世界中の人が口にして それでも語り尽くせない言葉 それが「あい」と「しあわせ」 タクは怒らない。呆れて、うんざりするようなことがあっても、滅多に腹を立てたりしない。 なぜなら大抵のことは周囲で起きている出来事で、自分への影響は些細なことだからだ。 同質のものをいくら重ねてみても、本質的な変化にはつながらない。 彼が持っている周りとの境界は、とても閉鎖的だったがその分純粋なものだった。 午前九時、朝早くからタクは友人に呼び出されハクタイの森に来ていた。 ハクタイシティの西に位置するこの場所は「時と共に生きる森林」と呼ばれており、 この地方最大の草ポケモン、虫ポケモンの生息地になっている。 今は六月、梅雨入り時期であるためそれほどではないが、春、夏、秋はそれぞれ季節の花が咲き、虫が戯れる。 自然観察や写生、散歩などには絶好の場所だ。 一部では夜になると幽霊が出るとの噂があるが、誰かが確かめたという話は聞かない。 草タイプのポケモンをよく扱う彼は、何度も来たことがある ポケモン大学草ポケモン科二年生。それが彼の公的な職業名だった。 森の入り口には他にも学生が数人集まっていた。どうやらある授業の実習が行われるようだ。 おそらく友人は一人で受けるのに気後れして彼を呼んだのだろう。 そうだとしたら、あいつにも可愛いところがあるな、とタクは思った。 Gパンの後ろポケットに入っている携帯電話が振動する。確認すると彼を呼び出した当の本人からメールだ。 九時集合と聞いていたが、五分前になっても現れない。遅刻するという内容だろう。 そう思って画面を見たせいで、 一瞬、間違いメールではないかと目を疑った。 「今日動くの面倒で外出たくないから、代理出席お願いね」 例えば朝起きたら四十度の熱があったとか、身内で不幸があったとか、不可抗力によって授業に出られないことはあるだろう。 そういうときの友達だ。 時には協力し、助け合い、コミュニケーションを取りながら協調性を身に付け社会へ巣立っていくのではないか。 この文章はそういった人と人との繋がりをぶち壊す、恐ろしい破壊力をもっている。 極力良い方向に考えようとしたが、誰がどうみてもこの内容。理解できない方がおかしい。 「冗談きついぜ」 と返信しようと思ったが、口に出してしまったので携帯を閉じた。 そういえばこの友人はそういう人間だったかもしれない。 彼の沸点は非常に高いにも関わらず、すでに相転移を起こしかけている。 もっと気圧が高い場所へ行った方が良い。発電所などどうだろう。三百度ぐらいまで持つと聞いたことがある。 そんな冗談を考えるだけで、彼の感情の高ぶりは冷めていく。だんだん、あいつもしょうがない奴だな、と思えてくる。 彼はいつもそうだった。高ぶった感情はすぐに冷めてしまう。 怒っても悲しんでも、次の瞬間まるで何もなかったかのように振舞うことができる。 おかげで利用されたり馬鹿にされたりすることもあるが、彼はそうやって生きてきた。 担当の助教授が出欠表を配っている。彼は一枚受け取りポケットにしまった。 どうやら今回の授業はナゾノクサの生態というテーマでフィールドワークを行うらしい。 助教授の説明は学術書に則った緻密で分かりにくいものだったが、学問的に成果の必要な実習であるため仕方がない。 タクは慣れない専門用語を聞きながら、メモをとっていた。 十五分ほどで説明は終わったが、元々タクはこの授業をとっていないため、若干内容に不安がある。 しかし単位をとるのは彼ではない。細かいことは気にしないで良いのではないか、と軽く考え参加することにした。 友人には悪いが、レポートは出せないかもしれない。 助教授の説明を聞き終えた学生達はバラけだす。出欠表を受け取って帰る者、真面目に質問する者、森の奥へ進む者。 タクは後者で、森の奥へ進んでいった。 レポートより何よりまずは観察対象であるナゾノクサを探すところからだ。 ナゾノクサは夜行性であり、昼間は根っこの足を地面に埋めて、動かないことが多い。夜歩き回ってタネをまくのである。 そのためこんなに朝早くからナゾノクサを探したところで動くやつなどいない。みな地面に埋まって睡眠をとっている。 動かないポケモンを観察したところでどんな成果が出るのか、と思うかもしれないが、 夜のナゾノクサは研究が進んでいて、昼間のナゾノクサの方が詳しい生態が分かっていないのだ。 何か新しい発見があれば大変な成果となるだろう。 ただ、昼間は寝ているだけでした、というレポートが沢山提出される可能性が高い。 その分、助教授も採点が楽である。それも一つの狙いかもしれない。 タクが一人で歩いていると、森の一角で地面に埋まっているナゾノクサの集団を見つけた。 五、六匹が固まっている。じっとしていて動かない。昼間にこんな明るいところで眠れるのだろうか。 大学にも昼間寝て夜起きている人間がいる。体質なのだろうか、と彼は思った。 「もしかして、タク君?」 聞き覚えのある声をかけられ、彼は振り向いた。 麦わら帽子にモスグリーンの半袖カットソー。同色系のスカートをはいているためワンピースのようにも見える。 「あ、カナコさん。ども」 タクは頭を下げる。草ポケ科四年生。ハコベラのカナコ、とちょっと変わった呼ばれ方をする人だ。 彼の二つ上の先輩で、これまで何度か会って話したことがある。 「カナコさんもこの授業を受けていたんですか」 二年生から履修できる授業なだけに、四年生が取るのは珍しい。 「ちょっと単位が足りなかったの」 ゲンコツで頭をコツンと叩く仕草。 「え、カナコさんが単位不足? 意外っすね」 タクは頭脳明晰な先輩と思っていただけに、抜けた話を聞いて笑ってしまった。 彼女は草ポケ科の中でも優秀な学生で、ハコベラという称号をもらっている。 学科には四百人を越える学生がおり、上位七名に同じような称号が与えられる。 タクも同様の呼び名をもらっており、その関係でカナコに何度か会っている。 二人は近くの切り株に座ってしばらくナゾノクサを観察することにした。 ただ、ほとんど動かないようなので、大学の話、ポケモンの話など互いに興味がありそうな話をして時間を潰すことにした。 一番時間を使ったのは共通の友人についてだった。 草ポケ科の上位七名は、敬意の念を込めて七草と呼ばれている。タクとカナコ以外に五名いるが、誰もが一癖も二癖もある。 二人はまだましな人間だ、という話題だった。 ポッポが上空で何やら鳴き声を出している。フィールドワーク終了三十分前の合図だ。 タクが時計を見ると十一時になろうとしている。一時間半ほど話をしていたらしい。 結局ナゾノクサには何も変化がなかった。 「そろそろ戻りましょうか」 タクは立ち上がって言った。こんな実習で単位がもらえるであれば受講すればよかったと思う。 「そうね。でも待って、最後にちょっと面白いものを見て行かない?」 カナコが片目を瞑ってタクに向かって言った。 「良いですけど、面白いものって……」 何ですか、と聞こうとしたときにはカナコは既に先を歩いていた。慌てて後を追う。 森の入り口とは反対方向に進んでいる。西へ西へ、だんだん茂みが増し暗くなってくる。 カナコは立ち止まって、指をさす。茂みの奥に何匹かポケモンがいるようだ。 「これは……うっ」 鼻が曲がるほど猛烈な臭いがする。ざっそうポケモン、クサイハナ。口から垂れる蜜の臭いは二キロ先まで届くという。 そのポケモンが四、五匹、木陰に転がっている。 「図鑑で見たことはあるけど、本物は初めてですよ……ひどい臭いですね。こいつら」 カナコはタクを一瞥した。 「そうかもしれないわね」 きれいな森が一瞬にしてドブ川のようなイメージになった。嫌な臭いに包まれている。 「これも外敵から身を守るために必要なんですよね。とにかく行きましょう。この場所はちょっと……」 タクは顔をしかめてカナコに言う。 「そうね。本当にひどい臭い」 タクは耐えられなくなって、急いでその場を離れた。カナコはその後をゆっくり追う。 面白いものってあのポケモンのことだったのだろうか。 確かに珍しいかもしれないが、タクは面白いとは思わなかった。 森の入り口では助教授の下に学生が集まっていた。 タクは出欠表に友人の名前を書いて提出する。幸いにも全くばれていないようだ。 カナコも助教授に紙を提出する。知り合いなのだろうか、一言二言話をしている。 タクはこの後、そのまま大学へ行くか、一度家へ戻るか考えていた。 授業があるので、どちらにしろ大学に行くのだが、昼食を家でとれば小遣いの節約になる。 そんなことで悩んでいた彼に、話の終わったカナコが近づいてきた。 「途中まで付き合わない?」 帰り道、カナコが急に立ち止まり森に向かって指をさす。 「ほら、あれ」 森の中から、一箇所紫色の煙のようなものが流れて見える。先程クサイハナがいた場所に近い。 「あれって、もしかしてさっきの臭いですか? いや……まさか毒気?」 さすがに臭いに色は無いだろう。ハクタイの森に毒ポケモンは多いと聞いた事がある。 風に乗って、森の近くの道路まで飛んでいるようだ。 「フラワーポケモン、ラフレシアよ」 カナコはタクに対して言った。 「あの、毒花粉を撒き散らしながら歩くっていうポケモンですか? アレルギーを引き起こすとか」 本やテレビで見た事はあるが、実物は見たことが無い。 「そう、さすがに知ってるのね。あれは毒気、さっきのクサイハナの臭気を合わせて、ちょっとした問題になってるの」 カナコはまた歩き出す。 「へぇ、そうなんですか。知りませんでした」 まるで公害だな、とタクは思った。ポケモンにも有害なやつと、無害なやつがいる。 ゴーストポケモンや毒ポケモンは人にとて有害なことが多く嫌われがちだ。 草ポケモンではあるがクサイハナとラフレシアも毒タイプを有している。 このような事態を引き起こしていれば同じように有害なポケモン扱いにされるかもしれない。 「あ、あれは何ですか?」 森の入り口から離れたところに何やら黒い山が見える。緑ばかりの木々の中では不釣合いな情景だ。 「ちょっと寄りましょうか」 カナコに誘われ、タクは回り道をして森に戻っていった。 遠くからみた山のようなものは、ゴミの集まった姿だった。 木に隠されたように捨ててあるそれは、壊れた机やらタンスといった家具からテレビ、電気製品まであらゆる日常品に及んでいる。 不法投棄。ハクタイの森にこんなゴミの山があるなんて、とタクは驚いた。 何年も雨ざらしになったであろうガラス、表面が剥げ変色している木目だけではない。 まだ使えそうな自転車や、汚れていない掃除機、古い物からつい最近捨てられた物まである。 「これはひどいですね」 タクは軽いショックを受けた。よくこのきれいな森に対してこんなことができるものだ。 反面、当然かもしれないな、とも思う。生まれたときから周りには物が沢山あって、気がつくと無くなっている。 いつもどこへ消えているのか疑問に思っていた。 その答えがこんなつまらない事実だと知ったのはいつからだっただろう。 知っていて気付かない振りをしていただけだ。 こうでもしないと処理できないほど、ものが捨てられているのだろうか。だからといって、捨てていいという問題ではないが。 「必要悪ってやつですかね」 ここに捨ててある物のおかげでどれだけ生活が豊かになったか。反面、不要になった物は捨てるしかない。 タクは自分の言ったことがひどく冷たいセリフのような気がしてカナコを見た。 「そうね」 特に表情に変化はない。表情に陰りがあるように見えたが、ほんの一瞬だったので分からない。 カナコが見せたものが面白いものかどうかはともかく、半日一人で暇にならなくて良かった、とタクは思った。 その日の午後、タクは家に戻らず大学に行き四限目の授業に出席することにした。 カナコとは大学まで一緒に来たが、教授の手伝いがあるとかで先ほど別れた。 丁度お昼どきだったこともあり、食堂は学生でいっぱいだ。生協でパンとコーヒーを買った。 次の授業が行われる教室は広い。 教壇の前に二十列を越える机が並んでおり、一列当たり五人掛けの机が四つほど並んでいる。 ざっと計算しても四百人以上が座れる場所で、草ポケ科では最も大きい教室だ。 タクはいつも座っている真ん中より少し前の席へ座った。隣には見覚えのある顔、午前中、実習をタクにまかせた張本人がいた。 サヤはタクを見て手を振る。口には煎餅を加えている。タクはそれを横取りして食べた。 「うわっ、いやらしいな〜。間接キッスだよ、それ」 サヤは横目でタクを睨む。 「お前がくわえていたところは捨てる」 タクは一口だけ食べると、食べかけの部分は買ってきた袋に突っ込んだ。 「うわっ、勿体無い! それなら食べなきゃいいじゃん」 全くその通りだ、とタクは思う。別に怒っているわけではない。冗談のつもりだ。 だが、今朝の会話を思い出して、少し切なくなった。無駄に捨てるとはこういうことか。 サヤはくどくどと食べ物大切さを熱く語っていたが、彼の耳には届いていない。 「今朝の実習でカナコさんと会ったよ」 別の話題に切り替える。 「え、本当? で、どうだったの。ほれほれ、お姉さんに言ってみ」 何がどうだったのだろう。それより腹が減ってしょうがない。タクは先ほど買ったサンドイッチを口にほお張る。 購入した店のカツサンドは美味しくてお気に入りだ。しかし彼以外の人が食べている場面は滅多に無い。 サヤは無視されたのが気に食わないらしく、口を膨らませている。タクが相手にしないのが分かると、また煎餅を食べ始めた。 「あ、カナコさん」 サヤの視線の先には、さっき別れたばかりのカナコがいた。教室に入って来て、こちらの方に向かってくる。 途中でタクとサヤに気付いて、軽く笑いかけてくれた。 「本当だ。もしかしてこの授業も取ってるのかな」 「まさか。これまで出てるとこ見たことないよ」 カナコは教壇の方まで行って、机の中から何やら資料を取り出し、パソコンとプロジェクターを繋いでいる。 どうやら教授の助手として来ているようだ。先ほど言っていた教授の手伝いのことだろう。 続いて教授が教室に入ってきた。教授が教壇につくと丁度チャイムがなる。プロジェクターに資料が映し出された。 時間通りに授業が始まる。今回は草ポケモンの進化がテーマだ。 ナゾノクサ、マダツボミ、スボミーなど、何匹かの進化前のポケモンについて話している。 進化に必要な条件とは何か、進化のメリット・デメリットは何か、割と基本的な内容だ。 途中、クサイハナの話が出てきた。タクは今朝の出来事を思い出す。気分が悪くなりそうだった。 「カナコ君、頼む」 教授に言われて返事をしたカナコはモンスターボールを投げポケモンを繰り出す。 「!」 それを見たタクは立ち上がってしまった。出てきたポケモンはクサイハナだった。 今朝の出来事を思い出しすぐに後ろの席へ移動しようと思ったが、なぜか強烈な臭気が感じられない。 もしかしてレベルが高いとコントロールできるのだろうか。 「君、何か質問かね」 突然立ち上がった学生に、教授はちょっと驚いたようだ。 「あ、いえ、すみません」 タクはすぐに座り直した。一人で立ち上がってかなり恥ずかしい。隣では友人が笑いをこらえている。 今朝のインパクトの強さから、クサイハナはすべてとてつもない臭いを出すのだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 タクは後でカナコに聞いてみようと思った。 今日は五限目が無い日だ。サヤはバイトがあるとか言ってさっさと帰ってしまった。 残されたタクは教室で後片付けをしているカナコを手伝いながら、先程のポケモンについて聞いてみた。 「きれいな土と水、それだけよ」 カナコは笑って答えた。 「どうして野生のポケモンがあんな臭いを出していたのか分かる?」 慣れた手つきで資料を片付けたカナコは、片手をあげ指を一本タクの前に出し尋ねた。 タクは少しだけ考える様子をみせ答える。 「あの付近は土と水が汚れているんですね」 タクはようやく理解した。ポケモン自身が問題なのではなく、その周りの環境が問題なのだ。 「同じポケモンでも住む場所によってこんなに違うんですね。カナコさんのポケモンは育ちが良いわけだ。さすがです」 カナコは苦笑いをして少し溜息をつく。 タクは褒めたつもりだったが、カナコの反応が意外だった。まずいことを言ってしまったのだろうか。 「ま、そうだといえばそうなんだけどね。ねえ、もし良かったら今晩ちょっと付き合ってくれないかな」 「え! 今晩ですか?」 短い人生であるが、経験上このような場面で簡単に返事をしてハッピーエンドになった試しはない。 そもそも何故誘われたか分からない。 しかし、ちょっと期待してしまう。何を期待してるかと言われると困る。そういうものなのだ、男の子は。 タクは時間と場所を確認して、教室を後にした。 夜、ロマンチックな場所といえば公園が上げられるが、森と言われるとどうだろう。なかなか渋いのではないか。 そのなかなか渋い場所にタクとカナコはいた。街灯と月明かりがあるため、それほど暗くはない。 「カナコさん……」 タクの胸にはもうドキドキ感など無かった。明らかにそんな雰囲気ではない。カナコの真面目な表情からも分かる。 「ハクタイの森の一部では、水や土の汚染が進んでいるわ。 外観上はそれほどではないけど、ここ何年か観察していてそう思わざるを得ないの」 カナコはゆっくり歩きながらタクに語っている。 「それで、ポケモンが影響を受けている、というわけですね」 タクは闇の中並んで生えている草木を眺めながら、カナコの話に受け答えをする。 話を聞くと、臭気と毒気のせいで、街の子ども達や、農作物などに影響が出ているらしい。 「ちょっとした問題になっている、という話ですね」 これまでは何とか黙認してきたが、そろそろ無視できないレベルにまでなっているという。 「実はね。今日、ちょっとしたイベントがあるみたいなの」 押し殺したような声で言う。 「ちょっとしたイベントって……」 「来た」 ハクタイシティから森の入り口に向かって三人の大人達がやってくる。先頭の男は尾に炎を持つリザードを連れていた。 「こんばんは、どちらへ」 カナコは話しかける。屈託の無い笑顔であったが、昼間ならいざ知らずこんな時間に挨拶をするのも変な話だ。 先頭のリーダーらしき人が答えた。 「最近、この森から発生する毒気やら悪臭やらが酷くてね。どうもポケモンのせいらしいんだ。それで退治せにゃならんからな。 知らないかい? 森にいるクサイハナとラフレシア」 リザードの後ろには、マグマッグとマグマラシ、炎タイプのポケモンが控えている。 なるほど、炎ポケモンで強制的に立ち退かせるのだろう。 タクは考えたが、賛成しかねる内容だと思う。こちらの都合でポケモンの住処を奪うなど、身勝手すぎる。 だが、街の人たちにとっては公害になっているのだ。元を正そうとする気持ちはわかる。 とはいえ原因の源は土を水にあるため、ある意味あのポケモン達も被害者にあたる。このような実力行使は幾ら何でもあんまりだ。 「本気ですか? ポケモンは生き物ですよ」 タクは口をはさむ。 「仕方ないだろう。もう街への影響は出始めているんだ。 さあ、下がりな。子どもが出る幕じゃない。それとも何か、お前らに何かできるのか」 大人達はポケモンを連れて森に入っていこうとする。 「ちょっ、ちょっと待ってください。それ誰が決めたんですか? 貴方達にそんなことをする権利があるんですか?」 タクは大人達に質問する。彼らはタクに書面を見せる。 ハクタイシティ町長から発行された書面でこう書いてある。 ハクタイの森の臭気、毒気の原因の排除を依頼する。 「町の議会で決まったことだ」 あまりに単純な内容に、タクは拍子抜けした。 大人達はタクのとサヤを通り過ぎて、森に入っていった。 「カナコさん……」 タクは助けを求めるかのように彼女を見る。 カナコはため息をつく。 「あのゴミの山を必要悪って言っていたけど、もしかしてこれもそう?」 カナコはモンスターボールを投げ、クサイハナを繰り出した。クサイハナは足を地面に突き刺し、何かを吸い取っているようだ。 そして、クサイハナはミツを吐き出した。強烈な臭気。今朝の野生ポケモンが出していたものと同じだ。 タクはカナコの変化に気付いた。 さっきまで笑顔で挨拶していた顔が、そして今も笑顔のはずなのに、どうして涙が流れているのだろう。 カナコはタクと逆の方を向いた。 「あの子達は被害者じゃない。あの子達なりの方法なのに」 段々、声が小さくなってくる。 「え? それはどういう……」 そのとき、一陣の風が吹いた。強い風だったため、何枚もの青々とした葉が舞い散る。 どういう意味ですか、と尋ねようとしたタクの思考が加速される。 トレーナーにとって大切なものはポケモンの知識や、バトルの経験だけではない。ある重要な要素がある。 今朝森の中を歩いてどう思ったか、カナコの発言を聞いて何を考えるか、彼女のポケモンを見て何を感じるか。 感性。 言葉の通じないポケモンとの意思疎通は、態度や思いやりで伝えるしかない。 どんなにバトルや学問が優秀でも、ポケモンと気持ちが通じ合わなければトレーナーとはいえないだろう。 タクは祖父から聞いた昔話を思い出していた。タイトルは覚えていない。しかし強烈なイメージだった。 確か森が毒をばら撒いていて、人間はそれを焼き殺そうとする話だ。しかし、森自身は毒を持っていなかった。 何故、ハクタイの森のラフレシアとクサイハナはあんなに毒気と臭気を帯びているのか。 何故、カナコのポケモンと違うのか。 (きれいな水と土、それだけよ) カナコのポケモンはきれいな水と土で育った。だからきれいなままだ。 ハクタイの森のポケモンはどうだ。あの毒気と臭気は何処から出ているのか。もちろん水と土が原因だ。 (あの子達は被害者じゃない) どうして彼らはずっとそんな悪い環境の中に住んでいるのか。 ポケモンが毒気と臭気を撒き散らしているのではない。ポケモンは被害者なのではない。 今目の前で見たクサイハナの行為は一体何だろう。タクは思いつく。 彼らは土の毒気を、水の臭気を取り除こうとしているのだ。浄化して元に戻す。自分の身を犠牲にして。 視界に突然明るい光が入ってくる。先ほどの炎タイプのポケモンの技だろう。 悲鳴のような鳴き声。視界に光が瞬くたびに、とてもかすかだが聞こえる。 ポケモンが自分の身を犠牲にしているのに、人間がポケモンを焼き払おうとする。 ポケモンを害のあるものとして殺し、土を、水を殺そうとしている。 そんなことをするはずがない、そう思いたかった。 身体は勝手に動いていた。森に入り、小道を駆け抜ける。 前方には三人の男と三匹のポケモン。その先には炎とそれに焼かれるラフレシア。 「うおおおおおーーーーー!」 タクは滅多に怒らない。自分でもそう思っていたし、無意識のうちにそう心掛けていた。 自分の叫び声が、全く別の人の声に思えた。まるで別の自分がいるみたいに。 タクはキモリを繰り出し、技をしかける。 「キモリ、でんこうせっか」 リザードに背後から一撃をくらわせる。不意の一撃にリザードは正面から地面にぶつかった。 「おぉ、おぉ、兄ちゃん、威勢が良いねぇ。ポケモンが可哀相かい。そうかいそうかい。 おれもそう思うけどなぁ、仕事は仕事だ。おい!」 マグマラシがキモリにひのこを繰り出す。得意の素早さでかわしたところに、待機していたマグマッグのふんえんが襲い掛かる。 キモリはふんえんを恐れず真正面から技の中に突っ込み、マグマッグにでんこうせっかの一撃を加える。 すかさずマグマラシの方へ向き速攻をしかけた。二匹ともでんこうせっかの動きについてこれず倒れた。 「兄ちゃん、怖いもの知らずだな。やっぱり若いってことかい」 リザードが既に起き上がっている。 「キモリ、でんこうせっか!」 「リザード、こわいかお!」 キモリの速攻も、正面からではリザードに対抗できない。簡単にキモリの攻撃は読まれ、爪で切り裂かれる。 すんでで交わしたものの、相手も素早さは高い。 「リザード、火炎放射」 キモリは左右交互に避けながらリザードに近づく。 だが、リザードに近づくほど火炎放射の出るスピードが上がり一定以上近づけない。 防戦一方、そうこうしているうちに、マグマラシとマグマッグが起き上がる。 「ここはリザードでやるから、お前らは先に行っとけ」 タクは二匹目を繰り出そうとしたが止めた。 二匹同時に展開すると、あの二人を止めることはできてもキモリはリザードに勝てないだろう。 ポケモンバトルは通常一対一が基本だ。二対二も公式にあるが、実際に二匹に指示をすることは難しい。 例え一対二であっても、相手によっては同時に二匹に指示できずに負けることがある。 タクはきちんと自分の力を認識していた。一匹ずつやるしかない。 目の前のリザードを倒す方法、タクの頭の中はそれでいっぱいだった。 二人の男達はキモリとリザードを残し、別の場所にいたクサイハナのエリアに来ていた。 作業を始めようとしたとき、カナコが現れる。 「ごめんあそばせ」 どういう意味だと二人は顔をあわせる。今時そんな言葉を使う人はいない。 「三対一と二対一は天と地の差があるの。お分かり?」 二人は再度顔を合わせる。 「どんなに優秀なトレーナーも、三匹同時に指示を与えることはできない。」 カナコはラフレシアとクサイハナを繰り出す。 「おいおい、姉ちゃん、それで本当にやるつもりか。俺達も素人じゃないぜ」 繰り出されたマグマラシとマグマッグの体中からは炎がほとばしっている。 ポケモンバトルで相性を無視することはできない。この対決を見る人は無謀だと言うだろう。 カナコに余裕はないが、勝算はある。カナコはラフレシアとクサイハナを撫でて、指示を出す。 「絶対にゆるさない」 その一言が語るカナコの決意は、二体の炎ポケモンよりも熱く燃え滾っていた。 キモリはジリ貧状態だった。 でんこうせっかは効かない、ソーラービームを打つ暇はない。 光合成で回復しながらの戦いだったが、昼間ならまだしも月光での回復はたかが知れている。 疲労困憊のキモリに対し、リザードは余裕を持って追い詰めていく。 火炎放射がキモリを捕らえる。とっさに右方向に飛ぶも左足が焼かれた。 「キモリ!」 すぐにやけどなおしを塗る。しかし、すぐに動けるような傷ではない。 「このぐらいにしといたらあ」 動けなくなったキモリを確認すると、男はリザードに別の指示を出す。 毒気を撒き散らすラフレシア達に、容赦なく襲い掛かる火炎放射。 彼らの得意な痺れ粉も眠り粉も、炎の前では何の効果も出ない。 悲痛な泣き声も一瞬だ。 「やめろ!」 タクは男に向かって叫ぶ。 ポケモンは、彼らは生きてるんだよ。そして、水と土をきれいにしている。 あんた達が汚したのに! 俺達が汚しているのに! 彼らは自分を犠牲にしているのに…… 「仕方がないんだよ。お前もガキじゃない。分かるだろ」 男はタクを見てため息をつく。しかし、その顔にラフレシア達への同情や悲しみなどない。 その男にとって今いるポケモン達に対する仕打ちは、本当に虫を踏み潰したかのような、その程度の価値なのだ。 タクは考える。ここで何もできなかったらここにいる意味がない。何とかリザードを倒す方法を。 ラフレシア達を見る。彼らもこちらを見ている。暗くて表情は分からないが、目が合った。 タクの瞳は涙を零した。研ぎ澄まされた神経が一つの回答を導く。 タクの心は涙を流した。これから起きる光景に対して。 「キモリ、頼むよ。最後なんだ……ソーラービーム!」 キモリは動けない状態であったが力を溜めている。体力はもはや三分の一、一撃で決めなければならない。 「全く。おい、リザード、火炎放射だ。手加減はいらない」 今までで最大の炎がキモリを狙い撃つ。 リザードの口から放たれた炎は周りに飛び交う花びらを焦がしながら向かってくる。 ゆっくりと、ゆっくりと。 キモリの前に花の壁ができる。その壁が火炎放射からキモリを守った。 飛び散る花びら、焼け散る花びら、一つ一つが命の輝き。 そこには二つの感情。 涙が止まらない者がいる。 犠牲になるものを見て笑っている。 この光景は美しいものだろうか。花びら達は犠牲になって幸せだろうか。 そういえばリーダーはこんなことを言ってたっけ 「より大きな目的のために自分を捨てること。それが犠牲の本質だよ。その目的が正しければ、犠牲は自分を磨いてくれる」 リザードの炎が尽きたとき、キモリのソーラービームが命中する。 とはいえ、リザードには効果は今一つのようだ。男もそうタカを括っていた。 新緑はその余裕と自信を吹き飛ばす。 どんなに厳しい冬も春が訪れるように。芽吹き、萌える草花。 どんなに困難な壁も吹き飛ばせるように。育み、成長する草花。 風は微かな香りを残して過ぎ去った。最後に立っているのは、タクとキモリだけだった。 涙は止まってしまったが、悲しみの気持ちはいつまでも残っていた。 タクは怪我などしていないし、身体の調子は森へ来た時と変わっていない。傷ついたのはポケモンだけだ。 キモリにきずぐすりを塗っていると、周りからポケモンが寄ってくる。 ナゾノクサが何匹も集まり、亡くなったラフレシアから花びらを少しずつ集めているのだ。 世界一大きな花びらも、焦げて真っ黒になっていた。焦げていない花びらも小さく、薄い色になっている。 「ごめん」 タクは呟いた。結果的にラフレシアは一匹残らずいなくなってしまった。 タクがいてもいなくても同じ結果だったかもしれない。 感情が高ぶり、頬を暖かいものが伝う。こんな顔、誰にも見せられない。 一匹のナゾノクサが寄ってくる。 「あなたにあげるって言ってるわ」 いつの間にかカナコがいた。彼の後ろの木に寄りかかっている。 タクはナゾノクサが渡してくれたものを受け取る。ラフレシアという名の花束。何よりも重く、暖かい。 風が吹き、月が照らす夜。失ってしまったものはもう戻らない。 しばらく花束を抱きしめているタクだったが、 焼けていた土の下から、ぴょこっと草が生えてきた。 生まれたばかりの緑の葉に、黒くて丸い顔、そして赤くてつぶらな瞳。 その純粋さに彼は希望をもらった。 「はは、初めまして」 タクはそのナゾノクサに触れ、そっと撫でた。 命は消えるのではなく、永い眠りにつくだけだ。 身体は滅んでも、魂は引き継がれてゆく。 永遠に循環する生命たちに、引き継がれてゆく。