あいつに置いて行かれたから




 不意に、島が揺れ始めた。
 島の一角を出所として轟々と音が響き、上天に煙の柱が伸びていく。
 自室の窓からそれを眺め、発射されたロケットを思って目を閉じた。


 ホウエン地方はトクサネシティ。大きめの島というべきこの土地には、冒険野郎のロマンと探求心を重力の彼方へ放り出す場所、ロケットの基地があった。
 宇宙という未開の地を、いつか踏破してやろうというフロンティア精神。その前準備というか、下調べというか。とにかく心意気の詰まったものが、今日またひとつ現地に送り出されたというわけだ。

 この島に生まれた人間の多くは、海に関わる仕事か、あるいはロケットなど宇宙開発に関わる仕事につこうと考える。どっちも生まれた頃から身近にあるものなんだ。明確な憧れがないヤツは、その辺の職業しか思いつかないもんだろうさ。
 その実例として、オレの父さんは海難救助隊に参加し、オレの兄はトクサネ宇宙センターで技術者として働いている。といっても兄はちゃんと目的があるらしいが、そこまでは知らない。
 反面、オレは「明確な憧れがないヤツ」でありながら、宇宙開発もあんまり興味がない。まぁ、横で見ている分にはおもしろい、という程度だ。
 人間の探求心を悪く言う気はないが……空を見上げるのも良いが、足下をおろそかにするなよ、と思うね。
 だからか、オレは割と簡単に家を離れ、カナズミシティの学校に入り、十歳からポケモントレーナーとしてホウエン地方を旅するようになった。いわゆる人生経験というヤツか。ポケモンと共に苦楽を味わって、それは無駄じゃなかったと、今でも思っている。

 旅立ちからざっと十余年。今やガキとはいえない年齢だし、旅も終わらせたけど、まだトレーナーは続けていた。
 重ねた経験も伊達じゃなく、ポケモンリーグは常連、四天王の皆さんとも顔なじみ。実力だけなら結構なもんだろう。
 しかし……ポケモンジムで働くようになった知り合いが不思議そうに聞いてくる。強いのに、なんで普通の一般トレーナーなんだ、と。

 残念なことに、オレはバトルに向ける情熱が悪かった。
 バトルはあくまで、目の前の妨害を押し退けるもの。あるいは食うための金を巻き上げるためのもの。こんな心意気じゃ人の手本になんてなりゃしない。
 そもそもポケモントレーナーを目指した理由だって、出来の良い兄が居ればウチは何も問題ないと思ったからだ。旅に出て、どこぞで野垂れ死にしようともオレなら良いだろう、って。
 ガキの浅知恵と恥ずかしく思うよ。


 始めた理由こそ幼稚だったが、幸運なことにオレは旅人が肌に合っていた。
 食うに困ったり身体を壊したり、やっとの思いでたどり着いた街もすぐに飽きて、次の街に向かう。ムチャクチャかもしれないが、今思えばそれだけ好奇心旺盛で懲りない性分だった。
 その好奇心が鳴りを潜めちまったから、旅を続けていられなくなったんだが……。

 ちなみにムチャクチャなのはトレーナーとしてもだった。どんな相手であっても、手持ち六体全員どころか回復薬の類もためらい無く使いまくって、意地でも勝利する。
 そうやってオレのポケモンたちは経験を積んで、今や四天王に通用するほどのレベルまで強くなっていた。
 今でもその戦い方は変わらず、ひと度強敵を相手にしたら“げんきのかけら”の消費量と出費が凄まじいことになる。しかしながら案外トレーナーってのは実入りが良いもんで、毎月の収入が出費を下回ることは少なかった。
 儲けがある分、この生活も悪くないんじゃないかと思っちゃいるが……しかし、金目当てのバトルなんてのに疲れた自分もいる。
 懐が寂しくなってきたら、サイユウシティやジムのある街に飛んではバトルをする。その成果によって収支がプラスの日もあればマイナスもある。なんだかバクチで稼いでいるような気分だった。
 大した情熱もなく歳をとっただけのオレが「疲れた」とか、何を言うかってもんだけどな。今のオレは、いつかは何かの職業に就いて、安定した収入で生活を……なんてのに憧れるようになった。
 もちろん細かい就職計画なんて一切無く、トクサネ生まれだから多分、オレの将来は水に潜る海洋調査員かなんかだろうな、と漠然と考えるばかりだった。



 水の中。
 地面とまではいかないが、俺たちの足下だぜ。
 空の向こうを目指す前に、自分の身の回りは調べておきたい。そんな心意気は、おかしいもんじゃないだろうに。
 しかし、水の中となると、今度はオレの仲間たちが怪しくなる。
 オレの手持ち、水ポケモンはランターンが一匹だけだ。ダイビング中はみんな役立たずになる。


 水ポケモンと考えて、オレは傍らのトドグラーを見た。
 母さんのトドグラー。そいつが悠々と、鼻の上に乗せた卵を揺らしていた。
 ……お前さ、卵で遊んでんじゃないよ。
 大丈夫だと思うがな、万に一つでも落として割ってみろよ。オレは何をするかわからないぞ。母さんにゃ悪いが、お前が無事でいられる可能性は無いからな。

 危うげな卵の中身は、かつての相棒の子供。二代目。

 オレはかつて、テッカニンを相棒にしていた。だが、それも今は昔。
 初めての相棒は、すでにおくりび山からどっかに飛んだ後だった。小さな虫だったからな。そりゃぁ短い命だろうと思ってたさ。
 まさか、オレが旅を終えた次の日にあの世に飛んでくとは思わなかったな。
 落ち着きの無いせっかちな野郎で、とにかくひとつの場所にじっとしていられない。そんな性格だったから、オレが旅を終えて実家に留まるのが、死ぬほどイヤだったんだろうか。
 風のように速いテッカニン。その生きる様も風のようだったというわけだ。まぁ、それでも十年は生きていたわけだが。

 あれから一年経つが、オレたちは終わってない。
 他の仲間は健在だし、なにより、存命中にメタモンとの間にテッカニンの卵を作らせ、いずれ来る日にむけてボックスに預けてあったから。

 その卵が今、トドグラーの鼻の上でゆらゆらと……。
 お前、ホントに落として割ったら……知らんぞ?


 コツリと音がした。

 時計の長針が動いて、それを見たオレは腰を上げた。そろそろ、おくりび山行きの船が来る頃だ。
 ここまでだ、とトドグラーから卵を取り上げ、部屋を出る支度をする。ざっと身なりを整えて、ベッドの枕元に浮かぶヌケニンを呼んだ。
 宙を滑るヌケニンを引き連れ、「墓参りに行ってくる」と母さんに告げて家を出る。片手にはスイカのように網で包んだ卵をぶら下げて、仲間たちの入ったボールを懐に抱えて。





 船に乗り込み、卵を抱えて甲板のベンチに座り込む。トクサネとは違う潮風の匂いと、揺れる感触に目を閉じた。
 旅が終わってもう一年、か。テッカニンの一周忌だ。悲しむのはオレぐらいだが、数が問題じゃないはずだ。
 目を開けて、寄り添うように佇むヌケニンを見た。
 ある意味、あいつの分身か。しかし中身は静と動。まったく正反対な分身だよ。姿形は似てるんだがな。

 それにしても、あいつの二代目として用意した卵だが、こうして手元に引き取って結構経つというのに、未だにふ化する気配を見せない。
 知らん顔した割れない卵。だからって投げ捨てようなんて考えたら……いや考える前に、ヌケニンがじーっとこっちを見つめてきた。
 なんだよ。大事な卵だからな、誰が乱暴にするかよ。
 ……なんだろうな。感情のないヌケニンが、異様に怖いってのは。

 思い起こせば、ヌケニンがじっと見つめてくるのは今に始まったことじゃない。この卵を引き取ってからか。オレが卵を抱えていると、気づいたら見ている。
 それだけこの卵が心配なのか。確かにテッカニンの子供となれば、ある意味こいつの子供とも言えるからな。
 しかしオレの思い違いじゃなければ、何かを期待するようなものを感じることもあった。ひょっとしたら孵る瞬間を見たいのか?
 ポケモンの卵が孵るのは、他のポケモンと一緒にいる時だと言うが……。
 この卵は毎日ポケモンと一緒にいるが、この一年、本当に何の反応もなかった。ひょっとして卵のまま死んでしまったのか、と考えたこともある。しかし手放そうとするとヌケニンの目が怖い。今はヌケニンを信じて、この卵を手元に置くことにしていた。

 …………もうすぐ、おくりび山に着くな。





 墓は、いつも通りだった。

 帰りの船の上で、行きと同じようにベンチで潮風を浴びる。
 おくりび山の墓石は花が添えられるようなこともなく、変わらずそこにあった。強いて言えば少々コケむしていたぐらいか。一年近く、霧の多いおくりび山でロクな掃除もされていなかったんだ。コケも生えるさ。
 しかし、テッカニンにしてみればどんなもんなのやら。
 一つの場所にとどまることが死ぬほど嫌いなヤツが、死んだからって墓の中に収まっていてくれるのか。
 ……そんなはずないよな。
 墓はそいつが生きていた証拠。墓の中には魂の抜けた空っぽだけ。だからってないがしろにするつもりはないが、少なくとも、テッカニンはあそこにいるはずがない。
 ヌケニンもここにいるぐらいだ。多分、気が向いたときに様子見に戻ってくるぐらいで、あちこちを飛び回っていることだろうさ。オレがぼんやりしていた、この一年の間も。

 ……あいつはまだ、冒険してるのかねぇ。

 なんとなくつぶやいてみれば、それを聞いたのか、ヌケニンがこっちに目を向けてきた。
 卵が孵らない今、唯一残っているテッカニンとの繋がり。ヌケニン、お前ならテッカニンのこと、なんかわかるか? ……って、聞いても答えてくれるわけないか。
 テッカニンは今頃、一人で世界を駆け巡っているんだろう。リタイアしたオレはテッカニンに置き去りにされて、しかしヌケニンは残り、今もこうしてオレのそばにいる。
 考えてたら、なんだか申し訳ない気がしてきた。相変わらず、ヌケニンの視線には何かを期待するようなものがあるし……。

 ……ひょっとしたら、オレがまた旅に出ることを期待しているのか?

 ふと、そんな事を思った。
 どうなんだ、と聞いたところでヌケニンは答えるはずもない。それが本当だったら長く待たせていることになるが……。
 なんとなく貯金の金額を思い出す。……大会の賞金は何割か家に納めたが、まだ余裕はあった。

 旅とはいかないまでも、久しぶりに観光旅行に行ってみるか。

 もし行くとなれば、余所の地方かな。ホウエン地方はもう、だいたいどこも見慣れた気がする。
 思えば旅を終わらせた理由は、なんとなくホウエン地方の景色に見飽きたからだった。十年も見続けていればそう感じるときも、ある。
 しかし故郷を離れるというのは勇気がいる。身内にはちゃんと説明しないと、親不孝のドラ息子がとんだ一家の恥になりかねないぞ。
 候補としてはジョウトかカントーか。シンオウやイッシュ、オーレは遠すぎるな。あまり長く離れるつもりはないし、街巡りを考えたとして、ほどほどにしておこう。どこか港町から、大きな街を一つか二つという程度に……。
 ……しかし、こう考え始めると面白いぐらいに計画が組み上がっていくな。もともとオレの中に「旅に出たい」という願望でもあったのか。まぁ、あくまでただの旅行ではあるがな。


 コツリと音がした。

 卵に、小さなヒビが出来ていた。
 驚くオレの手の中で、ヒビは瞬く間に表面全体に広がり、そして…………。





 家に帰るなり、オレは一年近く使ってなかったリュックをクローゼットから引っ張り出した。
 埃をかぶっていたそれをバシバシと叩き、想像以上に舞い上がった埃に派手にむせる。
 気を取り直して、家の中に散らばった旅の道具をかき集めた。そして一年前の、旅を終えたあの日と逆の手順でリュックの中に押し込んでいく。
 人間の記憶ってのは不思議なもんだ。いきなり思い出しての事なのに、荷物を押し込むオレの手つきに戸惑いやもたつきは全く無い。一度荷物をすべて出したのが嘘のように、愛用のリュックがあの頃と同じ形で復元された。

 荷造り完了、ひと段落だ。一息ついて、オレはヌケニンを見た。
 その在り様は、ただ宙に浮かぶばかりで依然変わりなし。しかし頭にじゃれつくツチニンによって、その身体は前後左右に揺れていた。小動物が「おきあがりこぼし」にじゃれついたら、あんな感じになるんだろうな。
 迷惑なのか、楽しいのか。ヌケニンの感情はオレにはわからない。しかし、子供に「遊んで」とせがまれている親の姿に見えるのは、気のせいじゃないと思う。実際に、テッカニンの子供ってことはこいつの子供ってことでも間違ってないんだし。
 そう思ったら、なんだか本当にヌケニンが遊んでやっているように見えてきた。今までずっと、まるで動くことなくオレたちを見守るだけだったヌケニンが、身体を揺すって遊んでいる。

 お前も楽しいのかよ。もう一度旅に出るぞ、ってオレが言い出したことが。

 笑いの発作に身を震わせながら、オレはしばらく親子の遊ぶ姿を眺めていた。





 大荷物を背負って現れた息子に、母さんはだいたいの事を察したらしい。
 ため息に加え「また家出かぃ?」と言われて、「電話ぐらいするっての」と約束した。
 十年以上あちこちをふらふらして、たまにしか帰ってこなかった放蕩息子。それが一年も居続けたってことが、本当はおかしな事だったのかもしれない。オレとしては、そんなところだ。

 だけど、テッカニンの卵がようやく孵ったんだ。
 オレがもう一度旅に出ようかなって考えたら、それを喜ぶように元気いっぱいのツチニンが、オレの手の中に現れたんだ。
 テッカニンの忘れ形見が、まるで「オレも連れていってくれよ」と言っているみたいに。
 だったらもう、じっとしていられないじゃないか。

「恩知らずで、ごめんな。母さん」
「……息子も元気で留守が良い、ってことだよ」

 そっけない言葉。止めても聞かないって諦めているのがよくわかる。
 ようやく育ててもらったものを、後足で砂をかけるような、そんなバカ息子だってのに反対もしない。
 本当にオレは、恵まれた親を持ったもんだよ。

「けど、父さんや兄貴に挨拶無しってのは、さすがにどうかと思うね」
「それは……あー、本当にごめん。けど、正直じっとしていられなくて」
「そうだろうさ。あんたはいくつになっても落ち着きの無いガキだよ。
 ……いっといでよ、父さんたちにはあたしから言っておくから。ただ、せめてあたしの葬式には帰ってくるんだよ」
「間に合わせるよ。たっぷり稼いで、立派な式にするから」
「そう…………本当なら、その前に結婚式を見せてほしいんだけどね」
「そ……それは、善処します」

 そればっかりはオレ一人ではなんともかんとも……。

「……じゃぁ、いってくる」
「あぁ、いってらっしゃい」

 しばらく帰ることはないだろう故郷と、母親に背を向ける。
 やっぱりオレも、冒険野郎だったってことか……。





 行き当たりばったりで船に乗り込み、今後の予定を考える。
 とりあえず、今はホウエン地方を飛び出して、ジョウト地方を目指そう。その為には一度カイナシティに行って、高速船のチケットを買えばいいはずだ。
 と、旅の計画はそこそこに用意しながらも、しかしオレ自身はそれほど急いでいなかった。
 急いでいるのなら、オレは今頃、仲間のトロピウスの背に乗ってカイナシティに飛んでいるところだ。
 しかし、今はそのつもりはない。ツチニンのためというか、何より自分が、せっかくだから歩きたいという気分だったから。

 そしてどうやら、この船はミナモシティに行くらしい。
 ちょうど良い。ミナモシティを出れば、おくりび山を横目に進む百二十一番道路に出る。テッカニンの命が今更おくりび山にあるとは思えないが、そっちに向けてオレたちの旅を見守っててくれと、ちょいと祈ってみようじゃないか。
 オレの旅は、先代テッカニンに捧げる旅だ。

 ……いや、先代だけじゃないな。
 辛抱強く待っててくれたヌケニンにも、冒険心の失せていたオレにつきあってくれていた仲間たちにも。

 そして……オレはツチニンを抱え上げた。


 ツチニン、お前に大事な話がある。
 先代と区別をつけるために、お前に名前を付けたい。

 オレが旅を終えた次の日に、この世から旅立った先代テッカニン。
 オレがまた旅に出ようかと考えた途端、卵から孵ったお前。

 お前たちは、親子そろってオレを旅に駆り出させるポケモンだったわけだ。
 だから、お前にふさわしい名前を付ける。


 お前は、お前の名前は…………







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