With Heart and Voice




 ここから見える景色は変わらない。白い波、キャモメの鳴き声、吹き付ける潮風。なのに一番いて欲しいものはここにない。
 赤いバンダナを海風にたなびかせ、乱れる髪もそのままに、遠くを見つめていた。魂が抜けたような顔で。頭の中に浮かぶのは、ここにいない人のこと。
「どこ行っちゃったんだろう」
 机の上の手紙が風に飛ぶ。物音に後ろを振り返り、手紙と一緒にあったモンスターボールを取る。自分の代わりに、と置いていったもの。ボールを握りしめた。手紙の差出人、ダイゴのことを思い出して。
「ダイゴさんに、会いたいよ」
 育ちの良さを感じさせる綺麗な字で書かれた手紙を拾う。ここへ来るであろうハルカという少女に戻らないと告げた文面。二度と触れることの出来ないその人の表情、しぐさ、声まで会ったばかりのように蘇る。


 ハルカがダイゴに初めて会ったのは、石の洞窟という真っ暗なところだった。奥で明かり一つで採掘作業をしていたダイゴに、頼まれていたものを渡した。その時は不思議な人だという印象しか持たなかった。こちらには目もくれず、ひたすら作業をしている彼を特に気に留めることもなかった。
 次に会った時は、道の真ん中。明るいところで見たダイゴは印象が違っていた。薄く青い髪が風に揺れている。その動きはやわらかく、ふんわりとしたダイゴの髪。その時はまじめで冷静な顔をして、それなのに口調は情熱的に育成論を語っていた。
 それから偶然会うことが多くなった。その度にいいバトルセンスをしているとダイゴは言う。どうしてなのかハルカには解らない。それでも、つぼみをつけた花を眺めるようにダイゴは話しかけてきていた。集めたバッジを見せながらたくさん話しても嫌な顔一つせずに聞いてくれる。
 マグマ団とアクア団の抗争に巻き込まれてしまった時は手助けしてくれた。いつの間にかハルカはダイゴに感じていた。他の誰にも感じたことのない感情。ダイゴだけが特別だという想い。
 テノールの声を聞けばすぐに解るし、その後ろ姿を見ただけでハルカは駆け出した。驚かしてやろうと思っても、その数歩前に必ず振り向く。いつも失敗していたけれど、ダイゴは優しく迎えてくれた。
「ハルカちゃんは解りやすいからね」
 そんなダイゴの側にいることが出来るだけでハルカは幸せだった。海に囲まれた島の街、トクサネシティにあるダイゴの自宅に何度も遊びに行った。突然行っても嫌な顔一つしなかった。特別な存在ではないけれど、少なくとも嫌われてはいない。ハルカは時間が許すかぎり、ダイゴに会いに行っていた。
 それに負けたのか、ダイゴはカギを預けてくれた。もし、留守中に来た時に入ってていいよ、と。まさかそんなことをしてくれるとは思わず、嬉しくてその日は眠れなかった。迷惑にならないように、なるべく在宅中の時間を見計らって訪ねる。なので、カギを使ったのはほぼなかったけれど。

 ついにジムバッジが八つ揃った。そのことを報告すると、ダイゴは笑うこともなく、まじめな顔をしていた。
「楽しみだね」
 ダイゴからはそれだけ。おめでとうとも何もなく。次はサイユウシティのポケモンリーグに行くんだね、とこちらの予定を見抜いたかのように。あまり喜んでくれないことを不思議に思ったけれど、それは今考えれば当たり前だったのかもしれない。
 チャンピオンロードを越え、友達とも再会する。元気そうな彼に、思わず最近のこととしてダイゴのことを話す。とても不思議そうな顔をして聞いて来た。
「その人と、付き合ってるのですか?」
 そう聞かれて気づいた。そんな関係ではない。ハルカが一方的にダイゴが好きなだけ。それを子供だから仕方ないとダイゴが追い払わないだけのような。ダイゴが直接言ったわけではないけれど、急に不安になる。すぐに確かめたかった。けれど次に会う時はポケモンリーグのチャンピオンに勝った後だと約束した。ダイゴからそう言って来たのである。
「そういうのじゃないけれどね」
「そうなんですか? とてもその人のこと好きなんですね。初恋は実りにくいっていうけど、ハルカさんなら大丈夫ですよ」
「ありがとう! チャンピオンに勝ったら報告しなきゃ! じゃあね!」
 すぐ目の前はポケモンリーグ。南国の花々が鮮やかな彩りで迎えた。この先のチャンピオンを越えたら、ダイゴに会える。一刻も早く会いたい。そんなハルカの気持ちが、ポケモンリーグの挑戦を急かす。

 四天王との戦いは激しかった。悪タイプのカゲツ、ゴーストタイプのフヨウ、氷タイプのプリム。そしてドラゴンタイプのゲンジとの戦いに、ハルカは終結させた。よくやったとほめてポケモンを戻す。そしてゲンジは言った。次はチャンピオンだな、と。
「ありがとうございます!」
「ただし強いからな」
「はい! でも負けません」
 チャンピオンに勝てばダイゴに会える。そうしたら話したい事、聞きたい事。たくさんある。奥の階段を登り、チャンピオンとの戦いに備える。どんな人なのか、そしてどれくらい強いのか。けれど負けない。そのためにここにきた。ポケモンたちのボールを握って、ハルカは階段を駆け上がる。そして……。
「やっぱり来たね」
 待ち構えるのはダイゴだった。何がなんだか解らないハルカのために、ダイゴは最初から噛み砕いて説明する。ホウエンのチャンピオンなのだよ、と。
「初めて見た時から君はただ者じゃないとは思っていたけどね。ここまで来れるかどうか楽しみだったんだよ」
「じゃあ、チャンピオンに勝ったらっていう約束は……」
「そういうことだよハルカちゃん。さて、長々話していても仕方ない。ホウエンリーグチャンピオンとして、挑戦者に全力でぶつかるのだからね」
 ダイゴはポケモンを繰り出した。ハルカも応えるようにポケモンを出す。チャンピオンに勝てるまでと言ったダイゴが、目の前で勝負をしかけてきている。トレーナーとして、ダイゴの約束を果たすためにも勝たなければならなかった。
「行け、ライボルト」
 ハルカの指示で、ライボルトが電気を溜め始める。全身に電気を帯びて毛が逆立っている。そして目の前のポケモンに激しく電気をぶつけた。けれどダイゴのポケモン、エアームドは倒れる気配もない。相性だけではない。今までの相手より数段格上の相手。
「手加減はしない」
 勝てる気配は全くない。けれど勝たなければ。焦る気持ちがライボルトにも伝わるのか、静電気がたまっているのか。ぴりぴりとした空気がそこにある。この重圧にも勝てないと、チャンピオンを倒すには難しい。
 エアームドが動いた。あの動きはエアカッター。風を刃にして攻撃する技だ。そしてその技を使った後に一瞬の隙が生じる。それを逃さずハルカは命令した。電気タイプの最高レベルの技、雷を。閃光と轟音が室内に響き、エアームドが倒れる。
「さすがだね。けれど次はどうかな?」
 試すようなダイゴの言葉。答える余裕もなく、ハルカは次の命令をライボルトに伝えた。ダイゴのポケモンはどれも別格だ。集中しなければ、的確な状況判断が出来ない。
 こちらもライボルトを倒され、ダイゴのポケモンも何匹か引き出した。ハルカの手持ちは出ているポワルンと、砂漠の精霊フライゴン。どんなにレベル差があっても、フライゴンはその素早さで翻弄して来た。けれどダイゴのポケモンは格が違う。いつものように行くかかどうか解らず、出せなかったのだ。
「こちらも最後のポケモンだ」
 ダイゴの出したポケモンは見た事もなかった。メタグロスという種類だと教えてくれたが、それ以外は何も解らない。太い四つの足が体を支えている。そこからどう攻撃が出るのか、ハルカには想像もつかない。
「ウェザーボール!」
「遅いよ」
 メタグロスの攻撃が早かった。流星のように煌めく拳が、ポワルンをとらえる。小さなポワルンは、それだけで気絶してしまった。こんな強い攻撃は見た事がない。ハルカはポワルンを戻して、フライゴンのボールを見る。あんなに強い攻撃は見た事がない。もし、今の攻撃がもう一度きたら、フライゴンとて無事で済まない。
「フライゴンか。そうか、そうだね」
 ダイゴは笑う。メタグロスを待機させて。
「砂漠の精霊。その羽ばたく音が鳴き声だとずっと思われていて砂嵐の中も飛べる。相手にすると厄介なポケモンだよ」
「そうです。たいていのポケモンの攻撃は受け流せます」
「その通りだ。ハルカちゃん、次の行動は賭けだ。君の思ってる通り、僕は次の攻撃も同じ指示をする。ハルカちゃんはきっとフライゴンに一番強い攻撃を命じるだろう? メタグロスの攻撃が貫通するか、フライゴンが先に攻撃するか」
「解ってるんですね。でもそれ以外を命じたらどうするんですか?」
 ダイゴは何も言わなかった。ハルカもフライゴンに取るべき行動を伝える。そしてメタグロスが動いた。煌めく拳。フライゴンの翼をかすめた。
「いっけぇ!」
 フライゴンは羽ばたく。メタグロスが離れる直前、フライゴンの体が今までにないほど大きく動いた。近づいた隙を狙った。ハルカに指示された技を、至近距離でメタグロスに放つ。バネのように返されて、メタグロスの重い体が軽々と飛んだ。
「なるほど、勝利の女神はハルカちゃんについていたんだね」
 メタグロスのボールを戻す。そしてダイゴは両手を上げた。もうポケモンがいないことを示す合図。
「おめでとう! 君が新チャンピオンだ」
 まだ勝負の熱が冷めきれないハルカ。ダイゴに勝ったからといって、チャンピオンと言われても実感が湧かない。フライゴンを戻しても、何か違和感が残る。
「約束を守ったよ」
「何か違いません? 私、ダイゴさんとこうなるなんて思ってもなかった」
「参ったね。じゃあ後でトクサネの自宅においで。お祝いしてあげよう」
 勝負の場から去って行くダイゴ。後ろ姿も見慣れたものなのに、ハルカには何か違って見えた。ダイゴがチャンピオンだったという事実なのか、それとも見間違いなのか。解らなかったけれど、後で会いに行けるという予定だけがはっきりとしている。それだけでハルカは嬉しかった。
 すでにチャンピオンになったことなんてハルカの頭の中にはなかった。リーグ関係者に囲まれても、頭に浮かぶのはダイゴのことだけ。テレビ報道もインタビューも、何を言ったかなんて覚えてない。ここから早く抜け出して、行くべきところにいって。話すことなんてたくさんある。何から話題にあげようか、順番を考えて。
 しかし順番なんて考えても仕方ない。言いたいことは一つだけ。ダイゴにずっと抱いていた気持ちを伝えること。それだけだった。


 ここは変わらない。沖の白い波、野生のキャモメの鳴き声、涼しげな潮風。それなのにもう、ダイゴの姿はいなかった。置き手紙とモンスターボールを残して。
「僕の一番大切にしているポケモンをあげる。チャンピオンおめでとう!」
 何かが違うのだ。ダイゴは。ハルカが欲しいのはそんな言葉ではない。チャンピオンとして健闘を讃える言葉でも、大切なポケモンを送ることでもない。何が欲しいのか、そんなの解りきっていた。
「いつものように、ダイゴさんがいればそれでよかったのに」
 気づいた時には遅い。もう会えない人のことを想っても仕方ないのは解っている。けれど、そんなもの慰めにもならない。胸の中心が苦しい。初めての恋というのは実らないと言われても、こんな形で終わるなんて誰が予想できたのか。
 薄い青の髪、凛とした顔、テノールの声。忘れることなんて出来ない。ハルカはダイゴのことを一つずつ思い出す。強く吹き付ける潮風がハルカの髪を乱していった。




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