飛ぶ。綿雲のような翼をふわりと広げ、眼下のリングを見下ろした。 完全に眠りこけているブラッキー。チルチルは安心して技の準備に入る。 チルタリスが覚える最強の飛行技。天翔る神の鳥の名を持つ大技。 伝説のポケモン、ファイヤーから力を得ると言われる秘技。その名をゴッドバード。 眩い光に包まれていくチルチルの様子を窺いつつも、セリハは気になっていることがあった。 (……何で? カイさんは何でリングを起こさないの……?) 目を覚ませば何とでも対抗できるにも関わらず、カイは突っ伏したままのリングに声一つかけない。 溜めに時間がかかるゴッドバード。その弱点はチャージ中が無防備だということ。 今すぐリングを叩き起こして妨害すれば、ゴッドバードは不発に終わるのだ。 だがカイはじっとこちらを見据えるのみ。リングは未だ眠りから開放されない。 「キュイイ!」 「よっし……! チルチル、ゴッドバード!!」 光を纏い、リングに向かって一気に急降下するチルチル。 大気を突き抜け、速度を上げて。眠り続けるリングを一撃で沈めるべく、迷わず突撃する。 勝利を確信した――が、よくよく考えれば甘かった。 相手はあのカイ。6年前、その場にいた者、テレビを見ていた者を魅了した、あのポケモントレーナー。 月光ポケモン、ブラッキーのリング。その強さは誰もが知っているのだ。 それは突然のことだった。 眠っているはずのリングの目が、突然ギラリと輝きながら開いたのだ。 降下してくるチルチルを見上げ、悪そうな顔で微笑する。 ゴッドバードをあんな速度で使えば、中止はおろか急停止、軌道変更もできない。 「……よ〜く考えてみな、セリハ。リングは“悪タイプ”なんだ」 ――――!!! 「しま……っ! チルチル、何とか軌道をズラし――」 「もう遅ェ……。リング、騙まし討ち!!」 漆黒に染まった小柄な身体が、忽然と掻き消える。 目標を見失い、状況判断ができないチルチルのすぐ後ろ。全身から突っ込むように体当たりをかます。 ズザザザッと草むらを滑り、何とか転倒を避けた。 不意打ちを受けたが、防御力を重点的に鍛えたおかげで致命傷にはなっていない。 「そのチルタリスが使える技。白い霧と歌う」 「……」 「その白い霧は本来の効果とは別に目くらまし。そして極めつけは歌う。  ようするに、距離を取って次の攻撃を安全に行うための布石。  歌って眠らせてから、ゴッドバードで決める。……違うか?」 図星だった。作戦を完全に読まれていた。 黒い眼差しや怪しい光などを白い霧で防御。眠らせることで邪魔をさせないようにし、 ゆっくりじっくりゴッドバードの準備をする。……最初から全て筒抜けだったのだ。 「……すごいですね。こんなに簡単に読まれるなんて思わなかった」 「眠らせるってのはかなり有効な手だ。一対一なら特に。  ダテに長くトレーナーやってねぇしな。……だけど」 カイが微笑すると、リングも同調するように微笑を浮かべる。 「相手が悪タイプの場合はやめとけ。……今みたいに“騙される”ぞ?」 (……やっぱり、強い……!) さっきから手が震えて止まらない。足がガクガクして立っていられない。 心臓がバクバクと振動を繰り返す。……激しく、緊張する。 相手はあのカイ。恐らく、この世で最も強いトレーナー。 (さっきは勝ったと思った。絶対勝ったと思った……) だが、詰めが甘かった。狸寝入りで騙され、簡単に懐に飛び込んでしまった。 眠ったと思わせることで歌わせるのを止めさせた。さらに相手に油断を与えることができた。 自分とは格が違う。レベルが違う。圧倒的な差―――― 「……ごめん、チルチル」 「?」 「あたし……こんな劣勢だけど、まだ勝ちたいって思ってる。……付き合って、くれる?」 「キュイイイイッ!!!」 小さな主の問いかけに、チルチルはまかしとけいとばかりに高く鳴いた。 腕白な性格なだけあって、無茶をしたがる。そんなチルチルと意気を合わせるが得意だった。 チルットの頃から、強い相手に立ち向かい返り討ちに遭う。一見無謀なことの繰り返しだが、 そんな無茶だらけのバトルで、彼には強大な能力が身に付いた。 ――相手がどんなに強くても臆さない、度胸と根性!! 「リング、連続シャドーボール!!」 「ギュ……ラララララララァァァ!!!!」 その小さな口から発射される闇の集合体。 休む間もなく撃ち出されるシャドーボールに邪魔されて舞い上がることもできない。 「地上じゃ不利……、チルチル、竜の息吹!」 シャドーボールの合間を縫うように、緑色の火炎のようなものが吐き出される。 視界を塗り潰していく息吹に、リングは独断で横っ飛びして避けた。 すぐに新たなシャドーボールを発射しようとして、 「ギュ……?」 相手のチルタリスの姿が、ない。 「リング、右だ!!」 首を傾げている暇すらない。覆いかぶさってくる竜の息吹を横目に即座にバックステップ。 だがチルチルの執拗な攻撃は、ついにリングにぶち当たった。 ダメージは薄い。元々ブラッキーは防御能力に優れているのだ。だが、 「ギュ……!」 「! 麻痺った……」 竜の息吹には追加効果がある。身体の自由を奪う麻痺効果。 だがブラッキーにはさらに特殊な特性があった。状態異常を共有する特性、シンクロ。 リングが麻痺すれば、相手のチルチルも麻痺してしまう特性。 やはりシンクロの効果で、チルチルも身動きしづらそうにしている。 ゴッドバードはチャージに時間がかかる。麻痺している身体でチャージは難しい。 竜の息吹は大したダメージにはならない。他に攻撃技はないように見える。 ――――勝った、な。 「リング、麻痺してやりづれぇと思うけど……シャドーボール!」 「ギュラ……ラァ……!」 痺れる身体を無視し、口内に闇が収束していく。 が、全身を走るビリッとした感覚に身悶えし、せっかく球体にした闇が霧散していく。 「竜の息吹で連続攻撃!」 対するチルチルは麻痺しなれているのか、麻痺に対して強引に抗わず。 それとも麻痺で動けない間隔がわかっているのか、タイミングよく緑の息吹を吹き付けてくる。 当たりはするもののほとんどダメージにはならず。 シャドーボールはたまに当たるぐらいで、ほとんど五分五分だった。 「チルチル、白い霧!」 ――一瞬、その指示の意味を理解できなかった。 消耗戦ゆえに体力回復を狙うつもりだろうか。白い霧はチルチルとその周囲を包み込んでいく。 ここまで広範囲に撒かれると、シャドーボールはほとんど外れる。 (攻撃すれば無駄に体力を失う……) だが、こちらにとっては好都合だ。 「リング、月の光だ。傷だけでも癒しとけ」 「ギュイ……」 麻痺してやりにくいが、リングは何とか月の光を発動させる。 日中ゆえに夜間より回復量が少ないが、これでも十分だ。 漆黒の身体をどこからか迸る月光が包み込み、竜の息吹でできた傷を消していく。 だが体力は回復しない。むしろ技を使って消費したくらいだ。 「相手は決定打を封じられている。持久戦は得意だな?」 「ギュイ……」 高い防御力と有り余る体力。持久戦は確かに得意だ。 だがこの麻痺が身体の自由を奪っていく。麻痺というのは土壇場になって都合よく痺れるものだ。 敵の虚を突く騙まし討ちは使えない。いざという時に使えないと意味がない。 シャドーボールを撃って撃って撃ちまくる。相手の体力を削りまくる―― 「……チャージ完了」 その呟きは、確かに白い霧の向こうから聞こえてきた。 紛れもないセリハの声。チャージ? まさかゴッドバード? いや、麻痺状態でゴッドバードを放つなど無理に等しい。じゃあ……? 白い霧が風に流され、少しずつその姿をさらけ出してく。綿雲のような翼を持ったポケモンが……。 ゴッドバードより遥かに強い光を纏い、発射体勢を整えていた。 「な……っ!?」 「これで最後……! チルチル! 超・ゴッドバード!!!」 「キュィィイイイイイ!!!!」 甲高い声をこれでもかと捻り出し、その青い鳥は翼を広げた。 眩い光を残像のように残しつつ、麻痺などまるで感じていないかのように。 最初のゴッドバードより遥かに強力――ポケモントレーナーとして勘がそう告げている。 「ギュ……!」 「リング……!?」 苦悶の表情を浮かべるリングの足。小刻みに震える足は、麻痺の侵食に侵されていた。 足が痺れている。避けられない――! 「くそ……っ! リング、アレで防御するぞ! 月の――」 「グォォオオオオ!!!」 「うおっ!?」 「なに!?」 ――突然の咆哮。コウとティナは即座に声がした方へ顔を向けた。 海面から顔を出した、青い大蛇。そこらのナイフより鋭そうな長い牙。 長いヒゲをゆらゆらさせるそいつ。否、そいつら。 そいつらの一匹が、低い防波堤で一番海寄りにいたサイクスと真っ向からぶつかり合っていた。 「サイクス……!? そ、その状態でロックブラスト!」 密着した状態から、サイクスの口から無数の岩が発射される。顔面にぶち当たり仰け反る大蛇。 その攻撃に触発されたのか、今度は三匹も同時に襲い掛かってくる。 「フィル、超念力でぶっ飛ばしてやんなさい!」 エーフィの額の赤い宝石が光を放つと同時。三匹の大蛇が見えない力で殴りつけられたようにぶっ飛んだ。 だがそれでも数は凄まじい。二、三十匹はいるであろう青い大蛇が海を覆い尽くしていた。 「い、いきなり何だってんだ!? このギャラドスたち、どっから湧いて出てきやがった!」 「咆哮しながら攻撃してきたってことは、あんまり友好的じゃないわね」 ――――凶暴ポケモン、ギャラドス。 進化前に当たるコイキングの頃とは正反対の、非常に凶暴な性格。 口から吐き出す破壊光線は何もかも灰塵にするという。凶暴ポケモンの名に相応しい力。 そうこうしている内に、ギャラドスたちが一斉に突撃してきた。 「考える暇もねぇなオイ!」 「あんた考えるの苦手でしょ!」 「そりゃそうだった! いっくぜェ!!」 腰から古びたボールを手に取り、迫り来るギャラドスたちの前に投げつける。 ボールが開くと同時に、コウのテンションマックスな声が響く!! 「一発ブチかましてやりな! エレク、10万ボルトォォ!!!」 腕で地面をドドンと叩く。電気が稲妻模様が走った全身を駆け巡り、それらを全て両手に集める。 頭部の触角がパリパリ放電する。高ぶる感情を、両の掌から全て開放する! 迸る雷撃が蛇行を繰り返し、眼前の五匹をまとめて感電させた。 10万ボルトに沈んだ五匹。――が、数は増える。五匹沈めば海中から新たに七匹姿を見せた。 オマケに倒したはずの五匹が再び起き上がり、……それはもう増えっぱなしである。 「おいおい冗談じゃねぇって。何匹出てくんだよ!?」 「愚痴ってらんないって! サイクスは戻って! ギーバ、お願い!!」 「こいつらテンション高すぎだっての! ディン、お前も頼むぜェ!!」 「あ……あはは……」 腰に力が入らず、彼女はぺたりと座り込んでしまった。 目の前の状況を信じられず、ただただバカみたいな顔で呆然と。 ――青い鳥もまた呆然と振り返り、彼が突っ込んだ道の真ん中に倒れている影。 真っ黒な身体を持つ彼は、ピクピクと痙攣を繰り返し起き上がる様子を見せなかった。 出掛かった言葉を一度唾と一緒に飲み下し、落ち着いてからゆっくり捻り出した。 「か、勝っちゃった……? あたしたち、カイさんに勝っちゃった……?」 「……負けちまったよ、オイ」 苦笑せざるを得ない。久しぶりに味わった敗北は、なかなか清々しいものだった。 胡坐をかいて座る彼の目の前には、さっきから気絶しっぱなしのブラッキーが横たわっていた。 カイは頭をポリポリ掻いて、 「技っつーのは、発動しなきゃ意味がねぇもんなァ……。おーいリング。お前生きてっか?」 ――折角の防御技も、麻痺して身体が動かなければ意味がない。 麻痺というのはやはり、土壇場で邪魔をする。チルチルが放った超・ゴッドバードという技を前に、 新たに開発した防御技で防げるはずだった。麻痺が邪魔をしなければ。 痺れは足から全身に上がってきてしまい、結局技を使えず超・ゴッドバードを真っ向から受けるはめになった。 (……リングは直前に月の光を使ったはず。体力は戻らずとも傷は癒えた。  そんな状態のリングを、一撃で戦闘不能にした……) リング自慢の防御力を突き破って、だ。 「……こりゃ当分起きそうにねぇな。あとでセンター連れてってやっから」 リングが倒れるなんていうこと事態、久しぶり過ぎた。 例の偉大な博士に仕事を頼まれ、あらゆる場所を練り歩いた。 バトルを申し込まれることも多々あったが、黒星は一つもない。 ――そう、今、この瞬間までは。四肢を投げ出したブラッキーをボールへと戻す。 カイは未だ喜びまくりの少女とチルタリスを見つめ、微笑と苦笑が織り交じった複雑な笑みを浮かべた。 (……もう次の時代か? 俺、まだ一応十代なんだけどな……) 若い世代が追いついていく。追いつき、抜いていく。 至極当然のことなのに、いざ味わうと何とも不思議な感覚だった。 超・ゴッドバード。いわゆるゴッドバードの強化型。 本来の使用回数の内、三回分ほど犠牲にして放つ強引な技。 先ほど一発放ったためきちんと発動してくれるか不安だったが、成功した挙句倒してしまった。 (……ホント持たせておいてよかった、クラボの実……) 「さてっと。……オイ、そこの」 自分のことかどうか理解し難く、二人は声の発信元に顔を向けた。 発信元、カイはこちらではなく、街とは正反対に位置する森を向いている。 セリハとチルタリスが首を傾げる中、カイは腰のボールを一つ掴んでいた。 「さっきからこっちを盗み見てるヤツ、出て来い。  森の中だからって見つからないと思ったら大間違いだ。視線をビンビン感じてんだよ」 (…………!) 「出てこないと、こっちもそれなりに考えがある」 掴んだ古いボールを突きつける。それはセリハとバトルした時とは、別の雰囲気。 離れた位置に立っているにも関わらず、セリハとチルチルはその雰囲気を全身で感じ取っていた。 ――刹那。  ―――― ガサッ!! 森の中で蠢く影。それは凄まじいスピードで森から飛び出し。 迷わず、他には目もくれず。一直線にカイへと襲い掛かった。跳躍し、上空から勢いをつけて。 セリハの目に一瞬だけ、その高速移動物体の実体が見えた。物体の一部だけ。 両手に翳した、二本の刃物――! 「カイさん危な――!」 「その程度のスピードか?」  ギンッ!!! 常人の目には見切れない速度。反応できない速度。だがカイはしっかりボールの中身と解き放っていた。 紅に染まったハサミ。鋼鉄のハサミが、襲撃者の刃を受け止めている。 片や、紅き身体。鋼の身体。目玉模様があるハサミ。薄い四枚の羽。右目の上下に走る傷跡。 片や、緑の身体。爬虫類を思わせる目。腕に鋭い葉っぱの刃。背中に幾つかの種。棘々しい葉のある尻尾。 迎撃者は問答無用でハサミを一振りさせ、襲撃者を強引に後退させる。 ザザッと草むらを滑り、腕の刃を構えて睨みつけてくる緑色の襲撃者。 「ジュ、ジュカイン……!?」 「へぇ……こいつがジュカインか。キモリの最終進化形……。  お前は何だ? いきなり攻撃してきたってことは、それなりの覚悟はあんだろうな?」 「…………」 ジュカインは何も答えず、それどころかいきなり斬りかかってきた。 腕の葉っぱを刃のように研ぎ澄まし、敵を斬るジュカインの固有技。 迎撃者――ハッサムの素早いメタルクローにより、またも失敗に終わる。 ジュカインは一度距離を取ると、……その場から消失した。 二人と二匹の周囲を、何かが凄まじいスピードで駆け抜けていく。 「高速移動か……。カゼマル、本物の高速移動を見せてやれ」  紅のポケモンが、颯爽と消え失せた。 セリハとチルタリスはその残像を追えず、ただただオロオロとするばかりで。 カイの目にも一瞬だけ映るだけ……。 勝ち誇って微笑を浮かべるジュカインのすぐ真上に、メタルクローを振りかざしたハッサムがいた。 気付くのが遅すぎる。カゼマルの姿を認めた瞬間、ジュカインの視界は真っ赤に染まった。 速すぎる。それが最初の感想だった。 テレビでポケモンリーグを見た時も同じ感想を漏らしたような記憶がある。 カイのハッサム、カゼマル。ハッサムとは思えないほどの素早さを持つ、大会中最速のスピードを誇ったポケモン。 ジンのカイリキー、ジーキと相打ちになったが、それでも大奮闘だった。 ……よくよく考えろ。自分があのカイに勝った? 勝てるはずないじゃないか。ということは手加減されたに違いない。 だが手加減されてもあれほどの接戦を繰り広げられるなんて、普通のトレーナーの域じゃない。 ドタン!と重そうな音と共に、ジュカインの身体が跳ね上がった。 メタルクローで強引に高速移動を中断され、地面に叩きつけられた。相当なダメージだろう。 ジュカインはうつ伏せに倒れ、動かなくなった。 「……どうだ?」 「…………」 カゼマルは用心を兼ね、一歩一歩、ゆっくりジュカインへと近づいていく。 斬りかかってきたら即座に攻撃できるように、警戒は怠らずに。 足音を殺しながら近づき、ついにはジュカインのすぐ近くまで来た時。 ――用心は正しかった。突然目を見開き、リーフブレードで斬りつけてきた。 『……おい、それで不意打ちのつもりか?』 「…………!」 カゼマルの言葉に、ジュカインがギリッと歯軋りさせた瞬間。 ――二匹が赤と緑の閃光と化し、消失。 ――え? 「え? ええ?? どうなんて……」 「ああ、大丈夫。高速で斬り合ってるだけだ。その内終わる」 ……普通のトレーナーならまず簡単に言わないであろうセリフである。 こんなに素早く動くポケモンなんてテレビ以来だし、何より高速移動しながら斬り合っているという。 確かに、たまに緑色の影が見えたり何やら金属同士がぶつかり合うような音が聞こえてくる。 「さて……倒してからどうすっかねぇ」 「何がですか?」 「倒したところで、俺ポケモン語わからねぇし。セリハ、お前わかるか?」 「無理」 当然である。ポケモンの言葉を理解できる人間なんているはずがない。 ――そういえば。 「あ、でも、人間の言葉を喋るポケモンなら――」 「ク……!」 セリハのセリフを塗り潰すような悲鳴。再びメタルクローで殴られたジュカインが、荒々しく転がった。 移動中も攻撃を受けたのか全身傷に塗れ、だがそれでも再び立ち上がる。 そんな彼の前に立つ紅い影。 『まだやるか? お前のスピードでは俺には追いつけない』 カゼマルだった。ジュカインの身体に反してこちらは傷一つない。 『お前は何者だ? なぜカイに斬りかかった?』 「…………」 『お前に黙秘権はない。……俺は訊いているんじゃない、尋問しているんだ』 「…………」 ――再び、緑色の閃光へと変わる。 動けなかった。ここまで攻撃を受けて立っただけでも驚きだというのに、まだ高速移動を使う力が? 自分への攻撃ではない。違う。ジュカインの目標は別にある。 「瞬・原始の力!!」  ―――― ドゴッッ!!!! 突然の声。突然の轟音。 セリハへと斬りかかったジュカインが、何者かに突然殴り飛ばされていた。 ぶっ飛ばされたジュカインはカイとカゼマルをも飛び越え、再び草むらに顔面を突っ込むはめになる。 「あ、あぶなかった……! いきなり目の前に……!」 「イ〜?」 ……あの博物館でも思ったが、どうもこのリリーラは少し抜けているというか何というか。 自分がセリハの危機を救ったというのに、本人は原始の力で緑の光に包まれた頭をブラブラさせている。 「あ、ありがとね、リンリ。……ってか、あんた何やってんの??」 「イッイイ〜♪」 彼女の腕の中で、リンリはやっぱりどこか抜けていた。首を伸ばしてそれはもうブラブラ。 右にブラブラ、左にブラブラ。……何が、したいんだろう? 「超は純粋な強化型、瞬は……スピードか?」 「ハイ。瞬は技の出を速くしたものなんです。  ……ねぇリンリ。あんたの話してるんだけど」 「イ〜〜〜????」 「……こうも簡単にやられるとは思わなかった」 そのセリフは、確かにジュカインの方から聞こえた気がした。 能天気なリンリは放っておき、セリハとチルチルは声の主を探した――が。 どう見ても座り込んでいるジュカインしか見当たらず、首を傾げるばかり。 「いや……多分、あいつ」 「え?」 ジト汗を浮かべてカイが指差したのは……ジュカイン。 指差されたジュカインは気に食わなかったのか、 「……ちょっと。人を指差すんじゃないよ」 (…………。今日だけで二匹目……) 多少、げんなりした。 生きている内で一度お目にかかればすごいことであろう、人語を喋るポケモン。 それが街で一匹、街の外で一匹。 最近、ポケモンの間で人語習得が流行っているのだろうか? いや、今日一日の出来事だし、簡単に決め付けるのは……。 ……とりあえず、後方で何やら頭を抱えているセリハは放置する。 カイはカゼマルをボールに戻すと、仏頂面のジュカインの顔を覗き込んだ。 「おい、お前人語が喋れるんだろ?  だったら答えな。何で俺らを襲ったんだ?」 「…………」 返答なし。そっぽを向いてまるで答える気がない。 それはちょうど、トレーナーの言うことを聞かないポケモンの動きによく似ていた。 「あんたたちに……」 答える気がないので放置しかけた時だった。ジュカインが口を開いたのは。 振り返ると、ジュカインは座り込んだまま。 上目遣いに見えたが、下から睨みつけているようにも見える。 「……やっぱ、何でもない」 「いや、絶対なんかあるだろ」 即座にツッコむ。 「……何でも……」 「…………」 明らかに何かを隠している様子のジュカイン。 そんな彼を、カイは腰を落としたまま見つめ続ける。 しばらくして何を思ったか、突然ジュカインの頬をつまんでは左右に引っ張り上下に引っ張り。 完全に喋る気のないジュカインは、成すがままに左右にびろ〜ん、上下にびろ〜ん。 「あ、あの……カイさん。何やってるんですか?」 「ちょっと黙ってろ、セリハ。これはまさしく持久勝負。男と男の静かなる真剣勝負なんだ」 ……そうなの?と問いかけても、やっぱりリンリはイ〜?と首を傾げるだけ。 その、男と男の真剣勝負とやらを、セリハはとりあえず見守ることにした。 そして、ついに勝敗がつく時。カイは思いっきり頬を引っ張ると、左右同時に放す。 それはもう痛そうな音がして、ジュカインは痙攣しながらすごい勢いでうずくまった。 「ど〜だジュカイン。話す気になったか?」 「ふ、ふざっけんじゃないよっ!!」 涙目ジュカインに胸倉を掴まれても、カイは眉一つ動かさない。 「人の頬どんだけひっぱってんのさ! 千切れるかと思ったじゃないか!!」 「や、大丈夫。少なくとも人間よりは丈夫なはずだ」 「そういう問題じゃないっての! それから言っとくけど、あたいは女だ!  何が男と男の真剣勝負だよ! 尋問から拷問になってんじゃないのさ!!」 「で、お前は何なんだ?」 「……ッ」 乱れた胸元を整えつつ、カイは例のジュカインに問いかけた。 先ほどの戦闘もそうだったが、カゼマルと戦ってすぐにこんなに動けるポケモンはそういない。 ましてや、涙目になりながら胸倉を掴んできたヤツは彼女が初めてだった。 「……あたいの名前はアシュラ……見ての通りジュカインさ。  あんたがカイだろ? 現段階で、世界最強のトレーナー」 「……そう名乗った覚えはねぇけどな」 「でも、興醒めしたね。あのカイがそんな小娘に負けるなんてさ」 「むっ」 「勝負なんて時の運っていうだろ。それに、セリハは本当に強かったんだ」 「……ま、あたいからすればそんなことはどうだっていいんだけどね」 お前から振ったんじゃないか。 即座にツッコミたかったが、それは胸の奥に押し留めておく。 アシュラと名乗ったジュカインは、セキサシティを指差して言った。 「警告しとくよ。とっととあの街から離れな。厄介なことになる」 「厄介って?」「イ?」 首を傾げるセリハとリンリ。アシュラは遠い空を見るような目をして、 「……さぁね」 「いや、知ってるから言ってるんでしょ?」 「とにかく、とっとと離れな。事が起こってから文句垂れたって遅いからね」 シカトされたセリハが軽く傷付いているのを横目に、 カイはアシュラとセキサシティを交互に見てから、神妙に切り出した。 「お前、他に何かあったんじゃないか? 用事」 「…………ないさ、別に。それよりも、後ろの小娘」 「……さっきから言おうと思ってたんだけど、あたしはコムスメなんて名前じゃない!」 「別にどうだったいいんだよ。あんたが抱いてるそいつのことなんだけど」 「イ?」 口達者なポケモン二匹に同様に小娘呼ばわりされて腹が立っている主人の腕の中。 リリーラのリンリは不必要なくらい首を傾げていた。 「そいつのこと、護ってやんなよ」 「へ?」 「それから……カイ、あんたもさ」 「俺も?」 「あんたはあんた自身が狙われる。用心しとくに越したことはないね。  ま、あの街からとっとと離れりゃ全く問題はないさ」 言うだけ言って、アシュラはカイたちの横を通り過ぎて去っていく。 恐らく森へと帰るつもりであろう彼女の背中に、カイは静かに告げた。 「……攻撃するなら、万全な状態で望むのが基本だろ」 「!」 「左の肩、よく冷やしとけ」 「…………」 ケガをしているにも関わらず、軽快な身のこなしで森の中へと消えていくアシュラ。 彼女の姿が見えなくなり、セリハもようやく落ち着いた。 「あのジュカイン……ケガしてたんですか?」 「ああ、左肩に治りかけの火傷があった。  それを除いても全身小さな古傷だらけ。……さすがは阿修羅、場数は踏んでるらしい」 カイは荷物を背負うと、歩き出す。……アシュラに忠告を受けたセキサシティへ。 セリハも慌てて荷物を引っ掴むと、彼のあとを追った。 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、カイさん!  アシュラにあの街から離れろって言われませんでした!?」 「離れろって言われてハイそうですかって離れられるか。野暮用も済んでねぇのに」 さくさくと歩を進めるカイ。アシュラの忠告などこれっぽっちも気にしていない。 「それに、どうせあいつはまた俺たちの前に現れる。必ずな」 「え……?」 「……やっぱ、行くんだね、あんたたちは」 森と街の中間地点である草原。その中を突っ切っていく二つの影を、アシュラはじっと見つめていた。 ホイホイ進むカイと、それに何とか追いつくセリハ。 忠告なんざ聞いてませんとばかりに迷いもなく歩いていく。 「ま、あんたたちがあの街から離れても、いつか惨事になる。  あたいがどれだけ挑もうが、関係なく」 風が吹いた。暖かな柔らかい風が森を突き抜け、アシュラの頬を撫で、 草原を駆け抜けて、あのセキサシティへと流れていく春の風。 「できれば……大事にならなきゃいいけどね……」 「か〜み〜な〜り〜……」 襲い掛かる牙。唸りを上げ、咆哮を轟かせ。 真正面から突っ込んでくるギャラドスと、腕を引いて力を溜めるエレブーとフーディン。 ギャラドスの捨て身タックルが決まる瞬間、二匹は主の声と共に拳を突き出した。 「パァンチ!!!」 稲妻を纏った拳が豪快に炸裂し、水の大蛇は苦悶の表情を浮かべて海へと沈んだ。 「いよっしゃあ! また一匹沈めたぜい!!」 「ブルルルル!!」 「…………」 コウ同様テンションが上がってきたエレクと、物静かなディン。 放たれたハイドロポンプを片手の念力で軌道を変え、発射元へとお返ししておく。 「ギーバ、ツルの鞭!!」 フシギバナの背中の花。色鮮やかな花の隙間から、踊るようにツルが飛び出した。 幾本ものツルは数匹のギャラドスを拘束。口を閉ざし、身体の自由を奪う。 もがく大蛇たちがツルを切る前に倒す必要があった。ならば、迷う必要もない。 ギーバの大輪の花が、ソーラービームとは違う全く別の輝きを見せた。 膨れ上がる光。その光に隠されたパワーに、ギャラドスたちは声も上げられず。 「ギーバ……ハードプラント!!」  ―― ドッ!!! 五、六匹を丸々包み込むような閃光。 目も眩むような光が走り、それは見事にギャラドスたちをふっ飛ばしていた。 ティナもギーバもハードプラントの威力に満足した様子でガッツポーズを決め、 ……巣穴から現れるゴキブリのようにポンポン海から顔を出す大蛇に飽き飽きした。 「……もうホントやってらんないよね……」 「…………」 ハードプラントを撃った衝撃か、ギーバの身体は痺れてしまっている。 ギーバの護衛に誰か出そうとして……固まった。ギャラドスたちを見て。 数匹のギャラドスたちが、その大きな口内に光を収束させていた。以前はよく見た、あの技の予備動作。 それもその矛先が自分たちに向いていると気付き、ティナとギーバの顔から血の気が引いていく。 「バ……! ティナ! 破壊光線がくるぞ!!」 その声で現実に引き戻され、腰のボールの一つを迷わず掴んだ――が、一足遅く。 計八匹分の閃光が、嵐のような轟音と共に大蛇たちの口から迸った。  間に合わない――!!  ド……ゴゴゴゴゴゴッ!!!! 発射音。遅れて炸裂音。 だが、ティナとギーバはその身に全く被害が及んでいないことに目をしぱしぱさせた。 あれほどの数の破壊光線を受ければただでは済まないはず。 沸き立つ砂埃。自分たちとギャラドスたちの間に、ぼんやりと山のような影があった。 「おいおい、これが破壊光線? 寝言ぬかしてんじゃねぇよ」 砂埃が晴れる。その向こうに立っていた影は、巨大で、頼もしく、強烈だった。 ゴツゴツした皮膚に幾つもの突起物を持つ黄緑の山。腕で全ての破壊光線を防ぎ切った有り得ない防御力。 「バン……ギラス……? ブラッド!?」 「ハ……海から大砲みてぇな音が聞こえると思ったら、こんなおもしれぇことになってるなんてな」 「コウ、平気!? 大丈夫!?」 「お、ユウラじゃねーか! お前何迷子になってってぐふぉ!?」 迷子という単語が出た瞬間、ユウラの肩、腕、指がプロ野球選手顔負けの投球を放った。 凄まじいスピード、かつ回転を加えられたボールはコウの頬に問答無用に炸裂。 コウが倒れるとボールが弾け、中から出てきたウインディは謎の事態にオロオロしている。 「ランディ、そこのバカ拾って逃げて! 来るわよ!!」 「クゥン?」 ハテナマークを浮かべて首を傾げるランディ。が、背後に感じる殺気に恐る恐る振り返る。 海から半身を出した巨大な水竜たちと目が合い、……一瞬で事態を把握した。 「ウォ……オオオオン!?」 すぐさま死体のようなコウの首を咥えると、一目散に主人の元へと逃げ出した。 背後でハイドロポンプがコンクリートを砕く音を聞きつつ、涙目になりつつ逃走完了。 「よし、とりあえずコウは置いといて……ねぇロットく……。……? ロット君??」 ブラッドがギャラドスたちの前に出撃しているにも関わらず、主人である金髪の少年は、 廃倉庫の脇に立ったまま、項垂れていた。 「え……ちょ、ロット君?」 「あ〜……ほっとけよ、そんな腰抜け」 ギャラドスたちを対峙しているブラッドだった。 ギーバを戻したティナを下がらせ、彼は肩慣らしするように腕を回す。 「そうなったらテコでも動かねぇよ」 「…………」 「さて、ギャラドス共。随分と数揃えてお楽しみじゃねーか、コラ」 指をバキバキ鳴らしながら、ブラッドは大蛇たちを睨みつけた。 だがギャラドスたちは臆さない。相手は有利な岩タイプなのだ。恐れることなど何もない。 「グウォオオ!!」「ズオオオオオ!!!」 吼え猛るギャラドスたち。言葉ではなく、それは正しく咆哮だった。 威嚇――ギャラドスたちの特性で、相手の攻撃力を下げる効果がある。 いかに相手が破壊の王とも称されるバンギラスでも、攻撃力さえ下がってしまえば。  井の中の蛙、という言葉がある。  井戸の中にいるニョロトノは、外の世界を知らない。  このギャラドスたちは、正しくその言葉の通りだった。彼らはブラッドというポケモンを知らない。 「……ああ? それでも威嚇してんのか? “甘える”でも使ってんのかと思ったぜ……!?」  !!!!??? その一瞬、ギャラドスたちは凍りついた。 自分たちの目の前にいるポケモンが、いかに強大な力を持っているのか気付くのが遅れた。 生まれたばかりのキャタピーがピジョットに目を付けられたのと同じ。 自分たちよりも小さいこのポケモンは、自分たちより遥かに上の存在だった。 身の危険を感じ、恐れながらもギャラドスたちは一斉破壊光線の準備に入る。 「お、破壊光線か? ……撃ってみろよ、腰抜け共」 彼らの技の準備が完了していく様を、ブラッドは嬉々とした顔で見上げ、 大蛇の口が一斉に輝いた瞬間、ブラッドもまたその口を大きく開いた。 その口は、まさしく砲口。飛び出すのは爆薬詰めの弾ではなく、破壊の閃光。 「破壊光線の撃ち方ってヤツを、教えてやらァ!!!!」   破  壊  光  線  ! ! ! 破滅の風が、セキサシティの港を包み込んだ。 大陸一つを軽く消し去れるのではないかと思えるほどの、密度。 ギャラドスたちの二桁に値する数の光線を、ブラッドの極太光線が容易く包み込み、 大気を揺るがし、海を震わせ。一ポケモンの技とは思えない。この破壊光線の前では核兵器ですらオモチャ扱い。 徐々に薄れていく光線を見届けながら、ブラッドは微笑する。 「これが破壊光線ってヤツだ。覚えとけ、腰抜け大蛇共」 地平線の彼方に飛ぶ、何か。肉眼では確認できないが、それはとても長い身体をしていた。 この港から、地平線まで。ブラッドの破壊光線はギャラドスたちを遠方をまで強引にふっ飛ばしていた。 ……一匹だけ、呆然と仲間たちを見届けるギャラドスを除いて。 偶然助かったと思い、彼はすぐに仲間たちのもとへと急ごうとした。だが、 彼の考えは外れていた。破壊光線は偶然外れたのではない。ブラッドがわざと外したのだ。 それを立証するのは……踵を返したギャラドスの尻尾に伝わる妙な感触。 ガクンと身体が揺れて前に進めなくなり、彼は恐る恐る振り返った。 「待てよ。……わざと外してやったんだぜ?」 「!!?」 ――気がつけば。一本背負いが見事に決まり、硬いコンクリートに叩きつけられていた。 「あ」 残ったギャラドスに一本背負いを決め込んで、……ちょっぴり後悔した。 コンクリートの上で伸びているギャラドス。そう、意識がない。気絶してしまっている。 「いろいろ吐かせようと思ってたのに……気絶させちまった」 「頭の機転は良くなったのに、力の加減はできないの?」 「おいコラ! そりゃ俺がただの腕力バカだって言いてぇのか!?」 「ちょっとちょっと! 何ケンカ始めちゃってんの!  ってかティナも何でブラッドにケンカ売るかな!?」 バンギラスにケンカを売る無鉄砲女にとりあえずツッコんでおくユウラ。 「……おい、ロット」 闇色のカラスが、彼の肩で静かに翼を休める。 彼は俯いたままだった。アホみたいに吼えている自分のポケモンを宥めようともせずに。 彼の顔を覗き込み、クロはクロらしくもなく静かに告げた。 「おめぇ、何かあったろ?」 「…………」 「ギャラドスたちを見てから急にテンション下げやがってからに。  ……ギャラドスそのものが原因だと俺は思わねぇ」 「…………」 「ま、テメェのテンションがどうなろうと俺の知ったこっちゃねぇ」 バサッと翼を広げ、ユウラたちの下へと戻るクロ。 ふと、彼は振り返り、微笑を浮かべてこう言った。 「でもよ、短ェ人生、笑ってたほうがお得だと思うがね。  スーパーの閉店間際の割引セールぐらいお得だ」 「……で、どうすんの?」 「とりあえず……逃げようと思う」 逃げる?と言いた気なティナとブラッド。 そんな一人と一匹に、ユウラは顎でとある方向を指した。 ――あれだけギャラドスたちが暴れていたのだ、人が集まってくるのは当然のことだろう。 廃倉庫の脇やら港側やら、がやがやと人が集まってきていた。 当然、彼らの視線が自分たちに集まっている。 「うわ……」 「そんなわけで」 と、ユウラは何を思ったか。未だぶっ倒れたままのコウの腰を勝手に漁りだし。 ボールを一つ拝借し、フーディンのディンを出した。 「ディン、街の外までテレポート頼める?」 「クォオ……」 そんなことよりも、足元で泡を吹いている主人の方が気になったりする。 頬にモンスターボール大の妙な痕がある。……投げつけられた? 「…………」 祭りのど真ん中。右を見ても左を見ても露店が並ぶその風景。 露店商の意気のいい声と子どもたちの騒がしい声。人々の喧騒。 グローリー兄妹は、二人揃ってセキサシティの空を見上げていた。 「付いて……来ているな」 「うん……」 ――人気のない水路で、アーマルドを逃がしてから。 そのポケモンたちは二人の上空を飛び回っていた。どこに行くわけでもなく、ずっと。 どこへ行っても彼らの影がちらつき、どれほど走っても彼らの翼がはためく音が聞こえた。 計五匹。二人はずっとそのポケモンたちに付き纏われている。 二人は喧騒から離れ、こんな縁日には誰もこないような狭い水路まで歩く。 それでも、やはり彼らは二人の上空を飛んでいた。 「……お前の意見を聞きたい」 「何か事情がある……と思う。やっぱり穏便に行こうよ」 下手すると彼らを攻撃しかねない兄に代わり、肩から下げたバックからボールを一つ取り出した。 出てきたのは、九本の尻尾を優雅に靡かせる金色の狐。 「イリス、あのオニドリルたちに何で付き纏ってくるのか聞いてきてくれない?」 『わかった』 イリスと呼ばれたキュウコンは、尻尾もさることながら四肢を優雅に使い、 壁を蹴って飛距離を稼ぐと、高い建物の屋上に跳び乗った。 見上げる。……オニドリルたちとの距離はかなり近くなった。 『ねぇあなたたち、そこで何やってるの?』 オニドリルたちの鋭い視線が揃ってイリスに喰らいつく。 どう見ても友好的じゃない。むしり敵意に近いものすら感じる。こちらが隙を見せれば襲い掛かってきそうなぐらい。 一瞬ビクッとしつつも、イリスは勇気を振り絞った。 『あ、あなたたちに付き纏われてキキたちが迷惑してるの。  できればもうやめて欲しい。最低でも理由ぐらい――』 ――刹那。何か合図があったわけでもなく、それは突然だった。 オニドリルたちが甲高い声を上げ、イリスに向かって突然ドリルくちばしを放ったのだ。 「……ッ!! イリス!?」 「ジール! イリスを助けろっ!!」 高く跳ね上がったボールが一つ、解き放たれる。 出現した漆黒の犬が即座に爆炎を撒き散らし、イリスとキュウコンたちの間に壁を作った。 イリスと同じ屋上に着地すると、ヘルガーはすぐに新たな炎を口に灯す。 『何のつもりだ、オニドリル! イリスは質問しただけだろう!?』 『ああ!? うるせぇな、コラ! テメェらに質問される筋合いなんてねぇんだよ!!』 オニドリルの一匹が再び鳴き、長いくちばしを限界まで開く。 赤、青、黄。それらの色を持つエネルギー体が三角形を形取る。……トライアタックだ。 『ジン!』 「ジール、攻撃を許可する! 火炎――」  ―――― ブゥン 「ええええええ!?」 「きゃああああ!!」 「……え?」 「あ」 『あ』 ――一瞬、二人は状況を理解できなかった。それはジールもイリスもオニドリルも同じ。 今まさにお互いの技をぶつけ合おうというその瞬間だ。その現象が起きたのは。 ジールは呆気に取られて火炎放射を霧散させ、オニドリルは自らを包む影に恐怖を覚える。 ……何だろう。突然虚空から出現したその謎の密集体は、ものの見事にオニドリルを巻き込んだ。 そして……落ちる。ジールたちがいる屋上に。  ドスン!! 「うごはっ!!!」 「わっ!?」 「痛っ!」 「お……とと!?」 ……最初の悲鳴は、金髪と茶髪の娘たちの下敷きになった所為だろう。 二人の尻の下で、その男はどう見ても危ないくらいな勢いで悶絶していた。 『な……なな……っ!?』 『ユウラさんにティナさん! ロットさんも! ……って、コウさん思いっきり潰れてる!?』 尻餅をついた二人のダメージと、プールの飛び込みで腹打ちするように落ちたコウのダメージの差は大きい。 それも落ちた直後、二人の下敷きになった所為でダメージは三倍近くまで跳ね上がっていた。 「イテテ……、ってアレ? もしかしてジールにイリス?」 「あんたたち、こんなとこで何やってんの?」 『……いや、それはこちらのセリフなのだが……』 「……ディン、どこだここ」 『いや……港から入ったから街の外なんて知らなくて……。  とりあえず港から見えた場所にテレポートした』 ――だからって空中はないだろう。 飛行と浮遊が可能なヤミカラスとフーディン。この二匹だけダメージゼロ。 ただ主人たちは飛行能力などなく、オマケにコウは気絶していたため受身も取れていない。 唯一ロットだけが見事に綺麗に着地していた。 「……で、そろそろどいてやらねぇとこのバカ死ぬぞ」 「あ」 「ついでに言うと……バカの下に何かいるぞ」 『こンンンンのクソ共が! 俺にのしかかりかますたァいい度胸だなコラ!!』 開放されるなり、そのオニドリルはとりあえず怒鳴り散らしてきた。 ただ数名にはその言葉を理解できていない。 「……ね、何て言ってるの?」 「ん〜……『スパゲティカルパッチョは未曾有味』だってよ」 『誰もンなこと言っとらんわァァア!!!』 クロのいい加減極まる通訳にオニドリルがブチ切れた。 長いくちばしを開き、そこにトライアタックとは別のエネルギーを溜めていく。 同時に周囲のオニドリルたちが慌てふためき、尋常な様子ではない。 『テメェら俺の破壊光線で全部まとめて――――!!』 ……刹那。 悪寒が全身を撫でつくし、オニドリルはさらなる恐怖を覚えた。 『まとめて……どうするんだ? 続きを言ってみろ』 空間を迸る火花。バチバチと機嫌が悪そうに、その存在はオニドリルの背中に張り付いていた。 『破壊光線を撃ってもイリスやその他諸々は殺せない。  ……それ以前に、お前が発射する素振りを少しでも見せるようならば』 バリィ。稲光が視界の隅にチラホラする。 『我が必殺の10万ボルトを放つ。……お前に密着した状態でな』 ――隔して。 ストーカーオニドリルと空中テレポートという奇妙奇天烈な状況は。 キキのサンダース、スパイアの警告とは程遠い脅迫により、静かに終わった。 「あ〜……何だろ、腹がスゲェ痛ェ。全身も微妙に痛いし。  ユウラ、何か知らねぇか? ぶっちゃけた話、気絶しら理由もよくわかんねぇんだよ」 「さ、さぁ? 成長痛じゃないの?」 微妙な答え方をするユウラの肩の上で、クロはウソツキな医者の卵をジト目で見ていた。 ……かなり不思議な形ではあるものの、一同は再会を果たした。 コウ、ユウラ、ティナ、ジン、キキ、ロット。……プラスクロ。 オニドリルがないはずの尻尾を巻いて逃げ出すのを見送り、合流。 積もる話も有り過ぎるので、一同は街の中心にある大広場。 十字に水路が流れるその広場。そこにあるファミレスに入った。 膝の上で丸くなっているエーフィの毛並みを、ティナは優しく撫でる。 「ま、何はともあれ。……1年振りね」 「タマムシシティの同窓会以来です。皆さん、元気そうで何よりで」 「そりゃそうよ、俺から元気取ったら何も残ら……。  アレ、なぁユウラ。俺ってばもしかして、今自分で自分の首絞めた?」 「絞めた。思いっきり」 隣で勝手に自爆したオレンジのバカはとりあえず放っておく。 だがコウは意外にも早く立ち直り、いつも通りキキに危ない視線を送り始めた。 「いや〜、キキちゃんってばこの1年でまた可愛くなったんじゃねぇ?」 「そ、そうですか……?」 コウの言う通り、確かにキキは美人の一言に尽きた。 清楚なロングスカートは彼女の美麗さを引き立てており、長く二つに結わえた蒼い髪は美しく。 化粧もかなり薄いというのに、すれ違う男のほとんどが思わず振り返る。 現にこのファミレスに来るまでかなり振り返っていたし、ファミレス内でも視線を感じる。 「コウ、お前少し引っ込んでいろ。視界が汚れる」 「ああ!? テメェどういう意味だジン!」 「ちょ……迷惑なるから止めなさいって! このバカ!」 「そうよバカ! ちょっとは静かに!」 バカバカ言われ、マジでヘコむコウはさておき、 「おめぇらみんな何しに来てんだ? こんな遠くまで」 下品にもテーブルの上に降り立ったクロが、ジンたちを指差して問う。 ジンは腕組みして目を閉じたまま、ぶっきらぼうに答えた。 「もう用事は終わったんだがな。しばらく船がないとかで帰れない」 「四天王のゲンジって人の所に行ってたんですよ。  一応フスベのジムリーダーになったので、ドラゴン使いとして修行をしてたんです」 「強制イベントだったがな……」 かなり厳しい修行をしたらしい。修行を思い返すジンの顔は目に見えてやつれていた。 1年前同様背は高く、綺麗な銀髪。義妹に頭が上がらないのを除けばかなりいい男だろう。 フスベの美形兄妹。その兄がこの微妙な表情をしているジンだ。 そんな嫌な思い出はその辺に捨てて、ジンはブラックコーヒーを啜った。 「……それで、お前たちは何をしに来たんだ?」 「あたしはカナズミシティの総合病院に。  ……何かまだまだ卒業前なのに首席確定とか言われて、いろいろ飛び級して研修生に……」 「え、すごいじゃないですか、ユウラさん!」 金髪をポニーテールにして結わえ、前髪は顔の横を真っ直ぐ地面に向かって流れている。 黄緑のフリースも初見は子どもっぽく見えたが、彼女が着ると流行最先端に見えてくる。 「バイト代かなり溜まってるし。当分はお金には困らないからさ」 「バイト? 何してたんだ?」 「あ〜……ホラ、年始の初詣でおみくじとかその他諸々売ってる巫女さんいるでしょ? アレよ」 アレか、と復唱し、ジンは再び誰も飲まなそうな苦いコーヒーを啜る。 初詣によく見かけるバイト熱心な巫女たち。キキと出かけた神社でも精を出していた。 関心している兄妹。すると、テーブルの上のクロが主人を指差して、 「でもよ、いろいろ面倒だったんだ」 「面倒?」 「俺も付いてったんだけどよ、朝九時から出てって……二時間くらいしたら」 「したら?」 「……妙に男の客が増えた。ヤミカラスとの組み合わせもいい!とか聞こえてよ。初詣なのにリピーターがいた。  出るはずのない晩飯まで出て、五時に終わるはずなのに八時くらいまでやらされてなかったっけか」 「日当が倍に跳ね上がったけどね……」 アハハ、と苦笑を浮かべて誤魔化すユウラ。 要するに……噂になっちゃったらしい。 かわいい巫女さんがバイトしているという噂が広がり、寂しい男たちが集まってきたのだ。 基本的に良い子ばかりのポケモンたちも野放しにしていたのだが、 ゲンガーとかウインディとか何かと神社と関係ありそうなポケモンが多く、妙な雰囲気に包まれた。 「俺はユウラと同じカナズミのトレーナーズスクールだ。  そこの塾長がリーグを観ててさ、俺が一番ポケモンと心を通わせてたって言ってよ!  そんでもっで、そこで練習用レンタルポケモンの世話を任されたってわけだ」 子どもが腕白なまま大人になりかけている。そんな雰囲気を持つ男、コウ。 相変わらずのオレンジの髪の上に、同色のバンダナを締めている。 「経営不振なのか。お気の毒に」 「……お前いい加減殴るぞ、ジン」 コウは砂糖をドバッとコーヒーに入れつつ、正面に座っているロットに目を向けた。 ……実は彼、ここに来てから全く喋っていない。 心なしか沈んでいるようにも見えて、隣のキキも時折心配そうな顔をしている。 「コラ、ロット。テメェ少しは喋れよ。1年振りだってのに」 「…………。…………」 「……キキちゃん、ロット生きてっか?」 何となく確認したくなった。それほどまでにロットは無反応。 曖昧な笑みを浮かべるキキ。やっぱりロットは無反応。 一瞬空気が重くなった時、ロットの腰からボールが一つ、勝手に弾けた。 出現した光は通路側に降り立ち、実体化する。海辺で日焼けしたような褐色の肌を持つ、一匹の格闘ポケモン。 普段は傘のような頭の先端で逆立ちをしているポケモン、カポエラーだった。 「カオ、クオオ、カオオオ」 「あ? 何だそりゃ」 カポエラーの言葉に、クロは素直に首を傾げる。 ジンとキキもその言葉を理解できたが、その真意については理解できなかった。 理解できない三名を差し置き、カポエラーは続ける。 「カオオ、カオ、クオオ。カオ」 「……わかった、ありがとうな、アーリィ」 アーリィと呼ばれたカポエラーは最後に「カオ!」の一言と同時に手をシュタッと上げ、 一人で沈んでいる主人に顔も向けず、ファミレスを出て行った。 「アーリィのヤツ、何つってったんだ?」 「詳しいことは言ってねぇよ。ただ……」 「? ただ、何なの?」 「『ロットはしばらく、放置してくれ』って」 「それから、『散歩してくる』と言ってました」 「?? 何だってんだ?」 ロットのだんまりとアーリィの言葉に、コウは捻れるくらい首を傾げる。 ジンが小さな声で「捻り死ね」と言っていたが、キキの耳にしか入っていなかった。 とりあえず、放置。一言も喋ろうとしないロットはそういう形で決定した。 というか、誰にも問いかける勇気がなかった。この沈みようなよほどのことに違いない。 ……そんな中、ユウラとクロは打ち捨てられた港でのことを思い出す。 ――襲われているティナとコウを助けに行った時。 最初から外に出ているブラッドが独断で動き、ロットは一切指示を出していない。 他のポケモンも全く出さず、戦況を見守ろうともしない。 結局ブラッドが一人で破壊光線を撃ち、ギャラドスたちをまとめてぶっ飛ばしてしまった。 二人は知らないが、ロットはこの街に着てから一度もポケモンに指示を出していない。 水路に逃げたオムスターを追い出すためにアサシンを向かわせた程度。それ以外は皆無。 「ティナさんは、なぜホウエンに?」 「え、私?」 キキは問いかけてから後悔した。 訊かれたティナは目に見えて言いづらそうな様子。フィルも心配そうに見上げている。 少々躊躇ったあと、ティナは重い口を静かに開いた。 「探しに来たのよ。……カイを、ね」 「!」 ―― カイ。カイ・ランカル。ティナやコウと同じギンバネ島出身のトレーナー。 ジョウト地方を旅し、様々な障害や苦難を乗り越え、リーグの頂点にたったトレーナーの一人。 1年前の同窓会では顔を見せず、以来誰とも会っていない。 それどころか、3年前にティナが見たのを最後に完全に消息を絶っているのだ。 「同窓会から半年ぐらい経ってから、電話があったの」 「! カイさんからですか!?」 「実に2年半振りに声聞いて、安心して……。  3年前に「オーキド博士のトコに行ってくる」って言って出て行って、  で、少ししてから「ポケモン図鑑作るために旅してくる」って電話があって。……それっきり」 「……? まさか、同窓会のあとの電話がくるまで、全く連絡ナシ?」 まさかと思って一応質問すると、ティナはため息を吐き出しつつ頷いた。 コウは「マジ?」と呟き、直後「あのアホ」と疲れた顔で呟いた。 「2年半も連絡ナシって……超バカだろ、あいつ」 「コウに言われたら死にたくなるわね」 「人権放棄したくなる」 「……お前ら軽く酷くねぇか? つーかクロ、お前に人権とかあんのか?」 「失敬な。俺にもポケ権ぐらいある」 「いや人権じゃねぇし」 それじゃあ、と切り出し、キキは人差し指を立てて確認する。 「ティナさんがホウエンにいるってことは、その電話、ホウエンからだったんですか?」 「うん。まだしばらく帰れないって。……大した世間話もさせないで切られた」 「ホンット心配かけまくる男ね、あいつ……」 呆れ気味なユウラとクロ。 コウもまた呆れ顔で、 「全くだぜ。ユウラも気をつけろよ、さっきも迷子になりやがぐふぁっ!!?」 バルキーも思わず弟子入りしたくなるマッハパンチが、問答無用でコウの顔面に抉りこんだ。 ユウラは凶器と化した拳を引っ込め、顔が陥没しているコウに微笑む。 「……何か言った? コウ」 「ば、ばんべもばいべふ……」 「カナズミシティで見かけたら連絡入れてあげる。  カイにもティナが捜してたって言っとくから」 デザートのバニラを掬い、ユウラはおいしそうに頬張る。 ティナはそんな彼女に頭を下げ、 「ありがとう、ユウラ」 「な〜に頭なんか下げちゃってんの。あたしたちの仲じゃない」 「……うん」 よい友達を持ったと、ティナは心底感じた。 いざという時力を貸してくれる友というのは、ここまで大きな存在なのか。 「ま、代償として今度また料理教えてよ。全っ然うまくいった気がしなくて」  ―――― !!!! その言葉に凍りつく男が一人。 手から滑り落ちたスプーンが乾いた音を立てて転がる。男は震えていた。 顔面蒼白で、彼は……コウは恐る恐る問いかける。 「……ちょっち待てい。うまくいった気がしないって……。  それってつまり、また何か作ったのか? お前が? 料理を?」 「何。悪い?」 ……コウの脳裏にあの悪夢が蘇る。 どこをどう頑張ったらこんな料理ができるのか。あの日の恐怖は未だ鮮明に記憶していた。 食卓に並んだ肉じゃが。一見普通の肉じゃがなのに、臭いは魔界の風。 槍のように鋭く鼻を突き刺し、爆薬でも詰まっているかのように鼻腔内で充満していく。 料理上手なティナが教えたはずなのに、なぜにこんな邪悪な物質が誕生したのか理由を知りたい今日この頃。 ……そして、そんな料理を不幸にも食してしまい生と死の境を彷徨った者がいた。 「……お前、まさかクロに食わせたとか?」 「うん、食べさせたけど」 平気な顔して実はとんでもないことを口走るユウラ。 コウは自らの顔から血の気が引いていくのを実感しつつ、コウは卓上のクロに耳打ちする。 「おいクロ、お前大丈夫だったのか?」 「へ? 何がだ?」 「何がって……ユウラの料理食ったんだろ?」 「ああ……アレか。…………。なぁ、コウ」 「お?」 「慣れって……恐ろしいな」 ……一度ではないらしい。それもあの極悪料理が慣れてしまうくらい。 実は味覚が麻痺しているクロだった。 げんなりしているコウや、その他諸々雑談している一同は放っておき。 ちょっとつまらなくなってきたクロは、アーリィのように散歩ならぬ散飛行でもしてこようかと考え。 何気なく辺りを見渡した瞬間、妙なものが目に飛び込んできた。 目をしぱしぱと何度も開閉し、その存在が確かなものかよく確認する。 よし、これが現実だ。確かにそこに存在していると一人で理解し。 ……その光景に釘付けになっているクロに気付いたのはコウだ。 「ん? お前、一体何見て」  ………………。 「あれ、どうしたの二人とも。何かあっ」  ………………。 「……ユウラさん?」 「お前ら、何口を開け」  ………………。 「…………え??」 黙りこくっていたロットですら驚き。 そして。その光景を最も見てはいけない人物が振り返った。 「……? え……??」 ティナの唖然とした声。どこかに掻き消えてしまいそうなほどか弱い声。 彼らの視線を浴びて、彼らの横のテーブルに座る注目の的とその相手は、静かにこちらを向いた。 蒼の髪。同色のヘアバンド。 見知った懐かしい顔。傍らにライチュウ。 「…………あ」「チュ?」 「???」 「カ……カ……!」 訳がわからなくなり混乱する頭と震える口。だが、コウとクロは意を決し、 さっきまで楽しそうに談笑していた、久しい友と……その向かいに座る少女を指差し、 「カイがロリコンになったァァァア!!!」 「なるかァァアアアアッッッ!!!!!」 数年振りの再会だというのに、いきなりロリコン呼ばわり。 ファミレス中の視線を浴びるものの、反射的にフルパワーでツッコミを入れる青年、カイだった。 「カ、カイがロリコンに……」 「だからなってないって。ユウラ、震えんな」 「……カイ、まさかお前がそんなヤツだったなんて知らなかった」 「いや、ジン。普通に決め付けんな」 「カイさん……」 「キキもそんなかわいそうな人を見る目で俺を見るな」 つーか、久しぶり!とか、どこ行ってたんだよ!とかないわけ? まぁ彼ららしいといえば彼ららしいが、こっちは迷惑極まりない。 一瞬でファミレスの客たちにロリコンと認識されるのはかなりキツイ。というかヤバイ。 そんなことを考えている暇すらないことに気付けないのは、まだまだ修行が足りないということか。 「カ、カイさん……!」 「へ?」 セリハに注意を促され、カイは項垂れていた顔を静かに上げた。 ――目の前に誰かが立っている。顔を見た瞬間、全身の血液が氷水になったような衝撃を受けた。 目の前に立ちはだかるのは、果たして鬼神か悪魔か。 肩を露出させたその大人っぽい女性は、笑っていたらさぞ魅力的であろう顔を鬼に変えている。 長い茶髪。どこかで見たことがある顔。足元で主人の形相に怯えているエーフィ。 ――全ての糸が繋がり、カイは恐る恐る彼女の名を口にする。 「……ティ、ナ? よ、よう……久しぶり……」 一応挨拶しておくが、ティナの口は堅く結ばれたまま。 不意に彼女はカイの手首を掴むと、無言、強引の二つを兼ね備えて店の隅まで引っ張っていく。 予想以上の握力に成す術もなく連行されるカイだった。 「お? よく見りゃあん時のたこ焼き娘じゃねーか」 「あれ、ホントだ」 連行されていったカイを無視し、彼と談笑していた少女が注目の的になる。 ワカシャモを連れた、十代前半の少女だった。 「あ、その節はどうも」 「何だお前ら、カイの不倫相手と知り合い?」 「ふ、不倫!!?」 素っ頓狂な声を上げたのは少女だった。隣でワカシャモが呆然となっている。 「いや、さすがにカイにそんな趣味はないと思うから不倫じゃないと思うんだけどね」 「何だ、ロリコンじゃねぇの?」 「あんたはそのネタ引っ張り続けるのやめなさい、クロ」 「あれ……ジン、さん?」 「何だよジン、お前もロリコン?」 「……キキ、釘バットを用意しろ」 「ありません」 それは当然のことなのだが、ジンならやりかねないと判断したコウは既に防御体勢を取っていた。 そんなコウにジンは「フン」と曰くありげに鼻を鳴らした。 憤怒の表情で拳を振りかざすコウをユウラが何とか押さえ、 ジンは連行されていくカイの情けない背中と少女を交互に見やる。 「セリハはカイと知り合いなのか?」 「えっと、今日会ったばかりです。ちょっといろいろ会って……」 「カイのヤツ、今日会ったばかりのコをたらしこんだのか?」 「あんたも黙ってなさい」 無理矢理頭の上から圧力を加えられ、クロもさすがに黙らずを得ない。 そんな光景に苦笑したセリハは、次に店の隅を恐る恐る覗いた。 「あの……カイさんは……」 「男と女の修羅場だ。なかなか見れねぇぞ」 椅子の背もたれに顎を置き、コウは面白そうにその光景を眺めた。 店の片隅に一組の男女が見える。何か説明している風のカイと、それを黙ったまま腕組みして聞く鬼の姿があった。 「あの人は……」 「ティナ・ラディス。……一応カイの彼女……みたいなもんか?」 何かを一生懸命説明するカイに対し、ティナは目に見えて気を許していない。 遠くてその声を聞くことができないが、怒っているのは確かだ。 ティナがボソリ、と何かを呟く。カイは切羽詰った様子で答える。 ――そんなやりとりが数分続き、ティナが腕組みを解いたその瞬間。 コウたちは、その光景に目を疑った。  ボグッ!!!!  !!!!??? エビワラーも思わず降参したくなるほどのパンチが、カイの腹に突き刺さっていた。 それはもう見事に決まり、カイは悲鳴も残さずその場に崩れ落ちる。……一瞬、ファミレス内の時間が止まったような気がした。 (い、いきなりボディブロー……!?) (すげぇ……! 音がここまで聞こえた! 絶対内臓イカれた!!) コウとクロの素直な感想。後ろのグローリー兄妹も顔が真っ青だ。 うわぁ……とさもその痛みを実感したようなユウラの呟き。セリハとシャインもビビって腰を抜かしている。 店員たちに助け起こされるカイを完全無視してその場に残し、ティナは無表情で戻ってくる。 テーブルに戻ると、ティナはいつもの顔で皆の顔を見渡した。 「え……どしたの? みんな。表裏ひっくり返ったマルノームでも見たような顔して」 ……どんな例えだ。いや、実際いたら怖いし。 そんなツッコミもできないくらい、そのボディブローとそれを放った主は巨大に感じた。 セリハは一応もう一度カイを確認した。……ダメだ、完全に逝っている。 恐らくアバラ数本持っていかれたに違いない。殺人ボディブローの効果である。 何食わぬ顔で着席する彼女。……一瞬、重い空気が流れる。 彼なりに話題を変えようとしたのだろう、ジンが口を開いた。 「そ、そういえばさっきのオニドリルたちは何だったんだろうな?」 「あ、そういや俺らギャラドスに襲われたぞ? スンゲェ数の」 「…………僕、街中でオムスターに襲われました」 「私たちはオニドリルの前に、アーマルドに襲われました」  …………  え??? 「……キキ、今、アーマルドに襲われたって?」 「え、ええ……。ロット、どうかしたの?」 カイのロリコン発覚時と比べ、はっきりとした反応を見せるロット。 身を乗り出してまでキキに問うロットは、ブラッドが訳してくれたオムスターの言葉を思い出した。 『これも神の思し召しってことかしら……? あたしも、アーマルドも……』 「……あのアーマルドが、他の古代ポケモンと徒党を組んでいた……」 「はい。オムスターがアサシンを。アーマルドはジーテを。  目的はわかりませんが、オムスターは仲間にアーマルドがいるような口調でした」 先ほどまでのだんまりを消し去り、ロットが丁寧に状況を説明する。 「じゃあよ、俺とティナを襲ったギャラドスは何だったんだ?」 「……例の二匹に何かしら関係があると思います」 人差し指を立てるロット。 「僕たちがこの街に集結したのは個々の理由から発生した偶然です。  ……ジン、オニドリルたちは二人をずっと付き纏ってたんだよね?」 「ああ。路地に入っても付いてくるから問いかけ、すると襲ってきた」 「コウさん、ティナさん。ギャラドスたちは“その時やってきて”襲ってきましたか?  それとも、“周囲に潜伏し、しばらくしてから”襲ってきましたか?」 問われ、コウとティナはう〜ん、と唸り始める。 「連中の気配は感じなかったぞ?」 「あ、でも、バトルが終わってからサイクスがずっと海を気にしてた。  もしかしたら、ギャラドスたちの気配を察知してたのかも。一回海に潜ってるし」 「……ねぇロット君。もしかして……なんだけど」 皆の話をずっと黙って聞いていたユウラ。何か思い当たったらしい。 この中で一番頭がキレるユウラが導き出した答えは、少々信じがたいものだった。 「あたしたち、この街に入ってからずっと尾行されてたってこと?」 「恐らく。二匹の古代ポケモンの言葉から察するに、当面の目的はアサシンとジーテの拉致。  …………って言っても、これ以上の情報がありませんから何とも言えませんけど。  ギャラドスやオニドリルは目的すら明確じゃありませんし」 「あ」 一度も口を挟まず、というか挟めず蚊帳の外だったセリハ。 だが、ロットが出した結論と、少し前に聞いた言葉が深く絡み合っていく。 ―― 警告しとくよ。とっととあの街から離れな。厄介なことになる。 ―― ―― そいつのこと、護ってやんなよ。 ―― 「どーしたたこ焼き娘。ムズカシー顔しやがって」 目の前にクロが降り立ち、それほど心配してなさそうな顔で覗き込んでくる。 ……じっくり考えてから、セリハは意を決して口を開いた。 「……あの、あたしたちも妙なポケモンに襲われてるんです」 「ほう、何に襲われた? 夜道で……ホラ、怪しいおっさんが突然コートを開くとそこに変なものがぶら下が」 「クロ、あんたは黙ってて」 今度はついにボールに押し込まれた。 ガタガタうるさいボールを荷物の奥底に封印し、セリハに続けるよう促す。 「街の外で……クロ君みたいに人間の言葉を喋るジュカインに」 「え……っ、そのジュカイン、何か言ってましたか?」 「えっと……」 「街から出てけだの、厄介なことが起きるだの。そんなとこだ」 ――正直なところ、全員がその存在を忘れかけていた。 何とか復活したらしいカイが、ズリズリと瀕死の身体を引きずってテーブルまで戻ってきた。 セリハの前に座って……チラリとティナに目をやった。……無視された。イタイ。 「アシュラって名乗ったそいつは、セリハが持ってる古代ポケモンを差して、  “そいつを護ってやれ”とも言っていた。……何か知ってるんだろうな、あいつは」 ――――突発的な会議は、そこで中断を余儀なくされた。 アーマルド、オムスター、ギャラドス、オニドリルたちに関しては、 一匹も捕獲に成功していないため、尋問することもできず。 アシュラは森の中で見つけるのも困難。何か情報を握っているのは確かなのだが。 全員の証言を整理すると、 《オムスターとアーマルドが、プテラのジーテとカブトプスのアサシンを狙っている》 《ギャラドスたちやオニドリルたちもまた、二匹に関与している可能性アリ》 《ジュカイン、アシュラはこちらに警告している辺り、敵意はないように思える》 ゆえに、 《港には近づかない》 《オニドリルを見かけたらすぐに誰かと合流する》 《狙われていると思われるジン、ロット、一応セリハも極力周囲に注意しておく》 《アシュラが現れたら何としても話を聞く。多少強引な手もアリ》 この三つがとりあえずの打開策。打開も何もしていないのだが、 襲ってきたところを返り討ちにして尋問するのが望ましい。 ……ユウラとコウが勝手にポケモン図鑑をいじっている最中。 カイはチラチラとティナの様子を窺っていたが、完全に無視されている。 ―― 2年以上も……、何で一度も連絡してくれないのよっ!!? 連絡できる状況が少なかった、というのが一番の理由だ。 主に野山や無人島に篭ってデータの採取に明け暮れる、という毎日が続いていた。 警戒心が強いポケモンを見つけるために何日も粘らなければならない、などなど。 他にも理由は多々あった。道に迷ったりという普通の理由もあったが、危険なものも。 シロガネ山に篭った時、運悪くバンギラスの群れに囲まれて四六時中バトルしまくったり。 灯火山で伝説のファイヤーを相手に奮闘したり。 データ採取から帰還しセンターに戻ると、疲れが溜まってすぐさま寝込んでしまう。 ドジをやらかしてポケギアを忘れるという失態さえなければ連絡の一つも寄越したのだが。 心配をかけたのはわかっている。ボディブローをくらわされても仕方ないかもしれない。 コウたちがファイヤーのデータを見つけて大騒ぎしていても、ティナは眉一つ動かさず。 二人がその場の空気を和ませようと努力していることも知らず、眉間にしわを寄らせていた。 ロリコン、やるな!とかコウが喚いていたが、もはやカイもそんな余裕がなくなっていた。 一見和やかだが、真相を知る一同は何とかしようと懸命に会話を盛り上げる。 あのジンですら積極的に話し、ロットも頑張って会話に入っていっているのだが。 ティナの態度は、変わらず。男の愚行に怒れる一人の女は、全く許す気配を見せなかった。 ……重い。こういう空気は最も過ごし難い空気だ。 いつもなら意味不明な言葉を並べて勝手に盛り上がるクロも、その空気の重みに負けてしまっている。 その重みに耐えかね、コウが微妙な笑みとテンションを携えて立ち上がった。 「こ、この街って今祭りやってんだろ!? ユウラ、行こうぜ!」 「そ、そうね! それがいいわね! クロ!」 「お、おおおう!! それ行くぞやれ行くぞとっとと行くぞ!!」 ……ちょっぴり棒読みな合わせ方だったのはこの際不問としよう。 とっとと逃げ出す二人と一匹に便乗するように、ジン、キキ、そしてロットが立ち上がった。 「……キキ、祭りに行くか?」 「そ、そだね。お兄ちゃん、行こう」 「…………僕、ちょっと散歩してきます……」 次々と頼みの綱がいなくなり、セリハもさすがに焦り始めた。 こんな空気は嫌だ。重い。いづらい。重圧で殺される。 「え〜と……あ、あたしたちも行こっか?」 「シャ、シャオ!!」 「ライラ君たちも行く?」 セリハのお誘いで、逃げるタイミングを失っていた二匹はついに好機を得る。 願ってもないとばかりの勢いで、ライラとフィルはセリハたちについていってしまった。  ………… (ヤツら、逃げやがった……) 固い絆もこの数年で風化してしまったというのか。 カイに降りかかる災いが感染する前にトンズラした友たちを心の中で呪いつつ、 突然立ち上がったティナにオーバーリアクションでビビってみたり。 「……何してんの?」 「い、いや……殺されんのかと」 だからといってイスから転げ落ちることもないだろう。 コントよろしくと思えるほどの落ち方だったが、ティナはさほど気にした様子を見せない。 「ねぇ、散歩しない?」 「へ?」 まさかティナから誘ってくるとは思ってもいなかった。 予想外の展開に目を白黒させつつ頷くと、ティナはテーブルを指差して、 「じゃ、それよろしく」 とだけ告げて、先にファミレスを出て行った。 さくさく出て行く彼女の背中を唖然となりながら見送り、……嫌な予感がした。 (あいつらァ……!!) ……六人分のお茶代が記されたその憎い紙切れを相手に立ち尽くし、 レジで微笑むウェイトレスさんの笑顔が眩しかった。 ―― 皆がバラバラになるという一番厄介な状況だということに気付かずに。 ―― とても危険な状態に置かれている我が身に気付かずに。 「……おい」 勝手にボールから出てきたその巨体は、出てくるなりガンを飛ばしてくる。 自分より小さな主人の覇気のない姿に、ブラッドはクソッ、と舌打ちするしかなかった。 カイとティナの危険な雰囲気から逃げたのは表面上でのこと。 真の目的は、一人になりたかった。落ち着いて考えたかった。 自分はホウエンに来るべきだったのか。……来るべきではなかったのではないだろうか。 祭りの喧騒も、路地の中に入ってはすぐにその勢いをなくしていく。 言葉を一つも吐かずに、黙々と、だがゆっくりと歩くロット。 ブラッドはもう一度舌打ちし、進路を遮るように立ちはだかった。 「コラ、ロット。テメェ、いい加減にしろよ」 「…………」 「今のテメェを見てると腹立つんだよ。訳わかんねぇ悩み抱えやがって」 返答はない。ブラッドは大きくため息を吐いた。 「もういい、俺ァ一人で散歩すらァ。  テメェはどっか隅の方でウジウジしてろ、腰抜け」 言葉の通り一人で勝手にズンズン進んでいくバンギラス。 その大きな背中を見送ることもできず、ロットは深い闇の中にいた。 『ブラッド』 「よぉ……テメェか」 『ロットはどうした?』 「あの腰抜けならその辺ほっつき歩いてるさ」 街の一番外側の塀。普通の一軒家と同じくらいの高さがある塀。 セキサシティの一番外側にある水路は、なぜか全て水位が低い。 大昔の名残だかなんだか知らないが、それでもまだかなり深さがあるらしい。 人気のないそんな水路の脇に一人、座り込んでいたポケモンが顔を上げていた。 「クソ……マジやってられねぇ」 『だったら説教の一つもしてやればいい』 「……そういうのは苦手なんだよ」 ブラッドはアーリィの横に座り、水位の低い水路を眺めた。 たまにタッツーやラブカスが横切っていくが、二人は何一つとして興味を示さず。 「ブラッド。アーリィ」 自分たちを呼ぶ聞き慣れた声に、二人は振り返る。 ロングスカートと蒼い髪を春の穏やかな風に靡かせた少女が、キュウコンを連れて立っていた。 「……? キキじゃねぇか」 『どうした?』 二人の横に上品に座りるキキ。イリスも同様に身を伏せる。 『……ロットがなぜああなったのか知りたいの』 「どう見ても何かあったようにしか見えないし……」 ――話によれば、ティナとコウを助けた時から異変があったらしい。 ギャラドスたちを前に、ロットはブラッドに指示一つ出さなかった。ポケモンも出さなかった。 まるで……戦うことを恐れているかのように。 一人の旅人が、そこにいた。 彼が旅の中、気付いてしまったこと。彼が思ってしまったこと。 それは普通のトレーナーにとって、贅沢な悩みだったのかもしれない。 「……あいつは……バカなんだよ。  やっぱ……“トレーナー”には向いてねぇのかもしれねぇ……」 そのバンギラスは、物静かに続ける。 ――あの戦いが終わってから、1年間。ロットが何をしていたのか。 その1年は、彼を大きく変えてしまった。彼は順序が間違っていたのだ。 「あなたのバトルには……“心”を感じません」 あの一言が、堪えているのかもしれない。 皮肉にもここと同じ港町で、彼は勝利より深い敗北を味わっていた。 勝ったのに、負けた。そう感じた―――― 「カブトプスのトレーナー……か……」 街をうろつく力ないその影を見下ろす、緑の影。 騒がしい祭りの真ん中で、項垂れて歩くロットと、建物の屋上から彼を見つめる彼女。 アシュラの視線に気付かず、ロットは一人黙々と歩き続けている。 「正直、頼りない雰囲気がある」 はぁ、と一つため息。 「あんたは護り切れる? 連中は必ずカブトプスを狙ってくるよ……」 「……オイ」 「?」 その暗がりの中に響く、物静かな声。 円柱状のガラス。その中にいる謎のポケモンを見上げていた男は、静かに振り返った。 そこに存在する“彼”は、地の底から響くような声で続ける。 「例の……現最強のトレーナーとウェンを戦わせる件だが」 「それがどうした?」 「トレーナーとウェンは果たして釣り合いが取れるのか?  戦闘は実力が近い者同士が戦ってこそだろう」 「……だったらまず」 暗がりにいるその存在。人間よりも鋭い眼光。人間とは程遠い身体。 彼はその存在に微笑を浮かべながら、はっきりと言った。 「まずキミが戦ってみればいい、ドラグーン。  そして見極めればいい話。……私はそんなことをする必要はないと思うがね」 「……フン、言ってくれる」  ボクハダレ? ボクハナンデココニイルノ?  ボクハナンデソンザイシテイルノ? リユウハ?  ダレカコタエテ。ボクノトイニ、コタエテ……。