ここにとある少年がいる。この世界ではありがちなポケモントレーナーという設定を背負った少年がいる。 なんかいろんな人に出会ったり出会わなかったり勝負したり殴り合ったりと、なかなか有意義な旅をしているようだ。 別に最初のポケモンがピカチュウだったりとか特別なポケモンだったりとか、何か不思議で特殊な運命を背負っていたりするわけではない。 空から降ってきたヒロインに恋をしたとか家に美少女たちが押しかけてきてハーレムになったわけでもない。 親父が伝説的な有名人で、誕生日の朝には母親が勇者がどうのこうのとほざいてお城に連行されたわけでもない。 物語の主人公というのが絶対特別だというわけではないのだ。その辺をアホ面下げて歩いているクソガキも、 何の変哲もないポッポだとしても、彼らは物語を持ちその中では主人公になれる。 もしかしたら毎日踏まれてばかりのあのマンホールもまた物語の主人公になれるかもしれない。 では、別に特別な運命の下に生まれて異様な正義感に駆られているわけでもないその少年の物語を見てみよう。 彼が主人公となってしまった不思議な不思議な物語を。  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜      少年Aの物語  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「…………」 俺は固まっていた。それ以外に言い表せることもなく、俺は固まっていた。タマムシシティの街中で固まっていた。 タマムシシティといえば女の子しかいないウハウハジム……じゃなくて、タマムシデパートだ。……いや、ホントデパートだ。 ジムの前でハァハァ言ってるおっさんと並んで中を覗いたことなんてないぞ。 どうでもいいがあのジム、男は普通どうやって挑戦すればいいんだろうか。 俺はアレだ、女装……いや、何でもない。若かりし頃の過ちだ。 旅の消耗品を買おうと思ってデパートまで来たんだが、隣の建物との間、 一時的にゴミなんかが置かれている薄暗い路地を見た瞬間、俺は固まってしまったんだ。  なんでかって? 理由は簡単だ。   ツギハギだらけのボロいヒメグマの着ぐるみ着た『誰か』が、俺に手招きしていたからだ。 (怖っ! 何あれ……いやもう何あれ!? ツッコミ所多過ぎてリアクションしづらっ!) 青ざめている俺が見えてんのか見えてないのかわからないが、ヒメグマは尚も手招きを続けている。 怖いよ、怖過ぎだよ。ってか目、片方取れてない? 耳も片方千切れてない? オーラがヤバイよ、ダークポケモンですかあれ。 俺はその異様な光景をフルパワーでシカトすることにして、ボロボロヒメグマの前を通り過ぎようとした瞬間、 「んがっ!?」 突然飛び出してきたヒメグマに腕を掴まれ路地に連れ込まれた。その時のヒメグマの気迫といったら最早ホラーの類だ。 怖過ぎだ、R指定だ。いやだ、やめてくれ。 俺は健全な少年ポケモントレーナーであり、こんなちょっぴりヤバそうな空気に飛び込む気なんてないんだ。 俺はそのままの勢いで汚いポリバケツに座らされた。え、強制イベントですか? どう足掻いても避けられない強制イベント?  なんかゲームで絶対負けるイベントとかあるけどあれに強引に勝つ感じでこれも脱出できないだろうか。 俺の前に立ったヒメグマ。光が差さないからか顔が暗くて余計怖いんですけど。 「君、ポケモントレーナー?」 ハッキリ言おう。声がキモい。なんていうかおっさんが強引に声を優しくしているというかなんというか。 とにかくキモい。これが生理的に受け付けないという奴なのだろうか。 俺が返答する前に、ヒメグマは俺を無視して続けてくる。 「ここにすんごい強いポケモンが入ったボールがあるんだけど……五百円で買わない?」 「す、すんごい強いポケモン!? 五百円!?」 これは安い。スーパーボール一個で六百円かかるこの時代、五百円で強いポケモンが買えるなんて夢のような話だ。  だがまぁ待ちたまえよ。どっかで聞いたことないかこのパターン。 「ってあんたアレか! オツキミ山の麓のポケセンにいたコイキング売りのおっさんか!」 「なんだ、あいつのこと知ってんのか。面白くねぇ」 俺の反応にヒメグマはやる気が削がれたのか、ポリバケツにどかっと座ってやたらとラフになった。なんだこいつ。 どうやらあの極悪非道、初心者トレーナーに夢と絶望を売っていたコイキング売りのおっさんと知り合いな様子。 ……うん、ダメだこいつ。絶対ろくでもないな。 何でそんなことを言うかってーと、俺もその夢と絶望を与えられた不幸なメリープだったからだ。 五百円で手元に舞い込んできた夢は、ボールを開くと絶望となり俺は発狂。 あのおっさんにせめてもの仕返しと考えて、俺はそのコイキングをいじめ倒すように鍛え上げた。 今では傍若無人なギャラドスと化してチームの一員となっている。 「どうでもいいけど、金貸してくんね?」 「え、何でさっき出会ったばっかの着ぐるみおっさんに金貸さないといけないの?」 恐ろしくふてぶてしい態度で金を要求してくるおっさん。あれ、カツアゲですか?  「誰がおっさんだ! これでもまだピュアな心を持った四十八の妖精――」 「十分おっさんだ! 何がピュアだ、コイキング売りつけようとしやがって!」 「コイキングじゃねぇ! ヒンバスだ!」 「それって確か結構レアじゃね!?!」 すいません、これだけの会話でもう疲れたんですけど。なんだこのおっさん。 夢と絶望をスマイルで売っているコイキング売りのおっさんと同じだよ。ってかヒメグマの頭付けたまま接近されたら怖いんだけど。 「ったく、国の保障付きで安全に旅できるトレーナーとは違うんだぞ。おっさんは」 「おっさんって認めちゃってるな」 「何をするにも金、金、金! 結局のところ金なんだよ、坊主」 「え、何の話始めた?」 「ってなわけで金貸して♪」 「貸すかァ! どんだけ金欲しいんだあんたァ!」 そこでフーッとタバコを吹かすおっさん。あれ、頭取ってないよ? ヒメグマの頭取ってないよ? どうやって吸ってんだおっさん。 いつの間にか取り出した携帯灰皿に灰を落としながら、おっさんは今までとは違う空気で語り始めた。 「トレーナーなんてやめときな。やるだけ無駄だ」 「な、何でだよ」 「将来もトレーナーとしてやっていける奴なんてほんの一握り……。  おっさんもトレーナーだったからな、よくわかってる」 確かに、今後もポケモントレーナーを続けていける人間なんて本当に一握りだし、やめるなら今の内だって思うこともあるんだ。 何をするにしてもやり直すなら早いほうがいいに決まってる。取り返しの付かないレベルに達していたら引き返そうにも引き返せない。 だからおっさんの言葉には重みがあったんだ。今まで四十八年間生きてきて、その中で何年ポケモントレーナーだったのかわからない。 いつ引き返すことを決意して、果たしてそれが正解だったのかもわからない。 ヒメグマ着ぐるみの所為で顔は見えないけど、おっさんは確かにため息をついていたんだ。 「でも俺は、まだ引き返したくないよ」 「?」 「俺はまだ転んじゃいないからさ。いや、転んでからじゃ遅いのかもしれないけど。でも俺は転ぶ直前まで歩いていきたい」 「坊主……」 そこでおっさんは俺の肩を掴んで、たっぷり間を取ってからこう言ったんだ。 「萌えって言葉に興味ないか?」 「……………………。は?」 はい来ましたー。おっさん節来ましたよー。このタイミングで萌えについて語りだすなんて相当なレベルだ。 希少価値高過ぎだ。もうどっからツッコんでいいかわからない。トレーナー云々のいい話ももうどっか行っちゃったよ。 恐ろしいよこのおっさん。いや、萌えおっさんだ。何だ萌えおっさんって。俺やべぇ、末期だ。 「いや、興味はそんなないけど……」 「興味がねぇ? それはいけねぇな、性的に興奮しないってのは男としてどうかと思うぞ」 「あのしんみりした状況で萌えについて語り出したおっさんのほうが人としてどうかと思うぞ」 何なんだよこのおっさん。ってか本当におっさんなのか?  実はヒメグマの着ぐるみ着た別の何かじゃないのか? 変なおっさんとか。……やっぱりおっさんじゃん。 「そこで取り出したるはこの写真。ボン、キュ、ボン! なセクスィー写真なわけだが、これを一枚百円で買わないか?」 「せ、セクスィー!?」 言っちゃうが一応俺も男だ。雄なんだ、仕方あるまい。あ、そこ、ちょっと苦笑したろ。 健全な少年たるもの、あっち方向にガンガンいっていかないと生きている意味がない。いや、言い過ぎた。ごめんなさい。 インターネットでそういうのを求めようものならいつの間にか請求が来ちゃったりするこの現代、 セクスィーな写真が一枚百円で買えるなら安いものかもしれない。コイキング一匹五百円よりは安いだろうな。 「よし、買った!」 「毎度!」 俺は欲望に負けておっさんからセクスィー写真を一枚購入。 それが男の本能よ。それが男の生き様なのよ。わかるよな? わかるよね? わかるってことにしとこうぜ兄弟。 そして写真を見た瞬間、そのセクスィーさに言葉を失ったんだ。 きゅっと締まったくびれた腰、胸を両手で隠しているが、魅力的なお尻が隠せていない。そしてモフモフした毛皮、長い耳、丸い尻尾。 確かにセクスィーだ。これで人に言えない所業に手を出す奴も少なくないだろう。 だがよく考えたまえよ諸君、この写真をよく見たまえ。この写真には重大な欠点が隠されている。       はい、どう見たってポケモンです。 「これミミロップじゃねーか! 何、セクスィーってこれ!? 確かにセクスィーだけど何か違うだろ!」 「なんだミミロップ知ってんのか。カントー出身じゃねーのかよ」 「この前見た雑誌にあったんだよ! 『エロカワイイポケモン』ベストワンに輝いてたよ!」 「何ィ! エロカワポケモンのトップはサーナイトたんじゃないのか!?」 「いや確かに一部の人にもサーナイ……って、たん!? 今たんって言っちゃったよこのおっさん!」 ああああ、ヤバイよこのおっさん。もう関わりたくないよ、たんって言っちゃったもん。 あっちの領域だよ、俺が踏み込めない危険な領域の人間だったよこのおっさん。 おっさんが纏い始めたその異様な空気に当てられる前に俺は何とかしてエスケープを成功させようと考えた。 だが腰を上げかけた途端、目の前に片目が取れたホラーヒメグマが出現したからかなりビビった。 「おいおいまだ行くなよ。おっさんたちの冒険はまだ始まったばかりだぜ?」 「なんだその王道冒険漫画の打ち切りラストにありがちなセリフは。親指立ててもカッコよくないから。寧ろキモいから」 その王道冒険長編漫画のラストで、ボロボロの着ぐるみヒメグマが夕日に向かって走っていっても何も感動してこない。 その直後崖から転落するならまぁわからないこともないが。この容姿だと完全にギャグ担当にしか見えん。 タバコをもう一本取り出そうとするが箱は既に空。 その辺に投げ捨てるというヒメグマ着ぐるみにあるまじき行為が目の前で行われたが無視した。だっておっさんだもん。 「いいか坊主、人生には電源ボタンはあるがリセットボタンはないんだぜ?」 「突然何言ってんの!? やめろそういう話! 怖いから!」 「一応ボタン全押しでリセットは可能――」 「いいからやめろ! 危険だから! ある意味危険過ぎるから!」 「気をつけろ、最初からやったあとにセーブすると全部消えるからな」 「もうやめい! 何かこう、黒服のエージェントが出てきて始末されそうだから!」 言っちゃいけないことを口にしまくるおっさん。危険だ、これは危険なんてレベルではない。この世界を根本から覆しかねない発言だ。 今までの会話から推理する限り、このおっさんの思考は極限にまでヤバイ方向にあることだけがわかった。 何も解決していないが。だから俺はもうここにいたくないし、おっさんの異様な空気に染められたくもない。 立ち上がり、とっととこの魔性の路地から脱出しようとした。その時、おっさんの声が聞こえたんだ。 「……やっぱ行っちまうのか」 なんだ、寂しいのかこのおっさん。でもあれだ、四十八のおっさんに泣きつかれても何も感じない。 非情? 随時金を請求してくるおっさんにはそれぐらいが丁度いいんだ。 「ああ。ってか来たくて来たんじゃねぇ。連れ込まれたんだ」 「まぁそう言うな、同志よ」 「誰が同志だ!」 引き込まれるよ、俺。危険だよこのおっさん。勝手に同志にされてそれに答えちゃったら俺もうアウトだよ。 俺はとっとと路地から脱出し、一度荷物を背負い直して歩き出した。 と思ったんだ。背後におっさんの気配を感じて面倒ながらも振り返る。 「歩き続けろよ、坊主。おっさんは途中で転んじまったが、坊主は限界まで歩いていけ。  もし転んじまったらおっさんのとこに来な。一杯やろうや」 「……俺が飲める歳になってたらな」 なんだかんだいって、おっさんは変態だがいい人だった。 無駄口ばっかりだったが忠告はしてくれたし、今も背中を押してくれた。転ぶことを恐怖してたら歩けはしない。 だから俺は歩き続ける。俺にはおっさんがついているんだ、怖がることなんてないんだ。 トレーナーの道はいつも脆く細くて危なっかしい。そんな道を、俺はしっかりと歩き続けることにした。 「頑張れよ、新たな星」 「…………。あ、ああ……」 振り返ったおっさんはあの路地へとその姿を消していった。俺はそのボロボロの後ろ姿を見つめ、そのまま路地も見つめ続けて。 俺はおっさんの応援の言葉を思い出しながら、再び旅の道へと足を運んだ。転ばないよう、ゆっくりしっかり歩き続けるために。 物語ってのはそれが例えどれだけ小汚くたって物語なんだ。物語の頭ですっ転んだっていい、どれだけ道に迷ったっていい。 失敗しようがどうなろうが結局は物語。主人公がくたばったとしてもだ。 だから、おっさんの後ろ姿に訳のわからない真実があったとしても、それも物語。 真相がわからずとも物語。誰がなんと言おうと物語。オチが見えなくたって物語。 この物語は、特別な主人公でもハーレム主人公でも一方的に言葉を押し付けてくる母親に起こされる主人公でもない、 タマムシシティでヒメグマに絡まれた哀れな少年Aの物語である。      ふと思ったんだ。おっさんの背中を見て思ったんだ。  (……チャック、なくね?)    気にすんな、したら呪われる。