僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る

 昔、とある詩人は書いた。
 人がそうやって作った道にはきっと足跡がつくんだろう。
 でも、僕の後ろには足跡は出来ない。



「トオル、何読んでるの?」
 ふ、と読んでいた本から顔を上げる。そこには幼なじみでトレーナーのミチルがいた。
「おかえり。……またずいぶんと遠くまで行ってきたみたいだね」
 旅から帰ってきたばかりなのだろう。汚れてこそいないもののこの前見たときよりも服がくたびれている。靴も大分ぼろぼろだ。短く切ってある髪は女の子なのに傷んでいる。
 僕の苦笑にミチルは痛みをこらえるような顔をする。別にそういう意味で言ったんじゃないけどな。でもミチルはすぐに無理やり笑顔を作る。
「うん、イッシュ地方まで」
 イッシュ。最近よく聞く言葉だ。なんでもカントーとは全く違うポケモンばかりが住んでいて、交通網も発達しているとか。
 本当に遠いところまで行ってきたんだな。
「ジムには挑戦したの?」
 分かり切っていることを聞く。
「……うん。3個ゲットしたよ」
 少しの間。それに込められた意味なんて分かり切っている。
 ミチルはどの地方でもバッジは2個か3個。ジムはそれぞれに難易度が決められている。たとえジムリーダーがいくら強くても、公式戦ではそのジムの難易度に合わせたポケモンでしか戦えない。それでもミチルは勝てない。いつもいつも。理由は簡単だ。使うポケモンが制限されようともジムリーダーそのものがトレーナーとして格上だから。
 そっと話題を変えた。自分から振った話題のくせに。
「ねえ、どんなとこ? イッシュ地方って」
 それから僕はミチルの見てきた色んなものの話を聞いた。大きな橋がいくつもあるとか、遊園地や博物館の中にジムがあるだとか、ヤマブキシティよりも人がいっぱいいる街の話とか。
 その一つ一つが新鮮だった。そりゃ、家に引きこもっている僕にはどんな話だって新鮮なのは当たり前だけど。
「そうだ、これお土産」
 そう言ってミチルがくれたのはきれいな鳥の羽と宝石。羽は橋で、宝石は洞窟で拾ったらしい。よくミチルはお土産として色んなものをくれる。いつだったかは貴重な炎の石をもらった。
「ねえ、ミチル。疲れてる?」
 願わくば声が震えていませんように。
「なんで?」
 ミチルは不思議そうだ。
「今日は天気がいいからさ。外に行かない?」
 顔に出やしないかと不安になりながら喋る。幸い、ミチルは気付かなかったようだ。
「い、いいよ。もちろん!」
 ミチルがいきなり叫ぶからびっくりする。ただでさえドキドキしている心臓が余計に暴れる。
「……びっくりした。じゃ、行こうか」
 パタン、と本を閉じる。
「いいの? せっかく読んでたのに」
「……いいんだ。どうせ暇つぶしだし」
 その言葉にまたミチルの表情がゆがむ。
 ごめんミチル。心の中で謝る。
 本を机の上に置いて、プクリンを呼ぶ。
「モモ。あれ取って」
 あれ、だけで通じるモモとは長い付き合いだ。僕が最初に捕まえたポケモンだから。
「そういえばモモ、進化させたんだね」
「うん、ちょっとね」
 ミチルの質問はさらりと流した。
「トオル」
 耳に届くのはミチルの固い声。
「車いす、押そうか」
 おずおずとかけられた言葉に僕は
「大丈夫。なるべく一人でやるようにしているから」
 笑顔を作って答えた。ミチルの顔は見えないふり。





 僕の進んだ後ろに、足跡は出来ない。

 5年、いや6年か。僕らが旅立ったのは。僕はポケモンリーグ制覇が目標だった。このことを話したのはミチルだけだ。他の人には無謀だと笑われそうだったから。
 僕はとりあえずジムバッジをすべて手に入れることを当面の目標にした。故郷であるこの街にジムはあったけど、すぐには挑戦せずにしばらく鍛えてから挑戦したっけ。
 ミチルは旅に出る必要は特になかったけど、色んな場所が見てみたいということで一緒に行くことになった。正直、一人で行くことに不安を覚えていた僕にはちょうどよかった。ミチルはポケモンの世話がうまくて何度もお世話になった。
 二人でよく行ったお月見山を越えてハナダシティへ、それからクチバシティで海を見た。タマムシシティでは何も買わないのにデパートであれこれ見て回った。
 それから、それから――――。




「トオル、どこまで行くの?」
 しばらくはお互いに黙ったままだったけど、ミチルが言う。秘密だと返してごまかした。代わりに今度は僕から話しかける。
「昔、少ないおこずかい握りしめてさ、博物館に何度も行ったよね」
 対して中身は変わらないのに。
「それからさ、トキワの森に行ったのに怖くて入り口で帰ったよね」
「そんなこともあったね」
 ミチルが懐かしそうにつぶやく。
「お月見山、何回も行ったよね。それでさ、ピッピを探したけど見つからなかったっけ」
 本当はミチルのために見つけたかったんだと言ったら、ミチルは驚くだろうか。
「そういえば、パラちゃん元気?」
 パラちゃんというのはミチルのパラセクトのことだ。僕がモモを捕まえてミチルが羨ましそうにするからミチルのために捕まえた。本当はピッピがよかったんだけどね。
「……ん、元気だよ」
 言い淀むミチル。パラちゃんのことを聞いたのはわざと。本当は元気かどうかなんて知ってる。母親経由で色々聞いているから。
 パラちゃんは時々ボックスから出されているらしい。新しいポケモンを捕獲するために、ね。
「ミチルはポッポのポーで僕はオニスズメのウィンだったよね」
 二人そろって鳥ポケモンを捕まえたこともあった。ポーは今、ほとんどボックスの中に入りっぱなしだと、これも母親経由で聞いた。
「トオル、何で昔の話ばっかりするの?」
 恨むような目で見られるかと思ったけどそんなことはなくて、ただミチルは悲しそうな目をしただけだった。
「え、何か懐かしくて。ミチルとこんな風に外で話すの久しぶりだから」
 言ってから、後悔する。また、ミチルの傷をえぐってしまった。ごめん、ミチル。
 一つ一つ拾い上げていく記憶はどれも痛みを伴う。誰のせいでもないのに。



 あの日、僕らは岩山トンネルに行こうとしていた。前日に雨が降って地盤が緩んでいるとは聞いていた。でも整備された場所だし安全だろうと思っていた。
 結果から言おうか。
 落石事故。僕はミチルをかばおうとして足を岩に押しつぶされた。他にも細かいことがあって、僕は動かない足を手に入れた。ただ、それだけの話。
 それ以来、夢を断たれた僕は親に当たり、ポケモンたちに当たり、そしてミチルに当たった。最低だったと、今なら分かる。でも当時はそれすらも分からなかった。
 外に出ることを拒んで部屋に一人で引きこもった。誰にも、僕の気持ちなんて分かるわけないと思っていた。
 そんな暗闇に閉じこもっていた僕に、ミチルは訪ねてきた。




「ミチル」
 声をかける。とうとう、だ。
「ここ?」
 不思議そうにミチルは尋ねる。そうだろう。ここは何もない空き地なんだから。
「うん」
 頷いて、そして
「ミチル、バトルしよう」




 突然訪れたミチルに僕は苛立った。ミチルは歩けて、僕は歩けない。それだけの理由。でもその時の僕にはそれがすべてだった。 長かった髪をバッサリ切ったミチルは僕に告げる。
「あのね、トオル。私、トレーナーになる」
 何を言いに来たんだと思った。嫌みをわざわざ言いに来たのかと。僕には出来ないことがミチルには出来るのに。
「トオルの代わりに、私が、トオルの夢をかなえるから」
 泣きそうになりながら、でもはっきりとミチルは宣言した。
「わたしの、せいだから。わたしのせいでトオルは夢をあきらめたから。だから私が代りにやるから」
 結局は泣きだしてしまったミチルはごめんと何度も謝った。

 あれからもう、3年になる。




「急に、どうして? それにトオル……」
「戦えるよ」
 戸惑うミチルにすかさず答える。
「ミチルがいない間、トレーニングしたんだ」
 いきなりの話にミチルは「でも……」と渋っている。
 僕は心を押し殺して言い放つ。
「ミチル、トレーナーなら挑まれたバトルは断らない、だろ」



 バトルのためにミチルから距離を取る。顔や行動に出ないように必死になっているけど、内心は震えている。
 勝てるだろうか? いくらミチルがあまり強くないといっても、現役のトレーナーだ。たかだか数カ月トレーニングしただけの僕らが勝てるのか。
 いや、それでも勝つ。負けると思ったら絶対に勝てない。
「レオ、頼む」
 出したのはウィンディのレオ。
「レオも進化させたの……!?」
 強くなるために進化させたんだよ、ミチル。
「ミチルにもらった炎の石、使わせてもらったんだ」
 さあ、始めようかミチル。
 でもミチルはまだバトルをためらっているのか、ポケモンを出す気配すらない。だから勝手に話を進める。
「ミチルは入れ替え有りでいいよ」
 つまり僕は入れ替えなしで戦う。圧倒的に不利だけど、それでもやる。
「でも……」
 ミチルの気持ちは痛いほど分かる。でも分からないふり。
「ミチル、早くポケモンを出して」
 酷いことをしている自覚はある。
「君は、ポケモントレーナーだろ!?」
 同じことをさっきよりも荒い口調で言う。ミチルは、はっとしたように僕を見て、唇をかむ。悩んでいた。ミチルはやがて決心したように腰のモンスターボールに手を伸ばす。
「ナマズン!」
 出したのは水・地面タイプのナマズン。確かにタイプ相性だけで言ったらミチルが有利。
 でも、甘いよミチル。心の中だけでつぶやいた。

 そういえばミチルは、僕の代わりにと旅立ってからポケモンにニックネームをつけなくなった。


 先手を取ったのはウインディのレオ。一気に距離を詰める。
「アイアンテール」
 得意の炎技は封じられたも同然だけど、それ以外にだって技はある。そのまま次の攻撃を仕掛けようとした時、突然地面が揺れた。
「じしん、か」
 空を飛びでもしない限り、逃れるのは難しい。
「そのままアクアテール!」
 ミチルが叫んだ。でもミチル、それじゃあだめだよ。そんな思いを込めて僕はレオに指示を出す。
「こうそくいどう。そして避けるんだ」
 レオはあっという間にその場を離れる。ナマズンのアクアテールは当然外れた。
「素早いポケモンに対してそれは難しいと思うよ」
 ミチルに静かに告げた。正直、さっきのじしんは結構効いている。でも僕もレオもそれを表には出さない。あくまで攻撃が効いていないふりで相手を揺さぶる。
「…………っ!」
 案の定、ミチルは引っかかる。そしてそれが表に出やすい。ミチルの悪いところだ。
 次の指示をレオに出す。
「しんそく」
 先制攻撃出来てなおかつ、強力な技だ。攻撃の手を緩めず一気に攻めた。
 ミチルは後手後手に回って、結局ナマズンはろくに攻撃もできないで倒れる。ただ、散発的に行われたじしんがレオにダメージを蓄積させている。次は危ないかもしれない。
 そう思ったそばから現れたのは相性最悪の相手だった。

「行って、ゴローニャ」
 最後に挑戦したジムが電気タイプだったらしいから、地面タイプを中心としたパーティで行っただろうなとは思っていた。だから地面タイプのポケモンが複数いるかもしれないことは予想していた。
 取り合えずレオにはアイアンテールを指示。効果は抜群のはずだけど、ほとんど効いたようには見えない。ゴローニャは高い防御力を誇るポケモンだ。倒すのには骨が折れる。
 対するミチルが出した指示は、まるくなる。ここから考えられるのは一つだ。一応、レオには離れるように言ったけど……。
「ゴローニャ、ころがる」
 やっぱりきた。高速で回転して相手にぶつかっていくこの技は、あらかじめまるくなるを使っておくと威力が上がる。おまけに厄介なのが時間がたつにつれてさらに威力が上がっていく。岩タイプの技だからレオには脅威以外の何物でもない。
 普通だったら入れ替えるところだけど、あいにく自分でそれを封じてしまっている。だからいくら素早いレオもよけきれず、地面に倒れ伏す。
「お疲れ、レオ。あとごめん」
 さて、次はヒューに頼もうか。
「ヒュー、頼む」
 出したのはカイリキーのヒュー。ヒューもミチルのいない間に進化させた。
 ゴローニャのころがるは継続中。
「ヒュー、クロスチョップで迎え撃つんだ」
タイプの相性も相まってか、力比べはヒューが勝利。そのまま勢いでゴローニャを倒す。

 次の相手はユンゲラーだった。格闘タイプのヒューにとってエスパータイプのユンゲラーは天敵といってもいい。唯一の救いはユンゲラーの防御がかなり低いことくらいか。
 一回のサイコキネシスで体力のほとんどを持っていかれた。お返しに一発クロスチョップをお見舞いしたけど、あえなく再度のサイコキネシスでKO。
 ごめん、ヒュー。心の中で謝って次の戦いへと集中する。
「行ってくれ、ウィン」
 ばさり、と大きな羽ばたきをして現れたのはオニドリルのウィン。一瞬ミチルの動揺が見えた気がした。
「ドリルくちばし!」
 一気に突っ込む。見事にユンゲラーにヒットしたおかげでユンゲラーは気絶。戦闘不能だ。ミチルの対応が遅れたおかげでもある。だからミチルは負けるんだよと思ったけど口には出さない。

 悩んだミチルが次に繰り出したのはバクーダ、だった。
 これは意外だ。さすがにもう地面タイプはいないと思ったんだけどな。でもこっちは飛行タイプのウィン。地面タイプの技は効かない。
 バクーダの噴火に襲われつつもウィンはひらりひらりと出来るだけよけた。それでもかすってしまう。おまけにかすっただけなのに火傷を負ってしまったみたいだ。地面タイプの技が使えないっていうのに出しただけのことはある。
 何とか地道にダメージを積み重ねて、ようやくバクーダは倒れた。とはいえ、ウィンも疲労している。次はきつい。

 思った矢先に現れたのはブニャット。太った見かけに比べ、かなり素早い。
 ミチルの様子をうかがう。冷静そうに見えるけど、焦っているのが分かる。ミチルはあと2匹。そりゃあ、焦りもするだろう。
「ブニャット、ねこだまし!」
 パン、とやたら派手な音。やられた。ウィンは思わずひるんでしまう。その間に近づかれ、ウィンは鋭い爪でのきりさくを受ける。
「ウィン!」
 僕の声にウィンははっとするけど、もう遅かった。崩れた体勢を元に戻せないままきりさくをもう一度浴びて、ウィンが地面に沈む。
「お疲れ、ウィン。ありがとう」
 次は、どうする? 正直なところ、僕の手持ちは始めから5匹しかいない。
 僕とミチル、それぞれ残り2匹ずつ。

「頼んだ、ライ」
 ボールから出てきたのはゴルダックのライ。モモは切り札として残しておく。
 ブニャットは素早さこそあるものの、それ以外はあまり高くない。とはいえ、ゴルダックの能力もそう高いわけでもない。勝負の行方がどちらに転ぶかは、分からない。
 結局のところ、消耗戦になった。ライがハイドロポンプを使えたら少しは変わったかもしれないけど、そこまでレベルを上げられなかったからしょうがない。じわりじわりとお互いの体力を削る。
 先に倒れたのはブニャット。ミチルの指示が若干遅いのが勝敗を分けた。

 とうとう、ラストだ。ミチルは必死に自分を落ち着かせようとしていた。ミチルが今何を考えているかは分からない。ただ、ミチルはバトルを放棄することはなかった。やめたいと思っていてもおかしくはないのにね。
 やがてミチルが繰り出したのは見たこともないポケモンだった。
「オノンド!」
 ミチルがそう言ったから名前がオノンドということだけは分かった。口の横に伸びているのは牙なんだろうか。不思議な容姿をしている。
 水、炎、電気はまず除外。草、氷でもなさそう。
 そこまで考えてとにかくやるしかないと気を引き締める。
「ライ、みずのはどう」
 まずは小手調べ。オノンドは水がかかっても平気そうだ。ということは何タイプだ?
「オノンド、ドラゴンクロー」
 オノンドが動く。ブニャット戦のダメージを引きずっているせいかライの動きが鈍い。体力を根こそぎ持って行かれた。ライは地面に倒れ込む。
 確定ではないけど、ドラゴンクローを使ったところをみるとドラゴンタイプかもしれない。水タイプの攻撃もあまり効かなかったことだし。

 最後の頼みの綱、プクリンのモモを出した。
「モモ、最後だ。頼む」
 もちろん! とばかりにモモが飛び跳ねる。
 さあ、やろうか。
「モモ、」
 予想が正しいか試させてもらおう。
「れいとうビーム」
 わざわざタマムシデパートで技マシンを買ってまで覚えさせた技。タイプ不一致だけどなかなかの威力で重宝している。
「オノンド、よけ……」
 ミチルの言葉が届く前にれいとうビームは命中。様子を見るに効果は抜群のようだ。動けなくなった所にもう一発。申し訳なく思ったけど、これはバトルだから。
 そしてオノンドは戦闘不能になる。
 ごめん、とミチルとそのポケモンたちに心の中で謝る。ごめんミチル。

 車いすの車輪を回し、前へ進む。ミチルの近くまで行く。
「ミチル。ミチルはさ、トレーナーに向いてないよ」
 残酷なことを言っているのは分かっている。でも、本当ならずっと前に正さなきゃいけなかったことだから。
 「ミチルは指示出すの遅いし、咄嗟の判断もちゃんと出来てない。ゴローニャとヒューが戦った時、交換した方がよかったのにミチルはしなかったよね。明らかに不利だったのにさ。それから、パーティもジム戦が終わったんだからもっとバランスのいいメンバーにしておけばよかったよね」
 僕が指摘する度にミチルは下を向いていく。それを見ていると心が痛んだ。
「ミチルは……向いてないよ。もうやめなよ、トレーナー」
 泣いているのかもしれない。俯いているせいでミチルの顔は見えないから分からないけど。もう何度目か分からないけど、ごめんと心の中でつぶやく。
 ごめんミチル。ごめん。
 息を吸う。これから僕はミチルを解放する。
「ねえミチル」
 努めて明るい声を出す。
「僕は、また旅に出ようと思う」
 その言葉を聞いた瞬間、ミチルは顔を上げた。ミチルはまだ泣いてなかった。信じられない、という風に僕を見る。
「今度こそ、リーグ制覇を目指すよ」
「……な、んで」
 ぽつり。ミチルの口からこぼれる言葉。
「なんで……!? わたし、何かした? わたしがちっとも勝てないから? ねえ、トオル」
 ミチルの肩が震えている。出来ることならその肩ごと抱きしめてしまいたい。車いすから見上げるばかりの僕には出来そうもないことだけど。
 確かにミチルが勝てないからではあるけど、でもそういうことじゃないんだ。
「そうだけど、そうじゃないんだ」
 今にも泣きそうなミチルの顔が胸を締め付けて苦しい。
「ごめんミチル。ずっとごめん。ミチルがトレーナーになりたくなかったこと知ってたのに、僕なんかのためにやりたくもないことさせて、本当にごめん。ミチルだって苦しんでいたのに、八つ当たりしてごめん」
 ずっと謝りたかった。でもただ謝るだけじゃ、ミチルはトレーナーをやめたりしない。そのことが分かっていたから、こうするしかなかった。
「もういいんだ、ミチル。戦わなくていいんだ」



 ミチルは帰ってくる度に表情がぎこちなくなっていった。昔はそれこそ太陽のように笑っていたのに。いつしかその笑顔は曇って、作り笑いしか見ることがなくなっていた。
 でも、僕には何も言えなかった。だって、そうさせたのは僕だから。
 どうしたらミチルを元に戻せるのか、考えた。僕がミチルを縛りつけているというなら、解放しなくちゃと思った。
 考えて考えてようやく思いついたのが、僕がもう一度トレーナーになるということだった。そうすればミチルはしたくもないバトルを続けて傷つくこともなくなる。
 そのために一人で何でも出来るように訓練を始めた。もちろん全部は無理だけど、ヒューやライ、モモの力を少しだけ借りて出来ることを増やした。
 それと同時にバトルの腕も磨いた。リーグ制覇を目指すなら当たり前の話だけど。ポケモンセンターに通ってトレーナーたちに勝負を挑んだ。久しぶり過ぎて始めのうちは負けてばかりだった。でも、繰り返すうちに少しずつ勝てるようになった。
 そして、今日。ミチルにポケモンバトルを挑んだ。僕はミチルに勝って、ミチルに告げると決めていた。
 もう、戦わなくていいって。
 僕らはあの日以来、一歩も前に進んでいないんだ。あの出来事に縛られて、迷走して。それこそ、足跡が見えるなら同じところをぐるぐると回っていただけ。ちっとも前に進んでいなかった。だから、僕もミチルも前に進むべきなんだ。



 これでミチルは解放されると思った。なのに。
 どうしてミチルは泣きそうな顔をしているんだろう。
「わたし、トオルに嫌われたくなくて……! 頑張ったよ? でも、やっぱりだめ?」
 とうとう泣きだしてしまったミチルを慰める方法なんて、僕は知らない。
「トオルは、わたしのこと嫌い?」
 焦げ茶色の瞳から流れる涙はさっきミチルにもらった宝石よりもきれいで。それを拭き取ってやれたらと思う。
 ミチルの笑う顔が見たかった。ミチルが無理してるのは見たくなかった。ただそれだけだったのに。
 どうしてミチルは泣いているんだろう。
「そんなことないよ。ミチルが嫌いだなんてこと、あり得ない」
 ミチルのつらそうな顔が見たくなかっただけなんだ。
「じゃあ、なんで?」
 理由を口にしようとして、顔が赤くなる。よくよく考えれば、これって告白じゃないか。
 目が泳ぐ。どうする?
 ちらりとミチルの方を見れば、まだミチルの涙は止まっていない。ここははっきりと言うべきなのか。
「ミチルが……」
 恥ずかしさのあまり俯いた僕に、ミチルの視線が突き刺さるような錯覚を覚える。
「ミチルが好きだからだよ!」
 思わず叫んでしまって恥ずかしさが増す。
「………………」
 沈黙。これが一番つらい。かといって自分から話しかける勇気はもうない。
 そっとミチルの様子をうかがうとなんだか様子がおかしい。
 もしかして、自惚れてもいいんだろうか。
「あ、あのさ、ミチル。その、ミチルさえよければ、なんだけど」
 またミチルを縛ることにならないだろうか。でも、もし。ミチルも同じ気持ちでいてくれたなら。
「一緒に、来てくれないかな?」
 どくどくと心臓が脈打つ。ミチルの返事は。
「い、いいの……?」
 恐る恐るといった様子でミチルは言った。
「もちろん!」
 また、叫んでしまって赤くなる。でも、もうそんなことはどうでもいい。
「ミチル、僕と一緒に前へ進んでほしい。僕の隣を歩いてほしいんだ」





 僕が進んでも、道を作っても、後ろに足跡は出来ない。出来るのは車いすの跡だけ。
 それでも、僕は進んでいこうと思う。途中で曲がりくねっても、少しの間止まってしまっても。
 道なき道を進んでいこうと思う。
 それに、それにさ。
 ミチルが隣を歩いていてくれるなら、僕の道にも足跡は出来るんだと、そう思う。


 この果てしない道を、一緒に歩いていこう。




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