コラッタ――警戒心がとても強く、寝ている時も耳を動かして周りの音を聞いている。  ラッタ――丈夫な牙はどんどん伸びるので、岩や大木をかじって削っている。  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜     Smile.  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 それがかの有名なポケモン研究の第一人者、オーキド博士が開発したポケモン図鑑の内容である。 別にそんな大層なものを使用しなくても、図書館なんかで調べればこれぐらいの情報は載っている。 少なくとも、あたしは図書館で調べた。 自分のポケモンのことも知らないトレーナーなど、あまりにアホらしいではないか。 手違いだか何だか知らないが、あたしが貰えるはずの初心者用ポケモンが手元にないだとか言われた。 昔、ここから旅立った二人のトレーナーに与えられたポケモン図鑑を、 あたしが貰えるなんて期待はしていない。 でも、あのヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネの内の一匹を貰える期待はしていた。 だってそこはマサラタウンで、あたしはそこから旅立ったトレーナーなのだから。 でも、今のあたしの手持ちの中にその三匹の内の一匹も、ましてやその進化形も存在しない。 あの日、マサラから旅立つあたしの手持ちには、愛くるしい容姿で有名なねずみポケモンのピカチュウ。 ではなく、どこにでも生息しているねずみポケモンのコラッタだった。 あたしがポケモンを貰いに行った時、予定外の三人の新人トレーナーがそこにいた。 その瞬間、あたしは悟った。 ……はめられた。 あたしは世間一般的にいじめられっ子という奴で、結構大人しいほうだったと思う。 長く伸ばしていた黒髪に顔が隠れて陰険に見えたらしい。 そこにいた三人は世間一般的にいじめっ子という奴で、 あたしみたいな奴はいじめの対象として最適だったのかもしれない。 よくあたしのことを、全ポケモンの中で最も弱いとされるコイキングの化身だとバカにした。 旅に出る以上、その間は会うことも少ないため、三人は最後のいじめを決行したのだ。 オーキド博士が申し訳なさそうに言った、手違いという言葉。 こいつらの陰謀により、あたしの情報はオーキド博士に届いていなかったのだ。 もう慣れたことではあったが、さすがに最初の一匹がいないのでは話にならない。 オーキド博士は至急もう一匹を取り寄せると言ってくれたが、断った。 ここで緊急の一匹を待たせるのが、こいつらの策略だったから。 惨めに三人が出発するのを待つ気もなくて、 あたしは小さな頃に遊びに行った森で友達になったコラッタを連れて行くことにしたのだ。 それはそれで三人は笑っていたけれど、あたしは構わなかった。 長く伸ばした黒髪をばっさり切って、気分も一新させて。 あたしはマサラから旅立った。他の人より、すこしズレた目的のために。 下卑たあの三人の顔。それは今でも覚えている。 すごいイライラして、でもコラッタにはそんな顔は絶対に見せないと決めて。 そうして旅立った。あの日の天気も、あいつらの顔も。 そして、あたしの記憶には新たにあいつらの顔が刻まれた。 ――苦味潰した、とても悔しそうな顔が。 「何だよ、コイキング。お前こんなとこで何やってんだ?」 セキエイ高原ポケモンリーグ。別名、ポケモンリーグカントー大会ともいえる。 カントー地方のジムバッジ八つを集めた猛者だけが出場を許される、 いわばカントー最強のトレーナーを決める大会だった。 そんなセキエイ高原のポケモンバトル練習場にあたしがいたのが気に食わないのか、 無駄に仲良しないじめっ子三人は速攻で食って掛かってきた。 「ここはセキエイ高原だぞ? お前みたいな弱っちぃ奴がいていい場所じゃねぇんだよ」 「ジムバッジすら空の上のお前がここにいるなんて、明日は地割れが起きるな。  コイキングじゃあバッジ取れるはずもないし」 いつもならここで無視する。周囲には他の参加者がいる以上、物理的ないじめは発生しない。 その代わりといわんばかりに精神的な攻撃を繰り返すそいつらを、 あたしは生まれて初めて真正面から睨みつけた。 お母さんがくれた、一番使い古したモンスターボールを三人に突きつける。 それを見た三人は互いの顔を見やってから、ニヤニヤと笑った。 「おいおい、それってまさかあの時のコラッタか?」 「もしラッタに進化してたって、ラッタじゃあ……なぁ?」 「ていうか、進化どころか未だにコラッタ一匹だったりしてな!」 「……怖いの?」 自分でもびっくりするくらい冷淡にあたしは言う。 冷え切った口先から出た冷え切った言葉に、三人は簡単に反応した。 「フ、フシギバナ! もう一度葉っぱカッター!」 背中に色鮮やかな花を咲かせたそのポケモンが、苦し紛れに再び葉っぱカッターを放つ。 緑の刃がまるで壁のように押し寄せてきて、あたしと相棒の視界を遮った。 ……でも、だから何? って感じがした。 「カミー、シャドーボール」 「キ!」 物足りなさそうに指示を出すあたしと呼応するように、 相棒のポケモン――どこにでもいるなんていわれてる、ラッタのカミーは少し居心地が悪そうに見えた。 長く綺麗で鋭い前歯の前に、収束された闇が球体化して振動音を奏でる。 まるで大砲のような轟音と共に発射され、葉っぱカッターの壁をぶち破り、 そのままフシギバナの顔面に炸裂する。 あいつらが目に見えて狼狽するのが見えた。あたしが指示を出すのと同時にカミーが地面を蹴る。 「電光石火から必殺前歯」 カミーの得意技だった。相手の体力が減ったら、敵の技を破った瞬間これを仕掛ける。 バトル開始直後に怒りの前歯を受け、 体力をざっくり削り取られていたフシギバナはこれを避けることも防ぐこともできず、 カメックスに続いて地面にひれ伏した。これはこれで気持ちいい。 散々あたしをいじめて、カミーをバカにしたあいつらを実力でねじ伏せる。 あたしの……いや、あたしたちの強さを証明できていることが、何より嬉しい。 これで相手は残り一人。三人の中で中心的な存在で、いじめ計画は大抵こいつが主犯だ。 カメックス、フシギバナと倒した今、出てくるのやはりあのポケモンだろう。 臆す必要も退く必要も。旅立つ前のあたしとは違う。 相手が何であろうと、今のあたしたちの前では敵じゃない。 「何やってんだよ、コイキング相手に! 行け! リザードン!」 ――そいつはやっぱり現れた。 強い相手を求めて緋色の翼で飛び回り、岩石も焼けるような灼熱を吐く火炎ポケモンが。 かっこいいという言葉の代名詞である。 あの日、あたしはヒトカゲを貰うつもりだった。こいつはあたしをどれだけ邪魔すれば気が済むのだろう。 フシギバナとカメックスを倒して少し疲れているラッタを戻し、 あたしは次のボール、カミーに続いて古びたボールを手に取った。 初めて自分で買ったモンスターボール。それを見せ付けて、あたしは言ってやった。 「あたしのこと、何度もコイキングコイキングって……そんなにコイキングが見たいの?」 「は?」 「だったら見せてあげるわよ。……進化形で、よかったらね」 そいつとリザードンが呆けた顔になるのと同時。赤と白の隙間から、閃光と共に現れる蒼の大蛇。 全てを引き裂く双牙をちらつかせ、忽然と出現する凶悪ポケモン。 そんな種族の割に普段結構大人しいそのギャラドスは、鎌首を擡げてそいつとリザードンを睨んでいた。 あたしのギャラドスは体格がよくて、平均より一回り巨大だった。その姿を見て集まってきたギャラリー。 ちょうどいい。これだけ人が集まっていれば、あいつらは悔しさと同時に赤っ恥だ。 「お、お前なんかがギャラドスを……誰から借りてきたんだろ!」 見苦しくもあたしを反則負けに陥れようとするそいつ。 何て醜いんだろう。あたしはふんと鼻で笑い、言ってやった。 「そう。そんなにあたしに負けるのが嫌なの?」 「……! くっそォ! リザードン、火炎放射だ!」 「…………」 その後のことはどうだっていい。ただ、不意に感じた奇妙な感覚に心が戸惑っている。 あいつのリザードンの火炎放射をギャラドスの破壊光線がぶち抜き、そこで勝負はついた。 あたしを散々いじめたあいつらが、悔しそうに去っていくその後ろ姿に優越感を――得るはずだった。 なのになんだ、この気持ちは。 空っぽになった心を乾いた風が吹き付けて。思い当たる要因なのかわからないが、あのバトルの直後。 周囲から聞こえた声に、あたしは肩を震わせた。 「なんだあいつ……強いけど……」 「怖いよね……」 怖い。そんなことを言われたのは初めてだった。何だか居た堪れなくなって、 飛行ポケモンを出してそこからすぐに立ち去り、セキエイ高原外れにある高台の上まで逃げてきた。 怖い、だろうか? 自分的にはそんなに怖い顔はしていないはず。 何より、そんな怖い顔をしていればあいつらもいじめてきたりしないはずだ。 そういえば今まで会ってきた人たち、主にポケモンセンターの看護師さんとか、ジムリーダーとか。 看護師さんなんかにはセンターに行くたびに、こんなことを言われる。 「何か、嫌なことでもあったの?」 つまり、あたしはいつもそんなことを言われるような顔をしているということである。 朝起きて鏡を見てもそう思わないのは、恐らく『誰かの前』じゃないから。 普段、カミーたちは少しい辛そうにしているのはわかっている。誰かと戦う時、誰かと話す時。 カミー以外の、つまりは人間を前にしている時、ボールの外にいることが多いカミーなんかは、 視線を彷徨わせて落ち着きがなかった。あれはあたしがそんな顔をしていたからか。 あたしとポケモンたちだけになると、彼らは心から安堵した様子を見せる。 (その時だけ、あたしは解放されてる……?) 眼下に見えるセキエイ高原。既に参加者や応援、観客で賑わい、 大きなポケモンセンターの前の大通りなんかはたくさんの出店が並んでいる。 明日開始予定の開会式、そして予選リーグが始まれば、もっと盛り上がるだろう。でも。 (何で……?) この心の空洞は何なのだろう。あいつらが予想以上に弱かったから?  こいつらを見返してやろうと、死に物狂いで修行したのに、あいつらはさほど強くなかった。 いや、これが直接の原因ではない。どこかで関係していそうだが。 「キ〜……?」 膝を抱えて考えるあたしの顔を、カミーが心配そうに覗き込んでくる。 フシギバナとカメックス相手に連戦したが、ほとんどダメージも受けずにピンピンしている。 そんな頼れるカミーの頭を撫でて―― 「辛気臭ェ顔してんなぁ、あんた」 ビクッと必要以上に反応しながら、あたしとカミーはその声がしたほうに視線を移した。 あたしたち同様、セキエイ高原を見下ろせる丘の上に座っている人物がいる。 いつから? あたしたちが来た時は誰もいなかったはずだ。 あたしより少し上の年齢に見える男性。別にかっこいいわけでも、かっこわるいわけでもない。 ざんばらな黒髪の後ろを束ねているぐらいが印象的だったが、こっちを見た瞬間別の印象も受けた。 目が、その辺にいるトレーナーとは格が違う。 アーボックと真正面から睨み合っても勝率九十パーセント以上で追い払ってしまいそうだった。 ただ、これでもカントーのジムバッジを全て手に入れているあたしの目にはさらに別の印象がある。 この目には、強さ以外にも何かがあった。それが何かはわからない。 「あんた、参加者かい?」 「……誰?」 向こうの質問を無視し、こちらの質問を率直にぶつけた。 彼は「ああ、悪い悪い」と軽く謝ってから、上着の内側をめくって見せた。 「……参加者」 見せられたのは、内側に付けられた八つのバッジ。 あたしが手に入れた物と全く同じ輝きを持つ八つのバッジが、彼がここにいる理由を教えてくれた。 彼もまた、ポケモンリーグの参加者なのだ。ということは、彼も強いのか。 いつの間にか染み付いている『強者を求める心』が、勝手に疼き出して。それを切り出そうとした時、 「さっきのバトル見てたよ。あんた強いねー」 年上なのに普通に溜め口で話すあたしを咎めもせず、機嫌を損ねもせず。 その代わりこちらの機嫌を損ねるようなことを言ってくる。 それも微笑を浮かべながら。何となく腹が立って、あたしは彼から視線を逸らした。 「あいつら弱すぎ。話にならない。あいつらを見返すために強くなったっていうのに」 「ん? あの三人とは顔見知り?」 興味津々に質問してくる彼に、あたしは少し迷ったが全て話してしまった。 旅に出る前からの彼らとの付き合い。そして旅に出る日のオーキド研究所での出来事。 憎たらしくて、少し前にそれがスッキリしたはずなのに、今は心の中を何かがモヤモヤと彷徨っていること。 だが、それを一通り話したにも関わらず、彼は微妙にズレた話を切り出してくる。 ズレていながらも、あたしの心を抉るような話を。 「あんた、何でそんな怖い顔してんの?」 「え?」 「バトルしてた時と今はすげぇ顔。でも、さっきラッタと二人きりだった時とは違う顔」 そんなことを平気で言う彼の顔は、ほんの少しの微笑を浮かべていた。何が面白いのかわからない。 普通は腹が立つはずなのに、なぜか怒りは湧いてこない。 その代わり、逆にこちらも笑ってしまいそうな感覚だった。 「それ、バトルが終わった時も言われた」 「あんたの怖ェ顔もそうだけど、それ以上にラッタの様子のほうが気になるね」 言われてから、もう一度気付く。 やはり、カミーたち以外を前にしている時、カミーは居心地の悪そうな顔になる。 あたしが誰かの前にいるからこんな顔になるのだと思った。 でも――違う。よく思い返せば、カミーはこういう時、あたしの顔をちらちらと見ている。 つまり、カミーはあたしが怖い顔をしているからあんな居心地の悪そうな顔になっているのか。 「ラッタはさ、あんたに笑っててほしいんじゃねーの?」 「え?」 「誰だってそうさ。自分にとって大事な人が、いつも仏頂面じゃ自分も笑えねーもんよ」 いつもそんな顔というわけではないが――それでも、誰かとバトルする時、 後方で指示を出してくれるトレーナーが仏頂面じゃあポケモンたちも居心地が悪い。 (笑っていてほしい……) それならカミーたちの顔も説明がいく。 野宿する時なんかは、イレギュラーを除けばあたしとポケモンたちだけで夜を過ごす。 そういう時だけ、カミーたちは安心しきった顔を見せるのだ。そういう時しかあたしは笑っていないということ。 旅に出る前なら……あいつらにちょっかいをかけられた日以外は、笑うことが多かったと思う。 いじめられっ子だといっても友達がいなかったわけじゃないし、森にいけばまだ野生だったカミーがいた。 基本的に笑顔のない幼少時代は送っていない。 あまり笑わなくなったのは……ああ、あの日からだ。あの三人を見返してやろうと決めた、旅立ちの日から。 ……あたしは嫌な奴だ、スタート地点から既にカミーに迷惑をかけていたということか。 見返してやろうとカミーに呼びかけた時、彼も意思表示するように大きく鳴いた。 彼もまた、あたしと一緒にいる時はよくバカにされたのだ。 コラッタはどこにでもいる、悪く言ってしまえば全然珍しくも何ともない平凡なポケモンだった。 あまり戦闘力も高くなくて、ポケモンリーグの決勝トーナメントなんかじゃコラッタはもちろん、 ラッタを使うトレーナーも少ない。 それ故にバカにされてきたのだが、旅立ってから一週間も経たないで彼はあの顔をするようになった。 居心地の悪そうな顔で何かを訴える。 それの意味を理解できなかった当時のあたしは、何も気にすることなく旅を続けた。 あたしが急に黙りこくったことを何か勘違いしたのか、彼は不意に別の話題を振ってくる。 それが、結果的にまたもあたしの心を抉り散らすことと知らずに。 「なぁ。あんたは何でリーグに出るんだ? やっぱ実力試しか?」 「…………」 実力試し。普通のトレーナーだと大抵はこんな理由だろうが、あたしは違った。 リーグに出るというより、セキエイ高原に来ることが目的を達成するための目的といえる。 あの三人の内、誰か一人くらいはここまでやってくるだろうと踏んでいた。 あたしはそこまでやってきたあいつらを倒すための力を身に付けるために、旅をしていたと言っても過言ではない。 「あたしがここに来たのは……ううん、もう目的は達成しちゃったから、ここにいる理由はないのかも……」 「あの三人をぶっ飛ばしちゃったから、か?」 ザクリ。鋭角に切り込んでくるその言葉を、あたしの心は黙って受け止めた。 鋭角な言葉を引き抜かず、否定せずに無言で肯定する。 あたしの旅は、カミーたちと一緒にあいつらを見返すこと。それが成就した今、もうここにいても仕方ない。 少し偏った目標を掲げていたことにも気付いているあたしにとって、 彼の次の言葉はじりじりと侵食するように迫ってくる。 彼は立ち上がり、お祭り騒ぎなセキエイ高原を右から左に眺めて、がしっと腕組みする。 「俺さ、ここに来た連中を笑わせたいんだ」 「……それってお笑い芸人じゃない?」 「違うって。俺たちトレーナーがここのスタジアムでいいバトルをすればさ、盛り上がるだろ?  そうすりゃみんな笑顔になる。俺はその笑顔を見たいんだ。昔テレビで見たポケモンリーグでさ、その時――」 (笑顔を……見たい……)  ――ラッタはさ、あんたに笑っててほしいんじゃねーの? 「そりゃまぁ自分の力がどこまで通用するのか、どこまで強くなれたのか、試したいってのもあるさ」 「…………」 「あんたも俺のバトル見てくれよ。で、笑え。笑ったほうが……」 「笑ったほうが、笑わないより損はしない。か……」 あの奇妙なトレーナーに出会って、早一時間。あたしはカミーと一緒にセキエイ高原内をぶらぶらと歩いていた。 特に理由なんてなかったが、考え事をする時はこうして歩いている時のほうが集中できる。 場所によっては逆に集中できなかったりするが、この辺はごちゃごちゃしておらず静かだった。 日が落ち始め、街路灯が微かに落ちる闇の中で道を照らし始める。 彼の笑みに対し怒りが湧かなかったのは、笑顔を求める彼の笑顔だったから。 などという答えになっていない答えしか出てこなかった。 あたしは手鏡を取り出して、自分の顔を見てみた。いつもと変わらない。 朝起きた直後と違い、眠たそうではないというのだけがわかった。あと、少し髪が伸びたかなぁと思う程度。 自分たちだけの時間の中でだけ、あたしは怖い顔にならずに済むらしく、カミーも上機嫌で歩いている。 あの三人を見返すために強くなろうと決めた。ただそれだけのために、あたしたちは強くなった。 (……それから?) それから。……そこから先が見えなくて、あたしは心の中で迷子になる。 あの三人を見返したのはもういい。ただ、そこから先にある道が見えなくて。 「カミー、ごめんね」 「キ……?」 何だか急に謝りたくなった。 急に神妙な面持ちになったあたしにびっくりしたのか、カミーは立ち止まって首を傾げる。 目的を見失っているトレーナーなんて、ポケモンから見れば相当情けない存在に違いない。 だが、例え本当にそう思っていようと、カミーはそんな様子は一切見せないだろう。 ただただこちらを心配してくれる。 ……何か、余計に情けなくなったのは気のせいだろうか。 (……変な人、だったな……) 笑顔が見たいが故に大会に出る彼。ポケモンバトルで誰かを笑顔にする。 考えたこともないその手法に、あたしは何度考えても馴染めそうにないと思った。 あの連中を見返すことだけを目標として修行してきた自分にとって、彼の言葉は理解し難いものだった。 でも、どこか惹かれるものがある。 (あたしの動機よりは、ずっと立派――) 不意だった。耳に飛び込んできた微かな声のようなもの。 それは確かに悲鳴に聞こえて、あたしたちは耳を澄ませた。最初は一瞬過ぎて方向もわからなかったが、今度こそは。 もう一度聞こえたそれに向かって、あたしたちは走り出していた。 いつもなら。……そう、いつもなら空耳程度に終わらせていたに違いない。 見返すための力を身に付ける行動以外、ほとんど取らなかった自分にとって、『助けよう』などと思わなかった。 その瞬間から『変わり始めていた』と、あたし自身まだ気付いていなかったと思う。 「カミー、電光石火!」 森の中を俊足の影が貫き、その大きな茶色の影に渾身の一撃を入れる。 影は大きくよろめくが、倒れずに踏ん張った。 あたしは急いで走っていって、大きな影から逃げるように走ってきた女の子を抱き留める。 「大丈夫?」 「うう……えっぐ……」 歳は七歳ぐらいか。恐らく観戦なり誰かの応援なりでセキエイ高原にやって来た親の子だろう。 親とはぐれてこの森に迷い込んだと考えるのが妥当か。 大きな影に追われて泣きじゃくるその子の頭をゆっくり撫でて、あたしはカミーと対峙するその大きな影を睨みつける。 悲鳴を聞いてやってきたのは、セキエイ高原近くの森の中。 元々イベント時には大量の人間が集まるだけあって、周囲の野性ポケモンはきちんと分けられたり、 高原付近には近づけないようにフェンスなり虫除けスプレーが散布されていたりするはずだ。 この辺りに生息するのは比較的大人しいポケモンばかりのはず。 が、目の前にいるのはいるはずのない、太い腕の先に鋭い爪を持つ、冬眠ポケモンのリングマ。 しかも結構ご立腹で、女の子から目標を完全にあたしたちに移している。 (そういえば、セキエイ高原ってシロガネ山と隣接して……) 隣接といってもかなり距離があるはずだ。間違ってもこの辺はシロガネ山の麓だったりはしない。 だがこの辺りでリングマが生息している可能性のある場所はシロガネ山ぐらいだ。 ――シロガネ山。屈強な野性ポケモンが徘徊することで有名な山。 腕の立つトレーナーが更なる高みを目指して進んで山に入り、いじめ倒すように己を鍛える所で有名だ。 もしこのリングマがシロガネ山からやって来たとなると、かなり危険である。 この体格、眼光。どれをとっても並のトレーナーでは歯が立たないレベルだ。 誰かが服の裾を掴むのを感じて、あたしは驚いて振り返る。 何てことはない、ついさっき助けた……のかどうかわからないが、 女の子が涙目で不安そうにこちらを見上げている。 あたしは出来る限り笑顔を浮かべてその子の肩に手を置いて、 「大丈夫、あたしが守ってあげるから」 「ほ、ホント?」 「うん、ホントホント」 自分でも少しびっくりするくらいスムーズに笑顔が出たおかげで、女の子も少しは不安が取り除かれたようだ。 巻き込まれないようどこかに隠れるよう促し、あたしは振り返る。 それを待っていたのかどうかわからないが、同時にリングマが咆哮と共に二足歩行で突撃してくる。 「話せばわかる……なんて言ってられないか。カミー、怒りの前歯!」 なぜだかよくわからないくらいご立腹なリングマに交渉術は通用しない。 カミーがいつも通りの速攻で突撃し、腕を振り上げたリングマの脇腹向けてすれ違いざまに前歯の一撃を叩き込む。 当たれば無条件で敵の体力を半分まで削り取る怒りの前歯を受け、リングマの動きが目に見えて鈍った。 リングマの向こう側に着地したカミーは既に次の行動に移れるよう身構えている。 「電光石火から必殺前歯!」 「キ!」 よろめいたリングマに向け、カミーの必殺コンボが決まる。 電光石火の勢いを纏った必殺前歯がリングマの背に直撃し、そのままうつ伏せに倒れて動かなくなった。 ……沈黙。あたしとカミーは揃ってリングマの顔を覗き込む。 完全に気絶していることを確認して胸を撫で下ろしてから、あたしは後ろに振り返った。 「大丈夫、気絶してるから」 「ホ、ホント?」 例のリングマに追いかけられていた女の子。 不安そうに出てくるなりいきなり抱きつかれて、あたしは思わず後ろに倒れそうになった。 未だに少し泣いているその子の頭をゆっくり撫でて気を落ち着かせる。大丈夫、もう大丈夫。 何とか宥めてから、その子は笑顔でこう言った。 「ありがとう!」 ……そうだ、笑顔。あたしは一瞬その笑顔を理解できなくて、数秒遅れてからようやく理解した。 この子は笑った。笑ってくれた。あたしが助けたから、笑ってくれた。 不意に蘇ったのは彼の顔。自分のバトルを見た人たちみんなを笑顔にしたいという、ちょっと変わったトレーナー。 彼の気持ちが少しだけわかった気がして、あたしはその子の頭を撫でながら言った。……笑顔で。 「どういたしまして」 自分の縄張りとは全く違う場所に迷い込んで、不安になったところへこの女の子が近づいたために起きた事件だろう。 とりあえずリングマを捕獲し、センターに連れて行った時そう説明された。 女の子に妙に懐かれてなかなか放して貰えず、ようやく選手村の自分の部屋に戻った時、すぐにベッドに突っ伏した。 妙に疲れた日を記憶の中に仕舞いこんで、そのまま目を閉じて。 大体その辺までは覚えていて、目覚めた時には既に次の朝。予選開始ギリギリの時間だった。 勝ち星を必要数集めてようやくご飯にありつける。 朝はとにかく試合に間に合うようダッシュしまくったためご飯なんか食べる暇もなかった。 選手なら無料で利用できるレストランへの道を歩いている時、向こうから見知った顔がやってきた。……それも三つ。 「あ、あんたたち」 「げ……!」 三人はあたしの姿を見るなり嫌悪感丸出しの三人。 まぁ昨日あんなに簡単にサクッと負かしてしまったのだから無理はないだろう。 あたしとしてもあんまり会いたくなかったなぁと思いつつ、用事を思いついて逃げようとする三人を呼び止めた。 「ねぇ」 「な、何だよ。コイキ――」 「また負かされたいの?」 半ば脅迫というか、完全に上から見るような口調だった。 でも意外と効いたらしくて、三人はビクッと反応して寡黙になる。 あたしが一歩近づくたびに何かビクビクして、まるで自分が不良かヤクザにでもなったような気がした。 その辺は無視して三人の前に立ち、 「あたしの顔、怖い?」 「へ?」 予想通りの変な返事が返ってくる。 「だから、あたしの顔って怖いか聞いてんの。どう?」 「ど、どうって……」 三人は恐々としながら揃ってあたしの顔を見て。……何かちょっとだけ顔を赤らめながら、 「そりゃあ……え〜と……怖くはない、と思う」 「? ま、いいや。怖くないなら。じゃね」 結局あの時、三人が変にもじもじした理由はよくわからない。いじめたり顔赤くしたり、変な三人だ。 予選を突破し、本選トーナメントに出場したあたし。 よく晴れた空の下、予選用の小さなスタジアムだがそれでもあたしにとって十分大きな舞台といえた。 ここに来ている人たちが、みんなあたしのバトルを見ようとしている。 そう考えただけで胸が熱くなって、今までのあたしからすれば考えられない心境の変化だった。 「よう、いい顔してんじゃないの。何かあった?」 そんな気さくな声は、昨日出会った『笑顔のトレーナー』だった。 今日も微笑を浮かべて、あたしとは反対側、つまり、対戦者サイドに立っている。 そんな彼に対し、昨日のような小さな嫌悪感みたいなものは消えていた。 「まぁ、いろいろあった」 「おお、そりゃ何より」 審判が紅白の旗を持って現われる。あたしもあの人も、迷わず一匹目のボールを手に取った。 そこから伝わる鼓動。気持ち。その全てが、今までとの違いを持っていた。 笑っている。ボールの中で、確かに笑っている。 審判が試合開始を告げる。 その瞬間、あたしは六つ揃ったボールの中でも最も古いボールから、一番の古株を呼び出した。 「カミー、速攻! 電光石火から怒りの前歯!!」 「キッ!!」  笑ったほうが、笑わないより損はしない。  さぁ、笑おう。