――――――  今から六年前である。  現代に蘇った黒と赤の悪魔。人間を愚かしく思い、その全てを滅亡させようとした悪魔がいた。  悪魔は全ての存在を超える恐ろしい力を持っていた。  当時裏の世界を牛耳っていたとある組織を傘下につけて、彼はその姿を露にする。  まずは、復讐だった。自分を千年間も封じ込めた虹色の神と、それを招いた海の神を消すこと。    歯向かったのは、六人のポケモントレーナーだった。 ――― リベンジャー FINAL STORY [ ――― ――― 「カイVSルイン」 ――― 「悪魔だなんて……酷いじゃないか、カイ」 「酷い? その言葉、六年前のてめぇに言ってやれよ」 デオキシス――いや、ルインは相変わらず嫌な目をしていた。 何時しか血色に染まったその瞳。ギョロつく赤い目。不気味な赤い輝きを放つ胴体の核。 それはもうデオキシスではない。完全に《あいつ》に全てを乗っ取られている。 恐怖の塊。殺意の象徴。人間を嫌う激しい憎悪。 それがルイン。デオキシスとなっても、中身であるルインのオーラは変わっちゃいない。 「そうか……もう六年になるのかい。どうりで……随分背が高くなったと思った」 「褒めてんのか? 生憎、てめぇに褒められてもうれしいどころか吐き気がするね」 ペッと唾を吐き捨てる。こいつは明らかにあのルイン。あの日、自分から母親を奪ったあいつ。 今思い返せば腸が煮えくり返るような光景が脳裏を過ぎり、同時にヤツと戦った歴史も蘇ってくる。  ……あいつの白い後ろ姿も見えて、拳が自然と硬くなった。 「褒めて……? 何言ってるんだい、カイ」 身体を震わせてクク、と小さな笑い声を漏らす。その一挙一動が憎くて仕方ない。 大きく身体を反らせてから、ヤツは上半身をぐぐっと前に突き出し、赤い目をギョロつかせた。 「その六年間は執行猶予さ。……だって、今日僕が殺すんだからねぇ!!」  鋼鉄の輝きを持つ紅い剣士が、その刀といえる鋏をヤツに突きつけた。 カイもルインも、口を開くことを止めた。 彼の雰囲気がいつもと違う、雰囲気が刃のように鋭く唸りを上げている。 理由なんてたくさん浮かび上がるが、カイなりに言うならば、彼は《酷く動揺している》 全ての視線が交錯する中、静寂を纏ったハッサムは静かに告げた。人間には理解できない言葉で。 『何故だ……何故お前がいる』 素直な言葉だった。あいつは六年前に散った。死んだはずだ。 記憶の中で眠り続けるはずの存在。思い出の中で風化していくはずの存在。  もう、いないはずの存在。 「さぁね……僕よりも、そこの愚かな人間に聞くべきじゃないのかい?」 ルインがちらりと睨まれて、小さく悲鳴を上げるアラグ。 数分前に殺されかけたのだ、それは仕方のないことだろう。 「ま、何となくはわかるよ。……恐らく、今ここにいるのは僕じゃない」 「……?」 「君たちがここに来てからの会話は全部聞いてたんだ。  血液に宿った僕の意思。何もかもを憎む意思。それがこのデオキシスに流れ込んで……」 とん。己の胸を叩く。 「今の僕がいる。本体の意思は消えようとも、ばら撒いた意思が再び生を得た。  血に宿った意思を、この人間が拾い上げ、こうしてデオキシスとして再生してくれた。  ククク……やっぱりだよ、カイ。やっぱり人間は愚かだ。六年前もあれだけ言ったじゃないか」  人間は愚かだね。 ヤツの口癖だった。あいつは愚かにも互いを傷つけ合う人間たちにイライラして、 いっその事消えてしまえばいいと、全ての人間を殺しにかかった。半分、退屈しのぎに。 そして、六年前。人間の手でミュウツーとして蘇ったあいつは、人間は愚かだと言った。 ホウオウの力で封印されたというのに、発端だった人間の手で蘇ったのだから。 今日。再びヤツは生を受けた。……他ならぬ、人間の手によって。 ミュウからミュウツーへ。ミュウツーからデオキシスへ。 「セリハ、これ持って下がってろ」 「え? ってうわっ!」 突然投げつけられたパーカーとヘアバンドを慌てて受け取り、セリハはカイの背中を見つめた。 腕をぐるぐると回し、カイは振り返らずに告げる。 「できれば……こっから出たほうがいい。  今からやんのはもうポケモンバトルなんかじゃねぇから」 「え……」 呆けた声が聞こえる中、カイはじっとヤツを睨みつける。 赤い目は鮮血よりも赤い。全身に吹き付けてくる悪寒はフリーザーの冷気より冷たい。 あれは、もうポケモンなんかじゃない。ただの化け物だ。 「そうだろ、ルイン」 「その通りさ、カイ」 ―― いつの間に? 少なくともセリハとシャインの目にはそれが理解できなかった。 大きく腕を広げたデオキシスを中心に、恐ろしい数の闇色の球体が振動音を奏でていたのだ。 二十……いや、三十はある。デオキシスは、笑った。  両腕を、突き出す。 「 ―― 影時雨(カゲシグレ) 」 腕の動作と呟きをきっかけに、全ての球体が咆哮のような音を立てながら発射される。 三十発近くのシャドーボールの一斉射撃。普通なら在りえない光景を、ルインは一人でやってのける。 一介のポケモンとは思えない異常な能力に、セリハもアラグも、信じられず。 カイたちだけが、その光景を現実のものと認めた。 「下がれカゼマル! クーラル、水神鉄壁! リング、月のカーテン!!」 発生した蒼と黄色の壁に、問答無用で影が牙を立てて喰らいつく。 一撃一撃が轟音を奏で、とても普通の防御技では耐えられない衝撃が空気を伝ってくる。 まず自分のポケモンたちでは耐えられない。そんなことを考えるセリハの前で、 ルインの技《影時雨》が全て消沈する。カイが放ったゴルダックとブラッキーの壁で。 「ククク……! さすがだねぇカイ……そうでないと面白くないよ」 「あいつに代わって、今度は俺が地獄に叩き落してやる! いくぞ、ルイン!!」 ≪ セキサシティ東 古代携帯獣博物館 地下研究所  カイVSルイン・デオキシス ≫ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「な、何……これ……」  ――巨大な火柱のような獣。それがティナとジン、そしてレジスチルの間に立ちはだかっている。  獣の牙を見せ。火山のように熱く。……いや、実際火山みたいなものなのだが。  赤茶のフサフサした体毛を靡かせて。背には剣山のような刺々しい物体と、それに似合わぬ雲の様なそれ。  どっしりとした体格。威厳溢れる落ち着いた表情。四本の足で大地を踏み締めて、そのポケモンは存在している。 「エンテイ……?」 「え?」 ジンの呟きが、冷たい風にさらわれて消えていく。 そそり立つ巨大な影。ホウエンの月光の中、赤茶色の体毛が夜風に靡いている。 「火山ポケモン、エンテイ……何故、ホウエンに……!?」   海の神住まう塔 何人たりとも近づいてはならず   この禁を破りし時 天より現れし裁きの雷により 愚か者を無に帰すであろう ジョウト地方、エンジュシティ。そこに伝わる伝説の一つ。 エンジュシティにある焼け焦げた塔。そこはジョウト地方に伝わる海の神の住処とされた。 大昔。そこの塔に巨大な雷が落ち、一瞬にして業火に包み込まれる事件があった。 被害者は、三匹。 『黒犬の遺伝子を継いでいるのはお前だな? 坊主』 被害者の三匹の内、炎の蘇生を受けたポケモンの重々しい声。 ジンの中に眠る力が、彼の言葉を容易に訳してくれる。どこか、しわがれた老人のような声。 『大事無いか』 「あ、ああ……」 『そうか。ならば下がっていろ』 たったそれだけの会話。まだいろいろ言いたかったジンを残し、エンテイは歩を進めた。 一歩一歩がまるで巨人の歩のように威厳溢れるもの。ジンは今までこんな歩き方をするポケモンを見たことがなかった。 エンテイ。火山ポケモン。ジョウト地方に棲息する、とされる伝説のポケモンだ。 何故彼がここにいるのか、ジンは一つだけ推測する。……多分、あいつだ。 「ね、ねぇ。エンテイはなんて……」 「下がってろ、と言っている」 恐らく味方だ。そう付け足してティナ、フライゴンと共にそこから離れる。 ジンの推測が正しければ、エンテイは味方。恐ろしく心強い味方。 ジンは彼の後ろ姿を静かに見つめた。生きた火山の後ろ姿を。 『お前さん、名はなんと言ったかな?』 敵と対峙するエンテイは、特に身構える訳でもなく、ただそこの起立していた。 やはり、巨人だった。臆することなどない、石像のように重く、火山のように熱く存在している。 彼の視線の先には、無口な鋼鉄の巨神がいた。 『……我ガ名ハれじすちる。宇宙ノ異端者ヲ封印セシ者……!  ソコヲドケ。ドカヌナラバ――』 『どかんよ。わしは我らが主の命により、六年前の英雄たちを支援するよう仰せつかってきた。  ここでどいたら主の命をすっぽすかすことになるわ』 ―― 会話終了。そこから先は沈黙。 エンテイも、レジスチルも。微動だにせず、相手をじっと睨みつけている。 どちらが動くのか。一体どんな戦いになるのか。ジンもティナも予想すら出来ない。 エンテイもレジスチルも、人知を超えた伝説の一端。曲がりなりにも虹の神と面識がある二人には、 伝説の力がどれほどのものか十分に承知していた。だからこそ、予想ができない。 先に動いたのは、レジスチルだった。 「ピピ……ガ……!」 両腕を前に出し、その先に体内のエネルギーを注ぎ込んでいく。 ティナとジンのポケモンを、悉く葬ってきた破壊の閃光だ。 対するエンテイは、動かなかった。本当に銅像の如く、そこに存在しているだけ。 大き過ぎるエネルギーの振動。あれだけ戦闘をこなしておいてまだあんなエネルギーが残っていたのか。  空間を貫く山吹の光。それがエンテイ始動の合図だった。 真っ直ぐに突き進む破壊光線をギリギリで回避し、荒々しく大地を蹴る。 一歩一歩が軽い地震のようで、地響きがティナたちの場所まで伝わってくる。 巨神がメタルクローの体勢に入る。そこでエンテイの口がカッと開かれた。 「グォオオオ!!」 灼熱の息吹が、豪快にレジスチルに喰らいついた。 黄色と赤の軌跡を残し、五つの火柱を上げて握り潰すかのように。 炎タイプ最強クラスの大技、大文字。それもエンテイが放った特別バージョンといえる。 ティナのエーフィ、フィルが準備に準備を重ねて放った目覚めるパワーよりも遥かに巨大で、強大。 瞬く間にレジスチルを包み込み、炎が独自に咆哮を上げる。 その恐ろしい攻撃力に二人はどこかで勝利を予感した。 炎をぶち破り、放たれた破壊光線がエンテイの顔面に炸裂するまでは。 あのエンテイの大文字を受けたにも関わらず、鋼の身体に煤を残す程度のレジスチル。 ダメージを負っているが、まだまだ戦闘不能には程遠い。明らかに属性的弱点を突いたはずなのに。 「エンテイはどうなったの……!?」 破壊光線の爆発により、火山獣は完全の煙の中に姿を消した。 レジスチルの放つ破壊光線はシャレにならない威力を持つ。それを顔面に受けたのだ。 良くて大ダメージ。悪くて致命傷、瀕死。どちらにしても状況は悪化する。  ……刹那。突如としてレジスチルが業火に包まれた。 地面から吹き出た螺旋状の灼熱が、うねり吼え猛り戦慄する。 再び紅蓮の世界に陥り、レジスチルが声にならない悲鳴を上げる中。 彼の耳に届いたのは、地獄からの案内人による言霊だった。 『ダメージは身体に蓄積する。  自分の身体のことぐらいわかっているだろう? 鋼の小童』 真っ赤に染まるレジスチルを持ち上げるように、巨神の足元が膨れ上がる。 巨大な炎の弾丸のようなエンテイが、地面を突き破って巨神に殺到する。 『小僧! 捕獲用ボールを準備しろ!!』 焔の世界の向こう側から聞こえたエンテイの言葉。 ジンはその意味を即座に理解して、腰から空のボールを引っ掴んだ。 皆と別れる前、ロットから受け取った特殊モンスターボール、ヘビーボールを。 体重が重ければ重いほど捕獲率を上げる黒いモンスターボールを握り締め、炎の向こう側を凝視する。 ……直後、重々しい音が響き渡った。 「ピガ……ッ!?」 『大文字、炎の渦、穴を掘る。……そして二度目の大文字。  それも大地にねじ伏せた状態で受けた。お前にもう勝ち目はない』 組み付き、ねじ伏せた巨神を踏みつけ、エンテイの言葉が響く。 初撃の大文字。地中からの炎の渦。穴を掘る攻撃による強襲。 その勢いに乗せたレジスチルを大地に叩きつけ、更なる大文字を被せた。 ティナやジンと戦った時のダメージを考えれば、もう体力は残っていない。 『終いだな、鋼の小童。  ……小僧! 準備はいいか!?』 「あ、ああ!」 エンテイの大きな口がレジスチルの鋼鉄の腕に噛み付いている。 あれは攻撃ではない。ヘビーボールを振り被り、ジンは声を張り上げた。 「いつでもいいぞ!」 久しい感覚だった。ポケモンを捕獲するなんて。 ホウエン四天王の元では、ナックラーとタッツーは彼から与えられたものだった。 最後にこうして空のボールを握り締めたのはいつだったか。 ……ああ、そうだ。あれは確か、スリバチ山でゴーリキーを捕まえた時か。 倒しても倒しても向かってくるゴーリキー。あまりにしつこいので捕獲してしまった。 元々捕まえる気がなかったので麓で逃がそうとした時、 『頼む! 俺を強くしてくれ!!』 最初の遭遇でこちらがポケモンの言葉を理解できることを知っていた。 あまりにしつこく食い下がるそいつに、俺はなんと言っただろうか。 「俺たちが目指しているのは強者としての玉座じゃない。  ……この世で世界最悪のバカを捻り潰すための力を欲しているだけだ。  命が幾つあっても足りやしないぞ。それでもいいなら付いてくるがいい」  …… 今思えば、あの時、既に俺は人とはかけ離れていたような気がする。 黒い悪魔に全て滅茶苦茶にされて、あいつを倒すことを目標にボールを手にとって。 もう人ではない身体に殺意を宿して、ジールたちと共に旅に出た。 俺は自分が人間ではないこと、それを理由に自分にプレッシャーに近いものをかけていた。 俺はあいつを倒すためだけに存在している。強くなるだけでは意味がない。 人並みの幸せも必要ない。そもそも人並みであってはいけない。 (だから、あの時コウたちをバカにしたのかもしれない……) まだ自分には追いつかない程度の実力だったあいつらをバカにして。 ……キキに怒られたことを覚えている。殴られたような気がする。 自分は特別な運命にある。この力はあいつを潰すために存在している。 自分を倒した鋼鉄の巨神を、容易くぶちのめして見せた火山獣の姿は。 自分が未だにヒヨっ子の、ごく普通の人間であることを思い出させた。 強引に放り投げられ、こちらに真っ直ぐに突っ込んでくるレジスチル。 手の中から汗が飛び散り、空を引き裂いてヘビーボールがヤツの顔面にぶち当たる。 無茶苦茶な体勢で、ヘビーボールの黒い光に包み込まれる。……地面に落ちた。 ヘビーボールは動かなかった。 抵抗する力も残されず、レジスチルはヘビーボールの中に納まった。 ≪ セキサシティ郊外 西の草原の戦い  エンテイVSレジスチル ≫ ≪ 勝者 エンテイ ≫ 『南の地の巨神よ。どうか私の話を聞――』 「ロロロロ!!」 『……く気はないみたいですね』 こんな状態において、平和的に解決しようという考えが甘いのだろうか。 自らが放った荒れ狂う水流が、うねりにうねり岩石の巨神に喰らいつく。 果てしなき自然の力の向こう側で、水色の世界に不釣合いな岩色がちらついた。 『それで気付かれていないとお思いですか?』 ハイドロポンプを引き裂き、山吹の一筋が水流を真っ二つに引き裂く。 当然くらってやる気もなく、鮮やかな水色の身体、白い帯を翻して彼女は舞う。 雲行き怪しい空では彼女の自慢の水晶は輝かず、光のない夜の中で一瞬だけ煌き闇へと消える。 オーロラポケモン、スイクン。ジョウトより参りし水の聖獣。 滑る様な身のこなしで大地を走り、濁った水を清める力を持つという。 ホウオウの力により大火事から蘇った、北風の化身である。 『レジロックは私が追い詰めます。あなた方は捕獲用ボールを用意して待機していて下さい』 危ないので下がってください、と付け加えて、突然現れた水獣は巨神の前へと進み出た。 ホウオウ様の命により、あなた方を助けに来ました。とも言っていた。 これは当然キキが訳したもの。いかにあのホウオウの使いでも人の言葉は喋れない。 まだ回復していないクセにボールから出ようとするブラッドを抑えたまま、二人は離れた場所でスイクンを見守った。 『岩……雪崩……!!』 ゴウン ゴウン 大きく開かれた岩石の腕。彼の周囲に浮遊する複数の大岩。 一つ一つがまるでゴローニャのような巨大さで、当たれば痛いでは済まされない。 スイクンはじっと浮かび上がった岩を見つめていた。 数は四つ。レジロックの周囲に浮かび上がり、ボロボロと土の欠片をばら撒いている。 普通のポケモンならこのレベルの岩なら二つが限界。だが相手はレジロック。岩石の巨神。 レジロックともなれば、大岩四つなど容易いもの。もしかすればもっと多く、大きく操れるかもしれない。 (私の防御力でも……少々キツいですね) 前足をじりっと草の大地を滑らせる。足の下の草の感触が少しこそばゆかった。  敵の容姿。動き。技。  それら全てを踏まえた上で。大岩がまとめてこちらに飛来する瞬間、スイクンは己の力を解放する。  大きく、激しく、冷たく。凍て付く大いなる風を、今ここに具現化させる。  吹雪!! 「ゴウ……!?」 猛烈なる白の壁。草むらを凍りつかせ、岩雪崩も全て凍りつかせて失墜させ。 偉大なる氷の強風が一気にレジロックに喰らいついた。しかもそのまま全身を氷の中へと閉ざしていく。 身体の前半分は一瞬にして凍りつき、そのまま後ろ半分もオマケとばかりに凍土の牙が喰らいついていく。 「凍った……」 「か、勝ったのかな……」 あまりにあっさりとついてしまったような気がしてならないロットとキキ。 それもたった一撃。敵の攻撃を防ぎ、そのまままとめて岩石の巨神を氷に閉ざしてしまった。 スイクンが放った吹雪。あまりに強力過ぎたのか、それとも先ほどの戦闘でレジロックに体力が残っていなかったか。 いや、レジロックはピンピンしていた。体力が磨り減っていたとは到底思えない。 だとすると、やはりスイクンの力が強大だった、ということになる。 (僕は……少し歴史が違えば、こんなのを相手にすることに……?) スイクンはホウオウの使い。だとすれば、ホウオウと敵対していたあの組織にいる時、 もしかしたら彼らと戦っていたかもしれない。レジロックを一撃で沈めるような相手と。 今思えばなんて愚かな組織だったのだろう。神々と祀られたポケモンたちを相手にするなんて。  自分も……姉も。あの時点で立つ位置を間違っていたのかもしれない。  僕もジンみたいに、早くに逃げ出していれば。或いは―― 『悪ふざけはやめなさい、巨神。私が油断するとでもお思いですか?』 スイクンの冷静な視線と言葉。その先には凍りに閉ざされている……はずのレジロック。 彼女の猛烈なる吹雪によって動きを完全に止めたはずの身体が、めりっと嫌な音を立てる。 同時だった。氷を破壊し、その瞬間に岩の豪腕が砲門となり、一筋の閃光を放つ。 それを軽やかに避けたスイクンは、何を思ったか瞼を閉じた。 精神を統一させる彼女を、薄紫のオーラがゆらゆらと漂い始める。 「あれは……」 「瞑想……!」 瞑想。精神を研ぎ澄ませることにより、特殊攻撃力と特殊防御力を向上させる技。 だがそれは視界を自ら遮断し、完全に無防備になることも示す。 破壊光線発射直後を狙ったのだろう、スイクンの動きは完璧だった。 唯一の誤算といえば、レジロックは破壊光線の反動などものともしていないことだった。 目の前で精神を高めるスイクンに向け、再び破壊光線を放つレジロック。 あんなエネルギーが一体どこにあるのかわからない。無尽蔵に近い巨神のエネルギー。 迫り来る破壊光線を目を閉じたまま避けてしまうスイクンは、神以上の存在かもしれない。 『私は北風の化身……風に関しては右に出る者はいない。……と、ホウオウ様が仰いました。  風を掴み、万物の動きを空気と風で推測することぐらいは可能です。あなたとは目を閉じても戦える』 目を開いたスイクンの目に、鈍いを行い攻撃力を高めているレジロックが写る。 少し謙遜した言い方だが、自慢してもいいくらいスイクンの能力は高レベルだった。 『次で終わらせましょう。私たちの任務の真髄はあなた方の相手をするところにはありません』 スイクンの細い脚が大地を蹴る。だがそれは荒くなく、氷の上をステップするように軽やかに。 走りこむスイクンに向けて、レジロックの豪腕が持ち上がる。バカ力の体勢だ。 その攻撃力を知ってか知らずか、そのまま一直線に突っ込んでいく。 振り下ろされる豪腕。が、ゆらりと揺れたスイクンの姿が幻影のように消え去り、 バカ力が空振りし、幻影が煙のようにぼふっと四散する。 幻のようにレジロックの背後に滲み出たスイクン。 彼女の口の隙間から、溢れる水の意思が音を立てて蠢いていた。 『ボールを構えてください! そちらに吹き飛ばします!!』  自分はなんて無力なのか。自暴自棄になることがよくある。 兄には悟られないように。できれば何を考えているのかすらわからないように。 いつも誰かの背中に隠れている。いつも全てを傍観している。 私には力がない。力がないから何かに縋る。 兄に黙ってトレーナーとしての旅に出て、怒りの湖の近くでスピアーに追いかけられて。 イリスの炎で追い払えばいいのに、そんなことも気付かないで。 あの人の背中を見た。大きな翼を持つ火竜を従えて、あなたは私を守ってくれた。 あの瞬間から私の時は動き出した。私の戦いは始まった。 ……戦い? 違う。私は戦ってなんていない。私は戦いから逃げている。 変わりたいと言った時。あれは本心だったか? 心の中で嫌がっていたのではないか? 「お前は争いごとには向かない」 兄はそう言っていた。それは復讐でもあるし、ポケモンバトルでもある。 誰かが傷付くのが嫌だとか、そんな綺麗事が通るならそうなるだろう。 半ばあの人を追いかける形だった。傍にいたかった。 だから、あの人の近くに長い茶髪の人がいた時、私は心を釘で貫かれたような衝撃を受けた。 私は何故ここにいるの? 結局自分じゃ何も決めていない? …… 私って、何?? ≪ セキサシティ郊外 北の森入り口の戦い  スイクンVSレジロック ≫ ≪ 勝者 スイクン ≫ 「グルァァアアアア!!!」 「キュイ……イイ……!?」 「…………」 「…………」 え〜と、何だろう。とりあえず突然だった。 自分たちとレジアイスの中間地点に、全てを裂くような鋭い落雷が落ちて。 鋭く、荒々しく。猛る雷雲を背負って、猛烈なる咆哮を上げていた。 ジョウトに伝わる稲妻の疾風。 他の二匹よりもさらに素早く、正しく落雷の如く大地を蹴り付ける伝説のポケモン。 「ライコウ……ってヤツじゃねーの? あれ」 「だと思うけど……何でこんなところに……」 「グルゥァ、グロウゥル、グルゥアウ!!」 「てめぇら邪魔だからとっとと失せろ、って言ってんぞ。あの虎みたいの」 「……あんた、いつの間に回復してんの?」 ユウラの肩の上でライコウの言葉を訳したのは、やっぱりいつものヤミカラス。 今までも何度か不可解な復活を遂げてきた彼だが、今回も例外ではない。 ただ、少しボロボロだったりする。 「俺様は将来、世界の首領になるヤミカラス様だぞ?  レジアイスの吹雪なんざ屁の河童。きっと明日は晴れるといいな」 「最後は意味不明だから無視するわよ。  ……で、何。あのライコウって味方なの?」 「失せろとか言ってるってことは、攻撃する気はねぇと思う」 『よぉ。てめぇがレジアイスか。無駄な図体してやがんな』 口が悪いのは、蘇生前からの口なのか。 目の前の氷塊の巨神を前に、ライコウは一歩も怯まない。 猛る火花がパチパチと音を立て、巨大な牙がギラギラと獲物を求めて怪しく輝いている。 砂の大地を踏み締めたまま、ライコウは低く唸る。 『ホウオウの野郎にちょっと頼まれててな。悪ィんだけど……』 そこで彼は言葉を切った。 目を閉じ、身体を少し低くし、猛る稲妻を身体の奥底から捻り上げる。 一気に湧きあがる閃光の力が、ライコウの皮膚でバリっと音を立てた。 『ぶっ飛ばさせて貰うぜェ!! うおらぁああ!!!』 飛び上がり、右前足をビュッと振り下ろす。 稲妻を纏った前足に呼応し、黒い曇り空から一筋の閃光が吐き出された。 一直線に落ち、レジアイスもろとも大地を鋭く抉る!!    カ ミ ナ リ !! 耳を劈くような荒々しい雷が、巨神を光の彼方へ消し去った。 不意打ち、というわけではない。だが、どこか伝説のポケモンらしくないいきなりの攻撃だ。 攻撃力は一級品で、雷撃の威力ならライラと同格、いやそれ以上だ。 『おい、これで終いじゃねぇだろう! とっととかかってこいウスノロ!!』 ライコウの野次が飛ぶ。 これでは助けに来たというより、戦いに来たというほうが正しいかもしれない。 ホウオウからの指令は《カイたちを助ける》こと。目標を見失いつつある。 野次に触発されたのかどうかわからない。雷でできた黒煙を突き破り、山吹色の閃光が突き進んでくる。 ライコウの鼻先に展開された半透明に壁にぶち当たり、バシッと音を立てて明後日の方向へ飛んでいった。 『それがてめぇの破壊光線か!? ハエみてぇなもん撃つんじゃねェェ!!!』 咆哮。同時に彼が背負う雷雲がゴロゴロと音を立て、稲妻が吐き出される。 意思を持っているかのようにうねり、幾つモノ矢となってレジアイスを貫いた。 電撃破。必中系の電気技。それもライコウが放つと、一発一発が致命傷の技に見えてくる。 案の定、五体を貫かれたレジアイスの動きが目に見えて鈍ってきた。 コウやユウラと戦った時に消費した体力。その残りがライコウによって削り取られていく。 『おい人間共! ボールを用意しろ、捕獲して黙らせるぞ!!』 「ボール用意しろっつってんぞ。ちなみにボールっていっても男の――」 無理矢理ボールに捻じ込んで黙らせる。怪我していてもやっぱりクロはクロだった。 ロットが受け取っていたヘビーボール。倒すよりも捕獲してしまったほうが安全だという、 ユウラの物言いにより用意された物。無駄に重たい巨神たちには抜群の効果を発揮する。 「準備できたぞ!」 コウがそう叫んだ時には、既に雷獣の牙がレジアイスの腕に食い込んでいた。 噛み砕く――本当に砕いてしまいそうで不安である。 幾ら体力を消費しているとはいえ、雷、電撃破、噛み砕くの三つで瀕死に追い込んだ。 オマケに先ほど破壊光線を弾いたのはリフレクター。それもかなりの硬度を持つ壁だ。 技一つとっても正しく伝説のポケモン。レジアイスの破壊光線をハエ扱いだ。 こんな思いをしたのはいつだったか。コウはヘビーボールを構えたまま、記憶の海へと漕ぎ出た。 単純に、悔しい。 頭がいいほうではないとわかっている。バトルもパワー任せの戦いが多い。 結果的に頭脳的に攻略しようとしたものの、これは全てユウラの案だ。それに便乗しただけに過ぎない。 でも。それでも。ユウラと一緒に戦ったというのに、レジアイスの歩みを止めることができなかった。 暫くのブランクがあるのだとしても、バトルの腕には自信があった。エレクたちの実力も並のポケモンとはレベルが違う。 エレブー、カイリュー、オーダイル、ドンファン、フーディン、ヘラクロス。 種族的にも上位に位置するものばかりのポケモンたち。それを我流で鍛え上げてきたつもりだった。 六年前のポケモンリーグ。カイと戦い、三匹目のエレクがやられた時に降参した。 明らかな実力の違い。同じ島から、同じ時期に旅立ったライバルのつもりだった。 ……つもりだったんだ。自分はあいつの友達ではあるが、ライバルではない。 ライバルってのは、実力が近い者同士が切磋琢磨しあって己を高め合う関係のこと。 自分はあいつのライバルじゃない。あいつはもう自分の手が届かない領域にいる。 聞いた話じゃ、エレブーはもう一段階進化するとかしないとか。 仮に進化したとして? ……変わらない。何も変わらない。 あの試合。カイのライチュウ、ライラとエレクがぶつかった。 電気タイプとは思えないほどの格闘術を会得していたライラの拳は、容易くエレクを地に沈めた。 ステータスが上昇しようがどうなろうが、今の俺じゃ半永久的に敵わない。 悔しかった。同じスタートラインだってのに、俺は既にゴールラインにいる。 トレーナーとしての限界。俺の足は止まりつつある。 あいつは既にライバルを見つけていた。いつも自分と衝突する、銀髪のジムリーダー。 恐らくあいつと戦っても……負ける。 悔しいんだ。いつもいつも悔しくて、でも周りにはそう悟られないようバカみたいに振舞って。  …… 悔しいんだよ。 投げつけられるヘビーボール。吹っ飛んでくる氷塊の巨神。 雷獣の攻撃を受けた巨神は抵抗できず、黒いボールへと吸い込まれた。 ユウラは気付いていた。レジアイスを捕獲したボールを拾い上げるコウ。 その頬に、涙の跡があったことを。 ≪ セキサシティ郊外 南南西の砂原の戦い  ライコウVSレジアイス ≫ ≪ 勝者 ライコウ ≫ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「クーラルは水の波動! リングはシャドーボール!!」 ―― 螺旋状の水流と暗黒の球が、デオキシスがいた空間をぶち抜いていく。 六年前の同じ、常識外れのスピードで飛び回るルインを捉えることはかなり難しい。 だからこそ。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる……という言葉を信じたものの、 ルインの出鱈目なスピードには当たる気配がない。意味もなく天井を抉り、破片がバラバラと落ちてくる。 「シャドーボール」 ルインの指先で、リングのものより二回り大きな闇の球体が現れる。 重々しい振動音を奏でるそれは、どこか赤黒く、気味悪くその存在を主張している。 どこか邪悪で、どこか冷たくて。不気味な球体がグォングォンと唸りを上げている。 まるで大砲のような――六年前と変わらない威力を持って、飛び退いたクーラルがいた場所に炸裂する。 無慈悲なる破壊。ガリガリと鉄の床を削り取り、一瞬にして小さなクレーターが誕生した。 「変わらねぇな、その無駄な攻撃力!」 「お互い様だよ」 互いにニヤリと笑う。 別にヤツの力を賞賛しているわけじゃない。ただの皮肉だ。 あいつは敵。倒すべき敵。あいつは仇――  この世で唯一無二の、母親の仇!! 「リング、怪しい光!!」 「ギュラッ!!」 静かに閉じられる瞼。闇から抜け出たようか身体に映える月色の紋様。 精神を穏やかに、それでいて鋭く激しく。全身の輪が激しく閃光を撒き散らす。 ルインですら一瞬視界を潰されて。直後に全身を撫でるザラザラした感触。 怪しい光にこんな効果はない。これは……砂? 六年前とは違う橙色の腕をどけると、そこは砂嵐のど真ん中だった。 (怪しい光はただの目晦まし……) カイは自分に怪しい光なんて通用しないことを知っている。 怪しい光でこちらの視界を《一瞬だけ遮断》して、その隙に別の手を打つ。 さすがはカイ。六年前、自分が最も警戒したトレーナー。 古い記憶を掘り起こしてルインは考える。砂嵐。主に地面タイプのポケモンが習得する技。 カイの所持ポケモンと砂嵐。……行き着く先は……  影が横切る。砂嵐の中を直走る影が一つ。 「浅はかだねぇカイ……丸見えだよ!!」 長く邪悪な腕を伸ばし、その先に闇の球体を出現させる。 発生させた砂嵐の紛れて攻撃するつもりだったのだろう、普通のトレーナーとかが相手じゃわかるまい。 だが、僕は違う。僕は全てを超越し、人間たちを滅ぼすために存在している。 そんな僕が人間であるカイの考えについていけないはずがない。 だから、砂の壁を突き破ってきたのが火竜だと知ってシャドーボールが緩んだ。 「サンドパンじゃない……!?」 『丸焼けになりなァ!!』 猛る砂嵐のダメージなど気にしない、リザードンの灼熱の息吹が覆い被さってくる。 リザードンのカゲロウ。カイのパーティの中で三番目に危険だと考える要注意ポケモン。 彼が放つ火炎は六年前にも苦戦させられた。激しく、荒々しく、守るための炎。 構わず、手の中で振動するシャドーボールを発射する。 吼える火炎に真っ向からぶつかり、激しく戦慄いて爆発する瞬間。 その刹那を飛び越えてこちらに飛来した、一匹の砂ネズミ。 …… サンドパンだった。  二重の罠――!? 「スピン、ブレイククロー!!」    ――   ズズ……ン…… 地響き。パラパラと落ちてくる砂。 かなり大きな衝撃にセリハは振り返った。例の研究所まで行くのに使った廊下を逆走している最中だった。 その腕にはカイに持っているように言われたパーカー等が、宝物でも守るようにしっかり抱かれていた。 「カイさん、大丈夫かな……」  ―― できれば……こっから出たほうがいい。      今からやんのはもうポケモンバトルなんかじゃねぇから ―― 彼はあのデオキシスをルインと呼んだ。ルインと呼ばれたデオキシスは笑っていた。 ルインから感じたのは、単純な恐怖だった。 カイから感じたのも、単純な恐怖だった。 カイのルインを見る目は、今まで見たこともない憎悪に満ちていて。 自分には入り込む余地がないくらい、奇妙な関係で繋がっているように見えた。 六年前。何度も出てきたキーワードなのに、自分はそのことについて全く理解していない。 六年前といえば、自分はテレビの前でカントーポケモンリーグを見ていたという記憶が大きい。 その時に彼らを知った。決勝トーナメントで輝く彼らを。 カイはどこであのルインと出会ったのか、何故ルインに対して敵意を剥き出しにするのか。 「シャオ……」 リンリを抱えて走るシャインもまた、先ほどの状況を理解できず首を傾げていた。 カイの様子は尋常じゃなかった。少なくとも、自分たちが抱いていたカイのイメージからかけ離れている。  ―― ふざけんなっっ!! あんた、ミュウツーが何なのかわかってんのか!?      ジェド博士に謝りやがれ!! ジェド博士は―――― ――  ―― あんたは触れちゃいけねぇ部分に触れたんだ……! 落とし前を付けて貰うぞ…… ――  ―― ミュウツーは……触れたらいけないんだ。      あれは終わったんだ。もう掘り返したらいけないんだ ――  ―― いいか。あいつには絶対に手を出すな。ついでに近づくな。あいつに関わるな ――  ―― 止めろアシュラ!! 手ェ出すなッッ!!! ――  ―― こいつの名はルイン……最凶最悪の、悪魔だ!! ――  ミュウツー。ジェド博士。  触れてはいけない。手を出してはいけない。関わってはいけない。  最凶最悪。……悪魔。 「……アラグさん。あたし、六年前に何があったのか全然知りません」 疾走するアシュラに背負われたアラグ。彼はじっと天井を見つめていた。 デオキシスに投げつけられた時の傷だろう、頭から血を流しているが大事ではない。 その目は虚ろではなく、しっかりと存在していて。意識もはっきりとしていて。 思い返す。自分が願って復活させたデオキシスの目を。 「アラグさんは知ってるんじゃないですが? 六年前に――」 「詳しいことはわからない。私が見つけたのは、人造ポケモン・ミュウツーの研究資料。  そして、地図のも載らない島の戦闘の跡。そこに残された黒い血痕だけだ」 彼は手を見つめていた。灰色の天井を背景に己の手を。 時折弱々しい照明が手を照らし、彼の顔に影を作る。彼の眼鏡はヒビが入っていた。 「知っていたんだ。ミュウツーが本来、何を意図して造られたのか。  何を願って造られたのか。……最初のミュウツーの意志が、どれだけ邪悪だったのか」 「最初の、ミュウツー?」 並走するドラグーンの顔が曇ったことに、シャインだけが気付いていた。 触れられたくない過去。見てみぬ振りしてきた記憶。 ドラグーンも知っていた。ミュウツーという存在、そこにある真意を。 「最初のミュウツーの名は、ヘヴン。植物状態にあった黒いミュウを強化再生したもの。  ヘヴンにはミュウの頃の記憶があり……人間を見下し、消えた」 「…………」 「次に生まれたのが、エデン。皮肉なことに、エデンはヘヴンを倒すために造られた。  ミュウツーを倒すためのミュウツー。……資料にあったのはエデン製造まで」  ヘヴン。エデン。 アラグは更に語ってくれた。ヘヴンとエデンという名のミュウツーたちのついて。 ヘヴンは当時、裏の世界牛耳っていた組織、ロケット団を滅ぼすために造られた。 だが、ヘヴンは邪悪な意識の塊だった。ジェドの前から消え、次に現れた時には、 何と倒すべき組織、ロケット団に所属していたのだ。 あろうことか、エデンはロケット団から買ったミュウの遺伝子から造られたという。 ロケット団側はエデンも手駒にする予定だったのだろう。だが、ジェド博士はそれをチャンスと見た。 今度こそ、完璧なミュウツーを造り出してみせる。正義の心を持ったミュウツーを。 誕生したミュウツー、エデンの心は澄み切っていた。博士の孫、ヤナが懐いてしまうほどに。 ……その辺りで、ジェド博士の残した資料は途切れているらしい。 「スピンッッ!!」 転がる氷塊。癪に障るヤツの笑い声。 二重の罠を張り、そこにできたチャンスをスピンはものにしたはずだった。 怪しい光で視力を一時的に無力化、その隙に砂嵐を発生させ、 カゲロウにスピンを乗せて突撃。……だが、その作戦も間一髪放たれた冷凍ビームで終了してしまう。 氷漬け状態のスピンをボールに戻す。残り五体。クーラルとリングは多少疲労している。 セリハがアラグたちも古代ポケモンたちも全部持っていってくれたおかげで、被害を考えずに戦える。 「さぁ、休んでいるのも惜しい。次いくよ、カイィ!!」 一度丸めた身体を反らす時、再びルインの周辺に無数のシャドーボールが現れる。 一度に数十発のシャドーボールを打ち出す技、影時雨。何度も防御できるような技じゃない。 今ボールから出ているのは、ブラッキーのリング、ゴルダックのクーラル、リザードンのカゲロウ。 酷い言い方かもしれないが、この中でヤツとサシでやれるような力があるのはカゲロウのみ。 これはバトルじゃない。負ければ死ぬ。向こうの殺意の並じゃない。 影時雨――あれだけの数のシャドーボールを一斉発射するんだ、どこかに欠点がある。 一度自分の周囲に発生させるのは、恐らく普通の撃ち方じゃ避けられるからだろう。 大量に作り出し、それら全てを一度に発射する。……大量に、作り出す。 (一度……大量に……? ちまちま作ったら避けられる……。  自分の周囲に……周囲に……) ―― 何か思いつく前に、 「影時雨」 闇の壁。視界を埋め尽くす影。全てを絶望へと変える旋律。 押し寄せてくる黒い壁を防御できるのは、この技だけ。 「水神鉄壁! 月のカーテン!!」 光の壁に水を含ませ、防御能力を上げた水神鉄壁。 夜の闇を吸収し、尚且つ月光が強ければ強いほど硬くなる月のカーテン。 生憎地下のため月は見えないが、時間帯がリングの壁を強くする。 この二つを合わせても、防御しきると、すぐには新たな壁を作れないほど疲労する。 問題は、自分が思った以上に二匹の疲れが溜まっているということ。 壁が二つ展開するが、いつもより厚さがない。透明度も高く壁としての硬度が低い。 (マズイ、この壁じゃ――!?) 荒々しい獣のように。闇の壁は牙を剥き術者とカイごと壁を飲み込んだ。 爆音。そして立ち込める黒煙に包み込まれる。 『カイ!! クーラル、リング!! ……ッ!!』 火竜が憤怒し、牙の隙間から迸る怒りの炎をぶちまける。 ふわりと上昇して猛る炎を避け、彼はせせら笑った。 「はは……! さぁかかってきなよカゲロウ! キミの力も見せてごらんよ!!」 『言われなくても見せやるってんだよ!』 咆哮。カゲロウの尾が硬化し、銀色に輝きながら振り上げられる。 ハガネールの十八番。リザードンが使ってもかなりの威力を発揮する大技。 が、直撃する直前。カゲロウ必殺のアイアンテールはルインの額数センチ手前で止まってしまった。 「僕のサイコキネシスの力を忘れたわけじゃないだろう?」 『俺の技も忘れたわけじゃねぇだろう!』 ――動きが止まっているはずの尻尾が、その先端で炎をギラギラと燃え滾らせる。 赤い輝きを放ち、そこに敵意と闘志が見え隠れして。ルインの背筋を嫌な汗が流れた。 『尾炎爆!!』 爆発した。炎が爆ぜ、火の粉を撒き散らし、カゲロウオリジナル技《尾炎爆》が炸裂する。 本来なら叩き付けた瞬間に発動して追加ダメージを与える技だが、こういう使い方もある。 離れているのは数センチ。追加ダメージとしてではなく、中距離攻撃としても使える。 煙から抜け出たルインは、然程ダメージを受けている様子を見せない。 「はは……やるじゃないか、カゲロウ。向こうも無事だったみたいだしねぇ」 『! カイッ!!』 黒煙の向こうに見える、一匹の剣士。 交差させた鋏を解き、彼は一人目を伏せる。自分の不甲斐なさを怨むように。 『……すまない。クーラル、リング。お前たちを守る余裕はなかった……』 薄い壁では防御しきれない。あの状況を打破するには、シャドーボールを全て破壊するしかない。 そんなことを瞬時にやってのけることができるのは、風の名を持つハッサムのみ。 ボールから出た時、視界いっぱいに広がる闇色の壁に絶句した。これを切り裂けというのか。 いや、斬ることはできる。ただ後ろを守れない可能性が非常に高くて。 ヒビが入り、すぐに割れそうな壁の前で。クーラルとリングはこう言った。  ――カイを守れ! あいつがやられたら元も子もない!! 「……俺のミスだ。悪ィ、二人とも……」 彼らもまた、盾となった。自分を守る盾に。 最初の攻防で影時雨を防ぐ自信があった。クーラルたちが疲れていることも知らずに付け上がった。 その代償がこれだ。二人には謝っても謝り足りない。 クーラルとリングをボールに戻し、これで三匹やられたことになる。 これで、残り三匹。 「どうだい、カイ……自分しかいない状況は?  ここじゃ昔みたいにラスイやホウオウは助けてくれない……当然、エデンだって助けてくれないのさ」 ―――― ………… エデン。楽園の名を持つ英雄。最後まで自分たちと一緒に戦ってくれたミュウツー。 自分たちと世界を守るために己の命を差し出し、蘇ってまた自ら命を差し出した。 世界で一番勇気があり、世界で一番世界を愛したミュウツー。 『カイ……』 カイを守るように立ち、意識はルインに、視線はカイへと向ける。 エデンは自分たちを守って死んだ。道連れ自爆でルインを倒し、自らも散っていった。 あの時のことはよく覚えている。あいつは自分が死ぬことを必然のように言っていた。   ―― 私にもう悔いは無い……。倒すべきものを倒した今、私が生きる意味などない…… ―― あの時、カイはエデンを殴った。死を否定し、拒絶し、エデンを殴った。 そんな中で、エデンは笑っていた。責務を果たし、掛替えのない仲間たちに出会えたことを喜び、 笑いながら消えていった。あいつは自らの死で楽園を創り上げた。  だから、 「今考えれば……エデンの死も無駄だったってことだねぇ……こうして復活できたし」  プチっと キレかけた。 『ルインッ!! テメ――』 「俺は忘れちゃいない」 カイの言葉が、カゲロウを鎖のように繋ぎ止めた。 何かを――そこにエデンがいるように見つめるカイの目は、どこかエデンの目に似ていて。 ルインからすれば忌わしい目でしかなくて。カイはそのまま続ける。 「お前はは俺たちに世界を任せてくれた……仲間との出会いを忘れるなと言った。  俺はお前との出会いを一度でも忘れたことはない……だから、俺はお前の言葉を心に刻んだ」      ――  情けない顔を……するな……。           そんな顔なら……この世界をお前たちに任せることが……できぬ…… ――        ――  カイ……お前が要だろう……。もう少ししっかりしろ…… ―― 「お前の死を無駄にはしない……! お前が残した世界は何事もなく存在し続ける!」 ぐいっと己の胸に親指を突きつける。それが意思の強さのように。 あいつの意思。あいつが願ったこと。あいつの瞳。あいつが言いたかったこと。 それら全てを胸に秘めて、カイは最凶の敵を睨みつけた。 「お前が笑って見ていられる世界であるために!! ルイン、てめぇが邪魔だ!!!」 「はは……不愉快極まりないねぇ……!!」  小さな島から始まった少年の物語。   私怨でしかなかったその物語は、仲間たちと共に急速に加速した。    少年は青年へ姿を変え、その物語に最後のピリオドを打つ。     さぁ、集え。世界を愛し、己を信じて咆哮を上げろ。手を翳して太陽を睨め。        世界よ、再び回り出せ。