追跡




 白い息を吐いて、カヤマは空を見上げた。
 下弦の月が、鋭く光る星々を圧倒して冷たい光を投げ落とす。
 砂は白く、照り返しが周囲を影が落ちる程の明るさに保っていた。地平線まで続くなだらかな砂の丘の連続は時の止まった海原に似て、小島の様な藪と立木は夜風に揺れて星空を瞬かせる。
 カヤマは景色の中で最も深い影だった。眼だけが白く輝き、瞳は濃い闇色。光を呑む黒の外套は未だ昼の太陽熱を留め、仄かに温かい。
 きつく編み込んだ髪の隙間を微風が抜ける。転がる砂の音が耳を撫でる程の静寂。

 不意に、後ろで何かが強く光った。一瞬、影の向きが変わる。
 カヤマは息を殺して振り向いた。外套の内側で黒檀の杖を強く握り締め、眼を凝らす。
 青白い光と黄の光が続けざまに、ふたつ先の砂丘の陰で瞬いた。僅か遅れて、金属が灼き切れるような音が遠く響いてくる。
 カヤマはすぐさま駆けだした。夜の冷気が喉を擦り、吐息は白く渦巻く。あの砂丘の陰には、確か……街育ちの少年がひとりでキャンプしていたはず。悪い予感が徐々に膨らむ。
 風を裂いて、耳慣れない嘶きが砂丘の陰から聞こえた。戦いの予感に総毛立つ。カヤマは杖を握ったままの手でモンスターを入れたボールに触れ、がむしゃらに速度を上げた。


 砂丘から見下ろしたそこは無残に踏み荒らされていた。ボロボロに裂け、焦げて崩れたテントが眼に付いた。
 息遣いさえ聞こえそうな生々しい痕跡と裏腹に、生き物の気配は、無い。
 砂についた跡が数呼吸前の光景を語る。
 テントから這い出た位置に、少年の小さな手形。手を付いて立ち上がった跡だ。向き直ったその先に、カヤマが見たことの無い大きな足跡が二種類。
 ひとつは少年と同じ方を向いた、三つ指の鳥の足跡。体重は少年より少し軽い。背の高さも少年と同じくらいだろう。目の前の存在に注意を向けつつ背後の少年を意識した、そんな重心の掛け方を示して砂が沈んでいる。すぐさま駆け寄れる態勢。
 そして相対するもうひとつは、砂を深々と剔る中空の蹄の跡。重量はカヤマ以上だ。しかも、野生の動き。
 カヤマは眉間に皺を寄せて僅かに首を傾げる。砂漠の蹄あるモンスターはまず人が連れている。野生が居るのは、遙か冠雪山脈の麓の平原だ。餌もないこんな砂漠に深入りしてくる事など無い。
 けれど、何も身に付けず、強い警戒心をみせる単独の歩調は、近くに心を預ける者がいないことを示している。
 蹄の跡はテントに向かい、立ち止まる。前傾で首を下げる。水を呑むのに近い動作。そして一気に身を翻し、砂を蹴って鳥の足跡と交差する。
 少年の靴跡が駆け寄って鳥の足跡と並び、鳥が体を傾け、少年が砂を蹴って踏み切る。鳥の重量が一挙に増し、少年の靴跡が消える。数歩を経て、穴と呼べるくらいに深く穿たれた鳥の足跡から蹴られた砂が放射状に広がって、同じく速度を増した蹄の跡を追って続いていく。
 随所にある着弾跡を杖で掘り返してみたが弾らしきものは無く、物質ではなくエネルギーが放たれたのだとカヤマは想像した。恐らく、あの光の源。
 血痕や身体を引き摺った跡は無い。未だ誰も傷付いていない。
 僅かに安堵の息を吐いて、カヤマは崩れたテントへと引き返した。
 捲ると、少年の鞄と赤い携帯端末が砂に埋もれて転がっていた。
 水も食料もGPSも置いて行くとは。砂に残された少年の迷いの無い動きに自然と抱いた敬服の念と同じだけ、懸念が胸をざわつかせる。自殺行為だ。
 カヤマは息詰まる思いで端末を拾って鞄のポケットに入れ、外套の内側で肩に掛けた。あの少年に追いついて、届けてやらねばなるまい。


 星が薄れ、空が薄青に染まってくる。
 風が強くなってきた。夜明けが近い。
 カヤマは鋭く息を吐きながら、執念で駆け続ける。
 風に運ばれた砂が足跡を埋めていく。
 くっきりと穿たれた二種の足跡は、半ば飛ぶような歩幅で伸びている。カヤマの全力を遙かに上回る速度だ。その歩調は未だ衰えを見せないことから、蹄の主も少年を乗せた鳥も息切れより前、ほんの短時間でここまで来ていたのだと示している。
 蹄の主は坂道を避けて、砂丘の谷間を縫うような針路を取っている。鳥の足跡は愚直にそれを追っている。迷いの無い走り方。開いていた距離まで正確にわかる。地形の凹凸にも構わず蹄の主に向かう直線を、小枝を踏み折り甲虫を踏み潰し駆けている。
 夜目が利かないのだ、とカヤマは考える。最初に見えたあの光は蹄の主が発したものだろう、少年を乗せた鳥はその光だけを真っ直ぐに追っていた、と考えると辻褄が合う。
 カヤマは足跡と平行に、砂丘を駆け登る。脈拍が万雷の怒号と化して頭いっぱいに響き、自分の呼吸だけが鮮明なまま音が失せたように感じられた。
 日が昇るまでに、とカヤマは足に絡む砂を蹴って上を目指す。
 やがて空の色に赤が混じってくる。
 砂丘の各所で虫や爬虫類が活動を始める。遠くには次々と砂から頭を出す野生のモンスターたち。
 カヤマは自分のモンスターを入れたボールを握り締めた。

 地平線から、日が、昇った。
 影が一斉に退いていく。
 一瞬にして見渡す限りの地が金色に覆われる。
 強く明暗を分けて、砂粒ひとつに至るまで鮮明に形を表す。
 くっきりと浮かび上がる足跡が、砂丘の上からはよく見えた。

 蛇行する影の鎖線の最先端に、居た。
 長く影を伸ばして駆ける、双頭を交互に揺らして駆ける鳥、その背にしがみつく少年、その前を駆ける馬。
 馬の鬣は鋭く尖り、白黒の縞模様が身体を覆っている。白毛の部分は鬣と同じく、黄色く明滅して輝いている。
 馬はその口に、丸っこい鋼のモンスターを咥えている。鋼のモンスターは、弱々しく左右のアームを動かすが何処にも届かず、電撃を発するも瞬く間に馬の白毛を山吹色に輝かせて吸い込まれてしまう。
 そしてその度、馬には力が漲っていく。
 電撃を喰らう馬……。

 カヤマは懐のボールを開けた。
 濡れた囀りを発しながら、象形文字の鳥が現れる。ぶわっ、と風が渦巻く。肉厚の幾何学形の鳥は、翼を示す記号を大きく羽ばたかせ、念力で空を飛んでいる。
「ルー・クィエ!」
 カヤマは並んで飛ぶ鳥を呼び、杖を身体に押しつけ握り位置を真ん中に移して、空に向かって突きだした。
「グライダーを頼む!」
 甲高く渦巻く声で応じたルー・クィエはその墨絵の様な脚でがっしりと杖を掴み、記号の羽を大きく羽ばたかせた。
 カヤマが砂を蹴る。ルー・クィエが風を呼ぶ。
 凍てついた大気は溶けて、気温が急激に上がりゆく兆しを、カヤマは肌で感じていた。
 カヤマの足が地面から離れた。風に包まれて、カヤマをぶら下げたルー・クィエはゆっくりと上昇する。
「あいつを足止めするんだ!」
 真っ直ぐに放たれたカヤマの声から目標地点を察して、ルー・クィエは風の丘を越えて急降下に転じる。
 身を切る冷気にカヤマは歯を食い縛る。
 日は地平線から離れ、空は澄んだ一律の青に染まっていく。
 うまい具合にふたつの砂丘の谷間を駆けゆく馬の前方に、ルー・クィエに提げられたカヤマは降り立った。
 馬は目を見開き、鋼のモンスターを咥えたまま呻るように嘶いて、半ば立ち上がるように両の前足を高々と上げて方向転換する。ザッと蹴られた砂が幕のように飛び散る。
 あの太く筋肉質な四肢に踏みつけられたら容易に骨も砕けるだろう。
 馬はひどく興奮していた。
 血が滲んだ口からは赤い泡を噴いている。
 後ろで、カヤマを目にした少年がぱっと表情を明るくして、双頭の鳥から飛び降りた。
 その直前の今にも倒れそうな様子が勘違いに思えるほど。
 カヤマは少年に向かって頷いてみせる。
 馬は神経質に前後の追っ手を睨み付けてぐるぐる回り、斜面に蹄を掛ける。
「コイルを返せえっ!」
 少年が叫び、双頭の鳥が砂を蹴って体当たりをかける。
 馬は鬣を眩く光らせ、発した放電の橋が双頭の鳥を撃った。
「ルー・クィエ、引き剥がせ!」
 カヤマはコイルを指して鋭く命じる。
 不可視の力がコイルを捻り引き上げ、抗う馬の血に塗れた歯が剥き出しになる。嫌な音を立てて、コイルが捻じ取られ、馬の前歯が一本、弾け落ちた。
 どさり、と双頭の鳥が砂の上に倒れた。
「ドードー、戻って!」
 少年は開けたボールで掬い上げるように双頭の鳥を納めると、すぐさまもうひとつのボールを開けて砂丘を駆け上がり、
「戻れ、コイル!」
 くるくる回りながら落ちてくる鋼のモンスターを受け止めた。

 馬が甲高く嘶き、激しく頭を振る。鬣の黄電がルー・クィエめがけて放たれる。
 カヤマは反射的に地に伏せる。
 辛うじて不可視の壁を形成し、ルー・クィエが浴びた黄電は半分ほどの太さに減じられた。けれど、記号の羽の動きが明らかにしなやかさを失う。神経が撃たれて痺れが残ったのだ。
 カヤマは立ち上がりざまに横に跳び、馬とは逆の斜面を駆け上る。頭上をルー・クィエが羽ばたいている。
 馬は頭を下げ、カヤマとルー・クィエに鬣を向ける。ばちばちっ、と黄電が輝く。
 嫌な汗がカヤマの首筋を伝う。
 手振りで少年に退がるよう促しながら、カヤマは馬の退路を開けた。
 けれど、馬はヒィヒィ喉を鳴らしながらも対峙を止めない。
「帰れ……!」
 カヤマは唸り、ゆっくりと黒檀の杖を振り上げる。
「立ち去れ!」
 歯を剥き出し、少しずつ声を荒げていく。
「失せろ!」
 咆えるカヤマに気圧されるように、馬はぶしゅっと鼻を鳴らして蹄で砂を叩く。
 そして、高く嘶いて後ろ足で立ち上がると、崩れるように身を翻した。
 走り去る馬の後ろ姿を、カヤマはじっと睨み続けた。

 馬が小指の爪より小さくなった頃、ようやくカヤマは腕を降ろした。
 振り向くと、少年が両手にモンスターボールを硬く握り締めたまま、カヤマを見上げ、強張った表情を破り捨てるかのように歯を見せて笑った。
 カヤマは笑い返すと、外套の内側から開いたボールを取り出し、掲げた。
「ルー・クィエ、戻りたまえ。お疲れさん」
 ぽす、と幾何学の鳥がボールに収まる確かな手応え。
 少年はようやく、ふぅう、と肩を落として両手のボールを腰のホルダーに納めた。
「助かったー」
「君は本当に勇敢な子だよ」
 カヤマは称賛の想いをそのまま言葉に乗せる。
「あ、そう?」
 恥ずかしそうに少年が首を傾げる。
「もちろん」
 カヤマは少年の後ろに続く、砂に刻まれた足跡を眺めて、晴れ晴れと微笑んだ。




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