『もっと速く走れねぇのかよオイ! 先行っちまうぞ!』 『無茶を言うな! 大体、このわしがこんな場所を走れていること自体奇跡だぞ!』 『……お二人とも、走行中の会話は移動速度の低下に繋がるのですが』 『だったらてめぇも速く走りゃあいいんだろが! そうすりゃ俺も怒鳴らずに済むんだからよ!』 『というか、逆に休憩させてくれ! 足の裏がむずかゆくてたまらん!』 『……わかりました。今すぐ足場を作ります』  ――― リベンジャー FINAL STORY Z ――― ――― 「Again」 ――― 「あの……カイさん。こんな時に言うのもなんですけど……」 「ん? どした?」 薄暗い鋼鉄の廊下である。頼れる灯りはほとんどなく、ライラの尻尾の光だけが周囲の状況を知らせてくれる。 前方に見える暗闇は、その廊下が永遠に続くことを示しているように感じてならない。 前を歩くカイの背中も、この薄暗い世界では影になってしまう。セリハは歩きながら振り返る彼を見上げながら、 「その……折角見つけたのに、先延ばしになっちゃったなー、って……」 「ああ、アレか」 アレ。……そういえばそうだ、完全に先延ばしになってしまっている。 ユウラやセリハに手伝ってもらってようやくナニしたわけだが、 三巨神だの古代ポケモンだのと訳のわからないことが続いたおかげで、 ……ちょっとだけ記憶から自然消滅しかけていたことは、あいつには黙っていようと思う。 「あんたち緊張感ないね……特にカイ。これから何が起こるかわかったもんじゃないってのに」 「まーいいじゃねぇの。緊張してても始まらねぇし」 それはあまり思い出したくもない記憶であった。 まるで導かれるようだった。博物館に到着し、どこから侵入しようか考えている時。 ギィ、と古めかしい音を立てて開いていた裏口。だがそれは普段から使われているようにも見えた。 思い返すのは、ユウラのゲンガー、フォーグが目撃した情報。ボーマンダ、オムスター、アーマルドが入っていった扉だ。 普段は厳重な鍵、加えて扉そのものが他の物と違う特別性。破壊できないくらい頑丈な。 まるでここから入れといわんばかりに音を立てている扉。 (あの時は、コウのバカが躓いて気付いたんだっけ……) 懐かしく、嫌な思い出。あの事件の時、一匹の勇敢な仲間がその命を散らしたのだ。 ただの悪夢。それで片付けた。あの時歩いた廊下は、明るさは違えど雰囲気が似過ぎている。 「よし、何か重いこの空気を俺の昔話で明るくしてやろう」 「カイさん?」 「俺の親父の話なんだけどな、俺が生まれた時、こう言って泣き崩れたんだ。何で女の子じゃないんだって」 「……それ、明るいかい? つーか別に重くなかったような……」 「グガ……アァ……!」 「サイクス……!? ギーバ、ハードプラントでサイクスを援護!」 やはり鋼鉄の巨神を前に、岩石の巨獣では分が悪いのか。 モロにメタルクローを受け、後退するサイドンと入れ替わりに突っ込む巨大な木の根。 フシギバナの最強技がミサイルのようにレジスチルに突っ込むが、衝撃で後退しただけでほとんど効果がない。 (ジットやボルクはもう無理……! この三匹だけで何とか……!) サイクス、ギーバ、共に満身創痍。パルシェンのシェルドも笑ってはいるが、身体に溜まったダメージは深刻だ。 三匹ともあと三発……いや、二発で落ちる。破壊光線やバカ力なら一撃だ。 ジットが沈み、ボルクも疲労が溜まりダウン。ティナの残りは四匹となった。 「サイクス、身代わりは……もう無理よね」 「グゴ……」 身代わりから気合いパンチの戦法ももう使えない。この三匹ではレジスチルに決定的なダメージを与えられない。 不意に、地面が少し揺れるのを感じて……レジスチルが破壊光線発射体勢に入っていることに気付く。 両手を翳し、その中に揺れる山吹色の球体。振動を繰り返すそれに、ティナは焦った。 「ギーバは神秘の護り! サイクスとシェルドは一番強い技を準備して!」 移動箇所についての指示はない。だが、これでも長い付き合いだ、大体の意味は理解できる。 前に出て虹色の光に包まれるギーバ。破壊光線がぶち当たり、耐える彼の背後からサイクス、続いてシェルドが飛び出す。 すぐに撃沈してしまうギーバに振り返らないように心に釘を打ち、まずサイクスが突っ込んだ。 ドリルのようなその角に身体中のエネルギーを全て注ぎ込み、その大槍を鋼鉄の巨神に打ち付ける。 甲高い音を立てたサイクスの角が、弾かれた。何事もなかったかのように健在する鋼の身体。 最早自分の技にも耐えられず沈むサイクス。彼の入れ替わりのように突っ込む二枚貝が、ボロボロの身体でニヤリと笑った。 レジスチルの射程内。だがシェルドは笑う。この技に細かい動作など必要ない。ただひたすたに、テンションを上げるように―― 「シェルド、ごめん……!! 大爆発!!」 『気にしてんじゃねーよバーカ! うぉらぁぁあああ!!』 吼えるシェルド。その瞬間、巨大な貝殻の隙間から夥しい光が迸り。 レジスチルの眼前で、ナパーム弾でも壊れない二枚貝が、ダイナマイトよりも激しく閃光と爆炎を散らした。 煙の向こうから戻ってくる光。ボールに吸い込まれていった二匹も、既に戦闘不能。 破壊光線を耐え切れなかったギーバも戻す。……たった数分の戦闘だというのにここまで追い込まれた。 それは戦闘の技術などない、純粋な力による圧迫。伝説のポケモンが、ここまで強敵だと思わなかった。 サイクスのメガホーンは不発に終わったが、大爆発だけは決まった。幾ら鋼タイプといえ、あれをくらえば―― 「ピピ……ピガ……」 聞こえた。あいつの声と足音が。 大爆発の煙を突き破り、少し黒く焦げた身体で悠然と前進を続けるレジスチル。 終わった――誰もがそう思うその状況で、ティナは俯いていた頭を上げた。そして。 「……フィル!!」 煙の影から飛び出す小さな薄紫の影。二股に分かれた尻尾を翻し、勇ましく突撃する小柄な身体。 額に頂く赤い宝石が、いつもよりも激しく光を撒き散らす。 それはただ輝かしいだけの光ではない。猛る獣のようにギラギラと光るそれは、炎のようにも見える。 レジスチルがエーフィの姿に気付いた。――いや、遅い!! 「目覚めるパワー……!?」 発動はした。額の宝石が真っ赤な光をさらに激しく放ち、額から四散して飛び散った。技そのものは成功している。 その直後に響いた鈍い音で、フィルが殴られたことを察した。鋼鉄の腕に殴られ、フィルの小さな身体が呆気なく飛んだ。 既に発動した技は空中で弧を描く。一つ一つが真っ赤な球体を成したそれが四つ。鋼鉄の巨神の周囲をぐるぐると周り、 不意に一つがゴローニャほどの巨大な火炎球になり、隕石の如くレジスチルに突撃する。 轟音と炎を撒き散らし、一発でレジスチルが火達磨になった。 転がるフィルの身体を抱き上げた瞬間、二発目が巨神に喰らい付いた。断末魔のような声を上げ、三歩後退する。 瞑想で限界まで引き上げられた特殊攻撃力が生んだ、炎属性の目覚めるパワー。予想通りの十分な破壊力を持ってくれた。 続いて三発目、四発目が容赦なく牙を光らせ、レジスチルの身体に喰らいつく。 さらなる爆炎を呼ぶ目覚めるパワーは、再び鋼鉄の巨神を火達磨へと変えた。 (これで倒れてくれないと……!) フィルが戦闘不能になった時を持って、ティナの残り戦力は底をついた。 つまり今の目覚めるパワーでレジスチルがまだ動ければ、この戦いはティナの負け、前進を許してしまうことになる。 (かっこ悪いよ、それじゃあ……) 一人で十分と大見得を切った手前、意地でも勝つつもりでいた。 腕の中でフィルが小さく鳴く。 彼女の頭を優しく撫でながら、ティナはじっと燻る黒煙と、その中にチラホラする炎を見つめ続ける。 幾らレジスチルといえ鋼タイプ。あれほどの炎を受けて無事なはずがない―― 残り香のように炎を引きながら黒煙を突き破るレジスチル。 未だに動き続けるレジスチルの姿に、勝敗が決した。 「あ、あはは……マジで?」 最早掠れた笑いしか漏れない。全ての力を出し切った先にあったのは、動き続ける巨神の姿。 膝を着き、もう手が残されていないティナは苦笑するしかなかった。 全て出し切った。後悔などしていない。……別の意味で後悔はしているが。 視界がブレているのは、どうやら涙の所為らしい。長くトレーナー業と離れていたためのブランクだろうか。 霞んだ視界の向こうで、巨神の身体がさらにブレているように見える。……いや、振動している。 突き出した両手の中心に宿る山吹色の塊。それが例え破壊光線だとしても、なぜか避ける気になれなかった。 腕の中でフィルが何か叫んでいるような気がした―― 身体が、飛んだ。強引に引っ掴まれ、二人がいた場所を破壊の閃光がぶち抜いていく。 地面を抉り散らし、その爪跡を豪快に大地に刻む。直撃すればただではすまなかっただろう。 「フッシャァアアア……」 「え……?」 自分の身体を持ち上げているのは、手ではない。腕でもない。長く太い……尻尾だ。 紫色の巨大な尻尾。広がった腹には不気味な顔の紋様。そのポケモンの種族も、名も、知っていた。 「アーボック……? ジーク?」 「お前は死ぬ気か? バカバカしい。……火炎放射」 豪炎が、破壊光線に劣らぬ破壊力を持ってレジスチルに喰らいつく。 ボルクの火炎放射とは少し違う。荒々しいがどこか精錬さのある火炎放射の発射元を目で追った。 通常種よりも遥かに賢く、遥かに強大な力を持った黒犬と、その横に佇む長身の青年。 少しトゲトゲしい銀髪を持つその青年は、先ほど同様静かに呟く。 「ジーク、蛇睨み。ジール、火炎放射」 ティナとフィルを安全圏まで運んだジークが、牙を剥き出しにして眼光を轟かせる。 ニョロトノもビビって強張る眼光に巨神が射抜かれ、一瞬動きを止めたところに再び豪炎が被さった。 いくらあのヘルガーの火炎放射でも、レジスチルに大きなダメージはない。それはボルクの炎で証明済みだ。 ジンも二撃で理解したらしく、さらなる火炎放射命令は出さずにけん制させている。ジークも然り。 レジスチルも警戒している。一瞬の攻防で敵二匹の戦闘能力を割り出したのか、攻撃の素振りを見せない。 「お前が一人で戦っているとキキから聞いた。……悪かったな、海でギャラドスの相手をしていたら時間を食った」 「そ、そう……ありがと」 「ところでお前、戦闘可能な奴は何匹いる?」 「ついさっき最後の一匹がやられちゃったわよ。つまり零ね」 腕の中でフィルが申し訳なさそうに鳴いた。 あんたの所為じゃないよ、と頭を撫でていると、ジンが奇妙なことを口走った。 「そうか。総合的に残り三匹というわけか」 「そう。……え?」 三匹? え? 三匹? 総合三匹? その妙に少ない数に違和感と畏怖を覚える。首を傾げていると、ジンがレジスチルから目を離さずに、 「十二マイナス一、マイナス二、マイナス六。答えは?」 「……三?」 十二。これはティナとジンが持つ総合数のことだ。 次のマイナス一は拉致されたジーテ、最後のマイナス六はティナの全滅したポケモンたちのこと。 腑に落ちないのは、途中にあるマイナス二だった。 「ギャラドス戦でジードとカミッセがやられた。これがマイナス二だ」 「……マジで?」 「マジだ」 ――大地が、大気が震えた。同時に聞こえたのは、常人には理解できない相棒の言葉。 『ジン! 破壊光線が来るぞ!!』 何が合図だったのかわからない。先ほどティナを殺りかけた破壊の塊が、金色の光を放ちながら敵の腕の中で振動している。 腕組みし、冷静だがどこか熱いものが見え隠れする声が飛ぶ。 「ジークは奴の腕に巻きついて軌道をずらせ! ジールは接近して黒い息吹!」 そこらのテッカニンよりも迅速に動いたジークの長い身体が、瞬時にしてレジスチルの左腕に巻きつく。 鋼の身体ですら軋み、悲鳴を上げるほどのパワーで締め上げると同時に強引に力を加える。 腕が逸れ、破壊光線の発射角度がずれたその隙間を縫うように。ジールが黒炎がチラチラする牙を剥き出しにした。 真っ黒な炎が迸り、鋼鉄の巨神の顔面に喰らいつく。苦悶の悲鳴を上げて後退していく。 『ジールてめぇ! 俺も燃やす気だっただろ!?」 『気のせいだ。気にするな』 『気にするわァ! 死にかけたわ!!』 「勝率は五十%。それ以上は上がらない。下がる可能性はあるがな」 主――いや、彼を主と呼ぶのは少し違うかもしれない。 友、戦友。特にジールとは一番長い付き合いであり、過酷な運命を共に歩ませてしまった。 ジンの言うことにほとんど間違いがないことを知っている。特にこういう荒事は澄ました顔でそつなくこなす。 そんなジンが語る勝率五十%。原因は戦力の状況にある。 「六匹フルなら勝てただろうがな。……ジーテが拉致された時点で百パーセントではなくなってしまった」 『ならば残った三匹が二倍以上の力を引き出せばいい。そうすれば百を超える』 『ハッ! こんな奴俺様一人で十分だっての』 「……ジークには悪いが、お前たち二人は奴の体力を削ぎ落とし、隙を作る役に回ってもらうぞ」 『止めは……ドルキマか?』 『新入りにやれんのかよ? まだこのクソリーダーにやらせたほうが……』 「残った三匹の中で、ドルキマが最も相性がいい。……来るぞ。構えろ」 レジスチルが機械みたいな動きで立ち上がり、再び破壊光線の準備に入っている。 振動する空気と大地。無尽蔵にも見えるレジスチルのエネルギー。 そんなところに疑問を抱こうとも、最早関係ない。倒せなくても、追い返さなければいけないのだ。 「流れ弾まで対処できない。自分で何とかしろ」 ティナの返事が聞こえる前に、敵の破壊光線が火を噴いた―― ≪ セキサシティ郊外 西の草原の戦い  ティナ&ジンVSレジスチル ≫ ≪ ティナ 残りポケモン零匹  ジン 残りポケモン三匹 ≫ 伝わる振動。湧きあがる好奇心。 大砲の如く空間を貫いて突進してくる閃光は、どんな技よりも美しくすら見えた。 自分の身体に跳ね返ってくる衝撃をものともせず繰り出される、――破壊。 飛び出した銀色の鎧鳥が、銀色の翼を重ねて盾代わりにした。 一瞬遅れてぶち当たる閃光が新たな閃光として四散していく。 「コメットパンチ!!」 巨大な影が、その重たそうな風体とは裏腹のスピードで動く。 鋼タイプの中でも別格の戦闘能力を誇るメタグロス。銀の爪を持つ群青の豪腕が、レジロックの胸に抉りこんだ。 ――ように見えた。実際はレジロックの皮膚で止まってしまっている。 一歩も後退せず、さらなる破壊光線を準備するレジロック。このまま撃たせたら――まずい。 「密着してシャドーボール連射! ……アーリィ!!」 巨大な腕でレジロックを強引に羽交い絞めにし、真四角な口から大量のシャドーボールを吐き出すタイタン。 一発ごとに爆発を起こし、巻き起こる粉塵の下で地面が盛り上がる。 その気配を察したタイタンが、タイミングを合わせるように離脱した。 レジロックの足元で地面がめくれる。特徴的な頭部を軸に回転した攻撃が、レジロックの身体を掠めた。 (どれも効いていない……!?) コメットパンチも穴を掘るも、岩タイプのレジロックには効果が高いはず。 だが当のレジロックに効いているようには見えない。それどころか、位置的に不利な状況になっていた。 「まずい! 三匹とも、横に――」 カポエラー、メタグロス、エアームドの三匹が一直線上に並んでいるという危険な状態。 敵がそれを見逃すはずもなく、穴を掘るで空中に飛び出したままのカポエラーに照準を合わせた。 「……ッ!?」 「グモ……オ……! オオオオオオオッッ!!!!」  ―― 一瞬で、残った三匹がまとめて閃光の中に消えた。 「……戻って、みんな。ありがとう……」 いっそ清清しさすらある負けっぷりといえよう。アサシンを拉致られている今、総勢五匹。 ブラッドを主とする百戦錬磨のチームだったはずだ。それが今、負けた。完膚なきまで。 相手は戦術もクソもなく、ただ己の高い能力を駆使しただけのレジロック。 いや……これはただの言い訳だ。相手が何であろうと、自分が負けたのは確かだったから。 それも、キキの目の前で負けてしまうというのが恐ろしく恥ずかしかった。 すり抜ける残影。ロットの背後から飛び出した三つの影が、瞬時にレジロックを包囲する。 三つともどこかで見たことのある影。……ボケっとしていた頭がそれをようやく理解してくれた。 一つ。三つ首で別々の感情を表す者。その全ての視線が岩の巨神を捉える者。 一つ。全身の体毛に猛る稲妻を纏う者。静かなる闘志を持つ者。 一つ。銀の強者の下で鍛錬を積みし者。赤の扇を揺るがす者。 「ロットを倒したからって終わりじゃありませんよ。まだ私がいます」 「キキ……?」 ロングスカートと青く長い髪を翻し。今まで背後で戦況を見守っていたキキが、勇ましく前に出る。 何か言いかけた口がモゴモゴと情けなく蠢いた。敗者の自分の言葉に如何程の力が宿ろうものか。 レジロックの身体が僅かに振動し、両手を大きく広げた。 あの予備動作は知っている。ここでずっと相手の動きを見てきたのだから。 「岩雪崩が来る……! みんな、離れて!」 キキの声が響き、直後に三匹が一斉に離散する。 彼らがいた場所を含むレジロックの周囲の地面。その下から突き出る尖った岩の群集。 一つ一つが意思を持っているかのように浮き上がり、三匹目掛けて突っ込んでくる。 「ジーニ、メタルクローで乱れ引っかき!」 他の二匹は動かず、代わりに赤の扇を翻す猫が爪を振り翳す。 眼前の岩に爪を突き立て、一気に引き裂く。岩がバターのように真っ二つに分解した瞬間、その姿が掻き消えた。 マニューラの姿が残像として残る戦場。瞬間的に全ての岩に亀裂が走り、分解した。 これは作戦なのかどうかわからない。ロットですらそれもわからない。 際立ってレジロックに大ダメージを与えられるような組み合わせではない三匹。 が、マニューラが全ての岩雪崩を切り裂いた次の瞬間、ドードリオが吐き出した黒い霧。 ドードリオはあまり受けが得意ではなく、他の二匹と比べて身体が大きくてダメージを受けやすい。 それ故に、陣営の中にマニューラを混ぜて三匹にしたのだ。 (三匹にも囲まれたら、広範囲系の技を使わざるを得ない……) それが岩雪崩。キキの作戦として、まず岩雪崩を使わせる。 三匹いることで攻撃がドードリオに集中せず、尚且つマニューラの斬撃で処理することができる。 敵の技を破ったら、ドードリオの出番。黒い霧でレジロックの視界を奪う。 そして。 黒い世界に包まれ、レジロックの幾つもの目も役に立たない。 生き物は性質上、軽い恐怖とパニックに陥ると我武者羅に動き回るもの。 それがレジロックにとっての岩雪崩。再び腕を上げ、地下の岩を持ち上げようと 『そろそろ倒れろ、デカブツめ』 可愛らしい顔からは想像もできないような冷たい声。 レジロックの目の前に現れたその黄色い影が、トゲトゲしい体毛を逆立てる。 全ては、この技を至近距離から放つため。 「スパイア、稲妻の矢!!」 激しい閃光が響いた直後――重々しい鈍い音が響き、キキは我が目を疑った。 ミサイル針に雷撃を乗せて発射する技、稲妻の矢は確かに発射された。 が、猛る矢の閃光と入れ替わりに突き出された岩石の豪腕が、サンダースの小柄な身体を叩き落していたのだ。 数度バウンドして転がるスパイアに向け、ほとんどダメージを受けていないレジロックが振動を開始する。 全身を襲う激痛にしかめる顔を上げて……その先で、レジロックの破壊光線が発射体勢に入っていた。 「ッッ!! イーグス、スパイアを助けて!!」 三つの頭を持つ珍鳥が、激しく大地を蹴り付けて走り込む。 二つの頭が横たわるスパイアの身体を抱き上げた時、レジロックの砲口が火を噴いた。 ――何かに着弾したことを示す爆発。 それが逃げ切れなかった二匹を巻き込んでいることを、すぐに認めることはできなかった。 黒煙を上げ、横たわる二匹。それを見た瞬間、頭が沸騰しそうなくらい熱くなったような気がする。 「ジーニ、氷結の――」 即座に出した攻撃命令。が。 愛する二匹がやられたことによる激昂が、脳みその能力を著しく低下させていた事実。 レジロックが突き出した両腕。強烈なバカ力が、ジーニの小さな身体に抉りこんでいた。  いやだ 一瞬だった。自分の予想を遥かに超えたレジロックの力。 黒い霧の中でも敵を的確に捕捉し、稲妻の矢に対してほとんどダメージを受けずに迎撃。 加えて、こちらが驚嘆している間にすぐにマニューラを討った。  全て自分の責任ではないか。イーグスたちがやられたのは自分の所為だ。  ロットにいいとこを見せようと張り切った矢先、このザマだ。ジーニも実際は兄からの預かりものだというのに。  皆の中で最強クラスであるロットがやられた時点で、自分が敵わないことを悟るべきだった。  ……何、やってるんだろ。 「クロスチョップ!!」 それは既に手持ちを全てやられたロットの声だった。 キキの背後から飛び出した四本の腕を持つ灰色の影が、交差させた手刀を岩石の巨神に叩き込む。 突き飛ばし、戦闘不能になったジーニを抱えて一時脱退するそのカイリキーは、どう見たってあのカイリキーだった。 「……腰のボールの中に見慣れた物があったから、勝手に拝借したよ」 彼が差し出してきたのは、その言葉通りジーキのボール。 「あ……」 「取り乱したらダメ。最後まで集中すること。バトルで最低限必要なこと。  ……って、もう戦えない自分が言うのもなんだけど」 ジーキが連れて来てくれたジーニをボールに戻すと、 『深呼吸して空を見ろ。焦った時、よくジンにそう言われた』 「ジーキ……」 『キキには私たちがいる。……だから、負けることはないよ』 いつの間にかスパイアとイーグスを奪還してきてくれたイリス。 ポケモンたちに励まされて、目に溜まっていた涙を拭う。 まだだ。まだ負けていない。 小さな頃から一緒のイリス。ジムリーダーの兄が育てたジーキ。そして……他にも、もう一匹いる。 街でロットに偉そうなこと言っていた自分に多少嫌気が指しつつも、今はそんなこと気にしていられない。 「イリス、無限の流星群、発射準備! ジーキはそれまでの間、時間を稼いで!」 『任せろ!!』 炎を帯びたスピードスターを連射する技、無限の流星群は発射に時間がかかる。 それまでの時間稼ぎに飛び出したジーキに、鈍いで高めた両腕が振り被った。 バカ力――近接打撃攻撃。ならば、 何をするわけでもなく、真正面から殴られた。鈍い音が響き、ジーキの身体が浮きかけて、 その場に強引に踏み止まり、突き出された両腕を四本の腕で鷲掴みにする。  攻撃を受けた直後だからこそ効果を発揮する技、第一弾―― 『当て身投げェェ!!』  ゴゴォンッ!! レジロックの巨体を持ち上げ、一気に一本背負いを決める。 重々しい音を立てて大地にめり込む巨神をもう一度持ち上げ、 『うおおおお!!!』 二度目の一本背負いは、叩きつけるのではなく遠投だった。 力任せに投げつけられた巨体がゴロゴロと転がり―――― 一瞬こちらを向いたその瞬間、レジロックが再び破壊光線を発射した。 空を引き裂く閃光が、今度こそジーキの腹にぶち当たる。……大ダメージは必須だった。 次の瞬間、転がりが止まったレジロックの真上をジーキがとった。  攻撃を受けた直後だからこそ効果を発揮する技、第二弾―― 『リベンジッ!!!』 豪快に、踏み潰す―――― が、バカ力と破壊光線を受けてジーキも無事ではない。 巨神の身体にヒビを入れるほどの大ダメージを与えた直後、そのままジーキの身体がぐらりと揺らいだ。 だが、笑っていた。彼は勝利を確信していたから。 倒れる彼の視線の先には、猛る爆炎を宿した九つの尻尾が揺れていた。 「ありがとう、ジーキ……! イリス、無限の流星群!!」 起き上がったレジロックの視界を、強力な流れ星の嵐が覆い尽くした。 一撃一撃が爆発を上げ、悲鳴を上げる暇もなく巨神が煙の中に消えていく。 そこに無慈悲に放たれる破壊光線が煙を突き破り、イリスを直撃さえしなければ。 二人は勝利を確信し、喜びを分かち合っただろう。 「え……?」 それは予想の範疇を逸脱していた。 無限の流星群は、エネルギーが続く限り流れ星を撃ち続ける技だ。 エネルギーが切れるまで乱射すれば、いかに岩石の巨神とされるレジロックでも倒すことができたはず。 だがレジロックはそれほど甘くなかった。 無限の流星群が長時間続く技だと見切ったのか、防御しきるのではなく攻撃してきたのだ。 攻撃する側が倒れてしまえば、強力な技でも強制終了となる。 当て身投げ、リベンジのダメージを無視してでも放った破壊光線は、結果的に吉となったわけだ。 こちらとしては、凶であったが。 「イリス!?」 ≪ セキサシティ郊外 北の森入り口の戦い  ロット&キキVSレジロック ≫ ≪ ロット 残りポケモン零匹  キキ 残りポケモン一匹 ≫ 「……なぁ」 「何?」 「冗談抜きでよ。……ヤバくね?」 「あたしは最初からそう思ってるけどね」 ようやくそんな事実に行き着いたのは、四匹目がやられた時だった。 重装甲の地面像がカチカチの氷付けにされ、コウはう〜んと悩みながらボールに戻す。 「ユウラ、あと何匹だっけ」 「クロ、テフナ、ランディの三匹。あんたは……」 「エレクとリュウ。……なっはっは、結構ヤバイとこ来てるなオイ」 周囲を冷気が支配して、春のクセに冬の夜のような寒さが二人を襲う。 目の前には氷塊の巨神。コウのドンファン、ファンが付けた最後の傷が修復されていく。 その氷の身体は思ったよりも脆い。だが、その脆さを補うような恐ろしい再生能力が立ちはだかっている。 七つの目がぎょろぎょろと動いて、手持ちを削られながらも邪魔してくる人間二人を見据えた。 「で、いきなりなんだけど勝てるかもしれない」 「へ? ……どうやって?」 本当にいきなり断言するユウラ。 「とにかく攻撃しまくって、あいつに再生させまくるの」 「……で、どうなるんだ?」 「それはあとのお楽しみ。……で、あんたも仕事あるわよ」 と、ユウラが指差したもの。 彼女の肩の上で暇そうに欠伸していた一羽のヤミカラスが、注目されていることに気付いて顔を引きつらせた。 「……い? もしかして俺様?」 「何かよくわかんねーけど……うっし!!  気合い入れていくぞ! リュウ、圧縮破壊光線!!」 一匹のカイリューが吐き出す閃光と、氷塊の巨神が繰り出す閃光が互いを削り取る。 ユウラはその隙に後方に下がると、一応持ってきていた小さなポーチからあるものを取り出して、 「いい? あたしが合図したら、これ食べてあいつに突撃するのよ」 「……へ? 何、捨て駒か俺は」 「まぁ十中八九やられるけどね。あ、コレ咥えて飛んで。あいつの身体に捻じ込むのよ」 ――敵の再生能力には奇妙なクセがある。それを見抜けば、敵の弱点も見えてきた。 「高速移動からアイアンテール!!」 通常ならこういう指示の場合、高速移動で敵をかく乱しつつ接近しての攻撃だ。 だがコウの指示が常識とは逸脱していることを、リュウはきちんと理解している。 簡単にいえば、一直線に突っ込んでぶっ飛ばせ。……である。 「アオオウッ!!」 「キュイ……!」 気合い一閃。豪快に唸りを上げた鋼鉄の尻尾がレジアイスの顔面を強打する。 重々しい音を立てて後退するレジアイス。微かだがヒビが入っている。 「休むなリュウ! 次、ドラゴンクロー!!」 叩きつけられる竜爪。砕ける氷塊。 敵の破片が舞い散る中、リュウの目に飛び込んできたのは猛烈なる冷気だった。 吼え猛るような冷気が、レジアイスの身体から放たれようとしている。 ここは退かせる普通である。カイリューは氷に極端に弱く、例え威力の低い技でも一撃ダウンを免れない。 まぁ、ここで退いたらおもしろくねーだろ。コウがよく言っているのを思い出すリュウ。 「ガチコン勝負だこの野郎! リュウ、アレやんぞアレェ!!」 こういう大事な時にアレとか言われても普通は困る。 だがこんなトレーナーとずっと一緒にいるリュウは一応理解している。 要は、必殺技をぶつけて対抗しろって意味だ。多分。 目の前で吹雪が放たれようとしているこの状況でよくまぁ長考できるもんだと、 自分の奇妙な特技に感心しつつ、破壊光線以上のエネルギーを口内に充填させる。 明らかに向こうが先に発動するだろう。まぁそこにあまり意味はない。 例えレジアイスの吹雪でも、この技なら貫ける自信がある。 猛烈なる冷気が放たれた。……大丈夫。いける!! 「リュウ! ――ディザスティル!!」 氷山の冷風を、ただ只管に破壊力だけを特化させた閃光が包み込んだ。 直後、爆音。リュウの口から吐き出された破壊の牙が、氷塊の巨神に喰らいついて火の手を上げる。 荒ぶる獣のように。研ぎ澄まされた凶刃のように。 「っっしゃあ!! 直撃ィ!! どーだコノヤロー!!  いくらレジアイスっつっても、俺のリュウの最強技くらった日にゃ――」 リュウの背をバンバン叩き、勝利を確信するコウ。 ディザスティルは圧縮破壊光線の二倍近くの破壊力を持つ。 その反面、反動もでかいため撃ったあとは破壊光線以上に動けなくなるデメリットがあるわけだが。 それもあまり気にすることではない。当たればその時点で勝敗が決するからだ。 「……へ?」 リュウの背を叩いていた手が、《痛い》ことに気付いた。 少し腫れているような気がする左手。……何でだ? そんなに強く叩いていないはず。 ……手が少し濡れていることに気付いて、コウははっとした。 「リュウ……!? 何でお前、凍って……?」 凍っていた。全身を氷に包まれたリュウは、弁慶の如く立ったまま気絶していた。 思い当たる節はただ一つ。ディザスティルで貫いたはずの吹雪が、貫かれながらも直進してリュウに直撃したのだ。 「くそ! ……そういや、レジアイスは……!?」 ディザスティルで上がった爆炎。少しずつ消えつつある火の手の中に見える、巨大な氷塊。 揺らめく青き影は、炎の中で徐々にその形を取り戻しつつあった。 炎の中でも再生できるレジアイス。それに対し凍らされたリュウ。 「え〜と、リュウがやられたから……ヤベ、残り一匹じゃねーか。  おいユウラ、あとどんだけぶっ壊せば……っててめぇ何くつろいでんだ!?」 戦闘不能となったリュウをボールに戻しつつ、振り返った先に。 どこからか引っ張り出したシートの上でお茶を啜る顔馴染みがいたりすると、少々キレそうになる。 「あ、終わった?」 「終わった? じゃねーよこの野郎!  何か策があんじゃねーのかよ! その準備とかは!?」 「だってコウが終わらないと実行できないんだもん」 野郎じゃないんだけど、と付け加えてお茶を啜る。何、この変な余裕は。 ぎゃーぎゃー喚きたてるコウを無視し、ユウラの目は自然と彼の向こう側を見つめていた。 炎から抜け出て完全に再生し切っているレジアイス。 そしてその周囲。濡れた砂浜。全く乾いていない空気。 「ねぇコウ。さっき、ゲイルとキャノンがハイドロポンプ撃ちまくったよね?」 「あ? ……まぁ確かに撃ちまくったけど」 「だったら、その辺に水溜りがあるはずよね」 「水溜り……あるはず……って、あれ?」 そういえば。周囲に散乱して水溜りができているはずが、 なぜか全くできていない。いくら砂の上とはいえすぐに吸収されないはずだが。 「で、それが?」 「レジアイス攻略のヒント。さ、クロ。あんたの出番」 「まぁまぁちょっと待ちたまえよユウラ。俺としてはこのせんべいを食ってから――」 「行け」 「カラス使いの荒いトレーナーだよ全く」 どっかのおっさんみたいに「よっこらしょ」と重い腰を上げるクロ。 くちばしに咥えたせんべいも全部バリバリ飲み込んで、立ち上がったユウラの肩にとまる。 「じゃ、これ食べて。これ咥えて」 「……あのよ、やっぱこれ捨て身じゃね?」 「ぐだぐだ言わない! とっとと行け!」 頭を鷲掴みにされ、強引にぶん投げられる哀れなヤミカラス。 不可解な叫び声を上げつつ、体勢を立て直して暗い空の中に漆黒の翼を大きく広げる。 煙は消え去り、大きく抉れた砂浜の真ん中。何事もなかったかのように立ち尽くす氷塊の巨神。 敵の視線は既に自分に向いていた。相手に聞こえるように舌打ちするクロ。 「不気味なヤローだぜオイ。不死身かっての」 愚痴りつつ、まず右足に掴んでいた小さな木の実を放り投げ、……ナイスキャッチ。そのまま丸飲みにする。 次に左足に掴んでいたものも放り投げ、くちばしでキャッチ。それは飲み込まずに咥えたまま。 「…………」 ―――― コウとリュウがレジアイス相手に奮闘していた時。 ユウラは緊張感がまるでないせんべいバリバリ音を奏でながら、 「自分がしたこともわからず死んだら成仏できないだろうから、作戦内容教えておくわね」 「おう。……ん? 何か不吉な単語聞こえなかったか? 死? 成仏?」 「空耳だって。……いい? よく聞いて」 恐らく空耳ではないが、次の瞬間には真面目顔になっていたので大人しく聞いておく。 丁度リュウのドラゴンクローがレジアイスの表面が砕け散り、氷の破片が舞っていた。 だがその苦労も報われず、パキパキと音を立てて修復されていく。 「無からは何も生まれない。再生に使われている氷だって、どこからか引っ張ってきたもの」 「どこからかって……どこよ?」 「最初は空気中の水分だと思った。でもそれだけじゃあんなに大きな氷は作れない。  それに全然空気は乾いていない。だとしたら、他のとこから持ってきてる」 すっとユウラの手が動いて、彼らが戦っている足元を指差した。 あの辺りは最初に、キャノンとゲイルが戦っていた辺りだ。 ハイドロポンプの水飛沫で、砂浜が湿っている。 「さっきまで水溜りがあったはずなのに、もう消えてるの。どうしてかわかる?」 「……レジアイスの野郎が、再生に使ったからか?」 「そ。つまりレジアイスは、《水分》というより《液体》を再生に使っているの。  ここからが重要。すごい近くに大きな《液体》の塊があるんだけど、わかる?」 「液体の塊?」 クロは鳥ポケモンの割に夜中でも効く目でざっと周囲を見渡した。 リュウとレジアイスがかなり大規模な技の発動体勢に入っている。 正直不安ではあるが、一応あのコウだ。簡単に負けはしまい。 液体。大きな塊。……視界の隅に入ってきたそれを見て、クロは「ああ」と納得がいったような声を上げた。 闇夜に包まれた広大な世界。空からの光を吸収できないそれは、暗黒の大地をどこまでも広げていた。 「海?」 「海っていうより、塩水。  クロ、知ってる? 塩水で作った氷って、普通の氷より溶け易いの」 「……あ〜、なるほどな。だからか、全然ランディ前に出さねぇの。  チ、めんどくせぇ作戦立てやがるなてめぇは」 「こうでもしないと勝てな――きゃっ!?」 ディザスティルと吹雪がぶつかり合う衝撃。 貫き、レジアイスを撃つディザスティル。貫かれながらもリュウを凍らせる吹雪。 大地すら震えるような一撃により、ユウラはクロの頭を撫でた。 「……ヤバイと思ったら、逃げなさいよ」 「おお。……急に優しくなんな、気持ち悪い」 ユウラの言っていることは理解しているつもりだ。 そして手渡された二つの道具。それらを照らし合わせて、加えてユウラが言っていた言葉。 だがこの作戦を成しえるには、自分が捨て身の突撃をしなければならないということ。 振り返る。……ユウラの顔が、いつもより情けなく見えたのは気のせいではないだろう。 (……ンな顔してんじゃねーよ、バカ) もう一度大きく翼を広げて、クロは狙いを定める。 口ではああ言っているが、あいつは自分の身を心配してくれている。 昔っからそうだ。ポケモンたちの無事を一番に考えてる。 自分たちが怪我をしないに、一番効率のいい作戦を練る。あいつは一度だって無理をさせない。 だから、今回の《絶対に怪我をする》作戦を練るということ自体、本当はやらせたくないんだ。 ―― 眼下から吹き上げてくる凶悪なまでに牙を光らせる吹雪。 羽ばたき、飛ぶ。吹雪の効果範囲をギリギリで突き抜けて、高速でレジアイスに接近していく。 「アレ!? クロのヤツ、いつもより速くねぇか!?」 「カムラの実を食べさせたのよ。……きちんと制御できるかは、わかんないけど」 カムラの実は、食べた者のスピードを一時的に上げるという。 高速移動なんかと違って強制的にスピードを上げるため、身体がついてこないことが多い。 簡単に言えばドーピングと変わらない。無茶をすれば自滅する。 「クロ、破壊光線が来るわ! 影分身!!」 破壊の牙を凝縮させた閃光が、分身クロを貫き夜空へ消えていく。 破壊光線なら避けられる。カムラの実の効果もあるが、クロ自前のスピードを嘗めて貰っては困る。 一直線に飛べば簡単に打ち落とされるために、何度も蛇行しながらレジアイスとの距離を詰める。  が。 (身体が痛ェ……!!) そう、カムラの実は強制的なドーピング。 身体の適応度よりも、身体にかかる負担そのものが一番怖い。 クロの様子がおかしいことにユウラも気付いていた。 そして、ドーピング云々よりも恐れていることが起きる。 高速で飛び回り、影分身も使うクロに対しレジアイスが取った行動。 全身から冷気を漂わせるあの様子は―――― 吹雪による、360度全範囲攻撃――!! 「急いでクロ! 次の攻撃はかわせない!!」 (クソ……!) 思わず咥えている物を砕いてしまいそうになる。 攻撃回避も兼ねた蛇行飛行は止め、クロは一直線に突撃するコースを取る。 いくらレジアイスとはいえ、全身から吹雪を放つとなるとそれなりに時間がかかる。 その隙に突撃できればいい。だが、カムラの実の効果は予想以上にクロの身体を蝕んでいた。 痛い 痛い 痛い いたい いたい イタイ ――――  クソくらえだ。 そう脳みそに渇を入れ、身体にも渇を入れ。 翼を何度か大きく動かしてから、抵抗を受けないように身体に密着させる。 クロが取ったコースは、レジアイスの真上。つまり、落ちるだけのコースだ。 レジアイスの吹雪の範囲は、予想なんて通り越していた。 放たれた白い世界。染め上げていく白。侵食していく白。 ―― 視界を遮った、黄色と黒の稲妻模様。 「え……!?」 クロの目の前に滑り込んだ一匹のエレブーが、その身を吹雪の前に捧げた。 左半身が凍りつき、ほとんど動かないような状態。動く右腕で唖然としているクロの首根っこを掴み、 『諦めんな! まだ終わっちゃいねぇだろう!!』 投げた。というか、落とした。勢いをつけて。 クロは振り返らず、眼下の氷塊の巨神を睨みつける。 レジアイスは再び吹雪の準備に入っていた。だが、もう遅い―― 「クロ……ッ! ドリルくちばし!!」 ズガガガガッ!!! 身体を勢いよく回転させて突っ込む技、ドリルくちばし。 レジアイスの頭頂部に突っ込んだドリルはそのまま回転を続け、ガリガリと氷塊を削りまくる。 止まった。そう、止まった。 レジアイスの身体を削ることを止めたクロ。いや、止めざるを得なかった。 クロの身体は既に、凍っていた。 ―― 雲行きが、怪しくなり始めている。 ≪ セキサシティ郊外 南南西の砂原の戦い  コウ&ユウラVSレジアイス ≫ ≪ コウ 残りポケモン零匹  ユウラ 残りポケモン二匹 ≫ 一、二、三、四。 それは亀裂の数だ。歪みのない一直線の亀裂が四つ、規則性のない並び方をしている。 どれも定規で描かれたような綺麗な線だった。そして。 分解して崩れる扉の向こうから、青髪の青年と真っ赤な人型ポケモンが現われた。 暗がりの向こう側。そこに立つ人物に向けて、 「よぉ。大事なもんいろいろ取り返しに来たぜ」 男はそこにいた。黒い顎鬚。長身。上下の幅が狭いメガネ。 昔はポケモントレーナー、現在は古代携帯獣博物館館長。 アラグという名の狂乱者と、彼に仕える蒼色の翼竜。 薄暗い中に響く機械の音。どこか暑苦しく、どこか寒気を感じる奇妙な空間。 バラバラになった無駄に分厚い扉を踏みつけて、カイは一人と一匹を睨みつけた。 「どーも、アラグ館長。……じゃねーや。誘拐犯さん?」  ―― 虫唾が走る。   入った瞬間、我が目を疑った。 この空気。機械の配置。 左右の階段から上れる形の小高い高さの高台があり、そこに並ぶ計器が色とりどりの光を放つ。 天井はかなり高いのはわかる。情けない照明が幾つかチラチラしているのが見えた。 「わ……っ! 何かすごいとこ……」 「シャオ……」 セリハとシャインにはわからない。 その空間が、カイにとってどれだけ不愉快な空気を醸し出しているのか。 実質、カイの顔が先ほどと違って少しだけキツくなっていることに気付いていない。 「あの分厚い扉を切り裂くとはな。恐ろしい戦闘力だ」 そう呟いたのは、コウやジンが戦ったというボーマンダ、ドラグーンだった。 高台の上から見下ろす翼竜。彼から向こう側は薄暗くてよく見えない。 「誘拐犯とは……まぁ言われても仕方ないかもな」 その男は――昼間とは違う空気を持っていた。 それはあいつの空気と似ていた。紅き狂気に塗れたあいつの空気と。 「ようこそカイ君、セリハ君。我が研究所へ」 「招待されたつもりはねぇけどな」 「ここへの招待状は存在しない。私とドラグーン以外でやって来たのは君たちが初めて――」 「アラグ! ドラグーン!!」 声が響く。 新たに現われた影に、アラグは疑問符を、ドラグーンは何かを嗅ぎ取った。 「ジュカイン……?」 「何訳わかんないことしてんだい! バカなことしてんじゃないよ!!」 どこかで聞いた声。記憶のどこかに存在する忘れられた声。 遠き過去の世界の中に置き去りにされたそれは、いつかの記憶として蘇ってくる。 あの日。あの時。崖下に消えていった緑の影。 捜して、捜して、捜して、捜し続けて。結局見つからず、記憶の中に封印した命。 「まさか……アシュラ……!? 生きていたのか!?」 「昔のアンタもバカだけど、今ほどバカじゃなかったよ!  ……ドラグーン! アンタも何で止めなかったんだい!?」 アシュラの問いに対し、ドラグーンの相貌は少しばかり細くなっただけだった。 どんなナイフよりも鋭く見える切れ味のある目。 彼の口から出たのは、至極静かで、冷静な言葉。十数年振りの再会の仲間とは思えない、低い声。 「何故、止める必要がある」 「な……っ!?」 「お前がネズミのように我らの周りを嗅ぎまわっていたことは知っている。  ならば承知済みだろう、アラグと我、そして仲間たちが受けた仕打ちを」 「……っ! だからって、人様のポケモン誘拐していいと思ってんのかい!?」 「我らから全てを奪ったあの男を超える。それこそが我らの願い」 そのためなら、犯罪にまで手を染めるというのか。 昔の仲間から突きつけられる鋭利な視線。喉元を貫かれるような視線。 ドラグーンは――完全に自分を突き放している。 「アラグ……!」 「例えお前がアシュラだとしても。……私は、引き返すつもりはない」 アラグもドラグーンと変わらない。あらゆる意味で一線を越えている。 訳わからないだろ。何でこんな風になってんだよ。ここまですることないだろ―― 「アラグさん! アシュラからいろいろ聞きましたけど……間違ってます!  何でこんな方向に行ってしまったんですか!?」 「リーシュ、メイル、カミア、ラネ」 「……?」 「彼らは私の前から消えてしまった。……逝ってしまった。  手の中から全てが抜け落ちていく感覚を、君は理解できるか?」 実験対象として奪われたポケモンたち。 次々に亡くなる仲間たち。消えていく仲間たち。 唯一残ったドラグーンも、その時の薬の後遺症により今でも発作が起きる。 彼にはドラグーンだけが残り、他の全てを失った。 「わからないことも、ないですよ」 真っ直ぐにアラグを見つめて、セリハはそう言った。 彼女の幼いながらに強く真っ直ぐな目に、アラグも、ドラグーンも一瞬躊躇する。 「あたしは今日、あなたたちにリンリを奪われました。  あなたたちが仲間を奪われたことを怒るのは当然ですけど、あたしだって怒ってるんです」 「そういうわけだ。ポケモンを実験台に使われて殺されたのは悲しいことだけどな、  だから自分たちは何やってもいいってわけじゃねぇ。とっととリンリたちを返せ」 今までずっと黙っていた赤い剣士――カゼマルが、左の鋏を突きつける。 かなりの硬度を持つ研究所の扉をバラバラに切り裂いたそれは、兵器に近い鋭さを持っている。 これ以上会話を長引かせるのは得策ではない。もしかしたらあちらにとって都合がいいかもしれない。 こうして会話している間にも、例のポケモンの復活の準備が整っているかもしれないのだ。 アラグだけが踵を返し、向こう側の暗がりの中へ消えていく。 ガシャンという何かが降りる音が聞こえて、途端に薄暗い照明が一気に明るくなった。 「リンリッ!!」 「シャオ!」 いた。五つ並んだガラス張りの円柱の一つに、セリハのリリーラ、リンリが眠っている。 気絶ではない。気持ち良さそうな顔をしている辺り、あれは完全に睡眠中である。呑気なヤツだ。 満たされた水の中で眠るリンリの横にアサシンが眠り、続いてジーテ。さらに横には―― (オムスター……アーマルド……!) 完全なる死を望む二匹もまた、眠るようにして円柱の中で目を閉じていた。 恐らく彼らは望んでそこにいるのだろう。そうすることで二度目の死に行き着こうとしている。 「彼らはまだ死んではいない。だが、私たちの計画が成就すれば……」 ―――――――――――――――――――― 雨が降っている。シトシトと降る雨。 灰色と黒が混ざったような色の雲が、カナズミシティの上空を覆いつくしている。 空気も雨特有の臭いが充満し、走ると靴の下で水溜りがびちゃびちゃと跳ねている。 「うわっもうついてないなー! シャイン、あんたもうボールに入ってて!」 「チャオッ!チャチャ――」 「うっさい! 入ってろ!」 抱えていたアチャモがボールに押し込んで、雨の中を直走るセリハ。 ボールを嫌うワガママなアチャモ。面倒な時はよくこうして無理矢理ボールに戻すことも多々ある。 次に出した時はやたらと抗議されるが、炎タイプのシャインを雨の中ずっと出しておくとへばるので仕方ない。 ホウエン地方の中でも大都市に分類されるであろうカナズミシティ。 カイナシティを旅立ち、二つ目のバッジを手に入れるべくやって来たその街。 ついた矢先に振り出した雨の中を走り、ポケモンセンターへと急いでいた。 「…………? ん?」  ―― 君……こんなとこで何やってんの?  ―― イイ〜〜?  ―― …………。まいいや。おいで、風邪引くよ?  ―― そのポケモンを返してくれたまえ。貴重なサンプルなんだ。  ―― この子嫌がってる! 絶対に返さない!  ―― イ〜……。  ―― ……ずっと研究所に閉じ込めて、ごめんなさいね……。  ―― …………。 ―――――――――――――――――――― 「リンリは……ある人があたしに託してくれた、大切なポケモン」 シャインが静かに前に出てくれた。ファイティングポーズを取り、戦闘意思を示している。 彼の目は一度、ガラス張りの円柱の中で眠るリンリを捉える。その目は、優しい。 だが次にはアラグとドラグーンを睨みつける。その目は、厳しい。 セリハは自らの胸に手を置いて、力強く告げる。 「リンリは仲間で、友達で……すごい大切なんだから!  訳わかんないことに巻き込まれて死なせなんかしない!!」 「シャオオオ!!」  牙が、視界を遮った。  赤と緑の閃光が走る。 「……ッ!! ドラグーン、アンタ……!」 シャインの頭部を噛み砕くコースで飛来したドラグーン。 咄嗟にシャインの前に己の身を盾にするアシュラと、ドラグーンの口に己の鋏を突っ込むカゼマル。 いかにボーマンダの顎と牙とはいえ、鋼の身体を持つハッサムの鋏には少しも刺さらない。 強引に殴り飛ばして、高めの天井の部屋を舞うドラグーンを睨みつける。 『不意打ちするなら、それ相応の攻撃力と速力を持つんだな』 「天下のカゼマル様にアドバイスを戴けるとは光栄だ」 口内に爆炎を溜め込み、一気に解き放つ。 ハッサムにもジュカインにも効果が高い炎が大の字を構成し、二匹とも飲み込もうと咆哮を上げる。 が、後方から飛んで来た火炎放射に相殺され、ドラグーンは目を丸くした。 ……先ほど倒し損ねたワカシャモだ。なるほど、彼がいる限り大文字は相殺されてしまうだろう。 カゼマルもその恐ろしいスピードで有名だし、アシュラもジュカインのスピードを持つ。 (ボーマンダか……少し不利か) 普通ならかなり不利だが、カゼマルからすれば少し程度である。 先ほどの大文字はシャインが相殺してくれたが、まともに受ければただでは済まないだろう。 ならばどうするか? 簡単だ、ポケモンバトルの常識に乗っ取ってればいい。 こういう時、普通は交代という手法が用いられる。そもそもバトルとも言い難いので増援という手法もある。 だが自分の一存だけで判断などできない。トレーナーであるカイに振り返るカゼマル。 「…………」 『カイ……?』 恐らく先ほどの攻防も見ていないだろう。それぐらい今のカイの様子はおかしかった。 とある一点を見つめたまま動かないトレーナーに、カゼマルは彼の視線を追ってみた。 ドラグーン、高台、アラグ、リンリたちが眠る円柱。……彼の目は、その奥を見つめていた。 リンリたちの円柱よりも、もっと大きな円柱が一つある。 俗に言うカプセルとかいうヤツだと思うそれ。濁った黄色い水のようなものが満たされたその中に、    何か、いる。 見たことも、聞いたこともないその姿に、カイは悪寒よりも鋭い何かを感じた。 生き物なのか、あれは。人型に見えるそれは、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。 橙色の色を持つ身体は、どこか機械的にも見える。左腕は人間らしい指を持っているにも関わらず、 右腕は橙と青の紐のような状態に分解されている。 そいつはガラス張りの向こうで、じっと目を閉じていた。 「何なんだ……あいつは……!?」 ――胴体の中心に、紫色の水晶を輝かせながら。 ≪ セキサシティ東 古代携帯獣博物館  カイ&セリハ&アシュラ ≫ ≪ カイ 残りポケモン六匹  セリハ 残りポケモン六匹 ≫ 「ティナ、すまん」 「……ううん。私も負けてるから、何にも言えないよ」 鋼鉄の巨神、レジスチル。その戦闘能力を見誤っていたかもしれない。 伸びるメタルクロー、圧倒的なバカ力、それを補う鈍い。 そして、あらゆるものを破壊する閃光、破壊光線。……全て、予想の範疇を超えている。 完全に気絶してひっくり返っているジーク。息も絶え絶えのジール。 『ジーク……! くそ!!』 最早距離なんて無関係なメタルクローにジークが沈み、 ほとんどダメージらしいダメージを与えられずに、残り二匹にされてしまった。 「……ジール、スモッグ!!」 レジスチルが相手を捕捉する手段は視覚だ。今までの攻防でそれは確認済みだった。 ジールの体力ももう限界だ。本気で技を放つのはあと一回が限度。 スモッグ自体はほとんど反動もない。まずスモッグでレジスチルの視力を奪い、 ……破壊力のある一撃を、叩き込む。 「ピピ……」 思った通り、レジスチルの動きが鈍っている。 ジールは極限まで足音を殺し、スモッグ内を静かに歩いてレジスチルの背後に回る。 口から漏れぬように、牙の隙間で大量の炎を溜めながら。 大量に吐き出したためスモッグはまだ消えていない。 ジールがヤツの背後に回ったことを確認してから、右手に最後のボールを手に取った。 「……ジール! 黒い爆撃!!」  ……………………  音もしない。何も起きない。スモッグが晴れる。  振り返っているレジスチル。その影に見える倒れたジール。  大技、《黒い爆撃》を放つ前にやられた相棒。右手が自然と、荒々しく暴力的に動いた。 「ドルキマ!! 砂嵐!!」 ―― 爆発的な砂の旋風が、レジスチルに直撃する。 砂嵐そのものは鋼のレジスチルに効果がない。だが、突然の攻撃に隙ができる。 「電光石火からアイアンテール! ……そして地震!!」 赤く縁取られた緑の翼を広げて、一匹のドラゴンが長い尻尾を靡かせて突撃する。 砂嵐で怯んでいる鋼鉄の巨神に向けて、硬質化した尻尾を強引に叩き付けた。 揺らぐ巨神。威力に期待はしていない。 ドルキマと呼ばれたフライゴンはその場で勢いよく身体を回転させて、尻尾で地面を破壊する勢いでぶっ叩いた。  ―― 大地が、咆哮を上げる。 「うわぁ……っ!?」 「四天王に直々に教えを受けて鍛えたフライゴンだ。威力だけならジードの上を行く……!」 亀裂が走り、岩盤が持ち上がり、無茶苦茶に競りあがってレジスチルを打つ。 それは圧倒的な《力》だった。磨かれ、鍛え上げられ、敵を倒すための力だった。 だが。 「……どうにもならんな、この鉄屑は」 ダメだった。動いていた。起動し続けるレジスチル。  ―――― …………………… 負け、か。 ライバルには負けることは許さないなんて言っておきながら、自分はこの様だ。 あいつに合わせる顔もない。自分の言葉にはもう力が残っていない。 『おい、諦めんなよ! 俺はまだ全然戦え――」 「いいんだ、ドルキマ。……すまんな、初陣の相手がレジスチルだなんて」 四天王の下を離れて最初のバトル。少しの攻防で負けを悟ったジンがお気に召さないドルキマ。 ジンはその場に座り込んで、遠くに倒れていたジールを、すぐ傍に倒れていたジークを戻す。 「いいんだ、ドルキマ」 『…………』 何も言えなかった。無気力になっていく主人を見下ろしたまま、何も言えない。 「俺たちの負けだ、レジスチル」 小さい言葉。だが、レジスチルはじっとジンの言葉を聞いていた。 彼の複数の目は静かにジンを見つめている。ぎょろつかせず、一直線に。 「俺たちにもう止める力はない、さあ、通――――」  刹那。 「ウルゥゥオオオオオオオオ!!!!!」 ―― 火山の如き咆哮と共に。 ―― 猛烈な烈風と共に。 激しく、重々しく。第三者は力強く現われた。 ≪ セキサシティ郊外 西の草原の戦い  ティナ&ジンVSレジスチル ≫ ≪ ティナ 残りポケモン零匹  ジン 残りポケモン一匹 ≫ 最初はこんなことになるなんて思わなかった。 彼自身、ただ私と一緒にいたいといってくれただけで、本格的な戦闘に出すつもりもなかった。 種族柄とは違い、彼は温厚なほうだろう。それでも、私に害する対象には牙をむくことがある。 それくらい私を慕ってくれている。だからこそ、この場に彼を出すことを躊躇した。  その彼が、自らを凝縮しているボールをガタガタと揺らしていた。  自分を出せと、そう言っている。 キキは今でも、彼を出したくなかった。 それでも、手は彼のボールを握る。六匹の仲間が入ったボールを。    現状、彼を出すしかない。 小さく「ゴメンね」と呟いてから、キキは一番真新しいボールを解き放った。 「ゴウガ!!」 「オオオオオオオオ!!!」 真っ赤に染まった水竜が、その巨体をホウエンの闇夜の中に晒した。 (赤い……ギャラドス……!?) 燃える闘志の如き赤色の鱗を輝かせる、赤いギャラドス。 それはかつて、ジョウト地方、怒りの湖に生息していたギャラドスだった。 カイたちから話は聞いていた。カイとキキ、そして楽園の名を持つ英雄が、怒りの湖で体験したこと。 ただ、複雑だった。あのギャラドスは確か自分が《例の組織》にいた時に、 その時の首領が実験体として、《破壊の遺伝子》を組み込んだ対象だ。 その時はその実験について反論したわけでもない。反論する必要がないからだ。 《破壊の遺伝子》は一時的な効果しか及ばない。ギャラドスの前の実験体だったゲンガーもすぐに効果が切れたそうだ。 少なからず、遠からず。自分が関係した実験の被験者との再会というのは嫌なものだ。 向こうは覚えていないだろうが、組織の研究室で一度会っている。 そのギャラドスをあのキキが持っているというは、さらに複雑だった。 「ゴウガ、水の波動!」 唸り声を上げたゴウガの口から放たれる、螺旋の波動を帯びた水の玉。 岩石の巨神はそれを真っ向から受け止めた。バシュウ、と水が弾かれ不発に終わる。 いや、違う。ほんの少し混乱症状が出ていた。普通より些細な状態だが、足元が覚束ない。 「よし! 次、吹雪!!」 続いて放たれる強烈な吹雪が、水に濡れているレジロックに覆い被さった。 普通なら効果が薄いだろうが、濡れているとなれば話は別。 身体の表面に付着した水が凍りつき、そのまま全身を這うようにレジロックを閉ざし始める。 「グロロロロ!!!」 気合い一閃。強引に氷の呪縛を破壊すると同時に、レジロックの周囲に地面から突き出た岩石が浮かび上がる。 一つ一つが人間なんて軽くぷちっと潰せる大きさだ、オマケにギャラドスは岩属性に弱いときている。 「地震攻撃!」 「オオオ!!」 この世界で一、二を争う巨大な尻尾が地面を打つ。 発生した振動が地面の下を突き抜けて、レジロックの真下で牙をむいた。  ドガガガガガッ!! 岩盤がトゲの如くせり上がり、その全てを刃に変える。 地面タイプも顔負けの威力を誇る地震が、レジロックの岩雪崩を中断させた。 ……違う。中断させたわけじゃない。レジロックが自ら中断したのだ。 地震のよって変形する大地の中で、両腕を前に突き出して構えている。 「ッ! ゴウガ、破壊光線!!」 空間を震わせるような振動を奏でる光が、大きく開かれたゴウガの口内に収束していく。 レジロックが収束させている光も、同じ振動を奏でる破壊の塊。 破壊の牙と牙が、互いを喰らい合うように響き合った。 それは一瞬前まで。喰らい合いはすぐに均衡を破り、ゴウガの顔面に炸裂する。 爆発。煙を上げて仰向けに倒れる赤きギャラドス。 その動作がゆっくりにも見えた。受けた技は一発だけ。だがその一発に倒れるゴウガ。 が。 「グオ……オオ……!」 「ゴウガ……!」 彼は倒れなかった。地面に突っ伏そうとする身体を無理矢理起こし、 まだまだ戦えることを示すように咆哮を上げ、レジロックの前に立ちはだかる。 だが、恐らく技の一つも放てまい。一番消費が少ない水の波動でも使えないだろう。 それでもゴウガは倒れない。後ろに、護るべきものがいるのだから。 レジロックの次なる破壊光線が光を帯びている。 彼にとってゴウガは進路を妨害する邪魔者でしかない。 立ちはだかるなら倒すのみ。光がどんどん強くなっていく。 「ゴウガ、戻って!」 「く……!」 キキがボールを翳し、ロットがほとんど回復していないブラッドのボールを手に取って。 光が更なる光を放つ――――  刹那。 「クゥゥォォオオオオオウ!!」 ―― 清らかなる水の流れのように。 ―― 北風を思わせる冷たく爽やかな一時のように。 清楚に、軽やかに。第三者は水の波紋のように現われた。 ≪ セキサシティ郊外 北の森入り口の戦い  ロット&キキVSレジロック ≫ ≪ ロット 残りポケモン零匹  キキ 残りポケモン零匹 ≫ 「ありがとね、クロ」 一番古いボールに吸い込まれていく黒き鴉。いつも口が悪いクセに、この時は嫌味なくらい静かだった。 レジアイスが身体から発する冷気による氷付け。だがその顔はどこか満足げだった。 「……で、どーすんだよ。作戦失敗か?」 「何言ってんの、ここまで順調よ」 クロはその役目を果たした。あとは、……《結果を出現》させるだけ。 ドリルくちばしで出来た穴を修正しているレジアイス。ユウラは残ったボールを二つ手にとって、 「行くわよ……まず、テフナ! 毒の粉!」 「ピィイ!」 舞い上がった一匹の蝶が、精一杯羽を動かして薄紫の粉をばら撒く。 吸い込んだ対象に体力を奪う毒を与える技、毒の粉。 ただそれは相手に粉を吸い込む器官があればの話であり、レジアイスにはそういった器官が存在しない。 それでもいい。この毒の粉は相手に吸わせるためのものではない。 レジアイスは降りかかってくる粉をただ見上げるだけだったが、新たな敵影に身を固くする 金髪の少女のすぐ傍に。猛る炎を身に纏った一匹の獣がいる。 強靭な足で大地を踏みつけて、口内に全てを焼き尽くす赤き息吹を溜め込んでいた。 レジアイスの再生能力は、自らに弱点を作っていた。 液体そのものを利用する再生方法により、海水を取り込んで氷とし、再生に利用している。 これにより、レジアイスの身体は《塩水で作った氷》と同じ非常に溶けやすい存在となった。 今まで炎で攻撃しなかったのは、レジアイス自身に弱点を作っていることを悟られないため。 次に、クロの不可解な特攻について。当然これも無意味なものではない。 溶けやすい身体にしたとはいえ、それでもまだ不十分だと考えたユウラ。 そこで思いついたのが、爆弾でいう導火線をレジアイスに付けることだった。 簡単にいえば、クロに木炭を持たせ、それを強引にレジアイスの身体に捻じ込むこと。 クロ自身は戦闘不能となったが、ドリルくちばしにより頭頂部に木炭を植えつけることに成功した。 テフナの毒の粉も然り。 最後の布石。バタフリー等が使う粉は、火気を与えればすぐに燃えてしまう。 それを利用すれば、いざレジアイスを攻撃する時に与えるダメージを増加させることができる。 ウインディの口内で、今か今かと燃え滾る炎。 ユウラは彼の頭に手を置いて、レジアイスの頭を指差した。 「いい、あそこよ。あいつの頭を狙って」 「グルル……」 「よし。……ランディ! 火炎放――――」 光の一筋が、視界を覆いつくす。 それは氷に閉ざされたテフナが落下して来た直後だった。 レジアイスから問答無用で放たれた破壊光線が、ランディの鼻っ面にぶち当たる。 溜め込まれていた炎が霧散し、その奥で粉塗れのレジアイスの腕が硝煙を上げていた。  ―――― …… 負け、た? 「なぁユウラ。要は火ィ付けりゃあいいんだよな?」 そんな声が聞こえた。 レジアイスのサイドに回った顔馴染み。 両腕いっぱいに抱えた相棒――半身が凍ったままのエレブー。 その右腕がバチバチと稲妻を纏い、すぐにでも放電できるようにしていた。 「悪ィなエレク……! 10万ボルトォ!!」 「ブル……ルァァア!!!」  ―――― 世界が止まる。一筋の光が、レジアイスの頭頂部を貫く。  木炭が着火。そのまま全身の粉を燃やしつくし、溶けやすい身体になっているレジアイスを包み込む。 「キュア……アアアアアア!! キュイアアアァァァアアア!!!!!」 「うおっ、すっげ……」 ホウエンの闇夜を照らす火だるまと化し、燃え上がるレジアイス。 今までユウラが仕込んだ作戦が、コウのど根性で開花する。 あらゆる仕込みにより、ついに決定的となるダメージとなったのだ。 「なぁこれ……あいつ、死んじまうんじゃねーの?」 「極限までダメージを与えたら捕まえるわ。……まぁちょっとやりすぎかな、とか思ったけど」 何もかも焼き尽くす焔の舌に捕らわれて、氷塊の巨神の身体は見る見る溶けていく。 いかにレジアイスの再生能力が優れているとしても、この炎からは逃れられない。 二人はもう動けないポケモンたちを全てボールに戻す。これで戦闘可能ポケモンは二人とも零となってしまった。 この炎が破られれば、負けた。それこそ本当に。 「みんなは……勝ったかな」 「どーだろうな……ロックもスチルも同じぐれー強ェなら、ちょっとまずい――」 自分たちの勝利を確信していた時、不意に炎が止んだ。 いや……炎が止まった。真っ青な氷に炎が包まれて、止まってしまった。 氷の中で蠢く氷。自らを焼き尽くす炎すら氷に変えたレジアイスが、徐々に再生していく。 それは絶望に等しかった。手持ちポケモン総勢十二匹を使って編み出した攻略法が、脆くも崩れ去っていく。 二人は、負けを覚悟した。  刹那。 「グルァァァァアアアアアッッ!!!」 ―― 雷雲のように猛々しいが如く。 ―― 凄まじい闘気が如く。 荒々しく、どこか軽々しく。第三者は落雷のように現われた。 ≪ セキサシティ郊外 南南西の砂原の戦い  コウ&ユウラVSレジアイス ≫ ≪ コウ 残りポケモン零匹  ユウラ 残りポケモン零匹 ≫ 「パックン、サイケ光線! シャイン、火炎放射!!」 幾つモノ輪によって構成された光線と、猛る火の意思を詰め込んだ炎。 高い天井を武器に飛び回るドラグーンには掠りもせず、ただ天井を削るだけ。 「……っ。シャインは退いて! ブレック、よろしく!!」 ワカシャモを下がらせて、セリハが繰り出すは一匹の格闘家。 相反するエスパーの力も併せ持つ彼。すぐに頭上を見上げて、旋回するボーマンダを睨みつける。 「ブレックはサイコキネシス! パックンはサイケ光線を持続!  カイさんも手伝ってくださって……え? カイさん?」 『カイ、指示を出せ! どうしたんだ!?』 何かにとり憑かれたように。カイの目は、奥にあるガラス製の円柱に魅入られていた。 見たことのないその存在。それは好奇心などではない。どちらかといえば恐怖に近い感情だった。  あれは何だ? あれは何だ? あれは………… 「彼の名はウェン。……種族名を、デオキシスという」 彼――ウェンと呼ばれる存在が眠る円柱の前に、アラグが立っている。 じっと眠り続けるウェンは、こちらの声を聞いているのだろうか。……それ以前に、生きているのだろうか。 セリハのパッチールが大文字で戦闘不能になろうとも、それは全く聞こえない。 カゼマルが必死に何かを呼びかけていようとも、それは全く聞こえない。 「デオ、キシス……」 「彼の故郷は、地球上ではないどこか……つまり宇宙から来たのだ。  地球に飛来した彼らは二匹……その内一匹は既に息絶えており、もう一匹も核だけが残っていた」 ――紫水晶か。あれが息絶えた一匹か。 「核だけの状態でありながら、彼は生きていた。  私は核のみの彼を研究し、ようやくこうして身体を再生することができた」 まるで子供の成長を見守るかのように。アラグの目は、親そのものだった。 ガラスに手を付き、その奥で眠るデオキシスを見つめる。 「本来ならここまで再生するなど生半可なことではない。  だがね、カイ君」 そこでアラグは振り返る。 そこに見えたのは、狂気に近い何か。封印について語ったあの時に近い、狂気。 ドラグーンが彼の傍に降り立つ。こちらを見下ろす嫌な顔。 「世界は広い。……地上には、何とデオキシスを凌駕する力を持ったポケモンがいた。  私はそのポケモンの血液の採取に成功し、……ククク、笑いが止まらないよ」  ―― 思考が乱れる。 「とある無人島に戦闘の跡があってね。理由はわからないが、そのポケモンはそこで死に絶えたらしい」  ―― 息が詰まる。 「あの幻とされる存在、ミュウの細胞から生まれた遺伝子ポケモン……」  ―― 心臓が軋む。   「種族名を……ミュウツーという」 ミュウツー。それは記憶の中に封印した単語かもしれない。 この世界で最も愚かで、正しくて、恐ろしくて、優しくて。 記憶の中の顔は、二つ。全てに絶望した赤と黒の顔。全てを救おうとした青と白の顔。 拳を握る。拳が悲鳴を上げる。 セリハとシャインたちが心配そうに見つめてくる。 アシュラもまた、話についていけずに唖然としている。 「ミュウツーの血液の研究。そして、その血液そのものをデオキシス復活に使用した。  ……ミュウツーを生み出した研究者には脱帽だよ、あんなものを生み出したのだから」 ……何も知らないあの男を、今すぐぶん殴ってやりたい衝動に襲われる。 それは触れてはならない存在。もう、歴史の中に呼び起こしてはいけない存在。 「みるみる再生は完了したが、まだ足りないものがあった。  それはきっかけ。彼が目覚めるための刺激がないといけない。そこで思いついたのが――」 聞こえなくなる愚者の声。 「古代ポケモンたちのエネルギーだ。彼らのエネルギーは現代に生きるポケモンより遥かに強大だ。  それを全て丸ごと与えれば、ウェンは目を覚ます。古代エネルギーによって強大化してね」 「そ、そんなことのためにリンリたちをさらったんですか!?」 「そんなこととは失礼だな、セリハ君。ようやく私の研究の成果が――――」    「―――― …… っざけんな ……」    口が自然と動いていた。憎しみを帯び、怒りを纏って。    カイの異様な状態にセリハもアシュラもアラグもドラグーンも。    カゼマルだけが、彼のそんな様子を認知していた。 「ふざけんなっっ!! あんた、ミュウツーが何なのかわかってんのか!?  ジェド博士に謝りやがれ!! ジェド博士は――――」 「っ!? 何と、君はドクタージェドと知り合いなのか!?  博士が残した情報を下にミュウツーの存在を知った――」 「謝れっつってんだろうがァ!!! カゼマルッ!!!」 彼もまた、怒っていた。アラグたちの全てに怒っていた。 アラグのミュウツーに対する所業――この歴史の中に再びミュウツーの名を刻みかねない事態。 カイと同様にミュウツーに深い関わりを持つカゼマルだからこそ、激怒していた。 「ド、ドラグーン、大文字!!」 慌てて吐き出された炎が五つの指を開き、唸りを上げる。 鋼と虫タイプのカゼマルには効果は抜群すぎる。……が、 「カゼマル! 風車輪で引き裂け!!」 身体を勢いよく前回転させ、その勢いで発生する風圧による斬撃。 加えてカゼマル自身の斬撃により、大文字が容易く分解された。 「メタルクロー!!」 唖然としているドラグーンの横っ面を殴打、ぶっ飛ばす。 カゼマルはそんなドラグーンに目もくれず、そのまま即座にアラグに鋏を突きつけた。 「ヒ……っ!?」 「あんたは触れちゃいけねぇ部分に触れたんだ……! 落とし前を付けて貰うぞ……」 こんなカイは見たことがなかった。まぁ今日出会ったばかりで彼の何を知っているのかっていう話だが。 少なくとも、カイは優しく、強い。そういう認識があったからこそ、セリハは驚いていた。 アラグがミュウツーという単語を口にした瞬間、彼の様子が異常なほどに変化した。 言うなれば、穏やかだった波が一気に時化たように。 「あ、あの……カイさん……」 目だけ動かして振り返るカイ。 その様子は尋常ではないほどに怖くて、一歩下がってしまうセリハ。 でも、ダメだ。ここで退いちゃ意味がない。 「その……ミュウツーって……何なんですか?」 「あたいも初耳だよ。何なのさ、それ」 セリハとアシュラに問われて、カイは少しだけ冷めた脳みそを回転させる。 二人は何も知らない。ミュウツーという存在も、あの戦いのことも。 だからこそできるその質問に、カイは小さくながらも怒りを覚えて。 そんな心を微塵も感じさせないよう努力しながら、いつもよりトーンの低い声を漏らす。 「ミュウツーは……触れたらいけないんだ。  あれは終わったんだ。もう掘り返したらいけないんだ」  ビシッ 「シャアッ!!」 カゼマルの声が聞こえる。それは緊急時に上げる声だった。 亀裂が入っていた。そう、例のデオキシスが眠るガラス張りの円柱に。 中にいるデオキシスは微動だにしていない。だが、発生した亀裂は少しずつ、少しずつ大きくなる。 カゼマルに刃を突きつけられていることも忘れて、アラグは振り返った。 「な……? いや、待て。そんなはずは……。  まだ古代ポケモンたちのエネルギー注入は……ドラグーン!」 何かに追いすがるように、ドラグーンの名を呼んだ。 メタルクローにようダメージで頭がぐわんぐわんするが気にせずに、 「わからん……古代のエネルギーを注入せねば、ウェンは目を覚まさぬはず……!」  ビシッ ビシッ ビシッ ………… クモの巣のように走る亀裂。その一つ一つが絶望への足音のように聞こえる。 デオキシスは身動き一つしない。だが、亀裂は意思を持っているかのように走り続ける。 「カ、カゼマル! 一旦戻れ!!」 危険であることに変わりはない。亀裂が走り切った結果、爆発でも起きるかもしれない。 カゼマルが高台から降りたことを確認してから、もう一度ガラス張りの円柱を見つめる。 亀裂がガラス全体に行き届いた時、 デオキシスが、目を開けた。流れ出る 割れるガラス。濁った水が溢れ出し、高台を埋め尽くして階段を伝っていく。 誰もがその光景を凝視した。カイたちも、アラグとドラグーンも。 まだ目覚めるはずのない存在が、己の力を使い外の世界へと足を踏み出す瞬間。 全身を伝う黄色い濁った雫。ペタリ。外の世界へと一歩の音。 その目は、どこか虚ろだった。 「お、おお……!」 カイは再び、アラグに狂気に近い何かを感じた。 突如として目覚めたデオキシスに歩み寄り、どこか凶悪な笑みを浮かべる。 「目覚めたぞ、ウェンが……! 理由はわからぬが、この際はどうでもいい!」 「わたしは……だれだ……?」 口をきくポケモンなど、カイやカゼマルにとっては珍しくもない。 デオキシスは口のない頭のどこからか言葉を発し、己の存在に問い掛けている。 「お前の名は、ウェンだ……! 私の研究の成果なのだ!」 「うぇん……せいか?」 「そうだ、あの愚鈍な父を越えるために生み出した、最強の存在だ!  なんといっても、あのミュウツーの力を受け継いでいるのだからな!」 「みゅう……つう……」 「デオキシス……何でもう復活した……?  まだ古代ポケモンたちのエネルギーを吸収していないはず……」 まだ片言しか喋れないデオキシスを放置し、アシュラの目が自然と横に滑る。 デオキシスの前に並ぶ円柱には、未だに彼らが息をしたまま眠っていた。 気泡が出ているところを見ると、あれで死んでいるとは思えない。 リンリも、ジーテも、アサシンも。外傷もなく、苦しんでいる様子もなく。ずっと変わらぬ姿で眠っている。 「さぁウェンよ! 最強の力を持つお前に相応しい相手がいるぞ!」 アラグの指が――当然のようにカイとカゼマルを指差した。 カゼマルが自然と構えを取り、カイも腰のボールに手を掛けている。 アラグの言う通りになるのは苦痛だが、あのウェンとかいうデオキシスにやられるのはもっとゴメンだ。 あんな姿では属性も予想できない。得意な攻撃は何だ? 物理か? 特殊か?      わたしはだれ? うぇん? それがわたしのな?      わたしはなぜここに? わたしがそんざいするりゆうは?      なにもおもいだせない。なにもおもいだせない。……わたしは、だれ?      みゅうつー? わたしのなかにながれるなにか。それがみゅうつー?      わたしはだれ? わたしはだれ?? わたしはだれ??      わたしは…………………… ――――      僕は……………?? そうだ、僕は………… 「くく……」 「? ウェン?」 それは笑い声だった。自我が欠損し、記憶も曖昧なデオキシスが笑っている。 不気味過ぎる笑み。頭に手を当てて、何かに対して邪悪な笑い声を漏らしている。 「僕の名は……ウェン……そうか。うん、そうだね」 ―― 違う。こいつは自分の名に対して笑っている。 だがアラグはデオキシスの異常な雰囲気に気付いていないのか、 「さ、さぁウェン! お前の力を私に見せてくれ!」 「僕の力……? 見せる……??」 ウェンはそこで言葉を切った。動くことも、何もかもを一時的に停止させる。 静寂がその場を支配する。そこから先に起こることに対し、こみ上げる笑いを堪えているかのように。 「ははは……ひはははははははは!!!」  ―――― 静寂を引き裂いたのは、ウェンの高らかな笑い声だった。  紐状に分解していた彼の右腕が一瞬にして手を形取り、さらにその手でアラグの首を掴み上げるという形で。 「あが……っ!?」 「ははは……はははははは!!」 狂気。アラグのものとは比べ物にならないほどの狂気。 衝撃的を通り越し、最早何が起きているのかわからない。 アラグの首がメキメキと嫌な音を立てた瞬間、ドラグーンが我に返った。 「き、貴様! 一体何を――」 前足の爪を光らせて、ウェンを引き裂かんと踊りかかる。 が、ウェンが翳した左腕が仄かに輝いて――止まった。ドラグーンの身体が、空中で完全に静止する。 (動かん……! この我が、少しも……!?) 「邪魔だよ」 一振り。ウェンの左腕が宙を薙ぐと、それに引っ張られるようにドラグーンが吹っ飛んだ。 カイたちの頭上を通り過ぎて、そのまま入り口側の壁に叩きつけられる。 あのドラグーンが、一撃。ジンのジーテやコウのリュウを倒したあのドラグーンが、一撃。 何より、今の一連の動作――いや、今の《技》は…… 「あのままじゃ……! ブレック、デオキシスにシャドーボール!!」 「っ!? セリハ、止めろ!!」 カイの制止の声も聞かず、ブレックの名を持つチャーレムが跳躍する。 両手を合わせ、その間に振動する闇の球体を出現させる。――デオキシスが、チャーレムの姿を捉えた。 「シャドーボール……? それがかい?」 左手が、すうっとブレックへと照準を合わせる。 その動きはあまりにゆっくりと、どこか不気味で。 ブレックがシャドーボールを放った瞬間。デオキシスの左手もまた《何か》を放った。 そう、《何か》だ。恐ろしい射出スピードで放たれた何か。同時に、ブレックのシャドーボールが突然爆発する。 それこそブレックのシャドーボール単体の爆発なんかより遥かに巨大な爆発で。 一瞬にして爆炎に包み込まれたブレックが、煙を上げながら落下して来るという光景を創った。 「え……も、戻ってブレック!」 何か……頭の中を何かが駆け巡っていることはよくわかる。 何だ、この感覚は。遠い記憶の中に眠る何かが、鋭利な爪で記憶の壁を引き裂こうとしている。 目の前でアラグの顔が死人に近い何かに変貌していくのを、黙って見ていることしかできない。 一瞬で攻撃を破られて呆然としているセリハと、ドラグーンを助け起こしているアシュラ。 頭も、記憶も。その全てが混乱していく中。 カイとカゼマルは己の耳を疑った。 デオキシスがアラグをその辺に捨てるかのように放り投げる瞬間。 ……ヤツは、こう言った。 「やっぱり人間は……愚かだね」    背筋が、凍り付く ―――― 「げほっ、えほ……!」 「! アラグ!!」 ドラグーンとアシュラがアラグに駆け寄っていくのが見える。 セリハとシャインの目はじっとデオキシスに注がれていた。その目には、確かに恐怖の色がある。 あれは……そうだ。 近づいたら、いけない存在だ。 「セリハ、下がってろ」 「カイさん……」 「いいか。あいつには絶対に手を出すな。ついでに近づくな。あいつに関わるな」 「侵害だなぁ。それじゃあまるで僕が危険みたいじゃないか」 そいつは笑っている。 何もかも見下して、何もかも憎んで、笑っている。 一気に蘇る記憶。その中でも、あいつは人間を見下していた。 「あんたァ……! アラグとドラグーンをよくも……!!」 「止めろアシュラ!! 手ェ出すなッッ!!!」 リーフブレードを展開し、デオキシスに斬りかかりかけたアシュラを一喝で止める。 目を見開いてブレーキをかけるアシュラ。……彼女の視線の先に、右手を自分に向けたデオキシスがいた。 デオキシスの目が、アシュラからゆっくり動いて、止まる。カイとカゼマルを視界に入れて。 「くく……くくく……」 「……お前、……《お前》なのか」 笑みを浮かべるデオキシス。それに問い詰めるカイ。 彼の拳は硬く握られたまま。カゼマルもまた、デオキシスに対して警戒の構えを解かない。 《お前》に対する《お前》。どういう意味なのかセリハには理解できなかった。 「やっぱり人間は愚かだよ。……二度も同じ過ちを犯すんだからさ」  ―― ふわり デオキシスの身体が見えない糸に吊るされているかのように浮き上がる。 その姿はどこか異様で、不気味で、……狂気に満ち溢れていて。 いつの間にか真っ赤に染まった瞳でこちらを見下ろすその姿に、背筋を嫌な汗が流れてくる。 「新しい身体はよく馴染むよ。属性が同じだからか、はたまた何か別の要素があるのか。  ……どっちにしろ、折角また会えたんだ。楽しまなきゃ……ねぇ?」 「セリハ、アシュラ。ついでにアラグとドラグーン。  お前らは絶対に手を出すな。こいつは……―― !!」  デオキシスがその両腕を大きく広げる。  何かを示すように。何かを告げるように。  ―――― 胴体に潜む紫の水晶体が、血のように真っ赤に染まった。 「さぁ、あの時の続きを始めようじゃないか! カイ、そしてカゼマル!!!」 「こいつの名はルイン……最凶最悪の、悪魔だ!!」     ―― 運命の歯車があるんだとすれば、それはもう外れてしまっているんだと思う ――