……お母さん!お母さん!………… 目の前にはトラックが横転していた。 その下から流れ出るモノなどは目に入らなかった。 その向こうに向かって叫び続けていた。 ……それ以降、未来予知の力は奥底に沈めることにした。同じことを繰り返さないため……    予知 シンオウ地方のとある街の路地裏をサリアは歩いていた。 一人の依頼者を求めて。 数時間前のこと、ピジョンが目の前に降りてきた。 ピジョンのクチバシには封筒が挟まっていた。 「……ありがとう……ね」 封筒を取ると、ピジョンは浮上を始めた。 「……」 封筒を見回したが、差出人の名は無かった。 封筒の封を取ると便箋が入っていた。 便箋に目を通すと、何かすぐに分かった。    サリアさんへ いきなりの手紙、失礼します。私は貴方様にお願いがあるのでございます。それで、貴方様にお会いしたいのですが…… 日付を勝手に決めましてすみませんが、木曜の午後二時にお願いいたしませんでしょうか? 突然、無礼な態度で失礼しました。 率直な感想は、「よく私のことが分かったな。そして、あのピジョンによく説明したものだ」であった。 自分の居場所は決まっていない。 なのに、どうして分かったのだろうか。 よく日付を見た。 ……木曜の午後二時…… 「……今日は、木曜……」 これはどういう鬼畜なのだろうか、場所が丁度いる街であるから良かったものを。 そんな度胸を持たせようとしている人物にどちらにせよ会いたくなってきた。 「よしっと……行こうかな」 私は歩みを始めた。 午後二時前まであと5分と迫っていた。 待っていて欲しい場所で立っていた。 その場所は閑散としていて幅も狭い――つまり、路地裏であった。 まさか、此処に呼んで来るというのが当たり前だとは思えない。 別に人間に騙されようとも良かった。どうせ、恨みが増幅するだけだ。 次第に、一秒が失われつつあった。 「すいません」 声が聞こえた。まさか……本当に来るとは。 目の前に現れたのは一人の少女であった。 肩にかかる後ろ髪、その色は紫がかっていた。そして、明るい瞳の色。彼女は白いワンピースを着ていた。 「貴方がサリアさんでしょうか?」 「ええ。ご察しのとおり」 少女は確認の意のように訊いてきたが、確認する必要など無かった。 言い方からして、分かっているに違いない。 「……で、何の御用なのでしょうか?相手から呼ばれる、ということは滅多にありませんので……」 滅多に無いという言い方は間違っていた。実際は初めてだ。 「簡潔に言わせていただきますね……」 少女の真剣な目線が私に襲い掛かる。 「……死にたいんです」 「……へ?」 もう一度聞きなおしたかった。思わず聞き間違えた……いや、そう思いたい。 「ですから……死にたいんです」 ……思わず何を言うべきか分からなくなった。 「しかし……」 「お願いなんです!本当に私……」 今までになく対応の仕方の難易度が高い。 大体のパターンを言えば悩みを解決して欲しいというのを探って見つけ出し、解決させるわけだが、 最初から覆されている……手の内を把握しているかのように。 「分かりました……では明日まで考えさせてください」 私はそういうと、目を合わせないようにした。 「……明日の同じ時間でいいですかね?では返事を待ってます……」 少女は落胆した様子で路地を引き返した。 それをじっと見つめていた。 日が暮れ、私は木の枝の上に乗っていた。 静かに木々がゆれ、風が吹く……あの時を思い出させてくれそうだ。 少女の依頼に対しての答えは最初から変わっていなかった。 依頼は受け付けられない。 その一言である。 今まで、多くの人間の悩みに振り回されてきたが、さすがにこの依頼だけはする気になれなかった。 いや……したくないというのが適当かもしれない。 死にたいという人を救おうとしていた者の事を思い出すからだ。 ……かけがえのなかった、母のことを…… 目の前には上空から降り注ぐ雨があった。 雨にぬれるまま、走っていく。 そして、人通りの少ない通りに向かっていく二つの影を見つけた…… 「……お母さんっ!」 勢いよく目を開いた。 本当の目の前には木々とその先の暗闇だけがあった。 「はぁ……はぁ……」 息が荒くなりつつ、脳内で整理する。 ……つまり、またあの夢を見てしまったわけか。 「どうしたの?」 振り向くと、心を救ってくれる大切な者……母が居た。 「いや……ん……」 今日もあの夢を見たというのは遠慮しておこう。 そう思って顔を上げると、既に見通したという表情であった。 「また見たのね……とすると、予知夢かしら……?」 予知夢。また出たよこの単語。 その単語を聞くことには飽きてきていた。母は小さい頃から予知能力を持っていたらしい。 既に力を封印してしまったらしいが。 いくら相手が母であろうと、予知夢という単語は聞き飽きた。であるからして、二度と使って欲しくない。 ただ、自分が本当に予知能力が存在しているのであるならば、話は別になるのだが。 それから、数日すると夢は更にくっきりとしてきた。 そうなると、予知能力としか考えようがない。 数日後、母に相談した。 「……悲しまないの、それぐらいで」 母の声には説得力があった。 「予知能力の良いところってのもあるんだから。予知能力ってのは未来を予知してしまうのと同時に、その未来を動かせるのよ」 ……つまり、人の未来を弄ることが出来るということか。 心の中で渦まく重い何かが軽くなるのを感じた。 私は「ありがとう」と呟いた。 母の顔を決して見ずに。 母の顔を見たくなかった。 日に日に表情が暗くなり、一瞬見ただけでは生気など感じられるわけがなかった。 どうやら、依頼者への対応がかなり厳しいらしい。 兄と話す際にはそういっているものの、予知能力がつきまとわっているせいでその事情も詳しく知っていた。 簡潔に言えば依頼者は自殺志願者ということだ。 精神的な影響の方が大きいのだろう。 そんな母の表情は見ていて辛くなる一方だった。 それを救うには予知能力で未来を変えるしかない。 それを実行するためには、思い実行することにした。 方法は簡単、寝る前にその内容を思い浮かべ、それに介入しようとすればいいとのことだ。 実際にそうしてみると、夢の中で崖は無くなっていた。 それは素晴らしい成果なのだろうが、一つ問題が出てきていた。 ……雷、である。 夢の中で自分にまで雷が落ちてしまった。 丁度そこで目覚め、胸に手を当てると、動悸が激しかった。 翌日、再び試みることにした。 雷が落ちないようにする、それだけである。 しかし、見事に失敗した。 正確には、近くに木が出現して、木から移ってきたのだが。 雷を除去――適切な語が思いつかないのでこう表現するのだが――するために三日を要した。 しかし、また一つ難関があった。 つまり、依頼者と母を救うということだ。 よくよく考えると、一番の難関かもしれない。 四日が経過したが、状況は変わっていなかった。 大まかに言えば、そうなのだが。細かく言えば、天気の状況が少しずつ変化はしていた。 しかし、一つ気がかりだったのはその日付であった。 日付は翌日であったわけだ。 つまり、最後のチャンスはこれだけとなる。 あまり詳しく考えたくは無かった。 最後の夜は「助かるように」と願った。 夢の中だろうか。私は雨が降りかかるアスファルトの上を走っていた。 未来を変える中で雨の量は減っていたはずなのだが、今は大雨と言うべき量だ。 その道の向こうに母と依頼者の影が見えた……。 「……っ!」 手を頬に当てると、湿っていた。いや、水滴がついている。 目をゆっくり開くと、薄暗い雨雲から水滴が落ち始めようとしていた。 急いで起き上がった。 「どうした?」 兄が驚いた表情で見てきた。 「……行かなきゃ……行かなきゃ!」 兄が止めようとする前に私は駆け出した。 雨は本降りになりつつあった。 道路に出ると、アスファルトに雨粒が降りかかっていた。 人通りの無い道を駆けていく。 しかし、夢の中の光景よりも長く感じた。 そして、目の前に二つの影が見えた気がした。 「お母さんっ!」と叫んだが、雨音にかき消されてしまった。 ハッと我に返った。 遠くの山から朝日が差し込もうとしていた。 木の枝に座り込んで寝ていたようだ。 「……」 未だに結論は出ていなかった。いや、出ているが変更なしというべきだろう。 昨日と同じ時間、それにあわせて同じ場所に向かった。 五分ほど早かったが、既に少女は待っていた。 「来てくださったのですね……それで、返答は?」 彼女の本題への突入の仕方は恐ろしかった。 「簡潔に言いますと、私には出来ません」 少女の顔をまともに見られそうな気がしなかった。 「いえ……そうくるとは考えていました」 少女は笑顔を見せようと繕っていた。 「そもそも、こちらから理由を話さなければならないですしね」 「え……」 確かに思ったことであった。 先に理由を知るべきだということ、特に大事なことだ。 「実は、私は生まれつき病弱で、自由というものはありませんでした。それで自由が欲しかった。 そんな中、貴方のことを知ってどうにかしてもらおうと思ったのです」 少女の静かな声が奥深くに入り込んでくるのを感じた。 「そうでしたか……しかし、それでもできません。色々と心情的にもありまして……」 そう言った瞬間、少女は悲しい顔をすると思った。しかし、軽く笑みを含めた表情に驚きがあった。 「それは分かってましたから。貴方が拒否することは」 少女は私の額に手を触れた。 「……っ!!」 何なのだ、この感覚。 心の中を探られていくような感じ…… 「安心して。貴方のトラウマになっている出来事があると思えるの。それを見たいだけだから」 ……そうか、私がすることと同じことを。しかし、何………故…………? 考える余力は無くなっていた。 心の奥底の何かが表に飛び出した気がした。 叫びながら雨の降る中を走った。 足に跳ね返った雨水がついてくる。 目の前に見えてきた。二人の影が。 「お母さーんっ!!」 やはり、雨音にかきけされてしまう。 走ると、前が止まっていた。 「お母さんっ!」 叫んでも無駄であると分かってはいた。 しかし、呼び止めたい。 辺りを見ると、横断歩道らしい。 大通りで電灯が雨に光を当てていた。 二人は先へ歩みを進めた。 ふと右を見ると、微かに見える二つの灯り。 次第に大きくなっていく灯り。 ……すぐ近くの電灯で姿が分かった。 …………大型トラック。 動き方からして、減速していない。 天候から考えて、何処でスリップして横転するか想像がつかなかった。 トラックは次第に近づいてくる。 二つの影は歩き始めて少ししか経っていない。 「お母さんっ!!」 全力で叫んだ。 母がゆっくりと振り返るのが見えた。 久しぶりに見た優しい母の顔。 母の顔は満面の笑みで満ちていた。 トラックはスリップし、道路に垂直になるような形になり始めた。 トラックの片方のタイヤが宙に浮いた。 次第に倒れこみ、母と依頼者に上から乗りかかった。 轟音と共に、ズリズリと気味が悪い音がし、横転したトラックは止まった。 「だ、誰かっ!」 その音を聞きつけたのか、一人の女が叫んでいた。 「お母さんっ!」 私はトラックに駆けつけた。 しかし、返答はない。 電灯からの灯りでトラックの下から雨と混ざらずに広がる血を見ることもなく、ただ叫び続けていた。 慌しい惨劇の前で叫ぶ以外のことは出来なかった。 既に思考は停止寸前であった。 ……なんとか意識が戻ってきたようだ。 これと同じようなことをしていたと思うと、何か嫌な気分がしてきた。 「なるほど。それで嫌というわけね」 少女は優しい笑みで言ってきた。 「安心して。私の病が治る方法が一つあるのを知っているから」 「……え……?」 分かっていたのか、最初から。 「それは、『呪縛』を私にくれるだけ」 再び、額に手が触れるのを感じた。 今までに感じたことのない感覚。 奥底から何か抜けていくような気がした。 手がゆっくりと離れた。 「うん、これで安心。私にも効果があったから」 少女は笑みを見せた。 「効果……?」 「ええ。逆に色々と鎮めてくれるから」 鎮める……か。呪縛であるから間違いはない。 「そういえば……」 一つ気になることが出てきた。 「先ほど何故私と同じような力を使えたのです?」 少女はニコッと笑った。 「よく分からないんだけど、先祖が手に入れていた力らしくて、それで私が継承していたってお話」 ……え?それって……? てっきり自分達にしかないものだと思っていた。しかし、目の前の少女は先祖から伝わっている力と言っている。 一体私は何者なのか。そして彼女は。 この力の必要性と意味が分からなかった。 「まあ、これで貴方も自由になったの」 「自由……?」 私は少女の顔を凝視した。 「うん、自由。貴方の母親から譲り受けた宿命から解放されたの」 少女はそういいながら、私に背を向けた。 「じゃ、私の依頼も完了したし、ここで失礼するから」 「えっ……ま、待って……」 その呼びかけに答えず、少女は次第に去っていった。 ふと脳裏に何かがよぎった。 「……自由。つまり……」 脳内に流れてくる家族を失った映像。 同じ目にあいたくはない。そして、あわせたくはない。 自分の選ぶままに進む。それが出来るのか。 路地裏を抜け、丘陵に辿りついた。 空を見上げると、雲一つない青空であった。 自由。今まで自分が拘束されていたことを考えると何かいつもと違う心境がした。 あの少女は一体何者なのだろうか知らないが、何かを知っているのだろう。 一瞬、目の前に何かが飛んでいるような気がした。 そして、気づいた。 心にあった重荷らしき何かが全くなくなっていたことに。 身体が軽くなったような気がした。  〜完〜