鏡嫌い




 もりのなかで くらす ポケモンが いた
 もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ ひとにもどっては ねむり
 また ポケモンの かわをまとい むらに やってくるのだった

 そんな時代から長い長い年月がたった

 
 ひとの中で暮らすポケモンがいた
 群れの中でポケモンは、ひとのかわをかぶり
 ぬぎかたを忘れたまま、ひととして暮らしていた
 
 ポケモンの中で暮らすひとがいた。
 群れの中でひとは、ポケモンのかわをかぶり
 ぬぎかたを忘れたまま ポケモンとして暮らしていた

 
 ひとのかわをかぶったポケモンと
 ポケモンのかわをかぶったひとは
 ある日 草原で出会った
 
 ひとのかわをかぶったポケモンは
 ポケモンの言葉を 知っていた
 だから 出会ったポケモンに声をかけた

 ポケモンのかわをかぶったひとは
 ひとの言葉を知っていた
 だから 出会ったひとに声をかけた

 最初は ただの世間話だった
 いつしか お互いの好きなものと嫌いなものの話になった
 お互いの好きなものは 書物だった
 ひとのかわをかぶったポケモンは 本を読むのが好きだと言った
 ポケモンのかわをかぶったひとは 自分の本を書いてみたいと言った
 お互いの嫌いなものは 鏡だった
 ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 鏡は真実を映さないから嫌いだと
 ポケモンのかわをかぶったひとは言った
 鏡は現実を突き付けるから嫌いだと
 一人と一匹は すっかり意気投合して仲良くなった
 お互いの本当を知らないまま仲良くなった
 
 
 一人と一匹は ときどき会うようになった
 ひとのかわをかぶったポケモンが 本を持って来て
 ポケモンのかわをかぶったひとと 一緒に本を読んだ
 そうして 同じ時間を過ごしていった
 

 月日が少し流れた頃 ひとのかわをかぶったポケモンはおかしな事に気がついた
 隣で本を読んでいるポケモンが 目を本にものすごく近付けて読んでいたことに気がついた
 もしかして 目が悪くなっているんじゃないか 
 ひとのかわをかぶったポケモンは そう聞いてみた
 ポケモンのかわをかぶったひとは 慌ててそんなことはないと言った
 それでも 隣で訝しげな目をしているひとを見上げて ポケモンのかわをかぶったひとは 内心で冷や汗をかいていた

 数日後 とうとう誤魔化しきれなくなって ポケモンのかわを かぶったひとは 実はここのところ 遠くのものが見えづらくなってきていると白状した
 ひとのかわをかぶったポケモンは それを聞いて溜息をついた
 仕方がない 街に行くぞと言った
 
 ポケモンのかわをかぶったひとは ものすごく嫌がった
 街に行きたくないと 喚いて暴れて嫌がった
 そんな事を言って目が見えなくなったらどうするんだと ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 本も読めないし 景色も見えないし 何より俺がどこにいるのか分からなくなるぞと言った
 そう言われて ポケモンのかわをかぶったひとは しぶしぶ 街に行くことを承知した
 ただし 一つ条件がある
 街に行くなら リュックを持って来てとポケモンは言った

 街に連れて来られたポケモンは とても居心地の悪そうな顔をしていた
 目医者に連れて行かれ その足で 眼鏡屋に連れて行かれ 眼鏡を作らされた
 何処に行ってもポケモンは とても とても 注目された
 その注がれる視線が 気持ち悪いとポケモンは言った
 仕方がないさとひとのかわをかぶったポケモンは言った
 お前は珍しいポケモンだから どうしたって注目されちまうんだと言った
 だから 街になんか来たくなかったんだとポケモンのかわをかぶったひとは言った

 眼鏡屋を出る時 ポケモンは街に来た時と同じように リュックの中に入った
 しかし 来た時は別に 随分と機嫌が良かった
 世界がはっきり見えると嬉しそうなポケモンの声を聞いて ひとは リュックのふたを開けといてやるから街の様子でも見物してなと言った

 歩いていると 突然 けたたましい音が聞こえてきた
 派手な音楽だと気づくのにしばらくかかった
 ひとのかわをかぶったポケモンと ポケモンのかわをかぶったひとは 同時に音が鳴り響いている方を向いた
 大きなスクリーンに ゲームの広告が流れている
 女性の声で宣伝文句が流れた
『まったく新しい画期的なゲームです! 頭にこの装置をかぶせるだけで あなたもバーチャルワールドでポケモンになって世界を救いましょう!』

 どうやら冒険物のゲームらしい

 ポケモンになる か
 ポケモンのかわをかぶったひとは思った
 それはとても悲しいことなのに 誰も気づかないんだ

 ひとはポケモンになりたがるものなのか? おかしなもんだな
 ひとのかわをかぶったポケモンは思った
 ポケモンは ひとになりたいなんて思ったこともないのにな

 一人と 一匹は その広告から目をそらして歩き出した

 歩いていると 文具屋の前を通りかかった
 ポケモンのかわをかぶったひとはそれを見つけて ひとにあるお願いをした 
 ひとのかわをかぶったポケモンは それを叶えてやった
 
 その日から ポケモンのかわをかぶったひとは 一冊のノートと鉛筆を使って お話を書き始めた
 書きあがったら 一番に読ませろよ
 ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 もちろん そのつもりだよ 
 ポケモンのかわをかぶったひとも言った
 
 数日後 ぴたりとポケモンの鉛筆が動かなくなったのを見て ひとのかわをかぶったポケモンは 不思議に思った
 どうしたんだと声をかけると ちょっと言葉が出て来ないだけだから 気にしないでくれと答えられた
 そんなことがあるもんなのか ひとのかわをかぶったポケモンは珍しそうに眺めた
 
 次の日も ポケモンの手は止まっていた
 一ページも 一行も 一文字でさえも 進む様子はなかった
 昨日の今日だから そんな日もあるんだろうと ひとのかわをかぶったポケモンは思った

 しかし そんな日はそれからもずっとつづいた
 スランプってやつかな  ポケモンのかわをかぶったひとはぽつりと もらした
 流れは分かってる あたまのなかにこうしたいってイメージはできてる
 だけど それにぴったり当てはまる言葉が出てこないんだ
 苦しそうに鉛筆を握りしめて 白いページに向かい合って 眼鏡をかけているポケモンは言った

 どんな話なのか 俺にはなしてみたらどうだ
 ひとのかわをかぶったポケモンは 何の気なしにそう言ってみた
 案外 頭の中でごちゃごちゃ考えるより 口に出した方が良いかもしれないぜ
 それは だめ!
 大きな声が返ってきて ひとのかわをかぶったポケモンは驚いた
 そんなことはできない それはやっちゃいけない
 確かに 話すのは良いことかもしれない 整理されるかもしれない 
 けど それをしたら 自分が誰かに聞いてもらったことに きっと満足しちゃって 書かなくなる 書けなくなっちゃう
 なにより 聞いてもらった後に書きあげても この話は知ってるって思われるから嫌だ
 ポケモンのかわをかぶったひとは 最初は大きな声で 最後の方はだんだん小さな声で言った

 黙り込んで うつむいて 全く手が動かなくなったポケモンを見て ひとのかわをかぶったポケモンは困ってしまった
 じゃあ 俺が何か話してやるよ  気分転換にはなるかもしれないだろ?
 ひとが はじめてそんなことを言ったので ポケモンのかわをかぶったひとは 思わずまじまじと相手を見返した
 あなたも お話をつくるの好きだったっけ?  
 いいや  俺は読む専門さ
 でもな 俺にだって話の一つや二つ持ってるんだ
 そう言って ひとのかわをかぶったポケモンは話し始めた


 それは 大きな大きな森の中に 一匹のジュカインが住んでいた話
 森の中には 他のポケモン達もいて 彼等とも特に 争いはなく暮らしていた
 時々 ひとが森の中を通った
 ポケモンを連れているのがほとんどで 森の中で他の ポケモンを捕まえたり 反対にポケモンを逃がしたりしていた
 それでも 森を壊したりはしなかった
 ある日 一匹の鳥ポケモンが ボロボロになって森にやってきた
 なんでも そのポケモンの住処である森が ひとの集団に焼かれ 住んでいたポケモン達は捕まえられるか 殺されるかで 必死で逃げてきたらしい
 こちらの森も危ないのではないか 
 ひとの集団は こちらにも向かってくるかもしれない
 悪いことは言わないから 早く逃げたほうがいいと そのポケモンは言った
 しばらくその森で休んだ後 別の森に伝えに行くと言って 回復しきっていない体で飛んで行った
 ほとんどのポケモンは 住み慣れたこの森から離れたくないといった
 ジュカインもそうだった
 数匹のポケモンは 用心のためと少し離れた森に移り住んだ
 誰も彼も ここは大丈夫だろうと勝手に安心していた
 しかし ある日 たくさんのひとが森にやってきた
 ひとは 大きな機械を操って森に火を付けた
 たくさんのポケモンが逃げ出した   
 その中で 小さかったり 見た目が弱そうなポケモンは殺された   
 進化していたり 体が大きかったりしたポケモンは捕まえられた
 ジュカインも 捕まえられた中の一匹だった
 堅い壁に囲まれた箱に たくさんのポケモンが閉じ込められた
 みんな 外に出ようと暴れ始めた  ジュカインも自慢の両腕の刃をふるって暴れた
 しばらくすると 箱の中に白い煙が流れ込んできた
 それを吸うと だんだん 意識が遠くなって ジュカインはそこでぶっつりと記憶がなくなった
 
 そして 激痛が走って意識が戻った
 しかし そこは闇の中だった
 真っ暗で何も見えなかった 
 あまりにも暗くて 自分の姿も闇に溶けてしまって ここに本当に自分がいるのか分からなくなったほどだった
 ただ 感覚だけがあるような 何とも曖昧な気分
 すると 誰かがこちらにやってくるような気配がした
 自分の中に誰かが入ってくる  
 彼は突然 恐怖にかられた  自分以外の誰かがこっちにやってくる
 ジュカインはその“誰か”に向かって飛びかかった   
 その誰かも必死に抵抗した
 それでも彼は誰かを組み伏せ 斬り付け 噛みつき 何かを食いちぎったような感覚を覚えた
 そうして ジュカインはまた意識を失った
 
 次に 彼が意識を取り戻したとき ジュカインは 自分の死体の上に倒れていた
 自分だけじゃない  
 たくさんのポケモンの死体が山積みにされていた
 そして ポケモンだけでなくひとの死体もあるようだった
 月明かりに照らされて とても静かな世界だった
 彼は 立ち上がった
 そして 自分を見た
 彼は ひとになっていた
 ひとのかわを かぶっていた
 きっと これは悪い夢だろう ジュカインは思った
 ほら 昔 森にすむヨルノズクが こんな話をしていたじゃないか

  もりのなかで くらす ポケモンが いた
  もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ ひとにもどっては ねむり
  また ポケモンの かわをまとい むらに やってくるのだった

 だから 彼は その話の全く逆の夢を見ているのだろうと考えた
 そう考えないと 恐ろしかった
 吹き付ける夜風は 冷たかった 
 彼は その場を 立ち去った


 それで!?
 眼鏡をかけたポケモンは食い入るように ひとのかわをかぶったポケモンを見つめた
 それで その…… そのジュカインは どうなったの?
 ひとのかわをかぶったポケモンは その様子を見て 笑い出した
 はい 俺の話は ここまで! ひとのかわをかぶったポケモンは言った  続きは考えてないんだ
 その答えを聞いて ポケモンのかわをかぶったひとはへたり込むように尻餅をついた
 ものすごく リアルで すごいはなしだね 
 どうやって 思いついたの? まるで…… まるで あなたがその ジュカインみたい
 そんなわけないだろう  ひとのかわをかぶったポケモンはいった
 ほら いつかのゲームの広告でひとがポケモンになって……って言うのがあったろ?
 だからその逆バージョンってやつだよ
 そう言って笑ってみせた
 
 
 そうだよね うん ポケモンがひとになるとか ひとがポケモンになるとか そんなことありはしないもんね
 じぶんに 言い聞かせているのか ポケモンのかわをかぶったひとは そう言って頷いた
 でも すごいね 私なんかよりずっとたくさん本を読んでいるんだけはあるね
 そうでもないけどな ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 俺はこの話の終わりを考えてないんだから 
 それはこれから考えるんでしょ?
 いいや 考えるつもりはないんだ
 どうして?
 お前に考えてもらいたいからさ  ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 俺にはあそこから先が一つも思いつかない  だからお前に考えて欲しいんだ
 あ お前が今書いてる話が書きあがった後でいいからさ
 そうつけくわえて ひとのかわをかぶったポケモンは笑った


 ひとのかわをかぶったポケモンが自分の話をして しばらくたった ある日
 できた
 ポケモンが ノートを 差し出した
 スランプとやらから抜け出せたみたいだな 茶化しながらひとのかわをかぶったポケモンはそれを受け取った
 なんとなかね  あのお話がいい刺激になったのかも ポケモンのかわをかぶったひとは言った
 ここで読んでいいのか? そうひとが聞くと ポケモンは少し迷ったような顔をした
 できたら持って帰って読んで欲しいかな……
 すぐに感想を聞きたがるのではないかと考えていたので ひとのかわをかぶったポケモンは少し驚いた
 わかった じゃあそうする そう返事した
 その日は 久しぶりに一人と 一匹は 草原で本を読んで過ごした

 
 その日 家に帰ったひとのかわをかぶったポケモンは ノートを開いた
 短いお話が いくつか書いてあった
 嘘をつくのが好きなウソッキーの話
 空を飛びたがらないスバメの話
 陽気でダンスが好きなヌオーの話
 柔らかい文章で書かれていて 悪くないじゃないかとひとのかわをかぶったポケモンは思った
 次のページを開くと タイトルだけ書いてあった
 鏡が嫌いなポケモンの話
 俺も鏡は嫌いだ  そう呟いて彼はページをめくった
 
 鏡は真実を映さない  
 人になったジュカインは 鏡が嫌いでした
 そこに映るのは本当の自分ではない  
 映っているのは ひとのかわだ
 だから 彼は鏡が嫌いでした


 これは 俺の話の続きなのか?
 ひとのかわをかぶったポケモンはそう考えた

 
 同じように鏡が嫌いなポケモンがいました
 鏡は現実を映すから嫌いでした
 ひとはピカチュウになっている自分が嫌いでした

 ピカチュウが まだひとだった頃 ひとは外の世界に憧れていました
 何故なら 来る日も来る日も 部屋の中で難しい計算ばかりさせられて 正しい答えが出るまで外に出してもらえませんでした
 そして いつも解き終われば 外はとっぷり日が暮れて 今日はもう遅いから駄目だと言われました
 ポケモンと触れ合ったり 勉強以外の本を読んだりしてみたいと思っていました
 良い子にして問題をきちんと解いていたら いつかそんな日が来ると思っていました

 ある日 一番難しい計算をしなさいと言われました
 それができたら 御褒美をあげようと言われました
 今まで そんなことを言われなかったので ひとは嬉しくなって一生懸命 その計算をこなしました
 それが 何の計算なのか知りませんでした

 解き終わると 答えを持って別の部屋に連れて行かれました
 そこには 知らない大人がたくさんいました 
 この椅子に座りなさいと言われて座りました
 正面にポケモンが見えました  
 檻の様なものに入れられて ぐったりしていました
 それが ピカチュウだと気付いて もしかしたら あのポケモンを自分にくれるんだろうかと勝手なことを考えていました
 大人たちが頭をすっぽり覆うような装置を付けられました
 これは ポケモンとお喋りできる機会なんだよ
 ポケモンの頭の中に直接入りこんで 話をすることできるようになるんだよ
 この機械を完成させるために 君に今まで手伝ってもらっていたんだよ
 それを聞いて ひとは嬉しくなりました
 
 そして 機械のスイッチが入れられて ひとは意識が真っ暗になりました
 
 最初は闇の中を泳ぐような感覚でした
 向かっている先に 誰かがいるなという事を感じました
 その誰かは 怯えているようにも 弱っているようにも 感じられました 
 けれど 生きているんだという事は分かりました
 なんて声をかけようか  お友達になれるんだろうか そんな風にわくわくしていたら
 突然 誰かは襲って来ました
 物凄い勢いでした
 びっくりしたひとは 死にもの狂いで飛びかかってきた誰かに必死で抵抗しました 
 そのうち その誰かの首のあたりを思いっきり掴みました
 そして そのまま恐怖に任せて首を絞めました
 手応えがなくなるまで ずっと ずっと そうしていました

 気が付いたら ひとは 自分を 見ていました
 自分は頭に機械を付けて椅子に座っていました
 ひとは鏡があるのかなと思いました
 けれど 自分の両手を見て驚きました
 小さくて 黄色をしていて 自分の手ではありませんでした
 これはピカチュウの手
 さっき 部屋に入った時 目の前にいたピカチュウの手
 まさか まさか そんなこと ありえない

 大人たちの声が聞こえます
 脳波がどうのこうのだとか 実験は成功だとかそんなことを言っています
 ひとの心をポケモンに移す実験
 ポケモンの能力とひとの意識が合わさった兵隊を作る実験

 じゃあ さっき 真っ暗な意識の中で首を締めた“誰か”は
 このポケモン?
 このピカチュウの心? 魂?
 ひとは 目の前が真っ暗になりました

 気がつけば ひとはいつもの部屋にいました
 また ここで計算をしなければならないんだろうか
 昔 どこかので読んだ神話を思い出しました

  もりのなかで くらす ポケモンが いた
  もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ ひとにもどっては ねむり
  また ポケモンの かわをまとい むらに やってくるのだった

 ポケモンのかわ まさにその通りだ
 でも どうやったらこのかわはぬげるんだろうか?
 そう 考えて気がつきました
 わたしのからだはどこ?
 ひとの体は部屋のどこにもありませんでした


 そこで終っていて 続きは無かった
 その時 後ろでドアが乱暴に開く音がした
 ようやく見つけたぞ 検体番号17番
 椅子に座ったまま振り向くと 白い服を着たひとが二人 立っていた
 この二人は俺を ひととして見ているのか ポケモンとして見ているのか どうなんだろうと ひとのかわをかぶったポケモンは考えた

 ひとのかわをかぶったポケモンが 何の抵抗もせず 大人しくついてきたので 白い服を着た二人は 拍子抜けしていた
 しかし そんなことを顔に出さず ひとのかわをかぶったポケモンを 知らない建物につれていった
 そして 通された部屋で 知らない男と 対面した
 私を覚えているかと 男は言った
 なんとなく  ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 本音を言えば ポケモンは知らなかった
 この男を知っているのは ポケモンがかぶっているひとの方だった
 男は ひとのかわをかぶったポケモンに 検査をしようと言った
 君は実験のダメージで一時的に生命機能が停止して そのショックできっと記憶が抜けてしまったんだろうと 勝手なことを男は言った
 どうやらこいつはこの俺を ひととして見ているようだな
 ひとのかわをかぶったポケモンは 安堵した


 一通りの検査らしきものが終ると ひとのかわをかぶったポケモンは この部屋で待てと言われ 一人にされた
 そして そこでポケモンは考えた
 ひとの記憶もひとの言葉もひとの知識も 俺はこのひとのかわに残っているものを使っているだけだ
 だが ここに本来の主人はいない  このかわをかぶるべき人格は 俺が殺した
 その事実を改めて確認して 彼は立ち上がった
 あいつが書きあげた―――とはいっても中途半端な終わり方だが―――あの話の舞台に 俺はいるわけだ
 そして 俺にこのかわをかぶせた奴等が あいつらってことになるんだろうな
 長い袖からするりとナイフを取り出して ひとのかわをかぶったポケモンは部屋の外へと踏み出した

 背後から刃を突き付けると驚くほど見張りは怯えた声を出した 腹の中心を蹴り倒し自分がいた部屋へ投げ込でおく
 やはり手に刃物を持つのは性に合わないな  ひとの腕には刃は生えないのは分かっているが 本来の獲物が恋しくなる
 ひとのかわをかぶったポケモンは 聞き出した通りに廊下を進む
 興奮した声が聞こえてきた  あの男だなと考える  近づけば近づくほど男は狂った笑い声を響かせる

 “人間がポケモンの皮を被ること”を目的とした研究で、“人の皮を被ったポケモン”ができてしまうとはな!こいつは傑作だ!
 そうだ 人がポケモンの皮を被ることができるなら何故その逆が起こり得ないと言いきれる?最高だよ こんな素晴らしいサンプルは無い!

 丸聞こえだ  男はさらに続ける  お前も見つかったことだしこれから大いに研究ははかどることだろう
 演算処理の天才がいなければ あの男の脳波がポケモンのデータと一致したとは気がつかなかったんだからな

 ひとのかわをかぶったポケモンは 扉を開けた
 入ってきた者に気づきもせずに 男は 自分の相手の方を向いて話し続けている
 彼は男を物をどけるように押しのけ 男が話していた対象と顔を合わせた
 ポケモンのかわをかぶったひとは ひとのかわをかぶったポケモンを見上げた
 なんでお前がここにいるんだ?  ひとのかわをかぶったポケモンは言った
 あなたこそどうして?  ポケモンのかわをかぶったひとは言った
 私がお前たちを見つけ出したからだ  男が言った  貴重な研究結果だからな
 あぁなるほどな ひとのかわをかぶったポケモンは言った  けど俺にとってあんたは ただの憎い存在でしかない
 手の中をナイフを 男が気づく前に ひとのかわをかぶったポケモンは すばやく閃かし男に詰め寄った  肩に走らせた一閃は深く 男は痛みに唸った
 男はこんなことをしても無駄だと叫ぶ  そんなことは百も承知だ  ひとのかわをかぶったポケモンは 反対の手に刃を持ちかえる
 あんたを殺しても意味はないし ましてや俺の体はかえってこないだろう  だがな
 切っ先を喉に突き付ける  あんたがやろうとしてることを台無しにすることくらいはできるだろうさ
 なぁ?  ポケモンのかわをかぶったひとは 飛んできた言葉を受け止めて静かに頷いた


 パネルの上で踊るポケモンを眺めて ひとのかわをかぶったポケモンはよろしく頼むぜと言った
 ナイフを突き付けられた人間は 黙って肩を押さえている
 ポケモンのかわをかぶったひとは ひたすら目の前の悪魔の破壊に取り掛かっていた

 ひとはポケモンの意識を殺し ポケモンのかわをかぶった
 ポケモンはひとの意識を殺し ひとのかわをかぶった
 かわをかぶった一人と一匹は 鏡を嫌って生きてきた
 真実を映さない鏡   現実を突き付ける鏡
 けれど その鏡が映すものは それでも己の虚像でしかない
 鏡を偽る装置は ただの金属の塊として静かに沈黙した


 去り際にポケモンのかわをかぶったひとは男に言った
 同じ物を作ろうとしても無理だよ  何故なら私がいないから
 去り際にひとのかわをかぶったポケモンは男に言った
 俺がどうして名前も住所も変えなかったと思う?  俺は確かにポケモンだが記憶はひとの物を引き継いでいる だからあんたが接触してくることのを待っていたからだ

 そう言って一人と一匹はその場を立ち去った

 もっとも あの記憶に確信が持てたのは お前のおかげだけどな
 いきなり振られた話題にポケモンのかわをかぶったひとは戸惑った
 お前の最後の話だよ  ただ悪くなかったけど終わり方はあんまり良くなかったな ありゃ中途半端だろ
 そこはおあいこだよ  ポケモンのかわをかぶったひとは言った
 あなただって最後まで話してくれなかったじゃない
 それもそうだと ひとのかわをかぶったポケモンは言った


 鏡に姿が映らないポケモンとひとがいた
 ポケモンは二度とひととしての姿は映らない
 ひとは二度とポケモンとしての姿は映らない
 一人と一匹は はじめはそれを嫌っていた
 真実を映さない 現実を突き付ける だから鏡は嫌いだと言った
 そんな一人と一匹は 鏡を欺く物を壊した
 ひとのかわをかぶったポケモンとポケモンのかわをかぶったひとはいまも鏡が嫌いなまま ある日 ふいっと旅立った
 一人と一匹がいまどこにいるのか誰も知らない




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