とある絵師のファンタジー




「………はぁ…」
 飲み慣れていないコーヒーを一口啜ると俺は回転いすの背もたれに体重をかけた。ぎしっという音がしたのも気にせずに俺は宙を眺める。
 俺はしがない絵師さ。本職は高校生だけどな。だが、俺の生活の中心は絵にあると言ってもいいかもしれないな。
 そんな俺は今日も鉛筆を握り汚い机の上に色鉛筆を並べ足元でスキャナを起動させその職を全うする。しかし、このご時世。俺の描いた作品を投稿している「ぴぃv」と呼ばれるイラスト系のコミュニケーションサイトではパソコンで描かれた作品が数多く投稿されている。俺は半ば自棄になりながらもその波に必死に抗っている。もちろん、その行為自体、実に無意味なものだと俺も理解している。

 パソコンによって描かれた絵が嫌いなわけじゃない。むしろパソコンで描いた方が簡単に、しかもきれいに絵が描けることも大体分かっている。それが無性に腹が立つ。辛い思いをして手描きの技を体得した俺に比べ、ソフト一つインストールしただけでその技をごっそり盗まれ簡単に使われてしまっているように思えてならなかった。
 もちろん、これは俺自身の勝手な被害妄想に似たものだ。特に真に受けるやつなんかいないし大事なのはこんなことじゃない。ついさっき言った通り、絵は俺の生活の中心だ。その中心がこんなにぐらぐらしてて不安定なものなんだぞ?そんな俺がまともな生活を送れてると思ってるのか?

 答えはNOだ。


 せいぜい不登校にはなっていない落ちこぼれってレベルさ。別に勉強ができないわけじゃない。絵に目覚める前、っていうと語弊があるから言い方を変えるぞ。俺が絵を公開する場所が与えられる前、ネットに深くのめり込むまえと言った方が正しいか。ただ純粋に絵を描く技を求めていたころは勉強も趣味も両立させていた。
 でも今はどうだ。くだらない嫉妬に自棄になって、学校では空気になって、おまけに家では空気どころか邪魔者扱いさ。おかげさまで、今は安いアパートで暮らしている。親も親で気を使ってるのか多すぎるぐらいの仕送りをしているが所詮高校生の一人暮らし。遊ぶ金はあっても時間がなかった。そして毎日はただただつまらないだけの時間となって勝手に過ぎて行った。

……そんな俺の話さ。









「…………」
 色鉛筆をしまいやる気も丁度なくなってきたところで作業からただの落書きへと俺の行動は移行する。すでに午前2時。いい子はもう寝てる時間だが悪い俺には到底関係のない出来事だ。
 ささささっと描き慣れたザングースの姿をコピー用紙へ描く。一度ざっと形を書く必要もなく、ザングースの体のパーツはすべて僕の中へと入っている。「ポケットモンスター」縮めて「ポケモン」と呼ばれ、皆に親しまれているゲーム。それに出てくる架空のキャラクターの1匹がザングースだ。もちろん人ではない。確かに二足歩行なのだがその姿は人間とは程遠い。全身は白い体毛に包まれ腹部と顔辺り、腕の先には赤い体毛が生えていて鋭く大きな爪をもつ。ま、知りたければポケモンをプレイすることをお勧めするよ。あ。なんか色も塗りたくなってきちまった。おなかのあたりにハートの形で赤い体毛を付け足してやるとうきうきし始める。これだから絵を描くのは止められない。
 俺はそいつに色を塗り終わると同時に腹が鳴った。そういや夜食食ってなかったな…。今からでも買いに行こうと思った俺は野口さんを3人入れた財布を持って、夜の街へと出かけた。

 夜の街はとてもきれいだ。街灯と月明りだけが俺を照らす。限りなく厨二に近いこの暗黒ワールドの中で明るい光を見せるコンビニエンスストア、ローンソへと向かう。そこで多少腹にたまりそうなお握りとコーヒーを買って帰る。
 俺のアパートに帰ると俺の部屋の電気が煌々とついている。あれ、電気消し忘れたのか。だとすると鍵も心配だ。さっさと俺の部屋へ向かうため錆びた鉄板で作られて手すりも錆びついていて当然掴めそうもないそれに掴まることなく俺が階段を上がる音とビニール袋がこすれる音だけが聞こえ急いで俺の部屋の前へ立った。 一応ドアノブをまわしてみる。開かなくてとても安心した。俺は安心して鍵をガチャリと開けると無意味にただいまと言ってみる。昔返事を返してくれた家族はいない。何が返ってくることを期待していたのかと自分で自分を笑いながら靴を脱ごうと思ったときに誰もいないはずの部屋の中から透き通った女性らしい声がした。
「おかえりなさい」





 ……は?

 俺はほどきかけた運動靴の紐もそのままに玄関に脱ぎ散らかすと足音荒く部屋へと入った。電気のつけっぱなしだったその部屋にいたのは………白い獣だった。
 ……は?
 その白い"獣"が犬とかホワイトタイガーだったらまだマシだった。ただその白い獣は俺の部屋の隅に"立って"いた。そして、じっと俺の方を見つめているのだ。その赤い目で。時折不安そうに瞳を揺らして……。
 俺は困った。目の前にいる生物が識別できないわけではない。ただ、識別できてしまったからこそ困っているのだ。 驚き。焦り。困り。 多くの感情がこみあげこの場を冷静に判断する力を奪っていく。その中で俺が見つけ出した答え。逃避に近いその考え。
「あぁ…。  こりゃあ夢だな☆」
 そう言って高笑いをすると同時に俺はジャージのままベッドに潜り込んだ。後ろで困った声をあげている獣の声を無視し夢なら覚めてくれと必死に願いながら目を瞑った……。






 そして朝。清々しい朝だ。さあ、机の上のものを片付けてから学校へ行く準備を………する前にやることがあるようだ。さあ、存分に俺の頬を抓ろう。うん、痛いな。 この程度じゃだめだ。もっと内出血するぐらいに、そ〜れっ☆ いだだだだだだっ!
「………夢じゃないのか?」
 俺の声に気がついたのか机の横に丸まっている白い毛はもそもそと動き出す。ホントにもう……勘弁してほしかった。こんなファンタジーな展開に人間ごときの脳みそが追いつけると思うか?俺は追いつかない。だから再びスルーだ。
 俺はなるべく獣と目を合わせることなく俺の分の朝食だけを済ませ机の上を整理した。しかし、机の上をいくら探してもザングースの絵が見つからなかった一番最後に描いたはずの絵がないとやはり不思議になる。でも必要ってわけでもなかった。特に探そうともせずに紙をもと合った順番に重ねていく。
 俺はふと白い獣を見た。その時、やってしまったと思った。あってほしくなどない辻褄がピタリと合った。俺は逃げるようにして部屋を出ると錆びついた階段を下りた。俺の頭はあいつの腹部の映像でいっぱいだった。ハート型に赤く染まっている体毛がオマケのようにちょこんとあった腹部を……。



 学校につくといつも通り空気だった。でも空気も空気なりに存在を実感できる場所がある。昼休みに屋上へ出た。今日は風が少ない、これなら……できる。
 俺が振り返るとそこには短髪の少年が立っていた。いや、俺だって少年には変わりないがあいつは中学生に混じっていても違和感がない。今俺に見せている笑顔もまさに子供のそれだった。俺は高校生の割には長身で長髪で目の前のやつとは対照的だったが中身は同じ。やつも空気さ。
「お〜い、今日、風少ないだろ〜? 勝負っ!」
「ふっ……受けて立つぜ!」
 そう言って俺は何の躊躇もなく屋上の地べたへ腰を下ろす。それはやつも同じ。俺とやつは手際よくお互いのカードをきる。 そう、どうせ話すやつもいないし、俺らはこうやって暇な昼休みを過ごしていくのだ。



「ふっ、カイリュー、メタグロスを生贄に時の神 ディアルガ召喚!」
「HAHAHA! かかったな。  カウンター魔法発動! 撃龍奏!」
 俺がやけにきらきらした仰々しいカードを2枚のカードをどけてから場に出す。その途端、やつは場に裏返してあったカードを表に反してそう叫んだ。そこにはやけにとげの生えた法螺貝のようなものが描かれてあった。
「……撃龍奏?」
「このカードはお前が場にドラゴンタイプのポケモンを出した時に発動することができる。
 このカードの発動に成功したとき、お互いの場、トラッシュからドラゴンタイプのポケモンをロストゾーン送りにできる!」
「うっ……」
 俺は渋々ディアルガとカイリュー含むドラゴンタイプのポケモンをトラッシュの横へ置く。もちろんやつのドラゴンタイプのポケモンも減るのだが明らかにこちらが損だ。
「場に一枚カードを伏せてターン終了……」
 そう力なく言うとやつはにやけながらカードを一枚引いた。
「キングドラ召喚!  キングドラを生贄にパルキア召喚!」
 やつは慣れた手つきでキングドラをトラッシュへ移すと手札からついさっきやつが葬り去ったディアルガと同じほどきらきらしたモンスターが出てきた。
「いけっ。トレーナーに直接攻撃!」
「まだだっ!カウンター魔法発動! 敵操縦機!」
「なにっ!?」
「このカードは、コマンド入力することで、貴様のフィールドのポケモンを(ry」

 こうして俺は家にいる獣のことなどきれいさっぱり忘れて学校で生活していた。





 そうして俺は帰路につく。夕陽を正面から受け長い影が俺の後ろへと伸びる。少々暗くなりかけた頃に俺はアパートへと着く。錆びついた階段を上がり自分の部屋へと向かう。
 鍵を開けようか開けまいか悩んだ。今朝の出来事、昨夜の出来事、そして今日一日が無事に終わろうとしていることを考えると今部屋の中には白い獣がいるに違いない。生憎俺は非日常に自ら歩を進めるような馬鹿じゃあない。でもこのまま部屋に入らんのはもっと馬鹿だろうなぁ……。
 俺は静かに鍵を開けると中へと入る。暗い玄関に外から差し込むわずかな光を頼りに靴を脱ぎ上がる。すでに辺りはしんと静まり返り俺自身の部屋にも獣がいるのかどうか気配すら感じなかった。俺はいなくなっているようにと祈ると恐る恐る部屋の電気をつけてみた。

 そこには………やはり獣がいた。その獣は昨夜見たときよりも少々やつれているようにも見えた。何故の前の獣がやつれているのか、何故目の前の獣は俺を上目遣いで見てくるのか。ファンタジーな世界の住人ならそんな顔はしないはずだ。そう、目の前にいる存在はこの世に存在しうるはずのない物。ならば俺が排斥したところで何の問題があろうか。厄介事は少ない方がいい。この窮地に立たされた俺への追い打ちならば神の刺客だろうと俺は容赦はしない。
 心の中で黒く、そしてひどく厨二的な議論が展開されながらも俺の手はこれから食う即席ラーメンの蓋を開けその中へお湯を注いでいた。育ち盛りだ。1個じゃたらない。心の中の議論を中止し2個目のラーメンの作成に取り掛かる。その様子をじっと見つめられているのか背中に痛いほどの視線を感じる。しばらくすると即席ラーメン特有のいいにおいが部屋に立ち込める。

 ぐぅぅぅううううう………


 ? え。なに? お、俺じゃないぞっ!断じて俺ではない。読者様方は誤解の無いようにな…? 確かに俺は腹を空かせているがここまですばらしく空腹感を訴える音を出すほど飢えてはいないっ!  ………と、すると……?
「きゅぅぅ………」
 ザングースが腹部を押さえ赤面した顔を俯かせている。相当恥ずかしかったのか人間の言葉もしゃべれるはずなのにうっかり地の声を出したようだ。
 ……内心かわいいと思ってしまった。迂闊にもファンタジーな目の前の生き物に一瞬ときめいてしまった。ま、まあ、外見は嫌いではない……かな。俺も大好きなザングースそのものだし。  何よりおなか周りが……あー!あー! ち、ちがうっ!いま大切なのはそんなことじゃないっ!
 気を取り直して、俺は新たな発見をした。それはこの世ではごく普通のことだが『目の前のファンタジーも腹が空く』ということだ。 まあなんともバカバカしい。もしかしたら俺の見ている幻覚という可能性も捨てきれない。俺はそっと目の前の獣に触れようと試みた。
 うん。もふもふもっふん ふるもっふ って感じ。目の前の獣は怯えることなく俺が頬を撫でたのがよかったのか目を細めた。もふりた………もとい、抱きつきたい衝動を抑えつけながらも俺は頬から首、肩、腹部、足へと手でなぞっていった。獣はくすぐったそうに体を震わせるとにこりと笑った。
 その時、再び獣の腹部が食べ物を催促したのだった。これ以上何も食べさせないのは流石にかわいそうだ。よくよく考えてみれば昨夜から丸1日何も食べてはいないのだ。流石にこれではきついだろう。
 見たところ箸も使えなさそうだ。食べさせてやるにしたってラーメンは無理だ。たいていこういう時に箸を口元まで持っていくと箸を折られる。じゃあ無難なもの……
「……あんぱんかぁ……?」
 コンビニの袋をあさりながらそう呟いた。正直焼きそばパンをくれてやるのは悔しいんだ。わかってるよ。俺はどーせ小さい男さ。 俺はあんパンの袋を破ると中身を取り出して獣に見せた。おそらく匂いで食べ物と判断したのかきらりと目が光る。でもそこに野性的な光は無い。今の目の前の獣の状態を表すとするならば飼いならされたおとなしい犬、といったところか。
 とりあえずパンくずをこぼしてもらうと後々困る。某ゲームのようにこの家に一瞬で帰ってこれるわけでもないし。俺は自分が口元まで持っていって食べさせてやるのが一番だと思い目の前の獣のまえにあんぱんを差し出した。 待ってましたと言わんばかりにそのあんぱんを食べようと口を広げ………

 ぱくっ

 あ゙……。………手ごと食われた。 まあ、喰いちぎられたわけでもないし牙が手に刺さったわけでもなかった。生温かい口内の感触とあんぱんを食べるために控えていた唾液がねっとりと手についたのが分かった。 このままだとあんぱんと一緒に僕の手まで咀嚼される対象になりかねない。俺はとっさに手を引き抜いて自分の手を確認する。親指、人差し指、中指、薬指、小指…。うん、五本満足だ。強いて言うのならば唾液を何とかしてほしかった。ねっとりと手についた唾液を学校指定のワイシャツで拭きとると目の前の獣の様子を見た。もぐもぐとおいしそうに食べている。1口で口の中にあんパン1個を入れてしまったもののそれなりに味わって食べているようだ。目を細めて嬉しそうにしているのが何よりもの証拠だ。
 ……しかしこれで足りるのか?中途半端な食事は空腹よりも苦痛だと思う。俺はついに焼きそばパンの袋まで破いた。濃厚なソースの匂いが袋の中から漏れる。あんぱんを飲み込んだ獣はじぃっと俺の手元を見つめた後俺の目を見た。その瞳は期待程度か欲求か、どの程度かは推し量れなかったがこのパンをほしがっていることはわかった。まあ、金はたくさんあるしまた買ってくればいいのだ。俺は焼きそばパンを獣の口元に持っていきながら言った。
「今度は手まで食うなよ…?」

 ………言ったのにもかかわらず再び手ごとパンを口の中に入れられる。別段濡れる程度には構わないのだが指先を傷つけられては俺としては困る。手首なんかなおさらだ。俺は手を引き抜くと同時にそのことを言おうと思い獣の顔を見たが、その顔はまさに幸せって感じの顔だった。気分を少しでもへこませるのは嫌だったし俺は獣の頭を2回ぽんぽんと軽くなでるように手を置くと机の上のカップ麺へ向き直った。俺の苦労を労う筈のカップ麺はすっかり汁気を吸い伸び切っていた。俺は苦笑いをしてすぐに麺の切れてしまうカップ麺をすすった。いつもだったらがっかりするはずのカップ麺が隣に幸せそうな顔をしている獣を見ると美味しく、そして温かく感じられたのだった。



 俺はしばらくパソコンに向き合ってネットサーフィンを楽しんでいた。その横で大きな欠伸をする獣。ん〜。もう獣って呼ぶ必要もないかな。目の前の獣は確かにファンタジーだけど生きてる。ザングースという架空のキャラクターに付けられた都合のいい名前まである。俺はくるりデスクトップに背を向き獣の方へ向く。
「なぁ、お前って名前あんの?」
「へっ……。あ、ありませんけど…」
「じゃあ……ザングースって呼んでいいか?」
「ザン…グース……。はい、いい名前ですね…」
 そう言ってにっこりと笑う。俺自身が作った名前というわけではないがそれでもここまで喜ばれるとこそばゆい気持ちになってくる。俺はザングースが再び欠伸をしたのを確認するとパソコンの電源を落とし部屋を暗くした。俺はさっさと風呂に入って寝ることに決めた。床で寝させるのはかわいそうだが何分今は予備の毛布というものがない。あすは休日だしその時に買うか…。






「うぅぅ〜〜〜〜………」
 項垂れたような声を出す目の前のザングースは何故に駄々をこねようともせずに唸り声をあげているのか。それは外に出れないから。 俺の判断は間違ってはいないとは思う。ザングースを連れたまま外を練り歩こうものなら一瞬で悪目立ちするに違いない。せめて外が暗くなって人通りの少なくなる深夜のころに外出する分には問題は減るがその時間帯に店はやっていない。それはザングースも承知していることなのだろう。自分がこの世界においてイレギュラーすぎる存在であることは生まれたときから薄々感じてはいたそうだ。
 仕方なく置いていくことになったもののやはりどこかかわいそうだ。深夜になってから連れ出すのも俺にしてみては悪くない。ザングースがそれまでに寝なければ、の話だけど。  俺は2人分の食糧を買い集めた後に隣の店で毛布を購入する。今までため込んできた財布の中から毛布分のお金が消えるのもあまり影響はなった。俺は重すぎる荷物に悪戦苦闘しながら何とかアパートまでやって来たのだった。

 夜まで別段やることは無くだらだらと過ごした。日中昼寝をするのは何とも気持ちがいい。先に昼寝を始めていたザングースのおなかを枕にして寝たからなおさら気持ちがよかったのかもしれない。俺が目を覚ますとザングースは俺の方をじぃっとみていた。一瞬重い空気が流れたような気がしたが俺の思いすごしだったようでザングースはにこっと微笑むと「おはようございます」と言った。

 今日は昼寝をしたからか夕食を済ませた後もザングースは欠伸の一つもしなかった。これはいいチャンスとザングースに外に出てみないかと提案した。
「外……ですか? 行きたいですっ」
 そう言って目を輝かせるザングース。確かにずっとこの狭い部屋の中で我慢していたんだ。少しくらいはわがままを聞いてやってもいいと思うし俺自身も夜風に当たりたかった。俺は深夜になったのを確認すると制服の上からコートを羽織るとザングースを連れて外に出た。鍵が閉まっているのを確認すると錆びついた階段を2つの足音が下りていく。アパートの前に設置されている外灯のおかげで夜でもこうして足を滑らせることなく階段を降りられる。
 ザングースが慣れない階段からやっと下へと降りると俺たちはとある場所へと向かった。住宅街を照らす街灯を頼りに昼間の記憶を辿り住宅街の中心へと向かう。隣を歩くザングースはしきりとあたりをきょろきょろ見渡していた。次第に淡々と続く一本道から徐々に視界が開けてきた。この地域で最も大きい公園が俺達の目の前には広がっていた。夜の公園はとても幻想的だった。深夜の静けさの中に風が葉をこすらせる音だけが聞こえ蛍光灯や街中の街灯とは違う優しい光を放つ電燈が足元と公園内を静かに照らす。薄暗い中に浮き上がる遊戯具は昼に見るのとまったく雰囲気が違っていた。俺ですらほんの少し見とれてしまったのだがザングースはどうやらもっと感動していたみたいだ。俺に何も言うことなくずんずんと公園の中に入っていく。幸い、というかこの時間だったから園内に人の気配はない。
 俺はベンチに腰を落ち着ける。楽しそうに歩き回り遊具に触れているザングースを見ていると自然と和やかな気分になってくるのだった。ザングースはひとしきり公園の中を歩き回ると辺りを見回しながら俺が座っているベンチの方へ歩み寄った。淡い光に照らされているザングースの姿はとてもきれいでうっかり凝視してしまうところだった。俺がふいと目を逸らすとザングースは俺の隣に腰をかけた。
 静かな時間が2人(1人と1匹)の間で流れる。このまま何も話していなくとも別段気にならなかったが俺はザングースの方を向いた。足をぶらぶらさせながらベンチに腰をかけているザングースにずっと気になっていたことを一つ聞いた。
「なぁ。そう言えばさ、俺のところに来る前の記憶とかってあるの?」
「ん?  ないですよ?」
 そう軽く答えるザングースに少なからず俺は衝撃を受けた。全く自分が何者かもわからずにいきなり俺達の世界にほっぽり出されたとすれば俺は耐えられないような気がする。そんなことを思っているとザングースは付け足した。
「でも、私を生んでくれたのは誰なのか、私は誰のために生まれてきたのか。それだけは何となくだけどわかります」
「へぇ〜。誰なん?」
 確かに親と存在意義があれば耐えられるかもしれないが俺にはザングースの親だとか存在意義と言うものについては全く分からない。しかし、なんとなく聞いた質問にザングースはとんでもないことを答えたのだった。
「もちろん、あなたですよ」
「え……?」
 話がいきなり飛び過ぎてザングースの言葉を理解しきれていない唖然とする俺にザングースは困ったような顔をして見せた。
「な、なんとなくですよ?  いきなり変なこと言ってごめんなさい」
「あ……うん」
 そう曖昧に答えるとザングースの腹部にあるハート型の赤い体毛を指でなぞった。ザングースが不思議そうな顔をしていたのを見ると俺はあの日のことを思い出した。確かに今目の前にいるザングースは俺が生みだした。このおなかの模様がそのあかしなのだと自分に言い聞かせた。
 ……なんでこんなにも非現実的な現象が起きたかなんてどうでもいい。俺はそっとザングースを抱きしめた。俺がザングースを必要としていることは変わらない。たったの数日一緒にいただけで俺の心が潤っていくのが分かる。今ザングースが俺のもとを去ろうとするならば必死で俺はザングースを止めるだろう。
 気がついたら俺に体を預けていたザングースはこっくりこっくりと頭を揺らし今にも寝そうな雰囲気だったので慌てて連れ帰った。




 すやすやと幸せそうな寝息を立てて寝ている毛布にくるまったザングースの頬をそっと撫でる。もしかしたら俺はザングースのことが好きになってしまったのかもしれない。いや、もともと容姿とかは好きだったわけだけど…。 でも、今はそれだけじゃない。ザングースのために何ができるか、それをしきりに考えている俺は恋に落ちているのだと自分に言い聞かせた。
 机の上に置かれている白紙。あのザングースを描いた日からずっといじってはいなかったから一番上にある紙はきっとザングースが描いてあったはずの紙だと思う。俺はそれをそっと手に取るとザングースとその紙を見比べてそっと呟いた。
「神様からの贈り物ねぇ………」
 我ながらだいぶファンタジーなことを言うようになったものだと思う。そのファンタジーな生き物に恋までしてしまっているのだから俺はどうかしているものだと思う。一回ため息をつくと微笑んでいった。
「今度は俺が贈りかえす番だな」
 ザングースの頬に軽くキスをすると俺は昂った気持ちを押さえベッドの中に潜り込んだ。


 俺達の生活は始まったばかりだった。




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