記念日




 ある町の通りをのんびり歩くあなたの肩を、誰かが叩きます。誰が何の用だろう、とあなたが振り向くと、女の人が小さな手帳を持って何か尋ねたそうにしています。深紅の長い髪に優しい浅葱色の目をしています。知らない女の人です。
 あなたが立ち止まって待っていると、彼女は手帳のあるページを開いてあなたに差し出しました。そこにはこう書かれています。
『仲良しの女の子にプレゼントを贈りたいのですが、どんなものがいいのでしょう? その子はおてんばだけど素直な、小さな女の子です』
 それから女性はボールペンを取り出して、こう書き加えました。
『今日は私とあの子が出会った、記念日なんです』
 あなたはしばしの間考えます――こういうことは目の前にいる女の人の方が詳しそうなのにと不思議に思いながら――そして考えた末、あなたはこんな風に答えます。
 小さな女の子なら、ぬいぐるみやお人形でしょうか。
 おてんばなら、外へ持って出て遊べるおもちゃもいいかもしれませんね。
 おもちゃでなければアクセサリーなどどうでしょう。
 そうだ、小さな子どもなら絵本もいいんじゃありませんか。
 それから、誕生日やクリスマスみたいに、美味しいケーキを食べるというのはいかがでしょう。
 女性はあなたの言葉にうんうんと頷きながら(彼女は喋れないけれど、耳の方は問題ないようです)熱心にメモを取ります。そして、手帳に『ありがとうございます』と書いてあなたに見せました。今からもう仲良しの女の子の喜ぶ顔を想像しているような表情で、そこからも彼女の感謝の気持ちがうかがい知れます。
 あなたはどういたしましてと述べ、別れの挨拶をしてその場を去ります。女性に背を向けて歩きかけたその時、あなたは一言付け足そうと思い立ってくるりと振り返ります。
 けれどあなたに見えたのは、通りを風のように駆けていくゾロアークの後ろ姿だけでした。
 あなたはぐんぐん小さくなるゾロアークを見送ります。そして、あなたは言い損ねたことをほんの少し気にするけれど、再び通りをのんびりと歩いて行きます。

 ここであなたとゾロアークの気まぐれな出会いは終わり、この続きに書いてあるのは、あなたと出会った後のゾロアークのお話です。


 ゾロアークは店がたくさん並んだ通りに着きます。遠目にもキラキラしたアクセサリー屋にカラフルな看板を掲げたおもちゃ屋、落ち着いた佇まいの本屋に甘い匂いのするケーキ屋、さっき尋ねたものが全部この通りに並んでいます。ゾロアークはとりあえず順番に巡ってみようと、通りの店の一つへ入って行きました。
 彼女はまずアクセサリー屋に入りました。入った途端、ゾロアークは途方に暮れました。なぜって、種々様々なアクセサリーがあちらの壁にもこちらの棚にも飾られていて、一体どれを選べばいいのかゾロアークには見当がつかなかったのです。
 すっかり弱った彼女はこう考えました。これだけたくさんのものを売る人間という種族は、たくさん売っていっぱい買うのが好きなのでしょう。ならここでもいっぱい買うのが正解のはずです。そう考えたゾロアークは、店にあったアクセサリーをひとわたり買ってしまいました。髪飾りを一つ、首飾りを一つ、ブレスレットも一つ、ブローチも一つ……という具合に。
 アクセサリー屋の店員に目を丸くされながら買い物を済ませ(お金は幻影ではなくてちゃんとした本物です)、彼女は急に膨らんだ荷物を抱えて次は本屋に向かいました。本屋でも彼女は同じことをしました。つまり、目ぼしそうな絵本を全部買っていってしまったのです。
 すっかり重くなった荷物を両腕に提げて、今度はおもちゃ屋に向かいます。おもちゃ屋に入った途端、ゾロアークは腕が抜けそうな感覚を味わいました。なぜって、おもちゃ屋は本屋やアクセサリー屋よりもずっと広くて、売ってあるものの種類も比べものにならないほど多かったのです。けれど彼女はここでも買い込んで、重たい重たい荷物を両腕と背中で支えて店を後にしました。ぬいぐるみに人形にボールに水鉄砲にフラフープ……とにかく色んなものを買ったとだけここに書いておきます。

 重い荷物を抱えたゾロアークは最後の店に向かいます。甘い匂いのする、こぢんまりとしたケーキ屋です。そこでもケーキをひとわたり買おうとしたゾロアークの目に、あるものが目に入りました。それは、ケーキではありませんでした。それはケーキが乗っていたトレイに置かれた、ケーキの説明の紙でした。もう説明するケーキは全て買われてしまってそこにはないのですが、そこに何があったのか、小さな紙がしっかりと説明していました。
『きのみをふんだんに使った、ポケモンも食べられるケーキ……大好きなポケモンと一緒に』
 写真も付いていました――ふわふわのスポンジにきのみがたっぷり乗った、見るからに美味しそうなケーキです。
 これだ、と彼女は思いました。このケーキなら女の子とゾロアークが一緒に食べることができます。普段、女の子とゾロアークが食べるのは別な種類のものです。けれど、これなら女の子とゾロアークで同じものを味わえるのです。同じ味のものを食べて、美味しかったかどうか感想を言い合うのです。それはとびっきり、いい思い付きに見えました。けれど、そうしようにも肝心のケーキが売り切れてしまってありません。ゾロアークは店員に新しいケーキはいつできるのか聞いてみました。返事は芳しくなくて、明日――つまり、今日はもう作らないと言うのです。ゾロアークはアクセサリー屋に入った時よりも、おもちゃ屋に入った時よりももっとずっと途方に暮れました。力が抜けて、気分も沈みました。明日ではもう間に合いません。ゾロアークはずっかりしょげかえって、ケーキ屋では何も買わずに、重たい荷物を背負って家に帰りました。

 ゾロアークが家(普通の人間が住むような家です)に帰ると、先に上がり込んでいたらしい仲良しの女の子が奥から飛び出して来ました。
「きつねさん、おかえりなさい!」
 ゾロアークは荷物を降ろして手帳でただいまを伝えます。女の子は今にも天まで舞い上がってしまいそうなほどはしゃぎながら、ゾロアークにこう言います。
「ねえきつねさん、今日何の日か知ってる?」
 ゾロアークはどきりとしました。もちろん、ゾロアークがその答えを知らないはずはありません。けれど、いっとう欲しかったケーキを買い損なったのと、自分が山ほど買ってきたものが急につまらなく思えてきたのとで、ゾロアークは返事に詰まりました。
「今日はね、わたしときつねさんが出会った日だよ」
 女の子は気にせず続けます。
「あのね、だからね、お小遣いでちょっと買い物してきたの」
 続く彼女の言葉にゾロアークは驚きました。女の子は冷蔵庫から箱を抱えて持って来て、ゾロアークの目の前でちょっぴり手こずりながら開きます。すると中から、きのみの甘酸っぱい匂いが立ち昇る、ふわふわのスポンジケーキが一切れ現れたのです。
「あのね、これはポケモンもにんげんも食べられる特製ケーキなんだって。きつねさん、一緒に食べよう」
 ゾロアークは驚いた表情のまま女の子を見つめました。思いがけない贈り物を貰って嬉しいやら気恥ずかしいやら、二人して同じものを欲しがった偶然が喜ばしいやらで、感情がないまぜになって上手に表現できません。ゾロアークはやっとのことで『ありがとう』を女の子に伝えました。
 それから、ゾロアークは自分が運んできた贈り物を申し訳なさそうに見ます。女の子はゾロアークの視線に気付くと、こう言います。
「あのね、わたし、きつねさんの贈り物、すごく嬉しいよ。大事にするよ。でもね、たくさんもらったから嬉しいんじゃないよ。きつねさんの贈り物だから嬉しいんだよ」
 ゾロアークはとっても恥ずかしくなりました。いまさらながら自分が闇雲に買い物していたのが自覚されたのです。それに比べて、たった一切れのケーキの美味しそうなこと。
 ゾロアークはケーキを半分こして、女の子と食べました。自分が食べるのと同じケーキを口に運ぶ女の子の弾けるような笑顔を見つめながら、ゾロアークは今日、自分がとびっきりの贈り物を貰ったことに気が付くのです。


 ここでゾロアークと女の子の記念日のお話はこれで終わり。
 最後にあなたがゾロアークに言い損ねた言葉を書き足して、このお話はおしまいです。

                                         』




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