例えば、この世界が生きる人たちがみんな愚か者だったとする。  そうなると世界は荒れる。バカばかりでバカをやり、世界をバカにしていく。  あいつは言った。人間は愚か者だと。  だからといって世界中の全ての人間が愚か者だとは思っていない。  あいつの言っていることは正しい。人間は愚か者ばかり。  だから少数が苦労する。愚か者のウィルスが伝染していく。  あいつは言った。人間は愚か者だと。  だから俺たちは足掻く。あいつが言ったことを認めたくないから。    「人間は愚者だ。その人間に付き従うポケモンも、愚者だ。     人とポケモンは相容れない。共存できない。相反する存在。     結局人間はポケモンを使役している。絶対に、相容れるはずがない!」 六年前のあの時、あいつが死に際に言った言葉。 あれを認めたら、俺たちは……―――― ――― リベンジャー FINAL STORY \ ――― ――― 「憎くて憎くて」 ――― 「ホウオウが……」 『ホウオウ様は数日前よりこの事件のことを予知していました。  ですがホウオウ様自身、六年間の事件の際に失った力の再生が一割も完了していません』 それ故に、ライコウ、エンテイ、スイクンの三匹がやってきた。 三匹は大昔にホウオウに蘇生された死したポケモンたち。それ以来ホウオウの化身となりジョウトを駆け巡っていた。 六年前のあの時、ホウオウは二度も死者の蘇生を行ったため、自力で戦う力も残らなかった。 一度目は遣り残したことを悔やむ未来の火竜を。二度目は世界を滅ぼしかねない存在を滅ぼすための存在を。 『私たちがホウオウ様より命じられた内容は、『六年前の英雄たちの補助』です。  私たちも、ホウオウ様も。我ら三体にこの事件を解決しうるほどの力がないことは承知済みです』 果たしてそうだろうか――キキはスイクンの言う言葉を、どこか信じられずにいた。 自分とロットは岩石の巨神、レジロックと戦い、手持ちポケモンが全滅するまで戦い続けた。 だがその結果、レジロックを止めることができなかった。自分たちの無力さを呪った。 正直な話、自分たちよりも彼らのほうが強い。レジロックを容易く沈めたのがその証拠だ。 「私たちは……弱いです」 『?』 セキサシティへと走るスイクンの背。振り返ると背には二人の人間の姿。 後ろに座った青髪の娘が、金髪の青年の後ろで俯いていた。 「私たちのポケモンはレジロックとの戦いで全滅しました。  でもあなたはそんなレジロックを簡単に倒して見せました。  カイさんたち側に何が起きてるかわかりませんが……あなた方が前線で戦ったほうが……」 彼女の言葉で、スイクンの言葉を理解できないロットも会話の内容が予想できた。 ブラッドもボールの中で歯軋りさせていることだろう。 自分の強さを信じて止まない彼にとって、レジロック戦は屈辱以外の何者でもなかった。 スイクンは踵を返してから、少しの間を空けてからこう続けた。 『ホウオウ様が言うには、人間には私たちにはない力があるといいます』 『それが何なのかは知らねぇ。でもそれは、武力とは違う何かだってあいつは言っていた』 自らの創造主をあいつ呼ばわりするライコウもまた、ホウオウの言う人間の力を理解できずにいた。 確かにこいつらは赤目の悪魔を倒した。いや、倒す力になった。 倒した張本人は死んだという、ライコウからすれば呆気ない結末でつまらないものだった。 『例え手持ちが全滅してても、てめぇらは力になる。……ホウオウの言ってることはさっぱりわからねぇ』 クロが訳した言葉を、ライコウの背の上で二人は黙って聞いていた。 ホウオウは何を期待してるのかわからない。レジアイスに敵わなかった自分たちに何を期待しているのか。 六年前の事件に終止符を打ったのは自分たちではない。青目の英雄だ。 自分たちは彼の手伝い。…………いや、足手まといだったのかもしれない。 ただくっついていただけで、勝手に正義を掲げて戦って。結局全く敵わなくて。 「もしよ、街にいるカイたちがエライことに巻き込まれてるとして……」 自分の前に座るコウがそんなことを言ってくる。 振り返らずに。恐らく、顔を見られたくなかったのだろう。 「俺らに何かできることあんのかな」 「……わかんないよ、そんなこと」 人間ってのは脆い生き物だ。実にわかりやすくて、どこかムカついて。 そんなことを考えながら直走るライコウの目に、何か奇妙なものが飛び込んできた。 『……んあ? 何だありゃ――』 『ん?』 「……エンテイ? どうした?」 スイクンやライコウと同じく、二人をセキサシティへと運んでいたエンテイ。 浅い草むらの中で立ち止まり、前方から吹き付けていた風が弱くなる。 空を覆う雲はどこか不安そうな顔でこちらを見下ろし、暗く染まった顔を晒している。 『何かを感じる。……何じゃ? 街から――』 その瞬間、《何か》が空間を突き抜けていった。 真っ白な《何か》。恐ろしく高密度な白い閃光が、咄嗟に避けたエンテイのすぐ横をぶち抜いていく。 白い閃光が齎す轟音だけが聞こえ、視界全てが真っ白に塗り潰されていく感覚。 よもや、このまま死んでしまうのでは? ジンとティナの脳裏を嫌な予想が過ぎる。 ただ只管なる光。自分の身体が地面に投げ出される感覚がなければ、そのまま眠ってしまったかもしれない。 『ぬうう……何だったのだ今の光は……』 今まで長い時を過ごしてきたが、今のような高密度なエネルギーの塊は見たことがない。 エンテイの記憶にある最大のエネルギーといえば、ライコウに説教をした時、 彼が放った最大パワーの雷ぐらい。だが今の閃光はライコウの雷の五倍以上の威力があった。 触れて生きていられただろうか。そもそも身体が存在し続けただろうか。 今ほどの力は我らが主であるホウオウでも捻り出せまい。あれは正しく破壊の閃光。禍々しき魔神の息吹。 『お前さんら、大丈夫か!?』 閃光を確認した瞬間、即座に閃光の軌道から離脱した。とりあえず安全確保を最優先にしたのだ。 起き上がって周囲を確認すると、すぐに座り込んでいる二人が見つかった。 が、二人は放心したように光が飛んできた方向を見つめている。 『? どうした?』 「今の……って……」 動かない口を無理矢理動かしてティナが呟く。 今の光。全てを滅する邪悪な閃光。何もかもを憎み、恨み、絶望の淵で笑みを浮かべる者の意思。 記憶に残るあいつの目。肌もまたその存在をしっかりと認めて震えていた。 ジンの口が動く。その果てにいたのは、赤と黒に染まったあの悪魔の顔だった。 「サイコブースト……ルインのサイコブーストだ……!」 「シャオ!!」「ルアア……アア?」 「……ん……。……あれ?」 気絶していた。それだけなら大きな問題ではないかもしれないが、気絶した理由がわからないと大問題だろう。 意味もわからず横たわっていた身体を起こそうとするが、至る所から痛みが走り言うことを聞かない。 右肩と右足。どうやら右半身を中心に痛みがあるようだが、この痛みの原因がわからない。 見えたのは瓦礫だった。色的には自分たちが走っていた通路のようにも見えるが、 凄まじい力で捻じ曲げられたそれらは見る影もなく、ただの残骸でしかなかった。 悲鳴を上げる身体に鞭を打って立ち上がるセリハ。彼女の目に飛び込んできたものは、ただの廃墟だった。 そう、廃墟。ワカシャモとユレイドルは除き、 何もかも。古代携帯獣博物館の研究室に続く通路はもちろん、    街、も。 「え……なに、これ……」 見渡す限り何もかも壊れていたのだ。目の前に崩れた瓦礫が流れる水路があることから、 現在地は博物館の裏口前だということはわかる。 何か強大な力がぶち抜いていったのか、抉られたようなあとがずっと向こうまで続いている。 恐らく、無事な建物は一つも残ってはいまい。それほどまでに大きな振動だった。 (……振動?) 思い出してきた。そうだ、振動が来たのだ。 カイの上着や荷物を持ち、アラグたちと一緒に博物館から出るために通路を走っていた。 アラグからミュウツーというポケモンの存在について聞かされて。……唐突だった。 通路を揺るがす巨大な振動の直後、轟音が轟いて…………。 そこから先の記憶が見つからず、頭を捻るがやっぱりこれ以上出てこない。 その直後に気を失ったらしい。状況的に通路が崩れて、その下敷きになって。 その割には軽傷で済んだ。あんな瓦礫に押し潰されたら骨の一本や二本折れていたかもしれない。 少し痛むが歩けないことはない足。消えていない自分やカイの荷物。 加えてシャインやリンリにも大した怪我がないことを確認して、安否不明のアラグたちを捜そうとして。 「…………。リンリ?」 「ルアア?」 いつもの「イ〜?」ではない低めの声で返事をするリンリ。 そういえば、思い切り背丈が違うような。今まで見下ろす立場だったというのに今は見下ろされてしまっている。 色も紫から緑に変わり、どう見たって今までのリンリではない。 「……え、どういう原因で進化してんの?」 「ア?」 「いや、だって今まで進化しそうな雰囲気全然なかったよね?  バトルの時もボケ〜っとしてること多いし。正直リーグまでに進化してくれるかどうか微妙だったんだけど」 「ア……ルアアア??」 ダメだ、こいつ自分の身体の変化もよくわかってないよ。 リリーラであったリンリはセリハが言った通り、進化する兆しが全くなかった。 バトルは常にマイペース、毒々や怪しい光りなどの補助技を多用し、敵が自滅するのを待つ耐久型だ。 レベルが高いわけでもなく、常に「イ〜?」と首を傾げるのがクセ。どう考えたって今日進化するとは思えなかった。 ただ、ユレイドルとなったリンリの身体に幾つか小さな傷があることに気付いて、 「もしかして、あたしたちを護ってくれたの?」 シャインに傷がないという事実も付け加えれば、岩の身体を利用して盾となった可能性が高い。 だがその辺はリンリらしく、「ア?」と首を傾げるだけ。ダメだこいつ。一瞬でもカッコイイと思った自分がバカだった。 「無事かいセリハ!」 「あ、アシュラ」 頭に巨大なタンコブがあるのは気のせいではないらしい。 ジュカインのアシュラは同じように頭に巨大なタンコブを作ったアラグを引き摺り、その辺に放置。 同様な状態にあるドラグーン。研究所でのキャラを考えると恐ろしく面白おかしい光景である。 アラグは動かないが息はしている。とりあえず死んではいない。 「……どったの?」 「あいつらが護るべき部分を護らなかっただけさ。……ま、生きてたから気にしないけどね」 彼女たちの背後に、彼らはいた。 オムスターとアーマルド。《自分たちが未来永劫再び生を受けない》という契約の下にアラグに従っていた古代ポケモンたち。 生き返りたくもないのに生き返る羽目になり、デオキシス復活が完了すればその糧となって死ねるはずだった。 だが、彼らは生きていた。デオキシスの予想外の復活で死ぬこともなく、望まない命を持ったまま存在している。 「自分たちは永久の死を望んでいるというのに、生き返らせた張本人に死なれては困る。……って言ってたよ。  ただ自分たちの硬い身体を盾にするのはいいけど、頭も護って欲しかったね。……で」 痛みが走る頭を無視し、周囲を見渡すアシュラ。 当然周囲には瓦礫と化しており、彼女たちが立っている場所も瓦礫の上である。 見渡す限りの廃墟群。祭りの時期故に沢山の観光客で賑わっていたが、今は見る影もない。 ……アシュラの視力だからこそ確認できることだが、向こうにある倒壊した建物。その破片の下に肌色の物体の赤い何かが見えたような気がした。 「恐らくあのデオキシス……ルインの力だろう。破壊光線の類か、或いは――」  何かが崩れる音がした。 反射的に振り返る。瓦礫を押しのけた赤い何かの下に自分と同じ色の髪が見えて、セリハがそれがすぐに誰か頭に浮かぶ。 赤い影はハッサム。その下にいたのは自分にとって憧れの人。 恐らくハッサムが鋼の身体を利用して主人を護ったのだ。 「カイさ――」 「銀色の風!!」 こちらの声を無視したハッサムへの指示。その直後。 離れた場所の瓦礫が吹き飛んで、そこから橙色の丸い何かが飛び出して。 完全に飛び出す場所、タイミングを呼んだ銀色の風がその物体を直撃する。 が、カイのハッサムであるカゼマルの攻撃を受けたというのに、その物体は傷一つついていない。 その球体の物体がぐにゃりと変形し、それがどこかあのデオキシスに似ているような気がしてならなかった。 配色は同じだが、スマートなデオキシスに比べてそのポケモンは分厚く丸みを帯びた身体をしている。 一瞬何だかわからなかったが、そいつが放った言葉が全てを凍りつかせた。 「あっはははは! 面白よ、この身体! こんなこともできるんだねぇ!!」 「え……」 「ディフェンスフォルム……!?」 背後でアラグの声が聞こえる。 振り返ると、丁度アシュラとドラグーンに起こされたアラグが目をむいていた。 ディフェンスフォルム。アラグは確かにそう言った。 「身体はデオキシスだが、中身はミュウツーのはず……。  この短時間でフォルムチェンジできるようになったというのか……!?」 アラグには信じられなかった。ルインのフォルムチェンジが。 いや、身体がデオキシスならばできるのは当たり前。だがその魂に値する部分がミュウツーならば話は別。 ミュウツーにデオキシスとしての記憶などあるはずがない。己の身体に携わった能力についても知らないはず。 だが、ルインはやってみせた。あらゆる攻撃に耐えうる強度を持つボディ、ディフェンスフォルムへと。 デオキシス最大の特殊能力。フォルムチェンジ。 他のポケモンには全く真似できない、宇宙からやってきたポケモンならではの未知なる力。 その名前通り、形態を変化させる能力。様々な能力に特化した姿形となることができるのだ。 カゼマルの銀色の風を防いだのはディフェンスフォルム。最強クラスの防御力を持つ形態。 それを聞いたセリハは、すぐにカイにそのことを伝えようとした。 相手の能力が少しでもわかっていればそれ相応の対処ができる。トレーナーとしても常識だ。 が、目の前に割り込んだ緑の影にそれを遮られてしまった。 「アシュラ?」 「……やめといたほうがいい。カイの様子がおかしい」 疑問符を浮かべながら、セリハは遠目にカイの様子を観察する。 名前を呼んだ時も無視されたが、今もルインを睨みつけたまま全くこちらを見ない。 まぁ戦闘中だということもあるが、あまりにルインを凝視し続けている。 「デオキシスん中にルインってのがいるってわかった時からおかしい。  あまりに敵視し過ぎだよ。とにかく今は関わらないほうがいいね」 「…………」 六年前に二匹のミュウツーがいた。自分が知っていることはたったそれだけ。 何故カイがルインをあれほどまでに敵視するのか、六年前に一体何があったのか全く知らない。 ルインを前にしたカイはどこか鬼気迫るものがあって。……すごく怖くて。 触れちゃいけない何かがあるような気がしてならなくて……やっぱり、怖くて。 あたしには、何もできない? 「メタルクロー!」 自前のスピードで接近したカゼマルが、その鋼鉄の鋏で振り払う。 が、ヤツの頭を横殴りにした瞬間、ルインの身体がまるで雲を殴ったかのようにぐにゃりと変形する。 脳が告げる。敵は既に移動しているということを。 「カゲロウ!!」 「グオオオオ!!!」 振り返って即座に別のボールを解き放つ。 出現した火竜が咆哮と共に尾を振るい、常識を超越した動きで背後に回っていたルインを打ち払う。 瞬間的にディフェンスフォルムになってそれを防御したルイン。 「あははは、よく憶えてたねぇカイ。僕の霧隠れをさァ」 「てめぇの常套手段だろ! カゲロウは竜撃破! カゼマルはブレイブウィンド!  手加減すんな! 全力でぶちかませ!!」 言われなくたって最初から全力である。相手がルインである限り手加減など不必要。 敵は悪魔。ポケモンなんかじゃない。何もかも滅ぼしていく魔神なのだから。 巨大な火球と巨大な銀色の刃が飛来し、ディフェンスフォルムに弾かれて霧散する。 詳しくはよくわからないが、あの形態が異常な防御能力を持っていることだけは理解している。 (あの状態になったヤツは攻撃してこない……寧ろ解除しないと攻撃できない?) 或いは、攻撃しても大したパワーが出ない。どちらにしても、ヤツは攻撃する時は必ず元の形態に戻る。 竜撃破やブレイブウィンドすら弾くほどの防御力。攻撃するだけエネルギーの無駄遣い。 ならば、攻撃するタイミングは元の形態――ノーマルフォルムの時だけ。 「さぁカイ! 次行くよ!」 ノーマルに戻った――攻撃のチャンスだと思った。 問題はルインが突き出したその腕。掌に今までとは比べ物にならない巨大なシャドーボールが展開されていたということ。 あれは危険だ。直感でそう感じるのは自分だけではないはずだ。 「グラビディボール」 「ッ! 避けろ!!」 と言いつつ自分も回避する。一人と二匹がいた場所を、巨大な影が容易く飲み込んだ。 大地を抉り、瓦礫を飲み込み、恐ろしい振動音を奏でながら闇の空間を造り出す。 巨大なクレーターを造り、萎むように消え去っていくグラビティボール。……どこか聞いたことがある名前だった。 「まさか……カオスが死に際に放とうとした技……!」 「そうさ、僕には全てのミュウツーの情報が流れてるんだよ。  前の身体だと僕の情報が強過ぎて使えなかったけど……この身体なら全ての情報は均一化してるからねぇ。  だから……こういう技も使えるんだよ」 ルインが翳した左手。それが瞬く間に炎に包まれる。 ルイン特有の赤黒い炎ではない。れっきとした紅蓮の炎。 反射的にカゼマルが数歩退き、カゲロウが前に出る。 ハッサムの身体ならば炎による攻撃は大ダメージを受けるが、リザードンの身体なら大したダメージにはならない。 「ああ、でもその前に」 「……?」 「他にもできそうだからやってみるよ」 そんなことを口走った直後、左手の炎をそのままにルインの身体がぐにゃりを変形を始める。 時間をかけず、すぐに変形……フォルムチェンジが終了した。 腕はまるでロープのように細くなり、全体的に橙色の部分が極端に減った。 インナーみたいな濃い灰色の部分が多くなる。……まるで、橙色の鎧を少なくして機動力を上げたかのように。 風のように素早いはずであるカゼマルでさえ、その動きを見切れなかった。 何も残さず。移動した痕跡も何も残さずに。 スピードフォルムの速度は、あのテッカニンすら凌ぐ音速の世界。 「ヘルファイア」 だから、背中で燃え滾る炎の意思に反応できなかった。 感覚ではなく、自らに宿った炎の魂がギリギリで反応してくれた。 カゲロウが力任せにカイを突き飛ばして――ルインの左手の前に身体を晒す。 火竜としての身体を持ってしても熱く感じる灼熱の御手が、カゲロウの身体を焦がす。 「エクスプロージョン」 どこかで聞いたことがある――そうだ、あの英雄の技だ。 爆炎の御手の中で真っ赤な光が球を成し、カゲロウに密着した状態で更なる光を燃やす。 反射的に身体を紅蓮色に包み込み、頼もしかった英雄の技を至近距離で放たれる。 爆発。恐ろしい衝撃が体内を突き抜けてカゲロウの体力をごっそりと奪っていく。 炎と黒煙を払いのけると、意外そうな顔をしたルインが気に食わなくてイラっときた。 『チ……エデンの技まで使えんのかテメェ……!』 「これは意外だった。今のをくらってダウンしないなんて……。  今のは技の応用か何かかな? 教えてくれると面白いんだけど」 エクスプロージョンは、炎エネルギーを瞬間的に起爆させる爆弾みたいな技。 スピードフォルムで放ったおかげで威力は低くなっていたようだが、それでも大ダメージには違いない。 今自分が使える技の中でも最強クラスの技を防御に転用したが……それのおかげで戦闘不能は免れた。 「誰が教えるか! 火炎放射!!」 幾らカゲロウの火炎放射だとしても、スピードフォルムとなったルインは捉えきれない。 橙色の影が崩壊したセキサシティの空を横切り、見当違いな場所を火炎が突き抜けていく。 「連射!!」 「あっははは! 当たらないよカイ! もっと狙って撃ったらどうだい!?」 火炎放射数発分を口内に含み、一発を三発に分けて連続で発射する。 それでもルインは捉えられない。オマケにあの超スピードの中、新たな技を放とうとエネルギーをチャージし始めている。 橙色の閃光の他に、二つ。涼しげな蒼の光が二つルインに寄り添っている。 (冷凍ビームか……!) カゲロウが全てのステータスに優れたリザードンであることをルインは知っている。 だからこその冷凍ビーム。氷漬けにして動きを止めるつもりなのだ。 だからこそ、カゼマルの攻撃が当たる。 一瞬だった。スピードフォルムの動きを予測し、ルインの目の前に移動した赤い影。 彼もまた速力を売りにしている。故に、目を凝らせば相手の動きに慣れてくる。 逆にいえばカゼマルにしか追いつけないということになるが、それでも構わない。 カゼマルが倒れた時のことは考えない。カゼマルが倒れる前にカタをつけるのだから。 「辻斬り!!」 ズバンッ!! といい音が響く。 相手の一瞬の隙を突いて切り払う技、辻斬り。 カゲロウに意識がいっていたからこそ、そこに隙が出来た。 辻斬りはその構えからスピードが速いカゼマルにとってうってつけの技だ。 「か……っ!?」 思わぬ攻撃にルインが体勢に崩す。 だがそれ以上崩すことはなく、少し揺らいだ程度で体勢を立て直した。 カゼマルと同じように右目に傷。ルインの顔は攻撃されたものの顔ではなく。 寧ろ喜んでいた。いや、あれは歓喜ではない。 戦いに狂い、戦いに酔い。何もかも壊すことだけに全てを賭ける魔神の瞳。 「あはは……いいよ、実にいいよカイ!! もっと、もっと僕を楽しませてよ!!」 「セリハ、アシュラ! 怪我ない!?」 聞き慣れた声が聞こえて少し安堵するものの、 ユウラとコウが見たことのない奇妙な獣と一緒に瓦礫の山を乗り越えてきたものだから、 危うくシャインに火炎放射を指示するところだった。 「な、なんですかそれ……」 「これ? ライコウっていうオタスケマン」 『それとかこれとかどういう扱いだ! つーかオタスケマン!?』 「なんつーか古いぞそれ。まだチョベリバのほうが……」 「それも古いわ!! つーか関係ないし!!」 なんというか最終的にクロのツッコミで収拾がついた。ある意味ついてないが。 突然街を豪快に引き裂いたサイコブースト。 街の西部から放たれた出鱈目な一撃が、まるで爪で引き裂いたかのような痕を残して街に絶望を齎した。 ユウラたちが街についた時、昼間見た祭りの喧騒などはどこにもなく、 何もかもが壊れたそこで、まだ息がある人たちが血を流して倒れているという異様な光景があり。 当然、息のない人たちもいた。 あとからやってきたロットたちもまた、同じような光景を目の当たりにした。 ジンとティナ、エンテイはサイコブーストの破壊圏内にいたためあと一歩のところで灰になるところだったそうだ。 『……それで、この者たちはどうするのですか?』 スイクンたちの背には、ここまで来る過程で助け出した人たちが乗せられていた。 コウたちにはもうほとんどポケモンが残っていない。助けたくても助け出せなかったという状況に無力さを呪う。 「復活したのはデオキシスっていうポケモンで……その中身が、ルイン……」 「くそ、またあいつかよ!」 セリハたちの話を聞いて、一同は先ほどのサイコブーストの件を踏まえて確信を得た。 カイたちが交戦中のデオキシス。その魂はあのルインだという。 確かに街を壊滅させるほどのエネルギーを持つポケモンなどそうそういないし、 それを平気でやってのけるポケモンは、ヤツしかいない。 ……いや、あれはもうポケモンなんてものじゃない。 魔神。そう、悪魔を超えたその先で微笑を浮かべる存在、魔神だ。 とりあえずルインはカイたちに任せるとして。というか手も出せない状態のため加勢のしようもなく。 自分たちにできることをしよう。それが最良だし、それしかできないという現実もあった。 「あたしたちがすべきことは、生存者を助け出すこと。  それと……ルインを完全に消す方法を考えること」 「完全に……消す……?」 セリハからすれば、生きているポケモンを一匹、《消す》なんて考えたこともない。 だが、彼らは知っている。ルインという魔神が六年前に何をしてきたのか。 そして彼がその身に秘めている力が、いかに強大であるか。 「あたしたちにルインを倒す力はない。正攻法じゃなくて、別の視点から考えなくちゃいけない」 「で、でも六年前はどうにかなったんじゃないんですか?」 セリハの言葉は、あながち間違ってはいない。 確かに六年前、名も無い孤島で彼らはルインと戦い、結果的にそれを打ち滅ぼした。 だが、それは彼らだけの力ではなかった。あの戦いにはその身を賭して戦った英雄の影がある。 「……私たちが、ルインに止めを刺したわけじゃないんです」 「え?」 「俺たちはあいつの手伝いをしただけだ」 あいつ。その正体がジンの口から飛び出すことはなかった。 ルインと戦うために生まれ、ルインを倒してこの世を去った英雄。 カイたちの生まれ故郷であるギンバネ島には、遺体はないが彼の墓標がある。 「……まぁとにかく、俺らにはあいつを直接倒せる力はねぇ。多分カイにもな。  正面からぶつかって倒すんじゃなくて、何か別の方法で潰すしかねぇんだ」 コウのセリフから、カイが言っていた言葉を思い出す。 これはもうポケモンバトルじゃない。遠目でも、カイとルインの戦いがポケモンバトルの枠に収まっていないことはわかる。 ルイン。最悪の魔神を倒す方法。……そんなものが、あるのだろうか。 「で、生存者の救出だけど……どうしようかな。  あたしは使えるポケモン零なんだけど、みんなは?」 「俺すっからかん」 「私もすっからかん」 「僕もです」 「私ももう……」 「俺は一応一匹残っているが……」 「私は四匹残ってます」 動けるポケモンはジンのフライゴン、 セリハのワカシャモ、ユレイドル、ミロカロス、チルタリスの五匹ということになる。 セリハのポケモンたちを分けたとしても、数が足りなさ過ぎる。 セキサシティは広い。たった五匹の力で生き残った人たちを救出するなど無理だ。 ライコウたちを加えて八匹。アシュラやドラグーンを加えたとしても十匹。 ロットとキキの証言によれば、ポケモンセンターは半壊しており、回復設備は大破していたという。 『……あなた方にこれをお渡ししましょう』 一体生物学的にそれが何なのかわからないが、手のように操れる白い帯のようなものを使い、 スイクンが差し出してきたもの。掌にちょこんと乗るぐらいの大きさの袋だった。 口は紐で堅く縛られており、大事なものが入っているのかスイクンの帯は袋を優しく包んでいる。 『この袋の中身は、聖なる灰。ホウオウ様からあなた方に渡すよう授かったものです』 「聖なる肺? ヤバくね? 臓器移植?」 「スイクンの言葉はわからないけどあんたがふざけてることだけはよくわかる」 相変わらず勝手に復活しているクロをボールへと引っ込める。 いっその事マスターボール辺りで内部から勝手に開かないようにしたい。ユウラの一途な願いである。 『この灰にはホウオウ様の力が込められており、戦闘不能のポケモンを完全回復させる効力があります。  ただし、この袋の量だと数が知れています。六匹が限度でしょう』 そう言って彼女の言葉を訳せる数少ない存在であるキキへと渡す。 袋にほとんど重量はない。まぁ中身が灰なのだからそれはそうだろうが。 『そいつを戦闘のために使うのか、人間共を助けるのに使うのか、てめぇらの勝手だ』 ライコウの言っていることは、ほぼ愚問に近かった。 今も巨大な火球が飛び回るルインに炸裂し……その中から全く無傷で魔神が姿を現す。 あんな戦いに横槍を入れる術などない。ならば人命救助に使うのが正しい方法だろう。 それを踏まえて全員に説明し、袋の紐を解いた。 「全員のポケモン一匹ずつ復活させたほうが効率いいんじゃねぇか?」 まとまって動くのは懸命な手段ではない。 それを考えれば、各々が一番こういうことを向いているポケモンを復活させるのがいいだろう。 コウの提案を受けいれ、とりあえず全員に灰を分け与えた。 瓦礫の下敷きになっている人を助けることを考えるならば、力持ちやエスパータイプを復活させるほうがいい。 「セリハ、自分を乗せて飛べるポケモン持ってたりする?」 「え? いえ、持ってないですけど」 そう返答すると、ユウラは目に見えて大きなため息をついた。 既にティナたちやライコウたちは街中に散り、この場に残っているのはユウラにセリハ、それとアラグたち。 ユウラはアラグたちを一瞥するが、まるでいなかったかのようにセリハへと向き直る。 「う〜ん……いたら助け出した人たちの誘導とかしてもらおうと思ったんだけど」 セリハ唯一の飛行タイプは、ドラゴンと飛行タイプを持つチルタリス。 戦闘不能になっているわけではないが、体格的にセリハを乗せて飛ぶのは無理。 「あ、でもそういうポケモン持ってる人知ってますよ?」 「ホント!?」 ……大丈夫だろうか。この災害の中、彼は無事だろうか。 確かめなければ何ともいえない。無事ならばそれで仕事をしてもらうだけだ。 「じゃあセリハはその人を見つけ出して、案内役頼んで」 「はい。ユウラさんはどうするんですか?」 「あたし? あたしは……」 そこで振り返る。頭に包帯を巻いているアラグを睨みつけるその目は、慈悲の欠片も存在していない。 腰から三つのボールを手に取って、彼女は踵を返して告げた。 「ルイン完全消滅計画の作戦を立てるのよ」 「カゼマル、高速移動から辻斬り!!」 紅の閃光が夜空を突き抜け、空中に浮遊するルインを一閃する。 が、返って来た衝撃はどこか重く硬い感覚だった。ごく僅かな体力で造った身代わりに弾いてもらい、 すぐに地面に着地して、カゼマルはそれを確認した。ノーマルだった身体がディフェンスへと変化している。 「ち……変形するスピードがどんどん速くなってやがる……!」 今まではフォルムチェンジするのに一秒ほどの間があった。 だが、今ではチェンジするのはほんの瞬きする間。瞬間的にチェンジして攻撃を防いでしまうのだ。 ノーマルやスピードにチェンジするのも一瞬で、カゼマルの素早い斬撃をディフェンスで防御。 ノーマルに戻って即座に攻撃と、嫌な戦法が成り立ってしまっている。 「どうしたんだい、カイ。もう攻撃してこないのかい?」 崩壊したセキサシティの上空から響くあいつの声。 憎たらしいというか、記憶に残るあいつの所業が思い起こされ不快感を抱くだけ。 自分に対する有効な攻撃法がないことを知ってか知らずか、魔神はノーマルフォルムのままだった。 伸ばした両腕の先で、≪黒いもの≫が蠢いている。 「そっちが仕掛けないならこっちから行くよ?」 そう、黒いものだ。シャドーボールなどの闇ではない、ただ只管に真っ黒な何か。 生きているかのように蠢き、ぐにゃぐにゃと自分の存在を主張している。 今までとは一味どころか四味ぐらい違う。なんていうか、この世に存在すること自体罪であるかのような、 そんなことすら考えさせられるほど、その黒いものは不気味だった。 「“ドゥームサイン”」 黒い何かが、広がった。こちらに覆い被さるかのように広がったそれは、マグマみたいにボコボコと嫌な音を立てていて。 ゆっくりと降下して来るドゥームサイン――《破滅の合図》は、まるで巨大化した魔神の手のようだった。 魂が警告したというか、何というか。心の奥底に潜む何かが脳と直結して一つの答えを出したのだ。  避けろ、と。 「カゼマル、カゲロウ! 絶対に当たんな!!」 咄嗟に飛び退いて避ける二匹と一人。 下に尖った欠片があって背中に痛みが走ったが気にせず、カイは即座に振り返って。 地面に着弾したはずのドゥームサインが、柔らかそうにぐにゃりと変形してその場に留まっている。 てっきり爆発したりするもんだと思っていたカイにとっては、それはどこか異質な光景でしかなくて。 ……ルインの言葉で、意味を理解した。 「爆ぜろ」 爆ぜた。その命令の通りに。 巨大な黒の塊が、大爆発直前のベトベトンみたいに膨れ上がって。 破裂した瞬間、隙間を見つけるのが難しい量のシャドーボールを吐き出して。 思考が止まった。これはどう防げばいい? 避ける? いや、無理だ。絶対に最低三発は当たる。 カゼマルとカゲロウはボールに戻せばノーダメージ。じゃあ自分はどうするべき? 二匹もあまりに衝撃的な状況で咄嗟に動けずにいる。……どうするべきだろう。 闇色の壁の向こうであいつが笑っているのが見える。腹が立って仕方ない。 とりあえず、自分にできることは二匹を戻して無傷でやり過ごすこと。 腰の古びたボールに二匹を引っ込めて、できるだけ被弾しないように身を屈めることにして。 何か、聞こえた。耳を引き裂くような大きな爆音が。 「んん? カイ、まさかこれでやられたとかそんなのじゃないよね?」 ドゥームサインによる爆撃を受け、黒煙がぶわりと充満していく。 沢山のシャドーボールを練りに練りこんで造り上げて、地面に着弾したあと爆発して中身を一気に吐き出す。 幾らあのカイでもこの技の動きを見切ることはできなかったはず。確実にダメージは受けている。 巻き込まれる瞬間、カゼマルとカゲロウをボールに戻すのが見えた。実にカイらしい選択だっただろう。 だが、これは戦い。相手を殺すか自分が殺されるかの問題だ。そういう決断は愚かな死を招くだけ。 「ん……?」 左手が―― 左手が一瞬、自分の意思と反してぶれた。そう、痙攣するように自己を失っていた。 奇妙な痙攣。ルインは左手を見上げて……呟く。 「まさか……ね」 「あのさ、カイ。あんた何やってんの??」 親しみ慣れた声。忘れかけていた安堵感。 黒煙が上がりながらも自分には傷一つついていないことに気付いて、カイは自分を見下ろす影を見上げた。 大きくゴツゴツした何かを背に、彼女はどこか呆れた顔を浮かべていた。 「ティ、ナ……」 「…………」 彼女の背後で、シャドーボールを防いだと思われる物体がのそりと動く。 それが今になってパルシャンの殻だと気付いた。あの瞬間に駆けつけて防御してくれたのだ。 「悪い、助かっ――」 「だから、何やってんの?」 彼女の問いかけを理解できなかった。何をしているか、だって? そんなのは決まっている。ルインと――復活した魔神と戦っていたのだ。 だが望んだ答えが返ってこないことに彼女はより一層ムッとなって、おもむろに   バシッ   と、ビンタされた。 「…………え?」 「エデンに笑われるわよ」 たった、たったそれだけ。 でも、それだけの言葉が妙に心に染み込んできて。 自分が何をしていたのか。自分が一体何に支配されていたのか。 目が覚めたようだった。爆睡した時の寝覚めよりもはっきりとした覚醒を感じた。 目に前に再び現われた母の仇を前に、脳みそが沸騰しそうになって。 セリハに無理矢理出て行くように言って、本能が叫ぶままにあいつと戦って。 頭に上っていた血が勢いよく下がってくる。強張っていた顔が緩んでくる。 頬を冷たい何かが叩く。強くなることはないそれは、シトシトと天から地面を叩く。 顔面をガシガシと拭いてから、一度雨を吐き出す雲を見上げた。この星全てを覆っているのではないかと思うぐらい、 灰色の雲はどこまでも広がっている。……あの雲の向こうから、あいつは自分を見ているかもしれない。 一度両手で頬をバシッと叩き、予想以上に痛くて少し凹んでから。 「サンキュ、目ェ覚めた」 「ん、それならよろしい」 ムッとなっていた顔から一転、笑みを零すティナ。 へへっと笑ってから、カイは再びヤツを睨みつけた。……上空で何やらもがいているあいつを。 「律儀に待つようなヤツじゃねぇと思ったけど……何か苦しんでねぇか?」  イタイ。何だ、これは。身体が言うことを聞かず、痛みに断末魔を上げ続けている。  これは何だ。体内のエネルギーが異常な流れ方をしている。足りない? エネルギーが足りない??  (僕の力は完璧のはず……今までだってそうだった……なのになんで……??)  自分の身体じゃないから? それが原因??  節々が痛い。眩暈もする。…………だからって、止めるわけにはいかない。  (僕は愚かな人間を粛清するんだ……人間のいない世界を創るんだ……!)  そう、この愚かな人間によって与えられた身体を使って。     ……  人間がいなかったら、今の僕はいないってこと?? 「うわ……ここも滅茶苦茶……」 セリハとシャインの前にあるのは、今までと同じ瓦礫の山だった。 コウたちが奮闘しているのか、ここに来るまで倒壊した建物の下敷きになっている人は一度も見ていない。 いや、もしかしたらこちらから見えないだけで中で助けを求めているのかもしれない。 ……考えたらキリがないが。 セキサドーム。本来なら、明日もここでは白熱のバトルが繰り広げられるはずだった。 が、ルインのサイコブーストは広範囲を襲い、その爪牙はこのセキサドームにも届いていた。 ドームの半分が見事に崩壊し、そこから中のバトルフィールドも無残な状態になっていることを確認できる。 人気はない。代わりに冷たい風と雨がドームを真冬のような寒さに包み込んでいる。 「多分、ここのどこかに……」 保障なんてどこにもない。僅かな可能性でしかない。 それでもここには可能性がある。ユウラに言われた≪人を乗せて飛べる飛行タイプを持つ人≫がここにいるかもしれない。 入り口が瓦礫で完全に塞がってしまっているので、二人はぽっかり開いたドームの側面から中へと入っていく。 客席側からフィールドに立つと、天井の殆どが崩れ去っているのが確認できた。新たに崩れて下敷きになる可能性は低いが、 これでは目的の人物が既に押し潰されている可能性もある。……それはマズイ。 「あ」 「シャ?」 ふと目に入ったのは、挑戦者サイドが通る廊下と同じ雰囲気を持つ廊下の入り口だ。 瓦礫で半分埋まってしまっている入り口だが入れないこともない。 普通なら無視するところだが、もしかしたらこの先に目的の人物がいるかもしれないのだ。 「暗っ……シャイン、灯りお願い」 天井に電灯が見えるが機能しておらず、シャインが口に灯した炎を頼りに歩を進める。 足元に幾つかコンクリートの欠片が転がっている辺り、サイコブーストの余波を受けたらしい。 何とか進み続けると、左手に扉が見えた。シャインの炎で照らしてみると≪仮眠室≫と書かれている。 サイコブーストの被害で開かなくなっているそれをシャインの蹴りでぶち破り、何とか部屋の中に侵入して。  ――――  …………ッッ!!?  そこに広がる光景に、セリハは絶句した。 「ズズ……ンガ……」  一人のアホが、寝ていた。 「起きろォォ!!」 「ふごっ!?」 問答無用で放たれたかかと落としが綺麗に顔面にめり込んだ。 こんな状況下にも関わらず、仮眠室のベッドで豪快に鼻ちょうちんを膨らませていたこの男が悪いのだ。 「い、いきなりかかと落としとはバイレオンス過ぎやしないかチャレンジャーセリハ……」 「いいから起きてください! つーかよく寝てられるねこの部屋で!」 部屋の半分が天井に押し潰された形の状態で、運が悪ければ下敷きになっているところだ。 逆三のサングラスがトレードマークでトロピウスが相棒の暴走野郎、イッチャンである。 鼻から赤い筋のようなものが出ていたが完全シカトを決め込んで、とりあえずイッチャンの胸倉を掴んだ。 「説明するの面倒だから、とにかくあたしの言うこと聞いてください! いいですか!?」 「え、SM?」 「寝惚けんなァ!!」 多少キャラが崩壊しつつあるがその辺もシカト。固めた拳骨が焦点がハッキリしていないイッチャンを再び眠らせる。 ……とまではいかなかったが、今の一撃がかなり効いたのは確かだ。 「お、おお……! ドメスティックバイオレンスの予兆……!?」 「何で家庭内暴力!?」 「それはそうと、こんな夜中にどうしたんだ? ……つーかあれ!? 空が見える!? 雨!!?」 「遅っ!!」 『核状態ニシタでおきしすヲ、我ラノ破壊光線デ宇宙ヘト打チ上ゲル。ソレガ≪封印≫ダ』 「…………」 降り始めた雨を凌ぐため、唯一支えとなる柱と天井が残っていた場所を雨宿りに利用し。 レジアイスの説明をクロが訳す。ユウラはそれを頭の中で整理し続ける。 遥か昔、レジたちはデオキシスと戦い、その身体を中心部の核だけになるまで破壊した。 その核を三体の破壊光線で強引に宇宙へと打ち上げ、二度と地球に帰ってこないように仕向けたのだ。 宇宙へと投げ出され、頼るものがないデオキシスは復活まで時間がかかる。漂流する内に地球との距離は空き続ける。 アラグの話を聞いた時に奇妙な“ズレ”に首を傾げたが、これで解決した。 レジたちの封印とは宇宙へと放り出すこと。アラグはここ数年で空から飛来したデオキシスの核を回収した。 ただの推論だが、デオキシスは再生しながら宇宙を漂流、その過程で同族と遭遇する。 もしその時にデオキシスが再び地球へとやってくることを望み、同族がそれに手を貸したならば? (デオキシスは地球へと戻ってきた……その時の衝撃で身体が再び破壊された?) そしてアラグに核を拾われ、実験に使われ、……ルインとなった。 「……アラグ館長。一つ聞いていいですか?」 彼女は彼を許したつもりはない。如何に悲惨な過去があったとしても、 望まない命を再生したり、人様のポケモンの命を弄んだり、彼はやってはならぬことをした。 例え反省しているとしても、彼女はそれを許さない。 「デオキシス復活にレジたちのエネルギーを使うつもりだったんですよね?」 「あ、ああ……」 「つまり、あなたにはレジたちを捕まえる策があった。……マスターボールを持ってますね?」 ホウエンの生きる伝説とされるレジアイスたち。それを捕まえるのは簡単なことじゃない。 如何に実験の影響で戦闘力が増しているボーマンダがいるとしても、だ。 ユウラの問いにアラグは一瞬驚いたように目を丸くして……すぐに冷静さを取り戻す。 「……その通りだ。彼らを捕まえるためにマスターボールを三つ用意してあった」 「それを拝借します。反論は認めません。どこにありますか?」 「私の研究所だ。だが……」 研究所。カイとルインが戦い、サイコブーストの爆心地となった場所。 最も被害が酷く、ほとんど原型を保っていないその場所に。彼女の作戦の一つに入るマスターボールがあった。 「まだ残ってるかもしれない。ドラグーン……だっけ。案内頼める?」 「……ドラグーン、頼む」 「わかった。こっちだ、娘」 「これからどうすんのさ、ずっとここにいるつもりかい?」 「…………」 アシュラの問いにアラグは何も答えなかった。……答えられなかった。 これから? もういない父を見返そうという、よもや叶わぬ夢を追ってミュウツーに辿り着き、 それを復活させてしまった自分。そんな自分がこれからどうすると? 今のこの街の有様はなんだ? 全部自分が招いたことではないのか? 遠くの空に一筋の火炎が迸り、魔神に喰らいつくが殆どダメージを与えていない。 その光景を見ながら、もう一度思う。自分はなんてものを復活させてしまったのかと。 「私がしたことは間違っていたのか?」 「……世間一般的には間違ってんだろうね」 何もかも壊してしまった。もう許されない領域にまで来ている。 自分の野望のためにに何でも捨ててきた。何でも壊してきた。望まぬ者に一方的な生を与えて。 「……?」 オムスターとアーマルドが――虚ろな魂たちが、アラグをじっと見つめていた。 彼らには謝らなければなるまい。身勝手な考えで生き返らせ、身勝手な考えで生贄にしようとした。 が、問題として近くに転がっていた彼らのモンスターボールに、自ら入っていったという奇妙な光景がある。 入る前にオムスターが何か言っていたような気がするが、自分にはそれを理解することができない。 「今、オムスターは……」 「もしこれが終わるようなことがあれば……その時に教えてやるよ」 アシュラの言葉が、理解できるはずなのに理解できなくて。 虚ろな魂が入った二つのボールは、少しも揺れずにそこに存在し続けていた。 あたしたちは望まない生を受けた。この世を、そしてお前を恨んだ。 何かの目的のために命を厭わないお前を、あたしたちは殺したいほど憎んだ。 新たな生に希望はあれど、お前のようなただのバカの下で生きたいとは思わない。 だからこそ死を望んだ。永遠に闇の中を漂うことを望んだ。 今のお前はただの生きる屍。虚ろな魂であるあたしたちと大差ない。 以前のお前なら今でも死を望んでいたが、今のお前ならば逆にお前を見届けてやろう。 罪を認めたお前がどのように生き恥を晒していくのか、ずっと見ていてやろう。影で笑ってやろう。 それがあたしたちを生き返らせた、お前の罰よ。 「あ、うう……」 「しっかりしろよ、もう大丈夫だからな。リュウ、慎重に運べよ? 間違っても落っことすなよ?」 「アオ」 ホウオウの贈り物である聖なる灰。それによってコウが復活させたのはカイリューのリュウだ。 力仕事ならばヘラクロスのクレスでもよかったが、万能性を考えてリュウを復活させた。 万が一カイに加勢するようなら格闘タイプのクレスだとすぐにやられてしまう可能性がある。 メガホーンなどの虫タイプ技ならルインにも効果は抜群だが、さすがに博打に賭ける気はない。 また一人怪我人を街の外まで運び出し、待機していたキキとロットの所へ運んでいく。 「んじゃよろしくな」 「はい。……でも、これじゃキリがないですね……無事だった人に手伝ってもらってますけど……」 被災地の避難所のような光景とも見れる。あまりに生々しくて正直見ていられない。 とりあえず運んできただけでもかなりの数だ。……それでも、元々いた人数と比べると半数にも満たない。 そもそも街の外には雨風を凌げるものがなく、横になっている者たちはみんな頭から足まですっぽりと毛布やビニールを被っている。 と。 突然遠くの、それも街の外に何かが落ちた。街の上空から落下して来るコースで。 「今のは……!」 「俺が行く! リュウ!!」 砂塵を上げている現場へ、コウとリュウが近づいていく。 もしかしたらルインかもしれない。だが、あのルイン特有の禍々しい感覚は全くない。 逆に、何とも言い難い溢れる熱気というか…… 「グオオオオウ!!!」 熱気だった。 「カゲロウ!? お前大丈夫か!?」 あったり前だ! といわんばかりに大きく咆哮を上げるリザードン、カゲロウ。 だがその身体には幾つもの傷があり、どう見ても万全というわけではない。 それはそうだろう、あの魔神と交戦していたのだから。 雨が降っているというのに、この火竜は全く弱った様子を見せない。 「どんだけ化けモンなんだよ、あいつァ……!」 人を嫌い、人によって蘇り、人を滅ぼす古の魔神。 ホウオウはあの時の黒いミュウがここまで世界のウィルスとなることを予想していただろうか。 千の時を越えて何もかも食い破る、魔性の存在。 「グオ……ッ!」 ばさりと翼を広げて浮かび上がるカゲロウ。 セキサシティ上空にて、橙色の影が黒い球体を放ち続けている。 ……加勢。その可能性を考えた自分が愚かで仕方がない。 自分に果たしてカイを援護するほどの力があるだろうか。今まで何をやっても結局勝てなかったカイの力になれるだろうか。 あいつは自分を親友と呼ぶ。自分もカイのことを親友だと思っている。 それ以上の存在ではない。自分の力などたかが知れている。 でも。それでも。…………俺は……! 「行って来ていいですよ、コウさん」 「!」 振り返ると、ロットと聖なる灰で復活したバンギラス、ブラッドがいた。 考えていたことが顔に出ていたのか、ロットにはこちらの考え丸見えだったらしい。 「こっちは僕たちで何とかしますから」 「いや、でも……」 「コウさんは、そういうこと考えるの苦手でしょう?」 ……誰がどうとか弱いとか強いとか加勢がどうとか意味があるのかとか、 だからどうなるとか意味わからんとかなんたらかんたらあーもう、 「考えるのヤメだクォラァ!! リュウ、久々に飛ぶぞ!!  俺たちは、俺たちがやりてぇようにやるんだ!!」 「アオオオウ!!」 「……ちょっと待って。今なんて言ったの?」 マスターボールが入っている……はずのデスクの引き出しを前に、ユウラはドラグーンに振り返る。 サイコブーストによる被害で研究所はその名残も残さず姿を変え、原型を保っているものはほとんどない。 天井も吹き飛んで……その上にある博物館もあとかたもなくて。黒い雲から落ちる雨が彼女の金髪を濡らしていく。 「デオキシスは古代ポケモンからエネルギーを搾取する前に復活した……と言ったが」 被災の影響で変形してしまい開かなくなってしまった引き出しを、爪を引っ掛けて何とか開けようとするドラグーン。 思い切りやれば取っ手を破壊してしまうので、微妙な力加減を駆使して苦戦中である。 「だからオムスターたちは生きていた。違うか?」 「まぁそうだけど……でも、それって……」 バガン、といっそ気持ちのいい音を立てて引き出しが開いた。というか抜けた。 破片が飛んだような気がするが無視し、ユウラはその中からボールを三つ取り出す。 「どうだ?」 「二つイっちゃってる。一つだけ無事」 幾らマスターボールといえど、強烈な圧力の前には破壊されるしかない。 原形を留めず砕け散っている二つとは別に、傷がついているもののボールの形を保っている一つ。 一度開閉スイッチを押してみてボール情報を確かめてみる。……大丈夫だ、きちんと表示されている。壊れていない。 「で、あともう一つ。セリハのリリーラがユレイドルに進化してたっていうのも本当ね?」 「セリハ自身は、何故進化したのか理解できなかったようだがな」 ……古代ポケモンたちの生存。リリーラの進化。たった一つ無事だったマスターボール。 ぐちゃぐちゃに絡まっていた糸が解けたような、というか切断されていた糸がくっついたかのような。 そんな感覚が頭を支配する中、ようやく考えがまとまっていく。 そうして弾き出された答えは、暗闇に潜むたった一つの光明の様だった。 「…………マジで勝てるかも」 「何だと?」 「あっはははは! いいねぇカゼマル、いい様だよ」 『はぁ……! はぁ……』 肺の奥底に穴が開いたような感覚だった。別にダメージを受けたわけではない。 ただ、上空から雨霰のように降り注ぐシャドーボールを一発残らず捌いたために体力が追いついていない。 ついさっきカゲロウが吹っ飛ばされたのが見えた。まぁあいつのことだからやられてはいないだろう。 とにかく、カゲロウが戻ってくるまで粘らねばならない。 「カゼマル、まだやれるか?」 『当……然!』 重たい身体に鞭を入れて無理矢理起こし、上空の魔神を見上げた。 本来なら幾らあいつのシャドーボールとはいえ、弾くのにここまで体力を消費することはない。 が、もし魔神側に攻撃力を爆発的に上昇させる術があるならば変わってくる。 (アタックフォルム……ますます化け物じみてきやがったな……) ノーマル、ディフェンス、スピードに加えて更なるフォルムへとチェンジしたルイン。 元々強大だった攻撃力が、輪をかけたように爆発的に増大したのだ。 紐のように分解した両腕。その先にエネルギーを集中させるとかなりの破壊力を生む。 「僕はねぇ、カイ。世界への贈り物を考えているんだ」 「?」 黒く渦巻く雲、そこから吐き出される雨の中で。 ノーマルフォルムへと戻ったルインは、何ともいえない目でこちらを見下ろしていた。 無。そう、無だ。何もない、ただの目。何も感じられない目。 何もないことはイコール恐怖でしかない。何かがないと人は恐怖する、理解する材料が足りなくて恐怖する。 だから、カイは恐怖した。ルインの目から何も感じ取れなかったから。 「僕は世界を変えられるぐらいの力がある……だが、世界は僕への対抗策を生み落とした。  キミやエデンみたいなね。だから、僕はまず世界に復讐しようと思うんだ」 「…………」 「何がいいかな? 海と大地を割って物理的な復讐に出るか、  それとも世界の要ともいえる人間を皆殺しにするか……ああ、これは前々からやろうとしていることだけど」 ルインの右手が己の顔面を覆う。 その指の隙間から見えた魔神の目は……理解できた。理解できない恐怖から解放された。 いや、そこには更なる恐怖が映っていた。 敵意。殺意。そんなものばかりが充満した濁った目。 「僕はとにかく憎くて憎くてたまらないんだ……!  こんなシナリオを用意した世界も、僕を屠ったエデンも、そしてカイ、キミもねぇ!!」 ぐにゃりとアタックフォルムへと変形する魔神。明らかにチェンジスピードが速くなっている。 広げた紐状の両腕が、一つ一つ球体を成した電撃を纏ってその規模を少しずつ大きくしていく。 電磁砲――それも一発一発が普通の電気タイプが放つレベルを通り越している。 「さぁ行くよカイ! 僕の怒りを止め」 中断された。理由は簡単、邪魔されたからだ。 ルインの側頭部を思い切り強打したそれ。あのルインを吹っ飛ばすぐらいの力を持つそれ。 一匹の飛竜が放ったドラゴンクローが、完全に意識をこちらに向けていた魔神に大ダメージを与えた。 「カイリュー……リュ――」 「イェイマイフレェェェエンズ!!」 無駄に元気に突撃してきたアホが放つクロスチョップが思い切り耳に当たった。 予想外の攻撃に少しの間蹲って痙攣したあと、とりあえずボコって立場を逆転させる。 「ちょ、おま……今すごい本気で殴らなかった?」 「悪い、お前だとわかると拳が唸って唸って」 「それって友達に向ける拳じゃねーだろ!」 中指の関節を立てたかなり危険な拳だが、コウには逆に丁度いいくらいだ。 手加減なしで殴った割りにそれほどダメージがないコウ。 雨に濡れてずぶ濡れだが、その中でも相変わらず彼にはどこかオーラのようなものが見えた。 陽気という名のオーラが。 「……相手はあのルインだぞ、後悔すんなよ」 「バーカ、俺は後悔したことなんてないし反省もしたことねぇ」 「いや、反省はしろ」 バカな発言にいつも通りツッコミを入れて。 コウが次に吐いた言葉を、カイは少しだけ理解できなかった。 「俺らにもさ、まだやれることあるよな?」 「……何言ってんだ? 当たり前だろ」  イタイ、やっぱりイタイ。  カイリューの接近に気付けなかった。感覚が鈍っている。  イタイクルシイキモチワルイタスケテクレ。……自分の身体なのに何が起きているのか理解できない。  エネルギーの流れ方がおかしい。思ったほどのパワーが出ない。  何で? ナンデ? ナンデこんな――  魔神の指が世界を撫でる。撫でた跡に絶望を齎す。  嘲笑う声の中でもがき続けろ。悪魔の力の中で足掻き続けろ。  空の果てへと、魔神を追放せよ。